西風の里を出て、ツバクロは一度も地面に着かずに馬を飛ばし続けた。
当の馬は初めての体験に戸惑っている。
「大丈夫だ、僕に任せて置けば」
ツバクロは馬に優しい声を掛け、自分の草の馬の気配を探した。
アイツが無茶に飛んだのなら、気流の乱れた跡がある筈。
目を細めると、風が千切れて一直線に切り開かれている。
「あっちだ、行くよ」
乗り手が更に風を集めて、馬は心の準備も出来ないまま高空へすっ飛ばされる。
ピィ~~と、鼻から悲鳴を上げるが、この乗り手は脚(きゃく)を緩めてくれない。
「いた!」
前方に馬影を見付けた時は、この並みの馬はヨダレと鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「おーい!」
ツバクロが声を掛けると、馬上の少年は振り向いた。
てっきり馬の背中に張り付いて泣きベソをかいていると思いきや、意外と涼しい顔をして、ツバクロに気付いて罰悪そうに身を竦めた。
主を見止めて夏草色の馬は、早駆けしていた歩を止めた。
こちらも予想と違って、そんなに不機嫌な様子ではない。
「ごめんなさい……」
少年は上目で、追い付いて来たツバクロを見た。
しかしその顔は頬を紅潮させ、直前まで時間も忘れて楽しんでいたように見える。
ツバクロは馬を寄せ、少年に並んだ。
夏草色の馬は主が別の馬に跨がってるのを見て、機嫌を害して、哀れな鼻水だらけの馬に噛み付きに掛かった。
「こらダメ、元々はお前が原因だろが」
ツバクロが叱る前に、少年が馬の首に手を当てた。
馬は意外なほど素直に首を下げた。
「へえ」
草の馬が主の命令以外で、ましてや初対面の者の言う事を聞くなんてまず無いし、ましてや夏草色の馬は、里でも偏屈王で通っている。
「お前、どうしちゃったの?」
再度並びかけながら、ツバクロは相棒に聞いた。
馬はクルルと喉を鳴らした。
いやぁボクとした事が……って感じの声だ。
「ちょっとだけ、のつもりだったんです……」
少年は馬の背で言い訳をする。
「ふうん……」
ツバクロは複雑だったが、ここは大人として懐深く対処せねばなるまい。
「説教は省略だ。反省は自主的にして置け。空を飛ぶのは初めてか?」
「大長様に一度、前に乗せて貰いました。その時大体の感覚を覚えたんです」
「ほお」
確かにバランスも反動の抜き方も危なげない。
「じゃあ、里までそのまま一緒に降りよう。着地が一番難しい。実地で教える」
「は、はい!」
二頭はゆっくり里へ向かった。
「あれ?」
里の近くの洗濯板みたいな岩地の上に、大長とモエギ、それにハトゥンが手を振っている。
「あそこへ降りる。上体を逸らせて絶対に前屈みになるな」
「はいっ」
「口を閉じて奥歯を噛み締める」
「??」
「降下」
――――〇×○×####!!!
少年が我に返ると、地上近くで、隣のツバクロが手綱を握ってくれていた。
注意されていなかったら、馬の首に頭をぶつけて舌を噛んでいた。
地上に着くと、ツバクロの乗っていた青毛は安堵一杯な顔で座り込み、夏草色の馬は今更ながら身を震わせて少年を落とした。
「えーと」
モエギがこめかみをポリポリ掻きながら、罰悪そうに口を開いた。
「悪かったな、誤解して」
ハトゥンがニヤニヤしながら歩み寄る。
「よ! 生殖一代男」
「勘弁してくれ」
「悪りぃ悪りぃ。とんだ災難だったな。とにかく西風の娘には気を付けな、可愛い顔して凶悪・・ぐふっ・・あ――、砂の民のハトゥンだ。この辺りの部族相手で困った事があったらいつでも相談してくれ」
「あ、ありがとう、助かるよ。ツバクロだ、宜しく」
やっとマトモな言葉の通じる相手に出逢えた気がして、ツバクロはホッとした。
「それで、里の方の対策ですが」
大長が二人をにこやかに眺めながら切り出した。
「モエギが良い案を出してくれました」
「ホントっ?」
「ああ、お前の潔白を証明しつつ、女の子達も責められない形にすればいいんだろ」
「出来るの? そんな事」
「あんたの協力も要る」
「勿論」
「良し!」
蒼の長は二人の会話を聞きながら、ハトゥンの方を見た。
「いいんですか?」
「ああ、俺は全然構わないぜ」
モエギはツバクロを真正面から見据えて言い切った。
「今からあんたは、私のハズだ!」
***
西風の里の上空に死にそうな悲鳴が響き渡った。
ドップラー効果と共に、ツバクロが自分の馬と一緒に降って来て、中央広場に大クレーターを描いた。
真ん中で大の字で伸びる蒼の妖精。
馬は難なく着地して、主をキョトンと見ている。
老人達も、娘達も、何事かと集まった。
一拍置いて、上空から闘牙の馬に跨がったモエギが降りて来る。
「申し開き出来るってんならやってみろ、この飄録玉(ヒョーロクダマ)!」
馬から飛び降りて、長鞭を二重にしてビシビシしごきながら、倒れているツバクロに迫る。
「こ、これ、モエギ……」
老人がおろおろと口を挟むが、身は挟まない。
