ねっちょりエログロ暴力百合ファンタジー   作:ぐえー

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第3話

 ユリエルに口説き落とされたシロは早速百合の都に連れて行かれ、ユリエルの実家である王宮に転がり込んだ。王宮で働く衛兵や年かさのメイドたちにとって第一王女が見知らぬ少女を連れ込むことなど日常茶飯事だったが、シロの名前の通り白く儚い見目が注目を集め、シロは縮こまってユリエルの陰に隠れるようにした。

 

「ほう、新人メイド候補ですか。良いでしょう、そろそろ世代交代が必要になっていたところです」

 

 ユリエルはシロを側に置くための立場として、新人メイドの職を用意した。奇しくも現役メイドたちの高齢化が懸念されていた折だったので、ユリエルの紹介を受けた厳然な雰囲気漂う宰相婆は二つ返事で了承。シロはユリエルに見送られると、あれよあれよと言う間にメイド服に着替え、王宮内のメイド用の部屋へ案内され、年かさのメイドたちに顔を通すことになった。

 

「ハッハッハ! やーっと二人目か!」

「一人目は元々畑違いじゃったからの。これでようやく隠居できるわい」

「最近の若い衆は変に慎ましくていかん」

 

 矍鑠とした老メイドたちによると、王宮のメイドは長年高待遇の仕事として公募しているものの、ほとんど応募がないらしい。住み込みの部屋は三人の相部屋とはいえ広く清潔で、お給料もまかないも出るし仕事内容も死ぬほど辛いわけでもない。なのにどうして誰もやりたがらないのかとシロが尋ねると、「恐れ多いのよ」と老婆は答えた。

 

「あの大悪童、ユリエル第一王女をみんな畏れ敬っておる。やれ百合神様の再臨だの現人神だのとな」

「まあワシらもここに来る前は女王を崇め尊崇しとった! 今の若い衆をとやかくは言えんさ! ハッハッハ!」

 

 シロは納得した。確かに実際話してみるとユリエルは天真爛漫で破天荒な女の子でしかないが、きらきらと輝くようなストロベリーブロンドの髪、くすんだスカイブルーの瞳は神秘的に美しい。百合神様はわからないけれど、思わず崇めたくなる魔性の魅力があることは否めない。

 

 得心するシロの背中を老婆が力強くたたき、豪快に笑いながら「さあ、仕事を覚えてもらうぞ!」と声を張った。

 

 こうしてシロはもうもう一人の新人メイドとともに、王宮での忙しない日々を送ることとなる。

 

 メイドの仕事は大変だった。広大な王宮を掃除するだけでもかなりの体力を要するのに、加えて礼儀作法のお勉強も欠かせない。なにしろメイドが奉仕するのは百合の国を治める王族や家臣たちだけでなく、海の向こうからやってくる外国の要人たちも含まれる。粗相をすればメイド個人でなく国家レベルの恥をかくことになるのだ。あまりにスケールが大きいためシロはいまいちピンと来なかったが、「たとえばお前が外交官の前で、転んでスカートがめくれパンツ丸見えになったとしよう。このときお前は第一王女ユリエル様のパンツと尻を見せつけているに等しい」と説明されると、一転必死でメイドとしてのお勉強に励んだ。

 

 責任ある仕事を学ぶのは生半可なことではなかったが、シロは一人ではなかった。相部屋の新人メイド仲間と支え合い、ときに愚痴を言い合いながらいくつもの難局を乗り切った。

 

「あのさあ、服の下に武器仕込むのやめてもらえる!? 怖いんだけど!」

「えー、クナイと手裏剣は乙女の嗜みですよう。シロさんもどうですか、胸の谷間とか定番ですよ? あっ、ないですね」

「ぶっ飛ばすわよ」

 

 新人メイドは服の下に妙な形の刃物を仕込む悪癖があった上、ちんまいシロの倍近い身長と恵まれた体つきをしていた。そのためときに衝突もといシロが一方的につっかかることもあったが、のんびり屋の彼女は真面目なシロと凹凸をはめ込むようにウマがあった。

 

「そこのメイド、少しいいか」

「なんなりと、女王様」

 

 肝の冷えることに、王宮の掃除中突如女王に声をかけられることがあった。教えられた通りの恭順姿勢をとるのに精一杯で、他に何かを考える余裕はなかった。

 

「ユリエルの手の傷はお前の仕業だな?」

「はい」

「あいつの加護をぶち破るとは大したものだ。何をした?」

「私自身もよくは存じ上げませんが、業と呼ばれる力で」

「使って見せてみろ」

 

 使用にはすさまじい痛みが伴うのでできれば断りたかったが、女王には逆らえない。

 

 ただ、何の危険もないときに発動するものではないらしい。うんうん唸りながら頑張ってみたものの、赤黒い触手が出てくる気配はない。しばらくすると女王が『もういい、邪魔したな』と興味を失ったように言って立ち去ったので、胸を撫で下ろした。

 

 仕事を覚え、同期と仲良くなり、忙しく過ごす毎日。

 

 充実した生活の中でもことに楽しみなのが、ユリエルとの逢瀬だった。

 

「シロ、私よ」

「……っ!」

「あらまあ、あまえんぼさん」

 

 王宮の夜番以外がすっかり寝静まる深夜、ユリエルが部屋にやってくる。ときには王宮中庭の木陰や隠し部屋などで待ち合わせ、秘密の会合を重ねた。

 

 第一王女であるユリエルは王権継承の第一候補だ。本来なら二人の妹たちと継承権争いが発生してもおかしくないのだが、次女は剣の腕を研鑽する以外に一切の興味を持たず、三女は遊び人気質を拗らせ勝手に海を渡って放浪の旅に出ている。つまりユリエルは重大な責任のある立場にいるわけで、そんなユリエルと一人のメイドが関係を持っていると、公にするのは好ましくない。日中はお互いメイドと国家運営のお勉強やお散歩にと忙しいため、隠れて顔を合わせる夜が二人にとって何よりの息抜きになっている。

 

「ああっ、王家のしきたりに縛られ月に一度しか会えない二人! ワクワクするわ、興奮するわ!」

「……ねえ、もしかしてだけど、実は周りに知られても問題なかったりする?」

「うふふ」

「うふふじゃなくて」

 

 中庭の木陰で手をつなぐ二人。ユリエルの手に穿たれた穴は痕もなく完治している。百合の加護、と呼ばれる不思議な力が癒やしたらしい。

 

 月明かりがぼんやりとユリエルの上気した頬を照らす。

 

 シロのじとっとした目にも怯まず、ユリエルは笑顔を崩さない。

 

「そうね、私がシロを愛していると言えば、文句は出ないと思うわ。だけどシロの方につっかかる子がいるかもしれない。だから隠れているのよ。けっしてイケナイことをしてるワクワク感が理由じゃないのようふふ」

「……ふふっ」

 

 優しさを誤魔化しているのか、本当にただの愉快犯なのか。どっちでもよかった。ユリエルと話していると安心できる、ただそれだけでシロは満足だ。

 

 シロがユリエルの肩にこてんと頭を乗せ、幸せな時間に身を委ねていると、「ああそれと」とユリエルが付け足す。

 

「あなた、一月我慢しただけですごく積極的になるのよね。この前の乱れようったらもうかわいくてかわいくて」

「うっさい、意地悪!」

 

 潰すつもりで手を思い切り握るが、ユリエルは涼しい顔だ。シロはむすっと口を尖らせて、意地の悪い姫を押し倒した。

 

 百合の満ちる月光の中庭で、幸せな二人の時間だけが過ぎていく。いつもどおりの逢瀬だった。

 

