ムーンピラー~幸せのお裾分け~・Ⅰ
西風の里の平穏な朝。
モエギの騎馬が、崖を飛び降りて、里の入り口に姿を現した。
波打つ碧緑(へきりょく)の髪は背中に届き、前髪は翡翠の珠の櫛で後ろにまとめられている。
明るいオレンジの瞳、責任感を秘める凛とした唇。
老人と女子供ばかりの里だ。守りは堅くしてある。
外から入るには、三重の結界を抜けなければならない。
「お帰りなさい、モエギ様。外界の様子はどうでした?」
くるくる巻き毛の厩番の少年が、駆け寄って馬銜(はみ)を取る。
「人間の商隊が砂漠を長い列を作って通り過ぎていた。戦は暫く無さそうだ。他の部族も一時期より落ち着いた感じだな」
「砂の民の部族もですか?」
「……馬を頼む、シド。右前がソエっぽい」
「……はい」
質問に応じてくれなかったモエギに逆らわず、シドと呼ばれた少年は、手のひらで馬の右肩から蹄までをゆっくり撫で下ろした。
「球節に熱があります。湿布して冷やしておきます」
「ああ、頼む」
「モエギ様」
立ち去ろうとする娘にシドは、ためらいながら声を掛けた。
「ハトゥン様と、仲直りしたんですか?」
モエギはキッと振り向いた。
「男のお喋りは下品だぞ」
「……すみません」
少年はシュンと口を結んだ。
言ってしまってからモエギは、八つ当たりするような下品者は自分だと反省した。
ポケットから菓子を探り当て、引き返して少年に渡しながら、声を優しくして言った。
「馬を頼んだな」
シドは頷いて、馬を引いた。
モエギを見送ってから、菓子は馬にくれてやる。
「モエギ様は僕がいつまでも、歯が軋むような砂糖菓子で喜ぶ子供だと思っている」
シド少年は、砂の民の総領息子ハトゥンに、剣の手解きを受けていた。
彼が物心付いた頃から、西風の里は老人と女子供ばかり、まともに戦技を教わる機会なんてなかった。
だから、剣を教えようかって言われた時、凄く嬉しかったし、頼もしい兄貴が出来たようで、ワクワクした。
剣の腕が上がれば本物のナイトになれる。
「あのヒトが来るまでは、何もかも上手く行っていたのに……」
シドは厩の奥を見据えて唇を噛んだ。
今は蒼の大長の『闘牙の馬』が繋がれているが、数日前までは、一回り小さい青っぽい『深緑の馬』が居た。
その馬の主、大長様の甥っ子は、ひょろひょろとした頼り無さ気な青年だった。
こんなんで大長様の代わりが務まるのかと不安に思ったが、里の女の子達の騒ぎようは尋常じゃなかった。
女って分かんない……あんな、オンナオトコのどこがいいんだか。
ハトゥン様の方がよっぽど強くてカッコイイのに!
