十二月ともなると、街の空気は冷え込んでいた。
時刻は午前九時となり、エアコンから出る風も生暖かいものとなっていた。
「———それじゃあ、明日の14日には退院ですので、準備しておいてくださいね」
「分かりました、今までありがとうございました」
———退院。
いよいよ退院だ。
入院することになったキッカケは⋯⋯そう、数週間前の出来事だ。
俺はバイトを終え、家路を急いでいた。
そんな時、見た。
否、見てしまった。
複数の黒い影が、一人の少女を取り囲んで罵詈雑言を浴びせる様を。
残念ながら、何の話をしているのかはさっぱり判らなかったが、善良な一市民として暴行を。
———とりわけ、集団暴行を見て見ぬふりなどできるわけもなかった。
「おい!何してんだ、アンタら!」
と、内心ではビビり散らかしながら、虚勢を張って突っかかって行った。
結果として、俺はぐうの音も出ないほどにボコボコにされた。
(というか、何なんだアイツら。人のこと散々殴りやがって⋯⋯)
結局、後から来た人に助けられて、病院へと搬送されて今に至る。
(そういえば、今日はその二人がお見舞いに来る日だったな)
———そう思うと少し、気持ちが暖かくなったような気がした。
〜数日前〜
「———というわけで、キミには秋観市民病院で起きている不可解な事案の調査を頼みたいんだ」
魔力欠乏症も治り、復帰したわたしが事務室に呼び出されると、そこで待っていたのは先生と新しい任務だった。
(いや、別に大丈夫だけどさ⋯⋯。毎回だけど、この絶望的な人手不足はどうにかした方がいいと思う⋯⋯)
「特に問題はありません⋯⋯ですが、具体的な期限はいつですか?」
流石に、今日行ってこいとか言われたら堪ったものじゃない。
などと考えていると、先程から部屋の外で聞き耳を立てていた少女———ルフェイが部屋に入ってきた。
「ルフェイ!?どうしてキミがここにいるんだい!?」
(あ、やっぱり。ルフェイが盗み聞きしてるの気づいてなかったんだ⋯⋯)
そして、扉を閉めるや否や、———ルフェイは急に怒り出した。
「どうしてはこっちのセリフだよ!あほアーニー!!」
あほアーニー。———またしても渾名が増えている。
「アホッ⁉︎いや、僕自身も病み上がりの一ノ瀬さんに、任務を任せざるを得ないことは申し訳ないと思ってるよ⋯⋯」
と、先生はあからさまにしょぼくれた。
その顔は、上層部に逆らうことができず、さりとて部下に横暴にもなりきれない大人。
所謂、疲れた中間管理職のそれだ。
(⋯⋯そろそろこの人は胃潰瘍にでもなるんじゃないだろうか)
後で胃薬でも勧めようか、などと考えているうちに、未だ言い足りない様子のルフェイが猛抗議した。
「だったら!自分で!どうにかすればいいんじゃないの!!」
子供であるが故の理屈、子供であるが故の詭弁。———子供であるが故の愚かさ。
そう断じることはできるだろう。しかし、これも子供であるが故の気遣いというヤツなのだろうか?
(そろそろ、ルフェイを止めないと騒ぎを聞きつけて他の人が来てしまうかも知れない)
その気遣いはありがたい。しかし、立場のある人間というのは、立場に合わせた振る舞いを要求されるものだ———と、わたしの友人が言っていた。
この場合、[執行官]である自分がとるべき行動は、任務を受諾して、任務をこなすことになる。
「まあまあ、落ち着いてルフェイ。仕事はやらなくちゃいけないのが大人なんだよ。そうですよね、先生?」
(しまった。最後の方に同情の念が漏れてしまった⋯⋯。まぁ、いいや)
「一ノ瀬さん⋯⋯!解ってくれるのかい、私の日頃の苦労を⋯⋯!!」
目の下に隈のある顔で、地獄の中で蜘蛛の糸を見つけた人間のような表情をした先生が、わたしの両手を掴んでブンブンと上下に揺さぶる。
(どうやら、この人に必要なのは胃薬じゃなくて休日とカウンセリングらしい。本当に大丈夫かな、この人)
両腕ブンブンを繰り返す最中、急に先生が何かを思い出したように声を上げた。
一体何を思い出したというのだろう?今日締め切りの仕事でも思い出したのだろうか?
