サンピラー~ダイヤモンドダスト~・Ⅰ
「お父様のバカァ!!」
執務室の入り口で、真っ赤な顔をしたユユにぶつかって、ナナは戸口にしたたかに背中を打ち付けた。
双子の妹は振り向きもせず大股で走り去り、室内には困り顔の父ツバクロが取り残されていた。
「またですか……」
双子の兄は肩を竦めて、視線を奥の大机のノスリ長に向けた。
彼は書類から上目だけ出して、見ない振りをしている。
ここは北の草原、蒼の里。
草原を統べる蒼の長の執務室。
今の長は、ノスリ、ツバクロ、カワセミの三人体制。
その下に、ナナやユユを含む幾人かの若者が補佐し、枠外から前長の大長が見守っている。
ナナとユユの叔父でもある大長は、今は西の砂漠の地へ出向中。
内政担当ノスリ、外交担当ツバクロ、里で唯一の有翼で術担当のカワセミの三人は、幼馴染みで仲が良く、執務室は円滑に回っていた・・が、数日前にちょっとした波風が立った。
「……変な聞き間違いをしたみたいだ。もう一度言ってくれないか?」
乾いた半笑いで首を左右に傾けるツバクロ。
「ユユを妻にしたい、と言った。今度は聞こえたか?」
何の悪びれもなく、真っ正面からサラリと言う、カワセミ。
奥の大机のノスリとナナは、まぁそろそろだよなと予測していたので、大して驚かず、黙々と明日の仕事の段取りをしていた。
「ぼ、僕は、君の、父親になるのかっ?」
(第一声がそれかよ!)と口の中で突っ込みを入れるノスリ。
「……ああ、そうか……」
当のカワセミはまったくの通常運行。
「でも別に、今まで通りでいいんだろ? 勿論キミが『おとうさん』って呼んで欲しいのならそうするけれど」
これが、皮肉じゃなく大真面目に言っているもんで、奥の二人は笑いを堪えるのに必死だった。
そう、カワセミにしたら、物凄く真摯に、妻になる女性の父親に『正式に挨拶している』つもりなのだ。
人間の何倍も生きる妖精なので、歳の差はあまり問題にならない。
しかし、自分の子供時代のあんな事やこんな事を知り尽くしている幼馴染みが、自分の娘の配偶者になると言うと、話が違う。
……おそらく多分、何処のどんな種族の父親だって、複雑な想いを抱えるんじゃないか?
案の定ツバクロは、その日から微妙~に、ご機嫌斜め。
カワセミはというと、それまでの不安定さが解消され、上機嫌に仕事に勤しんでいる。
彼が順調だと執務室は実に潤滑に回る。
悔しいけれど……カワセミは、精神的に事足りていれば、とっても優秀なのだ。
ノスリは大机に就任して以来、一番安泰な気分を味わえていた。
「ツバクロ、頼むから、カワセミをこのままそぉっとして置いてくれ」
相棒に懇願されて、父親の不機嫌の矛先は娘に向いてしまうのだった。
で、ここの所、父親と娘は事ある毎にいさかいを起こしている。
その内容が、『婚礼の儀式をどーするのこーするの』『晴れ着の丈がどうの柄がどうの』『振る舞い菓子の数と種類がどーたら』・・等々、外野からしたら脱力する程どうでもいい事ばかり。
だが、ユユの決めて来たそれらを、ツバクロがことごとく難癖つけて否定するのだ。
「分かっているんだけれどね」
ツバクロも仕事に飛び立ってから、ノスリがナナにウンザリと言った。
「何にだって一言は難癖を付けたいんだ。娘を持つ父親なら、いっぺんはかかる、麻疹(はしか)みたいなモンさ」
ナナは机の書類を繰りながら苦笑いした。
「詳しいですね」
「俺は人生で十回以上経験している」
ノスリ家は十数人の子沢山だ。
「でも女の子は七人でしょう?」
「男の子は相手方の父親がその症状になる。それに付き合ってなだめるのは、こっちの父親の役目」
「…………」
ユユの相手にはその父親も親族も、誰も居ない。
