大きな草の馬は、稲妻の速さで空を駆けた。
経験した事のない速度。
モエギはタテガミにしがみつくだけで精一杯だった。
そんな意地も吹っ飛ぶ光景が目の前に現れた。
砂の原に、見た事もない羽根のある蜥蜴型の魔物が、十何匹も輪になっている。
輪の中心にモエギの馬と、カンテラを持った二人の子供の騎馬。
馬にモエギの危機を知らされて、また里を抜け出したんだ。
「モエギ様~~!」
「待ってろ、今行く!」
モエギは馬から飛び降り、剣を抜いた。
しかしモエギを降ろすと草の馬は、大長を乗せたまま上昇して行ってしまった。
「?? あんた?」
「大長様ぁ~~」
「自分達の事は自分達で解決しましょうね――」
大長はそのまま高く昇って行った。
「えええっ!?」
「そんなぁ~~」
いったい何なんだっ。
今しがた、良いヒトって思った所なのにっ。
大蜥蜴達は舌嘗めずりしながらほくそ笑んだ。
仲間内で何やらボソボソ相談し合い、的を子供達に絞っている。
この手の輩の目的は概ね一つ、結界の入り口を子供に吐かせて略奪に踏み入りたいのだ。
蜥蜴達が羽根を広げて飛び掛かろうとした瞬間……!
包囲の一画が崩れた。
漆黒の騎馬を先頭に、灰色の騎馬の一団が蜥蜴の中に斬り込んで来た。
「ドジ姫、ボサッとしてんじゃねぇ! 大事なちびっこナイトを守ってやらにゃ!」
「う、うるさい! お前らの助けなど……!」
モエギも乗馬して、黒の騎馬と背中合わせに、子供達を囲った。
「助けじゃねぇ! こいつら、俺等の敵でもあるんだ」
「え?」
一瞬気が反れたモエギの頬を、何かがかすめた。
――ザシュ!
ハトゥンが立ち塞がり、剣を一閃。
大蜥蜴が真っ二つになって宙を飛んで行く。
「!!??」
「ステルス能力。こいつら光の加減で姿を隠せるんだ。交渉の席でいきなり両側に攻撃を仕掛けて来たのは、こいつらだ!」
「何だって!?」
「こいつら流れモンだ。有力な部族同士を争わせて、漁夫の利を得ようとしやがった。水場のある土地を欲しがっているんだと」
「……!!!」
「あのヒトが教えてくれた」
ハトゥンは上空の緑の馬を視線で指した。
「ちょっと冷静に調べれば、すぐに分かる事なのに、って言われた。俺等も頭に血が昇ってた……ごめん……」
「ああ、私こそ……すまない……」
二人は背中を合わせ、力強く剣を構えた。
モエギとハトゥン、そして灰色の砂の民の騎馬の働きで、大蜥蜴達は蹴散らされた。
しかし逃げた何匹かが上空で集まった。
しくじった、体勢を建て直そう、なに、西風の部族は弱体化している、もう一押しで……
――!!??