 シロとルームメイトがようやく新人メイド教育を突破し、最高齢の老メイドたちが晴れ晴れと隠居していったのは、シロが王宮入りして三ヶ月後のことだった。ユリエルという大きなご褒美があるせいか、シロの動きはキビキビと無駄がなく、王宮内ではベテランメイドたちからも一目置かれる期待の新人として大いにもてはやされた。設計を間違えたかのようにバカでかい回廊や多すぎる空き部屋、隠し部屋の掃除など、誰もが内心で嫌がる仕事をテキパキと済ませ、かといって慌てて雑になることもなく常に余裕のあるたおやかな動きを崩さず、先輩や同期への細やかな気遣いも忘れない。その姿はあまりにメイドとして完成されていた。

 

 さて、そんな完璧な仕事にシロの外見が加わればどうなるか。儚い白髪をつややかになびかせ、簡単に折れそうな手足を懸命に動かして仕事に励み、額の汗を拭って息を呑むような微笑を浮かべ、ときにつぶらな瞳で一瞥をくれる少女が果たして周囲にどんな目で見られるか。

 

「はぁあぁシロちゃんかわええ」

「持って帰って飾り付けて一日中もふもふしたいいいぃぃい」

「女の子同士ならいける、いけるはず。むしろ私がイク」

 

 モテモテである。

 

 王宮において、シロはすさまじくモテていた。ある程度年を重ねたメイドや文官たちには親が子に向けるような目で見られ、さらに若い世代になると情欲に近い何かのこもった熱視線が多数向けられる。シロは過去の経験もあってか敏感に察知して、びくりと肩を震わせ周囲を見回す。警戒する小動物のような仕草がさらに多く、深くの心を射抜いた。

 

 ただし実際に手を出す者はいなかった。ユリエルとの関係は変わらず秘匿されていたが、少し触るだけならまだしも怖がらせるようなことは厳禁、と暗黙の了解ができていたのだ。そのせいでシロは、なぜか王宮の角や装飾の陰に隠れるメイドたちを多数目撃し、首をかしげる羽目になった。相部屋の同期に相談しても苦笑して頭を撫でるだけだし、ユリエルは誇らしそうに胸を張るばかり。シロの疑念はさらに深まったものの、おそらくどう転んでも過去の経験よりひどいことにはならないだろうとタカを括って、気にしないよう努めた。

 

 そうしてシロがせっせと働き、周囲がひそかに癒やされていたある日のこと。事件が起きた。

 

「うう……やらかした……」

 

 王宮内の回廊をシロが一人、とぼとぼ歩いている。すっかり馴染んだメイド服姿だが、いつものほうきやはたきではなく一抱えもある黒塗りの大剣を抱いている。表情は処刑場に向かっているように暗い。

 

 もちろんシロが向かうのは処刑場ではなく、王宮の北端に位置する練兵場だ。近衛兵を始めとする武官たちの根城であり、そこに居ると思われるある人物に、鍛え直しの終わった大剣を引き渡すのが目的である。その人物は練兵場に寝泊まりするほど熱心で、愛用の大剣が摩耗して折れることなど日常茶飯事。鍛え直したものを届けに行く役目もまた、メイドたちにとっておなじみの仕事だった。

 

 が、シロはこの仕事を意図的に避けていた。

 

 シロは荒事が苦手だ。特に剣と剣がぶつかり合う金属音など想像するだけで村を焼き討ちされた記憶に結びつけてしまう。練兵場の武骨な空気に触れて、自分の精神がどうなってしまうのか不安でならない。だからこそこの役目が回ってこないよう強かに立ち回っていたのだが、さすがにずっとうまくはいかない。ベテランメイドに手の空いたところを見つかって、隠れる間もなく指名されてしまった。

 

 ため息をついている間に回廊の外に出て、練兵場が見えてくる。掃除のときにはやけに広く長く感じる王宮も、こんなときだけは短い。シロは一度立ち止まってから深く息を吸って吐いて、ユリエルの顔をなんとなく頭に強く思い浮かべながら、再び歩き出した。

 

 練兵場は王宮のすぐ外、敷地内に設けられた広場である。馬を走らせることも想定されているためかなり広く、人形の藁人形や的がそこここに点在している。

 

 目的の人物はそんな広場の中央に、ぽつねんと立っていた。百合の花弁を模した真っ黒なプレートアーマーに、風になびくブロンドの髪。同様の黒い鎧をまとった少女たちがその人物を取り囲み、訓練用の槍を八方から突きつけている。どうやら訓練中のようだ。

 

「はっ!」

 

 少女たちが一斉に槍を突く。囲まれていた彼女は、穂先をすり抜けるように回避したかと思うと、槍の一本を踏み台にして宙を舞う。

 

「スキあり!」

 

 少女たちの一人が瞬時に槍を捨て、目にも止まらない速度で弓に持ち替え矢を射る。中空の彼女は危なげなく矢をキャッチして投げ返す。射手の黒い鎧兜に命中し、射手がひっくり返る。そのタイミングで槍を持つ少女の一人の肩に着地する。

 

「ん」

「ひゃっ!?」

 

 上から全体重をかけて潰すように組伏せ、みぞおちに踵を落とす。気絶した少女から槍を奪って──そこから先をシロの目で追うことはできなかった。ただ、無手の人物が槍を持ったとたん人数差の不利にも関わらず圧倒的力で少女たちを蹴散らしたのは、どうにか分かった。

 

 目を回して気絶する少女たちへざっと視線を巡らせると、その人物は槍を無造作に捨てて、ものほしそうに手を開閉させる。

 

「んー」

 

 自分の愛剣を待ちかねているのだろう。見とれていたシロはやっと我に返り、彼女の元へ駆け寄っていく。

 

「ユーリーン様、訓練中申し訳ありません。剣をお持ちしました」

「ん?」

 

 振り返った彼女、ユーリーンの顔を初めて直接見たシロは、やはり似ていると感じざるを得なかった。

 

 ユーリーン=ユリリウム=ユリニスティス。最強百合騎士団と名高い『黒百合』の団長にして、この国の第二王女でもある。言葉よりも先に行動するため何を考えているのか分からないともっぱらの評判で、一流の鍛冶師が丹精こめて鍛えた大剣を一日か二日の鍛錬で摩耗させぶっ壊す修行狂いとして王宮では畏れられている。

 

 ほとんど練兵場から出てこない生態なので、シロが直接ユーリーンと顔を合わせるのは今回が初めてだ。多少の緊張をメイドスマイルで隠しつつ大剣を差し出す。

 

 ユーリーンは片手で軽々と受け取り、抜剣。柄や鞘と同じく真っ黒な肉厚の刃が露わになり、シロはびくりと身を震わせた。

 

 大剣が一度、二度と軽く振るわれる。黒い剣閃が空間を裂き、どこからともなく黒い花弁が現れ、散っていく。

 

 ユーリーンは満足したのか剣を納め、腰のベルトに引っ掛けると、

 

「んー!」

「へ」

 

 シロを抱きしめた。嬉しそうに背中を叩き、もちもちのほっぺたをすりつけてくる。感謝しているらしい。

 

 満足するまで大人しくしておこう。しばらくされるがままでいたシロだが、ユーリーンは唐突に身を離し、シロの瞳をじいっと見つめた。ユリエルよりも色素の薄いグレーの瞳。ブロンドの長いまつげに彩られた目元から読み取れる表情は何もない。

 

「あなた強い」

「え、あ、あの」

「強いやつ、好き。ほしい。だけどユリエルの匂いする。どうしても欲しい」

 

 抑揚のない声だった。人形のように整った顔で言うから余計不気味だ。

 

「わ、私は強くなんてないです。ただのメイドですし……」

「生きる意志。折れない心。誰よりも強い」

「やっ、な、なにを……!?」

「あなたに夢中、あなたもユーに夢中、するとアナタはユーのもの」

 

 ユーリーンはシロの背後に回り、耳元でそう囁いた。ユリエルとの逢瀬で仕込まれたそこはシロの弱点だ。ユリエルの声から甘さを抜いた響き渡る鈴のような声色で刺激されると、シロはそれだけで力が抜けてしまう。しかしユーリーンに支えられ倒れることもできない。

 

