名家のウマ娘   作:くうきよめない

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しょうがねぇなぁ!

 

 

 

 夜のグラウンドに、ジャージではなく制服を着たままの状態でいるウマ娘が二人。私達以外に目立った人影は見当たらない。

 

 

 マックイーンさんとの決闘。それはずっと引き延ばしにされていた、私にとっての一大イベントだ。

 楽しみで、楽しみで、楽しみで。その日が来るのが待ち遠しかった。

 

 だが今この時はそんな気分ではなく、真逆の気分だ。

 

 膝をついて必死で息を整える彼女に、悠々と上から見下ろすように近づく。

 

 

「ハァ……ッ、ハァ……!」

 

「……がっかりですよ、マックイーンさん。あんなに楽しみにしていたあなたとの勝負がこのような形で、それもこれほどあっけなく終わるとは」

 

 結論から言おう、私の圧勝だ。これと言って語ることもないほど一方的なレースだった。

 

 かつて春の天皇賞を連覇し、テイオーさんと凌ぎを削った名優はどこにもいない。地に足をつき、私を見上げようともしない彼女の姿は負け犬そのものだ。

 

 少し前ならこんなことを思うことは絶対になかった。以前の自分なら、マックイーンさんに勝てたという事実だけで大喜びしているはずだ。

 

 私が勝てたのは、マックイーンさんが全力じゃなかったからじゃない。むしろ、彼女は全力だった。

 

 

 全力で走って、これだった。

 

 

「……強くなりましたわね、ダイヤさん」

 

 

 やめてください。

 

 

「思えば、貴方とはずっと勝負がお預けの状態でしたわね。それがこんな形で実現して、それもこんなに大敗するとは」

 

 

 負けを認めるのはいい。どんな負けず嫌いでも、負けを認めない限りは前に進めない。それは誰かさんから教わったこと。

 

 

「ダイヤさんはこの先もっと高みへと向かえる。ドリームトロフィーリーグだっていい結果を出せると思います」

 

 

 でも、負けたのなら……負けたんだったら……っ! 

 

 

「貴方にならば胸を張って"道"の先を譲れる──」

 

 

「負けたのならもっと悔しそうな顔をしろッ!」

 

 

 マックイーンさんの胸ぐらを思い切り掴み、彼女を無理矢理立たせる。

 怒りを込めた手は、軽いマックイーンさんなんて簡単に持ち上げることができてしまうほど。それくらい今の彼女は力を入れていないという事実が、私のはらわたを更に煮えくり返す。

 

「ダ、ダイヤさん……? 急に何を……」

 

「何をじゃありません! 私が言ったことが分からなかったのですか!? もっと悔しそうな顔をしろと言ったんです! それがなんですか、その何とも思ってなさそうな顔は!」

 

「……メジロのウマ娘たるもの、常に冷静であれと言われてますので」

 

「まだそんな言い訳……ッ!」

 

 澄ました顔で無理のある言い訳をするマックイーンさんに初めて手が出そうになり、つい無意識に空いた拳がグーの形を作ってしまっている。

 

「……がっかりですよ、あなたがこんなにも志の低いウマ娘とは思いませんでした」

 

「その評価で結構ですわ。私はもう、走りませんもの。あの頃のように熱を持って走る自分はどこにもいませんわ」

 

「ッ……! そんなこと……」

 

 そんなこと、あなたが言うなよ。

 

 そう言いたかったのにショックで声がでなかった。

 こんなのマックイーンさんじゃない。私の知っているマックイーンさんは、いつも優雅で周りからの羨望の的。だというのに、負けず嫌いで、挑発なんてされたら意外にも好戦的になる、私の大好きな先輩だ。

 

 そんなあなたが、もう走らない……? 冗談を言うのも大概にしてほしい。

 

 とはいえ、私にできることはこれ以上ない。かつて私がされたように、誰かさんの真似をしてヒール役を買って出たというのに、やっぱりあの方のようには上手くいかなかった。

 

