ねっちょりエログロ暴力百合ファンタジー   作:ぐえー

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第4話

「戦争だ」

 

 シロとスミレが手当を終え、都に戻って主にスミレがいきさつを語った直後。女王はあまりにもあっさりと開戦を宣言した。

 

「掟だかなんだか知らんがウチのメイドたちにこそこそ乱暴をされて黙っている私ではない。戦争だ。皆殺しだ」

「大賛成! 一人残らず百合の肥料にしてやるの!」

「ん!」

 

 玉座の側に控えていたユリエルとユーリーンも乗り気だった。ユリエルは輝くような笑顔で、女王とユーリーンは感情の抜け落ちた無表情で、それぞれ殺意を滾らせている。実際よその国の諜報機関が百合の領土内で彼らの都合を不当に押し通そうとした件を見過せば、国の威信に関わる。何らかの形で報復する必要があった。

 

「お待ちくだされ」

 

 しかし血の気の多い王族が報復を決めたからといって、すぐに開戦とはならなかった。しゃがれた声で宰相婆が待ったをかけ、現実的な意見具申。

 

 いわく、桜の国は貿易国家百合の国にとって最大の取引相手。物資の輸出入だけでなく観光客の往来も多く、移民や文化的な交流が互いの発展につながっている現状、過度に強硬な対応をすれば百合の国にも痛手となる。故に今の相互利益状態を崩さず向こうの無作法を咎める折衷的な対応が必要であり、もっとも効率的な手としては脅迫と搾取である。

 

「今回の不手際をネタに搾り取るのです。経済、文化、外交、あらゆる面で我々に都合の良くなるよう働きかける。向こうの頭に土下座して靴をなめろと命じれば従うまで、ネチネチ責め立てていきましょう」

 

「ふむ、陰険だな。それでいこう」

 

 賢明なる宰相婆の提言により戦争は回避され、百合の国と桜の国の外交は変化のときを迎えた。元々国力では百合の国がはるかに勝っていたところに今回の事件があったため、ほどなく桜の国は実質的な百合の属国となった。

 

 続けて女王は新たな組織の編成を指示した。

 

「スミレ。もう一度『女郎蜘蛛』として働く気はないか?」

 

 難民対応に手を取られていたとはいえ、国の治安と武力を担う黒百合騎士団は羽刹の侵入に気づけなかった。女王はこれを怠慢ではなく能力の不向きが原因と考える。黒百合は元より圧倒的武力を基盤とする戦士であり、しかも当代のトップは腕っぷし一辺倒のユーリーン第二王女だ。影に隠れる狡猾な狩人たちが相手では分が悪い。

 

 ならばその道の経験がある者に頼ればいい。

 

「黒百合の根本でうごめく害虫を駆除する諜報部隊がほしい。人員や具体的な活動はお前に一任する。待遇は宰相婆と相談してくれ。どうだ、やってくれるか?」

「やります」

 

 提案を受けたスミレは即答だった。

 

 スミレも本音では辞退したかった。桜の国から逃げ出したのはまさに女王が言ったような影の部隊にいるのが嫌になったからだ。百合の国でもまた結局、と思わないでもなかった。

 

 決断を後押ししたのはシロの存在だ。何も考えずひたすら殺してきた人でなしの自分を肯定してくれた友達。臆病で痛いのが嫌いなくせに身を呈して救ってくれた恩人。シロを守るためなら、誰を何人殺すことになろうが納得できる。百合の国非公式諜報部隊、『女郎蜘蛛』はつつがなく設立され、黒百合騎士団から選抜された人員を抱えて、黒百合の影でひそかに糸を張り巡らせるようになった。

 

 メイド業務と比べるとべらぼうに忙しいらしく、スミレはしばしば部屋でシロを捕まえもふもふしながら盛大に愚痴るのが日課となった。

 

「やってらんねーですよぉ。新人教育だけでも目が回るってのに難民村の事件調査までやれって言うんですよ? 誰か暗殺する前にスミレさんが過労で殺されますって」

「蜘蛛は八本も足があるんでしょ? 全部使えばできるできる、がんばれー」

「この子はもうっ、他人事だと思って!」

「ひゃっ、へんなとこ触らないで!」

 

 スミレは兼ねてより発生している、魔法の国からの難民が暮らす村における事件を任されていた。もちろんスミレに先んじて黒百合騎士団が調査をしていたが、武力制圧を得意とする黒百合の性質と、事件など長らくチカンか食い逃げ程度しか発生しなかった治安の良さもあって、調査は暗礁に乗り上げていた。情報収集能力の高い忍びの能力が期待されての抜擢らしい。

 

 事件について分かっていることは、難民村で魔神なる怪物の噂が流れていること。複数人の失踪者が出ていることのみ。詳しくはこれから調査するとか。マジンという響きに引っかかりを覚えるシロだったが、スミレの大きな手が際どい部分をまさぐろうとするので、悲鳴を上げているうちに忘れてしまった。

 

 こうして公的には強請り外交の強化、非公式には諜報組織の新設の二点をもって、羽刹侵入事件は収束した。

 

「ゆ、ユリエル、だめっ、こんなとこで……んんっ!?」

「シロ、シロ……!」

 

 しかしシロの身には新たな災難が振りかかっていた。

 

「おや、シロがいませんね。誰か知りませんか?」

「さっきまで一緒にいたんですが……」

 

 メイドたちがせっせと貴人たちへ食事を運んでいく回廊の片隅。壁から出っ張った装飾の陰で、シロはユリエルと唇を重ねている。

 

「ぷはっ、もう! 仕事中、なの、に……!」

「うふふ、知ってるわ」

 

 ユリエルはシロとつながる銀の糸を愛しそうに舌で舐めとると、シロの首筋に優しく噛み付く。決して傷がつかないよう加減して、しかし確実に痕が残る強さで甘噛みしながら徐々に上へ。シロは快感の波から逃れるように身体を捩るが、ユリエルの身体と壁に挟まれて身動きがとれない。ユリエルの息遣いを感じるたび大きく震え、甘い声を漏らす。

 

「今、どこかからシロさんの声が」

「言われてみれば……近くにいるんでしょうか?」

 

 シロは慌てて口を抑えた。

 

 ユリエルが一度身体を離し、目を合わせる。シロは懇願するように首をぶんぶん振った。

 

 果たしてユリエルはその意図を正確に読み取り、蕩けた目つきで妖艶な笑みを浮かべる。

 

「あんまり変な声を出すと、見つかっちゃうわよ?」

「……っ!」

 

 反論する前に口が塞がれ、今度はユリエルの両手が身体の敏感な部分をまさぐってくる。

 

 結局シロはどうにかメイドたちに見つからずに済んだものの、足腰立たなくなるまで身体を貪られ、ベテランメイド長には「どこでサボっていたのですか!」と叱責される羽目になった。シロより少し年上の若いメイドたちは、シロの夢見心地な顔と身体から漂う甘い香りで何かを察したらしく、赤面して息を荒くしていた。

 

 ユリエルは例の事件以来、こうして突発的にシロを襲うことが多くなった。ほとんどは王宮での仕事中に、ときには市場への買い出し中に、後輩メイドたちへの指導中にふらりと現れては、シロを強引に物陰へ引きずり込んで愛撫する。

 

 シロも悪い気はしなかった。単純にユリエルと会える機会が増えて嬉しかったし、ともすれば暴力的な快楽を身体に刻まれることで、ユリエルとより深く繋がれる気がした。

 

 しかしそれにも限度がある。

 

「シロ先輩、虫にでも噛まれたっすか?」

「へ? あ……」

 

 きっかけは湯浴みだった。桜の国から流入した木製の浴槽に湯を張って、そこにメイド仲間たちと浸かっていたときのことだ。

 

 シロの華奢な身体に、赤い痕が刻まれている。首筋、へその下、両の内もも。言わずもがなユリエルのキスマークである。

 

「せっかく白いきれいな肌なのに……痛くないっすか?」

「うひゃん!」

「うひゃん?」

「こらっ、やめい! すみませんシロ先輩!」

 

 後輩の一人が気安く首元のそれに手を伸ばしたので、シロは飛び上がった。特にそこが弱いわけではないが、連日ユリエルに求められたことでシロの身体は全身が敏感だ。

 

 もう一人の後輩は無作法な同僚の頭をつかみ、湯船に沈めて平身低頭している。そんな彼女たちに「平気平気」と苦笑しながら、ユリエルにはそろそろ釘を差しておかねばと思い立った。

 

 しかしユリエルの貪欲さはとどまるところを知らない。毎日のようにシロの仕事中にどこからともなく現れ、シロは抵抗する間もなく快楽の海に沈められてしまう。変なところに痕を付けるなと言うだけ言ってみたものの、ユリエルは聞かなかった。

 

 このままではいけない。

 

 シロは業の力により体力を底上げされているが、このままユリエルと愛し合っていればいずれ仕事にも支障が出る。メイドの仕事は体力勝負、ユリエルの求めに最大限応じてかつ仕事も十全にこなすとなれば並大抵のことではない。

 

