父親という言葉はどう言った場面で使われるのか。その多くは血縁関係の意味を指すだろう。
そうでなくても、己を養ってくれる、育ててくれる人、いわゆる養子縁組を築くことによって法律上の父親になれると教わったことがある。
だが、今の自分達にはそのような冷静な判断を下すことができない。
ガングさんはトレーナーさんを"ぱぱ"と呼んだ。それがどういうことか、悪い想像が頭を過り言葉を発することができないままでいる。
「ガ、ガングちゃんは誰のことをパパって言ってるのかな?」
「う……」
静寂が支配するトレーナー室に、冷や汗を垂らし心なしか声が震えているダイヤさんはガングさんにそう質問をする。
しかし、あまり人前に出るのが苦手なタイプなのか、彼女はすぐにグランさんの後ろに隠れてしまった。
「はぁ、仕方がありませんね。不肖の妹に変わり、わたくしグランが答えさせていただきます。この子が"パパ"と呼ぶ方はメジロマックイーン様方のトレーナー様で間違いありま──」
「隠し子ですわ! ダイヤさん、今すぐあの畜生を探し出して問い詰めに行きますわよ!」
「合点です!」
「ああっ!? お待ちください! 決してお二人の想像するようなことでは……!」
グランさんの静止を振り切り、トレーナーさんを探しにいくためドアを開けようとすると、そのドアは私が力を入れずとも勝手に開かれる。否、自分ではない他の人によって開かれた。
「……おい、もうちょっと静かにしろよ。外まで声響いてきてたぞ」
「トレーナーさん、ちょうどいいところに! 少しばかりお聞きしたいことが……って、ど、どうされましたのそのお顔!?」
「く、隈が物凄いですけど大丈夫ですか?」
思ってたより早く探し人が見つかったのはよかったが、トレーナーさんの顔はなんていうか……普段の気だるそうな顔が更に老け込んだような顔だった。
これでも彼は若い方なのだが、この数日で何があったのかと言わんばかりの老け込み具合だ。
そんな彼の姿を見て、私とダイヤさんは憤怒より先に心配の気持ちが勝ってしまった。
「ああ、大丈夫だ。この週末睡眠時間削って仕事してただけだから」
「それは大丈夫と言わないんじゃ……。本当に辛かったらいつでも私の胸に飛び込んできてくださいね?」
「ん、本当にやばくなったらそうする。ダイヤは優しいな」
「今結婚しようって言いました?」
「言ってないからね?」
攻めた発言を秒速で切られたダイヤさんは頬を膨らませ、何やらブツブツとトレーナーさんへの文句を垂らす。
と、そんなことはどうでもよくて。
「トレーナーさん、貴方つい先日過労で倒れたばかりだというのにそんな生活をしていては今度こそ命がなくなりますわよ?」
「怖いこと言うなよ……。てかあれは過労じゃなくて……あー、まあ色々あったんだよ」
「そういうのいいですから。今日は話したいこととやらを伝え終わったら早く休むこと。いいですわね?」
「なんかおふくろみたいだな……」
「もう、お嫁さんみたいだなんて気が早すぎますわよ」
「だから言ってないからね?」
あら、たしかに私の耳にはそう聞こえたはずなのですが。どうやら思い違いだったらしい。
「ふふっ、主様とマックイーン様方は本当に仲がよろしいのですね。わたくし少々妬いてしまいます」
ふと、グランさんのその一言で我に帰る。通常運転で頭の悪い会話をしていたが、今は私達に憧れているという幼いウマ娘の前だということをすっかり失念していた。
同時に、先程まで騒いでいた原因も思い出す。それはダイヤさんも同じなようだ。
「ああ、グラン、それにガングも。二人ともいい子にしてたか──」
「トレーナーさん! あのお二人は貴方にとって一体全体何者なんですの!?」
「ガングちゃんはトレーナーさんのことを、パ……パパって言ってましたし……! ま、まさかトレーナーさん、既にご結婚なさっていてお子さんを……!」
正直な話、これを聞くのはとても怖い。自分とダイヤさんの声が震えているのが分かる。
彼女達が隠し子としか思えない状況、ダイヤさんの言うように知らぬ間に彼が結婚していたと考えられるのも頷ける。
もしトレーナーさんが肯定してしまったら私の恋路はここで終了だ。
初恋をこんな形で終わらせたくない。でも、トレーナーさんももう結婚していてもおかしくない年齢なのは否定できない。ウマ娘とトレーナーの関係とはいえ、いや、関係だからこそプライベートに首を突っ込むのは野暮というものだ。
もう大人しく身を引くべきか。そんなことが頭をよぎった途端、
「は? 結婚? ないない、んなわけないじゃん。僕が結婚だなんてアルマゲドンが起こる確率より低いよ。痛いっ!? な、なんで!? なんで殴るの!?」