 助けを求めて周囲を見渡すが、炎天下の練兵場にいるのはユーリーンたち黒百合のメンバーだけだった。他の団員たちはユーリーンにのされてまだ伸びている。否、何名かはすでに目を覚ましているが、あのイタズラしたい健気メイドちゃんナンバーワンと有名なシロが手を出されている光景に理解が追いつかず、ひとまず薄目を開けて様子を見ている。

 

「だ、ダメ! 私はもう、あの子がいるから……!」

「知ってる、匂いする。でもほしい。強い意志、好き」

 

 ユーリーンはシロの耳を甘噛みした。果実を味わうようにじっくりと唇で挟み、舌で耳の裏まで丹念にねぶる。シロは囁きと甘い刺激で足腰に力が入らない。

 

「おいしい。良い匂い」

「……っ」

 

 ユーリーンは一度顔を離すと、シロの汚れなき白い髪に顔を埋め、器用に鼻先でかき分けて、隠れたうなじに舌を這わせる。ぴちゃぴちゃと音をたて、汗と匂いを同時に貪っていく。シロの小さな身体は、ユーリーンが動くたびびくりと大きく跳ねた。

 

 ユーリーンはここでやっと両手を遊ばせていたことに気づく。シロの腰と胸元に腕を巻き込む形で抱きつかせていた手を、じわじわと焦らすように動かした。一方はシロの胸元に、もう一方は下へ下へ、スカートの裾を超えてから太ももの素肌に触れると、また上へ。

 

 これ以上続けてはいけない。そう分かってはいても、シロの身体はすっかり出来上がって抵抗できない。この世のあらゆる苦痛を体験したシロの身体が、その対極にある快楽にすさまじく敏感になっていた。

 

 快感の涙に混じり、罪悪感からの涙が流れはじめたとき──

 

「笑えないわ、ユーリーン」

 

 最愛の彼女の声が耳朶を打つ。

 

 続けてふっと身体が軽くなり、優しく抱えられる感触。

 

 息も絶え絶えに目を開いて焦点の合ったそこにはやはり、ユリエルの顔がある。ただし平生の輝く笑顔はそこになく、感情の抜け落ちた無表情でユーリーンを見据えている。

 

「鼻の利くあなたなら、シロと私のことは分かったはずでしょう?」

「ん、でもほしい。シロ、強い、好き」

「気持ちは分かるけれど」

 

 ユリエルはシロを一瞥すると、ふっと苦笑を浮かべ、シロを地面に座らせてからユーリーンへ向き直る。

 

「分かった! めったにないユーリーンのわがままだものね! 姉上が付き合ってあげましょう!」

「ん。強い方、えらい。かんたん、かんたん」

 

 へたりこむシロの目の前で、ユリエルが半身に構え、ユーリーンは大剣を抜く。シロが声を上げる暇もなく、二人はぶつかり合っていた。

 

 黒い剣閃とユリエルの拳がカチ合い、火花のような何かが散った。よく見るとそれらは白と黒の花びらだ。ユリエルが拳を突き出し脚をぶん回すのに対し、ユーリーンは容赦の欠片もなく抜身の大剣で斬りかかっていく。素肌と刃がぶつかり、弾け合うたび白黒の花びらが舞い、練兵場の一角がかぐわしい花園のような空気を帯びていく。その一方で戦いの激しさはとどまるところを知らず、ユリエルの肌にいくつもの擦り傷ができ、ユーリーンの鎧は凹みだけでなくひどい部分は抉れ始めた。

 

「こうして語らうのはいつぶりかしら! 私とあなたはあまり似てないと思ってたけど、女の子の趣味は似てるみたい!」

「前は、王冠の奪い合いだった。今は、良い女奪い合う。負けない、殺す」

 

 当人たちによると楽しい語らいらしい。拳と剣が交わり百合の花びらが散るたび、動きが洗練されていく。

 

 戦いに疎いシロには二人の動きを追うことなど出来ない。というか、最初から見ようともしていない。

 

 シロは荒事が苦手だ。剣と剣がぶつかり合う音など想像するだけで悪寒がする。それはたとえ拳と剣がぶつかる非現実的な光景でも変わらず、シロは二人が戦い初めて間もなく過去のフラッシュバックに見舞われた。生まれ育った小さな村が焼かれ、蹂躙され、鎧姿の兵士たちに村人たちが切り殺され、母親の死体が目の前で犯される。

 

 過去の追体験。しかし幸いなことに、身体に残る快感の余韻がどうにか意識を現在につなぎとめる。その結果、二人が自分のせいで喧嘩をしていると理解できた。そうして最終的にシロのたどり着いた結末は──

 

「いい加減にしろこの変態王女共ぉっ!」

 

 マジギレである。

 

 生涯一番の怒声が青空に響き渡り、乱闘中の姫二人の動きを止めた。

 

 唖然としているユリエルとユーリーンの様子にシロの怒りが更に深まっていく。乱暴された被害者を放置して何を姉妹で楽しく拳と剣の語り合いをしているのか。

 

 早足でずんずん距離を詰め、今しがた必殺の攻撃が飛び交っていた間合いへ躊躇なく踏み込み、腕組みしてふんぞり返り全身で怒ってますの態度を取る。

 

「まずユーリーン様は謝ってください! 恥ずかしいことしてごめんなさいしてくださいっ!」

「え、で、でもシロ、気持ち良さそうだった……」

「気持ち良い悪いじゃなくて常識の話をしてるんです! 初対面で許可もなく無理やり迫るのは野蛮通り越して阿呆の所業でしょうが! あなたの頭の中には剣と百合と性欲しかないんですか、ええ!?」

「あ、あほ……ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 しょんぼり肩を落としうつむくユーリーン。シロは多少溜飲が下がり、「はい、いいです」と鷹揚にうなずいた。続けて素知らぬ顔のユリエルへ射抜くような視線を向ける。

 

「ユリエル!」

「なーに?」

「なんで私を放ってユーリーン様とイチャイチャするのよ! こっ、恋人、が、目の前で乱暴されてたんだから、もっと構ってよ、慰めてよ! すごくすごく寂しかった! あと当たり前のように抜身の剣と素手で打ち合ってんじゃないわよ非常識過ぎて頭が痛くなるわ!」

「それもそうね! ごめんなさい!」

 

 シロは半目でほっぺを膨らませつつ、内心胸を撫で下ろす。恋人の関係性を万が一否定されたら立ち直れなかった。互いの存在がいつしか当たり前になった二人は今まで口にすることはなかったが、どさくさ紛れにやっと間柄を明言できた。シロの不安定で不機嫌な精神はこれだけで相当に上向いた。

 

 しかしユリエルも負けてはいない。

 

「だけどシロにも謝ってもらいたいわ! あなた、私以外の女の子に乱暴されてたのに気持ちよくなってたじゃない!」

「そ、それは、その……」

「あのまま放っておいたら身体だけ落とされて、ユーリーンとも関係を持ってたんじゃないかしら? まあ不貞、不義理よ!」

「ごめんなさい……」

 

 まったく否定できなかった。優しさと慈しみに満ちたユリエルとは違う乱暴な手付きにいつもより興奮していたのは事実だし、ユリエルが後少しでも遅れていれば、敏感な身体がユーリーンをまた求めることになったかもしれない。シロは両腕を抱いて顔を真っ赤にする。

 

 そのタイミングを狙いすましたように、ユリエルがシロを優しく抱いた。

 

「いいわ。やらしいところも、正直なところも、全部含めて好きだから」

「ユリエル……」

 

 蕩けた顔で熱い視線を交わし合う二人。思いもしない反撃で弱らせたところにハグと甘い言葉をぶつけることでやりこめるユリエルの技巧である。

 

 二人はうっとりと見つめ合い、お互いの唇へ誘われるように顔を近づけ──

 

「えいっ」

「わひゃあ!?」

 

 間に入った黒い大剣に仲を引き裂かれた。

 

 下手人はもちろん空気と化していたユーリーン第二王女だ。シロはあわあわと声も出せずにうろたえ、さしものユリエルさえ冷や汗を流す。

 