 いつの間にか後輩のできたこともありシロはメイド仕事に愛着を持っている。何より、メイドの身分はユリエルの傍にいられる口実でもある。疎かにしてクビになり、ユリエルと離れることだけは避けたい。

 

 その思いがシロに力を与えた。

 

「ゆ、りえる、ダメ……ダメだってば!」

 

 ある日、いつものように王宮内の空き部屋に連れ込まれ、テーブルの上へ押し倒されていたときのこと。たくし上げたメイドのエプロンで両腕を頭上に拘束されていたシロは、鋭い制止の声を発した。

 

 いつにないシロの強い視線を受け、ユリエルは愛撫の手を止めきょとんと首をかしげる。

「どうして?」

「最近やりすぎ。私は物じゃない。もうちょっと私の気持ちも考えなさいよ、バカ」

「……ごめんなさい」

 

 今度はシロが驚く番だった。

 

 ユリエルは思いがけず悲しげな顔をして、シロの上から退く。叱られた子供のようにしおらしくうつむいて、その場に立ち尽くす。まぶしい百合王冠の輝きさえ、今はくすんでいるようだ。

 

 シロが乱れた服装と髪を整え、半目でじとっと睨みつけても黙っているので、シロの方から口火を切る。

 

「何を落ち込んでんの。このくらい笑って受け流すのがユリエルでしょ」

「……いいえ、確かに私がバカだったわ。毎日毎日、迷惑だとは分かっていた。だけど止められなかったの」

 

 迷惑ではない、と言いかけたのをかろうじてこらえた。むしろシロは強引に迫られ求められることが癖になりそうだったが、認めるのは癪だしそれよりも気がかりなことがある。なぜユリエルが暴走したのかだ。

 

「なんで?」

「怖かったの」

 

 うつむいたまま拳をぎゅっと握るユリエル。

 

「あなたが気づかないうちに、どこか遠くへ行ってしまう。もう会えないどこかに行くんじゃないかって、怖くなったの。大切な人が手の届かないところで傷つくのって、あんなに心細いのね」

 

 シロは納得するとともに、申し訳なさでいっぱいになった。

 

 ユリエルは先の事件でシロのことが心配になったのだ。たくましい二人の妹や女王が身内なだけに、シロの弱々しさが尚更気がかりなのだろう。

 

 シロはユリエルに歩み寄って、優しく手を握りこむ。

 

「大丈夫。私にもよくわからないけど、業の力はすごいのよ。どんなに傷ついても決して死なない。いなくなるなんてありえないわ」

「そういう問題じゃない」

 

 顔を上げ、険しい声。

 

「シロ、あなたは優しすぎる。自分を大切にできない優しさは身を滅ぼすの。力があるからって自分を省みないのは良くないわ」

「そう、なの?」

「そうなの! もう、だから不安なのよ……」

 

 ユリエルはらしくないため息と共にうつむく。シロが心配げに覗き込もうとすると、弾かれたように顔を上げ、そこには平生の明るい勝ち気な笑顔が戻っていた。

 

「まあいいわっ! 私があなたを愛してるってことだけ、とりあえず覚えておいて!」

「はいはい、それはもう身をもって分かってますとも」

「それじゃ仲直りの印に……口づけをしたら、結局いつもと同じになってしまうわね、他に何かないかしら?」

 

 腕組みをして一秒と経たず「そうだわ!」と閃くユリエル。

 

「おいしいパイを焼きましょう! 一緒に食べて仲直りよ!」

「えー、生焼けは勘弁してよ?」

「このユリエルが同じ失敗を繰り返すと思って? 最高のパイを約束するわ! シロの真っ平らなパイと違って分厚いやつよ!」

「なんで私を引き合いに出したこら触るな色欲バカ姫がっ!」

 

 真っ平らな胸に伸ばされた手をはたき落とす。

 

 ユリエルは悪びれずに笑うと、くるりとターンして部屋の出口へ向かう。

 

「明日はお休みよね! おやつ時にこの部屋集合よっ!」

「あ、ちょっと」

 

 呼び止めたのも聞かずに飛び出していくユリエル。

 

 シロは口を尖らせてから、恥ずかしげに相好を崩した。別に呼び止める要件はなかったが、なんとなくもっと一緒にいたくてつい口が動いてしまった。惚れ込んでいる自分に呆れてしまう。

 

 シロは姿見の前でもう一度念入りに身だしなみを整え、部屋を出た。同時に王宮の外から鐘楼の重々しい音が聞こえる。昼ゴン、と呼ばれる都の時報だ。

 

 この音が鳴ったということは、メイドたちも特別の事情がない限り使用人用の食堂でお昼休みとなる。あまりメイドの仕事が進まなかったシロは後ろめたい気持ちを抱えて、食堂へ足を向けた。

 

 長い回廊を進む道中で考えるのはもちろんユリエルのことだ。

 

 優しすぎる、自分を省みない。ユリエルはシロのことをそのように評し、心配していた。

 

「優しくなんかない」

 

 シロは首を振った。優しさが自分よりも他人を尊ぶことを意味するのなら、けっしてシロは優しくない。少なくともシロ当人はそう思っている。

 

 根拠はヤーツェのことだ。

 

 傷つき裏切られたシロを癒やした優しい少女。シロは彼女を命よりも大切な親友のように見ていたし、彼女が病に蝕まれいたことがやるせなかった。できるならこの苦しみを代わってあげたいとすら考えた。

 

 しかし奇しくもその思いの通りにシロが売られ、ヤーツェの命が救われると姉から告げられたとき。そして売られた先で凄惨な拷問に遭ったとき、シロはヤーツェを恨んだ。どうして自分がこんな目に、どうしてヤーツェばかり助かって自分が、と。

 

 だからシロは優しくない。他人が大切なふりをして、結局いざ余裕を失えば我が身ばかりがかわいいのだ。悪党ではないにせよ、決して優しすぎると言われるほどではない。

 

 考えていると自己嫌悪に陥ってしまう。

 

 シロは大きなため息と共に、かつての友の名を口に出した。

 

「はぁ、ヤーツェ……」

「なぁに?」

 

 あどけない返答にシロは足を止める。

 

 止めざるを得なかった。耳からするりと入り込んだ声音が記憶を揺らし、理解と共に少しずつ拍動が強まり、艶のある頬を冷や汗が伝う。

 

 あり得ない。彼女がここにいるはずない。しかしすぐそこで声がした。

 

 驚愕と混乱、わずかな期待を抱えてゆっくりと振り返る。

 

「ヤー、ツェ?」

「うん、ヤーツェだよ。呼んだ?」

 

 そこには声の主、ヤーツェが立っていた。そこにいるのが当たり前のように平然と、シロの呼びかけに小首をかしげている。なぜか右手だけを背中に回しているのは不自然だった。

 

 二年前の幻覚ではない。というのも、目前のヤーツェはシロの記憶にあるより成長しているのだ。同じ程度だった背丈はシロより頭一つ分は高くなり、胸と腰元はより丸みを帯びて女性らしさを増している。ゆったりとした青いワンピースに身を包み、左手の中指には姉のナナル手製の指輪。腰まで伸びたハチミツ色のブロンドが、回廊に差し込む陽光を受けてきらきらと煌めいている。

 

 シロは白昼夢でも見ている気分だった。覚束ない足取りで少しずつヤーツェに近づいていく。

 

「本当にヤーツェなの? 夢じゃないわよね?」

「本当だってば。久しぶり。二年七ヶ月十三日ぶりだよ。ここでは『シロ』で通ってるんだって?」

 

 ヤーツェは何気なくシロの本当の名前で呼びかけた。忙しく過ごしているうちに『シロ』の方がすっかり浸透してしまい、明かす時期を逸したその名前は、この国ではユリエルすら知らない。

 

 シロはとたんに懐かしさが感極まって、成長したヤーツェに飛びついた。

 

 暖かくて優しい感触。膝枕の柔らかさが昨日のことのように思い出せる。霊場の豊かな緑の香り、川のせせらぎ、小屋から漂ってくる甘いパイの匂い。間違いなく本人だ。

 

「ヤーツェ、ヤーツェ! 会いたかった、会いたかった……生きてて本当に良かった……!」

「うん、私も会いたかった。ずっとずっと」

 

 二人は強く抱き合った。会えなかった二年を埋め合わせるように、身体と身体の隙間を欠片も残さないようにぎゅっと抱き合う。

 

 ぬくもりと鼓動をしばし感じてから、シロは身体を離そうとする。ヤーツェは離さなかった。右手は後ろに回したまま、左手だけでシロを捕まえて離さない。

 

 シロの頭にやっと現実感が戻り、違和感を覚える。ヤーツェは何をしにきたのかも気になるが、そもそもなぜここにいられるのか。折しも諜報部隊『女郎蜘蛛』の設立と共に宮殿の安全保障が見直されており、外部の人間が回廊まで入り込むのは難しい。にも関わらずどのようにシロの居場所まで狙いすましたように会いに来たのか。

 

 シロはこの疑念をひとまず捨て置いた。

 

 なにしろもう会えないと思っていた相手だ。魂の病を抱えた上、故郷まで滅んだ大切な友達。そんなヤーツェに会えたのだから、細かいことは後でいいだろう。

 