「それでは今度こそ失礼します。トレーナーさんには……そうですわね、やはり何も言わなくて結構ですわ」

 

 今度こそこれ以上話すことは無いと言わんばかりに、マックイーンさんは私のことを突き放す。

 

 それが悔しくて、寂しくて……

 

「マックイーンさんは……」

 

「……まだ何か?」

 

「マックイーンさんは、強くて、かっこよくて……」

 

「……は?」

 

「私が挫けそうになった時も、話を聞いてくれ、て……」

 

「何を言って……」

 

 段々と自分が鼻声になってくるのが分かる。視界もぼやけ、頬に涙が伝う。

 

「最初は、っ、憧れだったけど、マックイーンさんに勝ちたいって思ってから、憧れるのをやめて……ここまで来たのに……」

 

「……ダイヤさん、私は……」

 

「そこまでだ、二人とも」

 

 マックイーンさんが私に何かを語りかけようとした瞬間、私達ではない第三者の声が響く。

 

 それは、先程別れたばかりの人物……

 

「トレーナーさん……! どうしてここに……」

 

「それはこっちのセリフだ。たづなさんから連絡があったんだよ。門限を過ぎてるのに君達二人が勝手にグラウンドを使用してるって。保身に走ってるわけじゃないが、ウマ娘の責任はトレーナーの責任だ。だから、これは俺の監督不行き届き責任にもなる」

 

「うっ……」

 

 そう言われると弱い。私達……いや、私だけが罰を受けるのならなんてことはない。だけど、今回の件に関しては何も関係のないトレーナーさんまでもが責任を被ると言うのなら話は別だ。

 

「その、す、すみませんでした。私、トレーナーさんへの迷惑まで考えてなくて……」

 

「……この後、寮長のウマ娘からこってり叱られると思う。だから、それぞれよく反省するように。以上」

 

「はい……え? それだけですか?」

 

「なんだ、俺からも叱られたいのか?」

 

「それはもちろん……いえ、ではなく!」

 

 おっと危ない、つい願望が出てしまった。そんな私の場違いで邪な考えは置いておいて。

 

「トレーナーさんは……怒ってないのかなと……」

 

「……まあ、立場上叱らなきゃなんないんだろうけど、どうにもそんな気になれなくてな」

 

「……? それはどういう……」

 

「こっちの話だよ。それともう一つ……なあ、さっきから黙ってないで何か喋ったらどうなんだ、メジロマックイーン?」

 

 と、ここまで沈黙を保っていたマックイーンさんに、トレーナーさんはニヒルな笑顔でコンタクトを取る。

 そんな彼の声にマックイーンさんはビクリと反応し、恐る恐る彼に向かい合った。

 

「……久しぶりですわね。こうして直接会うのは、貴方が目を覚ました時以来でしょうか。記憶喪失だというのに覚えていただけて光栄ですわ」

 

「ハッ、なんせ、現時点での俺の記憶史上一番最初に言葉を交わしたのが君なんだから忘れるはずもない」

 

「あの時の貴方は私の名前すら忘れていたはずですけど」

 

「君の名前を知る手段なんていくらでもあるだろうに。尤も、忘れてたことは否定しないが」

 

 な、なんだろうこの雰囲気。微妙にギスギスしているようなしてないような、この独特な感じ。

 なんだか、トレーナーさんとマックイーンさんの間に火花が散っているような気がする。

 

「それで、何故私に声をかけたんですの? ああ、言わなくても大方予想はつきますわ。早く学園に戻ってこいだったり、担当ウマ娘を降りてもらうだったり……」

 

「いやいや、そんなこと言わないけど。というか、声かけた理由なんて特に無いし」

 

「……は? じゃあどうして……」

 

「早く部屋戻りなさいって。サトノダイヤモンドもそうだけど、怒られるのは明日にしようぜって言いたかったんだが……」

 

 前言撤回。火花どころか摩擦熱すら起きていなかった。

 

