マノリア修道院は聖マノリア神を崇めるマノリア教徒らの寄付金によって、今から約200年前に建てられた。
聖マノリア神はかつて世界中に降り注いだ炎からガルディア王国を守った女神としてたたえられている。
マノリア神には諸説あり、マノリア教徒の間でも意見が分かれ、ゆえに同じ宗教の間で対立関係が続いていた。
一説では、聖マノリア神ははるか太古の時代に起源を持つ。
大いなる魔導の力を持つ者がいて、彼女は邪教徒から世界を守るために、自らの肉体を捧げ、女神となった。それが聖マノリア神だ。
マノリア神はその後、邪悪な炎「ラヴォス」の覚醒を阻止し、未来永劫、ラヴォスを地下に封じ込めた。
この説は最も有力なものとなっている。
もう1つの説は、大いなる魔導の力を持つ者がいて、彼女は邪教徒の教えのままに、自らの肉体を捧げ、邪悪な炎「ラヴォス」を覚醒させる女神となった。
その後、大いなる剣士が現れ、剣士の力によって、彼女はラヴォスの束縛から解放され、聖マノリア神となり、未来永劫、ラヴォスを地下に封じ込めた。
どちらの説も似通っているが、細部に違いがあった。
有力な前者の説を唱える者からすると、聖マノリア神が邪悪なる「ラヴォス」を覚醒させるという罪を犯したとする考えを好ましく思っていないようであった。
時代が進み、マノリア神への信仰者は数を減らし、最近では信者らの資金繰りに苦労するようになっていた。
マノリア教徒が減少した背景には、魔王軍の隆盛がある。
魔王は「聖マノリア神は存在しない。ラヴォスはいずれこの大地に姿を現すことになる」と主張した。
魔王軍の力が強くなると、ガルディア王国も魔王軍の影響を受けざるを得なくなり、やがて魔王軍に懐柔する者が続出した。
今では、むしろ人間より魔族のほうが、マノリア教徒の数が多いと言われるほどだった。
サイラスはガルディア城に仕える兵士であるが、ガルディア騎士団は所属する兵士らが宗教になびくことを禁じていた。
宗教に左右されず、ガルディア王国を守るための取り決めであったが、ガルディア城が宗教に介在しないということで、余計にマノリア教徒の資金繰りがうまくいかなくなった。
宗教も金がかかるものであり、宗教家という職業が立ち行かなくなると、信者の数も減るものだった。
そこへ漬け込んだ魔族が最近はマノリア修道院周りに住まうようになっていた。
サイラスはマノリア修道院近くにある魔族の集落にやってきた。
その集落には魔王軍の大使館があり、魔王軍との外交の連絡所になっている。
戦争中とはいえ、ガルディア王国はずっと平和的な解決を模索してきた。しかし、平和的解決の話は芳しくなかった。
サイラスが大使館にやってくると、魔族の男が不機嫌そうな顔つきで出て来た。
「サイラスか。何用だ? 面会の予定はなかったはずだが」
魔族の男は巨大な棍棒で地面を叩いた。威圧感があったが、サイラスは憮然とした態度でその男と向かい合った。
「一つ尋ねたいことがある。いいか?」
「ふん、そんな義理はない。さっさと帰りな」
男は取りつく島がなかった。魔王軍とガルディア王国の関係が悪化するに比例して、魔族の態度も悪くなっていた。
サイラスはちらりと後ろを振り返って、後ろで控えていたグレンを呼んだ。
「グレン、あれを」
「ああ」
サイラスに言われて、グレンは懐からゴールドの袋を取り出した。
十分に膨れていて、見たところ2万ゴールドはくだらない金額だった。
魔族が大好物を見るようにかたずを飲んだ。
「取引をしよう。あんたにとっては悪くない話だと思うぜ」
「ぐふふふふ、サイラス、貴様がまさか賄賂をちらつかせてくるとは思わなかったぜ。どういう風の吹き回しだい?」
魔族の男は先ほどの嫌悪感をなくして、笑みを浮かべた。
「こちらも事情があってな。15000ゴールドある。ただし、こちらの質問に答えたらだ」
「ビネガーから借金をして返せなくて困っていたところだ。何でも答えてやるよ」
魔族を落とすのは難しいことではなかった。サイラスはあまり金で魔族を買収するようなことをしたくなかったが、リーネ姫の命がかかっている。リーネのためなら、どんな汚いことにも手を染めるつもりだった。
