早朝というのは気持ちがいい。トレーニングをするのにも適切と言えるほどの気温を肌で感じることができ、気持ちその効率も高まっている気がする。
三ヶ月後にはURAファイナルズの予選が始まるのを見据え、過度な負荷がかからないように注意して走る。ここらでしっかりと気を引き締め、本番のみならず常々メジロ家のウマ娘として恥じない走りをしなくてはならない……のだが、今私はとある別の課題に直面していた。
「……将来の夢……」
日課の早朝ランニングを行いながら呟く悩みの種は、自分が夏頃から相対しているほどの強敵だ。
課題の期限こそ長めに設定されていたはずだったけれど、その期限というのがとうとう迫ってきている。
正直な話、将来の夢というアバウトな課題に対してなす術が無いというのが現状だ。
自分の中での最有力候補としてはメジロ家の後継ぎなのだが、今ではそれに迷いが生じてしまい、課題を前にして考えれば考えるほど筆をのせる手が鈍ってしまう。
じっとしていても仕方がないのでこうして身体を動かしてみても、頭の中にあるのは将来の不安と課題の期限が迫っていることへの焦燥だ。
なんとかして今日中に解決できたらいいのだが……
「おはようございます、マックイーンさん」
「あら、ダイヤさん……おはようございます。貴方も朝練ですの?」
「はい、早起きは三文の徳と言いますし、いいジンクスにはただノリしようかと! 実際こうしてマックイーンさんに会えましたし!」
「そうなんですのね。私もダイヤさんに会えたことが徳ですし、残りの二文が楽しみですわね」
「マックイーンさんからそのようなお言葉……ッ! ダイヤ感激です!」
「ちょ、ちょっと! 抱きつくのはやめてくださいまし! ランニング中ですのよ!?」
と、朝から元気なダイヤさんを相手にしながらいつも通りの日常を送る。
そういえば、ダイヤさんはこの歳でサトノグループの事業に関わっているとか。
そんな彼女の未来設計図というのは一体どうなっているのだろう。
「ダイヤさん、聞きたいことがあるのですがよろしいですか?」
「はい、構いませんよ? ちなみにスリーサイズは上から87、54、84で……」
「いえ、そうではなくて……ちっ」
「今舌打ちしました?」
「してません」
「しましたよね?」
「……してませんわ」
おっと、私としたことがつい。平常心平常心。
心に棲む荒れ狂う鬼神を宥めかせ、明後日の方向に向いて行った話の流れを元に戻す。
「その……貴方は将来の夢とかってありますの?」
「将来の夢ですか……。今のところは私は家の事業に関わっていけるようになるのが夢ですね。そのためにも、今はサトノグループをアピールするために走り続ける次第です」
予想通りと言えばその通りの返事が返ってきたのだが、彼女の言葉はその柔らかな口調からは考えられないほどの固い意志を感じる。ダイヤモンド、とはよく言ったものだ。
「それにしても、どうしてそんなことを?」
「……実は、かくかくしかじかで……」
「なるほど……そう言った課題が出されているから参考までにと私に……。それでマックイーンさんは今のところどうなんですか? やっぱりメジロ家の後継ぎを?」
「私は……その……」
「……?」
私の煮え切らない言葉に不思議そうな顔をするダイヤさん。
彼女すらも私が後継ぎになると思っているのなら他の方達もきっとそうなのだろう。
ランニングルートもほぼ終盤に入っており、残りは学園までの一本道。
言葉を濁したままもやもやした気分で走っていると、一つ見覚えのある背中を発見した。
走るペースを落とし、私達はその人物を横から挟むようにして歩調を合わせる。
「トレーナーさ〜ん! おはようございま〜す!」
「おはようございます、トレーナーさん」
「……朝から元気ね、君ら」
「朝だから、ですよ。元気出して行きましょう?」
「いくら早朝と言ってもだらしないですわよ。私達のトレーナーならシャキッとしてくださいまし」
両手に花の状態だというのに、ちっとも嬉しそうじゃないトレーナーさん……というか眠そうだ。
夜遅くまで仕事をしていて睡眠時間を取れていないのだろうか。だとしたら何も事情を知らない私達がとやかく言うべきことではないし、むしろ労わってあげなければならないのだが……
「いやね、昨日早めに仕事切り上げることができたから気分転換のつもりでゲームやったんだよ。そしたらいつのまにか短針が180°進んでてさ。多分僕の周りだけ時間操作されたんだと思うんだ。多分トレーナー寮にディアルガおるって」