 ユーリーンはふんすと鼻を鳴らして大剣を納刀、勢いよくユリエルへと指を突きつける。

 

「奪う、落とす。ユー、諦めない」

 

 それだけ言うとくるりと踵を返す。シロとユリエルが何か言い返すよりも早く、ユーリーンの輪郭が霞み、無数の黒い百合の花びらへと変じ消えていく。後に残されたのは呆然とするシロに不敵な笑みのユリエル、それから気絶したフリをしたまま余さず修羅場を目撃していた黒百合騎士団の少女たちだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ユーリーンとの会合を機に、シロは宮殿内で一躍ときの人となった。これまでも愛らしい頑張り屋のメイドさんとしては有名だったが、その評判に重ねて『二人の王女に迫られる魔性の少女』と噂されている。出どころは例の修羅場を目撃した黒百合騎士団の少女たちであり、彼女たちだけなら噂好きが高じた与太話として一笑に付されていただろうが、ユーリーンの行動がシロのモテっぷりの何よりの証明となった。

 

「シロ、話しよう」

「うわ出たぁ!」

 

 ユーリーンはシロのいるところならどこにでも現れた。あるときはメイドの居住区画に、回廊の掃除中に黒百合鎧と大剣のフル装備で現れ、話をしようと言った割に何を言うでもなくシロの横顔を凝視して、シロがそちらを振り向くとさっと花びらを残して姿を消す。あるときはメイドたちが入浴する宮殿内では位の低い浴場に全裸で現れ、たいへんな騒ぎになった。

 

 ユーリーンの奇妙な接近に対し、シロは困惑とともにまんざらでもない気持ちだった。現れては何もせず消えるユーリーンは意味不明だったが、求められていることは分かる。必要とされるのは嬉しいことだ。

 

 しかしいくら嬉しくとも、一向に仲良くなれた気がしない。ユーリーンは基本的に無口な上、シロの方から話しかけられると逃げるように消えてしまうからだ。このことをユリエルに相談してみると、彼女は苦笑した。

 

「あの子は剣の腕と情事で人と繋がってきたのよ。その両方がシロに通じないと思って、混乱してるんだと思うわ」

「極端な人! もう、私はどうすればいいの」

「ゆっくり近づいて、手でも握ってあげるといいわ」

 

 後日ユーリーンが不意に背後に現れたので、言われたとおり少しずつ接近して手を握った。常に鎧を着込む彼女の手は分厚い手甲とグローブに覆われていたものの、装備越しでも分かるほどびくりと大きく震えた。逃げることはなかったため、調子に乗ってむき出しの白い頬にもう一方の手を添えてみる。ユーリーンは初心な乙女みたいに頬を朱に染めると、シロの肩を壊れ物を扱うような手付きで押し返し、いつもの黒百合転移で姿を消した。理解不能な人物だったユーリーンをこのとき初めて、シロはかわいいと思った。

 

 またあるとき、毎日顔を見せていたユーリーンが一日会いに来なかった。それだけで少しの寂しさと物足りなさを感じている自分に気が付き、シロは負けを悟った。といってもユーリーンは狙ったわけではないらしく、後日会いに来た折、無表情の中かすかに憔悴を残した顔で「亡国の難民受け入れ、マジン事件の調査。黒百合はこーゆーとき、忙しい」とため息をついていた。

 

 マジン。その響きはシロの心に波紋を生み、柔和な笑みを浮かべる女性とパイの香りが生々しく脳裏に瞬いて、消えていった。

 

 そうしてメイド業務のかたわら、ユリエルと逢瀬を重ね、ユーリーンと不器用な交流を楽しみ、王宮づとめの一部の同僚たちに陰で「どっちの王女とくっつくのか」という賭け事の対象にされたりしながら、シロは幸福で満たされた日々を過ごした。

 

 苦痛と孤独と絶望に満たされた少し前からは考えられない輝く毎日。その刺激にも慣れてくると、心に余裕が生まれる。普通ならより多くの幸せの追求に向けられるであろうその余裕は、シロに回顧の機会を与えた。

 

 すなわち過去に思い悩むようになったのだ。

 

「なーに難しい顔してんです?」

「わわっ」

 

 仕事の片付いた夜半、自室にて。窓際で月を見上げながら考え込んでいたシロは、不意に浮遊感に包まれる。見ると、同室の同僚がシロの両脇に手を入れ、子猫みたいに軽く持ち上げていた。

 

 同僚はベッドに腰掛け、シロを膝の上に乗せて後ろから優しく抱え込む。薄手の寝間着越しに彼女のふくよかな胸と太ももの感触に包まれ、シロはわずかに顔を赤くする。

 

「スミレ、人をぬいぐるみみたいに扱うのはやめなさいって」

「こんなにかわいいぬいぐるみが居たら全財産はたいて買うんですがねぇ。おいくらですか?」

「……あんたの身長、分けてくれたら考えるわ」

 

 実際に買われた経験があるシロは一瞬だけ顔をしかめるが、同僚には角度の問題で見えなかった。

 

 同僚の上背はシロと比べると頭二つ分は差がある。名はスミレ、海の向こうにあるという桜の国からやってきた女性だ。胸や腰回り、太ももには高い身長に見合うだけの豊かなふくらみが実っており、何もかもがちんまいシロと並ぶと女性的魅力の権化めいたイメージが際立つ。百合の国では珍しい黒髪に、こんがり焼けた褐色の肌。鮮やかな黄の虹彩と底の見えない黒の瞳孔は当初毒々しい印象しかなかったが、今となっては見慣れたものだ。

 

「それは破格ですねぇ。扉をくぐるたびヒヤっとしなくてよくなる上、モテモテシロさんを好きにできるなんて」

「モテモテ……」

「ええ、モテモテでしょう。それと宮殿内最強のメイドさん。いやぁ初めて会ったときはこんなちっこい子が働けるのかと不安でしたが杞憂もいいところですね。まさかあの黒百合騎士団団長様まで陥落させるなんてまったく、しかもすごい啖呵切ったらしいじゃないですか不敬罪があれば即死だったとか噂されてますよー」

「うん……」

「私なんてあの団長様にいっそ死にたいくらいの辱めを受けちゃって、性奴隷に調教されるかメイドとして忠誠を尽くすか選べなんて言われて仕方なくこの仕事始めたんですよ? あんな理不尽暴力女に惚れられるなんてまあ、甚だ女難ですねぇ」

「うん……うん?」

 

 ゆったり、ゆっくり、間延びした口調でスミレが語る。シロの心をほぐすように、その時間を稼ぐように。若干聞き逃せない衝撃情報が流れた気がしないでもなかったが、なめらかな語り口で話題が過ぎていった。

 

 シロはぼうっとスミレの声を聞き流しながら、後頭部をスミレのたわわな胸部にすり付ける。安穏とした空気の中、夜空の月がわずかに傾くほどの間をあけて、シロはやっと口を開いた。

 

「私がここに来る前の話って、どのくらいしたっけ?」

「たしか魔法の国から来た、とだけ。どこ出身の話題は定番ですよねぇ」

「その魔法の国に、大切な友達が居たんだけど……色々あって、別れちゃったんだよね」

「ほほー、大切な、ねえ。色々、の部分は聞いてもいいんでしょーか?」

「ん、ちょっとややこしい話になるけど」

 

 シロはヤーツェとナナルの話を語った。

 

 訳あって川に流され、漂着したところを姉妹に拾われ、妹のヤーツェと仲良くなった。しかしヤーツェの病が悪化し、治療費のために素材として優秀だったシロが魔法の国に売払われ、それきり姉妹には会えなくなった。

 

 まともな人間らしい生活で考える力を取り戻して以来、シロはずっとあの二人のことが気がかりだった。あの二人は今どうしているのか。ヤーツェはきちんと病を直して幸せになっているのだろうか。気がかりではあっても考えないようにしてきたのは、今更確認しようがないからだろう。百合の国と魔法の国を隔てる大山脈を超えるのはとても難しいし、よしんば出来たとしても辛い記憶の多い魔法の国に戻ってまで、あの二人に会いに行く根性はない。

