青葉の書いた瑞鶴の参加する作戦に関する記事は、瞬く間に基地中を駆け巡った。瑞鶴を心配するもの、執務室に殴り込みに入るもの、いろんな者たちで騒がしくなった。
提督には色んな言葉が投げかけられたものの、彼はそれをただ受け止めた。
間もなく艦娘たちも、妖精たちも、瑞鶴と残されたときをどう過ごすか。それを考えることに全力を傾けた。食事、お風呂、差し入れなど、色んな理由を使って。
そんな中加賀は日常を過ごす一方、瑞鶴の生還の可能性をあげるための訓練もおこなった。
塗りつぶされた迷彩模様。かつてはこの姿で、瑞鶴は沈んだ。でも今度はその運命を、流れを変えてほしいと願って。
瞬く間に時は過ぎ、出撃の前夜を迎えた。
瑞鶴は、自室で加賀と共に温かい布団に寝転がり、彼女の腕の中に抱かれていた。
「えへへ。加賀さん、温かいね」
「暑すぎないかしら?」
「ううん、私は好きだよ。加賀さんのぬくもり」
かつて海鷲の焼き鳥製造機、人殺し長屋と呼ばれただけあり、加賀は体温の高さを気にしていた。
「そう。あなたが、いいなら」
加賀は頬を赤らめる。今では自分の体温が高いのも、悪くないと彼女は思っていた。
体温が高ければ、寒くても大事な人を温めることができる。
「……加賀さん」
ふと、腕の中の瑞鶴がつぶやいた。
「寒いの?」
「なんで、そう思うの?」
「だって加賀さん、震えているよ」
季節は冬ではないが、だからといって暑いというほどではない。雪の降る寒い冬でもない限り、体温の高い加賀が震えることなどない。
だからこそ、加賀の震えに瑞鶴は違和感を抱いた。
自分では抑えていたつもりだったが、密着しているせいで、腕の中の瑞鶴には震えが伝わっていたようだ。
「……仕方がないでしょう」
加賀は、瑞鶴を抱く腕に力を籠める。
「だって、もう一緒に時を過ごせるのが、これで最後になるかもしれないのよ……」
加賀からすれば、なぜ瑞鶴はこうも落ち着いていられるのかと思わずにはいられなかった。
明日は、彼女の出撃の日。
加賀は訓練を共に行ったし、提督だって改装をできる限りおこなった。
それでも、囮作戦など生還できる見込みは限りなくゼロに近い。
ともに夜を過ごせるのも、これが最後になるかもしれないのだ。
そう思うと、不安や後悔ばかりが募ってくる。
「お願い、瑞鶴。ここに……、そばにいて。行かないで……」
瑞鶴に縋りつくように、彼女は言う。
「……できないよ」
「なら、一緒に逃げましょう。ここを離れて、誰の手も届かない遠くまで」
「加賀さん……」
ふと、瑞鶴は加賀から少し離れ、顔を見合わせる。
「私はね、何も死にに行くわけじゃないんだよ」
加賀は、彼女の言葉を黙ってきく。
「私はね、みんなを守りに行くんだ。折角仲間を守るために戦えるのに、そんなに悲しそうな顔しないで」
「だって……、その先に待ち受けているのは、ほぼ沈むという運命じゃない。生還できる可能性なんて……」
「低いよね」
月明りの中で、彼女の顔に闇がさす。
「でも、最後に沈む運命だとしても……」
彼女は表情を引き締め、加賀を見据える。
「今度はかつてとは違う。エンガノ岬の時みたいに絶望の中、ただ沈みにいくわけじゃない」
不自然なほどの笑みで、彼女は話す。
「この基地には提督さんが、加賀さんが、共に過ごしたみんなが、私が希望を託せる仲間がいるから、私は行けるの」
たとえ自分が居なくても、望みを託し、歩き続けてくれる仲間が、ここにはいる。
「そしていつか、私が守ったみんなが深海棲艦を根絶して、平和な海を取り戻してくれる。そう信じている。だからさ……」
瑞鶴は、静かに言う。
「沈んだって、大丈夫だよ」
「滅多なこと言わないで!」
加賀は叫んだ。