前言撤回、ただの自業自得だったらしい。そこまでの軽口が叩けるなら心配するだけ損だろう。
とはいえ、この方はかつて過労で倒れたこともあるのであまり無下にはできないが。
「はぁ……貴方にしては珍しいと思いますけど、いくら今日のトレーニングが休みだからと言って気を抜きすぎではありませんの? 私達のトレーニング以外にも他に仕事はあるのでしょう?」
「大丈夫大丈夫、君達に関する仕事は真面目にやるけどそれ以外は全部テキトーだから。なんなら午前中こっそり寝るし」
「駄目な社会人ですね……」
私とダイヤさんはトレーナーさん越しに顔を見合わせて呆れた顔をする。
考えるだけで嫌になるが、彼もいい歳だし人生のパートナーがいてもおかしくないと思っていた。けど、この調子だと当分出来なさそう。
少なくとも、彼のことが本気で好きなのは私とダイヤさんくらい……
「そうだマックイーンさん、トレーナーさんにもさっきのことを相談してみてはどうですか?」
「それは……」
「なんだ? 何かあるんだったら話くらいなら聞くだけ聞くぜ?」
「そこは力になると言って欲しかったのですが……。ええっとですね──」
そうしてトレーナーさんにもダイヤさんと同じ説明をする。
そんな彼が将来の夢という単語で少し嫌そうな顔をしたのは気のせいだろうか。
「はぁ、そんで将来の夢とやらに悩んでると」
「ええ、もう何ヶ月もこの状態なのですが一向にこの課題を終わらせられる気がしなくて……」
「君はまだ中学生なんだし、大人になるまで長いんだからここでなりたい自分を決めつける必要はないと思うんだけどね。サイコロとかで決めた運命がピッタシはまったりすることもあるんだから、運命なんて分かんないもんさね」
「さすがトレーナーさんです! いい事言いますね!」
「お、わかってるなダイヤ。どうせ未来なんてどうなるか分かんないんだし、そんなもん雑に書いとけって。とりあえず教師受けの良さそうな公務員とか書いとこうぜ」
「さすがトレーナーさんです! 小狡いこと言いますね!」
「……小狡い言うなよ」
相談相手間違えましたかね。この面子だと碌に話が進まないことなんてこれまでの経験から分かっていたのにどうしてこうなってしまったのか。
「まあなんだ、時間は限られてるけど、君が納得のいくまで模索してみるといい。今日はトレーニングも無いし、課題に専念する時間も大いにあるはずだからな」
「……そうですわね。でしたら今日は一旦本家の方に戻って……ああ、そしたら外泊届も出さなくては」
「うむ、そうするといい。ついでに友達にでも話聞いてみな。そこから知見も広げられるだろうからさ。ちなみにダイヤは将来の夢とかってあるのか?」
「トレーナーさんのお嫁さんです!」
「そうなんだ。悪いな、マックイーン。これは参考にならない」
サトノグループはどこいったんですのサトノグループは。
ナチュラルにさっきと全く違うことを言うダイヤさん。トレーナーさんも昔と比べてだいぶスルー耐性がつきましたわね。
「ありがとうございます、トレーナーさん。今日一日頑張ってみたいと思います」
「おう、どういたしまして。ちなみに僕がこの職に就くようになったきっかけは──」
「いえ、それは大丈夫です。行きますわよ、ダイヤさん。このままでは遅刻ですわ」
「はいっ!」
「……えっ?」
だって、貴方の過去は既に知っていますもの。
***
そして放課後、机の上に置かれたまっさらな課題用紙と相対して唸り声を上げる。
いろんな人に聞くとは言っても、私が頼ることのるできる人なんて限られてくるのだ。
ライアンやドーベルと言ったメジロ家のウマ娘を除いたら、同じチームのダイヤさん、トレセン学園のOGである一色さんくらい。
イクノさんには弱い姿は見せたくないですし、スカイさんは正直こう言った話では頼りにならない気がする。
友達が少ないわけではないが、特別多いわけでもない自分の交友関係が憎い。それでもトレーナーさんよりかはマシでしょうけど。
そうして心の中のトレーナーさんが口うるさく抗議してくるのを無視していると、それと同じくらいうるさい声が二つほど……
「ゴルシー! ここらへんにでっかいカブトムシいるんだって! トレーニング終わったら取りに行こうよ!」