事態を深刻に、そして半ば諦めの雰囲気だったにも関わらず、トレーナーさんはそんな空気をぶち壊すかのようにヘラヘラ笑って否定した。
それによる安堵と同時に、トレーナーさんへの苛立ちから私とダイヤさんは彼に総攻撃を仕掛ける。
「ま、待て、落ち着けって! ははーん、さては二人とも嫉妬したな? グランとガングが僕の子供だと勘違いして、いもしない嫁的存在に嫉妬したな? ほーん、可愛いところあるじゃん! 今日のことは忘れないようにメモして卒業式の日にまた思い出すぜ!」
「マックイーンさん、出口を塞いでください! トレーナーさんが体調不良だろうと関係ありません!」
「ええ、どちらが"上"かどうかを理解らせる必要がありますわね」
「いいのか? そこのグランとガングは君達に憧れてるんだぜ? そんなちびっ子二人の前で醜態晒すような真似していいんですかねグハァッ!?」
トレーナーさんの煽りも虚しく、ダイヤさんは目にも止まらぬスピードで彼の鳩尾に一撃を決める。
普通の人間ならば骨どころ内臓にすらダメージが入っていてもおかしくないが、私達はトレーナーさんの耐久上限をよく理解している。
それを踏まえてのこの一撃だ、流石はサトノ家のウマ娘と言ったところか。
ずしゃりと倒れたトレーナーさんを尻目に、ふぅと息を漏らしてやってやった感を出すダイヤさん。
そんな彼女に、グランさんから一言。
「結構なお手前で」
「あ、ありがとうございます……」
この子も大概いい性格してますわね。
***
「わたくしグランと妹のガングは主様の親戚に当たる存在でございます」
テーブルの向かい側のソファにグランさんとガングさん、もう片方のソファにトレーナーさんを膝枕するダイヤさん。
そして私は座る場所が無いので適当にトレーナーさんのデスクから椅子を移動させてダイヤさんの側に座っている。ちなみに膝枕じゃんけんは負けた。
「親戚って……そんな話一度も聞いたことありませんわよ?」
「ええ、それもそのはず、わたくし達と主様が出会ったのはつい最近のことですので。尤も、わたくしは幼い頃から主様のことを認知していましたが」
「今でも充分幼い部類に入ると思うけど……」
「むっ、子供扱いはやめてくださいまし、サトノ様。これでもわたくしは主様に認められた立派なウマ娘なのです」
えっへんと胸を張るガングさんだが、言葉遣いとは裏腹に子供っぽいところも見受けられ、なんだか微笑ましく感じる。
だが、それだけなら良かったものの、これまでの会話でどうしても気になるところが少々。
「グランさん、貴方のその"主様"というのはトレーナーさんで間違いないんですの? だとしたら呼称に物凄く違和感を感じるのですが……」
「たしかに出会って間もない殿方にこのような馴れ馴れしい態度は失礼だと承知しています。ですが、わたくしと主様は契りを結んだ仲なのです」
「な、何の契りを……?」
「もちろん将来についてでございます」
……はぁ、もう早とちりはしない。大人びた性格をしているグランさんに、絶対に一線は超えないトレーナーさん。
この二人のことを考えると、グランさんの言う将来の契りというのはトレーナー契約のことだろう。
きっとこの子はトレセン学園に入学してくる。その頃には私とダイヤさんもいないので、トレーナーさんの担当に空きができているのだ。なんというか、ちょっともやもやする。
「ん……」
「主様!」
「ぱぱ……!」
そんなことを考えていると、ようやくと言ったところか、ダイヤさんに膝枕されているトレーナーさんが目を覚ました。
私達がやったこととはいえ、少しやりすぎてしまった感があるのは否めない。無事な様子の彼を見てほっと胸を下ろす。
「……双丘……?」
前言撤回、やはり彼には制裁が足りないらしい。
「トレーナーさん、一体何を見てそう仰ったんですの?」
「あ、いや、なんでもないっす、はい」
トレーナーさんのセクハラ染みた発言を即座に切り捨てる。決してダイヤさんに嫉妬しているわけではない。そう、決して。
ちなみに当の本人であるダイヤさんはキョトンとしていた。
「トレーナーさん、お目覚めの方はどうですか? 痛いところとかありますか?」
「君に殴られた鳩尾がまだ痛い」
「まあ大変、今すぐ優しく手当てしてあげますからね?」
「ダイヤ、マッチポンプって知ってるか?」
「今すぐ優しく手当てしてあげますからね?」
「あれっ、NPC……?」
この人達はコントでもしているのだろうか。打ち合わせもしてないはずなのに随分と息が合っている。