「ち、ちょっと待ってください! 貴方は私に何か言いたいことはありませんの!? 私のやってることは、分かりやすく貴方のことを避けているような行いですわ! だというのに、貴方は何も私に……」

 

「言わないな」

 

「どうして……ああ、そうですわよね。私なんて見放されて当然ですし……」

 

「だって、こんなところで話すことじゃないだろ?」

 

「……え? あっ、一体どちらへ……」

 

「たづなさんのところ。君達のことは、俺からガツンと言っといたって言って誤魔化しておくから、今日のところは解散だ」

 

 そう言ってトレーナーさんは来た方向へと踵を返して歩いていく。また私達は彼に庇われてしまった。

 いつも私達のために汚名を被って、時には自身もやらかしてしまうのに、どうしてあの後ろ姿はあんなにも格好が良いのだろうか。

 

「それじゃあメジロマックイーン、サトノダイヤモンド」

 

 そんな彼は、何かを思い出したかのように振り返る。

 

「また明日」

 

 そう言い残し、今度こそ私達の下を去った。

 

 また明日。何の変哲もない別れの言葉だと言うのに、それは私達……もっと言えば、マックイーンさんにとっては大きな意味を持つ。

 

 そんな彼女は、落ち込んでるとも喜んでるとも言えない、何とも言えぬ表情でトレーナーさんを見届けた。

 

「……みーんな、こんな矮小な私を祭り上げるものですから…………。私は、ただ必死に走り続けていただけですのに……」

 

 そうして、マックイーンさんもゆっくりとこの場を去った。残されたのは私一人……

 

「……上手く行った……のかな?」

 

 それは、明日になってみないと分からない。でも、私ができることはここまでのようだ。

 

 トレーナーさんのこと、そしてマックイーンさんのこと。

 課題は山積みなのに、何故だかすっきりした気分だ。

 

 

 でも、トレーナーさんを夏祭りに誘えなかったのはすっきりしないかなぁ……。

 

 

 汗ばんだ制服に若干の不快感を覚え、夜風に吹かれながらターフを後にした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ダイヤさんと突発的にレースをし、大敗した翌日。私は、半年ぶりにとある場所の前へとやってきた。

 

「……久しぶり、ですわね」

 

 そこは、私達のトレーナー室。何度も訪れ、見慣れ、多くの時間を過ごした場所。

 だというのに、半年でここまで入るのに躊躇してしまうのかと思うと笑えてくる。

 いや、時間のせいにするのはよそう。これは私の心の弱さの問題だ。

 

 この半年間、目を逸らし逃げ続けていた。いい加減、トレーナーさんと……自分自身と向き合わなければならない。

 

 恐る恐る、トレーナー室のドアに手をかけ……

 

「……あと五分……いえ、十分したら入りましょう、ええ。心の準備ができてない状態で会うのも失礼ですし、場合によっては明日にするなんかも良し──」

 

「なんでもいいけど、入るか入らないのかだけはハッキリしてほしいんだが」

 

「ひゃあ!? ト、トレーナーさん!? ち、違うんです! これは自分を落ち着けるための儀式と言うやつで、決して入らない言い訳を作っていたわけでは……」

 

「はいはい、先入るぞ」

 

 音もなく現れたトレーナーさん相手に自分でも見苦しいと思うほどの言い訳をして身を縮こませる。

 だが、いつまでもそんなことをしているわけにもいかないため、覚悟を決めて彼の後を追うように部屋に入った。

 

 そこにあったのはいつものソファ、いつものカーテン、いつもの書類の山。

 

 そして私がお見舞い品として贈ったハーバリウム。

 ふふっ、気に入っていただけたみたいでよかった。

 

「……あまり変わってませんわね、ここは」

 

「らしいな。どうにも、俺が寝てたらしい間もサトノダイヤモンド達が手入れしてたみたいだ。おかげで、俺が来た時には埃一つ無い状態だったよ」

 

「そうなんですのね……」

 

 私の知らないところでそんなことを……。

 今まで逃げ続けていたことによるダイヤさんや一色さんへの罪悪感がより加速してしまった。

 

