青空に点が見えたかと思うと、あっと言う間に騎馬のシルエットになった。
風切り音を唸らせ降下……と言うより落っこちて来て、地上近くで掛けたブレーキが風圧となって、すり鉢状に地面をえぐる。
普通なら馬もヒトもGにヤラれてタダじゃ済まないが、このヒト達は平然としている。
「お久し振りです、大長」
「ご苦労様、ツバクロ。来て貰って早々文句を言うのも何ですけれど、もうちょっと静かに降りて下さい。西風の里の馬繋ぎ場は、そういう仕様じゃないんです」
蒼の大長は、もうもうと立つ砂煙の中、砂を浴びてよろめいている老人達を助けながら言った。
「これでも手加減して降りたんだけれど……面目ないです」
ツバクロは周囲を見回して、一人だけガッシリ踏ん張っている娘を見止めた。
「ヤッホ! 君がモエギ!?」
西風の里に長らく滞在して世話を焼いていた大長だが、故郷の蒼の里にだって彼を必要とする用件が沢山ある。で、一時、三人の長の一人であるツバクロに任せて、里に戻る事にしたのだ。
「大長の手紙を見て早く会いたかった。ツバクロって呼んでくれていいよ。宜しくっ!」
「あ、ああ……宜しく……」
『あの』モエギが憎まれ口の一つも叩かず、心なしかドギマギしている。恐るべし、流し目王子。
西風の里は戦の爪痕で、若者が極端に少ないが、年若な娘達は幾らか存在する。
北の草原から竜巻みたいに降りて来た妖精が、絵から抜け出たような美男子だと聞いて、窓に鈴なりでワキャワキャとさざめいている。
「何処へ行ってもこの現象は変わらないんですねぇ」
「愛する女性はこの世に一人いれば十分です」
こんな気恥ずかしくなる一言も、この男はさらりと言ってのける。
側を歩いていたモエギが興味深げに聞いた。
「じゃあ、『妻一筋の長』ってのは、あんたか」
「やだなあ大長、僕らの事、このお嬢さんに何て説明しているんです?」
大長が口を開く前に、モエギが答えた。
「『怖い細君の尻に敷かれている長』と、『モエギに会った瞬間バトルになる長』だ」
「大長、それ、的確だけれど・・あんまりだ・・クックク・・」
引き継ぎは明日ゆっくりする段取りで、その日はささやかな歓迎を受けて、ツバクロは用意された寝所へ下がった。
しかし夜中、日付が替わる頃、大長の部屋へ枕と毛布を引きずって入って来た。
「大長ぁ~~」
「どうしたんです、ソラマメ虫でも出ましたか?」
「床でいいから、こっちで寝かして下さぁい」
流し目王子は情けない顔で床にヘタリ込んだ。
「この里のヒト達は何考えてんだ……」
ツバクロは四つ這いで、そおっと入り口から外を伺った。
「……また来た」
「??」
「まるでカルガモの引越しのように、次から次へと女の子が訪ねて来るんです」
「…………」
「北の草原の話を聞かせてくれとか言って。最初はイチイチ話し相手をしていたんだけれど、一人帰るとすぐ別の娘が来る」
「…………」
「話を聞きたいんなら、まとめて来てくれればいいのに、あの娘(こ)達、仲悪いんだろか? 第一何だって夜更けにあんなに女の子がウロウロしているんです。親御さんは心配しないんですか?」
「ツバクロ……あのね……」
長は、溜め息を吐いて、寝台の上にアグラをかいた。
「西風の里の老人達は、蒼の里の血統を入れたがっているんです。自分達より優位種だと思っているようで。実は違うんですけれど。言っても分かって貰えないのですよ」
ツバクロは目を点にして、暫く考え込んだ。
この男は一見こなれているようで、単に天然100%なだけだったりする。
何せ足掛け数十年掛かりの恋を、何の躊躇もせず勢いで実らせたのだ。
「え、何? あの娘達、僕に、その、ぇぇえっ? そのまんまの意味っ!?」
「既成事実を作りたかったんでしょうね」
「はああぁぁあ~~っっ!?」
紺色の癖っ毛をクシャクシャと掻いて、ツバクロは頭を抱えた。
「よくそう言うのに応じるね、あの娘達。純で素朴な、いい娘ばっかりと思ったのに」
長は真剣な顔をして、彼を覗き込んだ。
「純で素朴だからですよ。里の将来の為だと言われれば、我が身は二の次になるんです」
「…………」
「娘達なりに一生懸命なんですよ」
ツバクロは仔犬のような困り顔になる。
「……僕、どうすりゃ良かったんです?」