「ああもう! 貴方達を好きにさせてたら話が進みませんわよ! トレーナーさんはいい加減事の経緯を話してくださいまし!」
「へーい。と言っても何から話せばいいのか……。君達はどこまで知ってる?」
「私達はグランさんとガングさんがトレーナーさんの親戚だということと、貴方達がつい最近知り合ったことだけですわ」
「ああ、そうか。なら最初から話したほうが早いな。あれは二週間くらい前のこと──」
トレーナーさんは体を起こして話始める。彼の話はこうだ。
先日過労で倒れたという事件もあり、大事を取って数日休みになったトレーナーさんは久しぶりに家族に連絡を取り帰省したとのこと。
なんでも、ウマ娘のトレーナーになってから一度も連絡を取っていなかったし親に顔すら見せてなかったという。なんと親不孝な。
実家に帰省している間、親戚の集まりで二人のウマ娘、グランさんとガングさんに出会い懐かれてしまった、と。
なるほど、なにかと面倒見のいいトレーナーさんのことだ。二人に懐かれる姿を想像するのは難しくない。
それに加え、彼は中央のトレーナーだ。それは非常に狭き門であり、この資格を持っているだけである程度の能力の高さは担保される。きっとグランさん達のお母様も彼の優秀さを知ってこうして預けているのだろう。
だが、ここまでの話を聞いてもまだ分からないことが一つある。グランさんの主様呼びとは別に、分からないことのもう一つ。
「トレーナーさん、どうしてガングさんは貴方のことを父親呼びしていますの?」
「……この子達の父親はガングがまだお腹の中にいる頃にはもういなかったんだ」
「ッ……! すみません、先の発言は忘れてください」
「いや、気にするな、こんなの言わなきゃ分からない。多分、僕がそれっぽい存在だったからじゃないかな」
配慮が足りなかった、その一言に尽きる。
グランさんとガングさんの父親、そして血縁的にトレーナーさんの親戚が何かしらの不幸に見舞われたという事実を無造作に聞き出してしまったことに罪悪感を覚えてしまう。
「それに、僕にとって叔父にあたる存在だったけど関わりは無かったしな。グランとガングに寂しい思いをさせていないとは言い切れないけど」
「主様、マックイーン様、お気になさらず。わたくしはお父様のことは覚えていませんが、きっと天から見守って下さっていると信じていますので」
「ぼ、ぼくも……ぱぱやみんながいてくれるだけでたのしいから……」
グランさんやガングさんにそうは言ってもらえたものの、私の心中は穏やかではなかった。
まだまだ幼いガングさんがトレーナーさんを父親のようだと感じるのも無理はない。
同様に、グランさんの以前からトレーナーさんを知っているという言葉からしても彼を心の拠り所にしている節がある。
「どうやら僕の先祖にウマ娘がいたらしくてさ。そんなこともあってか、うちの祖父母はこの子達をほっとけない性分みたいなんだ」
「トレーナーさんもグランちゃん達を放っておけないんですね。先祖譲りってことですか」
「うるせえ」
軽口を叩くダイヤさんをトレーナーさんはコツンと小突いた。
「そうそう、この子達の父親もここでトレーナーをやってたみたいだ。かなり優秀なウマ娘の担当だったらしいぜ?」
「へぇ、どんなウマ娘だったんですか?」
落ち込む私とは反対にダイヤさんは興味津々だ。グランさんとガングさんも自分達の父親の話なだけに耳がピクピクと動いている。
「主な戦績は菊花賞だったり安田記念、それも安田記念に関しては初代チャンピオンって聞いたな。後は……ええっと……」
「ほ、他には! 主様、わたくしのお父上と教え子様は他にどのような偉業を成し遂げたのですか?」
「いや、悪い。僕もあんまりよく知らないんだ。なんせその子が走ってた時期はウマ娘に全く興味が無かった時だし。そもそも僕がトレーナーを志したのも適当に決めたインターンが原因だからさ……」
「そうですか……残念です……」
結局この話は不完全燃焼のまま終わってしまった。トレーナーさんの過去については興味があるが、今はその時では無いだろう。
「そうだ、トレーナーさん。先程連絡して頂いた『今後のことについて』とは何のことですか?」
ここにきてダイヤさんは当初の目的へと話題を変える。今日はそれを聞きにこの場へとやってきたのだ。
「そうそう、マックイーンにダイヤ。君達はこの一年忙しくなるってことをね。なるべく直接言っておいた方がいいと思って」
「この一年?」
「忙しく?」
「ああ。まずは来たる一年後に誰でも参加の大型レースがあるんだ。部門別に分かれて予選、本戦を勝ち上がり、選ばれたウマ娘が決勝で最強の座を争う史上最大規模のレース、その名も──!」
