マールはルッカ発明のテレポーテーション装置の上に乗った。
すでにテレポーテーションのテスト起動は繰り返し行われ、その安全性は確かめられているが、テレポーテーションの光景を一般公開するのはこれが初めてである。
一般公開向けの実験台として、マールはビジュアル的にも最適だった。
ルッカは多くの観客の前で手を広げた。
「皆様、大変お待たせしました。皆様は世界初のテレポーテーションの瞬間をその目に映す生き証人となるのです。ぜひとも、まばたきせずにご覧ください」
ルッカは自分の発明を世界中の人に誇示できる瞬間を迎えてご満悦であった。
観客らもマールディア王女に似た美少女がテレポーテーションに臨むということで一層ボルテージを上げた。
しかし、クロノだけはこの実験に不安を覚えていた。
ルッカとは長い付き合いで、これまでに出来損ないの発明の実験台にされてきた経緯があったためだ。
しかし、それだけだろうか?
クロノはそれ以上に胸騒ぎを覚えていた。
「クロノ、見ててね。私があっちに飛んでくところ」
マールは不安を覚えるどころか、好奇心で胸がいっぱいのようだった。
「なあ、やめといたほうがいいんじゃないか?」
「大丈夫だよ。大発明家ルッカさんの大発明なんでしょ? ねー、ルッカさん」
「そのとおり」
ルッカは得意げにそう言うと、クロノの肩を叩いた。
「あんたには不相応なガールフレンドが心配なのもわかるけど、少しはルッカ様の優秀な頭脳を信じなさいな」
「信用に足るだけの歴史がないんだよ」
「だったら、今日こそ確かめなさい、その目で。私の優秀さをね」
「……」
クロノは信頼したわけではなかったが、実験を傍観することに決めた。
「父さん、スタンバイはできた?」
「ああ、あとは装置にエネルギーを装填するだけだぜ」
ルッカは父親のタバンと連携して、装置を起動した。
不気味な機械音が低い音で鳴り始めた。
クロノはもう一度マールのほうに目を移した。
マールは笑顔で手を振ってきた。こうして見ると、微笑みの中に上品さが満ち溢れているのがわかった。マールディア王女のそっくりさんではなく、本当に王女様なのではないかと思えてきた。
機械にエネルギーが巡り始めると、機械音がさらに激しくなり、やがて、テレポーテーション装置の地面が青く輝き始めた。
「……!」
その上にいたマールは懐に違和感を覚えて、懐に中に隠し持っていたガルディア王家に伝わるペンダントを手で確かめた。
ガルディア王家のペンダントははるか太古の国より伝わるペンダントであり、王族を継承する婦人に代々引き継がれていくことになっていた。
遥かな代を重ねて、いまはマールに引き継がれていた。
このペンダントは誰にも見せることができないものなので、マールはそれを取り出さず、懐の中で感触だけ確かめた。
ペンダントはテレポーテーション装置のエネルギーに呼応するように振動した。
その振動は徐々に大きくなり、次の瞬間、予期せぬことが起こった。
「うわっ」
エネルギーを装填していたタバンが常軌を越えた熱気を受けて装置から離れた。
エネルギーの制御ができなくなり、機械の外にエネルギーが漏れ出て来た。
これまで何度も実験が行われていたが、かつて一度もなかったトラブルだった。
「なにこれ?」
ルッカも初めて見る様子に動揺を見せた。
クロノはマールのほうに目を向けた。
マールの体は装置のエネルギーに包まれて、いかずちが弾けるような音を放っていた。
「おい、ルッカ。大丈夫なのかよ」
「……」
「ルッカ!」
ルッカも初めて見るトラブルにどうしていいかわからなくなっていた。
「なんだか変……体が引きちぎられそう……誰か、誰か助けて!」
マールの助けを呼ぶ声が聞こえたので、クロノはすぐにマールのもとに向かおうとした。
しかし、次の瞬間、すさまじいエネルギーがあたりに散らばった。クロノはそのエネルギーに吹き飛ばされてしまった。
その瞬間、最後にもう一度だけ、マールの声が聞こえた。
「クロノ、助けて」
マールはたしかにクロノに助けを求めていた。その声の直後、マールの姿は消えてなくなった。
そして、装置の上空には、青くよどんだ空間のゆがみが現れ、それがマールを引きずり込もうとしていた。
「マール!」
クロノは手を伸ばしたが、届くはずもない。そのまま、マールは青い歪みの中に消え去ってしまった。
マールが消え去ると、青い歪みも消え、やがて暴走していたエネルギーも収まり、周囲には静けさが戻ってきた。
遠くでリーネ祭の賑わいと祝いの空砲が響いていた。
わずか10秒少しの出来事だった。
しかし、その間にマールの姿は消えてなくなってしまった。
予定では、装置の反対側にマールが現れるはずだったが、一向にマールがあらわれる気配はなかった。
◇◇◇
マールの消失を見ていた観客らがざわつき始めた。
何が起こったか分からないという様子だった。
それでも、この場を取り収める必要があったので、タバンは観客の前に出てショーの終わりを告げた。
「は、はい。見ての通り、女の子は消えてなくなりましたとさ」
観客らはキツネにつままれたような顔をしていたが、首をかしげながらも、展示会場を降りて行った。
「……」
タバンは観客が去って行った後、緊迫感のある面持ちで装置のほうを振り返った。
「お、おい、ルッカ。一体何が起こったんだ? あんなことこれまでになかったよな?」
「……」
ルッカはまだ放心状態で、マールが消えた一点を見ていた。
クロノはルッカのもとに駆け寄った。
「おい、どういうことだ? マールはどこに行ったんだ?」
