スピカ・Ⅰ
「おはよう! モエギさん」
明るく挨拶するユユとは真逆に、モエギは眉間に縦線を浮かべ、足の踏み場もない部屋の入り口に立ちすくんだ。
「ユユ、西風の里が、駐在している蒼の一族の方に、一番にお願いしている事は、分かって貰っていると思うが……」
「ええ、不在の西風の長様の代わりに、この土地の風を澱みなく流す事だわ!」
イラついているモエギの様子を分かってるのか気付かないのか、ユユはスラスラと答える。
「あの状態のカワセミ長に他の事は頼めない。でも、それだけは最低お願いしたいのだが……」
昨日到着してから、高空気流に酔ったカワセミ長は、ぶっ倒れて寝たきりだ。
ナナとの引き継ぎはユユが引き受けたが、今までの駐在者とあまりに違った長殿に、里の者の間で戸惑いが囁かれていた。
モエギだって不安だ。
カワセミはこの任務に気乗りしていない感じだし、ユユはモエギには多分ちょっと苦手なタイプだ。それでも、こんな時だけモエギを里の代表扱いする長老達に促され、渋々と声を掛けに来たのだった。
しかし、駐在者の滞在場所としている昔の宿屋の戸口をくぐった途端、モエギは絶句した。
大長やナナは、こちらが整えた大きな客間を普通に使ってくれていたのだが、この二人は何故か、突き当たりの一番小さな部屋に収まっている。
しかも、玄関からその部屋に至る廊下が、訳の分からない事になっていた。
一日目にして何故? と思える程のとっ散らかり様。
鳥の羽を繋げたのが天井からぶら下がり、縦に積まれた大小の石、壁に貼り付けられた植物……モエギは足の裏にくっ付いた何かを剥がして見て、死にそうな顔になった。
「あら、風はもう流れているでしょう? 空を見てみて」
ユユはモエギの剥がしたゲンゴロウのミイラをまたその場所に置き直しながら、のほほんと言った。
「まさか……?」
モエギが半信半疑で窓から身を乗り出すと、先程までの澱んだ雲は既に無く、筋雲美しいスッキリとした朝の空になっていた。
「いつの間に? カワセミ長はもう元気なのか? 出掛ける様子を見なかったが……」
「うぅん、まだベッドよ」
「では、ユユが?」
「アタシはまだそんな難しい術使えないわよぉ」
ユユは廊下に並べられたガラクタの山を越えて、カワセミの寝ている小部屋の戸口を細く開けた。
ベッドの中からカワセミの細い左手だけが突き出して、人差し指と中指を立てて空中をフワフワとかき回している。
「さすがカワセミ様、寝ながらでもお仕事はキッチリするのよね」
「寝ながら……」
モエギは、もう一度窓から空を見た。
さっきの筋雲が形を変えて流れて行く。
「…………」
以前の西風の長、モエギの母の浅黄の君は、風を流す術を使う時は口を濯(すす)ぎ、馬で高く飛んで空の上で呪文を唱えていた。
大長も、ツバクロもナナも、上空に出向いて直接風を流していた。
寝床から片手で風を流す奴なんて、見た事無い……
「手抜き、とか思ってる?」
モエギの複雑な心情を見透かすように、ユユが覗き込んで来た。
「……ああ、ちょっと思った」
「ふふ、正直、アリガト。カワセミ様はね、結果さえキチンとしていれば、見かけはどうでもいい主義なの」
「そう……なのか」
まだ歯切れの悪いモエギに、ユユはニッコリ微笑みかけた。
「他の仕事はアタシがやる。頑張るから教えてね!」
「あ、ああ……」
今まで蒼の里の者は、自分に主導権を握って、自主的に……ある意味勝手に、仕事を進めていた。主導権を渡されたのは初めてだ。
「差し当たって、ナナは朝、風を流した後は何をしていたの?」
「えと、見回りだな。朝と、夜暗くなってから」
「見回りね! アヤシイモノが居ないか見て来るのね。うん、分かった!」
ユユはマントと頭絡を肩に掛けて、モエギと並んで外へ出た。
「頭絡は厩(うまや)に置いておく場所があるぞ」
「あ、うん、頭絡は手元に置いておく習慣なの。特に里じゃない場所に居る時は」
「西風の厩番が信用出来ないのか?」
「あら、シドもソラも大好きよ。これはただの縁起担ぎ、あはは」
馬装してくれたシドとソラに丁寧に礼を言い、ユユは空へ舞い上がった。
飛び方は父親のツバクロ似で、華麗に美しい軌跡を描く。
「何か調子狂うヒトですね」
ソラが素直な感想を口にした。
「すんごい美人なのに全然気取んないで、大口開けて笑ったり」
シドは男の子としての素直な感想を述べた。
二人ともお揃いの白い薄皮の帽子を被っている。
ユユがお土産にくれた物だ。
『アタシとナナが子供の頃に被っていた物なの。氷蝙蝠(こぉりこうもり)の落羽根帽子。寒さも暑さも防いでくれるの。お古でごめんね、でもとっても似合う、良かったわ』
そう言って乾風に真っ赤な耳の二人に被せてくれたのだ。
二人とも、どちらがナナのでどちらがユユのお古か、微妙に気になった。
それで、一日毎に交換して被る事にした。
「到着した時はびっくりしたけれど……気さくなヒトで良かったです」