彼等の目の前に、群青色の長い髪にオーラを纏わせた騎馬が、スゥッと降りて来た。
「運が悪いですね、私は、今、モノッすんっごい、機嫌がワルいんですっ!!」
長い夜が明け、東の地平に赤みが差した。
「大長様、意外と薄情なんですね」
小さいナイトの一人が言う。
「あのヒトに掛かったらこんな蜥蜴ども、一撃で終了だ。でもそれで済ませていいのか? って話だ。解るか?」
ハトゥンは幼い顔の少年に、噛んで含めるように言った。
モエギもハトゥンの横顔を見て、素直に頷いた。
あのヒトは、母者と西風の里を尊敬し、信頼していたから、内情には干渉せず、ただ友人として付き合っていたのだ。
そして母者は思わぬ事態で命を落とした。
それだけだ。
後悔しても何も変わらない。
多分もう、そういうのは済ませてここへ来たのだろう…………
「やれやれ」
大長は、剣の穢れを祓って収め、西風の里へ馬を向けた。
彼(か)のヒトの葬儀に立ち会わねばならない。
「まったく、どうして、こう、いつもいつも……」
明るい茶色の瞳のその少女は、彼を通り越して、いつも後ろのヒトを見ていた。
そのヒトに貰ったオモチャみたいな櫛を、後生大事に持ち続けていた。
彼女が、砂の民の余命幾ばくもない青年と真剣な恋に落ちた時も、彼は、相談に乗り親身に励ます役だった。
彼女が愛するヒトの分身を身体に宿してそのヒトを見送った時も、彼はずっと傍らに居た。
だけれど彼女は、それ以上寄り掛かってはくれなかった。
そういう間柄なんだ。
そういう縁(えにし)薄い間柄でいたからこそ、気安く長らく、隣にいられたんだ。
萱船に乗せられた棺が池の対岸へ渡る。
そこで彼女はゆっくり大地に還る。
上空に綺麗な風が吹いている。
風はそのヒトを送るため、空一面に、鈴蘭の原のような美しい鱗雲を作っていた。
~君影・了~
「おい、おっさん!」
蒼の大長は一瞬止まって、キョロキョロと辺りを見回した。
「あんただよ。いつまでも『あんた』じゃ悪いから、呼び方を変えたんだ」
オレンジの瞳の娘は屈託なく言い切った。
「それで、『おっさん』ですか? もうちょっと、その……」
「おっさんだからおっさんだろ。それとも、『おじ様』とでも呼んで欲しいのか?」
「……保留にして置いて下さい」
どうして普通に『大長さん』とか思い付いてくれないのだろう。
西風の里の長、浅黄の君が亡くなって幾ばくか経ったが、里の再生の道は容易ではない。
若者の殆どが戦で命を落とし、子供達を教育する者もいない。
長の血筋はこのモエギだけなのだが、風を流す能力を継承しているかは怪しい。
大長は西風の里に留まり、様々な世話を焼いていた。
朝夕の砂漠の風を流す生業や、病気の治療、萬(よろず)相談、その他諸々。
だが何と言っても、このヒトが居るだけで、他の乱暴な部族からちょっかいを掛けられない事が大きかった。
元老院は大長に、里の運営も任せてしまいたい風だったが、そこはやんわり断っていた。
「また年寄り達にゴチャゴチャ言われたのか?」
モエギは牧草地の柵に腰掛けて、干し肉を半分に裂いて、大長に寄越した。
「はぁ、西風の里は、この地に根を降ろした此処(ここ)の者が営むべきなんですよ。それを途切れさせるのは、『良くない』です」
大長は干し肉を受け取って、固そうに端っこを噛んだ。
「良くないってあいまいな理由だな、そんなんじゃ年寄り達、納得しないだろ」
「大切な事なんですけれどねぇ」
「ふぅん、まぁ、おっさんが言うのなら、そうなんだろ」
モエギは、塊の干し肉を難なくガシガシ噛み切った。
「そうそう、貴女の縁談も相談されました」
「何だよそれ、本人の居ない所で」
「取り敢えず私はお断りしました」
「あはは、うん、そうだろうなっ」
「そしたら、蒼の里の三人の長殿はどうかって」
「諦めが悪い」
「と言っても、二人は既に妻帯者だし、残る一人は……」
大長は目を閉じて、モエギと彼が対面した図を想像した。
「……多分、会った瞬間バトルになります」