「例え平和な海が訪れても、そこにあなたがいないなら、意味がないの……」
「加賀さん……」
縋りついてくる加賀の背中に、瑞鶴は腕を回す。
「加賀さん、最初に言ったけど、私は死ににいくわけじゃないんだよ?」
加賀は顔を上げ、彼女を見上げる。
「必ず帰ってくる。だから、いつもの顔で送り出して」
加賀は悟った。
この子は、とっくに覚悟を決めている。そして、今度は帰ってくるつもりでいる。
囮として沈むわけじゃない。この基地のみんなを守るためにいくと、そして帰ってくると、心に決めて。
「約束するから」
すると瑞鶴は、小指をだけをたてて、加賀の前に差し出す。
「例え手足がなくなっても、暗い海の底に沈んでも……、生まれ変わってでも、必ず、帰ってくるから」
そこまで心を決めている彼女に、加賀は何も言えなかった。
「……ええ」
加賀は、自身の小指を瑞鶴のものと絡める。
「必ず、帰ってくるよ」
瑞鶴は顔を近づける。
「加賀さん寂しがり屋だから、1人にできないしね」
彼女は、絡めた小指を軽く上下に振る。
「約束だよ」
絡めた指が離れた。
「……わかったわ」
加賀は瑞鶴を腕の中に抱いて、布団をかぶった。
「……おやすみなさい、瑞鶴」
「おやすみ、加賀さん」
そして加賀は彼女のぬくもりを、朝まで感じ続けた。
翌朝、基地の波止場には提督だけでなく、この基地所属の艦娘全員が集まっていた。
「じゃあ、行ってくる」
瑞鶴は基地の艦娘たちを振り返り、最後になるかもしれないと皆を見渡す。
誰も言葉を発さない。
彼らは決めていた。いつもと同じように、彼女を送り出そうと。
「……瑞鶴」
ふと提督が声を漏らし、瑞鶴が振り向いた。
「……君の」
武運を祈るか、作戦成功を祈るか、皆言葉の先を待つ。散々迷った末、提督は言った。
「一刻も早い帰還を、待っている」
瑞鶴は微笑んだ。
「うん!さっさと片付けて、帰ってくるね!」
瑞鶴は大きく手を振り、皆の見送りを背に、作戦海域へと向かっていった。
瑞鶴が基地を出発してしばらく、基地の飛行場の滑走路脇には、エンジンの始動を終えた艦載機たちが並んでいた。
「整備班長、行ってまいります!」
出撃する妖精たちを代表し、零戦21型の妖精が1人、整備をしてくれた班長へと礼をする。班長は静かに言った。
「瑞鶴さんを、頼むぞ」
「はい!」
零戦虎徹、と書かれた飛行服を着た妖精は操縦席に入り、最終確認を行う。今回の出撃には、零戦12機、九七式艦攻6機、九九式艦爆6機が随伴する。
いずれも、瑞鶴が着任したときから生き残っている腕利きばかり。
前日に瑞鶴航空隊は解散となり、加賀や基地航空隊へ編入となった。そして加賀と司令官が選んだ腕利きが、最後に、共に出撃することになった。
瑞鶴が囮となれる時間が伸ばせるよう、零戦は上空で直掩を行い、艦攻と艦爆は少しでも引き寄せられた深海棲艦に打撃を与える。
いつもの出撃に比べて、寂しい数の艦載機。これも、作戦の指示だという。
妖精は、ふと準備を進めているほかの機体を眺めた。
皆、今日は帰らぬ覚悟のもと、出撃する。最後の瞬間まで、母と共にいると決めて。
いや、作戦完了まで瑞鶴を守り、母だけは絶対に仲間のもとに返すと誓って。
もう、この基地に帰ってくることはない。そう思うと、なぜか空が、海が、この基地が、風がいとおしく思えてきた。
妖精は、目頭が熱くなるのを感じた。
「時間だ!行け!」
班長の掛け声で、妖精はブレーキから足を離し、機体を滑走路まで誘導する。滑走路端に到着すると、スロットルを押し込み、加速する。
そして、がんばれ、と叫びながら帽子を振る妖精たちに見送られ、空へと飛び立っていった。
基地を飛び立ち、決められた進路を進む妖精たち。零戦は増槽を、艦攻は魚雷を、艦爆は爆弾を抱えている。
