TS魔王は勇者に靡かない 作:しぇしぇしぇのしぇ
龍の襲撃から、約1日。
街の郊外には、数多の仮説テントが設営された小さな難民キャンプが出来ていた。
「……対応が早いな」
「これが施政者の仕事ですので」
どうやら、街が龍に破壊されている間からミュセル・デベローは施政者として動いていたらしい。
彼女は自身の私財をつぎ込んで、小規模ではあるが街の住民の避難所を用意していたようだった。
「だが、ひどい……」
しかし、そこは小さな地獄であった。苦痛に満ちた呻き声が、そこかしこに響いていた。
集められた負傷者に対する十分な医療資源・回復薬の供給はなく、いっそ殺してくれと嘆願する声さえあった。
また助かる見込みがないと見捨てられた者の前で、泣き伏せる民も多く見られた。
「……おい衛兵。余ったワシの回復薬だ、早く届けてやれ」
「へ? あ、どうも。ご協力感謝いたします」
「教会の金庫からくすねてきたものだ。元々、ワシのではない」
その有様を見たバロンは、胸元に隠していた予備の回復薬を全て衛兵に提供した。
これらの薬は、龍との決戦に必要になるから借りただけだ。脅威が去った今、民に還元するのがバロンにとって当然の行動だった。
「へぇ、賊が善行とは珍しい。デベロー領主に、媚でも売りたいのかバロン」
「あん? ああ、貴様らの価値観ではそうなるのか。本当に腐っておるなルベルグ」
その行動が、勇者ルベルグからしてとても意外だったらしい。
胡散臭いモノを見る目で、勇者は魔王を睨みつけた。
「てめぇだけは一切信用してねえんだよバロン……」
「はっ! そう言う貴様は、信用に足る行動をどれだけとってきた」
勇者ルベルグと魔王バロンの並ぶ道中は、本当に最低最悪だった。
道すがらバロンは、何食わぬ顔で何度も何度も、勇者ルベルグを殺そうとし続けた。
『おうどうしたルベルグ、握手くらい受けたらどうだ』
『ぶっ殺すぞテメェ』
バロンは手で触れさえすれば、電気信号を弄ってルベルグを昏倒させられる。ルベルグもそれを察していた。
勇者はバロンがさりげなく近付けてくる掌に辟易しつつ、逆に生け捕りにしようと躍起に画策し続けた。
『ち、しぶとい奴じゃ』
『……本当に、この野郎は』
結局二人の殺し合いは均衡して、引き分けに終わった。
しかし彼らを案内する衛兵からすると、まさに胃が締め付けられる様な旅路だっただろう。
「あの、勇者様にリーシェ様。領主ミュセル・デベロー様がお呼びです」
「おう」
二人を無事に屋敷へと届けた後、衛兵は大きな大きな安堵の息を吐いた。
「さて、そろそろ良いだろうミュセル・デベロー」
執事っぽい人に案内され、ミュセルの部屋へと案内された二人は。
睨みあい、嘲り合いながら殺気をムンムンに撒き散らしていた。
「バロンを此処まで泳がせたのは、確実に捕まえる為なのだろう? 早く衛兵で魔王バロンを囲んでくれ」
「かっかっか。かような幼稚な策略、予想していないとでも? まぁ、やってみるが良い」
「は、吠えたな魔王。覚悟しろ、今こそ貴様を拘束して────」
「やめてください馬鹿ですか。せっかく無事に残ったこの屋敷まで廃墟にするつもりですか」
もう、一触即発である。
茶髪の修道女は掌からバチバチ静電気を垂れ流し、金髪の剣士は抜刀して重心を深く構えている。
ミュセルは折れた足を涙目でさすりながら、執事に二人を大きく引き離すよう命じた。
「本気で魔王を逃がすつもりか、ミュセル・デベロー! これ以上俺の要請を蹴るのであれば、軍規違反で王に奏上する!」
「ルベルグ様、貴殿は近衛部隊の所属でしょう。私達に対する指揮権は無いはずですよ」
「正気なのか、貴様!」
どうやらミュセルは、本気で魔王を拘束する気がないらしい。
それを察したルベルグは歯噛みした。
「ほーん? 貴様、本気でワシを捕らえぬのか。その判断、後悔するなよ」
「しませんよ、出来ません。これ以外に方法も手段も無いのですから」
一方で魔王バロンは、意外そうに笑った。屋敷まで連行されたのが、本当に罠ではないと悟ったからだ。
「ならば俺一人でも魔王をやる。その後は貴様も法廷に突き出すことになるぞデベロー!」
「それはご勘弁願いたいですね」
ミュセルはこの国最強の戦士、勇者ルベルグの恫喝を前にして眉一つ動かさない。
若いのに、ミュセルは中々にキモが座っているらしい。
