幽霊、宇宙人、未来人、超能力者。これに付け加えてアニメ的特撮的正義のヒーローやサンタクロース、悪の組織などの存在。幼い頃は多くの人がそれら超常的、非科学的なものを信じていただろう。
疑いなく、しかしてそれらを一度として直接目撃したことなんてないのに。
昔は自分だっていつか宇宙からの侵略者が来るのではと考えていたし、クリスマスにプレゼントを貰ったら素直に喜んでたし、毎週日曜日に戦隊シリーズや仮面ライダーをフィクションだと疑わずに真剣に見ていた。
それがいつからだろうか、信じず、否定し、疑い、追うこと自体をやめてしまったのは。いや、最初から何も信じていなかったのかもしれない。
心のどこかではそんなものは存在しないと分かってはいたが、もしかしたらという淡い期待を抱き、事実から目を逸らしていた。見えないモノを見ようとしても、その目に映ったのはいつだって厳しい現実だ。
年齢が上がるに連れて興味も関心も薄れ、中学を卒業する頃にはそんなものガキっぽいと吐き捨てて見向きもしなくなった。
これでいい、これで自分は大人の階段を一つ昇ったと、そう考えていた──
「──はずなのになぁ」
机にカップを置き、しみじみと呟く僕の声は、意外と広い旧理科室内に伝導する。
先程までのふざけた騒ぎとは真逆でここはとても静か。なのに心はダークネス、目の前のブラックコーヒーのように真っ黒だ。
「……珈琲、お口に合いませんでしたか……?」
「いや、んなことないさ。ただちょっと、ここ最近信じられないことが続いてな。君のその『お友達』とやらを筆頭にね」
やはり認めざるを得ない、この世には科学で証明できないものが少なからずあることを。
異世界転移の件はギリギリ夢オチと解せなくもなかったが、これに関しては説明がつかないだろう。
「……さっきまでは動じてなかったと言っていますが……」
「ああ、さっき僕の死刑が確定するような事件があって落ち込み……待ってくれ、言っていたって誰が? もしかして幽霊と意思疎通可能なの?」
そこまで行ったら幽霊というより妖怪とでも言った方がいいのではないか。僕も時計から放たれる光を当てたら見えるようにならないかな。妖怪の〜せいなのねそうなのね!
「ウォッチ、今何時?」
「今は三時を少し過ぎたくらいですが……ああ、あなたはマックイーンさん達のレースがありましたね……」
「そゆこと。でもまだちょっと余裕あるみたいだ」
あの子達のレースまであと一時間弱、その三十分前には最終準備に取り掛かりたいので微妙に時間が余ってしまっている。
どうしたもんか、とりあえずトレーナー室に戻るのも……
「……でしたら、私とお話ししていきませんか……?」
「お話し?」
「はい……以前マックイーンさんからあなたが珈琲好きというのをお伺いしたので……」
たしかに仕事の合間によくコーヒーを飲むことはあるが、別に特別好きというわけではないんだけど……。マックイーンもマックイーンで適当こいたな、どうしてくれるんだこの状況。
「それに──『お友達』がわざわざあなたを連れてきたんです……。そのことに……何か意味があるんじゃないかと……」
「……なるほど」
言われてみればたしかにおかしい。僕とマンハッタンカフェに直接的な繋がりは無い。なのにここへ連れられたのが偶然とは思えない。
幽霊の気まぐれなんて言われたらそこまでだが、それにしてはできすぎている。
しかし、
