「それでもやっと落ちつてきたから、またカートを始めようかなとは思ったこともあったんだけど・・・、お父さんのことを思い出しちゃって・・・」
辛い話であったのか、途中から吹雪の声にはどこか鼻声が混じっていた。それでも睦月は止めることなく黙って聞き続けていた。
「・・・、あぁ!。ごめんね!。こんな暗い話をしちゃって!」
「睦月から聞いてたんだから気にしないでよ。それよりこんな辛い話をさせてごめんね」
「そ、そんな、睦月ちゃんが謝ることはないよ・・・」
お互い気まずい空気になってしまい、謝り合ってしまう二人。睦月も自身の予想を超えた話に、なんと言えば言葉が詰まってしまった。
そんな中でも睦月は、ある事を吹雪に問いかけた。
「・・・吹雪ちゃんは、カートをしていた時、とっても楽しくなかった?」
「・・・うん。もちろん楽しかった」
「でも、今の吹雪ちゃんはそんな気持ちをもったことあった?」
「・・・、なかったなぁ・・・」
付き合いが長い睦月は気づいていた。吹雪が心の底から楽しそにしている顔を今まで見たことがないということを。
「やっぱりね、自分が楽しいと思えることをすることが、一番大切なことだと思うの」
「・・・、そうなんだけどさぁ・・・」
安易に踏み入れてはいけない領域なのはわかっていた。でも吹雪ちゃんが苦しいのは見たくない!、その思いが睦月を突き動かしていてた。
「お父さんは今の吹雪ちゃんをどう思っているのかなって」
「・・・」
「せっかく生き延びたのに、楽しそうな顔をしてないと知っちゃうと、やっぱり悲しいんじゃないかって・・・」
「・・・」
吹雪は黙って眼前の海を見つめているままであった。しかしその目尻には涙が溜まっていた。
「・・・、お父さんは、今も私を見てくれているのかな?・・・」
「間違いないよ、それは・・・」
睦月も吹雪の方を見ずに、同じく海の方向を見つめていた。
「・・・そういえばお父さん、こんなことを言っていたんだ・・・。「吹雪が表彰台の一番上に立っている時の笑顔が一番輝いてた」って・・・」
「・・・。すぐには無理かもしれないけど、吹雪ちゃんがしたいことをするのがいちばんだと思うよ!」
「・・・そう、だね・・・」
鼻水をすする音に紛れながらそう答える吹雪。しかしその声はどこかさっきと変わったものが感じられる、と目頭の暑さが伝染してしまっていた睦月も感じていた。
その日もまた、吹雪は夢を見た。
しかしその夢はいつもの、あの日の濁流に飲み込まれるものではなかった。
甲高いエンジン音、タイヤが踏ん張る音、独特なガソリンの混じる排気ガスの匂い。
少ないながらも懸命に応援する声援、風を切る音。
全てが懐かしい、幼き頃の小さなモータースポーツに魂を注いでいた、あの頃の記憶であった。
まだ小さく身軽な体、そこから来る軽快な動きは大人ではかなわない武器。それに天性のセンス、そして努力が重なった走りは誰をも惹きつける。
そして前に誰もいない、先頭の景色を纏いながらチェッカーを受ける。
パルクフェルメ(車両保管所)に戻った吹雪はいの一番に近寄ってきた人物に、体を大きく掲げられる。
俺の娘が一番だ!、そういう声が聞こえて来そうな笑顔が嬉しくも恥ずかしくなる。
もう見ることが出来ない笑顔、しかしその顔を忘れることはできなかった・・・。
カーテンの隙間から差し込む自然光が優しく照らす中、吹雪の意識は覚醒したのである。
時間は点呼より少し速い時間、体はいつもの悪夢の後とは違い、濃ゆい汗の匂いを放ってはいなかった。
しかし顔だけはなぜかいつものような感覚がしていた。それは皮膚ではなく、目から出てきていたものであった。
「よく寝れた?」
そんな声が上の方から聞こえて来る。しかしその声の主は姿を見せてはいない。
「・・・うん」
「よかった。吹雪ちゃんいつもうなされてたから」
「!、・・・、知ってたんだね・・・」
「簡単に入れることじゃないからね、・・・ごめんね」
「あぁ、いや・・・。・・・こっちこそごめんね・・・」
自分が悪夢にうなされたことを知られていたことに、恥ずかしい気持ちと申し訳無さがこみ上げてくる。
「・・・、もう大丈夫かにゃ?」
「・・・、うん!」
そんな空気を壊すかのようにおちゃらけた声で話しかけてくる同室に、吹雪は力強く答えた。
どこかで見ているであろう父親に、あのときのような笑顔をずっと見させてあげたい。そう誓う吹雪は再びハンドルを握ることを選んだのである。
もうすぐ舞鶴に近いとあるカート場には吹雪が吹き荒れるだろう。真夏の太陽をも遮る吹雪である。あの日の悲しい記憶ともう会えない人へ向けた願いがこもった雪の結晶は溶けることなく、桜の花びらのようにカート場に降り積もってゆくことであろう・・・。