魔王バロンは、ほんのりミュセルの評価を上げた。
「なら今すぐその者を拘束しろ! バロンを放置する事は、これ以上ないこの国の癌となる!」
「……残念ながらその癌を癒す前に、やるべきことがあるのですよ」
ミュセル・デベローは静かに、そして悲痛な声で勇者を諭した。
「勇者ルベルグ様、落ち着いてお聞きください。我が国は現在、4方向から同時に侵略を受けています」
「はい?」
激高したルベルグはそのまま領主デベローの胸ぐらを掴み上げ……、間抜けな声を出した。
多方面から同時に侵略を受けている。
それは、バロンからしても予想外の情報だった。
「国の北部────我が領地ダーマットは、首都方向から飛来した巨大龍の攻撃を受け壊滅しました。勇者ルベルグ様のご活躍で龍は打ち破りましたが、都市機能は完全にマヒしています」
「あ、ああ。この街は復興に、しばらく時間がかかるだろうな」
「しかし、それと同時に西部、東部、南部も……何らかの勢力により同時に侵略されているそうです」
その報告に、勇者は呆然と自失した。
それが事実であるのならば、他の都市も巨大龍のような化け物に襲われていると言う事だ。
「じょ、状況は。襲われた町はどうなっている!?」
「勇者様の盟友……マリン様が遠征しておられた東部領は、彼女の奮戦で街は守れているそうです」
「お、おお! そうか、東にはマリンが行っていたか。良かった」
勇者ルベルグは、その報告に安堵の声を出す。
しかし、ミュセルの声色は厳しいままだった。
「ですが、同じくご盟友のレグ様が視察しておられた南部都市は『敵来る』の報以降、連絡が途絶えております。恐らくは、相応の被害が出ていると思われます」
「……」
会話の中に出てきた「マリンとレグ」の二人の名を、バロンは知っていた。
いずれも、自らとルベルグが決戦した砦で戦ったルベルグの仲間である。
「西は。西の都市はどうなったのじゃ」
「つい先程ですが壊滅した、と情報が着ました。敵は4足歩行の強大な黒き獣で、群れを成して人間を食い荒らしたそうです」
「龍ではなく、別種の生物か。だが、それは────」
「ええ」
国の大都市が、4か所も同時に襲撃された。
それも、今までこの地では見た事もなかった『魔獣』と呼ぶにふさわしい化け物たち。
「これは魔族の王、つまり『魔王』襲来である可能性が高いと、政府は声明を出しております」
これは大昔、人間に滅されたはずの『魔族』達による、復讐戦の可能性が高い。
政府も、そしてミュセル・デベローも、そう考えていた。
「……でも、魔王はもう俺が────」
「ワシが魔王と呼ばれるに至った経緯は、貴様らが勝手にそう呼び出したからじゃろう。ワシは魔族なんぞ束ねたこと無いわい」
勇者ルベルグは、顔面を蒼白にする。
魔王バロンもまた、沈痛な面持ちで話を聞いていた。
自分がやっとの思いで倒した相手は、魔王でも何でもないただの賊。
今やっと、本物の『魔王』が攻めてきた。
それがどれほど、勇者ルベルグの心を苦しめたであろうか。
「分かりましたかルベルグ様、そしてリーシェ殿」
そんな二人を、射抜くようにその女性は見つめて。
「……今、人類は絶体絶命の窮地を迎えているのです」
ミュセルはそう、ハッキリと告げた。
「ふむ、今はルベルグと争ってる場合ではないという事か。委細承知したぞ、ミュセル」
「……バロン?」
「で? ワシを生かして、何をさせたいというのじゃ」
「話が早くて助かりますね、魔王────いえ。『迅雷の導師』殿」
だからこそ、ミュセルは魔王と呼ばれた男を捕らえなかった。
何故なら、
「リーシェ殿。私は貴方を『人類きっての名将』と評価しています。何せルベルグ様に奇襲されるまで、貴方の軍は国を相手に一度の敗北もなかった」
「……」
「私はその戦争手腕、手管に縋りたいと思います。……貴方を我が家の、客将として雇わせてください」
部下や衛兵の大半を失い、一度もまともな『戦闘』を経験していない彼女にとって、数多の経験と知啓を持つバロンは喉から手が出るほど欲しい人材だったからだ。
「だめだ! こ、こんな男に頼らなくても俺が────」
「魔王と戦った事があるルベルグ様なら、彼の恐ろしさを良く知っている筈」
「だがコイツの性根は極悪だ! いつ裏切らぬとも限らない、何なら魔族につくかも!」