「では答えてもらおう。マノリア修道院は最近ずいぶんと多くの魔族が出入りしているようだが、マノリア修道院で何かたくらみをしているのではないか?」
「くくく、貴様の言う通りよ。ビネガーの部下にヤクラというやつがいてな、修道院を拠点にしている。やつは変化の術に長けるからな。やつの部下もみな変化の達人ばかりよ」
魔族の男は素直に答えた。
「答えたぜ。金だ」
「もう1つ教えてくれ。ヤクラはビネガー大臣からどんな任務を受けていた?」
サイラスは15000ゴールドの約半分だけを魔族の男に渡した。
「リーネ誘拐だよ。人間に成りすましてうまくやったかどうかはおれも知らねえ。まあ、おれは人間の女なんて興味ねえがな。おれにとってはこいつのほうがうまそうに見える。ぐふふふふ」
魔族の男はサイラスの隣にいたグレンを見て、いやしく笑った。グレンはゾッと身震いした。
「答えたぜ。残りの金をよこしな」
「受け取れ」
サイラスは残りの金を渡した。
「また儲け話があれば取り次いでやるよ。だが、ビネガーには内緒だぜ」
魔族の男は金を受け取ると、そのまま大使館の奥へと消えて行った。
サイラスは振り返り、兵士らに命じた。
「マノリア修道院へ行く。リーネ姫を救出するんだ」
「はっ」
ガルディア騎士団の兵士は掛け声を同じくした。みな、リーネを助けたいという心で統一されていた。
◇◇◇
マノリア修道院に魔族が入り込んでいる。
この話自体はガルディア城にも風の噂として入り込んではいた。しかし、まさかリーネ姫を誘拐するというようなおおそれた計画の拠点になっているとは予想にもしなかった。
おそらく、あらゆる存在に変化することができるヤクラがガルディア城の関係者に変化して、ガルディア城に入り込んだものと思われる。
そして、ヤクラがリーネをうまく誘導して、最終的に誘拐に乗り出した。
「ガルディア城に魔族のエージェントの侵入を許したとは不覚。ガルディア騎士団最大の失態だ」
サイラスはそのことを強く反省した。このようなことは決してあってはならないことだったが、まんまと騙されてしまった。
「仕方ないよ、サイラス。でも、人間になりすましていたとすると、大臣かな」
グレンはそう言ってサイラスを慰めた。
「サイラス隊長、大臣は足が悪かったはずでしたが、最近は何度か自分の足で歩く姿が目撃されていたのです。その異変に気付いていながら、私たちは何の報告もしませんでした。大変申し訳ありませんでした」
兵士はそう言って頭を下げた。しかし、いくらそういう事実があったとしても、それだけで大臣が魔族の者だと断定するのは難しい。これは誰のせいにもできないことだった。
「過ぎたことを言っても仕方ない。行こう。今ならまだ阻止できるかもしれない」
「グレンの言う通りだ。急ごう」
この中で、グレンだけは冷静だった。よく言えば冷静。悪く言えば、騎士団の忠誠に疎いともいうことができた。グレンはいつも裏方であり、責任が任される立場から逃げ続けていた。だから、今もサイラスの背中に隠れる形で、勇ましい言葉を紡いでいるに過ぎなかった。
◇◇◇
騎士団はマノリア修道院にやってきた。
修道院は森の中にあり、修道院に続く道の前には、マノリア教徒がいて、あたりを監視していた。
「大勢で向かうと怪しまれる。おれとそれから……グレン。二人で向かおう」
「え、お、おれが?」
言われて、グレンは動揺した。ずっと責任の小さいところに隠れていたグレンにとって、敵のアジトに乗り込むのは勇気のいることだった。
「何言ってんだ、サイラス。おれが戦えないのは知ってるだろ。おれなんかより副隊長の……」
「ダメだ、グレン。来るんだ」
「サイラス」
グレンは弱気な目をするばかりだった。
グレンの腰抜けはガルディア騎士団では有名な話だった。グレンはどの戦争でも、ろくに戦うことができなかった。
しかし、グレンが今日までガルディア騎士団にいるには理由がある。
グレンは矛盾した2つの肩書きを持つ。
1、ガルディア王国最弱の男