「心配なんですが……」
ナナは読み終えた書類を折り畳んで懐に入れながら、ノスリを見た。
今日から西の砂漠の土地に出向する事になっている。
西風の里の駐在を大長と一時交代するのだ。
「父上は意外と頑固なんです。僕が居ない間に、何も無ければいいんだけれど」
「ああ、俺も気を付けてフォローするよ」
双子の兄のこいつにその手の話が全く持ち上がらないのは、この気苦労性のせいだろうか……
「それよりお前、気を付けろよ。西風の一族。ツバクロの話だと、寝る時に部屋の入り口にバリケードを作れって言っていた位だから、かなり凶暴な部族だぞ」
戦々恐々と出発するナナを見送って、ノスリは事務仕事に戻った。
「ねえ、あなたからも何とか言って下さいな」
遅くに帰宅したノスリは、妻のフィフィに捕まった。
「どうした?」
ノスリは小声で聞いた。
奥では、小さい子供達とユユが眠っている。
父のツバクロは出向が多く月の半分は不在、母親は遠方に在住・・という境遇の双子は、小さい時からノスリ家の世話になって育った。元々子沢山だったフィフィは気軽く引き受けたのだが、ユユは彼女を第二の母親のように慕っている。
今は実子達は独立し、ナナは大長の家に移っているが、この家は相変わらずの大家族だ。
ノスリとフィフィは、親の居ない子供や、親が留守がちな子供達をいっしょくたに引き取って、コロコロと面倒を見ている。天性の世話焼きなのだ。
「またユユが愚痴を言って、今日は半泣きだったの。ツバクロが子供みたいに意地っ張りなのは昔からだけれど、いい加減腹をくくって欲しい物だわ」
「うーん……」
ノスリはツバクロの心持ちが分かるだけに、即答は出来なかった。
「あなただってユユの育ての親じゃない。ユユに幸せになって欲しいでしょ。カワセミがやっとその気になってくれて、私だってホッとしているのよ」
「へぇぇえ!?」
「??……なによ?」
「お前の子供時代からは考えられない台詞だな」
そう、幼少期のフィフィとカワセミは天敵同士で、カワセミがフィフィを怒らせては追い掛け回される図は、当時の里の風物詩だった。
「あ、あの頃は、子供だったのよ!」
お団子頭の妻は、昔みたいにむくれた。
「私はただ、カワセミの伴侶になれるのなんて、この世にユユ以外には居ないって……ああ、そうね、私、カワセミにも幸せになって貰いたいんだわ」
***
確かに、あのカワセミと一緒になれるような稀少な女性は、そうそう現れるモンじゃない。妖精の一生は長いと言えど、この機会を逃すと次は無いかもしれんな。
子供の頃からの相棒の一世一代の幸せが掛かってるんだと、ノスリは気持ちを新たにした。
朝イチの執務室には、既にツバクロが来ていた。
「早いな」
「うん、ナナがいないからね。手紙の束、こっちに運んで置いて良かったんだろ」
「ああ、サンキュ」
こういう所は気の回る奴なんだけれどな。
「今日、奴は?」
「ん? あぁ、カワセミね。棘の森に出張っていて……ぼちぼち帰って来るんじゃないか?」
「……そう」
ツバクロは気に止めない素振りをしながら手紙を開封して揃える。
「なあ・・ツバクロォ・・」
声を掛けられるのに備えていたように、ツバクロはペーパーナイフを乱暴に置いた。
「ノスリには何人も娘がいるじゃないか。僕は一人娘なの、たった一人しかいないっ」
「何人でも一人でも一緒だよ」
ノスリが抑えた声で言って、ツバクロも俯(うつむ)いた。
「……ごめん」
「この際何でも言ってみろ。聞いてやるから」
「だってだって、この間まで子供だったんだ。危なっかしくて目が離せなくて、肩車ばっかりせがんで、それが何だよ、急に大人になって、あっと言う間に嫁ぐとか、もうちょっと段階って物があ□※○▽◎△□※○☆▽△□※○▽△Х□※○▽△□○◎△□※○☆※○Х∞∞∞
