TS魔王は勇者に靡かない 作:しぇしぇしぇのしぇ
「……はぁ」
浴槽に浮かぶ、自らの長い髪。
それはリーシェとして生まれ変わってから、幾度となく見てきた光景であった。
「なんと脆く、か弱く、儚い腕よのう」
もう見慣れて何も感じなくなった、女性の身体。
龍の唾液にまみれベトベトであったバロンは、デベロー家の使用人に案内させ、湯浴みを借りていた。
足には、回復薬で無理矢理に癒した瘡蓋がいくつも出来ている。
「……」
しかし彼女はバロンに殺され、魔王という
この国の王は、バロンを残虐非道の人でなしと罵倒した。
しかしその王こそ、人を人として見ていない。
そのような連中に、国を任せておいたらどうなるか。
「あの様な連中が上に立ってしまったから、ワシの様な者が生まれた」
皆が幸せに笑える統治であれば、バロンはきっと一生を農民で終えただろう。
しかし、そうはならなかった。
地方貴族の圧政、私利私欲に走る官吏、賄賂で国と癒着する賊ども。
この国に平和な農民の暮らしはない。この国を変えねばならない。
バロンは、そう決断させられてしまった。
「だが、今は非常時」
しかし、それを為すは今ではないだろう。
魔族という外敵が侵略してきたこの非常時は、まさしく人類存亡の危機。
バロンは、どう行動するべきか悩んでいた。
「……恐らくルベルグ達の力なくば、魔族は退けられまい。しかし彼らの力を借りれば、ずっと奴等の権力は続く」
つい先程まで、バロンはルベルグを殺すつもりだった。
彼を殺し、国を傾け、民をまとめ一斉蜂起する覚悟だった。
ミュセルから、今の国の窮状を聞くまでは。
「とはいえ、あの女の言いなりになっても何も変わらぬ」
彼女の言葉に、今は嘘はない。
本当に、ミュセルは魔王バロンを配下に加えてこの混乱を沈めるつもりなのだ。ミュセルには現状、バロンを害するつもりはない。
しかし、それはあくまで────魔族という人類にとって共通の敵が存在している限り、という条件がつく。
「……。いずれにせよ、一策講じる必要があるな」
このままミュセルの言いなりになっても、全てが終わった後に始末されるのみ。
ちゃぷん、と。
バロンはいつも通り丁寧に髪を洗い上げ、ゆるりと立ち上がった。
「あぁん? あんたが、我らの新たな隊長様だって?」
翌日、明朝。
魔王バロンは言われた通り武具の見繕いを終えて、衛兵たちの屯する詰め所に赴いた。
「話は聞いているだろう」
「おあいにく様。こちとら疲れて耳鳴りが酷くてね、さっき領主様がピーチクパーチク鳴いてたけど何も聞こえなかったや」
徹夜での救出作業を追え、相応に疲労が伺える衛兵達。
その中心で待っていたのは、見るからにガラの悪そうな中年のヒゲオヤジだった。
「おいおい、何が来るのかと思いきや虫も殺せそうにない小娘じゃねぇか。夜のお楽しみ用にしても、乳臭くて使えやしねぇ」
「……」
「まったくあの女は何を考えてやがる? 貴族様の偉大過ぎるお考えは、平民の俺にゃあ理解できないね」
そのヒゲオヤジは酒臭い息で文句を吐いた後、バロンの前で巨大なゲップをかました。
その姿をどう見ても、バロンを歓迎しているようには見えなかった。
「呆れた。下品な男じゃな」
「おうおう、戦場でお上品にしてて生き残れるならそうするさ。残念だが、戦場では上品な奴から死んでくけどな」
「違いない」
おそらくこの男が、デベロー領の衛兵隊長である男だろう。
周囲の衛兵達は、その男を中心に腰を下ろしバロンを見つめている。
彼ほどおおっぴらに文句は垂れないものの、部下達も彼の意見に概ね同意している空気である。
「聞こえてなかったなら、仕方ないのう。貴様らを指揮する任についた、リーシェである」
「ああん!? 聞こえないねぇ」
衛兵隊長は親の仇でも睨むような目つきで、バロンに悪態をついた。
「良いから黙って帰りな。アンタがどこの名門貴族様かしらねぇが、テメーみたいな小娘に預けるほど俺の仲間の命は安くない」
「ほう」