その甥っ子のナナがハトゥンと争いを起こし、二人してモエギの怒りを買ったのだ。
お陰でそれ以来、ハトゥンに会えていない。
シドは溜め息一つ付いて、モエギの馬の手当てを始めた。
蒼の里の駐在者の滞在場所は、里の中心、昔の宿屋を改装した客間だ。
空席になっている西風の長の代わりに、この土地に滞る風を流す為に、里に常駐している。
その他に、子供達への説法や乗馬の指導、老人達の萬相談等、常に多忙にしているが、何と言っても彼らが居る事で、他部族からの介入の抑止になるのが大きかった。
モエギが御簾を開けると、大長は山のような書き物に埋もれて、目を通している最中だった。
「おかえりなさい、モエギ。入る時は声を掛けて下さいね」
大長は書類から目を上げずに言った。
「着替えの最中だったらどうするんです。責任取ってお婿に貰ってもらいますよ」
多分ジョークなんだろうが、スベり過ぎていてどう反応していいのか分からない。
「外から戻ったら一番に報告に来るようにって決めたのはおっさんだろ」
「そりゃあ、貴方の帰りが遅いと心配しなくちゃなりませんからね」
まったく、屁理屈のたつ男は大っ嫌いだ……
モエギは眉間にシワを寄せて、口を突き出した。
「あのさ、今回、おっさんの滞在期間は短いんだろ?」
「ええ、ナナが妹の結婚式の出席で抜けた場繋ぎですからね。私は里にやりかけの仕事を残していますし」
「それで、次に交代で来るのはツバクロか? まさか、またアイツなんて事は……」
大長は顔を上げた。
「順当で言うとナナなんですが……貴方はツバクロがいいですか?」
「いいですかって、当たり前だろ! ナナは困る! あんな無茶苦茶な奴!」
ペンでこめかみをカリカリ掻きながら大長は、視線を落とした。
「無茶苦茶……ですか」
「無茶苦茶だろ! 何もしていない他所の部族の奴に喧嘩を吹っ掛けるなんて」
「身内贔屓ですが、ナナは、我が一族の中で一番平和的で、一族の良心みたいな存在なんです」
「まさか!」
「ホント、私もまさかでしたよ。普段からあんな子じゃないんです。どうかどうか、それだけは知っていてやって下さい」
モエギが言葉を無くした所で、不意に大長は顔を上げて、立ち上がって窓辺に寄った。
羽音がして大きな鷹が飛び込んで来る。
彼が蒼の里との通信に使っている、特別な鷹だ。
足から筒を外して手紙を出そうとすると、何かが落ちて転がった。
「おやおや」
足元に転がったそれをモエギが拾い上げた。
鮮やかな橙(だいだい)色の小さい珠。
まさか……モエギは悪い予感がして身震いした。
手紙を読み終えた長は、ニッコリしてモエギを見た。
「その石、貴女へ贈り物ですって」
「げ!!」
「そんなに毛嫌いしないで……って言うか、ナナじゃないですよ。新婚の新郎から、『幸せのお裾分け』だそうです」
「新郎? カワセミって奴か? 会った事もないのに?」
「カワセミにはね、あまりそういうの、関係ないんですよ」
「…………」
「どれ、その櫛を貸して下さい。翡翠珠の横に付けると良い色合いになりますよ」
モエギが怖々差し出した櫛に、長は軽い術で橙の珠を嵌め込みながら、ついでのように言った。
「ああそれと、私と入れ替えに明日来るのは、やはりナナですね。これからツバクロの回もずーっとナナが来るそうですよ」
「…………………」
「肝が固まったようですね。」
***
「カワセミって、たいした術者だって、言っていたな」
「ええ、蒼の里の秘蔵っ子です」
「…………」
モエギは橙(だいだい)の珠が追加された櫛を、マジマジと見つめた。
薄緑の翡翠の横に橙色が良く映えて、悔しいけれどとても良い仕上がりになっている。
「カワセミは、ナナと仲が良いのか?」
「蒼の里はみんな仲良しですよ。でも、ヒトの心を操るような術を使う不埒者は居ませんよ」
モエギは罰悪そうに黙って、前髪を上げて櫛を差した。
「心配しなくとも、そんな便利な術が使えたら、誰も苦労していませんよ、ふふ。……おお、その橙色は貴方の髪に良く似合いますね」
長は笑って、また視線を書類に戻した。
モエギは何となく髪を気にしながら、外に出た。
機(はた)織り小屋の外で、糸を抱えてワキャワキャとお喋りをしていた娘達が、モエギの櫛の珠を目敏く見付けて、褒め称えた。