「言い忘れてたけど、任務の期限は、その⋯⋯」
わたしの仕事の締め切りの話だったようだ。そういえば、わたし自身も質問したことを失念していた。
なかなか言い出せない先生に業を煮やしたのか、ルフェイが急かす。
「そこまで言ったんなら言ってよ!」
至って正論。正論だけど、もう少し先生の気持ちを考えてあげてよ、ルフェイ。
「でも⋯⋯えっと⋯⋯うぅん⋯⋯」
歯切れが悪い。もうこの際、今日中でも構わないから早く言ってほしい。
「早く言ってください、別に短くても問題ないので」
人に優しいのはありがたいが、わたしのような人間に優しくされても困る。
わたしには、何も返せるものが無い。
「えぇ⋯⋯じゃあ言うけど?」
(本当に、長い前振りだった⋯⋯)
「⋯⋯一週間」
———ん?聞き間違いか?
今、一週間って言ったか?この男。
「⋯⋯一週間ですか?」
一週間もあったら病院一つ調べるどころか、県中の全ての病院を制圧できる。
「ごめん!無理だよね!解ってるよ、でも⋯⋯ごめん!!」
⋯⋯どうやら、何か誤解が生じている。
「いや、別に問題ありませんよ」
むしろ、無理な理由が無い。
前回の任務で無茶をしたわたしを注意したわりに、リスク管理意識がガバガバなんじゃないだろうか。
「え⋯⋯問題無いの?一週間」
「はい、問題ありませんよ。一週間」
———そんな間の抜けたやりとりで始まった今回の任務だが、壮絶なリスクを伴うものだったと痛感させられることを、この時のわたしは予想だにしなかった。
〜12月13日〜
いよいよ退院一日前となった今日23日。
しかし、俺が楽しみにしているのは退院では無い。
今日は例の[暴行を受けていた少女]と[倒れていた俺と少女を助けた女性]がお見舞いに来る日だ。
⋯⋯一応弁明しておくと、俺は別に下心があるわけでは無い。
ただ、事の顛末とあの二人が何者なのかに興味があるだけだ。
「井上さ〜ん、お見舞いの方がお越しですよ〜」
と、看護師の人がカーテンをめくって話しかけて来た。
俺は返事をすると上半身を起こし、訪問者に備えた。
わたし達三人がこの病院———[秋観市民病院]に来たのには理由が二つほどある。
一つは[お見舞いと尋問]。
以前、ルフェイと初めて会って[学院]で保護することになった日。
あの時、わたしよりも早くルフェイを見つけていた人物がいる。
名前は[井上 涼]。ルフェイと本人の話を纏めると、ルフェイが数名に暴行を受けていた所をアルバイト帰りに通りがかった井上くんが助けに入った⋯⋯ということらしい。
(まぁ、詳しいことは本人に会って聞き出せばいいか訳だし、先生にも尋問してくるって言ったから大丈夫な筈⋯⋯)
そして、二つ目は[病院近辺の調査]だ。
ここ最近、病院近辺で[指定造反者]が目撃されたという情報が上層部に入ったらしい。
[造反者]と言うのは、所謂[悪い魔術師]のことだ。
一般には[魔法]や[魔術]は秘匿されている。
理由は単純、[できる人]と[できない人]がいるからだ。
そんな中、秘匿の原則を破ったり、[魔術]を用いて一般人に何らかの害を及ぼした[悪い魔術師]をわたしのような[執行官]が捕まえたり、罰を与えたりする。
要するに、魔術絡みの犯罪者が[造反者]で、魔術絡みの場合のみ動く警察みたいなものが[執行官]だ。
———そうこうしている間に、井上くんが入院している病室の前まで来てしまった。
どうやら、受付からわたし達を案内してくれた看護師さんが、面会が来たことを伝えてくれたようだ。
「どうぞ入ってください。私は仕事に戻りますので」
そう言って案内の看護師さんは去って行った。
六人合同に病室で個人のスペースを分けるためのカーテンを開けながら、「こんにちは、怪我の具合はどう?」とわたしが質問する。
すると、元気の良い挨拶を返して、お陰様で怪我は問題無く治ったと告げる。
(本当に明るいタイプだ⋯⋯まぁ、その方が気楽で良いか)
などと考えながら適当に話を合わせていると、「そういえば、そちらの人はどちら様ですか?」と、喪服のような黒い服を来た付き人のことを質問して来た。