「俺たちの命は、貴族様の玩具じゃねぇんだ。俺を命令違反でしょっ引くならご自由に、俺以外のヤツが衛兵隊をまとめられるとは思わんがね」
男は自信満々に、そう言い放つ。
その反骨精神は、一歩間違えれば反逆者ととられかねないモノであった。
衛兵達のこの態度には、理由があった。
『ああ、貴女は『勇者ルベルグと共に龍を殺した、新たなる英雄リーシェ』として軍の長に任じます』
─────デベローは、リーシェの正体が魔王バロンである事を衛兵に伏せたからだ。
『貴女の正体を兵が知ったら、きっと軍が纏まりませんからね』
それは、無用な混乱を生む情報だという、ミュセルの判断だった。
それ自体は間違っていない。バロンの名は、悪魔の代名詞にされてもおかしくない『悪名』として民衆に伝わっているのだから。
『なので、貴方は自分で信頼を得てくださいね。リーシェ』
しかしそうなると、リーシェは大した実績もなく『ルベルグと共に戦っただけ』でいきなり隊長に任じられた形になる。
そのお陰でリーシェという女は、「勇者ルベルグの功績に便乗した小判鮫」と兵士の間で噂されていた。
「ふむ。面白い、なら今まで通り貴様が衛兵隊を纏めると良い」
「あ?」
その男の態度を見て、バロンはご満悦だった。
「良い、実に良いぞ。命令に逆らってでも仲間を守らんとするその態度、まさに隊長の器である」
「……」
「いや、正直なところワシもこの任に乗り気でなくてな。領主様は、おそらく何も考えておるまい。龍の打倒に協力したワシに、褒美のつもりで適当な役職を与えたのだろう」
「……ふーん?」
「こちとら良い迷惑なのだ。指揮の実権は全て貴様に譲ろう」
外様の自分がいきなり赴任し、アレコレ命令をしたとして兵がおとなしく従うはずはない。
こういうケースのセオリーは、その軍の中での有力者を取り込んで纏めさせるに限る。
「成る程ね。ま、あんた身の程は知ってる訳だ」
「まぁのう。ただ、領主様からの命令じゃから体裁として、ついていかせてもらうぞ」
「好きにしろ。ただし、自分の身は自分で守れよ」
「言われずとも」
カラカラと笑う
彼らはまだ、その女の脅威を知らない。
「ワシはリーシェ、隊長に取り立てられただけの村娘よ」
「……テュッペルだ。今まで、俺が衛兵隊を纏めていた」
「よろしくの」
その女は、魔王バロンは────
圧倒的なカリスマで民衆を纏め上げ一大勢力を築き、国家を転覆寸前まで追い込んだ稀代の『怪雄』であるという事を。
「まぁ、取り敢えず何時までも屯していたら領主にドヤされよう。皆疲れとるだろうが、腰をあげようぞ」
「……ったく、徹夜明けで出発とは無茶が過ぎる」
「本当にのう。だからちっと進んで領主の目が届かなくなってから、少し休もうぞ」
「賛成だ、ちっとは休まなきゃな」
ニコニコと機嫌良さそうに、中年の衛兵と握手を交わすリーシェ。その親しげな修道女の態度に、衛兵達は怪訝な顔をしている。
しかし兵士達の目からは、先程までの射殺さんばかりの敵意が消え去っていた。
バロンの目的地……西地方の森にある隠れ集落までは、約5~6日の道のりだった。
彼らの遠征の目的は、敵の討伐ではない。
ミュセルはただ兵士達に「西地方で生き残った難民を保護し、避難を支援してください」を命じて出発させていた。
戦闘になれば逃げろと言う命令すらあった。ミュセルは少しでも生存者を救い、そして自らの戦力の消耗を抑えたかったのだろう。
「……ああ、やってられん」
勿論その辺の機微は、バロンもテュッペルもよく理解していた。
つまりまぁ、貧乏くじの任務である。
敵に襲われるかもしれないリスクを負ってでも、人命を優先して死地へと向かわねばならんのだ。
「テュッペルさん、民が話しかけてきます」
「……またか。俺が対応する」
そんな彼らを待っていたのは、難民達からの心無い罵倒だった。
そう。危険な西地区から自力で逃げ出してきた者が、結構居たのだ。
バロン達がが西へ向かう道すがら、たくさんの難民がデベロー領を目指して歩いてきていた。
「兵隊さん、どうかその食料を分けておくれ。私はもう3日も何も口にしてないんだ」
