翌日は朝から土砂降りの大雨だった。
ナナは早朝から雨をついて、里上空の風を流しに飛び立った。
ついでに周辺の見回りもしてくるから遅くなるねと、少年達に告げていた。
視界の悪い雨の日が、怪しい物がうろつく絶好の環境らしい。
そろそろナナ様が帰る頃だと、二人が雨衣を着始めた所で、髪から滴をたらしたモエギが飛び込んで来た。
「私の馬を出してくれ!」
「どうしたんですか?」
「娘が一人、帰らない」
二人、大急ぎでモエギの馬に鞍を置いた。
慌てて馬装したので、気配がおかしい事に気付けなかった。
「勝手に外出したらしい。紫の丘へ行くって……」
モエギが言い終わる前に、馬は首を振って大ジャンプして消えた。
「・・!?」
今、何か、変だった?
モエギ様は確かに急いでいたが……いつもと違う??
雨の中、二人が顔を見合わせて何か言い合おうとした時、上空からナナが降りて来た。
鞍の前に、里の女の子を一人乗せている。
「ナナ様?」
「雨で方向を見失っていた。たまたま見付けて、良かった」
女の子は呑気にニコニコしてナナに助けられて馬から降りた。
まさかとは思うが、ナナ様の気を引く為に、わざと里を抜けてうろついていたんじゃないだろうな……?
二人はひっぱたきたくなる気持ちを抑えて、ナナにモエギの事を報告した。
「分かった、取りあえず探しに行って来る」
「あの……」
「ん?」
「馬が、何だか変だったんです」
「えっ?」
「気のせいかもしれないけれど」
ナナは頬から耳へ手を滑らせ、少し目を閉じ……次の瞬間顔色をザワッと変えた。
慌てた感じで雨衣を翻し、馬に飛び乗る。
「ナナ様?」
ナナの馬は、さっきまでとは違う動きで、旋風を起こして急上昇した。
地面の三人は、吹っ飛ばされて尻餅を着いた。
娘は地べたで泥だらけになって情けない声を出している。
ナナの馬のあんな乱暴な発進は初めて見る。
モエギは凍り付いていた。
馬がまったく言う事を聞かないのだ。
どんなに御しても馬銜(ハミ)を受け付けず、狂ったよう大きなジャンプを繰り返して、今まで来た事もない高空まで達してしまった。
もう雲を越えて、雨の上だ。
勿論モエギには未知の世界。
馬が勝手にモエギから能力以上の風を引き出して、雲の上を駆けているのだ。
幾ら風の精のモエギだって、この高さで落馬したら……
そういうコトを考えないようにしようとする程考えてしまい、身体が強張って鐙(あぶみ)を外してしまった。
タテガミを指に絡めて、振り落とされないようにしがみ付くだけで精一杯。
こんな場所に居たら、誰にも見付けて貰えない。
助かる目が全く浮かばない。
悪い想像が次々に頭を過(よぎ)る。
「……ハトゥンを殴ったキリだった……」
豆鉄砲を喰らったような、漆黒の青年の顔が浮かぶ。
「許してやっても良かったのに……ハトゥン……」
目の前の雲が渦巻いて、ズボリとナナの騎馬が上昇した。
「ハトゥンでなくて、スミマセン」
***
モエギの馬は目隠しされて、ナナの馬と共に降りて来た。
馬繋ぎ馬で雨に打たれて待っていた二人の厩番の少年は、モエギが無事戻ったのには胸を撫で下ろしたが、ナナの左目回りの新しいアザにビックリした。
前の右目のアザもうっすら残っているので、まるで大陸産大熊猫。
「助けに行ったのに……」
「お前が姑息な事をしているからだ!」
オロオロしてる少年達の前で、モエギはナナの長い髪を引っ張った。
雨に濡れた髪に隠れて、ナナの左耳に、橙(だいだい)色のピアス。
「これのお陰で、貴女の居所が分かったんですよ」
「だから、それは、何でだっ!」
「イタイ、イタイ! それは、貴女の櫛の石と、同じ原石から削り出した兄弟石だからで……」
「何で! お前が! それを! 耳に付けているっ!!」
「いいじゃないですか。貴女とお揃いを付けていたかったんですよ」
「これを付けてる限り、お前には、いつでも私が何処で何をしてるか分かる、って事だよな!」
「いつでもじゃないですよ。術で願った時だけ……」
「そーいうのをストーカーって言うんだあぁぁ――!! そもそも何で都合よくこんなトラブルが起こるっ、ええっ!?」