 と、気楽に構えた代償は大きかった。

 

 ヤーツェが背に隠していた右腕を、おもむろにシロの背へ回す。何か固いものが二本、肩甲骨のあたりにあてがわれた。

 

「君は……シロは変わらないね。あのときと同じでちっちゃいまま」

「あんたが成長しすぎなのよ。ナナルさんも老けちゃったんじゃない?」

「……ほんと、変わらない」

「え?」

「||__||_|_|__|: 発動『業衝く針』」

 

 聞き覚えのある奇怪な発音に悪寒を覚えたときには遅かった。肩に押し当てられた何かが急激に押し込まれ、シロの背中を穿つ。痛みに声もあげられず倒れこもうとするが、シロを抱くヤーツェにもたれかかる形になる。

 

 シロを貫いているのは業を抑圧する特別な魔法の道具、業衝く針だった。針というより杭のように太い青い棒が、シロの肩甲骨から肋骨を砕き肺にまで達している。

 

「かひゅっ……」

 

 肺に血が満たされ、呼気と混ざり合った血の泡がシロの口から漏れ出る。反射的に空気を吸っても窒息感と痛みが増すばかりで、シロは想像を絶する苦しみで意識が薄らいでいく。

 

 かすれる視界の中に、ヤーツェの慈愛に満ちた微笑みが見える。

 

「変わらないね。そうやってかんたんに誰かを信じて裏切られちゃうところ」

 

 ヤーツェは服の袖で血の泡を優しく拭う。拭いても拭いても新たに出てくるそれを、繰り返し拭う。

 

「だけど安心して。お姉は殺した。魔法の国も潰した。もう誰も君を裏切らない。私は君の味方だから。私だけが──」

 

 意識が暗転する間際、シロは確かに聞いた。悪意など欠片も感じられない、純粋な優しさに満ちたヤーツェの決意を。

 

「私だけが、君を守るから」

 

 シロは何を考える余裕もなく、ヤーツェに優しく抱かれながら窒息して意識を失うのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 鉄臭い匂いと激しい痛みに呻きながら、シロは重たいまぶたを開けた。周囲を見回すため首に力を入れると肩が千切れんばかりの苦痛を発し、声にならない悲鳴をあげる。

 

 喘ぐように浅く呼吸してどうにかゆっくり後ろを向くと、青い杭が肩に突き刺さっていた。業の力を抑圧する業衝く針だ。半端に再生された肉と骨の隙間に食い込んでおり、抜いたときの激痛を想像したシロは血の気の悪い顔を更に青くした。

 

 針を見ないように目をそらし、現状を確認していく。場所は薄暗く相当に広い空間だ。土がむき出しの床壁天井は不自然なほど平らに均され岩のように固い。高い天井に吊るされたいくつかの小さなランタンは全体を照らすのに足りず、壁際の暗がりから不気味なうめき声が反響している。

 

 痛みに歯を食いしばり立ち上がろうとしたところで、シロは手首の鉄枷にやっと気づいた。頭上で束ねられた両腕が固い土壁に鎖で繋がれており、座した姿勢を変えられない。

 

 力なくがっくりうなだれつつもシロは頭を回す。考えるのは気絶する前の記憶だ。ヤーツェが突如王宮内に現れ、例の忌々しい針で自分を刺した。となるとここに連れてきたのもヤーツェだろうか。

 

 その疑問に応じるように、暗がりから足音が響く。小走りのそれは徐々にシロへ近づき、明かりに照らされ予想通りの姿をあらわにした。

 

「ヤーツェ……」

「良かった、やっと起きた。痛いことしてごめんね、びっくりしたよね」

 

 一抱えもある革張りの本を大切そうに抱きしめ、無邪気に笑うヤーツェ。いたずらが成功した少女のような口ぶりは、シロを刺して拉致した現状と致命的にずれていた。気絶する前はきれいに青かったワンピースが返り血の斑模様で汚れている。

 

 シロは息も絶え絶えに懇願した。

 

「ごめんって言うならこれ抜いて、枷も外して……お願いよ。すごく痛い、痛いの」

「ダメ。そんなことしたら、業の力ですぐに出てってまた誰かに騙されちゃうよ。シロは純粋ないい子だから」

「騙される……? 意味が分からない、何を言ってるの?」

「やっぱり気づいてないんだ。かわいそうなシロ……でも大丈夫、私が守るから」

 

 シロの頭が困惑で満たされた。ヤーツェの言うことが何一つ理解できない。同じ言葉で話しているはずなのに思いが伝わらない。根本的な何かが食い違っている気がした。

 

 ヤーツェはシロの表情を見て取ると、しゃがんで視線を合わせシロの頬に優しく手を添える。

 

「事情は必ず説明する。けどその前に、せっかくだから見てほしいものがあるんだ」

 

 返事も待たず立ち上がり、天井に向け腕をさっと振るうヤーツェ。魔法の一種だろうか、ランタンの火が急速に強まり広い空間をあますことなく照らす。明らかになった部屋の惨状を前に、シロはひゅっと息を呑む。

 

 青いローブを身に着けた魔法使いたちが十数人、シロと同じように拘束され壁際に並んでいる。シロと違う点は全員脚部を太ももの半ばから切断され宙吊りになっていることと、人によっては鼻が削がれたり眼球が飛び出ていたりして生気がないことである。

 

「怖がらなくて大丈夫。みんな舌を抜いて魔法を使えなくしてあるから」

 

 シロの怯えた顔をどう受け取ったのかヤーツェは穏やかにそう言って、半死人魔法使いの一人に近づく。

 

 魔法使いの目前でしゃがみ、大きな革張りの本を開いてページを繰っていく。

 

「ええとこの人は……『腹部を切り開き素手により臓器へ直接損傷を与える』か。えい」

「……っ!」

 

 ヤーツェが魔法使いの腹に手を添え縦に動かすと、幕が開くような自然さでローブもろとも腹が切り裂かれ、ぬめぬめした臓物が露出する。魔法使いが死にかけの獣じみた絶叫を上げるものの、ヤーツェは構わず素手を中につっこみむちゃくちゃに臓物をかき回し始めた。ぬちょぬちょ、ぶちぶち、と水気のある音と共に赤黒い汁が飛散し、すさまじい臭気が立ち込める。

 

 しばらく夢中でハラワタを撹拌していたヤーツェだが、魔法使いがとっくに息絶えていることに気がつくと、不満げに頬をふくらませる。

 

「もう死んじゃった。シロの受けた苦しみはこんなものじゃないのに……もう!」

 

 もう、と言いながらヤーツェが指をひとふり。すると、飛散した内臓の破片や血しぶきが死体に集まってくる。汚れが集まったところで拳を握りこむと不思議なことに、魔法使いの死体は肉の『球』と化した。全方位から不可視の圧力にさらされたように、文字通りの肉塊へと整形されたのだ。球はふよふよと宙を漂い、部屋の隅に設けられた穴へ姿を消した。

 

 ヤーツェは座ったまま隣の魔法使いの前へいざり、また本のページをめくる。たまらずシロは叫んだ。

 

「な、なに、何をしてるの!? やめて、やめなさいヤーツェ!」

「えっ、あーごめん、夢中になってた。今ね、仕返ししてるんだよ」

 

 ヤーツェは得意げに本を掲げて見せる。

 

「この本にはね、シロが魔法の国でされたことの全部が載ってるんだ。知識の塔から盗んできた。あと、この人たちはシロにひどいことをした張本人。百合の国の人たちに迷惑かけてばかりの嫌な連中だから、死んでも平気だよ。まあ行方不明事件扱いで、黒百合には無駄な苦労をかけているけど」

 

 魔法の国の魔法使いたちは知識の集積に余念のない集団だった。熱に浮かされたようにシロへ拷問を繰り返していた際も記録をつけ、知識の塔へ収めるのを止めなかった。その成果である一冊をヤーツェは盗み出し、難民村からめぼしい魔法使いたちを攫っては、人物と拷問内容を照応し私刑を行っているのだ。

 

 シロの頭は理解を拒み、否定と反論の欲求であふれる。しかし目の前の状況が何よりの証拠となって否定を許さず、いささか的外れな反論を口走らせる。

 

「ち、知識の塔は崩れたんでしょ。中身を盗めるはずない」

「あ、逆だよ逆。崩れてから盗むんじゃなくて、盗んでから崩したの」

「えっ」

「私がぶっ壊したんだよ。倒れる方向も調整してね、魔法の国といっしょにシロの故郷も潰した。シロに酷いことをしておいて、生きてていいわけがないもの、ねえ?」

 

 ヤーツェは魔法使いに指を一本向けた。宙吊りにされた魔法使いの身体はゆっくりと左方向へ回転し、捻じれ、腕と太ももがみちみちばきばきと絡まり合って、次には胴体もねじれ始め、魔法使いはほどなく口と肛門から臓物を飛び出させて絶命した。

 

 死体を同じく球にして処理するとヤーツェは一度本を閉じ、シロに向き直る。爛々とした瞳に睥睨されたシロは逃げ出したい衝動に駆られるが、業を抑圧された今抵抗の術はない。