「心当たりは全く無いな。何かしたとかされたとかやらかしたとかも無いし、そもそも仕事ばっかでそれどころじゃなかったし」
「そ、それは……お疲れ様です……。あなたに心当たりが無いのだとしたら……もしかしたら、マックイーンさんのことについてかもしれません……」
「マックイーンの?」
そういえばさっき、マンハッタンカフェはマックイーンから僕の情報を得たと言っていた。どうやら、彼女とマックイーンには何かしらの接点があるようだ。
「はい……『お友達』はマックイーンさんのことを大層気に入ってまして……。それも、あなたに嫉妬するくらいには」
「嫉妬て……いや、たしかに僕とマックイーンはトレーナーとウマ娘としてそこそこ良好な関係を築けてると思ってるけど、そこまでされる筋合いはないと思うぜ?」
「……私はあなた達のことをよく知ってるわけではありませんが……あなたとマックイーンさん、そしてサトノさんはこのトレセン学園でも問題児との噂がありますよ……」
「……え? その二人と僕が同列に語られてるの?」
「はい……先程もあなたに関する情報が出回ってましたし……」
それはもしかしなくてもエルコンドルパサー達の広めているアレではないだろうか。広めるの早すぎるだろ、なんでこんな離れの旧理科室にまで届いてんだよ。
「……一応言っておくけど、問題児なのはあの二人なだけであって僕はこれといって特に何もしてないからな? どっちかと言えば感謝祭で度々問題になるらしい一色の方がダメだろ」
「あの人は……ああいう人なので……」
諦められてんのかい。ていうかあいつ顔広いな。
「ともあれ、僕はそろそろ行くとするよ。ちょっと早いけど、それに越したことはないからね。マンハッタンカフェ、コーヒー美味しかったよ」
結局ここに連れてこられた理由はよく分からず終いだが、元々あまり長居するつもりなかったのでキリのいいところで話に区切りを付ける。
「あ……待ってください……最後に一つ忠告が……」
「忠告?」
レースが始まるまでマックイーンとダイヤへの言い訳でも考えておこうかなと思っていると、マンハッタンカフェは寸でのところで僕を呼び止める。
たなびく黒髪と金色の瞳、それに加えて整った容姿を持つ彼女は、今日一よく聞こえる声で僕に忠告する──
***
「……アグネスタキオンとマックイーンがねぇ」
レースが始まるまであと数分だというのに、ついさっきマンハッタンカフェからの忠告を思い出す。
ただの忠告ならよかったのだが、今回は聞き捨てならない人物の名前が彼女から飛び出してしまった。
『私の杞憂だといいのですが……先日、タキオンさんとマックイーンさんが怪しげな会話を交わしていました……。一応、トレーナーであるあなたには伝えておこうと……』
アグネスタキオンといえば、いつの日か僕に苦い思いをさせたことのあるマッドサイエンティストだ。
あの時は彼女のトレーナーが不在だったためその代用とされただけだったみたいだが、あれ以来彼女には苦手意識が芽生えてしまい、意図的に避けるようになってしまった。
そして月日が流れ、今度はマックイーンとアグネスタキオンに交流があるとのこと。よくよく考えたら、マックイーンは僕が被害を受けたことを知らない。
とはいえ、アグネスタキオンがアグネスのやばい方と称されるように、色んな意味で恐れられているのは知っているはずだ。マックイーンも自分からわざわざ赴くことはしないだろう。
だとしたらなぜあの二人にラインが……?