 

 気にはなる、しかし実際確かめに行こうとは思わない。どっちつかずな感情が、幸せなシロの心にしこりを生んでいた。

 

「と、いうわけなんだけど……スミレ?」

「……」

「スミレってば、ちょ、痛い」

「ご、ごめんなさい」

 

 簡単に事情を説明すると、スミレは困惑と驚愕、わずかな憐憫をにじませた複雑な表情。シロの胸元に優しく回されていた長い手足が力み、シロが抗議するように後頭部でスミレの胸を叩いた。

 

 スミレは大きく深呼吸してから声を絞り出す。

 

「シロさんは、その二人に恨みとかないんですか?」

「ないとは言えないわ。売られた先はもう思い出したくないくらい酷いとこだったし。だけど今は気になってる。ちゃんと健康になってるかな、仲良く暮らしてるのかな」

「え、えぇ……」

 

 スミレは困惑に満ちたうめき声を発した。

 

 シロは忘れられないパイの香ばしさや、ヤーツェの太ももの柔らかさ、ハチミツみたいにキレイなブロンドの髪に、豊かな森と川のせせらぎを思い浮かべていた。ほんの短い間ではあったが、あのときのシロも間違いなく幸せだった。

 

 そんな思い出をぶった切って、スミレは出し抜けに断言する。

 

「忘れましょう、あの国のことは」

「えっ」

 

 思わず振り返るシロが見たのは、珍しく沈痛な面持ちのスミレだ。

 

 スミレは目を伏せて数秒間黙り込んでから、重たい口を開いた。

 

「魔法の国は今、滅びを迎えています。『知識の塔』を知ってますか?」

 

 シロは首を横に振る。魔法使いたちが幾度か話題にしていたし、ヤーツェが話していたことも覚えているが、具体的なことは知らない。スミレは噛んで含めるようにゆっくりと、魔法の国の現状を語る。

 

 およそ半年前、知識の塔が崩壊した。知識の塔は国の象徴であり、魔法使いたちの生きる目的でもあった情報集積施設だ。古代から増築を繰り返されその高さは国を隔てる大山脈すら超える。

 

 その塔が原因不明の『何か』によって崩れ落ちた。連綿と受け継がれてきた国のシンボルであり、財産でもある塔の崩壊によって多くの魔法使いたちを発狂させ、即座に内戦へ発展したという。

 

 さらに、それだけ巨大な建造物が崩れると物理的な被害も大きい。幸い百合の国とは逆方向に倒れたものの、国土のほとんどが瓦礫と衝撃波でめちゃくちゃに破壊され、非魔法使いの国民の多くが圧死したらしい。

 

 今は荒廃した瓦礫の山の上で、運良く生き残った魔法使いたちが発狂しながら魔法を乱発する無法状態。端的に言ってこの世の地獄と言うべき惨状を呈している、と。

 

「う、うそ……」

 

 シロのかすれ声に、スミレは力なく首を横に振った。

 

 シロもまだ精神が壊れていないうちに、やたら高い塔が近くにあるのは目撃していた。それが重要であることもなんとなく分かっていた。しかしあの塔が崩れたことで国が滅んだというのはにわかに信じがたい。

 

 しかしデタラメとは思えない。

 

 業が二年ぶりに発動し翼を広げたあのとき、業の機能によってシロの理性はわずかに修復されていた。起きながら夢を見ているような気分のもと、大きな衝撃と魔法使いたちの悲鳴、謎の轟音が響いていたことはおぼろげに記憶している。

 

 今から半年前というと、ちょうどあの日かもしれない。あの騒ぎはまさに国が滅びる渦中だったのかもしれない。

 

 つまり、あの姉妹もきっと。

 

 とたんに悲しみと寂しさに襲われ、シロは視界がにじんだ。

 

「よしよし」

「……確かめにいく」

「ダメです。絶対行かせない」

「離して!」

「離さない」

 

 実際に確かめないと信じられないし、信じたくない。ダダをこねる子供のようにシロは腕を振払おうとするが、スミレは離さなかった。

 

「私だけじゃなくて、ユリエル姫も許さないですよ」

「う……」

「しかもシロさん、素材扱いだったんでしょ? 下手に戻って頭のおかしい魔法使いに見つかったら、捕まってまた酷い目に遭います。嫌でしょそんなの?」

「い、イヤ……」

 

 過去の苦痛、皮膚を剥がされ、骨を削られ、腸を引きずり出される体験がフラッシュバックする。シロは抵抗する気も失せ、両腕を抱いて脚を曲げ、がたがた震えだす。

 

 スミレはシロの頭を優しく撫でながら、耳元でささやく。

 

「大丈夫。ここにはシロさんの味方しかいない。だから昔のことは忘れて、ここに居ましょう?」

 

 シロがこくこくうなずく。

 

 スミレはシロを抱き上げてから天井のランタンを消すと、シロのベッドに二人で横たわった。震えるシロは過去の痛い記憶から逃れるようにスミレに強くしがみつき、嗚咽を漏らして眠った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 シロは一晩の泣き寝入りで過去を吹っ切れるほど器用な少女ではなかった。沈んだ顔でどうにか最低限の仕事をこなす様子は、せっせと一生懸命働く常日頃とはあまりにかけ離れており、またたく間に王宮仕えたちの心配の種になった。やれユリエル姫とうまくいってないだの、ユーリーン団長がついに一線を超えただの、月一で不調になるアレはまだ先のはずだなどと、下世話な内容も含め多くの噂が立った。折悪しくユリエルやユーリーンが難民対応、警備強化などで忙しくしており、シロの荒んだ心を親身に慰められるのは、同期メイドのスミレだけだった。

 

「いやぁー、潮風が気持ちいいですねぇ」

「うん……」

「ここに来たからにはお腹いっぱいで帰ってもらいますよ。大丈夫、同期のよしみで今日だけはおごりにしたげます」

「……とりあえず食べさせれば元気になるって? 子供じゃないのよ私は」

 

 二人は王宮を離れ、港町にやってきていた。

 

 百合の国の首都と鉄道でつながる小さな港町。百合の国では、首都の港湾区が交易と工業の拠点になっているのに対し、漁業は海沿いの小さな町が複数で担う。海に面するなだらかな斜面に白い箱のような住居がひしめき合い、テラスには建物や路地をまたぐ形で幾重もの紐が張られ、潮風を受けた洗濯物がはためく。

 

 そういった町の一つに連れて行き、新鮮な海の幸を食べさせて励ます作戦は、メイドたち全員から賛同を得ていた。シロが小さい身体のどこに入るのかと不思議になるくらいよく食べ、おやつ時にお菓子でもあげようものなら平静を装いつつニコニコ笑顔で喜ぶのは有名な話だ。つまり落ち込んでるならお腹いっぱいになりなさい大作戦である。

 

 むすっとするシロはスミレに手を引かれ、民家の間を縫う細い路地を進む。潮の香りが強まるにつれ道幅が広がり、やがて露店が立ち並ぶ大通りに出た。粗末な骨組みに布を引っ掛けた屋根の下、鉄板の上でイカやアジ、サバなどがそこかしこで焼かれ、串に刺されて販売されている。風変わりな格好の男女が通りを歩き回り、店主が威勢よく呼び込みをかける。

 

 シロはよだれを垂らしながらも、スミレの大きな身体にすがりついた。

 

「お、男の人いる。怖い」

「えっ? ああそっか、首都とは違って、ここは大陸からの旅人もいるし難民村もあるから……ごめんなさいシロさん」

「ううん、スミレが一緒なら平気。絶対離れないで」

「合点です」

 