 

 ヤーツェは震えるシロを愛おしそうに眺めながら、その思惑を語り始めた。

 

「君が売られた後、私が気づいたときにはもう全部遅かった」

 

 シロが売られた後、姉のナナルは魔法の道具によりヤーツェを昏睡させた。シロの不在を追及されるのを恐れたのだろう。

 

 昏睡したヤーツェは魔法の都に運ばれ、手厚い魂の治療を受けた。シロの売却による莫大な資金で複数の魔人級魔法使いへ依頼を出し、本来不可触の魂を改変する大手術が実行された。これによりヤーツェは身体を蝕んでいた強力すぎる魂の波動から開放され、人並みに生きることが可能となった。

 

 世紀の大治療は一年半に及び、ヤーツェが目覚めたときには都の病床だったという。

 

「あの子はどこ?」

 

 意識が戻ってすぐにシロの行方を尋ね、姉のナナルは正直に答えた。治療費のために売った。妹が大切だった、と。

 

 だからヤーツェはナナルを殺した。

 

 姉を殺してすぐにシロを助けに行こうとしたが、シロの囚われる魔人用のアトリエは一般人が入り込める場所ではなかった。どうにか助ける方法を探るためアトリエの周囲をうろつき、情報を求めた。そして魔法の国のもっとも有名な情報源は『知識の塔』であり、ヤーツェはシロが二年間どのような扱いを受けていたかを知って──皆殺しにしよう、と考えた。

 

 決意と共に力があふれ、塔の根本が捻じ切れた。元より強力に過ぎる魂の波動が感情爆発により増幅され、魔人たちの施した魂の術式をふっとばして荒れ狂い、すべてを破壊する力場の嵐と化した。

 

 塔を崩してからすぐにシロの元へ向かったが、その時にはすでに業の力で山を超えている最中だったのだろう。ヤーツェは絶望し、荒れ狂う力のままに魔法使いたちを虐殺していき、わずかな生き残りたちから「魔神」と称されるようになった。

 

 そうしてしばらく経ったころ、魔法使いたちへの私刑を一通り済ませてからようやくヤーツェの心が上向いた。

 

 シロはどれほど辛い目に遭っても生きようとあがき、川に流されヤーツェと出会った。もしかするとどこかに逃げたのかもしれない。まずは山の向こうにあるらしい百合の国へ探しに行こう。

 

 ヤーツェは山脈を迂回し、難民たちに紛れ海路で百合の国へ入り──『シロ』の噂を聞きつけた。王女と秘密の逢瀬を重ねる、白い小さなメイドのことを。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「会おうと思えばすぐ会えたんだ。でも難民に紛れて悪い魔法使いがたくさん入り込んでたから、仕返しを優先したの。本当はみんな殺すまで会わないつもりだった──だけどこれ以上シロが騙されるのは我慢できなかったの」

「だ、騙される? どういうこと?」

 

 ヤーツェは憐れむように目を伏せた。

 

「シロの噂はたくさん聞くよ。第一王女だけじゃなく第二王女からも言い寄られてる。若いメイドさんたちからすごくかわいがられてる。健気な頑張りもの、愛されてる女の子。今とっても幸せでしょ、ねえ?」

「そ、そうね、それがどういう……」

「ぜーんぶウソだよ。騙されてるの、シロは」

 

 唖然とするシロに、ずかずかと大股で近づくヤーツェ。本を投げ出し、両手でシロの顔を挟んで鼻先まで顔を寄せる。

 

「だってお姉が、お姉があんなひどいことしたんだよ? 誰よりも優しくて頭が良くて最高のお姉ちゃんで、シロのことを妹みたいにかわいがってくたくせにっ、お姉と私と君で本当の家族みたいだねってずっと思ってたのに、お姉はどんなときでもきっと私を悲しませるようなことしないって信じてたのに、なのに、なのにっ!」

「ぐ、ぅ……っ!?」

 

 ヤーツェの手はするりと首元へ下がり、メイド服の襟をつかんで激しくシロの身体を揺さぶる。首がしまり、背中の杭が揺れる痛みでシロの意識が今にも飛びかける。

 

 失神寸前でヤーツェは動きを止め、はらはらと涙を流してシロの身体に抱きついた。杭の傷口に腕が当たりシロは悲鳴を上げる。

 

「あ、ああっ、痛い、痛い!」

「シロのことが本当に大好きだったんだよ」

 

 今にも消え入りそうなささやきが、シロの耳元で紡がれる。

 

「私は私が大嫌いだった。お姉のお荷物でしかない自分が憎くてたまらなかった。何もする気が起きなくて、生きてる死体みたいに毎日過ごしてた。そんなときに君が来たの」

 

 回された腕に力が入り、シロの肋にヒビが入る。痛みの波は思考を奪い、ただ吐息とよだれを漏らしてシロは痙攣している。

 

「牢獄にしか思えなかった霊場の森が、君と一緒だと楽しくて仕方なかった。お姉のパイがあんなにおいしいことに気づくことができた。周囲を捻じ曲げるしか能のない私の魔法を、すごいすごいって褒めてくれたね。とてもとっても嬉しかった。私に生きることを教えてくれた君が、大好きだった」

 

 だから、と言葉を切るヤーツェ。放心しているシロと無理やり目を合わせ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

 

「これからは私が守る。君を傷つけるやつは皆殺し。傷つけたやつには仕返しする。君を愛していいのは世界でたった一人、私だけなんだよ。だって他のやつらはシロを騙して裏切って傷つけることしか考えないんだもん。私だけは違うから、安心してね」

 

 何を言っているのかよく分からなかったが、苦痛の連鎖でしびれる頭でも、シロはヤーツェが誤解の果てに暴走していることを察することができた。だからといって諌める言葉も思いつかない。爛々と輝くヤーツェの瞳にはまるで正気がなかった。

 

 しかし次の一言を受け、シロのおぼろげな意識は急速に覚醒する。

 

「まずはこの場で仕返しを終わらせるよ。それから例の第一、第二王女を殺す。メイドたちも、シロが仲良くしてるやつらみんな殺す。どうせシロを裏切るに決まってるもん。みーんな嘘つきの大悪党。お姉みたいに、ねえ?」

「ダメっ! うぐっ」

 

 思わずヤーツェにすがりつこうとするシロだが、枷に腕を引っ張られ肩に激痛が走る。

 

 ヤーツェは慎重な手付きで、そっとシロの頭を撫でた。

 

「シロは優しいから、誰も疑えないんだね。悪いやつでも助けようとしちゃう。だから動けなくしておいたんだ」

「うっ、く、だ、ダメ……止めて……!」

 

 頭を撫でながら、もう一方の手で背中の業衝く針の先端を軽くつついた。傷口が広がり、抉られ、それでもシロは懇願を止めない。

 

「ヤー、ツェはっ……そんな、残酷なこと、できる子じゃないでしょ……っ!」

「できるよ。シロを守るためなら誰だって殺してみせる。私は、お姉さえ……」

「ウソ!」

 

 シロは歯を食いしばり、涙を流しながら、キッと強くヤーツェを見上げる。

 

「あんた、みんな嘘つきだって言うけど……あんただってウソついてるじゃない! ナナルさんを殺したなんてウソに決まってる!」

「ウソじゃないよ。私が殺した。私はお姉や他の奴らみたいに、シロを騙したりしない」

「いいえ、絶対ウソをついて──むぐっ」

「そんなに叫ぶと、傷口に響くでしょ? 無理しないで」

「む、むむー!」

 

 ヤーツェは懐から取り出した布きれをシロに噛ませると、頬にキスを落として立ち上がり、踵を返した。魔法使いへの私刑を再開しようというのだろう、投げ出した本を拾い上げ、新たな瀕死の魔法使いへ向かっていく。

 

 シロは悔しさと苦しみで涙を流しながら、その背を見つめていた。

 

 ヤーツェは大切な友達だ。友達が目の前で道を踏み外しているのに、頼みの特別な力も言葉も封じられ手も足も出ない。

 

 せめて口さえ塞がれなければ、ヤーツェが目をそらしているウソを現実として突きつけることができる。きっとそれがヤーツェを元の優しい彼女に戻す鍵だとシロは確信している。

 

 しかし今のシロにできることは、身をよじって枷の鎖を揺らす程度である。

 

 無力感でにじむ視界の中に、ユリエルの顔が浮かんだ。ユーリーンの無表情も、スミレのほがらかな笑顔も、後輩メイドたちの純真な微笑みも浮かんだ。叶わぬ望みと知りながら、シロはそのうちの誰にともなく「助けて」と念じ──

 

「んー、匂う」

 

 それとほぼ同時に、黒百合の花弁が舞った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 シロが忽然と姿を消し王宮がにわかに騒がしくなり始めたのと時を同じくして、港町郊外の難民村では事件の捜査が進展していた。

 

 難民として生活していた男の魔法使いたちが多数行方をくらませる集団失踪事件。いっこうに手がかりの得られない黒百合騎士団だったが、女郎蜘蛛の新設により事態は大きく動いた。行方不明者の失踪先と思われる場所の候補が判明したのだ。諜報部隊の面目躍如であろう。