「悪いが、俺たちはこの先の民の救援に向かうのでな。食料を分ける余裕なんぞ無い」
「そこをなんとか。もう、これ以上歩けないんだ」
「気合いだ。もうちっと歩けばデベロー領につく、モノ乞いしてる暇があるなら歩け」
「ああ! なんて、なんて冷たい連中だ!」
デベロー領へ避難しようとしている民は、こぞって兵士達に食料を乞うた。
しかし、ミュセルが用意して兵士達に持たせた食料は、ギリギリだった。向こうで難民を保護して戻ることを考えれば、足りていないくらいだ。
なので積み荷の食料を、他人に分け与える余裕な
てなかった。しかし、道行く民から兵士は『食料を独り占めしてる極悪人』に見えたのだろう。
「良いからよこせ!」
「む、盗人が!」
避難民達はテュッペル達を、口々に罵倒した。
中には食料を奪おうと襲いかかってくる者すらいた。その者を返り討ちにした瞬間、周囲から石が飛んできた。
「……いやになるよ、まったく」
「何で俺達が責められなきゃならねーんだ」
衛兵の士気は、著しく下がっていた。
テュッペルも、悪態をついてやまない。
命懸けで街の住民の救出を行い、そのまま休みなく集落へ遠征させられているのだ。それも、全て民衆の命を守るためである。
なのに何故、その民から石を投げられねばならないのだろうか。
そのやるせない気持ちに任せ、いっそ周囲の民に襲いかかってしまいたくなっていた。
「ふむ。飯が欲しいか、民衆よ」
その鬱屈とした民の不満を受け、兵士のストレスが爆発する気配を見せた頃。
これ以上はテュッペルに任せておけんと、リーシェはとうとう民と兵の間に割って入った。
「それはそうだろう。飯がなくば人は生きていけない」
「そうだ、その通りだ! だからその食料をよこせ!」
「よかろう! 貴様が望むのであれば、食料を分けることやぶさかではない!!」
テュッペルが口を挟む暇も無く、リーシェは笑顔で民衆へ食事を分け与える事を宣言してしまった。
その言葉を聞いた民衆は歓喜し、衛兵は絶句した。
「おいテメェ! 何を勝手な事を言ってやがる小娘!」
「よこせ! 飯を分けると言っただろう、早く寄越せ!」
「おおとも。ただし無理矢理奪おうとするものは先程の男の様になるからな、きちんと並べ」
周囲は狂乱し、リーシェの指示に従って並び始めた。
その直後、テュッペルはリーシェの胸ぐらを掴み上げた。
「今の話はナシだ! 俺達に分け与える食料の余裕はない!」
「カッカッカ。いやいやたっぷり有るぞ、落ち着けテュッペル」
「何処にだ!」
しかし、テュッペルに恫喝されようとリーシェは涼しい顔だ。
そのまま修道服を着た女は、期待に満ちた民衆へ笑顔で話を続けた。
「諸君。君達は食料を得る時に今までどうしていた」
「……あん?」
「対価だよ。何かモノが欲しければ、対価を支払う。それは至って当たり前の、この世界のルールだろう」
「なんだ金か? まさかお前、命からがら逃げてきた俺達から金を毟ろうってのか!」
「アホぅ、金なんぞ貰っても糞ほど役に立たん」
リーシェの言葉で再び民衆が激昂しかけたが、当の本人はすました顔のまま、
「我こそ西の民を救おうと、命を懸ける者は名乗りでよ。ワシが部隊の食料を以て雇ってやろう」
「……」
「貴様らに求めるのは金ではなく、命だけ。この食料は、これから命を賭けて戦う者に与えられる財だ。さあ欲しい者は名乗りでよ!」
そう言って民衆を一喝した。
「……ワシは本気だ。ワシらと共に道を引き返し、戦う決意有るならばこの食料を分け与えようとも」
「それは……」
「正当な対価無く、これらの財を求めるなら盗人である。汝らが人であるならば、対価を支払え」
その言葉に民は黙った。
リーシェは本気だった。本気で志願し命を賭けるなら、食料を分け与えるつもりだ。
「汝らが人ではなく賊────暴威を以て弱者をいたぶる者ならば、容赦はしない」
「……だがっ! いや……」
そして、ただ食料を奪おうとする賊と見なされたならばきっと殲滅されよう。
その言葉に嘘はない。
