「少年よ」
謎の老人の声で、クロノは目を覚ました。
目を覚ましたものの、不思議な感覚だった。
自分自身のことをまったく感じられなかった。
しかし、目は見えているようで、目の前は青白いもやがかかっている。
耳も機能していた。
老人の声が届いた。
「ここに来て、立て続けにここを訪れる者がいようとは、この世界に何か大きな変化が生じてしまったのかのう」
「誰だ?」
クロノは目の前に語り掛けた。しかし、何も見えてこない。ただもやがかかった空間だった。
苦しみもなければ、安らぎもない。
無という表現が似合う場所だった。
「ワシはハッシュじゃ」
「ハッシュ?」
「いずれ、お前さんの前にも現れる日が来るかもしれぬな。しかし、いまはワシのことを意識する必要はない」
ハッシュと老人は落ち着いた様子でゆっくりと語り掛けた。
「さて、おぬしのことも少し探ってみようかな。ワシには、人の生まれの年代を知る力があってな。おぬしがどこで生まれたかもお見通しじゃ」
ハッシュはクロノの年代を推測した。
「ほう。おぬしは1000年生まれの者か。ふーむ、予言者の予言通りであるな。この時代がすべての源となっているということか」
「あんた、おれのことを知ってるのか?」
「知っていると言えば知っている。しかし、知らないと言えば知らないとも言えるな」
ハッシュの物言いはまったく理解できないものだった。
「難しく考える必要はない。明日が何度も訪れるように、おぬしはワシと巡り合いもするし、巡り合うことがないということもある。世界とはそういうものじゃ。ワシはこの歳になってそのことに気が付いたのじゃよ」
クロノは首を傾げた。ハッシュがおかしなことを言っているようにしか見えなかった。
だから、クロノもあまり考えないことにした。
「あんたが何者かは知らないけど、ここはいったいどこなんだ?」
「ここは……時の最果て……というのが正しいかはわからぬが、それがわかりやすかろう」
「いや、わかんねえよ」
「時がこれ以上先に進むことができぬ場所。世界の最果てということもできるかもしれぬな。この先に時が続いているのかどうかはワシにもわからない。時を進める方法も、もしかしたらあるかもしれぬな」
「果てか……言われてみればそんな気もしてきた」
クロノはあたりを見渡した。
方角がわからなかった。右を向いても、左を向いても何も変わらない。
ここは本当に時間が流れていないのかもしれない。
しかし、こうして会話をしているということは、時間が流れているとも言えるはず。
いずれにしても、深く考えても仕方のないことだった。
「おぬしがここへ来たということは、誰かを追いかけて来たのではないかな?」
「その通りだ」
「先ほどおなごがここへ迷い込んできた。おぬしが追いかけているのはその娘ではないかな?」
「そうかもしれない」
「たしかマールと名乗っていたかな」
「マール! そうだ、おれはマールを追いかけてここに来たんだ」
クロノは自分が正しい場所にたどり着いたのだということを悟った。
マールを助け出すためだけに、クロノは前に進んだ。その結果、過去へ。そして、時の最果てへ。
「美しい娘であったな。ちょうど……サラ王女の……いや、これ以上は言わないほうがいいかもしれぬな」
ハッシュは意図的に口を閉ざした。
「ならば、おぬしが向かう場所は決定したな。ゆくがいい。おぬしが目指す場所はそこにある」
クロノは前を見て、必死にもがいた。
前に進んでいるのかどうかもわからない。
しかし、心はマールを追いかけていた。
追いかけ、追いかけ、ただひたすらマールだけをめがけて進んだ。
そして。
何かに手が届いた気がした。
クロノはその手をしっかりと握り締めた。
「マール! マールか!」
「クロノ! クロノね、この感じ」
どこかからマールの声が聞こえた。どこにいるかはわからない。しかし、たしかにマールを掴んだ手ごたえがあった。
クロノはその手を離すまいと力を入れた。
「すまねえな、遅れた」
「ううん、少しも寂しくなかったよ。クロノならきっと来てくれると思ってたし、それに私も覚悟を決めて城を出た身だから」
「そうか……」
すべての発端は、マールがガルディア城を抜け出したことだった。
しかし、このような大冒険に巻き込まれるとは、誰も思っていなかっただろう。
いや、まだこの冒険は終わっていない。ようやくマールを見つけ出したが、もとの世界に戻れたわけではない。
もし、この何もない世界から抜け出せなければ、マールを助け出したということにはならない。
「何が起きたって私は後悔しないもの」
「一生ここから出られなくてもか?」
「うん、私はそれでも後悔してないよ」
マールは城を抜け出してから起こったすべてのことを肯定的に捉えていた。
こうして、クロノと同じ時間、同じ場所にいることができた。それはマールが夢見たことだった。
「でも、クロノは嫌だよね」
「そうだな、こんな右も左もわからない場所はごめんだ」
「任せて、私が何とかするよ」
「何とかって何するんだ?」
「お祈りかな」