 

「んー、スミレすごい」

「スミレさん天才ですっ!」

「いや、ほとんど何もしてないんですけど……」

 

 黒百合騎士団は団長を始め女郎蜘蛛の能力にいたく感嘆したが、実は大した作業ではなかった。というのも、黒百合が先んじて集めていた失踪者の目撃証言を、場所と時間ごとに分類整理し、関連付け、共通点を洗い出し、点と点をつなぐように怪しい区画を絞っただけだ。

 

 とはいえ証言を集めるだけ集めて途方にくれるだけだった黒百合騎士団には神の所業だった。スミレは団員どころか王女からさえ向けられるきらきらした視線に面映い気持ちになりながら、「じゃあ手分けして監禁場所へ向かいましょう」と促し、それぞれ候補地へ向かった。

 

 監禁といったのは間違いではなく、おそらく行方不明者は何者かに拉致されたとスミレは推理していた。失踪者の目撃証言には「長い金髪の女性」が付随しており、偶然とは思えない頻度から失踪の関係者、すなわち誘拐犯と思われる。

 

 この推理を聞いたユーリーンは、無表情のまま安堵した。元より失踪者の捜索など自分たちの得意とするところではない。罪のない難民を攫う悪者がいるというなら、それこそ悪者を叩いて百合の国を守る黒百合の本懐だ。

 

 まだ見ぬ悪い誘拐犯を楽しみにしながら、ユーリーンは単独で候補地の一つへ向かった。今回に限らず、ユーリーンは類稀な戦闘力に信を置かれ、単独遊撃が現場でのおなじみとなっている。スミレも「黒百合さんのやり方に口は出しません」と受け入れた。

 

 そうしてユーリーンは監禁候補地、難民村の片隅にあたるぼろぼろの小屋に到着した。小屋といっても大きな木の板と布を組み合わせた粗末なものだ。日当たりが悪く水場からも遠いこの地区は居住人数が少なく、ひっそりと静まり返っている。

 

 いかにも怪しい雰囲気だが、ここの他にも怪しい場所が二つあるため、当たりの確率は三分の一。今頃スミレや他の黒百合たちが悪者と戦っているかもしれない。

 

 外れても落ち込まないよう期待を抑え込んで、ユーリーンは中へ入った。四角い隙間にボロ布をかぶせただけの入り口をくぐる。

 

 とたんに濃い腐臭と血の匂いを感じ、ユーリーンは剣を抜いた。常人には嗅ぎ取れない程度のかすかな匂いでも、ユーリーンの嗅覚には引っかかる。匂いは床下から漂っていた。

 

 腐った板の床を進んでいくと、一箇所だけ足音の変わる場所に気がつく。黒百合鎧の重みで床をぶち抜こうとする直前、床板が土くれの地面に敷かれただけであることに気が付き、そっと板を剥がした。

 

 床下には人が余裕で通れるほどの階段が口を開けている。階段は未舗装の土のままだが、何かの圧力により岩のように押し固められている。

 

 暗い階段をためらいなく降りていく。一歩進むごとに血の匂いが濃くなる。

 

 その血の匂いの中に、愛しい白い少女の匂いが混ざっていることに気づいたのは、突き当りの木の扉が見えてきた頃だった。

 

 シロの危機。認識するや否や矢のように駆け出し、扉を蹴破る。蝶番が吹っ飛び、扉が中へ弾け飛ぶ。

 

「んー、匂う」

 

 あまりに濃い死臭に思わず声が漏れる。

 

 ランタンに照らされる広々とした地下空間。壁際には失踪者らしき男性たちが瀕死の状態で、等間隔に吊るされている。

 

 シロは最奥の壁際、ユーリーンの立ち位置の向かいで枷に繋がれている。乱暴をされたのだろうか、幾筋もの涙がランタンの光を反射していた。

 

 位置関係の都合によってシロの背中に杭が打たれているのは見えず、シロから漂う濃い血の匂いは死にかけの男性たちのそれと混ざり合い知覚できない。攫われてイタズラをされた、とユーリーンは牧歌的な断定を下した。

 

「むーっ!」

「黒百合……? 脳筋集団のくせに嗅ぎ付けるのが早い」

 

 猿轡を噛まされたシロが何かを訴える。その傍らに立つ金髪の女性は舌打ちしてユーリーンを睨んだ。

 

 おそらくこの女が下手人だろう。

 

 そこまで理解しても、ユーリーンは怒らない。シロのような子を攫って好き勝手したくなる気持ちは分かるからだ。シロの背中がイタズラでは済まない惨状を呈しているのには気づかないまま、あくまでも冷徹に女性を見据え、黒百合の大剣を構える。

 

 視線を女性から外さないまま、小さく言った。

 

「悪者見っけ」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 先に動いたのはヤーツェだった。

 

「捻じれて死ねっ!」

 

 ユーリーンに手をかざし、不可視の捻れる力で分厚い鎧ごとひねり潰そうとする。

 

 躊躇はない。どうせ姉のようにシロの信頼を稼いでおいて後から裏切るに決まっているからだ。シロを傷つける悪者はたとえ王女だろう女王だろうと排除する。自分にはその義務と力があるとヤーツェは自負していた。

 

 ヤーツェの力は魂が常に発する波だ。これを術理で制御し現象へ転じるのが魔法だが、生まれつき身体機能に干渉するほど強力な波動を持つヤーツェの場合、術理を介さず直接外界を捻じ曲げる。シロを売った金で魂の出力を感情と同調させる施術がなされ、致命的発狂を経た結果、視界範囲内のすべてを意のままに破壊できるようになった。

 

 その力は物理防御の一切を無視する。ユーリーンがいくら分厚い鎧を着込み剣の腕が立つといっても、ヤーツェの正面に立った時点で勝敗は決していた。

 

 ユーリーンの顔が苦悶に歪み、黒百合の鎧ごと身体をひしゃげさせて捻じ切れる──そんな光景を夢想し口端を吊り上げていたヤーツェは、驚愕に目を見開いた。

 

「変わった力」

「は、え……!?」

 

 ユーリーンは無造作に剣をひと振り。魂から直接発された殺意の力が切り裂かれ、黒百合の花弁が舞う。

 

 驚きながらもすかさず全力の波動を飛ばすが、ユーリーンはいとも簡単に見えない波を見切り、黒百合の花弁を散らして切払う。勘や偶然ではあり得ない精度だ。

 

 歯噛みして攻撃を中断するヤーツェに、ユーリーンは無表情を崩さない。

 

「……これだけ?」

「何なんだお前。あり得ない。現象化していない非実体の力をなぜ切れる!」

「百合の力はありとあらゆる原理原則を超越する。あり得ないはあり得ない」

 

 もはや理屈と呼ぶのも怪しい理不尽な言い分に、ヤーツェだけでなく苦痛に呻くシロさえ目が点になった。

 

 攻勢の緩んだそのとき、ユーリーンは大剣の切っ先を突きつけ、あけすけに言ってのける。

 

「降伏して。さもないと、酷い屈服を味わうことになる」

「……へぇ、生け捕りにしようって? 随分舐めたこと考えてるね」

「舐めてはいない。百合を穢す世の汚濁を悉く抹殺し、以て百合を守護すること。それが黒百合騎士団の理念」

 

 故に婦女子を傷つけることはできない、とユーリーンは結んだ。

 

 シロは頭の痛い思いだった。言われてみればスミレは黒百合に捕まる際いっそ死にたくなるような辱めを受けたと語っていたので、そういった理念もあるのだろう。しかし捕まえようとしている当人に明かすことではない。

 

 ヤーツェはギリギリと歯を噛み締め、地団駄するように足を大きく振り上げた。

 

「それが舐めてるって言うんだよ、このクソ悪党がっ!」

 

 だん、と土を踏み鳴らすと共に、壁床天井が波打つ。不可視の力が土を操り、歪み捻じれた螺旋状の土槍となってユーリーンの全方位から迫る。

 

 ユーリーンは踊るようなステップを踏み、槍衾の隙間へと入り込む。そこへ新たに生成された槍が穿つ。しかしユーリーンはまるですべて読んでいるかのように、するりするりと槍衾をすり抜け、ときに剣でいなし逸らし、鎧の表面を滑らせてやり過ごしていく。それと並行して直接身体へ捻れる力が向けられるも、ユーリーンは回避動作を続けながら流れ作業で切払う。恐ろしいことに、全方位攻撃の回避と迎撃をこなしつつ、ユーリーンは徐々にヤーツェとの距離を詰めていた。

 

 大剣の間合いにヤーツェが入る。攻撃に熱中していたヤーツェは気づくのが遅れた。

 

「しまっ……!?」

 

 黒い剣閃と百合が舞う。

 

 とっさに腕を前にして目を閉じたヤーツェだが、数秒経っても衝撃や痛みがやってこない。その代わりなぜか素肌に寒気を感じ、おそるおそる目を開けた。

 

 目の前にユーリーンが大剣を振り上げた姿勢で残心している。気休め程度に後退って間合いの外へ出たところで、ヤーツェは異変に気づいた。

 