「ああ、ごめんね。そういえば初対面だったね———」
続けてわたしが紹介するよりも先に。
「申し遅れました。ワタシは[市ヶ谷 紗雪]と申します。以後、お見知り置きを」
と、ほぼ完璧な自己紹介をした。
そう、彼女の名前は[市ヶ谷 紗雪]。わたしよりも三歳ほど年上だが、今は訳あってわたしの付き人として一緒にいる。
ふと目をやると、ルフェイが井上くんに歩み寄り、持ち込んだクッキーの缶を開けている。
(———そうか、既に何回かお見舞いに来てるから、人見知りのルフェイでも井上くんとは話せるのか)
どうやら、ルフェイと井上くんでの会話が始まってしまったようだ。
和気藹々といった様子でルフェイが話をするのはわたしか先生ぐらいしかいないので、微笑ましい。
微笑ましいのだが⋯⋯。
———これでは一向に仕事が進まない。
「もしよろしければ、ワタシがここに残るので、依頼人とのお話に行かれては?」
「えっ、良いんですか?」
実のところ、その仕事はわたしとルフェイの仕事であって、紗雪さんが関わるような事では無いのだ。
わたしの仕事に、この人が勝手に付いてきただけである。
「はい。場合によっては、ワタシも無関係では済まないので」
(⋯⋯どういう意味だろうか?)
と少し気になったが、人にはそれぞれ事情があるものだ。
———と、自分を納得させた。
「じゃあ、お願いします。まずは依頼人の榎本さんと合流して話をつけてきます。しばらくしたら戻ります」
「判りました。では、また後ほど」
わたしは井上君と会話中のルフェイに呼びかけた。
「じゃあ、わたしは依頼人に会ってくるから。何かあったらちゃんと紗雪さんの言うことを聞くんだよ」
こうして、わたし達は役割分担を済ませ、別行動をとることにした。
コツコツと足音が響く廊下を歩く、今居るのは三階の廊下。
わたしと今回の依頼人は四階の廊下、窓際にある休憩場で合流する手筈になっている。
エレベーターに乗り、一つ上の階に上がる。
(確かに、この病院は当たりかも知れない⋯⋯)
などと考えていると、声が聞こえた。
『やはりそう思うか。この病院———異常なまでに空間魔力が濃いようだ』
この声はわたしにしか聞こえないらしい。というか、実際には声ですらない。
ある日を境に、わたしの心にはもう一人が現れた。
二重人格のような物だろうと、医者には言われた。
これはその[もう一人の人格]がわたしに語りかけている時に聞こえてくる。
(あ、起きたんだ。やっぱりそう?)
『無論だ。尤も、何者かが手を加えたりせぬ限りは斯様な事態にはならぬ』
(そうだよね。なら、それを突き止めるためにも、早く依頼人に会おう)
『そうするが良い。私もこの空間には辟易せざるを得ない』
不快そうに言って、もう一人の人格である[ミナ]は静まった。
気づけばわたしは目的の休憩場に着いていた。
休憩場には一人の女性の姿があった。背格好から察するに、今回の依頼人で間違いないだろう。
「こんにちは。あなたが榎本さんで合ってますか?」
「は、はい!あ、えと⋯⋯あなたが[学院]の⋯⋯?」
「はい。本当は[執行官]なんですが、どこも人手が足りないので。」
もっとも、本当は人手不足だけが理由ではないが。
「あはは⋯⋯そうですよね、私が居た時もそうでした」
「ええ、困った話です。では、本題に入りましょうか。一体何が起きたんですか?」
わたしやミナ、先生の見解が正しければ、今のこの病院———[秋観市民病院]の状況はかなり危険と言っていい。
できれば、この予想が外れていた方が嬉しい。
「えっと、この病院の北棟には行かれましたか⋯⋯?」
病院の北棟———というと、わたし達が居る南棟の反対側に位置する場所になる。
「いえ、行ってませんが」
「そうですか、じゃあまずはそちらに向かいましょう」
そうして、わたし達は北棟に向かうことになった。
道中、彼女はポツリポツリと話し始めた。
「実は———私の知り合いのお子さんが、ここの病院に入院していたんです」