2、ガルディア王国最強の男
グレンは実戦になると足がすくんで動けなくなる。ゆえに、周りからは「カエル」というあだ名で呼ばれてきた。
しかし、訓練ではとてつもない偉業を成し遂げている。
剣の試合にて、ガルディア騎士団隊長のサイラス相手に18戦18勝負けなし。
サイラスはガルディア王国の民すべてが認める最強の剣士だ。
しかし、剣の試合では、グレンはサイラスをも超える。サイラスの太刀をすべて見切り、逆にサイラスから一本を取ることができる唯一の男でもあった。
このギャップがグレンの特徴だった。
試合では最強。しかし、実戦では、酒場の酔っ払いオヤジからも逃げ出す臆病者だった。
「グレン、いずれはお前がガルディア騎士団を率いていかなければならないんだ」
「無理だよ、サイラス。実戦になると、どうしても足がすくんで動けなくなるんだ」
「きっかけがあれば、お前も勇者になれる。大丈夫、自分を信じるんだ」
サイラスにそう言われても、グレンは乗り気ではなかった。しかし、隊長であるサイラスが自分に期待をしてくれている以上は、グレンも逃げ出したくはなかった。
しばらく考え込んだ後、グレンは震える足を叱咤して、顔を上げた。
「わ、わかったよ、サイラス」
「その目だ。その目を忘れるな」
サイラスは目の前のグレンから確かな勇者の片鱗を見ていた。
◇◇◇
サイラスとグレンは二人でマノリア修道院に続く森道にやってきた。
すると、修道女の一人が声をかけてきた。
「これはサイラス様。マノリア修道院にどのようなご用件で?」
修道女の目はどこかサイラスをいぶかるような色をしていた。
「なんてことはない。国王から、一度は修道院にも顔を出しておけと言われていましてね。それで部下を一人だけ連れて参拝に来たのです」
サイラスは演技でそう答えた。演技はうまく、サイラスの表情には、闘志はまったく見えなかった。
また、グレンを連れて来たのも功を奏した。グレンの力強さに欠ける優しい目を見た修道女は口元を緩めた。
「そうでしたか。それはようこそ、マノリア修道院へ。私がご案内いたします」
「ありがとう」
こうして、二人はマノリア修道院に怪しまれることなく向かうことができた。
修道院はだいぶ古くなっていたが、あちこちに改修された跡があり、原型に手が加えられた痕跡が見て取れた。
修道院の中では、修道士らが、手を合わせて、聖マノリア神に祈りを捧げていた。
信者の数はそれほど多くない。
修道士の一人がピアノの演奏を始めると、修道院の雰囲気が色濃くなった。
サイラスは信者らが祈りを捧げる様子を見ながら、修道院全体を見渡した。
特に怪しそうな場所は見当たらない。リーネ姫が誘拐されていたとしても、少なくともこの聖堂の中に隠しておける場所はなかった。
「最近は信者の数もめっきり少なくなり、修道院も寂しくなりました」
「以前はもっと多かったのですか?」
サイラスが尋ねた。
「はい、2倍以上。しかし、魔王軍との戦争が進むに連れ、少なくなってしまったのです。戦争は神に仕える者の心まで乱してしまうのでしょうか。早く平和が訪れてほしいものです」
その後、特に異変が起こることなく、聖マノリア神への祈りが続いた。
サイラスとグレンは怪しまれないように周囲の様子をうかがったが、特に問題点は見当たらない。修道院の後ろに倉庫らしきものがあったが、もしかしたら、その場所にリーネ姫がいるかもしれない。
いずれにしても、今すぐ「倉庫を見せてくれ」とは言えない。サイラスは倉庫の中を見せてもらう口実を考えた。
その時。
修道院の扉が開かれた。
サイラスとグレンが振り返ると、そこには赤髪の少年の姿があった。
サイラスとグレンには、その少年はクロスに見えた。
しかし、クロスに比べれば、もう少し優しさを感じさせる顔つき。
彼はクロスではなくクロノであるとわかった。
「クロノ殿」
「すみません。いてもたってもいられなくなって来ました」
「マールディア王女は?」
「消えてしまいました」
「消えた?」
サイラスはクロノの言った言葉の意味をすぐには理解できなかった。