 ヤーツェの青いワンピースがぱさり、と音を立てて床に落ちる。あのひと振りの間に幾度の斬撃があったのか、ワンピースは落ちると共に細切れの布へ変わった。肌着だけにされたヤーツェは半身になって胸元をかばう。

 

 ユーリーンは抑揚のない声で、冷徹に宣告した。

 

「婦女子を傷つけない。だけど尊厳を踏みにじる。そして屈服させる」

「この、外道……!」

 

 苦し紛れにヤーツェから放たれた捻じれる力を切払い、大剣が振るわれる。ヤーツェは屈辱と羞恥で顔を真っ赤にした。

 

 黒百合騎士団は武力を売りにしており、その団長であるユーリーンは王女の身でありながら歴代最強と称される。相手が凶悪な犯罪者の場合、理念に則り男なら抹殺、女なら優しく捕まえる。その方法とは、圧倒的な実力差を見せつけプライドを傷つけた後、尊厳を踏みにじるというものだ。

 

 もっとも、百合の国では犯罪者が極めて少なくいたとしても抵抗はしないことが多いため、実行したのはスミレを見つけたときが初めて。ヤーツェに対する今が二度目だった。

 

 距離を詰められたヤーツェは成すすべもなく肌着まで刻まれ、全裸に剥かれてしまう。白く健康的で均整のとれた女体が露わになった。

 

「だから、どうしたぁっ!」

 

 悔しげに身体を庇っていたヤーツェは、出し抜けに正拳突きを繰り出す。間合いの外のためユーリーンは避けるそぶりすら見せなかったが、これが災いした。拳の動きに連動した魂の力が飛び、胸元に命中する。

 

 厚い鎧の胸板に防がれダメージは皆無だが、ユーリーンがわずかによろめきスキができる。そこへすかさず土の槍衾と捻れる力が全力で放たれた。

 

 難なく攻撃をいなしがらも、ユーリーンは眉をひそめる。手加減されながら全裸にされてもなお抵抗を続けられるとは考えていなかった。身体を傷つけない範囲でこれ以上屈服を促す手段はあるのだろうか。

 

 きれいな長い金髪を少しずつ切り落としていこう。そう考えたところで、まだヤーツェが裸にはなりきっていないことに気がつく。

 

 肌着は上下ともに刻まれ、局部を隠すものはない。それでもヤーツェの指には、見るからに上等な指輪が輝いている。

 

 ユーリーンは迷いなくその指輪に狙いを定め、剣を振るった。

 

 三日月型の黒い剣閃がヤーツェの手先を掠め、

 

「あ……」

 

 きん、と高い金属音を響かせる。呆然として動きを止めるヤーツェの視線の先で、真っ二つにされた指輪が地に落ちた。

 

 ヤーツェの指には掠り傷すら付いていない。動きの激しい手先を狙うばかりか、指から外れる形で金属を切断する絶技だった。

 

 どうやらその指輪はよほどヤーツェにとって大切なものだったらしい。ぺたん、とその場に座り込み、指輪を前に放心している。

 

 ここぞとばかり、ユーリーンは指輪を思い切り踏みつけた。

 

「ああっ、だ、だめぇっ!」

 

 悲痛な声に構わずユーリーンは指輪を丹念に踏みにじっていく。理念の範囲内であればユーリーンはどこまでも残酷になれる。黒百合の花弁を模した具足の重みにより、靴底で指輪がひしゃげる感覚がした。二つに切断された指輪を交互にぐりぐりと踏みつける。

 

 ほんの十数秒で、指輪は不細工な金属片へ姿を変えた。

 

 元の輝きなど想像もつかない汚らしい欠片。震える手でそれらをつまみ上げ、わなわなと震えるヤーツェ。

 

 ユーリーンは彼女の目の前にしゃがみこんで、最後のダメ押しをする。

 

「大人しく降伏すれば、こんなことにならなかった」

 

 これで終わりだ、とユーリーンは思い込んだ。

 

 この指輪がどれほど大切なものだったかは知ったことではないが、涙すら流さず現実を受け止めきれない様子のヤーツェからは、抵抗する気迫がまるで感じられない。きっとうまい具合に心が折れたのだろう。

 

 その見立ては間違ってはいない。

 

 ただ、ヤーツェの心はもっと以前に折れるどころか粉々に砕けていた。歪み捻じれた精神が魂と連動し、平生とはかけはなれた大出力を発揮する。

 

「これは、お姉の、お姉が、くれた……」

 

 地下空間全体が縦に揺れた。もはや跳ねた、と言っても過言でもない激震。大出力の波動が地下室そのものを揺らしているのだ。それはシロが魔法の国を逃げ出すきっかけともなった、あの日の揺れに酷似している。

 

 シロは枷に繋がれたまま宙に投げ出され、ユーリーンは中空でくるりと回転し態勢を整える。次にどんな手を打たれても対処できるよう身構えるが、さすがに地に足がついてない状態ではどうにもならなかった。

 

 振動に打たれた地下空間の天井に亀裂が走る。そこへさらなる揺れが重なると、天井はまたたく間に崩落を始めた。

 

 そうして少女三人を圧死させるには十分な大質量が降り注ぐ中、ユーリーンが最後に見たのは、

 

「お姉、お姉……」

 

 咳き込んで血の涙を流しながら、うわごとのようにそう繰り返すヤーツェの姿だった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 難民村郊外の一画が、局所的な土砂崩れの後のようになっていた。ヤーツェが私刑のために見えざる魂の力で無理やりこさえた地下室は、難民小屋十数軒分の敷地をぶち抜く広さを誇り、寂れた区画がほとんど丸ごと陥没し瓦礫と土塊の墓場と化している。

 

「あれ……?」

 

 もうもうと立ち込める土煙の中、シロは目を開けた。生き埋めを覚悟していたのになぜか苦しくない。それどころか背中の痛みさえ消えており、恐る恐る見てみると業衝く針が消えていた。元々骨と肉に引っかかるような刺さり方だったため、崩落の衝撃で飛んでいったのだろう。抑圧されていた業の力が働き、傷口はすでに完治している。

 

 繋がれていた壁も無論消失しているが、鎖と枷だけはしつこく両手首に残っていた。

 

「ユーリーン様はいいとして……」

 

 枷を外せないかと四苦八苦しながら独りごちる。ユーリーンの心配はしていなかった。ちょっと想像の埒外にあるレベルで強いことは戦いぶりからして分かったし、崩落の寸前に黒百合の花弁を散らしながら転移して離脱したのが見えたからだ。

 

 残った問題は一つだけ。ヤーツェのことである。

 

 枷がどうやっても外れないので、シロは諦めた。そのタイミングで土煙が晴れ、崩落の惨状に息を呑む。

 

 地上の小屋と地面がめったやたらと積み上がる大惨事。しかし不自然なことに、シロを中心とする広い円形の範囲には、瓦礫の一つさえ落ちていない。まるで見えない力がシロを守ったかのようだ。

 

 そしてその力の使い手は、すぐそこにいた。

 

「ヤーツェ」

「し、シロ……」

 

 全裸で地面にうずくまる金髪の女性、ヤーツェである。無残にひしゃげた指輪だったものを握りしめ、大粒の涙を流している。

 

 シロは血とほつれだらけのエプロンを脱いでヤーツェに羽織らせようとするが、枷があるせいで脱ぐことができず、むっと口を尖らせて諦めた。ヤーツェの隣に歩み寄り、座って目を合わせる。

 

「やっぱり嘘つきだった。あんたはナナルさんを殺してない」

「へ……?」

「だってナナルさんを殺すくらい恨んでたなら、その指輪してるはずがないもの。壊されてこんなに怒ることもなかったはずでしょ」

 

 こんなに、と言って周囲の惨状に目をやるシロ。ヤーツェは困惑したように忙しなくまばたきした。その瞳に先刻までの狂気はなく、代わりに懐かしい理性の光がある。

 

 シロはヤーツェの指輪のことがずっと引っかかっていた。ナナルを恨んで殺したというなら、なぜ手製の指輪をいつまでも付けているのか。一国を滅ぼし、優秀な魔法使いを一方的に攫い、魔神と呼ばれるほどの力があるくせに、なぜ恨んだ相手からの贈り物を捨てないでいるのか。殺したというのがウソだから、とシロは確信していた。その確信は指輪が破壊された折の動揺を見るに、正しかったらしい。

 

 ヤーツェは往生際悪く首を横に激しく振った。

 

「違う、違うよ……私が殺したの……私のせいで……」

 

 地面が揺れる。ヤーツェの取り乱すのに連動し、魂の波動が荒れ狂う。土くれの地面から捻じれた土の槍が無数に飛び出し、ヤーツェとシロを囲むように槍衾の林が出来た。

 

 巻き込まれたらたまらない。シロは痛みを恐れ、ヤーツェの身体へ逃げるようにすり寄った。

 

 するとヤーツェの身体の震えが収まる。そして大きな深呼吸を挟み語りだしたのは、ずっと目を背けてきた現実だった。

 