 二人は固く手をつないで露店を回った。スミレの身体を盾にしつつ、目に付いた露店を片端から食い荒らしていくシロ。両頬をいっぱいに膨らませ食べかすも気にせず夢中で平らげる様は異様な迫力を放ち、衆目を引きつけた。どの露店も順番の付けられない美味だったが、もっとも気に入ったのは最後の店だ。

 

「これ、スシって言うんです。桜の国から流入した食べ物の中で一番おいしいんですよ」

「え、でもこれ生だよ?」

「それがいいんですよぉ。あむっ」

 

 裏路地に入ってすぐのところにひっそりと佇むボロ屋。イスがなく立ち食いを強いられるため、踏み台を提供されたシロはご機嫌斜めだ。ましてや焼いてもいない魚の切り身を穀物の上に乗せただけの手抜き料理を前に、良い顔をするはずもない。出された分だけ食べてさっさと次に行こう、と口に運んだとたんシロは負けを悟った。スシは、おいしい。

 

「もぐもぐ」

「気に入りました? 私はあんなしょうもない故郷さっさとなくなればいいと常々思ってるんですが、これがあるから恨めないんですよねぇ」

 

 ワサビなる不気味な薬味に挑戦するか否か迷っているシロの横で、スミレは上機嫌にうんちくを語っていた。彼女の故郷でもある桜の国はかつて侵略目的で百合の国に上陸したものの、百合の神秘に圧倒され和睦。それ以来両国の国民が行き来するようになり、その過程でスシなどの食文化をはじめ多くの文化が流入したとか。

 

 シロはどうでもよかった。とりあえず食べ物がおいしいのはいいことだ、と思った。

 

「奥には何があるのかしら?」

 

 スシの余韻に浸っていたシロは、ふと暗い道の先に目をやる。見るからに不気味な雰囲気だがもしスシのような食べ物がこの先にあるなら、スミレを盾にして進んでみてもいい。

 

 スミレが「えーっと、たしか……」と言い淀んでいるうちに、店主の老婆が口を挟んだ。

 

「難民村さ」

「ああ、それですそれ」

 

 スシ屋は港町のはずれに位置しており、そこからさらに離れた郊外には難民村があった。魔法の国から逃れてきた難民たちが、木の板と布で設えた急造の住居群で暮らしている。

 

 老婆は忌々しげに鼻を鳴らす。

 

「近づくのはおすすめしないよ。連中、あまりいいやつらじゃあないからね」

「そうなんですか?」

「魔法を使えるからっていい気になってるのさ。偉く鼻にかけたような値切りを仕掛けてきたもんで、こっちは何度包丁ぶん投げて黒百合の世話になったことか」

 

 それは老婆の短気も悪いのでは。シロは言いかけたのをぐっとこらえた。

 

「ところが最近連中がぱったり来なくなってね。噂によると、マジンが出るらしい」

「魔人? 最高位の魔法使いですかね」

「そっちじゃなくて、神様の方」

 

 スミレが聞いたのと同じ魔人を思い浮かべたシロだが、違った。

 

 老婆いわく、難民村には一つの噂が流れている。悪さをすると魔性の神たる魔神様がどこからか現れ、悪いものを連れ去ってしまう。実際に難民村では突如行方をくらませた者もいて、黒百合騎士団はこの件を調査しているとか。どうやらユーリーンを忙しくさせている元凶がこの先の村らしい。

 

 シロは老婆が難民村さと答えた時点で近づく気が失せていた。恐ろしい魔法使いだけでも怖いのに得体の知れない魔神の噂まである場所に誰が近づこうというのか。

 

 路地の暗がりすら怖くなってきたシロはスミレを促し、支払いを済ませて店を離れた。

 

「はあ、食べた食べた。ごちそうさま」

 

 ひとしきり食べ歩きを満喫した二人は、大通りから一つ外れた路地を駅に向かって歩いている。沈みゆく夕日が影を細い糸のように引き伸ばしていた。

 

「少しは元気が出ましたか?」

「うん……割り切ることもできないし、忘れることもできない。まだくよくよしてる感じはある」

 

 魔法の国に戻り、ヤーツェとナナルの行く末を調べたい。同時に、辛く苦しい魔法の国に二度と近づきたくないとも思う。相反する思いはしつこく心中に澱んでいる。

 

「だけど、納得はできた。この気持ちがどうしようもないものだって分かった。くよくよをそのまま背負っていくしかないんだって、覚悟ができた。だから──」

 

 ありがとう。

 

 その一言を告げることはできなかった。

 

「え」

「あーもう、クソっ」

 

 スミレは突如シロの肩と膝裏に手を回し、横抱きに。続けて聞いたこともない重苦しい声で悪態をつくと、古民家の間にある路地とも呼べないスキマに身を踊らせ、走り出した。

 

 激しく上下に揺さぶられるシロは身をよじるどころか口を開くこともままならない。影になったスミレの表情はうかがえない。猛烈な不安に襲われるシロ。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が吹き出る。先程までの幸せな気持ちが幻みたいに消えていた。

 

 スミレは時折「クソ」「ここもダメか」と舌打ちまじりにつぶやきつつ、足を緩めない。迷路のように入り組んだ細道を右へ左へと曲がりくねり、時折不自然に腕を伸ばし民家の壁に手をこすりつける。見えない何かから必死に逃げているように見えた。

 

 シロには数時間にも思える数分が過ぎ去ったころ、ようやくスミレが立ち止まる。日はほとんど沈み、空の橙が藍色に変じていた。

 

「分かった、もう逃げるのは止めです。出てきなさい」

 

 左右を古屋に挟まれた路地にて、スミレは声を上げる。とたん、不気味な人影がスミレとシロを包囲した。建物の影から、屋根の上から、少なくとも十人以上の真っ黒な影が滲み出てくる。

 

 シロは嫌な予感が的中したように思えた。

 

 猛烈な既視感。姉のナナルは何気ない風を装ってシロを呼び出し、捕まえて魔法の国へ売り飛ばした。

 

 結局はスミレも同じだったのだろう。励ますという名目でユリエルもユーリーンもいない田舎町へおびき出し、買い手に引き合わせる。食べ物をおごってくれたのは手向けだったに違いない。

 

 食べ物を吐き出したくなったシロだが、異様に消化の早いシロの胃に残っているものはない。小さく空えづきすると涙が浮かぶ。今度はどこの誰に売られ、どんな目に遭わされるのだろう。

 

「シロ? どうしたんです、どこか痛めたんですか?」

「バカ、アホ、バーカ! どうせそんなこったろーと思った! バーカバーカ!」

「はい!? この状況で更に罵倒されるとかめっちゃ心に来るんですが!?」

「うえええぇぇん!」

「えぇ……ま、まあいいや」

 

 シロはすっかり凹んでいた。業の力を呼び出す気力さえないほどに打ちひしがれている。

 

 それに構わず、スミレは不気味な人影たちに鋭い目を向ける。

 

「で、羽刹(うせつ)の精鋭様がどのような用向きで?」

 

 沈黙。痛いほどの静けさの中、人影たちのうち一体、屋根の上の一人が身を乗り出した。夜闇をそのまま着込んだような羽根付きの装束。顔を覆い隠すクチバシのような突起物には無数の穴が穿たれている。その奥から響く声はいたずらに甲高く、壊れた楽器を思わせる。

 

「知れたこと。任務失敗すなわち死。女郎蜘蛛よ、貴様は絶対の掟に背いている」

「ははぁ。しかも抜け忍ですからねぇ、いつかは来ると思ってましたが、よりによって今の今とは……この子だけでも見逃してくれません?」

 

 はて、とシロは首をかしげた。何か雲行きが怪しい。

 

「ならぬ。そやつがいるからこその今である」

「守る対象を使って戦力低下、と。相変わらずヘドが出るやり口だこと」

「ね、ねえスミレ。やるならひと思いにやってほしいな……」

「んー、シロさんは多分勘違いしてるのかな?」

 

 スミレは油断なく人影たちに目を配りながら、シロの誤解を察する。そして手短に語られる真実は、ひどく突拍子がなかった。

 

