駆逐艦艦娘”吹雪”、それは鎮守府においてのコードネームのような物であり、本来ちゃんとした名前は他にある。
"佐藤 咲桜(さとう さくら)"、彼女の故郷、福島県でもかなり多い名字であり、さくらというのも定番の名前であった。
そんな特徴のない名前であった彼女の非凡な才能はなぜ開花したのであろうか・・・。
彼女の出身地は福島県浪江町。父はこの街にある漁港、請戸漁港を中心に船の修理業を営み、母は父の仕事の経理をしており、下には二歳歳下の弟がいた。
子供の頃から今も続く小さなドジはしていたが、それ以外は真面目で正義感が強い子であり、学校の成績も真ん中ぐらいのどこにでも居そうな子であった。
しかしある事をきっかけに咲桜の運命は、大きく変わってゆく。
船の修理業、つまり機械を扱う仕事を成業としていた父の顔は広く、知り合いの中にカートのサーキット場を経営している人もいたのである。その人から一度遊びに来たらどうだ?、と誘われたのである。
そこでまだ小学校に上がったばかりだった咲桜は、そこでカードに興味を持ったのである。危ないからと母親はカートに乗せるのを訝しむのだが、咲桜の強い意志と父親の勧めで初めてハンドルを握ったのである。
その時から筋の良い走りをしていたこともあったが咲桜は、この時にカートの面白さを知る、いわゆる”ハマった”のである。
それから休みの日のたびにカートに乗りたいと言い出すようになり、母の心配をよそにカートにのめり込んで言ったのである。そんな日の最中、咲桜がコースの脇に積まれたタイヤの壁に突っ込み、軽いけがを負ってしまう。
小さいとはいえ死亡事故が起きることもあるカートという危ない趣味を、これを期にやめさせようとする母であったが、咲桜は怪我をしたことに関してまったく動じていなかった。むしろもっとうまくなりたいと強く願うようになってしまっていたのである。
その娘の姿を見た母は観念し、咲桜を応援するようになったのである。
そうしているうちに咲桜の腕はみるみる上達してゆき、いつの間にか大人も含めたそのサーキットで一番速い子になっていたのである。まだまだ伸びると考えた父はいよいよカート車両の調達を考え始め、本格的なレースに参加させようと決意したのであった。
そんな限りない未来が見え始めていた咲桜の人生は、ある日を堺に一転することになる。あの日、3月11日であった。
その日、咲桜は少しではあったが熱を出ており学校を休んでいた。その日たまたま仕事がなかった父が咲桜の看病をし、母は弟を連れて仙台に出かけていた。午前を過ぎた時には咲桜の体調も良化し、明日は登校できそうなほどまで体調は回復していた。卒業式も近いから、もう休むわけにはいかない!、といかにも咲桜らしいことも言えるほどであった。
そして14時46時、突如大きな揺れが咲桜の家を襲った。あの東日本大震災であった。
この時、同じ浪江町の別の地区では震度6強を観測されていた。地割れが起きるとされ、烈震とも呼ばれる激しい揺れであったが家の倒壊は免れ、幸い咲桜も父も家具の転倒等での怪我はなかった。
漁師には命の次に大事な船を扱っていたこともあり、付き合いが非常に強かった父は近所の人の様子が気になり、揺れが収まるとすぐに家を飛び出してしまった。ただその時、咲桜に「小学校に行け!」と言いつけていた。
咲桜はそれに従い、小学校に行ったがすでに誰もいなかった。この時、津波の襲来を予見していた校長の判断で高台にすぐに逃げるように、と全生徒や教員に指示を出していた。その結果在校していた全生徒、職員は全員避難することができたのであるが、父が思っていた以上に行動が早かったので、咲桜が小学校に着いた頃には、すでに誰もいなかった。
それでも「地震のあとには津波が来る」という教えに従い、近くにある山、大平山へ一人で向かった。だが、山の麓まではなんとかたどり着いたのだが山へと登る道を見つけることが出来なかったのである。
先に逃げていた学校のみんなは、ある生徒が知っていた細い抜け道のおかげで山頂にたどり着くことが出来ていた。しかしその道を咲桜は知らなかったのである。
そして山頂への道を探しているうちに、津波が咲桜を襲ったのである。
津波で押し寄せる水、それは他の洪水、土砂災害での濁流と同じくきれいな水ではない。3月の東北の冷たい海水に砂や泥はもちろん、家屋から発生した木片や柱、ガラスなどの硬い破片、車やガソリンスタンド等から漏れ出した燃料や潤滑油、農薬等の有害な化学薬品が混ざり合っており、その上で人をも簡単に押し流す勢いで流れてくる。