「何ぃ!? そいつぁ我が故郷ゴルゴル星と対となる惑星からの使者かもしれねぇ! おいテイオー、おもてなしの準備だ! 今すぐありっけのはちみつを用意しろ! マックイーンに取られないように注意な! 直舐めされっぞ!」
「やかましいですわよ! はちみつ直舐めなんてたまにしかやりませんわ!」
「たまにはやるんだ……」
あら、どうして引かれているのでしょうか。美味しいではありませんか、はちみつ。
というか、ゴールドシップはどうしてここにいるんですの? テイオーは同じクラスだからともかく、この方が同じ教室にいるというのはものすごく違和感があるのですが。
「ところでマックイーン、さっきから難しい顔してるけどなんかあったの?」
「ああ、それなのですが……。実は将来の夢の課題で詰まってまして」
「ええっ!? あれまだ出してないの!? というか、マックイーンがそこまで悩むってなんか意外かも」
「し、仕方がないではないですか! 私だって悩むことくらいありますわ! もう、早くこの課題終わらせなければ……」
待てよ、今こそがトレーナーさんの言っていたことを実行する時なのではないだろうか。
テイオーの口ぶりからするに、彼女はすでにこの課題を提出している。ライバルである彼女を参考にするのは癪だが、背に腹はかえられない。
「……あの、テイオーは一体なんと書いたんですの?」
「ボク? ボクはね〜……知りたい? 知りたいでしょ〜? しょうがないな〜!」
やっぱり聞くのやめてしまおうか。
いいから早く教えろと口に出しそうになったが、それを喉元で抑え我慢する。
「……ボクはね、医者になりたいんだ。それも、ウマ娘専門の外科医にね」
「医者……ですか」
「うん。ウマ娘はさ、怪我が付きものじゃん? もう治らないって言われて絶望しちゃう子も多いと思う。それでも希望を捨ててほしくないんだ。そうすれば、いつかは走れるようになる。ボクやキミみたいにね?」
「……貴方らしいですわね」
医学を修めたことは一度として無いが、医者の道が楽なものでは無いということは流石に理解している。
それでも彼女ならきっとやってのけるのだろう。何の根拠もないが、そう確信してしまう。
「ふふーん、どう? 参考になった? なったんだったら今度はちみつドリンク奢って……」
「そうだテイオー。お前今日予防接種の日だぞ。トレーナーに連れてくるよう頼まれてたんだったわ」
「えっ、いや、聞いてないんだけど」
「言ってないからな。直前じゃないと逃げ出すだろうからって、トレーナーが」
「う、嘘……ちょ、その麻袋は何!? マックイーン助けて! はちみつドリンクとかいいから助けて!!」
なるほど、自分の経験を基にして将来の自分を模索する。やはりこれが最も近い道なのだろうか。
私がこれまでに見てきた景色、感じた気持ち……
「マ、マックイーン! マックイーン!! ああああああああああああああ!!」
***
「何も思いつきませんわ……」
その後、久々にメジロ家に帰ってきたものの、相も変わらず課題は難航を極めていた。
何も思いつかないとは言ったが、いくつか候補は上がったのだ。
私は甘いものが好きなのでスイーツ職人を目指そうと思った。しかし、スイーツを作るだけ作ってそれを食すことができないという生殺しを受けることに気がつき却下。
スポーツのコメンテーターも頭に浮かんだが、絶対に解説せずにうるさくするだけの自信がある上に、スポーツ観戦が好きなことは周りには内緒なのでこれも却下。
私の趣味や好きなことに紐付けようとしても100%納得のいくものが見つからない。
もういっそのこと、トレーナーさんではないが適当な内容を書き殴ってしまおうか。
そう思いながら庭園へ足を運ぶと、そこには先客が一人。
「あれっ、マックイーン。そんなでっかいため息なんかついてなんかあったの?」
「パーマー……! 本家に戻っていたのですね」
「うん。つっても、忘れ物取りに来ただけだからすぐ戻るんだけどさ」
目の前のウマ娘、メジロパーマーを前にして、つい驚きの声が上がってしまった。
学園では度々話すことはあっても、こうして家の方で会うことはトレセン学園に入学してからというものほとんど無い。
久しぶりに正面から顔を合わせて見るパーマーの屈託のない笑顔は、どこかニヒルな笑みを浮かべる誰かさんとは真逆だなと、そう思ったのは胸の内にしまっておこう。
「さっきから浮かない顔してるけど、どうしたの? あっ、最近トレーナーとの仲があんまりよくないとか?」