「そのままで良かったんですよ。娘達は勇気を奮って行ったけれど、蒼の妖精殿はその気にならなかった、それだけです、誰も叱られません」
ツバクロはふと思い付いて、顔を上げた。
「もしかして大長もおんなじ目に遭いました?」
「私は初日は厩(うまや)へ避難しました」
***
遥か北の草原から遠路飛んで来て、堅い床で寝る羽目になった憐れな妖精に、翌日更なる受難が待ち受けていた。
朝、ツバクロが寝惚け眼で水場へ行った時、周囲が何だかさざめいた。
特に気にせず顔を洗って振り向くと、凍り付いた表情のモエギが突っ立っていた。
「やあ、モエギ、おはよ……」
「私に・話し・掛・け・る・な!!」
オレンジの目をギラギラとたぎらせて、彼女は大股で去って行った。
「……???」
茫然と立ち尽くすツバクロの耳に、周囲の娘達の小鳥のような囁きが入る。
カメを持った老人が現れて、カメを横に置いて、ツバクロに仰々しくお辞儀をした。
「夕べはお疲れの処、多々のお情け、感謝致します」
ツバクロは首に掛けていた手拭いを落っことして、大長の所へ駆け戻った。
「最初に一人が見栄を張っちゃったんでしょうねぇ」
大長は苦笑しながら、ツバクロに引き継ぐ仕事を書類にまとめていた。
「な、な、何とか、して下さい!!」
ツバクロの寝所を訪ねた娘達が、自分一人だけ相手して貰えなかったと言えなくて、結局全員、目眩(めくるめ)くような夜を過ごした事になっていた。
今日の午後には大長は帰ってしまう。
ツバクロは『絶倫男』の烙印を押されたまま、一人この里に取り残されるのだ。
「だからって、娘達を嘘つきにしちゃ、可哀想じゃないですか」
「僕は可哀想じゃないんですかっっ!」
途方に暮れるツバクロに、大長が一つの提案をした。
「取り敢えずモエギの誤解は解きましょう。彼女が何か良い知恵を出してくれるかもしれません」
「僕、外に出たくありません……」
ツバクロは情けない顔で膝を抱えた。
こんな仔犬のような男の何処がタネウマだっていうんだろう?
大長は溜め息吐いて、モエギの説得を引き受けて、外へ出て行った。
「あんまりだ、僕が何をしたっていうんだ。これでも里に、年頃の息子娘がいるというのに」
頭を抱えて一人部屋に残る妖精に、受難は追い討ちを掛ける。
――カツ、カツ・・
窓のヘリを叩く者がいる。
ツバクロはソロ~ッと戸口の方から外を見た。
窓の所に居たのは厩(うまや)番の少年だった。
ややホッとして、窓に回って顔を出す。
「何か用事かい?」
「あの……」
少年は罰悪そうに、ツバクロを見上げる。
「貴方の草の馬……」
「んん? 奴は気性が荒いから。言う事を聞かないかい?」
「いえ、その……昨日の飛行を見て、カッコ良いなって……」
「ああ、はは、ありがとう」
こんな子供には大人の卑猥な噂は届かないらしい、よかった。
「僕達もあんな風に飛んでみたいなぁって言っていたんです」
「うん、一朝一夕じゃ無理だ。でも、居る間になら少しづつ教えてあげるよ」
「それが、もう……」
「??」
「僕の相方が、ちょっとだけって跨(また)がって、急上昇して帰らないんです」
「なんだってぇえっ!?」
ツバクロは弾かれたように外へ飛び出した。
ふざけた視線など無視して、少年の案内で里を駆け抜ける。
頬を染めた娘がきれいに洗った手拭いを差し出して来たが、それも無視した。
「何処で、どの位前!?」
「馬繋ぎ場で、ほんの少し前」
ツバクロの『夏草色の馬』は、里でも飛び抜けて気難しく凶暴だ。
ぶっちゃけツバクロ以外は馬銜(ハミ)も受け付けない。
蒼の一族でもない子供にいきなり跨がられた日にゃ、気分を害して何をやらかすか分かったモンじゃない。
「大長の『闘牙の馬』は?」
「大長様が乗って行かれました」
「……じゃあ、君達の馬を貸して。なるべくバネのある奴」
少年は見事な飛節の青毛の馬を引っ張り出した。
「一番ジャンプ力があります」
「良し、じゃあ君は、大長を捜して知らせてくれ」
ツバクロはヒラリと馬に跨がった。
風がヒュッと渦巻いて、馬の全身が総毛立つ。
「・・行け!!」
西風の妖精の馬は草の馬とは違うけれど、ツバクロの飛行術は里一番だ。
強力な風に包まれた馬は、馬自身もビックリする大ジャンプをした。
少年は唖然と見送ったが、気を取り直して自分の馬を引いた。
大長様の行き先はだいたい見当が付いている。