斯くして、パワハラ敗北幼馴染みは勝利した。 作:ドモヴォーイ
王国暦186年 南部方面軍港湾都市リッジウェイ貧民街
子供の頃に思い描いていた理想は、現実に押し潰される。
人生には壁がある。人はそれを挫折と言ったり、試練といったり様々かもしれないが、少なくとも一種と停滞と言えるべきものであることは確かだ。
私の壁はとても大きく、何枚も並んでいる。
貧民窟で生き残り、成人するという壁。
貧民窟から抜け出すという壁。
生きるために死地へ向かい戦争を乗り越えると言う壁。
自分の命を
そうやって生き残ってきた。そうしなければ生き残れなかった。
――それがカサンドラという手弱女だ。
レギンは壁を容易にぶち壊せる人間だった。
「黙っといておいてあげますよ。貴方は定年が近い。寧ろ退役までに清算しておきたい筈だ」
自分の不正を覆い隠せるナニか。
自分の不正を正道に変えるナニか。
不正と縁を切り、穏やかな老後を過ごしたいという欲。
ギデオン・ロッケンフィールドにとってそれは甘い毒であった筈だ。
だから私は囁いたのだ。
この世界は溝のように醜くて。
貧民窟と何らかわりない糞の肥溜めで。
それでも尚、
「ファフナー、どうした?」
呼び掛けられたコードネームに埋没していた意識は急激に現実に引き戻される。
「ああ、すまないアルヴィス。少しだけ考え事をしていたよ」
病人のように痩せこけた青白い肌の男。南部の麻薬組織
「ふんッ、騎士様の仕事は余程多忙と見える」
「そりゃあね、物資の横流しも簡単じゃあないよ。それに禁制品を流すのにも苦労してるんだ。わかってくれとは言わないけれど多少は甘やかしてくれてもいいんじゃないかなぁ?」
甘えるような声を出して、私は微笑む。
女というのは便利だ。とくに甘い声で囁かれて悪い気分になるやつはいない。
「女が笑ってる時ってのは、大概がろくでもないことを考えてるときさ」
「おやおや、酷いことを言うねぇ。私はこんなにも清楚で純心だというのに」
「清楚なやつは自分で清楚など言わん」
アルヴィスはそう呟くと二、三度首を揺らして音をならす。ポキポキと小気味のいい音が路地裏に響いた。
「俺がお前を信用してるのは眼だ。溝底の腐ったような瞳だ。そんな瞳をしてる騎士様なんざ見たことが無いな」
アルヴィスは嘲笑し、粘ついた視線を送る。
「一目見てわかる。お前はこちら側の人間だよ、ファフナー。アンタは溝底の蛆だ。骸を喰らうローチや鼠と変わらない」
「女の子をゴキブリ呼ばわりは酷くないかい? 私だって傷つくよ?」
「俺達は同類だ。日向は生きにくかろう。アンタがいれば王都貧民窟の
自意識の肥大化した小物。口説き文句としては下の下。
そもそも、拳一つで南部の木っ端な港湾都市一つ纏められない男がこれを言うのだから滑稽である。
野心も上昇思考もある。なによりアルヴィスは魔術師だ。
特権階級的な意識が根底に根付いている男だからこそ取り入った。
魔術師――それは王国が誇る戦術兵器であり、一騎当千の古兵を表す。『焔剣』バーソロミュー・リンドバーグ、『金箍児』ザカライアス・ホーキンス、『首狩卿』エドワード・ウッドなど、北部戦線においてたった一人で数百人の雑兵を虐殺し、局地戦において無類の活躍を遂げた。
魔術師には魔術師をぶつける。古来より伝わる戦訓がある通り、魔術の素養のない者が術師と戦うのは割りに合わないのだ。
アルヴィスはどこぞの貴族の落胤だろう。
魔術は強力であり、国家の軍事力に相当する。軍を率いて戦う貴族にとって術者の血と叡知を取り込むのは至極当然であり、魔術師は常に権力者の側にあった。
血を取り込み、血を保存する。貴族の継承において魔力や魔術が継承に重要なのは語るまでもないことだ。
近年、貴族から庶民に堕ちる者は多い。