「さて、そんな話をしにここに来たんじゃないんだろう、メジロマックイーン?」

 

 そう言って彼はソファに座り、その対面のソファを、指を鳴らして指す。座れという意思表示なのだろうが、私はその前にやらなきゃいけないことがある。

 

 何も、罪悪感を感じているのはダイヤさんと一色さんに対してだけじゃない。

 

「申し訳ございませんでした、トレーナーさん!」

 

 頭を下げ、誠心誠意の謝罪をする。今回は嫌われてしまっても仕方がないことをしてしまったのだ。覚悟はできている……やっぱり嫌われるのは嫌ですわね……。

 

 何秒間頭を下げていただろうか。彼からの返事はなく、次第に自分も限界を迎え、ついチラリとトレーナーさんの方を見てしまう。

 

「……あの、トレーナーさん……?」

 

「あ、ああ……いや、なんだ、まさか謝られるとは思ってなくてな。むしろ、どうして謝られてるのか……」

 

「どうしてって……私はずっと貴方を避けていてたんですのよ!? せっかく貴方が学園に戻ってきてくださったというのに、私はなんのリアクションもしないままそれを疎かにして逃げ続けた!」

 

 ダイヤさんにも言ったが、これだけでいかに自分が矮小な存在かが分かる。

 

「怖かったんですの……あの日、トレーナーさんに忘れられてしまったことを思い出すだけでおかしくなってしまいそう……。いくら平常心を保とうとしても、所詮それはハリボテでしかない……。だから遠ざかった、遠ざけた……」

 

 日頃はあれだけ志高しと周囲にいい格好をしておきながら、こうして窮地に陥るとこうも己の弱さが露呈して自分のことしか考えられなくなる。

 たとえ、考えるべき対象の人が最愛の人であろうとも。

 

「私は名優でもなんでもない……ただの卑怯者ですわ……」

 

「……そうか。君にそこまで辛い思いをさせてたんだな」

 

「ちがっ……貴方のせいではなく私の──」

 

「いや、これは俺達二人のせいだ。俺も君も、恐怖を盾に話をしようとしなかった」

 

「えっ……俺"も"って……」

 

「ああそうさ、俺だって怖かったんだよ」

 

 そう言ってトレーナさんは自嘲気味に笑いながら目を逸らし、恥ずかしげに頬を掻く。

 

「記憶が無いとか、自分は誰なんだとか、正直そんなのはどうでもよかった。みんながみんな俺に記憶を取り戻すことを期待しているのもうざったかったが、それはまた別の話だしなんなら今は解決してる」

 

「じゃあ何が……」

 

「……それはほら、あれだよ……」

 

 どんどんとトレーナーさんの口はすぼんでいき……

 

 

「き、嫌われたのかと思ったから……」

 

 

「…………ぷっ」

 

「お、おい、笑うなよ! サトノダイヤモンドはともかく、君は僕の記憶が無いと分かった瞬間顔を合わせなくなったんだ! 勘繰っても仕方がないだろう!?」

 

「それはすみませんでした」

 

 謝ったはいいものの、嫌われたくないという彼の本音がなんだかツボに入ってしまった。

 トレーナーさんの居心地悪そうな顔が、私の笑いのツボを更に刺激する。

 

「はぁ……どうやら、俺達の間ではシリアスな状態が継続できないってのは本当らしいな。一色さんがそれ故に見てて飽きないとか言ってたけど、今のところその通りなのが悔しい……」

 

 あの人、私達のことお笑い芸人か何かと勘違いしてまして? というか、一色さんも"こっち側"の人間ですのよ? 