予定では瑞鶴に一度着艦し、その後作戦海域付近で再び発艦し、彼女を援護することになっている。
「間もなく瑞鶴さんが見えてくるはずです」
九七式艦攻の中央座席に座る偵察員は、地図とにらめっこしながら母の位置を操縦員に伝える。
それから間もなく、妖精は海面に艦娘が立てる独特の2本のウエーキを確認した。
迷彩模様で見づらくなっているが、彼女たちの母、瑞鶴に間違いない。
「瑞鶴さんを確認しました」
「了解。では着艦準備に」
着艦準備に入ろうとしたとき、機体に感じたことがない激しい振動がおこりはじめ、栄エンジンから異音がし始めた。
「あれ……、どうした」
操縦員の妖精はエンジンの回転数を調整したり、燃料の供給ルートを変えたり等考えつく限りのことをして復旧を試みるが、それでも振動が収まる気配はない。
そして……。
「あ!」
エンジンがオイルを噴き出し、風防の前面を汚した。こうなっては、もう復旧は無理だ。離脱し基地へ帰還するか、近くの島へ着陸するか、海面に着水するしかない。
母との最後になるかもしれない任務で、自分たちだけ外れなければならないうしろめたさに、九七式の妖精たちは周囲を振り返った。
そして、妖精たちは目を丸くした。
他の機体も、いや随伴している全機が、発動機の不調を起こして機体がふらついている。どんな機体も完璧に整備する整備班長が見た機体が、全機同じタイミングで、同じ不調を起こすなどありえない。
『みんな聞いて』
機上電話から、瑞鶴の声が耳に入る。
『直掩隊と攻撃隊の、全機発動機の不調を確認。全機、海面に緊急着水するか、近い孤島に着陸して救助を待って。私は……』
わずかな間をおいて、彼女は答えた。
『私は、作戦海域に、向かうから……』
妖精たちは機上電話に向けて叫んだ。
「いやです!私たちも一緒に行きます!」
妖精たちは機体の不調をなんとかして瑞鶴に追いつこうとするが、機体がいうことを聞かない。
「瑞鶴さん!待ってください!」
このまま直掩無しに深海棲艦との戦闘になれば、結果がどうなるかなど明らかだった。
1機の護衛もなく敵の攻撃を浴びれば、かつての繰り返しにしかならない。
だれにも看取られることなく、ただの的になり、母に孤独な、凄惨な最期を迎えさせることになる。
それだけはさせられない。妖精たちは皆そう思っていた。
『お願い、従って。私からの、
瑞鶴は速度を上げ、作戦海域への足を速める。
「……瑞鶴さん」
彼女の背中が、次第に小さくなっていく。
「瑞鶴さん!」
無線を切っているのか、呼びかけても、彼女は振り向かない。
「瑞鶴さん!!」
妖精たちは、あらん限りの声で叫んだ。
「「「お母さん!!」」」
瑞鶴が振り返る。彼女はわずかな間微笑んだ。
そして表情を引き締めると、作戦海域へ向け、速度を上げていった。
妖精たちはその背中を見送ると、風防の中でうつむいた。
―――ごめんなさい。
―――1人にして……。
―――最後まで、一緒にいられなくて。
―――許して、ください。
九七式艦攻の偵察員の妖精は奥歯をかみしめ、周囲を見渡した。10時方向に、空母艦載機の発着艦訓練に使用している孤島の滑走路が目に入る。
「魚雷を投機!10時方向、島の滑走路に緊急着陸!急げ!」
偵察員の指示に操縦員は直ぐに応える。他の妖精たちも機体を軽くするため余分な装備を捨てると、エンジンが動いている間に方向を変え、着陸の準備に入った。
滑走路の奥へ奥へと、順に着陸していく艦載機たち。妖精たちは着陸するとエンジンをとめ、急いで機体から離れた。
そして物陰に隠れると、機体の様子を眺めた。エンジンから煙は出たものの、爆発する様子はないことに安堵する。