更に拳を振り上げるモエギに、少年二人が飛び付いた。
「待って待って待ってくださぁい!」
「僕達が悪いんです! ナナ様は何もしていないですっ」
モエギが止まって二人を見ると、少年達はスゴスゴと一本の木の枝を持ち出した。
「……何だ?」
「コカの、木の枝です……」
「僕達がうっかり、モエギ様の馬の届く場所に、置き忘れちゃったんです。馬はコカの実を食べて、おかしくなったんです」
モエギの顔の血の気がすぅっと引いた。
「すみませんでしたぁ!!」
二人はモエギの前で膝まづいた。
「…………厩(うまや)番の仕事は、解ってるな」
モエギが低い声でゆっくり言う。
「はぃ……う、馬達の健康管理……」
「その馬の健康を害する物を、何故厩(うまや)に持ち込む?」
「あ……う……」
「お前達の厩番は考え直さねばなるまい。長老達と議するから、沙汰が下りるまで謹慎していろ」
「モエギ様ぁ……」
モエギは冷たい顔で宣言し、雨衣を掴んで厩から去ろうとした。
「待って下さい、モエギ殿」
真剣な顔のナナがその肩を掴む。
「私に触れるな! 疑った事だけは謝罪するが、お前に口を差し挟む余地など無い!」
しかしナナは肩を離さず続けた。
「蒼の里では」
「ここは西風の里だ!」
「自分の馬の責任は自分に在ります」
「……」
「自分の馬が怪我をしたら、凄く恥ずかしい事です。馬装は係の者がやりますが、跨がってからは自分の責任です。高く飛ぶ者は、必ず自分でチェックします」
「…………」
「若い者に失敗の機会を与えます。大人みんなで見守って、間違ったら正せば良いだけです。僕もそうやって育てて貰いました」
「…………」
「その為に、大人の居ないこの里に、僕は来ているんです」
ナナは真剣な眼差しで少年達を見た。
大人が居ないから働いているが、蒼の里ではまだ修練所に通っている歳だ。
「それに、シドとソラは多分、僕の為にコカの実を採って来てくれたんです」
「??」
突然話を振られて戸惑う少年達に、ナナは優しく向き直る。
「そうだろ?」
「そうなのか?」
モエギも幾分落ち着いた声で聞いた。
「えっと……」
シドもソラも困惑した。
正直に告白すべきなんだろうか? 更に話をややこしくする事になると思うのだが。
二人の迷いを見透かすように、ナナはウインクした。
「疲れた僕の身体を、元気にしてくれようとしたんですよ」
「……咎(とが)は、無しだ」
モエギが呟いた。
「落ち度は私にあった。すまない。今後は馬の管理も、蒼の里に準じよう。老人達に議を通しておく」
「モエギ様……」
「じゃあ」
ナナはニッコリして、モエギの握っていた櫛を取って、またその髪に差し直そうとした。
「『じゃあ』じゃない! それとこれとは話が別だ!」
モエギは櫛を掴み返した。
「乱暴に扱っちゃいけません。貴方の母君のお形見でしょう」
「後でゆっくりこの珠だけ外してやる!」
「無理だと思いますよ。大長がしっかり呪文を施して埋めた筈ですから。手紙でそうお願いして置きましたし」
「き・さ・まぁ~~!!」
シドとソラは様々な急展開に目を白黒していた。
このナナってヒト……掴めない……
カンカンに怒ったモエギは、珠を外すのはおっさんが来た時にやらせる! と宣言して、里の中心へ立ち去った。
モエギの馬は、ナナの調合した薬湯で、夜には落ち着いた。
少年達は緊張して待ったが、ナナはコカの実の事は聞いて来なかった。
「あの……」
とうとうソラが切り出した。
「ナナ様が来る日の朝に、荒れ地に実を取りに行ったんです」
「その時の目的は、果たしたのかい?」
ナナは馬の鼻面を撫でながら穏やかな声で聞いた。
「いえ、結局使いませんでした。今後も使うつもりはありません」
「そう」
ナナは馬から顔を上げた。
「なら、良かった。シド、ソラ、僕は君達が好きだよ。おやすみ」
ナナは雨衣を羽織って外に向かった。
「あの」
「僕も、僕達も」
「好きです、ナナ様が」
「おやすみなさい」
ナナは後ろ手に手を振って、雨の中に溶けた。