リーネは自ら魔王と対話をするため、魔族のもとに向かった。
リーネはこの戦争をいち早く終わらせたいという強い思いを持っていて、そのためには自ら魔族のもとに向かう必要があると前々から思いを募らせていた。
サイラスはリーネの意志を尊重し、そのままマノリア修道院を後にすることにしたが、それが正しい判断だったのかはわからない。
クロノにとっても、リーネの決断は少なくない影響があった。
リーネが無事城に戻って来たからと言って、必ずしもマールが戻ってくるという確証はないが、マールを取れ戻すための唯一のカギがリーネであったのは間違いなかった。
それに、リーネが魔族のもとに向かったという事実は、クロノの知る歴史には刻まれていない。
歴史が大きく変わってしまったのかもしれない。
クロノはサイラスらと共にガルディア城に戻って来た。
サイラスは国王にありのまま、マノリア修道院で起こったことを話した。
国王は努めて冷静にサイラスの話を聞いた。
リーネが自らの意思で魔族のもとへ向かったという事実は、父親にとって大きなショックであったはずだが、国王はそのショックを表情に出さなかった。
「申し訳ありませぬ、国王。すべての責任はこの私に」
「リーネのやつ、無茶なことを」
国王は少し遠い目になってそうつぶやいた。
しかし、国王はどこかでそういうこともあるだろうと予感していた。
リーネは先代までの王女と違い、活動的だった。世界の平和を強く望み、その解決のために積極的に動き続けていた。
今回の決断もまた、その延長線上だったのだろう。
「サイラスよ」
「はっ」
「リーネは魔族と人間の争いを解決することができると思うか?」
「それは……」
そんなことは誰にもわからないことだった。
「ワシは無理だと思う。この対立はただの対立ではない。根はとても深いのじゃ。はるか太古、魔族は世界を支配していた。それゆえ、人間が世界の半分を支配するこの現状は、許されざること。しかし、ワシら人間にとって、これ以上領土を明け渡すことはできん」
国王は強くそう言った。
「魔王はすべての領土を魔族の地とするまで戦いの手を緩めることはないだろう。ならば、我々もまた戦いの手を緩めるわけにはいかん。たとえ、リーネがいなくなってしまったとしてもだ」
国王はリーネ……自分の娘よりも国の将来を選んだ。それは苦しい判断だった。
「我々は戦うしかない。リーネがいなくとも、ゼナンの橋は守り抜く必要がある」
「はい」
「できるか、サイラス? その剣でリーネを斬ることが」
「……」
国王の質問はサイラスにとって、答えにくいものであったが、その回答はリーネのためにも確定させなければならなかった。
「斬ります。このグランドリオンに誓って」
サイラスはおそらくは国王が期待した回答をした。
「私の命はガルディアに捧げるつもりです」
サイラスは目に力を込めた。
「たとえ、私の命が尽きても、真の勇者が現れ、私の魂を引き継いでくれるでしょう」
サイラスのその言葉は正規の歴史に刻まれたある勇者のことを予言したものだった。
◇◇◇
サイラスらと同じくして城に戻っていたクロノはしばらく、ガルディア騎士団の宿を借りることになった。
マールの捜索は振り出し。ついては、もとの時代に戻れる算段もなくなった。
クロノは疲れを覚えて、寮の椅子に腰かけた。ここはサイラスとグレンが利用している部屋だった。クロノは3人目の仲間だった。
「クロノさん、上のベッドを使ってください」
グレンはクロノのためにベッドを差し出した。
「いいのか、おれはよそ者なのに」
「ええ、おれは床のほうが落ち着くんですよ」
グレンはそう言うと、クロノと向かい合うように座った。
こうして見ていると、グレンが勇者になる未来をまったく予想できなかった。
この気の弱い少年がどうして魔王を討つことができたのか。
誰かの手柄が偶然グレンのもとに転がり込んだとしか思えなかった。
「クロノさん、サイラスからは厳しく言われてるんだけど、クロノさんの知っている未来についてどうしても聞きたいことがあるんです。いいでしょうか?」
「おいおい、それはタブーだぜ。でも、聞くだけは聞いてもいい。なんだ?」
「僕、実は騎士団をやめようと思ってるんです」
「え?」
「ほら、僕って戦う勇気がないでしょう? こんなやつが騎士団にいたって足手まといになるだけ。だからさ」
「……」
グレンが騎士団をやめるという歴史はクロノも知らなかった。
「もっとも、僕みたいなダメなやつが歴史に名が残ってるわけないと思うんだけど、僕はどういう未来をたどっているのでしょうか?」
グレンは自分の将来のことを知りたがった。