「自殺だったの」

 

 ナナルはヤーツェが治療を終え、目を覚まして間もなく自殺した。

 

 原因は目覚めの直後に交わされた、姉妹の会話だ。

 

『あの子を売った……? そのお金で私を、って、本気で言ってるの……?』

『こんな冗談間違っても言わないよ。あの子には悪いけど、私にとってはヤーツェが何より──』

『ふざけないでっ! 誰が、誰がそうまでして生きたいなんて言った!? 助けてくれなんていつ頼んだ!? あ、あの子は私たちのこと、信じてたのに……っ、やっと幸せになれるって笑ってたのに……!』

『だ、だけど』

『大っ嫌い! お姉なんて死んじゃえ! もう顔も見たくない!』

 

 翌日、ナナルは首を吊った。

 

 たしかにナナルは妹の命が何よりも大切だった。自分の人生をなげうってでも妹のためにすべてを捧げる覚悟があった。しかしシロのことを必要な犠牲として割り切ることができるほど、冷徹な性根ではなかった。身を切る思いの二者択一の末、たった一人で少女を売り飛ばした罪を背負えるほど強くもなく、ヤーツェが目覚めるまでの二年間ですでに限界まで追い詰められていたのだ。

 

 つまるところ、ヤーツェの『大嫌い』がナナルを殺した。

 

「私のせい、私が全部悪いの……」

 

 打ちひしがれるヤーツェを間近に、シロは何も言えなかった。何を言えばいいのかまるで分からなかった。

 

 シロが途方に暮れている間にも、ヤーツェは続ける。

 

「本当はね? 私、嬉しかった。あんなに優しいお姉が、あなたを裏切ってまで私を助けてくれた。私を選んでくれたのが嬉しかった。そんなことで嬉しがってる自分が気持ち悪くて、許せなくて、最低だって思って……お姉に八つ当たりしたんだ。死ねばいいのは私だったのに。は、ははっ、はははっはは」

 

 滂沱の涙を流しながら乾いた笑い声を響かせるヤーツェ。理性の戻りつつあった瞳には、涙と狂気が再び暗く澱んでいる。

 

「お姉が死んでから、よく覚えてない。たしか君を探すために知識の塔に行ったんだっけ。そこでカタシロって呼ばれてる素材の記録を見つけて──みんな殺すために頑張り始めたんだ」

 

 そこでヤーツェは狂ったのだろう。自分と周囲への激しい憎悪と罪悪感、後悔、悲嘆の念が、綿密に記録されたシロへの拷問を知ったことで極みに達したのだ。

 

 ヤーツェは出し抜けに両手で頭を抑えた。指輪の残骸が指の隙間からこぼれ落ちる。

 

「だから私はここに来た……どうせみんなお姉みたいな悪者ばかりだから、シロを助け……ううん、違うよ、お姉は私のことを大切にしてくれただけだもん。悪い魔法使いたちとは全然……じゃあなんで? なんで私はここに? 何がしたくてこんなことをしてるの? ねえ、なんで、なんで?」

「……っ」

 

 シロに詰め寄るヤーツェの瞳は深海よりも暗く、深く澱んでいる。支離滅裂な言動はそのままヤーツェの本心なのだろう。家族に疎まれ、ようやく出会えた親友と別れ、姉が死に親友は知らないどこかで痛烈な仕打ちを受けていた。これらの事実に引き裂かれたヤーツェの精神は、もはや何を指向しているのかすら分からない。ヤーツェは何がしたくてシロの元へやって来たのか?

 

 分からない。

 

 混乱の極みに達したヤーツェは、再び深い狂気の底へ沈んでいき──

 

「落ち着けっ!」

「ふみゅっ」

 

 強烈なビンタで強制的に浮上させられた。

 

 シロはビンタの返す刀でヤーツェの顔を両手で挟み、正面から顔を合わせる。

 

「なんでここに来たのかですって? そんなの決まってるでしょ──寂しかったのよ、あんたは!」

 

 微塵のゆらぎもない眼差しと声音が、ヤーツェにまっすぐ突き刺さっていく。

 

「友達が遠くに行った、お姉さんとも会えなくなった。一人ぼっちで寂しかったから友達に、私に会いにきた。それだけのことでしょーが!」

「そう、なの……?」

「そーなの! だのにあんたってやつは、仕返しだのみんな殺すだの訳の分からんことを──このっ、バカ!」

 

 シロが腕を大きく振り上げ、ヤーツェは頬に残る痛みを思い出し反射的に目を閉じる。しかし次の瞬間感じたのは、素肌を包み込む華奢で柔らかな感覚だった。シロは枷で繋がれた両腕を振り上げ、上からかぶせる形で抱擁したのだ。二年間でしなやかな女性の身体へと育ったヤーツェを全身で感じつつ、首元でささやく。

 

「一人で寂しかったでしょ。苦しかったでしょ。だけどほら、こうしてまた会えたんだから、もういいじゃない」

「よ、良くない……! だって君は私のせいで、魔法使いたちにあんな酷いこと──」

「それはそれ、これはこれ。肝心なのは今よ。私はヤーツェにまた会えて嬉しい。ヤーツェは嬉しくないの?」

「嬉しいに決まってるよっ!」

「じゃあお互い損はないわね。はい、終わり」

「え、ええ〜?」

 

 ヤーツェは困惑しながらもシロの小さな身体を抱き返し、確かな温かみと懐かしい柔らかさに頬が緩む。青い瞳の狂気は薄れ、生来の利発な光が戻ってきた。

 

 引き裂かれた心では何がしたくて何がほしいのかまるで分からなかった。それでも「寂しくて友達に会いたかった」気持ちだけは、たしかにずっと燃えていたような気がする。その恋しい友達をもう離さないように、ヤーツェは懸命にシロを抱いた。

 

 そこにおずおずと声が割って入る。

 

「あのー、シロさん? いい話してるところ悪いんですけども……」

「あら」

 

 見ると、瓦礫の間からひょっこりスミレが出てきたところだった。スラリと長い手足を、黒を基調に黄色をアクセントとした忍び装束に包んでいる。その後ろから黒百合の鎧を着込んだ騎士団の少女たちが現れ、シロとヤーツェをしげしげ見つめている。

 

「ユーリーン様は?」

「間違って遠くまで転移したと、花の便りで。今こっちに向かってるそうです。それよりそちらの犯罪者さん、お縄についてくれるってことでいいんですかね?」

 

 スミレは口元だけ柔和に笑い、ヤーツェを睨む。黒百合騎士団員たちも慌てて散開しヤーツェとシロを包囲した。

 

「シロさんを誘拐するのは、個人的量刑によると死刑相当です。この場で五体バラバラにして差し上げるのも──」

「待った!」

「シロさん?」

 

 どす黒い殺気をにじませるスミレにひるまず、シロは立ち上がって両手を突き出す。しゃらん、と千切れた鎖が音を立てる。

「誘拐は違うわ! 私はたまたまばったり昔の友達と再会して、つい仕事も放り出してここまで付き合っちゃっただけ。でしょ、ヤーツェ?」

「え、あ、えっと」

「うん、そうよね!」

 

 戸惑うヤーツェをばっさり切り捨て、シロは図太く胸を張った。

 

「そういうわけで、ヤーツェは悪くないわ!」

「……その枷は?」

「あっ、しゅ、趣味よ趣味」

「はぁー」

 

 スミレは深々とため息をつきながら、さりげなく指を動かした。鋭い糸が閃き枷を真っ二つにする。解放されたシロは「やっと取れた、ありがと」と安堵している。

 

「まあシロさんがいいならそれはそれでいいです。でもその人は魔神なんですよ。難民たちを攫い、区画一帯をこんな風に荒らした張本人。しかもスミレさんの調べでは、魔法の国を滅ぼした疑いさえあります。このまま失礼しましたさようならとはいきません」

「そ、それは……!」

「シロ、もういいよ」

 

 しどろもどろになるシロの前に、ヤーツェが割り込んだ。力を使ったのだろう、瓦礫の隙間からひとりでに飛んできたぼれ切れが全裸の身体を覆い隠す。

 

 黒百合騎士団すら顔を青くするスミレの睨みを正面から受け止めて、ヤーツェは堂々と言ってのける。

 

「お前の言うとおり、私は魔神だ。難民たちを攫った、魔法の国も潰した」

「ちょ、ヤーツェ!?」

「私はこの国の治安を乱したんだよ、シロ。応分に裁かれなきゃいけない。じゃなきゃ、シロの友達だって胸を張って言えないもん」

 

 ヤーツェとスミレはしばし睨み合い、シロはその間をおろおろ、そわそわと視線を行ったりきたりさせていた。何しろスミレの糸は目に見えないため、大地を揺らす魔神の力といえど、見てから干渉して止めることはできない。何かの間違いでヤーツェがバラバラにされるのではないかと、シロは気が気ではなかった。

 

 やがてスミレはふっと視線を落とし、踵を返す。

 

「ご協力どうも。黒百合さんたち、さっさと連行しちゃってください。あなたがたの領分でしょう」

「はーい。え、そうなんだっけ」

「悪いやつって叩き潰す以外に対応あるんだねぇ」

 