「そうだったんですか?でも、どうしてそれをわたし達に?」
「それが、その子が急に原因不明の高熱を出して⋯⋯」
———何だって? わたしが考え込んでいると、彼女が口を開いた。
「私はその子の担当で、娘さんの病気について調べていました。そうしたら⋯⋯その⋯⋯原因不明の病気に罹っている可能性が高いって」
「それは、どんな症状なんでしょうか?」
彼女の表情が曇る。あまり言いたくないことなのか、それでも意を決したように言った。
「———昏睡状態のまま、身体がどんどん衰弱していく、そんな症状です⋯⋯」
わたしは彼女の話をメモしながら、話を続けるように促す。
「それで、その患者さんは今どこに?」
「今は別の病院に移されました。でも、他にも同じ症状の兆候が出てる人がいるし、なんらかの魔術の形跡もあるし⋯⋯それで私⋯⋯どうしたらいいかわからなくって⋯⋯」
そう言いながら、榎本さんは泣きそうになっていた。
私は泣き出しそうな榎本さんを落ち着かせつつ、今回の依頼の内容を確認する。
「落ち着いてください。なら、今回の依頼はその魔術形跡の調査ということでいいですか?」
「はい、お願いします」
「分かりました。では、早速調査を始めます。ところで、この病棟内に他の人はいますか?」
「えっ?はい、この棟は改修工事中で、今日は⋯⋯工事はお休みなので、私たちだけです」
わたしは頭の中でミナに呼びかけた。
(ねぇ、ミナ。何か感じない?)
『ふむ、病院全体の空間魔力が濃いと思っておったが、この病棟は飛び抜けておるな』
(やっぱり。じゃあ、その件も含めて、今回の依頼内容をこなすよ)
『よかろう』
すると、榎本さんが遠慮がちに手を挙げた。
「あのー、私はもう仕事に戻っても大丈夫ですか⋯⋯?」
そういえば榎本さん、看護師の仕事の休憩時間中だったっけ。
「はい、もう大丈夫です。それと、このことは他言無用でお願いできますか?」
(まぁ、学院卒業生の榎本さんならそれくらいは解ってるだろうけど、一応ね)
「わ、わかりました!じゃあ、失礼します!」
そう言って、彼女は走って行った。
さて、わたしも頑張らないと。
わたしは気合いを入れ直し、行動を開始した。
(よし、行こう)
わたしは廊下を進み始める。
コツコツという足音が響く中、わたしは周囲の気配を探る。
尤も、気配と言っても人間の気配では無い。
魔術の気配とでも言おうか⋯⋯。
魔術を使えば、その場に痕跡が残る。
魔術とは、自分の魔力を放出することで何らかの事象を起こす技術だ。
故に、行使すれば必ず空間魔力に行使者の魔力の残滓が混じってしまう。
だから、魔術師には魔術が行使された痕跡が判る。
(とはいえ、これは無理かもしれない⋯⋯。場所自体の空間魔力濃度が高すぎる)
『何処からか、漏れ出ているのであろうな』
(漏れ出てるって?)
『そのままの意味だ。何らかの術で一箇所に集めた魔力が合間を抜け、漏れ出ている』
(魔力を集めておく。それならば使われる魔術はかなり絞られる)
経験上、こういう場合は結界系の魔術が行使されていることが多い。
(落ち着いて、よく視る⋯⋯)
この異常なまでの空間魔力濃度は、恐らく結界の内から漏れ出ている。
なら、空間魔力の流れを遡り、結界のヒビを探せばいい。
集中して流れを探して、遡って行く。
額に汗を滲ませながらも、見失わないように注意しながら進んでいく。
そうして、渡り廊下のある三階から、五階へと上る。
五階は食堂や図書室、研修室などがある部屋のようだ。
しかし、改装工事中ということもあり、机や椅子といったものの姿は無い。
その代わり、床にはチョークのような物で魔法陣が描かれている。
(落書き⋯⋯じゃないよね?)
『うむ、違うな。これは本物、しかも召喚術の類だな』
(召喚術?でも何の?)
『これだけでは何とも言えんな。———!』
そのまで言って、ミナは黙ってしまった。
屋上から魔術の気配、それも高度な魔術だ。
(これだけの魔術行使、一体どうやって隠していたんだろう)
少し気になったが、考えるのは後だ。