「スミレさんが元々、桜の国で忍びをやってた話はしましたっけ?」

「はぇ?」

「ほら、ユーリーン団長に心折られたって言ったでしょ? 百合の力を探るために忍び込んだらすぐバレて、廃人にされるかメイドやるかって脅されまして。ちょうど仕事が嫌になってたんでメイドに転職したらこの通り、裏切り者扱いで追手が来ましたってのが現状ですねー」

「えっ、あ、え……ごめんなさいっ!」

「驚くより先にそっちですか。はい許します」

 

 先程の罵倒をまず謝罪してから、シロは少しずつ情報を整理していった。

 

 スミレは桜の国の元忍び。裏切ってメイドをしていたため、追手がかかった。とても簡単な理屈だが唐突に過ぎた。

 

 スミレに裏切られたと早とちりしたのが浅ましく愚かに思え、同時に安堵も覚えた。ひとまず自分が狙われたわけではない。

 

 しかし人気のない宵の口の裏路地で、見るからに只者ではない男たちに囲まれている現状を少しずつ理解するとともに、シロは一つの可能性に思い至る。

 

「もしかして、絶体絶命?」

「間違いないですねぇ」

 

 冷や汗を流す二人に、追手たちが襲いかかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 スミレが横抱きにしたシロを素早く下ろしたのと、クチバシ頭の男から奇天烈な音色が奏でられたのは同時だった。カラスや雀、カモメなどいくつもの鳥類をかけ合わせたような音波が路地裏に反響し、呼応して複数の追手たちが動き出す。

 

 スミレの正面左右から、二人の影が微妙に動きをずらして迫り来る。スミレはいつでも動けるよう姿勢を低くして、さりとて何をするでもなく二人を迎え撃つ。

 

 タイミングの早い方の一人が腕をひらめかせた。近くに迫ったことでその手に小ぶりの刃物が握られていることに気が付き、後ろのシロは悲鳴を上げる。

 

 が、その刃が届くことはなかった。刃物を持つ腕ごと地面にぼとりと落下、続けて人影の身体が三つに分割され、走る慣性のまま人体の中身をぶちまける。血と臓物による鉄臭い腐臭が路地裏を満たした。

 

 幸い、目撃していたシロが吐き出すものは何もなかった。過去の拷問のフラッシュバックから目をそらすためにも、目前の光景に集中する。

 

 人影たちは動きを止めていた。同時に攻めていたもう一人もピタリと静止している。彼の目と鼻の先に、細切れになった影の血液が滴っていた。よく見ると、非常に細い糸のようなものが壁から壁へ張り巡らされ、血はそれを伝っているようだ。

 

「何の策もなく逃げ回っていると思いました? すでに結界は構築済みです。死にたくなければ動かないことですね」

 

 嘲るようにスミレが言った。この路地は逃走の間に幾度も繰り返し通った場所だ。シロを抱いて走りながら器用にも壁に手をこすりつけていたのは、女郎蜘蛛の由来ともなった特殊な糸を巡らせるためだった。

 

 結界というからには、他にも見えない糸が無数に仕掛けてあるのだろう。目の前で切れ味を見せつけられたシロは顔を青くしてしゃがみこみ、追手の羽刹たちも硬直している。

 

「愚かな」

 

 クチバシ頭が吐き捨てる。その声には何の感情も乗っていない。

 

「何の策もなく、数の利のみで女郎蜘蛛には挑まん」

「なっ……」

 

 先陣を切り、身体を三つに分断された羽刹の身体。切断面から溢れ出る内臓の間を塗って幾多の赤い筋が中空へ這い上がり、血の滴る糸へと取り付く。糸の血と合流した赤い血潮は見えない糸を赤く染め上げ、壁に達するや否や、獲物を探すようにいくつもの染みへ分裂して壁面を這う。それらは新たな糸を見つけると、またたく間に不可視の糸を赤く染め上げていく。

 

 ほんの五秒と経たず、路地に張られた糸が可視化された。糸の不可視必殺という利点が封じられたのだ。糸の隙間は広いとは言えないものの人一人分が通るには十分な程度空いており、見えていればまず触る者はいないだろう。

 

 壁から伝う血液の筋がスミレの右手へ向かっている。スミレが舌打ちして手を振るうと、親指の爪先から糸が外れる。

 

「下忍の使い捨て前提の策ですか。これだから羽刹は好きになれねぇんです」

「掟に従い、介錯いたす」

 

 クチバシ頭のクチバシから恐ろしい音色が響き渡り、すべての羽刹たちが殺到する。前後左右、上も残らず黒装束の羽根で埋まっている。

 

「きゃあああ!?」

 

 悲鳴を上げて伏せるシロとは対照的に、スミレは慌てず騒がず右手を横薙ぎにした。親指を除く四指が別々の生き物のごとく複雑に蠢き、指先から伸びる不可視の糸がひらひらと舞う。その間に体中に仕込んでいたクナイを左手で取り出し、右手の糸と合わせて眼前の脅威へ対処していく。

 

 前に出る羽根が赤い糸をかいくぐり、黒塗りのクナイを手に襲いかかる。見えない糸がクナイを弾き、逆に絡めとって振り子の要領で猛威を奮う。しかし糸先のクナイが羽根の首筋をかっきる直前、後方の羽根が投擲した手裏剣がクナイを糸ごと弾く。前方の羽根が一度下がると、すかさず後続の手裏剣が的を散らして飛んでくる。スミレは最速で糸を操り手裏剣を弾き落とすが、うちいくつかは対処しきれず、褐色の肌に刃が突き立つ。

 

 数の利を活かした前方と後方の連携戦術。視界の効かない暗闇で声掛けもなく高度な戦術を可能にしているのは、クチバシ頭が発する音色だ。鳥の声を模した特殊なクチバシは高低、硬軟、強弱自在の音を奏で、羽刹たちはクチバシ頭の意のままに動く。

 

 数的有利だけではなく、シロの存在も羽刹に利をもたらしている。

 

「っく……!」

「スミレっ!」

 

 スミレの背に深く手裏剣が突き刺さった。苦悶の声を上げつつ糸を繰り、絶え間ない飛び道具と近接攻撃の波を捌きにかかる。

 

 本来なら避けられたはずの投擲だった。しかし羽刹たちはスミレだけではなく、絶妙なポイントでシロにも殺意を向ける。守る対象を意識させることで迎撃の精度を損なわせ、着実に心身を削っていく。他国での隠密性を損なわない範囲で効率最重視の殺傷を行うのが、羽刹の仕事である。

 

 日が落ち、月明かりさえ届かない暗い路地。怪鳥がごとき音色の響く暗闇に連続した火花が弾け、金属音、荒い息遣いと悲鳴が交錯する。

 

「スミレ、スミレぇ……!」

「は、はは、平気平気、平気ですよ」

 

 暗闇から返ってきた声は苦悶に満ち、どう聞いても平気ではない。シロは目が慣れてきたため、スミレの大きな身体の大部分が血に染まり、手裏剣とクナイで剣山のようになっているのもうっすらと見えた。

 

 それでもシロは動けない。羽刹たちの純粋な殺意は、無邪気だった魔法使いたちとは違って養父に向けられたあの夜以来だ。萎縮して震えるばかりでは業の力は出てこない。

 

 友達がすぐそこで傷つけられているのに何もできない悔しさ。しかしそれ以上にシロは怖かった。百合の国に来てから優しさと思いやりに多く触れてきたせいか、羽刹たちの強い悪意が怖くて仕方ない。怖さと情けなさが感極まって、ぽろぽろ涙が溢れ出す。

 

「シロさん、シロさんっ! 聞いてください!」

「な、なに……?」

 

 絶え間ない波状攻撃にギリギリのところで持ちこたえながら、スミレが呼ぶ。金属音とクチバシの快音の中でも、不思議とスミレの声はよく通った。

 