「……でも、今は目の前のことに集中だな」
GⅠでもないというのに勝負服に身を包んだマックイーンとダイヤは今、ゲートの前で各々準備運動中だ。
教え子の二人が激突する、それはどちらが勝ってどちらかが負けるということ。できることなら担当のウマ娘の勝つ姿を見たい。
しかし、勝負の世界においてそんな甘っちょろい世迷い事は通用しない。分かっていても少し複雑だ。
それに、このレースは感謝祭のメインイベントとして頼んだものだが、元々マックイーンとダイヤのマッチアップは本人達が望んでいたもの。何者にも妨げられていいはずがない。
そう思っていたのに、
『……あーあー、聞こえるかい諸君?』
突如として、響き渡るノイズ混じりの謎の声。
これは全校放送か? こんな時間に放送が入るなんて聞いてないのだが……いや、どこかで聞いたことがある声だ。そう、この声は──
『私の名前はアグネスタキオン。少しばかり放送室を占領させてもらっている。おっと、勘違いしないでほしいのだが、私は皆を混乱させるためにこんなことをしているつもりはない。ただ一つの情報を伝えるために、こうしてマイクの前に立っている』
放送は淡々と告げられ、直前まで騒いでいたギャラリーも黙ってそれを聞いている。
『以前、とあるウマ娘から薬の開発の依頼を受けたんだ。その薬とは、"飲んで一番最初に見た人のことを好きになる"惚れ薬さ。……口に出すと心底バカバカしいが、これでも私はクライアントの意を飲んでそれを完成させた』
そんなギャラリー達も、惚れ薬と聞いた瞬間騒ぎ立て始めた。それも主にウマ娘が。年頃の女の子達にとっては刺激の強い話らしい。
『そして、私はこの薬をクライアントに渡さなければならない……が、ただ素直に渡すだけじゃあ面白くないだろう? 私にも何か利益が無いと割に合わない。そこでだ、今から10分の制限時間の中で私を捕らえることができた者に、この薬を渡すとしよう。つまりは"鬼ごっこ"さ!』
「は」
なんだこれ、どっきりか? こんな話聞いてないんだが。
『さあ見せてくれ! 本気になったウマ娘が見せる、才能と可能性というものを!』
一瞬何を言われたのか理解ができず、思考が完全にトリップする。そのまま放送はぶつ切りとなり、案の定学園内は大混乱となった。
あるウマ娘は惚れ薬とやらを手に入れるためアグネスタキオンを探し、あるウマ娘は校舎に走って行き、あるウマ娘は他人の足を引っ張り……いや、どんだけ惚れ薬欲しいんだよ。おじさん、今の子の行動力に引くわ。
「あら、トレーナー君いたの? 中々面白いことになってきたわね」
「マルゼンスキー……んな呑気なこと言ってる場合じゃねぇよ。この混乱じゃあレースなんてやってる場合じゃないさ。ああ、くそっ、せっかくの二人の晴れ舞台だってのによ」
ひょいと現れたマルゼンスキーについ悪態をついてしまう。彼女は何も悪くないというのに。
というか、どうしてこいつはちょっと楽しそうなのだろうか。
「そう口では言いつつ、内心ちょっと安心してない?」
「してない」
「これでどっちかが負ける姿を見なくて済むものね。本当に安心してないの?」
「…………ちょっとだけ」
「やっぱりね〜!」
「うるっさいなぁ! 今はそんなことより事態の収拾に努めるのが先だろうが!」
「そのことなんだけどね、今生徒会のみんなが対応に当たってるみたいよ。仕事が早くて感心しちゃうわ」
そうか、シンボリルドルフ達が事の対応をしているのか。なら安心だ、彼女達に任せておこう。
「それでね、できればトレーナー君にも手伝って欲しいって言ってたわよ」
「えぇ……」
そうは言うが、流石の僕でも今回は何もできない。いくら自分の身体が丈夫とはいえ、相手がウマ娘となれば話は別だ。
それも、勝負の舞台はアグネスタキオンを捕まえるというスピード対決。人間である僕に勝ち目はない。
シンボリルドルフには申し訳ないが、ここは静観するとしよう。
「悪いな、こればかりはどう考えても僕が何かできるとは思え……な、い……」
ん? アグネスタキオン?
そういえばさっき、マンハッタンカフェから彼女とマックイーンの繋がりがあることを聞いた。おまけでその二人が怪しい会話をしていたという情報もセットだ。
そして、聞き間違いでなかったら、アグネスタキオンはとある依頼によって惚れ薬を完成させた、と。
まさかな。まさかそんなことはないだろう。偶然だ、偶々に決まっている。
マックイーンが惚れ薬を作るようアグネスタキオンに頼んだなんて、そんなバカなことがあるわけ──
『最近トレーニング以外だと『もうすぐ完成……』と譫言のように呟いてましたし……』
あるやんけ……っ!
