天上に、小熊座と大熊座がゆっくりと追っ駆けっこをしている。
開け放たれた窓からそれを眺める青年に、傍らの木の上から声が掛かった。
「夜風で冷えますよ。またご両親に心配掛けますよ」
青年は、眼窩の落ち窪んだオレンジの瞳を上げる。
梢には北極星を背景に、群青色の長い髪の男性が腰掛けていた。
彼女(かのヒト)の幼馴染みだという、北の国の蒼の妖精。
「手紙を言付かって来ました。後、こちらは私から。うちの年寄りが作った滋養薬」
妖精は体重がないみたいにフワリと、窓の珊に下りた。
「貴方が冷えていまいます。こんな寒い夜にわざわざ、ありがとう」
青年は窓際のベッドに半身起こし、手紙と小さな包みを受け取って、毛布を妖精の膝に延ばした。
「ね、そこの鈴蘭が咲き始めたんです。香りが嬉しかったもので、つい」
サイドテーブルには薬湯と殆ど手付かずの食事。
妖精がそれらから目をそらすと、枕元の筆記用具が目に入った。
「書き物をしていたのですか?」
「あっ」
青年は慌てて、麻の表紙の雑記帳を枕の下に隠した。
「恥ずかしいから、駄目です」
「日記?」
「違うけれど」
「??」
「何となく書いている物です、何となく……」
大長はそれきり忘れていた。
モエギが生まれるちょっと前の、シンと澄んだ夜の記憶……
砂の民の集落の片隅で、病床の青年が、逢えるかどうか分からない我が子を想って書き綴った、星や花や砂の原の詩。
何も出来ずに見ているしかなかった当時の自分を思い出しながら、大長は頁を繰った。
青年の命はとても細く、身体はどんどん蝕まれていたのに、文字は美しく力強く、風や音や光を孕(はら)んでいる。
どんな術や魔法力だって及ばない力が、この書物には綴じられていた。
年老いた両親には無理に起きて書いている姿は見せなかったんだろう。
こんな書物が存在した事は、大長も浅黄も、知る所ではなかった。
カワセミがナチュラルに導き、モエギが自力で辿り着いた。
本当にこの子達には敵わない。
自分の誇りであり、喜びだ。
大長が書物に夢中で、何だかウルウルしているので、モエギは戸口を出て外に立った。
明日から新しい毎日が始まる。
居なくなる顔が多いけれど、寂しがっている暇なんか無い。
ふと見ると、離れた横にカワセミが立っている。
「今部屋に入ると手伝わされる」
モエギを見て苦笑いをする。
モエギもちょっと笑った。
「可笑しいな」
「何が……」
「大長は、あんたと私は出会った瞬間バトルになるって言っていた」
「ああ、お互い元気な状態で出会っていたら、そうなったかもな」
「お互い弱っていて良かったな」
「ははは……」
朝の雲が里の上空に集まる。
モエギは右手を、カワセミは左手を挙げた。
二筋の風が交差しながら雲を流して行く。
「ぁあ・・」
珍しくカワセミから何か言いかけた。
「何?」
「ボクは、弟子は取らない」
「へ? うん、そうだろうな」
「だけれどキミは、ボクの弟子を名乗ってもいい」
「随分尊大だな!」
「そうか?」
「有り難くて涙が出るぜ」
二人は青さを増して行く空を眺め、部屋ではまだユユの賑やかな声が響いていた。
西風の馬繋ぎ場に、今までで最多人数の見送りが集まった。
殆どがユユの見送りだ。
西風の娘達、砂の民の男衆、子供達、年寄り達、果ては馬まで。
弾き出されたカワセミの横には、モエギが居た。
「もう、会う事は無いんだろうか」
「キミが蒼の里まで飛ぶ力を身に付ければいいだろ」
「あ、あぁ、そうだな」
「ボクが干されてヒマになるよりは可能性が高いぞ」
「そ、そうか」
ヒトの群れからハトゥンが、二人の少年によって引っ張り出される。
「なんだい? チビッコナイト」
「もう、チビッコじゃないですよ」
「はは、そうだな。だから行くんだもんな」
「予約を取り付けて置こうと思って」
「何の?」
「決闘の」
二人は声を揃えて言った。
「僕達が一人前になって帰ったら、順番に決闘して下さい!」
「モエギ様に申し込む権利を掛けて!」
ハトゥンは目をパチクリさせた。
「モテモテですねぇ、モエギは」
大長が楽しそうに、シドとソラの肩に手を置いた。
「じゃあ、それまでハトゥンには、色々待って貰いましょう」
「待て待て待て! 勝手に決めるな!」
「大長様、本当ですか? 約束して貰えますか?」
「ええ、バッチリ監視しますよ。もし勝手に進展しそうになったら、私が責任持ってぶち壊しますから」
「こらこらぁ!」
大長は心底楽しそうに笑った。
西風の里へ来て、本当に笑う事が多くなった。
そう、自分達はただ奉仕していただけではない。
お返しも沢山、たくさんたくさん、貰っているのだ。
それは、ツバクロも、ナナも、ユユも、カワセミも、きっとそうだ。
丘の上の、殆ど出来上がった修練所。
もうすぐあそこで子供達が学ぶ。
子供達は成長し、そして…………蒼の里の援助は、要らなくなるだろう。
それが目指す目標なのだ。
「おっさん!」
モエギに呼ばれて我に返った。
「皆もう旅発つ。シドとソラに祝福してやってくれ」
「ああ、はいはい」
少年達は氷蝙蝠(コォリコウモリ)の帽子を取って大長の前にチョコンと並び、ユユは更に増えたパンパンの荷物を何とか馬にくくり付け、カワセミはもう乗馬して、鷹のように前方を見据えている。
(しんみりはその時になってすれば良いですよね)
大長は心を込めて祝福し、三騎が砂の地平に小さくなって消えるまで、皆で手を振った。
夕空にモエギの流した風は、一番星のスピカを連れて来た。
西風は優しい星々の詩を孕(はら)んで、砂丘の空に拡がる。
~続スピカ・了~
~春待つ羽色のおはなし・了~