「今から結界の一部を壊します。合図したら後ろ向いて、全力で走ってください」

「え、で、でも」

「大丈夫です、奴らの狙いは私一人。万が一シロさんを追いかけたって、絶対阻止するんで」

「だ、だけどそれじゃスミレが」

「いいから!」

 

 ほんの瞬きほどの間隙、スミレの毒々しい黄の虹彩がシロを射抜く。血に塗れ、全身の至るところを刃に穿たれているのに、スミレの顔はひどく晴れやかだった。

 

「抜け忍はいつかこうなると分かってました。シロさんは巻き込まれただけ。私はこれでいいんです」

 

 スミレの身体が不自然に横へズレる。羽刹の一人が刀を脇腹に突き立てていた。とっさに身体を捻らなければ腎臓を潰され即死だったろう。

 

 スミレは肘鉄で羽刹のコメカミを打ち据え、怯んだところに前蹴りを叩きこむ。地面をバウンドして吹っ飛ぶ羽刹だが、追撃の暇はない。すぐにそのスキを覆うように手裏剣と別の羽刹が迫ってくる。それをどうにか糸で凌ぎながら、スミレは続けた。

 

「たくさん殺しました。親友も同朋も、子供も大人も老人も、愛し合う善良な夫婦も、お腹にいた赤ちゃんも。両親も妹も姉も、みーんな殺した」

 

 殺した。

 

 懺悔に含まれるその言葉が、やけにシロの耳に響く。

 

「そんな私が今更楽しく生きようったって──土台無理な話でしょーよっ!」

 

 出し抜けに一方向へ突進するスミレ。当然、全方向から迫りくる飛び道具が身体を穿つ。

 

 しかしそのダメージを無視してスミレは右腕を振るい、四本の糸すべてを使って前方の羽刹たちを押しのけた。赤く染まった糸の結界も羽刹たちとともに千切れ飛び、路地の外へ通じる道が空く。

 

「行けっ!」

 

 シロの身体が勝手に動く。決死の覚悟で開いた血路を踏みしめて、夢中で足を動かした。迫りくる飛び道具は糸で落とされ、スミレが身体が受け止め、道へ割込もうとする羽刹たちはスミレの体当たりで押しのけられた。

 

 逃げようと思えば逃げられる。羽刹たちはスキだらけとなったスミレに意識を向けており、ここぞとばかり殺到している。シロはただ走るだけで生き残れるはずだった。

 

 しかしシロは、立ち止まった。

 

 振り返り、スミレの前に飛び出す。手裏剣とクナイが肌を破り、骨を削り、肉を削ぎ落とし血が吹き出る。邪魔だとばかり、羽刹の一人が刀を振るい、袈裟がけにざっくり切り裂かれた。

 

「……シロ? し、シロ、ウソだよね、ウソでしょ、なんでっ!?」

「む、無理じゃ、ない……」

 

 死体同然のシロをスミレが抱き起こす。クチバシ男は不可解な行動を前に音色を止めていた。羽刹たちも連動して静止している。

 

「スミレは……良い人だから……悩んでるときすぐ声かけてくれるし、話すのうまいし、怖い夢見たときとか、一緒に寝て慰めてくれるし……おっぱいと身長とお尻が大きすぎるのは、腹立つ、けど……」

「訳、分かんない。何言って……」

「けど、良い人だから……楽しく生きて、ほしい。ううん、違う。一緒に」

 

 シロはにっこり笑って、

 

「一緒に楽しく……邪魔なやつはみんな殺して、生きよう?」

 次の瞬間、世界が赤く染まった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 血の海と化した暗い路地裏。ぽたぽたと血と臓物の滴る音が耳につくそこは、先程まで十数人の人数が入り乱れていたのがウソだったように静まり返っている。

 

 その惨状を作り出したシロはというと、血まみれのスミレと抱き合い壁に寄りかかっていた。

 

「まったく……あんな力があるなら、最初から使ってくれたら良かったのに」

「うん、ごめん……」

 

 業の力は圧倒的だった。高度な連携も戦術も関係なく、溢れ出した赤黒い触手が濁流となって羽刹たちを飲み込み、逃げようとしたクチバシ男も容赦なく捕らえ、全身を内側から穴だらけにして一人残らず肉片へ変えた。スミレの苦戦は何だったのかと思わずにはいられない蹂躙劇だった。

 

 それでもシロが最初から業を使っていればというのは酷な話だ。

 

 殺してでも生きる。初めて業を使って養父を殺害したときそう決意し、以降も決意と本能に従い業を使ってきたシロだが、あくまでも自分が生きることに目的が限定されていた。誰かのために力を使い、誰かの邪魔になる者を殺し、共に生きる。自分のためではなく他人のために殺す決意は、齢十三の少女には殊の外難しい。

 

 今のシロは覚悟を決めている。百合の国で楽しく幸せに暮らすのは、一人ではできない。共に生きる者を害するなら、誰であろうと殺す。

 

 とはいえその覚悟をまた口に出すのは気恥ずかしくて、シロは困り笑いを浮かべる。

 

「あの力ね、結構痛いの。なんというか、内臓が食い破られて、骨が内側から外へ折れ曲がって、肌が切り開かれる感じ。だから、その、ごめん」

「うん、もう二度と使わないでください」

「えっ」

 

 スミレは業の触肢が身体を食い破るように出てきたのを目撃しているが、まさかそこまで辛いものとは思わなかった。

 

「元はといえば、スミレさんの自業自得に巻き込んでしまったのが悪いんです。こっちこそごめんなさい」

「そ、そんな。スミレは悪くないじゃない、ただ運が悪かっただけ。私なんて怖がって震えてただけだったし、本当にごめん」

「怖いのは当然ですよ。シロさん、戦闘とは縁遠い人種でしょ? そういう子があの場でちゃんと動けるなんてそれこそ無理な話です。やっぱり巻き込んだ私が悪い──」

「いやでも──」

 

 しばし無為なごめんの押し付けあいをしていた二人は、どちらともなく笑い出す。

 

 くすくす笑いが収まらないまま、肩を寄せ合った。身長差が甚だしくスミレの二の腕にシロが頭を擦り付ける。

 

「もういいじゃない、生き残ったんだから」

「ですね、ふふっ」

 

 スミレの身体には至るところにクナイや手裏剣の傷が残っている。しかし見事に急所と深い当たりは避けていたため、すでに血は止まっていた。傷は残るだろうが大事にはならないだろう。

 

 手を重ね、お互いの命を感じ合う。すると暗い路地の外から金属鎧のガチャガチャ鳴る音と、話し声が聞こえてきた。

 

「こっちです黒百合さん! なんな気持ちの悪い鳥みたいな鳴き声がめっちゃ聞こえてくるんです! きっと事件ですよ、事件!」

「へーへー、そうかもねー」

 

 治安維持を担う黒百合が呼ばれてきたらしい。もっと早く来いよ、とシロは思った。

 

 事の収束を感じていると、手のぬくもりが増す。見ると、重ねていた手が指と指を絡め合わせがっちり握られていた。

 

 シロは手を動かしていない。スミレを見上げてみれば、彼女はあさっての方向を向いて、耳をほんのり赤くしていた。

 

「スミレ?」

「えへへ……一緒に生きようって言ってくれたの、嬉しかったんです。これから末永く、よろしくお願いします」

「うん、よろしく。ずっと友達でいてね」

「え」

「えっ?」

「……なるほど、理解しました。つまりそういうことだったんですね。はぁ……」

 

 スミレの悄然としたため息の意味を、シロが理解することはなかった。

 

 すれ違いが発生している予感だけを感じているその時、路地に光が差し込む。ランタンの明かりで浮かび上がるのは蒼白な顔で固まる女の子と、見慣れた黒百合甲冑姿の騎士たちだった。

 

「なんじゃこりゃああ!?」

 

 助かった。

 

 確信すると同時に緊張の糸が切れ、そういえばありがとうって言いそびれていることをぼんやり思い出しながら、シロの意識はぷっつり途絶えたのだった。

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