サイラスの力は絶大だった。
地下湖へ降り立ったサイラスは、その道をふさいでいたヤクラと対峙した。
「おのれ、サイラスめ。ここから先へは行かせんぞ」
「行くさ、すべてをなぎ倒してでも」
サイラスのグランドリオンがきらめいた。
ヤクラは自分の力に自信を持っていたが、サイラスが相手では敵わないことはわかっていた。
「ぐ……リーネ姫誘拐の筋書きにサイラスが現れるなどと想定していなかった……これが歴史の正しい筋書きだと言うのか……」
ヤクラはサイラスから二歩、三歩と後ずさった。
力ではかなわなくとも、サイラスを止める手は他にあったから、ヤクラはサイラスに背中は向けなかった。
「サイラス、ワシを斬るとどうなるかわかっていないようだな」
「……」
「いいか、ワシはリーネ姫誘拐の任務を受けてここにいる。それがなされないのなら、ワシはどのみち帰る場所などないのだ。つまり、ワシを斬るならば、リーネ姫の命はないということだ」
ヤクラは人質を持っているという優位性を前面に押し出した。
しかし、サイラスはたじろぐことなく、剣を力強く握りしめた。
「あいにくだな。私はリーネ姫から厳しく叱られている身なのだ」
「なに?」
「私の命よりも民を守りなさい。私の命を優先したのなら、私があなたを斬ります」
サイラスはリーネから受け取った言葉をそらんじた。
リーネの強い意志が込められたメッセージだった。
とはいえ、サイラスもリーネを犠牲にしてでも剣を振ることができる勇気はなかった。
しかし、リーネの言葉が心に思い起こされると、サイラスは無の心を得た。
サイラスはヤクラを両断せんとグランドリオンを構えた。
その威圧感にヤクラは降参した。
「ま、待て、サイラス。待つのだ。わかった、降参する。リーネ姫を返す」
「……」
サイラスはグランドリオンを止めた。
「その言葉、嘘ではないな?」
「ほ、本当だとも。だから斬らんでくれ」
ヤクラの言葉には必死さが込められていた。
やや遅れて、グレンとクロノが到着したが、すべてはサイラスが解決していた。
「おい、リーネ姫を連れて来い」
「は、はい」
後ろに控えていた魔物らが
「ヤクラ、リーネ様に化けた魔物を連れてきても無駄だぞ。グランドリオンは悪しき力を断つ」
「そんなことは百も承知だ。くそう、あと少しだったというのに、このタイミングでサイラスが現れるなどと」
ヤクラはすべての計算が狂ったことを悟り、その場に沈み切った。
だが、その直後、信じられないことが起こる。
◇◇◇
リーネ姫は無事、ガルディア王国に引き渡されることになった。
「リーネ姫は返す。それと引き換えに、ワシらを罪に問わぬ。せめてもの取引だ」
ヤクラは司法取引を申し出た。
今回の任務は魔王軍との戦いではなく、リーネ姫を救出すること。
ここでヤクラを捕まえても、魔王軍との関係が悪化するだけで、ガルディア王国側にもメリットがあるわけではなかった。
サイラスはヤクラの取引を受け入れた。リーネを引き渡すなら、ヤクラを罪に問わないことを約束した。
「いいだろう、取引だ」
「おい」
「ははっ」
部下のミアンヌが連れて来たリーネはそのまま、サイラスの側に引き渡された。
リーネは特に外傷もなく、心が恐怖にさらされている様子もなかった。
クロノはこのとき初めて、リーネの姿を見た。
第一印象で感じた。
マールに似ている。
似ている……いや、マールそのものなのではないか?
似ているというレベルを通り過ぎていた。
クロノは目の前の女性がマール以外の何者にも見えなくなった。
リーネはサイラスのほうを見てうなずくと、その後ろにいたクロノとグレンのほうに目を向けた。
クロノに視線が向けられたとき、リーネの目が動揺に変わるのがわかった。しかし、リーネはすぐにそれを打ち消した。
「リーネ姫、よくご無事で」
サイラスは跪いてそう応えた。
リーネはサイラス、グレン、クロノと順に見合って、少しの間何かを考えていた。
しばらくの沈黙があり、それから、リーネは口を開いた。
「サイラス、聞きなさい」
「はい」
「私はここにとどまります」
「え?」
サイラスは思わず顔を上げた。同時に後ろで残念そうにしていたヤクラも意外そうに顔を上げた。
ヤクラは正真正銘、リーネを明け渡した。すべての作戦が瓦解したと落胆した。だが、事態は予想外のほうに向かっていった。
「リーネ姫、いったいどういうことでございましょう?」
「このままでは魔王軍とガルディア軍の戦いは不毛を極めることでしょう。そうなれば世界は……」
リーネはもう一度クロノのほうに目を向けた。
「私が魔王と直接話をします。この戦いを終わらせるのは戦いではないのです」
「リーネ姫」
「わかっています。しかし、これはマノリア神の導き。ここで私が戻っても、戦いの戦火は拡大するだけです」
リーネはそう言うと、
「私の命令です。そのまま下がりなさい。そして、私が魔王のもとに向かったことは内密にするのです。わかりましたか?」
「……」
サイラスはすぐには返事できなかった。
いくらリーネの命令が絶対だとしても、このまま目の前でリーネが誘拐されるのをただ見ているだけというのはとてももどかしかった。
グレンとクロノも黙っていた。
クロノはこのとき、あることを感じ取っていた。
歴史が変わっているということ。
クロノが知っている歴史は、おそらくここでリーネは救出されるというもの。
そして、その後魔王軍とガルディア軍の熾烈な戦いの末、サイラスが死ぬ。