「お祈りってな……」
クロノは飽きれたが、いまは祈るぐらいしか希望がないのも事実だった。クロノは行く先すべてをマールに任せることにした。
マールの向かうままについていくことに決めた。マールを助け出すと決意した瞬間から、それがクロノの願望でもあった。
マールは目を閉じて祈り始めた。
マールには、心の奥に眠っている何かが見えた。
光か闇か。どちらでもある気がした。
まだ目覚めていない卵のような状態。
マールはその卵を見つめた。
マールの気がその卵を揺らした。
胸に手を当てると、何かが手に触れた。
ペンダント。
そのペンダントが卵に呼応して光り輝いていた。
卵はその光を受けて、より心の奥に引き込んでいった。目覚めることを恐れているかのようだった。
ペンダントの光は道しるべになった。光の道がマールの前方に現れた。
その光の道はクロノにも見ることができた。
「クロノ、きっとこの道の先に行けば出られるよ」
「マールに任せる。行こう」
「うん」
マールはクロノの手を握り締めると、光の道を駆けだした。
前に進むと、その光は眩しくなり、やがて二人を包み込んだ。
光は最後に強い輝きを放ち、そして消えてなくなった。
「ほう、その光……その光ならば、目覚めさせることができるかもしれぬな」
光が途絶えた無の中にハッシュの落ち着いた声が響いた。
◇◇◇
千年祭は盛り上がりを見せている。
クロノが最初訪れたときよりも、盛況なようにも見えた。
魔族と人間が仲良く祭を盛り上げていた。当初、人間と魔族の関係が芳しくないことから、メディーナ村からの参加は少ないと思われていた。
しかし、リーネ広場は道がなくなるほど、人間と魔族によって埋め尽くされていた。
その喧騒で、クロノは目を覚ました。
「騒がしいな……」
クロノは眩しい日の光を受けながら、遠くに聞こえる喧騒を聞いていた。
「ここは……マールは?」
クロノはすぐに体を起こした。まだ頭がぼけていたが、あたりを見渡してマールの行方を探した。
マールはちょうどクロノの隣で、クロノと同じように今しがた目を覚ました様子だった。
「マール!」
「クロノ」
クロノはすぐにマールのもとに歩み寄った。
マールはにこやかにほほ笑んでいた。
何かとてつもないことが起こっていたような気がするが、どこか遠くのこと、夢の出来事のようにも思えた。
クロノは息を吐いて、マールの隣に腰かけた。
先ほどまで、ここで景色でも眺めていたかのような気分だった。
顔を上げると、港町の様子が見えた。
見慣れた光景であり、遠くから聞こえてくる千年祭の喧騒も先ほどまでそこにあったものに感じられた。
心地よい風が吹いてきた。
「なあ、何があったんだっけ?」
クロノはそう尋ねながら、回想した。
色々なことがぼやけている。
たしか、400年前にタイムスリップして、400年前の王女リーネの捜索をして、サイラスがいて……。
記憶の断片にそういうものが残っていたが、次の一言で納得してしまいそうな希薄さだった。
夢。
夢でも見ていたのだろうか。
「なんかあったよね。なんでかな、ちっとも思い出せない」
マールも同じように言って、ほほ笑んだ。
「夢だったのか、にしては……」
クロノは頭を押さえた。たしかに夢と言われればそうとしか言えない。しかし、あまりに夢離れしているようにも感じた。
「そんなことどうでもいいじゃん、そんなことよりさ」
マールは立ち上がり、大きく伸びをした。
「こうしてクロノと一緒の時間を過ごせたんだから、私はすごく幸せ」
「……」
クロノはマールの屈託のない笑顔を見て、すぐにマールの意見に同調することができた。
夢か現実かなんてどうでもいい。
こうして無事だったというだけでいまは十分だった。
今は……。
しかし、そういうわけにもいかなかった。
「でもな、大事だぜ、王女が城を抜け出して」
「うん、それは反省してるけど……」
マールはそう言ったが、城を抜け出したことを後悔はしていなかった。
「今頃、ガルディア城は大騒ぎだ」
「関係ないよ。だって、私はマール。王女様じゃないもの。ね、そうでしょ?」
マールはそう言ってもう一度ほほ笑んだ。
たしかに、マールが浮かべる笑顔は王族の高貴なものではなく庶民的なものだった。
クロノはその笑顔が好きだった。
しかし、それでもマールは王族に生まれた身であるという事実は変わらない。
クロノのこれからの仕事はマールをガルディア城に無事帰すことだった。
「そうだな。でもその魔法もそろそろ解けちまう。わかってるな?」
「うん、でもあと少しだけ。もう少しだけマールでいさせて」
マールはそう言うと、胸に輝くペンダントを両手で握り締めた。
この導きは、このペンダントが授けてくれたものに違いなかった。マールはクロノとの出会いを授けてくれたペンダントに感謝の祈りをささげた。
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タイムスリップ編終わり
王国裁判編の執筆が始まっています。
王国裁判編開始までしばらくお待ちください。