ツバクロの件でモエギが老人達を一喝して以来、里の娘達のモエギへの態度が変わった。
それまで遠巻きに距離を置いていたのが、少しずつ話し掛けて来るようになった。
「ね、モエギ様、外の様子は如何でした?」
「早く紫の丘へ行きたいわ。木の実が一杯な筈なのに、みんな鳥に食べられてしまう」
「ああ、戦で険悪な時期は去ったみたいだな。だけれど、娘達だけで出歩くのはもう少し待ってくれ。まだお前達が安全だとは言い切れない、すまない……」
「あ、いえいえ、いいんです」
責めているのではないのにと、娘達は恐縮して話題を変えた。
「あ、そう、あの方、大長様の甥子さんは、次いついらっしゃるのですか?」
「百合根の甘く煮たのをご馳走しようと、水に晒して準備しているんですよ。西風の名物を気に入って下さるといいですね」
モエギは眉をピクリと動かした。
娘達はナナのやらかした事件は知らない。
老人達にも内緒だ。
どちらに知らせても、それぞれ別方向で厄介になるのは明らかだ。
知っているのは、駐在者の身の回りの世話をしている厩番の少年二人だけ。
「なあお前達、いっぺん真面目に聞いてみたかったんだが、何で見かけだけでそんなに男に熱を上げられるんだ? 見目が良くとも、性格悪い場合もあるだろ」
「……??」
娘達は目を丸くして顔を見合わせた。
多少年長の娘が答える。
「だって、外身を好きになるのと、中身を好きになるのは違うじゃないですか」
「ち、違うのか?」
「本当に中身を好きになっちゃったら、こんな風に楽しめなくなるもの」
「??」
よく分からないが、まあツバクロと一緒で、ナナも里の娘達には無害そうで、その点だけは安心だろう。
「モエギ様」
娘達と別れて、水場で手足を洗っていたモエギに、灰色の髪の少年が手拭いを差し出した。
シドの相棒の厩番、ソラだ。
シドが西風の一族らしく飴色の肌にたっぷりした青い髪なのに対し、ソラは細い猫毛で、色素が薄かった。
「今、大長様に聞きました。明日またナナ様が来られるそうですね」
「ああ」
「お断り出来ないのですか? ハトゥン様といさかいを起こすヒトなんて、どんな理由があったにしても……僕……」
シドより大人しくて冷静なソラだって、どうやらハトゥンの味方のようだ。
二人ともハトゥンとナナが決闘したのは知ってるが、事情は教えていない。
二人も聞いて来なかった。
「こちらは世話を焼いて貰っている身。文句は言えない。まあ、大長殿は物事をちゃんと見ていてくれる。ナナが里に馴染めなかったりすれば、考え直してくれるだろう」
モエギは深い意味もなく言ったのだが、少年の目に光が横切った。
夜……厩横の小さな小屋に、薄い明りが灯る。
元は朝早く出掛ける者用の待機小屋だったが、今はシドとソラが身の回りの物を持ち込んで寝起きしている。
二人が横になると一杯のこの杣屋が、彼らの住処だ。
西風の里の子供達のほとんどは親無しだ。
長く土地が争いで荒れた為、武器を持てる大人はことごとく絶滅してしまった。
運の良い子は祖父母と暮らすが、大体が親族の子供同士だけで、身を寄せ合って暮らしている。
だから少年二人、朽ちかけた小屋に寝起きしていても、特別な事ではなく、気に止めるような事でもなかった。
「モエギ様がそう言ったのか?」
昼間分配された干し魚を裂きながら、シドが聞いた。
「うん、ナナ様が里に馴染めないと大長様が見て取ったら、お役御免になるだろうって」
ソラはバケツに汲んできた水をへこんだ鍋に移しながら言う。
飲み水は一度沸かすようにとの、大長の教えの元だ。
「それって、暗に、僕達に動けって事だよな?」
「そうだと思う。モエギ様は立場上はっきり言えないし」
シドは唇を噛んで魚を裂き続けた。
「まったく、ああいうの、何て言うんだっけ……えーと……」
「横恋慕」
「あ、そうそう、それ! あのヒト、モエギ様を見る目が半端じゃなかったモン、初対面から」
「ハトゥン様に会えば諦めると思ったんだけれどね」
「ハトゥン様への手紙を託された時、イヤ~な予感がしたんだ」
二人は、モエギが思うほどにチビッコではなかった。
「まあ、モエギ様の魅力に気付いたのだけは、褒めてやるけれど」
「シド、僕達だってそんなにあからさまな行動は出来ない。遠回し~にナナ様に、里に馴染めない事を自覚させるんだ」
「うーん、難しそうだな」
「僕、考えがある」