「そうさせぬため、私が彼を雇うのです。信じて下さい、私がこの家の名誉にかけて彼を裏切らせません」
く、く、く。乾いた笑みが、バロンから零れる。
必死にミュセル・デベローに食い下がる勇者を尻目に、バロンは大笑いしながら首を縦に振った。
「良かろう。雇われてやる」
「感謝いたします」
その返事を聞き、ミュセルはニコニコと満面の笑みを浮かべた。
「くれぐれも早まった行動は起こさないでくれ! 君の処分は追って下ると思え、ミュセル・デベロー!」
その答えを聞いた勇者は、憤怒してキャンプを立ち去った。
「だが、今の危機的状況を教えてくれた事には感謝しよう。俺はすぐにでも、他の村への救援に赴かねばならないらしい。ここで失礼する!」
魔王バロンを幕下に加えたデベロー伯爵に対し親の仇のような目を向けつつ、勇者は一人で首都へと駆けて行った。
ルベルグは丸一日、徹夜で龍の相手をしたあとに全力疾走で首都に走って戻る事になる。
よく体力が続くものだと、デベローは感心した。
「慌ただしい方ですね。……では、貴方にはこのまま話を続けましょうか」
「うむ」
そして居間には、ニヤニヤと笑みを浮かべるバロンと領主デベローが残された。
正直な話をすると。
魔王バロンは、欠片もこの若い女貴族に従うつもりは無かった。
────従順なそぶりを見せておいて、隙を見て装備をかっぱらい逃げ出そう。
彼が先程の話を受けたのは、デベロー伯爵の隙を作るためだ。
魔王バロンが真に守るべきは、この街の民ではない。
先ほどは成り行きで街を守るのに協力したが、今後もこの街と領主に忠誠を誓う義理など無かった。
反乱軍は壊滅したが、かつての魔王バロンを慕う勢力は各地に点在している。
魔王バロンには、協力者が多かった。国中の民が、現政府に不満を持っているのだ。
何なら貴族から隠れ住む者達が築きあげた、住民まるごとバロンに臣従する村も存在する。
早くこの街を逃げ出そう。そしてその村に潜伏し、再起を図ろう。
それが、ミュセル・デベローに愛想笑いを浮かべているバロンの心のうちであった。
「ではリーシェ殿。……いえ、リーシェ将軍と呼びましょうか」
「おお、好きに呼んでくれて構わない」
「ではリーシェ将軍。今から約束通り、私とお茶を楽しみましょう」
さて、目の前の女はどんな無理難題を押し付けて来るのかと構えていたら。
彼女は足をさすりながら、優雅に紅茶をすすり始めたではないか。
「む? 今すぐ、どこぞへ救援に赴かんのか?」
「今はこの街の負傷者の救助で、ほとんどの衛兵が駆り出されておりますので。今すぐ動かせる兵は殆どいないのです」
「ああ、成程のう」
リーシェは少し不満げに、窓の外の難民キャンプを見下ろした。
つい先ほどまで、龍が大暴れしていたのだ。
今は他の地方への救援どころではないのだろう。
「ああリーシェ将軍、今は護衛などはおりませんね。約束通りのお茶会です」
「おや、給仕や執事がうろついておるが」
「彼らは、お茶会における必要不可欠ですもの。ノーカウントですわ、だからこれは二人きりのお茶会です」
「……まぁ別に構わんが」
腑に落ちない顔をしながらも、バロンは受け取った紅茶をしげしげ眺めた。
貴族が大嫌いなバロンであったが、今は目の前の女貴族を害する気は今のところなかった。
それはミュセルが、優秀な施政者の様だからだ。
彼が『リーシェ』として記憶を失って生活していた折、政治への不満は聞いたことが無かった。
かつての村も、彼女の統治であれば問題は起きなかったに違いない。
今だって、怪我人を収容するキャンプをすぐさま設営していたりと仕事の速さが目立つ。
「では、早速。いくつか貴方の知恵を借りたいのですが」
「無論、ワシ程度の知恵で良ければ」
この街が彼女を失うのは、大きな痛手だ。だから、バロンはミュセルを殺せない。
彼女の死により、余計な被害が出たら本末転倒だ。
「ではまずリーシェ将軍、現状まったく人手が足りていないのです」
「……でしょうな」
「それでどこか、力を貸してくれるような勢力を紹介していただきたいのですが」
ミュセルは、まず人手を求めた。
要は、各地で民衆に人気のあってバロンの人脈を借りたいらしい。
「申し訳ないが、思い当たるところは無いな。かつてならいざ知らず、今のこの身に知り合いなどおるわけなかろう」
「おや、そんな空とぼけて。……この世に魂を残留する術式を用意したのは貴方じゃないですか」