「いえ、あの方との関係は世界で一番良い関係を築けていると思いますけど……今はまた別の悩みがありまして」
「お、おう……ナチュラルに凄い自信……。その悩みって何のこと? なんなら話聞くよ?」
もう何度目か分からないが、将来の夢についての悩みを今度はパーマーに打ち明ける。
嫌な顔一つせず、たまに相槌を打つその姿に、本当に面倒見がいいのだなと思わされたのはまた別の話だ。
「なるほど……。つまりは、この家を継ぎたい気持ちはあるけど、別の可能性も探してみたいってことだね」
「はぁ、端的に言えば……。ですが、なかなかどうしてそう上手くいかないもので」
「……マックイーンはさ、なんで別の道を探そうと思ったの?」
「……え? それは……」
あれっ? そういえばどうしてだったけ。いつから私はこうして迷い出したんだっけ。
「誰であろうと、人との関わりって意外と自分を変えさせてるもんだよ。それも、自分が気が付かないうちにね」
自分で言うのも何だが、私はトレセン学園入学前と後とではかなり変化が激しい部類のウマ娘だ。
いや、もっと言えば"あの出会い"があったからこそ……
「……? マックイーン?」
「パーマー、じいや達に今日の宿泊は無しということを伝えておいてくださいまし!」
「ええっ!? ちょっ、どこ行くの!? そんなこと急に言われたって私もすぐ学園に──」
「お礼はまた今度しますわよ!」
「そういうことじゃないってぇ!」
幸いなことにまだ荷物を持っていたため、そのまま家を飛び出すことができた。
久しぶりの本家だというのに滞在時間は限りなく短かかったが後悔は微塵もない。
目的地はもちろんトレセン学園。少しの距離はあるが、今は一秒でも早くこの気持ちを確かめたい。
そうして、あっという間に学園へと到着してしまった私はとある一室の前に佇む。
思い返してみれば、いつの日か自分は変な夢を見たことがある。もしかしたら、その夢の内容を心の中で望んでいるのかもしれない。
そう思い、部屋のドアを開くと、案の定見たかった姿がそこにあった。
「──これだったんですのね」
「ん? ああ、マックイーンか。ノックも無しにどうかした……って、その汗何? 制服でトレーニングでもしたんか?」
できる限り聞こえないように呟いたのだが、その部屋にいた当の本人にはバレてしまっていたようだ。
私のやりたいこと、将来の夢。見つかったかもしれない。
「ふふっ、少しばかり本家からここまでノンストップで走ってきただけですわ」
「なぜに? てか、危ないから公道で全力ダッシュは緊急時以外やめなさいっていつも言ってるでしょ」
「どうしてもトレーナーさんに会いたくなってしまったもので。これは緊急時と言っても差し支えなくて?」
「差し支えるが? はぁ、ったく、最近は交通事故も増えてるんだし、君の身に何かあったら心配なんだよ」
「……それは、貴方が私の"トレーナー"だからですの? それとも──」
「はいはい、そういうのいいです」
むぅ、本当にスルー耐性がついてきていて面白くない。それもこれも全部ダイヤさんと一色さんのせいですわ。
「ほら、暗くなってきてるし用が無いんだったらもう帰りなさいな。僕はまだ仕事残ってるし、完全下校時刻までそんな時間無いんだから」
今更本家に帰るつもりはないので寮に戻ってもいいのだが、外泊届を提出した手前なんだかそれももったいない。
課題の内容が完全に固まってテンションが上がってしまっている今、少しくらいは"押しても"バチは当たらないだろう。
「トレーナーさん、私、少し早めのクリスマスプレゼントが欲しいな、と」
「ええ、後一ヶ月近くあるんですけど……まあ言うだけ言ってみ?」
「なら、今日はトレーナーさんの部屋に泊まりに行かせていただくということで……」
「ダメに決まってるよね? 百万歩譲って一色みたいなのがいるならまだしも、生徒とトレーナーの二人きりは社会的な死人が……」
「でしたら──」
トレーナーさんは、トレーナーとしての仕事に就く前にもこうしてウマ娘のトレーニングを見ていた。
貴方は私の憧れだ。だったら、
「私にも、貴方がやっている仕事、教えてくれませんこと?」
「えっ……なにゆえ?」
「私がやってみたいからですわ」
「……しょうがねぇなぁ」
見つめる視線の先には憧れの人がいる。
そんな憧れの人の横で、もう何度聞いたか分からない彼の口癖を聞きながら彼の仕事を目の当たりにしたのだった。