多くは貴族から商人となるケースや、地縁による領内統治をスムーズに進めるために地主に子を送り込むケースが主だろう。
他には貴族の分家出身であり、一代貴族となった騎士や官僚の子がそのまま魔力を持つ庶民として出てきてしまう。これが最も多い。
本来であれば貴族家でのみ教育が施され、術者として大成するのが普通であり、庶民の魔力持ちなど教育のノウハウが無いため術者となることなどあり得ない。
魔術師が禁を破らない限り。
尋問や戦傷による退役、失脚や不正、借金など。手っ取り早く金を手に入れるため、あるいは職に就くために裏社会に身を投じる魔術師を外法魔術師といった。
アルヴィスとの別れの後、私は官舎でアルヴィスより渡された情報を精査する。
アルヴィスが任されているのは護衛部門。裏社会トップクラスの暴力装置はあくまで鎖に繋がれた番犬程度の扱いだ。
金策事業の麻薬部門や弾薬部門とは違う。願わくばその部門に一枚噛みたいと思っている筈だ。
馬鹿な男だと思った。脳筋風情が簡単に乗っ取れる事業でも無いのに。アルヴィスは意図的に政敵になりうる男の情報をこちらに売り渡した。
時に罪悪感は磨耗する。
悪いことだと最初から理解している。けれどこれぐらいならいいだろう、これぐらいならバレはしないと高をくくり。次第にやり方が派手になる。
ロッケンフィールドとて、最初はちょっとした小遣い稼ぎだったり、無駄にする物資を再利用してやったことだった。
だが、それこそが不正の始まりになる。
みんなやっている。地方勤務にはこれぐらい飴がないとやってられない。どうせバレない。
次第に不正の言い訳ばかりが増えていく。仕方ないだろうと、感覚が段々と麻痺するのだ。
金がいる。
潤沢な資金がいる。
成り上がるために、工作のために、弱味を握るために。
金ほど便利な道具はない。
平民出身で騎士になった人物はいる。しかし、それはあくまで騎士の中でも最低位たる小隊長クラスでしかない。
中隊長、大隊長は貴族であることが前提である。騎士団長にいたっては個人でなく横の繋がりや血縁が左右される。貴族とは身分社会でありそれは騎士団とて変わらないのだ。
地縁も血縁も期待できない。後ろ楯のない平民に期待することは精々使い勝手のいい部下であることだけだ。
平民であることは貴族にたいしてなんらリターンを与えることが出来ない。
だからこそ、明確なリターンを提示するだけの金を積む。それこそが最適解他ならない。
いけないことだということは分かっている。
許されないことだとも理解している。
唾棄すべき外道であり、卑劣漢の道であり、場合によっては屍山血河を生み出すことだとも。
脳裏に浮かぶのは一人の男。
誰かの為に戦える男だ。どんな困難な道であろうとも、真っすぐ突き進むことが出来る男だ。輝かしい道を正道に歩める男だ。
この溝底のような暗い底の中でさえ、煌めいて見えるほどに輝かしい男を知っている。
彼に追いつきたかった。
彼の隣に立ちたかった。
彼に誇れる自分でありたかった。
――そして何より、彼の光を間近で見たかったから。
そのために、これを成すことが必要と言うのならば……私は喜んでこの泥を飲み干そう。
このときに私の中で明確な一本の道筋ができた。
この組織その物を手に入れることができたら、それは明確な私の強味他ならないと。
王国暦188年 王国兵部省輜重兵総監室
「王国186年。王国南部に根を張る巨大な反社会組織『
「……」
「その後ギデオン・ロッケンフィールドは病気療養を理由に一年後に退役。そして、卿は『
アーバイン総監は持っていた羊皮紙を優しく放る。
ヒラヒラと空を舞う紙は私の足下にゆっくりと落ちる。
「――上手くやったもんだ」
「おっしゃる意味が分かりかねます」
精一杯の虚勢。声を震わせないようにするので限界だ。