そして、サイラスの意志を引き継ぎ、グランドリオンを手にしたグレンが魔王を討つ。
これがクロノの知る世界の歴史だ。
それが致命的に変わろうとしていた。
それは必然か、あるいは偶然か。
もし、クロノがここで力ずくで介入したならば、もしかしたら、もう一度歴史を正規のほうに呼び戻せるのかもしれない。
しかし、クロノは同時にこうも思った。
これが正規の歴史なのかもしれない。
自分がたどった歴史はもしかしたら改変されたもので、それが修正されようとしているのかもしれないと。
クロノは色々な思考の結果、介入を逡巡した。
「ど、どういうことだね。これは棚から牡丹餅というやつか。リーネ姫のほうから、誘拐してくれと申し出たなどと、こんな結末が待っていたとは」
ヤクラは少し元気になると、サイラスの前に出た。
「おい、サイラス。このリーネ姫は正真正銘のリーネ姫だ。ワシの部下に化けさせたものではない」
「分かっている」
サイラスも目の前のリーネが正真正銘のリーネであることは核心していた。
「そのリーネ姫が魔王様のもとに向かいたいと申しておられる。どうするつもりだ?」
ヤクラがそう言うと、サイラスは立ち上がった。まだ決めかねていた。
「貴様、さっきリーネ姫から叱られたと言っていたな。自分の命より民を守れと言われたとなんだと。ならば、リーネ姫のこの命令も聞くのが筋というものであるぞ」
「……」
「くくく、サイラス。男が二言を言うものではないぞ。なーに、心配するな。ワシが丁重にリーネ姫を魔王様のもとに送り届けてやるさ。さあ、どうするんだね? それとも、力ずくでリーネ姫を奪い返すかね。その正義のなんちゃらとかいうグランドリオンでワシを両断してでも」
サイラスは息を吐くと、グランドリオンを収めた。
「それでいいのです。サイラス」
「わかりました。リーネ様の命令たしかに承りました」
サイラスはそう言うと、後ろを振り返った。
「お、おい、サイラス。本当にいいのか? こんなことを」
「リーネ様の命令だ」
「いやしかし……」
サイラスはグレンの言葉をかき消すように、クロノに声をかけた。
「クロノ殿、申し訳ない。ここは引き下がってくれ。この決断がクロノ殿の未来と食い違っているかもしれないとしても」
「……」
クロノは少し考えてうなずいた。
「ありがとうございます、私のわがままを聞いてくれて。しかし大丈夫です。必ず、世界は救われます。あなたの愛する人も必ずあなたのもとに戻って来るでしょう」
リーネは誰かに言うわけでもなく、そのように述べた。
クロノはリーネのその言葉のすべてがマールからもたらされたものであるような気がした。
クロノは思わず口走ってしまった。
「あなたはひょっとしてマール……?」
クロノがそう言うと、リーネはしっかりと首を横に振った。
何のことを言っているのかわからないという様子ではなく、明確に首を横に振った。まるで、マールのことを熟知しているかのようだった。
「大丈夫です。私を信じてください」
リーネはクロノのほうを見てそう述べた。そして、振り返り、ヤクラに言った。
「お願いします。私を魔王のもとへ」
「くくく、いやいや、まさかこんな展開になろうとは。ワシはてっきりサイラスと一騎打ちになるのかと思っていた。そのためにデロデロ弾を補充していたのだが、それも不要になったとは嬉しい誤算よ」
ヤクラはそう言って上機嫌になった。上機嫌のまま今一度サイラスに尋ねた。
「ではリーネ姫はワシが預かるということで。よろしいかな?」
サイラスはうなずくしかなかった。
「しかし、不思議な話だな。まるで未来が予測不能に変わっていくような。まあいい。これでワシのせがれの養育費が払える。将来は立派に出世してくれようぞ」
ヤクラはどことなく未来が大きく変わっていくのを実感した。
◇◇◇
サイラス一行はリーネ救出に成功したが、失敗した。
この矛盾めいた表現が真実だった。
マノリア修道院を出たサイラスは今一度マノリア修道院を見上げた。これは正しい選択だったのだろうか、サイラスはいまだに確信が持てなかった。
「サイラス……」
グレンもサイラスが苦渋の選択をしたことをわかっていた。グレンはただサイラスの背中に隠れているだけ。だから、今回のこともすべての責任をサイラスに任せ、自分はそれほど大きな責任を感じていなかった。
「仕方ないよ、リーネ姫が自らそう決断したんだ。兵士のおれたちに他に何ができるってんだよ」
グレンは少し軽口にそう言った。
「戻ろう、サイラス」
サイラスはようやくマノリア修道院に背中を向けた。
結果はどうあれ、リーネ姫救出は解決した。
救出はできなかったが、リーネ姫の意思を尊重するという結果だったのだから、間違った成果だったわけではない。
そうなると、次の問題はクロノのことだった。
「クロノ殿」
サイラスはクロノに話しかけた。
クロノは複雑な様子だった。この結果により、ガルディア王国の歴史がどう変わるかなんて予想もできない。マールディア王女がどうなるのか、ついてはマールがどうなるのか。
「次はマールディア王女の救出だな。大丈夫、必ず方法はあるはずだ。我々も全力で加勢させてもらう」
「ええ、ありがとうございます」
しかし、何かあてがあるわけではない。マールはガルディア城の一室で突然姿を消してしまった。
いったいどこに消えてしまったのかなんて皆目見当もつかなかった。
「ともかく城へ戻ろう」
この先、何をどうすればいいのかわからないまま、歴史はまったく予想できない方向に動き出していた。