「マ、マテ、モエギ、ゴカイダ」
ツバクロは起き上がって後退りする。
「うわ、大根……」
物陰の大長とハトゥンは首を竦めた。
……この作戦、僕の尊厳はどーなるんですか? と心配するツバクロに、『生殖一代男』とどっちがマシだ? と半笑いで迫ったのはハトゥンだった。
「モエギよ、どういう事じゃ?」
老人の一人が杖の陰に隠れながら、そおっと聞いた。
「皆に内緒にしていたけれど、私、このヒトと付き合う事に決まっていたんだ。大長殿の仲介で。第二夫人でいいからと譲歩してやったのに、里の中に第三第四第五云々夫人まで作るとはぁあ!」
モエギはオレンジの瞳をメラメラと燃え立たせ、鞭をヒュッと飛ばした。
ツバクロの耳の横を鞭の先がかすめ、癖っ毛の先がハラリと落ちる。
演技とは思えないんですケド……
「ダカラ、ゴカイダ。ボク、ナニモシテイナイ」
「まだ言うかァ――!!」
ツバクロの大根はモエギの迫力で相殺する。
再び鞭を振り上げた所で、娘の一人がヨロヨロと進み出た。
「待って下さい。……ごめんなさい、私、嘘付きました」
それを皮切りに、娘達は次々に嘘を白状した。
結局、蒼の妖精は娘の誰とも関わらなかった事が明白になった。
やれやれだ。
ツバクロは肩を降ろしたが、モエギはまだ止まらなかった。
「誰がこんな酷い事を企んだ!?」
メラメラ燃える眼は老人達に向けられる。
「ひ、酷いとは? 里の将来の為、蒼の妖精の優れた血統を入れる事は重要で……」
「西風の娘達は、血を受ける器ではない!」
モエギは目を見開いて一喝した。
既に演技は終了していた。
娘達は顔を上げた。
誰に言われるでもなく、自分達の意思でモエギを見つめた。
「我が里の誇るべき娘達は、西風の血を伝える、一人一人かけがえのない娘達だ!」
「立派です。浅黄殿も喜ばれる」
物陰の大長はポツリと呟いた。
横のハトゥンは真剣な顔で、碧緑の髪が波打つ西風の娘を見つめていた。
大長が出発の前に、ツバクロは例の厩番の少年を青毛に乗せて、里の者達に披露した。
ホンの数刻ツバクロが稽古を着けただけで、この人馬は、草の馬に近い所まで飛んで見せた。
もう一人の少年も、彼に及ばないまでも、今までと比べようもない飛行をやってのけた。
「出来ないと思っていただけじゃないんですか? 蒼の一族の子供と草の馬だって、飛行術をマスターするのに何年もかかるんだ。凄いですよ、この里の子供と馬の地力は」
老人達は目を見開いて口をパクパクさせるばかりだった。
最後に先の少年は、皆の度肝を抜く急降下をやってのけ、他の子供達の喝采を浴びた。
子供達は目を輝かせて、広場の人馬に駆け寄る。
「ツバクロは流石ですねぇ」
大長は目をしばたかせた。
「確かに、浅黄殿の父君の代あたりでは、皆今よりも断然飛べていました。能力が失われたのではなく、伝える術(すべ)を失くしていたのですね」
「蒼の妖精だってちゃんと教わらなきゃ、飛べなくなってしまうんでしょうか」
「ツバクロは教わらなくても勝手に飛んでは騒ぎを起こしまくっていましたね」
「それは……」
「おぉ――い、ツバクロ!」
二頭の馬に群がる子供の真ん中で、モエギが叫ぶ。
「皆乗りたがって大変だ。治めてくれ」
「あ、みんな、待って待って、訓練の時間を決めて、ちゃんと全員に教えられるようにするから!」
ツバクロは長の側を離れて駆けて行く。
「いやいや、西風の子供達の隠された才能、もしかしたら乗馬だけではないかもしれません。楽しみですねぇ」
大長は上空高く舞い上がり、モエギや少年達、里の者達、ツバクロも、見えなくなるまで見送った。
空の点が消え、西の雲が桃色にうっすら染まる頃、老人達はニコニコとツバクロに切り出した。
「で、祝言は如何致しましょう?」
「は?」
「貴方様とモエギの。第二夫人とはいえ、我が里の大切な長娘。ないがしろには出来ますまい」
「え……えーと……」
しどもどのツバクロの肘を引っ張って、モエギがきっぱり言った。
「急がなくとも良い。私達はじっくり愛を育む時間が欲しい。な、ハズ」
ふむふむあのモエギがなぁと、老人達が感慨深げに去ったてから、モエギはツバクロを突き飛ばした。
「ホンット、あんた、優柔不断な。そんなだからあんな事になったんだぞ」
「面目ない……」
「居る間はハズって事にしといてやる。そうして置けば老人達も大人しくしているし、娘達は二度と寄って来ないだろう」
「え、それは……」
モエギにギロリと睨まれてツバクロは黙った。
まぁ確かに。
明日から朝夕の風を流して、引き継いだ仕事、子供達の飛行指導。
女の子と関わっている暇なんて無いだろう。
襟元正して心新たにするツバクロだったが、大長が帰りがけに風出流山(かぜいずるやま)の神殿に寄り道して告げ口し、愛する妻君の大爆笑を取った事は、知る術も無い。
~燕の受難・了~
ツバクロさん、お疲れ様でした
次回、舞台は蒼の里……