バロンの返答に、クスクス、とミュセルは愛おしそうに微笑んだ。
「貴方は前もって敗れ殺される準備をしていた。そんな貴方が、他の肉体に憑依した際の『合図』を、決めていないなんてヘマをする訳がないでしょう?」
「……」
「かつて貴方が秘密を共有していた、貴方を支持する勢力と連絡を取っていただきたい。出来ませんか?」
それは彼の心の奥を読んだかのような、不敵な笑みであった。
……ミュセルと言う女は、やはり底が知れない。バロンは、そう感じた。
「残念だが、本当に思い当たる節がないのう」
「そうですか、残念です」
しかし、冗談ではない。
何故、わざわざこの地の貴族の為に協力者を紹介せねばならないのか。
トボけていると悟られながらも、バロンは彼女の要請を断った。
これが罠でないとは限らないので、断らざるを得なかった。
「……」
「おや、どうかされましたか?」
ミュセルの表情は険しくなるかと思いきや、穏やかな笑みを崩していなかった。
それがいっそう、不気味な雰囲気を放っていた。
「では次の相談なのですが。……私達は西の地域に、救援に赴こうと考えていまして」
「西?」
「ええ、湾岸都市の方面ですね。あの辺はもう怪物に蹂躙され、そこら中で避難民が溢れていると聞きます」
ミュセルが示した方針は、もう壊滅した方向への援軍であった。
バロンは眉を顰めた。それは、戦争の道理に合わないからだ。
「ふむ、何故わざわざ西を? 普通であれば、まだ戦線を維持できている東軍と合流を図るのが上策では無いか?」
「そう思いますか?」
味方が壊滅した戦場と、まだ味方が頑張っている戦場。
目指すのであれば、普通は後者だろう。残った兵力を集め、再侵攻を図るのが自然な道筋だ。
「ワシらが遠征し返り討ちにされたら、この領土も危うくなるぞ。ここは涙を飲んで南と西は見捨て、東の軍と合流するべきでは」
「ですがリーシェ将軍、貴方は西に向かうのでしょう?」
その女は、ミュセルは、何もかも見透かしたようにそう言って修道女の鼻をつついた。
「西の山脈奥深く。そこに、かつて貴方が組織した勢力の本拠点がある」
「────」
「ああ。この情報を得ているのは今の所、当家だけなのでご心配なく。そこにいる人間は兵というより、行き場を失った民の共同集落の様ですし見逃してあげていました」
ここで初めてバロンは、色を失った。
それは、彼のかつての仲間────反乱軍として戦っていた者達の家族達の安住の地だ。
未開発の山奥深く、難民の安住の地を作るために皆で作った『反乱軍の楽園』。
「結構、立派な集落のようですね。畑まで作っているとか」
それは河と崖に隠された天然の要塞だ。
数年がかりで建築され、今も多くの難民が生活している。
その情報を、握られているとは思っていなかった。
この集落こそバロンが向かおうとしていた場所であり、そこに住む彼らこそバロンにとっての「民」なのだ。
「貴様、その情報を────」
「ふふ、落ち着いてください。害意はありませんよ」
カチカチと、歯が震える。
臓府にナイフを突き付けられたかのような、激しい動悸がバロンを襲う。
「ただ、貴方が此処で私を殺せば、速やかに王に奏上するよう部下に申し付けておりますが」
それを、他の貴族に知られる訳にはいかない。
あの地の人間だけは、守らないといけない。
魔王バロンは、絞り出すような声を出した。
「ワシに何を、させたいのじゃ」
「リーシェ将軍。彼らを救出したくは無いですか?」
「……救出、とな」
救出。その言葉に、バロンは目を上げた。
「西の都市を襲った獣は、恐らく狼の魔獣。いかに集落が森の中に隠されていると言えど、彼等の鼻からは逃れられない」
「……」
「もちろん、助けたいですよね? 貴方を慕う、可愛い可愛い民ですものね?」
それは、バロンも気付いていた。
森の奥深くに建築された秘境とはいえ、いつまでも獣の鼻を誤魔化せるとも限らない。
いつか魔族に見つかり、襲撃されてしまうだろう。
バロンはその前にその集落に合流し、何かしらの対策を練るつもりであった。
「条件を飲んでいただければ、我が領地から援軍を派遣した上で、彼等を全員うちの領で保護しましょう」
「……っ」
「彼等をいつまでも、魔族に襲撃される危険の伴う集落に閉じ込めておくのは可哀想ですよね」