「なんだそりゃ」
「そしたらね、妻帯者でも、第二夫人でどうかって」
「バカにしやがって!」
「まぁ、一人は妻一筋だし、もう一人はそんな事やらかしたら細君に半殺しにされます」
「あっははははは」
噛んだままの干し肉が、笑い声と共に上下する。
こういうのを愛でられる奇特な人種でないと無理だろうな。
「その内誰か一人来ますよ。私と交代で」
モエギは干し肉を呑み込んだ。
「・・おっさん・・帰るのか?」
「おっさんはこれでも忙しいんです。里に修行中の弟子もいるし、何やかやと用事もあるんです」
「そうか……」
モエギは心細そうに睫毛を伏せた。
馬繋ぎ場の方から、小さい騎馬が駈けて来た。
ちびっこナイトの一人だ。
「ハトゥン様からです」
懐に大事にしまっていた手紙を、モエギに差し出す。
手紙を開く娘の頬の温度が上がる。
ああ、ちゃんといるじゃないか、奇特な人種。
長は柵から反動を付けて離れた。
「蒼の一族はね、風と大地を司るんです」
「??」
モエギと少年はキョトンとした。
「大昔、風の力しかなかったご先祖が地上に降りて、今の場所に住んでいた大地の妖精と交わったんです。そして良い所も悪い所も分け合って、蒼の一族になったんですよ」
「…………」
「純血だのに拘る必要は無いって事です。交わって未来を開くケースも……うわっぷ!!」
背後から首に飛び付かれて、大長は腰が砕けるかと思った。
「おっさん! おっさん大好きだ、ありがとな!」
「分かりましたから、全体重で来るのはやめてください!」
彼女なりに悩みは深かったんだろう。
砂の民の街は、少しの山と砂の丘に囲まれた、風の来ない盆地にあった。
「あの建物だけれど……」
中央から離れた、ひなびた山の中頃、灌木の繁みに隠れて、ハトゥンは、モエギに言われた名前の者の家を指差した。
疲れた感じの老夫婦が寄り添うように、薪を束ねたりの外仕事をしている。
「誰なの? 仇とか言うなよ」
「うん……」
大長はその名前をモエギに告げて、こう言った。
「母君が、貴女の父君の名前を明かさなかったのは、その頃の両部族の関係が良くなかったからです。あと……」
「??」
「貴女を独り占めしたかったのもあるでしょうねぇ」
「母者……」
モエギは灌木の中で立ち上がって、真っ直ぐに、その老夫婦の所へ歩いて行った。
「おい?」
ハトゥンが慌てて着いていく。
「こんちは!」
突然現れた異種族の娘に、夫妻は目を丸くした。
「それ重いだろ。私が運んでやるよ」
娘は薪の束をヒョイと担ぐ。
「あ、あの……」
「心配すんな。私は力持ちなんだ」
「はあ」
茫然と突っ立っているハトゥンに、娘は振り向いた。
「ほら、お前も手伝え」
「あ、ああ……」
総領息子の登場に、夫妻は狼狽する。
「あっ、だめ、そこは踏むな!」
「??」
踏み出そうとした彼の足元を、娘は指差して怒鳴った。
そこには濃い緑の野草の葉が、無造作に繁っていた。だがよく見ると、古く石で囲われて一段高くなっている。
「植えているのか、これ?」
「いえ、花壇なんですか? ……気付きませんでした」
ただ家の前の繁みに生えている雑草、夫妻は知らなかった風だ。
「花が咲く。すこぶる良い香りの花だ、なぁ、爺さん婆さん」
異種族の娘に言われて、夫妻は、確かに春はその辺で、白い小さな花を見かけていたのを思い出した。花の香りなど、ここ何年も気に止めた事も無かったが。
「成長が遅くて育てるのに根気のいる野草だと聞いた。ここまで増えているなんて、これを植えたヒトは、きっと草花の事を良く知った、優しいヒトなんだろうな」
夫妻はハッと目を見開いた。
ハトゥンはキョトンと、老夫婦と娘を見比べている。
「おら、とっとと手伝え」
「分かった、分かったから蹴飛ばすなっ」
訳も分からず力仕事をさせられる総領息子に、おろおろする老夫婦。
かなり乱暴だけれど、この娘なりに、良い形を作ろうとしている。
この盆地に、古い両方の部族に、新しい風が吹くのも、もうすぐだろう。
~おまけ・了~