「あっ、URAファイナルズのことですね! ゴルシさんが仰ってました!」
「えっ……あ、うん、そうね……知ってたの……」
惨い……ちょっとカッコつけて言おうとしていたトレーナーさんの少年心をダイヤさんは無慈悲且つ無自覚に打ち砕く。同情はしませんけど。
「と、とにかく、全てのウマ娘が参加可能ってことで、君達にもその参加資格があるんだ。出るか出ないかは自由なんだが……その顔つきからして、出ないって選択肢は無さそうだな」
当然私もダイヤさんもやる気満々だ。最強の座を賭けて争うとなれば見逃せるはずもない。
「後はちょくちょくメディア関係で二人に取材諸々が入っていて……ん、それとこれは直近のことになるんだが、君達には二人でレースをしてもらいたくてね」
「……? URAファイナルズとは別でですの?」
「そだね」
何の意味もなく、それも私とダイヤさんの二人でレースというのは違和感がある。
トレーナーさんは直近と言っていたし、ここから一番近い大型イベントはファン感謝祭……あ。
「……トレーナーさん。ハズレくじ、引きましたわね?」
「な、何のことか分かりま……あ、はい、そうです。ファン感謝祭の目玉イベントでお二人にはレースして頂こうかなーなんて……ダメっすか?」
何度も言うが、この人は少々働き過ぎではないだろうか。私達のために身を粉にしてくれているのは感謝してもしきれないが、このように運悪く仕事が増えるというのはなんとも度し難い。
「私は全然大丈夫ですよ。こんなにも早くマックイーンさんと決着をつけられるなんて願ったり叶ったりです!」
「ええ、そうですわね。私達の本分は走ること。どのみち断ることなんてできませんもの」
「二人とも……。ありがとう、君達のおかげでメインイベントはなんとかなりそうだよ。グランとガングも良かったな、感謝祭でマックイーンとダイヤのレースが見れるぞ」
「わたくし、今からもうわくわくでございます」
「めじょまっきーんさんもさとのだいやもんどさんも頑張ってください……!」
「惜しいですわね。メジロマックイーン、ですわ」
この子が間違え続ける限り私は何度でも訂正する。それはそれとして、後ろで笑ってるトレーナーさんとダイヤさんをどうしてくれようかしら。
「それはさておき、トレーナーさん。くじ引きで決まったこととは言え、無償で走ることになるのだから何か報酬があってもいいのではないかな、とダイヤは思います」
「え、さっき願ったり叶ったりって……」
「報酬があってもいいのではないかな、とダイヤは思います」
「今日めちゃくちゃごり押しするじゃん……。分かった分かった、無理ない範囲な」
「じゃあ勝った方の婚姻届にサインするということで」
「無理ない範囲っつっただろうが!」
結局今日も今日とてギャースカとうるさいトレーナーさんとダイヤさん。全く、まともなのは私だけか。
「……ふふっ」
「どうかされましたか、グランさん?」
「いえ、大変微笑ましい光景だなと思いまして」
「これを微笑ましいと捉えるとはかなり感受性が豊かですわね……」
「で、でもめじょまっきーんさん、ぱぱ達凄く楽しそう、だよ?」
「メジロマックイーンですわ。もう、ガングさんまでそんなことを……」
きっと本人達はそんなこと考えてないのだろう。でも自然とこうなってしまう。
長い付き合いと深い信頼が無ければあんなやり取りはできない。それを目の前で行なっているダイヤさんに少々嫉妬してしまう。
「わたくしも早くあんな風になりたい……」
「ぼ、ぼくも……」
でも、今は嫉妬なんてしている場合では無さそうだ。
「ああいう風になるのはあまりおすすめしませんが、まずはトレセン学園に入学することですわね。トレーナーさんと既に約束しているとはいえ、この関門を突破しないことにはその約束も果たせませんわよ」
「ええ、任せてくださいまし」
「う……が、頑張ります」
誰かの憧れである以上、カッコ悪い姿は見せられない。それがメジロの誇りであり、私自身の意地と信念……
「じゃあ私が勝ったらサトノ家のお婿に、マックイーンさんが勝ったらメジロ家のお婿ということで……」
「だからなんでレクリエーションで僕の運命が決められてるんだよ! マックイーンもなんとか言ってくれ! この子聞く耳持たない!」
「ダイヤさん、素晴らしい提案ですわね。私も賛成ですわ」
「マックイーン!?」
あまりにも魅力的なダイヤさんの提案に即座に乗っかってしまった。が、その提案がトレーナーさんに承諾されることはなく、結局ご褒美の内容はレースの勝者が改めて決めることになってしまった。
グランとガングはアニメ二期のキタサト的な立場です。