大人ですら為す術もない、自然の暴力に咲桜は容赦なく飲み込まれてしまった。
冷たい海水の濁流、木くずなどで体は傷つき、汚染された水が肺に流れ込む。そんな状況に咲桜は抵抗出来ず、ただ静かに意識を失った。
そして再び目を覚ますことができた時、そこは天国ではなかった。元の景色がわからなくなってしまった故郷、それを覆い尽くす濁った水の上に立っていたのである。
パジャマとその上に来ていたジャンパーは泥で汚れ、切り傷だらけであったが、本人の体には傷一つなく、汚染された水を飲んだはずなのに普通に呼吸が出来ていた。そして背中には煙突のついた奇妙な装置を背負っていたのである。
なぜかその姿に違和感がなかった。そして自身は佐藤咲桜であると同時に、”駆逐艦吹雪”であると、自覚出来ていたのである。
しばらく呆然と周りを見渡していたのだが、その内に季節外れの雪が降ってきた。なぜか寒くはなかったが、このままでは不味いと思い、二階だけが無傷で流れてきた家に悪いとは思いつつ入り、そのままそこにあった水と非常用のカンパンを食べて、その日を過ごしたのである。
夜が明けて、当てもなくまだ水没したままの街の水面をスケートでもするかのようにさまよっていた所を、避難民がいるであろう場所を確認していた自衛隊のヘリに保護された。
この時、被災地では咲桜と同じように水上に立つ少女達が確認されており、咲桜もの一人として扱われたのである。
しかし、この時すぐ近くではもう一つの災害が発生し、日本が滅亡するかもしれない状況にあった。そう、福島第一原子力発電所事故である。
この時、全電源喪失状態で一号機の原子炉圧力容器の圧力が危険なレベルにまで上昇しており、ベント作業が行われていた。それを受けて浪江町の災害対策本部では津島地区への避難が必要と判断されていた。
こうして事情もあり咲桜は町の他の人とは別に、ヘリの発進基地であった、自衛隊の基地にそのまま向かうことになったのである。なお後に避難していた小学校の職員には咲桜の無事が伝えれた。
遡るほど5年前、初めて出現した「艦娘」。それは、すでに驚異となり始めていた深海棲艦に唯一対抗できる人物であった。しかしこの震災前に出現していた艦娘たちでは、進化を加速させてきていた深海棲艦に対抗出来なくなってきていた。
そこに現れたのが、咲桜を始めとする、進化した深海棲艦にも対抗できる新世代の艦娘達なのであった。咲桜は知らぬ間に人類の希望とされる存在となっていたのである。
自衛隊の基地で咲桜は、自身に宿す特別な力と静かに迫りつつある海からの脅威、深海棲艦について説明を受けた。小学校中学年だった咲桜はいまいち理解できていなかったようではあったが、困っている人がいることと自分にしか出来ないことがあるということだけは理解してのであった。
そして仙台市内の避難所にいた母と妹が基地に案内され、そこでようやく母親と再会することが出来たのである。
しかし父との再会はいまだに出来ず、それにいきなり深海棲艦やら艦娘やら、常識はずれなことを説明されても、母は受け入れることが出来なかった。当然咲桜を自衛隊に入れることにも反対していた。
しかし咲桜は「私を助けてくれたこの力でみんなを助けたい!」と言い出したのである。
カートで怪我をした時の経験から、咲桜がこうなったらもう言うことを聞かないとわかっていた母は、黙って受け入れたのであった。
一方、福島第一原子力発電所での事故はその深刻さを増し、原発から半径20Km圏内に避難指示が出されることになり、家に戻ることは愚か、父を探すことすら出来なくなったのである。
仙台市内の避難所にいた母と弟は、結局母は千葉県の実家に身を寄せることにするのであった。だた咲桜は艦娘の能力を開花させた他の子と一緒に自衛隊の基地に残り、そこで生活を始めたのであった。
原発がひとまず落ち着き、放射線量が低下した4月中頃から浪江町での行方不明者の捜索が行われ、そこでようやく父は瓦礫の下から見つかったのである。その場所は海から2kmも離れた所であった。
父の死を知った咲桜は、その時は悲しみより見つかったことへの安堵のほうが大きかった。しかし時間が経つにつれ、父の存在が無くなったことへの喪失感が強くなり、父との思い出が強かったカートのことを考えることすら嫌になってきてしまっていた。
その頃は艦娘としての厳しい訓練など、環境の激変があったこともあり、厳しい世界のなかでカートのことを思い返すことすら、徐々に無くなっていったのであった。