 いささか不安になるぼやきとともに黒百合騎士団がヤーツェを拘束し、「詰め所でいいんだっけ?」と首をかしげながら去っていった。去り際、ヤーツェはシロに手を振る。シロは不安な表情を隠そうともしないまま手を振り返す。スミレはその様子をむくれた顔で眺めながら、もう一度ため息をついた。

 

 こうしてかねてより国を騒がせていた魔神の噂と事件は解決され、シロの懸念だったヤーツェとも多少のいざこざはありつつ再会を果たし、ことは万事丸く収まった、かに見えた。

 

「姫様、火急の知らせが!」

「後にして! 私はシロに贈る最高のパイを焼くので頭がいっぱいなの! ああっ、これ以上一文字でも多く考えれば知恵熱のあまり百合の王冠さえ溶けてしまうに違いないわ! ああ、シロ、シロ! ほっぺが落ちるほど甘く香ばしいパイを焼いてみせるからねっ!」

 

 すべてが終わった後で事の次第を知った姫が、事件の顛末に納得したかどうかは、また別の話である。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 広々としたドックに潮風が滑り込み、充満する木材と鉄の匂いに混じり合う。薄着の女と少数の武骨な男たちが工具や資材を手に忙しく走り回って、建造中の帆船を少しずつ形にしていく。多くの難民の斡旋先であり、貿易のさかんな百合の国おいて常に重要な、造船区画である。

 

「よーしヤーツェ、頼んだぞ!」

「はーい」

 

 親方の号令を受け、ヤーツェは待ってましたとばかり手を掲げた。すると円周十メートルは下らない大型マストがひとりでに浮揚し、ゆっくりと宙空で向きを変えながら船の直上へ移動。甲板に対し垂直になると、マスト用の穴へすっぽり嵌まった。職人たちの間で歓声が上がり、ヤーツェもほっと息をつく。

 

「魔法ってのは手間いらずだなぁ。いっそずっとここで働いてけよ」

「あはは……それは女王から止められてるので」

 

 職人たちにもみくちゃにされながら、照れ笑いを浮かべるヤーツェ。

 

 そんな彼女がやっと集団の輪から出てきたところを、一人のメイドが出迎えた。腰まで伸ばした白いふわふわの頭髪、無邪気な瞳に人形のような白い肌。ストッキングに包まれた足は簡単に折れそうなほど細く華奢だ。

 

 ヤーツェはその姿を見るや引きつった笑みを浮かべ、さっと背を向ける。しかしメイドはそれを見越して素早く歩み寄り、ヤーツェのシャツをがっちり掴んだ。

 

「お疲れ様ヤーツェ。今日はこれから暇でしょ? 話をしましょう」

「し、しろぉ……」

 

 振り返ったヤーツェは怒られる直前の子供みたいに震え、涙目になっている。

 

 それも無理はなかった。眼前のメイドはこの国でシロと呼ばれており、ヤーツェはつい一月前、発狂の果てにシロを刺し誘拐監禁した上拷問に近い乱暴を働いた加害者だからである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ヤーツェは黒百合騎士団に連行された後、速やかに裁かれた。結果的にヤーツェにくだされた判決は執行猶予──制限付きの自由だった。

 

 仕事が少なく暇をしていることの多い百合の国司法は当初、ヤーツェの犯した多数の拉致と殺害に対し死刑を科すことで意見が一致。しかし現場から押収された魔法の国の本によって犯行の動機が明らかになり、裁判員は残らず同情的になった。その本にはシロが魔法の国で受けた扱いの数々が生々しく記録されており、ヤーツェとシロの関係性も踏まえると、復讐の凶行に走ったことについて情状酌量の余地がある。

 

 百合の国世論もヤーツェの味方だった。何しろ司法が重犯罪者を裁くなど百年に一度あるかないかの珍事のため、注目が集まっていた。多くの野次馬たちはヤーツェを「友のため鬼と化した悲劇のヒロイン」「悪い魔法使いをやっつけた魔神さま」として称え、この流れを汲んだのかは定かではないが、司法は最終的に執行猶予を与えヤーツェを釈放した。

 

 難民村の一画を住まいとして与えられたヤーツェは、魔法の使えない難民たちや地元住民らの歓迎を受けた。奇しくもヤーツェが消した魔法使いたちが傲慢で暴力的な態度で迷惑がられていたこともあって、誰も口には出さないものの魔法使いたちの死を喜んでいる空気があった。

 

 そうしてヤーツェは一難民として、斡旋先の造船所で粛々と執行猶予付きの難民生活を送っていた。

 

 局所的な地震さえ引き起こす魔神ヤーツェの力は凄まじく、そこまで手先が器用ではないこともあり、もっぱら重機として活躍している。職人たちは運用の面倒な重機を動かさなくて済むと喜んでいたが、賢明な女王は「雇用を奪う」として造船所での労働に期限を付けた。その期限が過ぎれば、ヤーツェは百合の国が用意した新たな職場に飛ばされるという。

 

 毎日が新鮮で充実している。そんな日々に陰を落としていたのがシロの存在だ。

 

 大好きな友達であり、狂った自分に正気を与えてくれた恩人。何度また会いたいと思ったか分からない。しかし会う勇気がない。

 

 あれほど酷いことをしたくせにどんな顔をして会えばいいのか? 顔も見たくないと思われているのでは? 悲鳴を上げて拒絶されたら生きていく自信がない。ヤーツェがうじうじ悩んでいる間に時は過ぎ、シロの方もメイドの仕事が忙しいため、すぐに一ヶ月が経った。

 

 もういっそずっと会わないほうが互いのためになるのでは。

 

 ヤーツェが逃げの思考に囚われ始めた矢先、シロがやってきたのだ。

 

 造船所の裏手、砂浜から海へ伸びる桟橋に、シロとヤーツェが腰掛けている。

 

「お昼持ってきたから、よかったら食べて」

「う、うん」

 

 シロは持ち込んだバスケットを置いて、中の自作サンドイッチを頬張る。パンのほのかな甘みに肉の塩気、みずみずしい野菜がよく合っている。穏やかな海を眺めながら、桟橋から投げ出した足をご機嫌に揺らした。その一方、ヤーツェは蒼白な顔でうつむいている。

 

 シロは目的があって会いに来たわけではない。ただ、ヤーツェが新しい環境にうまくやれているか気になっただけだ。先程の働きぶりを見るに元気そうだったが、今はなぜか沈み込んでいる。

 

 悩みでもあるのかしら。サンドイッチを平らげたシロは二つ目に手を伸ばす。

 

 するとヤーツェは弾かれたように立ち上がって、かと思うと膝をつき頭を桟橋へ叩きつけた。桜の国から伝来した独特の謝罪姿勢、土下座である。

 

「シロ、本当にごめんなさい!」

「え、なに急に?」

 

 シロは目をぱちくりさせてサンドイッチをかじった。

 

「何か謝るようなことあったっけ?」

「わ、私、自分勝手な理由でシロを傷つけてっ、あ、あんなに酷いことをして──」

「ああ、そういうことね。じゃあ顔を上げて」

 

 言われたとおり顔を上げるヤーツェ。

 

 シロはその横っ面に全力のビンタを繰り出した。ぺちん、と勢いの割にはしょぼくれた音が鳴る。

 

 何度ぶたれても文句は言えない、と悲壮な覚悟を決めてぎゅっと目を閉じているヤーツェだが、シロはあっけらかんと言った。

 

「すっっごく痛かったし、怖かった。もうあんなことしないでよ」

「お、終わり?」

「終わりってか、おあいこ。もういいじゃない、誰が悪いって話でもなし」

「でもっ、私のしたことがこの程度で許されていいはずないよ!」

「じゃあ、なおさら私は許すわ」

 

 シロはヤーツェの瞳をじっと見つめる。その奥の思いを見透かしているようだ。

 

「ヤーツェは許されたくないんでしょ。誰よりもヤーツェ自身が自分を許せないから、自責の役目を誰かに代わってもらおうとしてる。私はそんなの嫌。ヤーツェが望んでいても嫌だから、許す」

 

 だってその方が仕返しになるものね、と結ぶシロ。その表情には意地悪な笑みが浮かんでいる。

 

 気にしてない風を装ってはいるが、シロはシロでヤーツェにされたことを少しだけ根に持っていた。しかし誰かを恨むのは疲れるもので、しかもヤーツェ自身が恨まれたいと思っているなら、あえて全部水に流す。

 

 そんなシロの割と陰湿な仕返しは、果たしてしっかりと機能した。数秒かけてようやく意味を理解したヤーツェの瞳がうるみ、涙があふれる。シロは慌てて懐からハンカチを取り出し、ヤーツェの頬にあてがった。

 

「うぇええん許されたぁー!」

「はいはい、そうね。ところでサンドイッチ食べないの?」

「食べるぅー!」

 

 身体だけ成長した友人は泣きながらサンドイッチを食べ喉に詰まらせるので、シロは世話を焼いた。歪な離別と衝突を経た二人はやっとこのとき、本当の意味で再会を果たしたのだった。

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