「……」
「聞いてんのか、ルッカ。マールはどこに行ったんだよ?」
「……わからない」
ルッカは震える声でそう言った。
「ふざけんなよ。なんだその答えは」
「わからない。私だってわからないのよ。ちょっと黙って!」
ルッカは大きな声でクロノを制止して立ち上がった。
「ちょっと考えさせて」
ルッカのショックはとても大きかった。クロノもこれ以上厳しく詰問するわけにはいかなかった。
「ルッカ、別の場所に移動した可能性が高いと思うんだ。思った以上にエネルギー値が高かったからよ。でも、この装置のエネルギーじゃ、飛んでってもそう遠くねえ。この近くを探せばきっと見つかる」
タバンはそう主張した。
「おれは祭りの仲間を集めてくるよ。クロノ、あの子、たぶん近くにいると思うんだ。みなで探せば必ず見つかるから、心配すな」
「ああ」
クロノはマールが消えた上空に目を移した。近くのトルース山の中に移動しただけなら特に問題ない。しかし、もっと遠くに行ってしまったような気がしてならなかった。それこそ、決して自分の手が届かない場所。
クロノの心には今も焼き付いていた。
マールの助けを求める声。
それは明確にクロノを呼ぶ声だった。
クロノはすぐにマールのもとに向かわなければならないと思った。
バンタが祭りの仲間を呼びに行って、展示会場には、ルッカとクロノだけしかいなかった。
ルッカはまだ動揺していた。頭を押さえて、ぶつぶつと小難しい理論の数値の計算をしていた。
「ルッカ!」
クロノが話しかけると、ルッカは顔を上げた。
「その装置、もう一度起動できるか?」
「え、どういうこと?」
「もう一度起動すれば、おれもマールの飛んでった場所に迎えるか?」
「……」
ルッカは少し考えてから、
「わからない。量子からみはランダム性の大きい要素だから。でも、この装置はそのランダム性を解消したものだから、同じエネルギー量なら同じ結果が得られるはずだけど。でも、こんな結果になったのはこれが初めて。どうして? 何度も何度もうまくいってたのに、どうして今回だけこんなことに」
ルッカはまだ今回の結果を受け入れられないでいた。完ぺきな理論だっただけに、理論に反することがどうしても信じられなかった。
クロノは難しい話を理解できなかったが、マールと同じ場所に行ける可能性があるなら、やるべきことはただ1つだった。
クロノは無言でテレポーテーション装置にのぼった。
それに気づいたルッカが声をかけた。
「クロノ、あんたまさか」
「もう一度機械を起動してくれ」
「待って、同じ結果になるとはわからないのよ。ちゃんと原因を突き止めてから」
「すぐに行ってやらなければならないんだよ」
クロノは装置の上にたどり着いて、その地面に落ちていたペンダントを拾い上げた。
薄々感じていたことではあったが、そのペンダントを手に取って確信した。
マールはマールディア王女だった。
この王家に伝わるペンダントがその証拠だった。
ならば、なおのこと追いかけなければならなかった。
クロノがガルディア騎士団にいたころ、マールディア王女に約束していた。
「姫様、命に換えてでも、必ずあなたをお守りします」
それはガルディア騎士団への入隊の儀式ではあったが、そのときのマールディア王女の言葉は今でも覚えていた。
「きっとだよ、クロノ」
「はい」
ただの儀式の言葉、それにいまはガルディア騎士団を去っていたから、もう無関係のものかもしれない。
しかし、クロノは本心から命に換えて、マールディア王女を助けたかった。
いや、王族だとかそんなことは関係ない。
クロノは王女ではなく、マールという一人の少女を助けるため、決心した。
「頼む、ルッカ」
「……」
ろくに仕事もせず遊び人だったクロノが見せた男の顔に、ルッカもそれ以上の否定はできなかった。
「わかったわ。でも、どうなるか保障はできない。いいの?」
「ああ」
「本当にごめん。私はろくでもない発明家よね。科学者の風上にも置けないわ」
ルッカの顔にもうつい先ほどまでの自信はなかった。しかし、だからこそ、ルッカも本気でこの問題を解決したいという科学者の気持ちを最大限発揮した。
ルッカはテレポーテーション装置を起動した。
ルッカの科学者としての目が先ほどの現象に対する鋭い予想を突き止めた。
「このエネルギー流はマイナスの値を取っている? 量子の回転速度が光速を超えているとしたら、いったい何が……?」
ルッカはクロノのほうに顔を向けた。
「クロノ、大丈夫?」
「問題ない」
クロノはすでに青いエネルギーに包まれていたが、手を挙げてルッカに応えた。その手に握り締められていたペンダントがしきりに強い光を放っていた。
「まさか、あのペンダント? 王族に継承されるペンダント……古の魔力が秘められているという言い伝えがあるけど、それの影響?」
ルッカはこの現象の様子をある程度理解した。
ルッカの予想が正しければ、このマイナスのエネルギーがもたらすものはただ1つ。
時をさかのぼる力。
天才ルッカでも不可能とあきらめていた時をさかのぼる現象が起きている可能性があった。
しかし、それ以上のことはもっと詳しく調べてみる必要があった。
いま、ルッカにできることは何もなかった。
ルッカは先ほどと同じ要領で消滅しようとしたクロノに声をかけた。
「必ず戻って来なさいよ、あの子を連れて」
「必ず戻って来る!」
クロノは最後にそう返事をすると、上空に現れた青いよどみに呑み込まれ、この世界から消滅した。
そのとき、世界は大きく動き始めた。