 

 脳内のイマジナリー一色さんがうるさく抗議してくるのを聞き流していると、トレーナーさんは呆れた顔から一変して真剣な面持ちをする。

 

「……俺さ、自分のことばっかりだった。本当はもっと早く君と話さないといけないはずだったのに、仕事を覚えるっていう大義名分で一番後回しにしちゃいけないことから目を背けてた。起きた時、君達にあんな顔をさせてしまったのが申し訳なくてここに来たはずなのに、これじゃあ自己満足……いや、それ以下だな」

 

「……では、どうして昨夜私にも声をかけてくれたんですの?」

 

「タイミング、ってのもあるけど、あんな光景見せられて無視しろって方が無理あったからさ」

 

「あんな光景って……まさか、昨日のレース……!」

 

「しっかり見てたよ」

 

「うぐっ!?」

 

 しまった、私はなんて情けない姿をトレーナーさんに見せてしまったのだろうか。

 鏡を見ずとも、自分の顔が赤くなっているのが分かる。

 

「ち、違うんですの! 言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、昨日は調子が悪かっただけで──」

 

「だろうな。実際、昨日のレースはこれまでの君とは比較にならないほど遅かった。というか、闘争心が感じられなかったな」

 

「これまで……?」

 

 トレーナーさんは席を立つと、机の上にあった書類の山を引っ提げてきた。

 これはなんだろうと思い書類を一枚手に取ると、そこに書かれてあったのは過去のレースの内容だった。

 

 2月3日、阪神レース場、第四レース、ダート1700m……これって……

 

「私の……デビュー戦……!」

 

「ご名答。つっても、自分のことだし流石に分かるか」

 

「ではこれも、これもこれも、この資料も……」

 

「全部、君かサトノダイヤモンドのレースの分だ。それも、これら全て記憶を失う前の俺が作ったものだな」

 

 そこには、デビュー戦から私が今まで走ってきたほぼ全てのレースが記録されていた。

 初めて勝ったGⅠレースの菊花賞、連覇することができた天皇賞春、斜行で降着となった天皇賞秋、そこから負けに負けたジャパンカップに有マ記念、雨の中勝ちをもぎ取った宝塚記念。

 復帰後のレースももちろんある。落鉄をした春のファン感謝祭、マーチさんと競った高知レース場、ミークさん、ブロワイエさん、そしてテイオーと走った秋のGⅠレース。

 

 私のことだけじゃない。ダイヤさんのレースも事細かに記載されてある。

 

「これ全部に目を通したけど、君達は随分溺愛されてたみたいだな」

 

 トレーナーさんは揶揄うような言い方をするが、私にとってその事実は心躍らせるもの以外の何物でもない。

 

「ええ、それはもう。ですが、貴方の想い以上に私が貴方を慕っていたのは譲れませんわよ?」

 

「おっと、もっと可愛い反応を期待していたんだが……。ったく、サトノダイヤモンドといい君達はそういうこと言うのに躊躇が無いなぁ。俺は前世でどんな徳を積んだのやら……」

 

 やはりダイヤさんもアプローチを仕掛けていましたか。油断なりませんわね、ほんと。

 

「まぁ、こうしてデータ上では君達のことは知ってるつもりだ。でも、実際走りを見たのは昨日が初めて。しかも君に至っては絶不調な状態の走りだ」

 

「初めて……?」

 

「あー……実はまだこの仕事に慣れてなくてな。本来サトノダイヤモンドのトレーニングを見なきゃいけない時間を削って、トレーナーとしての勉強に励んでるんだよ。今だと本当はそうすべきじゃなかったって思ってる。あの子には悪いことをしたな」

 

 一色さんに手伝ってもらっていると聞いてるとはいえ、道理で素人のはずの彼がトレーナーを務めることができているわけだ。

 いや、それで務めることができてしまうのもおかしいわけなのだが。

 

「俺はさ、君が勝つ姿を、最高の状態で走ってる姿をこの目で見たい。昨日のだって、不本意な結果なんだろ?」

 

 その問いに私はコクリと頭を縦に振る。

 ダイヤさんが強くなっていたのは事実だ。でも、こうも言われてしまったら、あれをあのままにしておくわけにはいかない。

 

「なに、負けていい勝負なんて無いけど、仮に前回負けたとしたら次勝てばいいんだ、勝ち続ければいい。これは、負けじゃなくて勝ちの途中……ッ!?」

 