彼が本気なのが伝わったからこそ、民衆は黙ってしまったのだ。
「ふむ、志願者は無しか?」
「……」
「何だ、詰まらん。手早く人手を増やせると思うたのに」
食料を寄越せと喚いていた人々が黙りこんでしまい、リーシェの嘆息だけが街道に響いた。
彼がこんな事を言い出したのには、理由がある。
リーシェは、元より食料が全く足らないのを知っていたのだ。
遠征任務とは、大体予定通りの日程で終わらない。
不測の事態は付き物だし、予定外の仕事も飛び込んでくる。
だからこそ、遠征では予定日程より多めの期間の食料を用意しておくのが鉄則だ。
なので元から、日程分ギリギリ用意された荷車の分だけで賄える筈がない。
これはまだ若く経験のない領主デベローの失策と言えるかもしれない。しかし、町が殆んど壊滅して混乱の最中に集まった兵糧と考えれば、彼女はよくやった方だ。
だからこそ、むしろリーシェには人手が必要だった。
任務の終了を早めるため、そして森に入り河へ向かい自給自足を行うため、現在の戦力ではどう考えても足りない。
なので荷車の食料を使い、僅からながら兵を補充する目論見だったのだ。
「…………はい」
「おっ?」
しかし結局。
そのリーシェの募兵に乗って手を挙げたのは一人だけだった。
「……わたし、やる」
それは痩せこけた、一人の幼い女の子。周囲に家族の姿はない。
おそらくは、孤児だろう。
一人では生きていけるかどうかも分からぬから、手を挙げたのだ。
「ふむ。ならば宜しい、ついてくるが良い」
自分で宣言した手前である。リーシェは兵士補充の当てが外れた事に気を落としつつも、その幼女の手を取った。
「……助かった。良い啖呵切るな、嬢ちゃん」
「ふむ? まぁ、人前での演説は得意じゃの。見ての通り、修道女でな」
「そういや鎧の下は修道服だな。……あれ? お嬢ちゃん貴族じゃねぇの?」
「しがない平民じゃ。そっちは何か勘違いしてたみたいじゃがの」
テュッペルは、リーシェの一喝で民から不満を言われなくなった事で、頬を掻いて礼を述べた。
ただその表情は複雑だ。
自分より年若い少女が、よっぽど隊長をしている。そりゃあ、元々の隊長からしたら面白いはずもない。
「え、じゃあお前、本当に領主様に取り立てられただけの小娘?」
「おう。中央教会のリーシェじゃ、聞いたことないかの」
「あっ。あっ!! 居た、見たことあるぞ俺! 確か前にミサの時にパン配ってたなアンタ!」
「ええ、そりゃワシじゃの」
しかし、先程の演説でリーシェは衛兵達の心を掴んだようで。
「あれ? 前はリーシェさんって、もっとこう……フワフワした敬語調だったような」
「ああ、人前ではそうしとる。今は地じゃ」
「地はそんな感じなんだ……」
「諸君らは、命を共に預け合う仲間同士と思うておる。だからワシも猫を被らず、地で接しようと決めた」
「お、おお……」
カッカッカと機嫌良さげに笑うリーシェ。
「何だ、女の体にこの口調は似合わんか?」
「いや、なんかお婆ちゃん思い出して悪くない。そっか、あのリーシェさんだったか」
「前はどんな口調だったんだ? ちょっとやって貰えないか?」
「はい、良いですよ♪」
「おおーっ!!」
最初は毛嫌いされていたリーシェだった。しかし、彼女はもう兵士に仲間扱いされつつあった。
人の心にヌルリと入り込み、いつしか信頼を寄せてしまう人柄と性格。
これぞ、彼の特技……。いや、本領と言えるかもしれない。
「……で。この娘はどうすんだ、リーシェさん?」
「ああ、とりあえずワシが預かる。まぁ見ておれ」
「しかし、このままでは子供を危険な場所に連れていくことになる。それは……」
「安心せい。ワシはこの娘も諸君らも、死ぬような場所に連れていくつもりはない。それに……」
小さな足で必死でリーシェに追従して疲れ果て、泥のように眠っている幼女を膝に。
「子供は無限の可能性を秘めている。案外、頼りになるやもしれんぞ」
「まさか」
かつて魔王と言われた男は、優しい顔を浮かべて子供の髪を鋤いてやるのだった。