「最初に感じた違和感は、あまりにも整っていたことだった」
アーバイン総監は手を絡めながらゆっくりと口を開いた。
「二年にわたる王皇戦争によって北部方面軍は多大な打撃を受けた。断絶した貴族家や戦死した貴族子息は数えきれぬ程に。教育された士官の穴を埋めるために戦功による士官を昇進させたは良いものの使い物にするためには五年程度の時間をかけて育てなければならない」
至極通りである。北部戦線に送られた貴族や兵士は皆一級戦の人材だ。それが戦争による人的消耗で多くを失った。その穴を埋めるのは戦時において小隊長格であった下級騎士だ。
「穴埋めになったのは二級線の人材、或いは戦場でしか活躍できん猪。上が頼りなければ下が動く。下が動くと職権の乱用が始まる」
斯くして、王国騎士団は腐敗の巣窟と化した。
「不正が最も横行しているのは輜重兵科だ。物資をちょろまかす奴、物資を売り捌く奴はまだ可愛い。酒保商人と結託して資金を横領する奴や書類その物をでっち上げて書面でしか存在しない物資を錬金する阿呆がいる。なにより恐ろしいのが――軍に麻薬を運ばせる奴がいることだ」
麻薬は金になる。防疫課で密輸が見つからないやり方を見つけた。尋問で密輸のノウハウのある構成員と交渉した。今後邪魔になるであろう組織の上級構成員には死んでもらった。
「――素晴らしい」
「……は?」
糾弾とそして拘束が待ち受けると思っていた。だが、アーバイン総監からは称賛の拍手が私に贈られた。
「騎士カサンドラ。卿の失敗はあまりにも上手くやり過ぎたことだ」
要は、私の部隊は上手くやりすぎたのだという。一見して欠陥のない報告書、物資も常に整えられ。銀蠅で物資に不足しているということもない。
大なり小なり腐敗している軍において私の部隊のみ、中央の騎士団も斯くやといった状況なのだ。
中央からの不審を招かないための工作は逆に中央の裏の間諜機関の不審を招いたのだ。
「正常の中の異常は目につくが異常の中の正常というのはある意味において単なる異常よりも質が悪い」
「……それで、結局は総監は何が仰りたいので?」
交渉の主導権はあちらにある。首根っこを掴まれた私に拒否権はない。
毒殺は難しい、ギデオンを殺すのに食事に砒素を盛って殺したようにバレない暗殺というのは準備と時間がかかる。
「商売を辞めろとは言わん。卿を捕らえる気もない。カサンドラ。君に私の剣になって欲しいのだよ」
これが私と後の王国騎士団総団長、並びに王国兵部大臣となったダグラス・レナード・アーバインとの共犯の始まりだった。
王国暦192年 西部方面軍駐屯騎士団本部
たった四年で騎士団長位。志願兵から約11年と数えるとやはり金とコネの力の偉大さに脱帽する。
あれよあれよという間に騎士団小隊長位に中隊長となるためにとある貴族家を金で買収。ここに法衣貴族ドノヴァン家当主カサンドラが誕生した。
平民ではどうにもできないことも王国騎士爵であり、子爵家や宮中伯家と太いパイプを持つアーバイン総監の力をもってすればある程度の道理を力技でどうにかできる。
権力の座という物は権力を握るモノの力をうまく操ることにあるのかもしれない。
そうやってコネと派閥の力を持って着任した西部方面軍駐屯騎士団残存部隊は多くはない。兵数で言えば二千程度の数であり、その多くは西部領邦によって捕虜とされるか、西部領邦に与した。
数年にも及ぶ麻薬漬けにより、末端要員で使い物になる兵士も少なく、まともな兵士は先の戦争でほとんどが死ぬか捕虜となった。
「西部の王領はほとんどが西部反乱軍によって接収済み、西部方面軍に与するのはオトリュス基地とトリトニス基地。最後に我々駐屯騎士団本隊が本部としているイオニア基地です」
「オトリュスはフィッツジェラルド公爵領内に、トリトニスは西部諸侯領の最奥グレン子爵家の領内にあります」