「ト、トレーナーさん!? どうかしましたの!?」

 

 頭を抱え、苦悶の表情をするトレーナーさん。それがあまりにも唐突だったのもあり、事故の後遺症やその類の可能性が脳裏をよぎってしまう。

 

「………………い、いや、少し頭痛がな……ん、もう大丈夫だ、問題ない」

 

「本当ですの? 念の為保健室に行った方がよろしいのでは?」

 

「平気平気、俺身体頑丈らしいからさ」

 

「それはそうですけど……」

 

 彼の体調面に関しては不安が残るのだが、本人が大丈夫と言うのならそれに従おう。

 

 それにしても、『負けじゃなくて勝ちの途中』か……。

 その言葉は、いつの日か彼自身から言われた言葉であり──

 

「勝とうぜ、メジロマックイーン。お互い、負けるのは大嫌いだろ?」

 

「……ふふっ、勝つって、まさかダイヤさんに勝つとおっしゃいますの? そしたら、貴方はどちらを応援する予定なのですか」

 

「それは……あれっ、俺どっち応援すればいいんだ……? メジロマックイーンにも勝ってほしいしサトノダイヤモンドにも勝ってほしいし……」

 

「ぷっ、あははははっ!」

 

 戸惑うトレーナーさんを見て、我慢できずついお腹を抱えて大笑いしてしまう。こんなにも自分の素を曝け出してしまっているのはいつぶりだろうか。

 

「と、とにかく! 君とサトノダイヤモンドが走るにせよ走らないにせよ、これだけは言っとかなきゃいけない」

 

 恥ずかしいのだろうか、少し顔を赤らめたトレーナーさんは、まるでダンスにでも誘うかのように手を差し伸べ……

 

 

「俺と一緒に走ってくれますか?」

 

 

 こんな時、なんて返せばいい。

 

 はいか、Yesか、分かりましたか、もちろんですか、こちらこそお願いしますか。

 

 

 いや違う。ここで私が言うべき言葉は、彼の教え子として……

 

 

 

 

「しょうがないですわねぇ!」

 

 

 

 〈メジロマックイーンの覚悟〉

 

 

 

 ***

 

 

 

「トレーナーさんとは仲直りできたんですか?」

 

 トレーナー室から出ると、ドアの横には見覚えのあるウマ娘がいた。

 

 そのウマ娘は、見定めるような目で私を見てくる。何かを煽るような目で私を見てくる。

 

「ええ、それはもちろん。貴方に心配されるまでもありませんわ」

 

「昨日まではあんなに弱気だったのに」

 

「う、うるさいですわよ! ほ、ほら、ウマ娘三日会わざればというやつです!」

 

 たしかに昨日までの私は弱気だった。レースでは大した走りはできず、挙げ句の果てにもう走らないなどと口走ってしまった。

 

 そうだ、私は弱い。いや、弱くなったというべきか。

 昔はいつだって周りの視線を気にせず、誰の前でも堂々と、己の目標を達成しようとがむしゃらに走り続けるだけだったのは間違いない。

 

 では今の私はどうだろう。

 

 こう言ってはなんだが、トレーナー一人いなくなっただけで、ここまで力が出せなくなる。弱いと言わずしてなんと言おう。

 あるいは、自分は元々こうだったのか。

 

 だけど、後悔は無い。弱くなったにしろそうでないにしろ、それ故に私は色んなことを知り、学び、手に入れた。

 

 共に走ってくれる人達がいるから、弱い自分を補強できる。

 

「ああ、そうだ。私、貴方に言っておきたいことがあったんですのよ」

 

「奇遇ですね、私もです」

 

 

 早く行きたいなら一人で行けばいい。それが一番効率がいいのだから。

 

 

「ダイヤさん」

 

「マックイーンさん」

 

 

 でも、私は遠くへ行きたい。目の前の彼女もそう思っているはず。

 

 だったら、私はあの方と──

 

 

「「貴方に決闘を申し込みます!!」」

 

 

 





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