しかし。ミュセルの口から出てきたその提案は、バロンの感情を大きく揺らした。
「この領地での暮らしは、貴方もよく知っているでしょうリーシェ」
「あ、あ」
「リーシェ。貴方が我が領地で『将軍』として働けば、彼等の命も生活も保証されるのです」
ミュセルの……、デベロー領の暮らしは豊かだった。
そんな領主が、大切なバロンの仲間を保護してくれると言っているのだ。
「……し、信用できるか。貴様ら貴族の言うことなど! きっと、全員を捕まえて国王に突き出すに決まって────」
「あら、なら私の利害で考えてください」
それは、本当ならば死ぬほど有難い提案だ。
だが、バロンにはいきなりミュセルという貴族を信用することはできなかった。
彼は何度も何度も、そういう権力層の人間に裏切られてきたのだから。
「リーシェが優秀で、有用で、この領地にとってかけがえのない貢献をしてくれるなら。私はリーシェを失わないためにも、全力で約束を守るでしょう」
「……」
「難民を受け入れることで民という人手が増える。しかも彼等を保護するだけで、
だがバロンは直感的に、この女の本性を悟った。
こいつは、約束は守る人間だ。そして約束を守った上で、自分が最大限の利益を得るよう調整できる女だ。
だから約束を破る必要がないのだろう。
「……条件、とは何だ。貴様、さっき『条件を飲めば』難民を受け入れると言うたな」
「ああ、それは大したことではないですよ。ただ─────」
ミュセル・デベローは、生き馬の目を抜く政治の世界の人間らしい。
思った以上の難敵の出現に辟易しながらも、バロンにその提案を断る術を持たなかった。
「────分かった、条件を飲もう。集落にいけば、残ってるだろう」
「ええ、期待していますよ」
結局バロンは、ミュセルの提案を飲んだ。
正直なところ、バロンからしても死ぬほどありがたい提案だったからだ。
もし西側を壊滅させた魔族が『龍』並の脅威を誇っていたとしたら、バロンが集落に向かったとしても大して役には立たなかっただろう。
昔の彼ならいざ知らず、今のバロンは少し戦闘行為をするだけでボロボロになる貧弱少女ボディなのだから。
「ああ、出発は明日の明朝です。それまでに必要な装備などを見繕っておいてくださいね」
「……ああ」
「期待していますよ。是非とも貴女が、『国に逆らってまで保護するだけの価値がある』事を証明してください」
そう言って笑うミュセルを背に、バロンはゆっくり退室した。
掌の上で弄ばれている自覚を持ちながらも、今の非力なバロンにはどうすることもできない。
「はぁ、くそったれ」
そのままかつての魔王は、痩せた少女の体で武器庫へと歩いて行った。
「……本当に、魔王を配下にするおつもりですかミュセル様」
「ええ。生身で龍を打倒できる歴戦の指揮官、なんて凄まじい人材を放置しておくわけないでしょ」
バロンが去ったあと。
執事は静かに、ミュセルへ語り掛けた。
「しかしミュセル様。少し……、ご無理をされてはいませんか」
「してたら何です? 今の私は、私にできることをするしかない」
その執事の口調は、穏やかだがとても悲痛だった。
心の底から、主であるミュセル・デベローを心配している様子であった。
「大丈夫よ」
一方でミュセルは精一杯強がった笑顔を浮かべ、執事の入れた紅茶を飲んだ。
「きっとお父様とお母様が、力を貸してくれるから」
────彼女の手は震えていた。
それはきっと、恐怖と苦悩を飲み込んでの笑顔だったのだろう。
「だから色々と私に教えてくださいね」
ミュセル・デベロー。まだ十代半ばの、若き施政者。
彼女がこの地の領主となったのは、
「ええ。お父君もきっと、支えてくださいます」
両親が龍により殺された、つい
実はミュセルは、領主としての職務やノウハウなぞ学んでいない。
本来であれば彼女は、花嫁修業を終えてどこか貴族に嫁いで一生を終える予定だった。
しかし本来のデベロー家の跡取りである、ミュセルの実弟はまだ弱冠10歳。とても、この非常時を乗り切れる能力はない。
だから、今は彼女が跡を継ぐしかなかった。臨時のデベロー家の当主として、この非常時の民のリーダーとして。
……果たしてこれは幸か不幸か、運命のいたずらか。
「さて。やれるだけやってみますか」
この人類を滅亡の危機に立たせた『魔族の襲撃』により、後世の歴史家から『稀代の政才』と評される