「早速だけど、被身子ちゃん。私の前では自分を演じなくていいからね。君のしたいようにすると良い」
「…?大丈夫なのです。私、ちゃんと『普通』でいられるよう頑張りますから。笑顔は、練習中ですけど」
「今はそうでも、いつかは我慢の限界がやってくる。これは被身子ちゃんが我慢強いかそうでないかとはあまり関係ないんだ。本当の自分を隠し通すことなんて誰にもできやしないし、自分自身辛いだけだと私は思うよ」
被身子は年齢に見合わない達者な言葉で、千雨に返事する。多くの大人が自分のなすべき役目を全うすることに義務感を抱くように、彼女は己の欲求に蓋をすることを至上の命題としていた。
そんな彼女を諭すように千雨は更に言葉を返す。事実、このままいけば彼女の自制は中学卒業と同時に決壊してしまうだろう。そうなる前に手を打つ必要があるのだ。
「…でも、お父さんもお母さんもおかしいって言うのです。学校でも、私の笑い方が気持ち悪いって言う子がいます。カァイイって思った子の血をチウチウしたくなって、怪我をしてた時にその子の傷を舐めたら、先生を呼ばれて…すっごく怒られました。私、ただその子とお揃いになりたかったのです。その子になりたかった、だけなのに…」
「だから、自分を偽ったんだね。皆から愛される、『普通』の『良い子』になるために。けれど、今だって完全に隠し切れてる訳じゃないだろう?あの時…友達の手当をしながら、こっそり手についた血を舐めてたね」
「!!…その、血を見たら、どうしても欲しくなっちゃったのです…。でも、バレないようにちょびっとだけで…だからあの子とはまだ仲良しなのです」
「それで良いのさ。バレなければ君はずっと皆にとっての『普通』でいられる。大事なのは抑え方じゃなくて、発散の仕方を考えることだよ」
「え…?」
思いもよらない言葉に、被身子は目を丸くする。
「勿論、越えちゃいけない一線はある。好きな子の血が欲しくなったからその子にバレないように怪我をさせるとか、そういうことは許されないよ。けど、相手が同意してくれるならそういうのもある程度はセーフかもね。例えば…私とか」
「……千雨さんは、あんまりカァイイ感じは、しないかもです…」
「…んんっ。例えばの話さ。とにかく、誰にも見られなければそれで良いんだ。皆の前では皆の『普通』を演じて、本当の君を受け入れてくれる相手には存分に君にとっての『普通』を見せてあげると良い。ただし、少し矯正はさせてもらうけどね」
「矯正、ですか?」
最近少しばかり辛辣な言葉を投げかけられることが増えたな、と心の中でホロリと涙を零しながら、千雨は被身子に説明する。
「君の『好きな人の血が欲しい』『好きな人そのものになりたい』という欲求は、君自身の個性が強く影響している。血を摂取した相手に変身する、それが君の個性だね?」
「!は、はい。いっぱい貰えば、その分いっぱい変身できるのです」
「そして、最終的には好きな人の全てが欲しくなる。結果としてその人の命を奪ってしまうほどに」
「…えっ」
「今はまだそこまでじゃないだろうけど…このままだといずれ、という話さ。だからそうなる前に矯正しよう。感情と個性の分離は不可能じゃない。君のように精神性に強く変化をもたらす個性の持ち主でも、その結びつきを弱めることはできるはずだよ」
千雨の話を聞いて顔を強張らせる被身子。しかしその後の彼女の言葉に、少しずつそれが和らいでいく。
「…私、『普通』に生きられますか?」
「もうとっくに出来てるよ。皆に受け入れられるように、あとちょっとだけ工夫が必要なだけだ」
「…笑っても、いい?お顔が痛くなるくらい、笑ってもいい!?」
「それも君のチャームポイントだ。私の前では幾らでもそうするといい」
「カァイイもの、好きなだけカァイイっていえるようになる!?」
「約束する。少なくとも私の隣では、君が自分を偽る必要のないようにしてみせるよ」
「…ぐすっ…うぅ……わあぁぁあっ!!わああああぁあぁん!!」
被身子の顔の強張りは完全にほぐれ、話し方も年相応のものになる。そのまま感情を抑えきれず、隠すことなく千雨の前で号泣する彼女。少女は、ようやく仮面を外すことを許された。