どちらかというと余所者に対して警戒心の強いシドとソラだが、ユユには気を許すのが早かった。
子供の方が余計な事を考えず素直にそのまま受け入れられる。
そういうの、モエギはちょっと羨ましかった。
「お前ら、大事な事を忘れているぞ。ユユはおまけで、駐在者は寝たきりのカワセミ長だ」
「ああ、そうでした」
モエギはざわざわした不安を感じていた。
今までただ委(ゆだ)ねていれば良かった。
今度の駐在者は明らかに違う……
***
見回りから帰るとユユは、西風の娘達が炊き出しをしている所へ腕捲りをしてやって来た。
「大工仕事をしている若衆のお昼ご飯を作ってるんでしょう? アタシも手伝うわ」
「え、でも……手は足りているのよ」
西風の娘達は顔を見合わせてゴニョゴニョ言った。
ねじり鉢巻にたすき掛けのモエギがやって来た。
「昼飯まだか!」
モエギはネチネチお喋りしながら雑炊に入れる団子を作っているより、煉瓦に練り土を運ぶ方が性に合った。
「あら、ならアタシもそっちを手伝おぅっと」
ユユは上衣の裾を縛って髪をたくし上げた。
「あっ……ああ……」
娘達は手を上げて情けない顔になる。
「お前ら、言いたい事ははっきり言え」
モエギは娘達を睨んだ。
「?? どうしたの?」
「ユユ……」
モエギは溜め息吐いて、はっきり言った。
「お前、自覚無いってのも不思議だぞ。そんな絵から抜け出したような容姿でウロウロされたら、男共の目がお前に釘付けになって、この娘達にしたらガッカリな状況になるんだよ」
あんまり直接的過ぎて、娘達は青くなって赤くなった。
ユユは下を向いてしまった。
その側に寄って、小さな声で、
「お前は何も悪くない。しかしナナが苦心してお膳立てしてくれた貴重な状況なんだ。ここは、平和的な道を選んでくれないか?」
と、モエギは自分が言うとは思えないご都合なセリフを吐いた。上に立つって難しい……
不意に、ユユは、モエギの腰に付けていた印付け用の墨入れに指を突っ込んだ。
「ユユ!?」
「これで無問題よ!」
娘達の方を振り向いた蒼の妖精の白い顔には、見事な泥棒ヒゲが描かれていた。
「ユ……ユユさん……」
娘達は呆気に取られたが、堪えきれなくなって吹き出した。
「ホ、ホントにそのまま行くのか!?」
スタスタと建築現場に向かうユユに、モエギは慌てて追い掛ける。
「意地になるにも程があるぞ。これじゃあ、娘達みんなでお前を苛めているみたいじゃないか」
「大丈夫、大丈夫」
泥棒ヒゲのついでにつながり眉毛も追加したユユがニンマリ振り向いて、モエギはまた吹き出しかけた。
「モエギさんも、皆に言ったと同じ、アタシの後ろで口を結んでいてね」
「……ああ」
「ごきげんよう! 皆さん!」
昨日の別嬪(べっぴん)さんが来た! と、砂の民の若者達は顔を輝かせて振り向いた。
そして、しゃっくりしたみたいな顔をして止まった。
ユユは何も知らない風に、面白メイクのまま平然と、煉瓦積みを手伝い始めた。
後ろでモエギが困った表情を浮かべているので、男衆も目配せしてニヤニヤと何も言わない。
そうしてやはり何も言わない娘達と昼食を囲んで、その日の仕事をやり終えた。
帰りがけ、ハトゥンがやっと、皆を代表するようにユユに声を掛けた。
「ところでマドモアゼル、そのお化粧は、蒼の里で流行っているのかい?」
「へ?」
娘一人の差し出した鏡を覗いて、ユユはワザとらしく飛び上がった。
「いやぁ! アタシ一日この顔をしていたの? ヒドイ! カワセミ様のバカァ~!」
(えっ……)
トンだ狸娘だ。
すべての罪を不在の夫に被せてしまった。
「アンタの旦那は、よっぽどアンタが大事なんだなあ!」
ハトゥンが言って、男達は爆笑し、娘達も釣られて笑った。
嘘は良くないが、結果、皆がニコニコとこの日を終える事が出来た。
モエギは感嘆の目でユユを見た。
娘達に拒否されてモエギに説得され、そこで退くのは簡単だ。
だけれどその先、皆との関係は絶対に進展しない。娘達の心にだってしこりを残してしまう。
ユユはモエギが思っていた以上に、賢くおおらかだった。
「……で、七つの時にカワセミ様に出逢って、それから師と仰いでずっとくっ着いていたの」
「弟子を食っちゃったのか、とんでもねぇ師匠だな」
馬繋ぎ場へ向かう道々、『ユユの心配性なダンナ』の話題で盛り上がる。
「うぅん、アタシが押し掛け弟子だったの。小さい時からカワセミ様と一緒に居たくて居たくて、やっと願いが叶ったの」
「わあ、素敵。そんなロマンスもあるのねぇ」
年頃の娘達にはその辺が食い付き所だった。
「ね、プロポーズの言葉は?」
「そうだ、殴り合いをしなきゃ、何て言って申し込みゃいいんだ?」
この辺は男性陣も興味のツボが重なった。自分達の大将は全く参考にならない。
「うん、それは内緒」
「ええ~~~」
身を乗り出していた全員がつんのめった。
こんな風に、ユユはするりと皆の中に溶け込んだ。