(はいはい)
と頭の中で唱えながら、ノスリは心頭滅却して聞いていた。
蒼の里きっての切れ者とか言われるこいつでも、こういう時はその辺の父親とパターンは変わらんな、ひとしきり吐き出して気が済んでくれればいいんだが。
「うふふふ……うふふふふ……るるるん♪」
空気を読まないこの鼻唄は……
「ただいまぁ!」
入り口の御簾が元気良く開いて、久方振りの大長が朗らかに入って来た。
「何ですか、お通夜みたいな顔をして。こんなにいいお天気で、里の皆も元気で滞りのない日常が回っているというのに!」
何なんだこのハイテンション、西風の里から帰る度に、このヒト何かおかしくなって行くぞ……
立ち尽くす二人にお構い無しに、大長は喋り続けた。
「ナナとは昨日引き継ぎをして、私はちょっと寄り道をしてから、今帰って来たんです。ところでツバクロ!」
「は、はい……」
「手紙で知って、嬉しくて飛び上がってしまいました。この度はおめでとうございます」
「あ、はぁ……」
「ナナに聞いた所に寄ると、貴方は喜びの余り、ユユにお祝いの言葉も言い忘れているようですね。そんな貴方にビッグな贈り物を用意しました。今すぐ私の家へ行って下さい」
「……………」
「さあ早く!」
されるがままのツバクロの背中を押しながら、大長はノスリにウインクした。
慌ただしく二人が出て行って、残されたノスリは真顔でポツリと呟く。
「あのヒト、時々、ハズすからなぁ……」
執務室のすぐ裏の、一段高くなっている大長の自宅前で、フィフィが手を振っている。
「あ、ツバクロ、早く早く!」
大長とお団子女将に室内に押し込まれたツバクロは、よろけながら目を見開いた。
天窓の陽光の下に立つのは……
「君……どうしてここに……?」
妻はここから遥か離れた山の神殿で守り人をしていて、そこから離れられない筈……
ヴェールを揺らして振り向いた女性は、しかしよく見ると、妻ではなかった。
「ユユ??」
娘がこんなに妻の面影を写しているなんて……今の今まで気付かなかった。
茫然と突っ立っている父親の前で、ユユは裾と袖が百合の花のように広がった総レースの真白い衣装をフワリと広げ、夢見るような表情で回って見せた。
「お父様、どう?」
「・・・・・・」
大長がフィフィと共に入って来る。
「あの子がねぇ、ユユの何時(いつ)かの日の為にと、少しづつ編んでいたんですって」
「凄いわぁ、大長様の妹君。里の女性総出でも、こんな複雑な模様、編みきれないわ」
暢気に会話している二人の横で、ツバクロの目に光が走った。
やにわに娘に駆け寄って、衣装ごとしっかと抱きすくめる。
「ダ…・メ・だ!」
「??」
ユユはびっくり目を丸くして何も言えない。
大長もフィフィもハタと止まった。
「やらない! 誰にもやらない! 僕の大切な娘!」
「まだそんな事、言ってンの?」
フィフィが呆れ声を出す。
「じゃ……じゃあ、聞くが、幸せになれるか、ユユは? カタカゴはどんな一生を送った? あれを幸せと言うか!?」
「お父様!」
ユユが叫んで父親の言葉を遮ったのと、大長とフィフィが入り口を振り向いたのと、同時だった。
――ペタン
乾いた音がして、羽根を伏せたカワセミが、其処に尻餅を着いていた。
水色の目を真ん丸に見開いて、口を半開きにして。
「カワセミ・・!」
水色の妖精は黙って立ち上がり、スゥッと後退りして御簾の向こうに消えた。
ユユも大長も、あまりの事に、一瞬の行動が遅れた。
慌てて外に飛び出したが、そこにはもう誰も居なかった。
そしてそれから、蒼の里からカワセミの姿は消えた。