妖精たちは一か所に集まり、これからどうしようか、話を始めようとした。そのとき、島に近づくエンジン音が耳に入る。
全員が空を見上げると、見覚えのあるスリムな機体が目に入った。
偵察機の彩雲。識別帯が白2本だから、自分達同様瑞鶴飛行隊のものだとわかった。彩雲は上空で翼を振ると、基地へむかって戻っていった。
九七式の偵察員の妖精は落ち着こうと、必要な備品を入れた鞄の中の水筒に手を伸ばした。すると、鞄の中に入れた覚えのない紙が入っていることに気づいた。
それを取り出すと、目を見開いた。
『私の、子供たちへ』
それは瑞鶴の筆跡だった。急いで文面に目を走らせる。
『みんな、こんな形でのお別れになって、ごめんね。
最後に1つだけ、お願いを聞いて。
これから先、提督さんや加賀さん。基地のみんなが困っていたら、
助けてほしいの』
『ただ沈むための任務に、みんなは連れていけない。
提督さんや、加賀さん。基地のみんなを、お願い。
あなたたちは、基地のみんなは、私の、希望だから。
私の、自慢の子たち、だから』
『立ち止まらないで。深海棲艦を倒すという目的を見失わないで。
あなたたちが歩み続ける限り、私はその目的の中に、ずっと生き続ける』
妖精たちは、母の残した手紙の文面を読み進めていく。
彼女の、最後の想いを、読み取ろうと。
そして手紙の終わりに少し小さめの字で、こう書かれていた。
『最後に、もし帰ることができたら、
笑顔で出迎えてくれると、嬉しいな』
便箋に雫がしたたり落ち、シミを作る。妖精たちは、こらえきれず泣き出した。
今になってわかった。
なぜ全機が同時に不調を起こしたのか。これはおそらく、瑞鶴の指示で、整備妖精たちが行ったもの。
その理由に、妖精たちは気づいた。
ともに帰らぬ覚悟で行く妖精たちを、この先も続く戦いに向けて、希望を残すために。
妖精たちは、瑞鶴に、母に守られたのだと、いうことを。
その後妖精たちは、回収に来た駆逐艦たちに収容され、基地へと帰還した。
その間、妖精たちは瑞鶴の向かった先を見つめていた。
母が帰ってくることを、願って。
同時に、希望だと言ってくれた母の想いに応えなければならないと、胸の中で誓った。
瑞鶴の沈没を皆が知ったのは、作戦成功の報から間もなくのことであった。
本土の鎮守府の関係者が歓喜にわく中、この基地の中では喜ぶものは、だれ1人いなかった。
加賀は、昨夜瑞鶴と共に寝た布団を腕の中に抱いた。
かすかにでも残る想い人の匂いやぬくもりを、感じ取ろうと。
でも、もう彼女はもう帰ってこない。
その事実を受け止めきれず、加賀は部屋の中で1人、泣き続けた。
明るい海面が、どんどん離れていく。
―――そっか。私、沈んだんだ。
海面に向かって手を伸ばすが、光がどんどん小さくなっていく。
―――約束、守れなかったな……。
加賀に、みんなに必ず帰ると約束したのに。
―――もう一度、みんなに……。
―――加賀さんに、会いたい。
『必ず、帰ってくるって。例え手足がなくなっても、暗い海の底に沈んでも……、
瑞鶴は、加賀との約束を思い出す。
―――そうだ。帰らなキャ。
―――手足がなくなっテモ。
―――海の底に沈ンデモ。
―――生まれ変ワッテデモ。
―――カエリタイ。
「カエラナキャ……」
海の底から何かが、彼女を海面へと、押し上げた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
短編として投稿した「還ってきた片翼」ですが、書いた当初は短編1話ではなく、
このような前日譚を含め連載を考えていましたが、短編の練習として投稿しました。
ですがこの前日譚を放置しておけず、結局投稿することにしました。
また投稿の機会がありましたらよろしくお願いします。