「いや、すみません。僕みたいな庶民の歴史なんて知らないですよね。ただ、騎士団をやめるって言うと、サイラスが止めるんだ。お前は国を救う勇者になる男だって。サイラスは見る目がないですよね?」
グレンはそう言ったが、正規の歴史では、グレンのたどる道はグレンの想像をはるかに超えていた。
クロノは未来が変わらないよう、さりげなくこう言った。
「もうしばらく留まったらどうだ? サイラス隊長も認めるほど剣がうまいんだろ? なら、ここでやめたらもったいないと思うぜ」
クロノがそう言うと、グレンは少し考えてからにこりと微笑んだ。
「クロノさんがそう言うなら、もう少しだけここにとどまってみようかな」
言葉と歴史が一致するかはわからないが、クロノはできるかぎりのことをした。
◇◇◇
その夜、クロノは誰かが自分の名前を呼ぶのに気づいて、目を覚ました。
「クロノ、クロノ!」
「誰だ……?」
体を起こしてベッドの下を見たが、サイラスが呼んだわけでもなく、グレンが呼んだわけでもなさそうだった。
「たしかにいま……」
「クロノ!」
再び、クロノの頭の中に声が響いた。
「マールか?」
クロノはマールが自分の名前を呼んでいることに気づいた。
「どこだ?」
たしかにマールが自分を呼んでいる。しかし、どこからマールが自分を呼んでいるのかがわからなかった。
クロノは部屋を抜けて、寝静まった廊下を歩いた。先に、夜の警護についている兵士がいた。
「おや、クロノ殿、どうされました?」
「少し。こっちのリーネ王女の部屋はいまどうなっていますか?」
「手伝いの者が管理してる。いつでもリーネ様が戻ってきていいようにな」
「そうですか。部屋のほうに向かってもいいですか?」
「ああ、普段は厳しく警護してるが、いまは手伝いの者が自由に出入りしてるし、問題ないと思うぜ」
「ありがとうございます」
クロノはリーネの部屋のほうに向かった。
リーネがいなくなったので、すでに厳重な警護は外れていた。
マールの声はリーネの部屋のほうから聞こえてきているような気がした。
リーネの部屋に続く廊下の途中には、手伝いの者がいた。
夜遅くまで、清掃に余念がなかった。
「あらまあ、なんですか? この先はリーネ様のお部屋ですよ」
「少し部屋の様子を見せてもらいたいんですが、いいですか?」
「ダメですよ、リーネ様のお部屋なのですから」
許可は下りなかったが、クロノの事情を知っている年配の手伝いの者が奥からやってきて、事情をくみ取ってくれた。
「クロノさんは未来から来られたと聞いております。何か事情があるのなら、どうぞこちらへ」
「すみません」
クロノは手伝いの者の後ろをついてリーネの部屋に向かった。
リーネの部屋はマールの部屋でもある。400年経つと、この場所はたしかに「マールディアの部屋」として正式に承認されることになる。
400年がどれほどの時の重みを持っているのかは想像もつかない。
ただ、リーネの部屋の様子は400年経っても大きく変化していない。そのまま、400年が経過したと言われてもわからないほど、マールの部屋と酷似していた。
クロノはゆっくりとリーネの部屋の中に入った。
たしかに感じるものがあった。
「マールがいる」
「マールディア王女ですか? いったいどこに?」
クロノは何もない先に恐る恐る手を伸ばした。
すると……。
何かが手につかえた。手の先に青い波紋が広がるのが見えた。
「そこにいるのか、マール?」
クロノが尋ねると、その先からマールの鼓動を感じた。
「何も見えませんが、クロノさんには見えるのですか?」
「下がってください」
「え、あ、はい」
手伝いの者は言われて足を止め、そのままゆっくりと2歩、3歩後ろに下がった。
「もし、良ければ目を閉じていてください」
「目をですか。わかりました」
手伝いの者は素直に答えた。そのまま目を閉じた。それからしばらくクロノの様子をうかがうことはなかった。
目の前で何か小さな音が響いたような気がした。それでも、手伝いの者は目を開けず尋ねた。
「クロノさん、もう目を開けてもよろしいですか?」
手伝いの問いかけに対して、クロノの返答はなかった。
「クロノさん?」
もう一度問いかけるが返答はなかった。
それからややあっても、クロノの気配がないので、目を開いた。
「クロノさん、あれ、どこへ?」
そこにクロノの姿はなかった。振り返ると、リーネの部屋の扉は閉じられていた。この扉を音を立てずに開けることは不可能だから、外に出たわけでもなさそうだ。
窓も開けられた痕跡がない。
特に部屋に変わったことが起きたわけでもなかった。
「クロノさんが消えてしまった。どうしましょう?」
手伝いの者は摩訶不思議な体験をした。