今朝のダイヤの言葉を思い出し、その姿が容易に想像できてしまった。むしろそれ以外考えられない。
というか、既にゲートからマックイーンの姿が無い。確定じゃんか。
「どうしたの、トレーナー君? そんな胃に穴が空いたような顔して」
「い、いや、なんでもない。それよりマルゼンスキー、この件についてなんだが、僕にも手伝わせて欲しい」
「あらほんと? 助かるわ、トレーナー君はタキオンちゃんと似てるってルドルフが言ってたから、しっかりブレインとして働いてもらうわね」
「ああ、任せ……アグネスタキオンと似てるって何?」
どこをどう見て僕とアグネスタキオンが似てると思ったのだろうか。そこんとこ小一時間ほど問い詰めたいが、今しがたテントに入ってきた人物を見て、そんな時間がないことを悟る。
「ああ、ここにいたか二人とも。トレーナー君、君に頼みがあるんだが──」
「シンボリルドルフ、できることなら僕も協力するよ。学園の危機なんだ、動かないわけにはいかない」
「話が早くて助かるよ」
こんな綺麗事を言っているが、実際はマックイーンの尻拭いだ。もちろんマックイーンがこんな展開を望んだわけではないだろうけど、問題の中心に彼女がいることは間違いない。
「はぁ、アグネスタキオンもそうだが、その依頼者というのもとんでもないものを作らせるな……」
すみません、その依頼者、多分うちのバカのことなんです。
「そうねぇ、タキオンちゃんの意図はちんぷんかんぷんだけど、依頼者ちゃんからは強い意志を感じるわね」
すみません、その依頼者ちゃん、例え強い意志でも中身はやましいことだと思います。
「と、とにかく! こんな雑談してる暇無いんじゃないか? 制限時間とやらはどうでもいいけど、一刻も早くアグネスタキオンを見つけないと混乱が──」
「ふむ、君ならすぐにでも見つけられると思うんだがな。"依頼者"のトレーナーである君ならね」
「…………嘘でしょ」
バレてーら。
片目を瞑り、全てを見通したかのような発言をするシンボリルドルフ。横でニヤニヤ笑っているマルゼンスキーも全部分かっているのだろう。道理で彼女達は僕を頼ってきたと。
人生はそんなに甘くない、むしろ苦いまである。それを身をもって思い知らされた。
「……お前達はなんでも知ってるのな」
「なんでもは知らないさ。知ってることだけだよ」
「猫の手も借りたいってくらいの状況でそんな羽川さんみたいなことを……ああもう分かりました! 僕がなんとかします!」
考えろ考えろ考えろ、単純に足の速さじゃあ勝てるはずがない。
そこは横の二人の得意分野だが、アグネスタキオンもアグネスタキオンで相当な実力者だ。二人がかりとはいえ難易度は高い。
そもそも、当のアグネスタキオンがどこにいるかということから推測しなければならない。
トレセン学園は、普通の学園と違ってとりわけ広いのだ。そんな学園内から一人のウマ娘を見つけ出して捕まえろだなんて、しらみ潰しに探していては短時間でできるはずがない。
最速で、最短で探さなければならないのだが……
「……なあ、マルゼンスキー。さっき僕とアグネスタキオンが似てるって言ったよな?」
「え? ええ、そうね。実際はルドルフが言ったんだけど……」
「君達の才学非凡なところは一致している。こと頭脳戦においては引けを取らないと思ってね」
「まあ将棋とかチェスとか好きだけど……。ん、その言葉信じるからな」
「ふふ、頼りにしているよ」
ムカつくが今はこれに賭けるしかない。さっさとこのバカげた騒動を鎮めないといけないので下手な選択肢は取りづらいが、ダメだったらまた別の方法を考えるだけだ。
マンハッタンカフェですら惚れ薬の存在を部分的にしか知らなかったのを考えると、それを知っているのは必然的に限られてくる。そして、マックイーンは惚れ薬とやらを僕に使う気なのだろう。
直接的間接的関わらずアグネスタキオンに近しい存在、且つその展開が面白くないと感じるのはおそらくあの子だけ。
だから"彼女"は、感謝祭当日のこの日にわざわざ接触を図ってきた。
「……トレーナー君、今一人でに君の座ってた椅子が倒れたのは私の見間違いかい?」
どうやら僕には、僕のことを気に食わないと考えている強力な助っ人がいるようだ。