西部領邦反乱に与する諸侯は主だったところでハーグリーブス侯爵家、クレイトン伯爵家、ヴァレンタイン伯爵家、キンバリー子爵家、グレン子爵家、ストークス男爵家などほぼすべての諸侯が与している。
盟主にフィッツジェラルド公爵家の直系であるアルドヘルム四世を置いているが当のアルドヘルム公は六歳の少年である。当然ながら彼に軍事行動を起こせる実務能力はあり得ず、実質的な盟主はハーグリーブス侯爵家当主ウィルフレッドであることは周知の事実である。
「トリトニスは戦略的にとっても取らなくても大勢に影響はない。援軍も望めぬし、最悪降伏しても構わんと言っていい。第一次征伐軍が敗れて尚、王国騎士として基地を守り続けたのだ、褒めることはあれど意地を張って将兵を徒に消耗させることもあるまい。――厄介なのはオトリュスだな」
西部駐屯騎士団首席幕僚であり、西部駐屯騎士団イオニア基地副司令を兼ねるアーヴィング・ドーソンは静かに頷いた。
「ハーグリーブス一党はフィッツジェラルド公爵を西部諸侯の神輿にしましたが、先代公爵並びに公爵嫡子の側近グループがオトリュス基地内部で保護されています。陥落ないし捕縛された場合。彼らの命はありません。戦略的にも政治的にも重要であると言わざるを得ません」
フィッツジェラルド公爵家はフィオナ王国エディンバラ朝の庶流である名門貴族家である。
先代公爵ウィリアム二世の妻は王家より臣籍降下した王女であり、公爵嫡子であるメルヴィン公子の妻は西部諸侯ヴァレンタイン伯爵家の出身である。
ハーグリーブス侯爵家は反乱の大義名分の為に先代公爵と公子を弑し、メルヴィン公子の嫡子であるアルドヘルム四世を拉致した。王家庶流と言えどもその血には確かに王家の血が流れていることが仇になったと言える。
「西部諸侯からすれば知恵のついた成人貴族よりも何も知らない幼子の方が傀儡にしやすいからな」
「オトリュス基地司令フィリップ・アーサー・ドッドより援軍ないし先代公爵の次男であるアダム公子の脱出、保護を要請する旨が何度も届いております」
公子を見捨てて降伏したとなれば敵味方に軟弱かつ不忠者のレッテルを貼られかねない。
一見して忠臣にも見えるだろうが、内実は地雷の処理であることは透けて見える。
「ドッドには公子を最期まで守り切っての玉砕しかないからな。オトリュスは西部領邦が反乱した場合の最悪を備えて建造された堅牢な要塞だ。後々援軍を送るがしばらくはドッド司令の指揮に期待しよう」
私は溝底から原石を見つけたような気分になった。腐敗した軍の中でも真っ当な人材がいたことは非常に喜ばしいことであるからだ。
「しかし、よろしいので? 万一陥落した場合は団長の責任問題にもなりかねませんが?」
固そうな言い回しをした30半ばの坊主頭の男が意見する。
「リンドバーグ卿、先の鎮圧が失敗したのは西部領邦の入念な準備による成果が大きい。先の鎮圧でもオトリュスの救援の為に兵を出した結果、相手の有利な戦場で開戦となり、先の西部駐屯騎士団の離脱によって打ち崩されました。オトリュスは餌です。キャベンディッシュは誇り高い人物であり、善性の人間でした」
西部方面軍司令官であるキャベンディッシュは有能とは言えないまでも決して無能ではなかった。ただ貴族にはよくある善性の人間であり、困った人を見捨てられない優しい人間だった。
窮地に追い込まれる友軍を見捨てられる人間ではなかったのだ。だからこそ敵の罠に引っかかったと言える。
反乱は単に敵国と戦うのとは違う。潜在的には今まで守って来た臣民と戦わなければならない。特に西部駐屯部隊にとっては顔見知りに剣を向けなければならない行為である。彼らの士気が上がらないのは当然であっただろう。
「キャベンディッシュ卿は正規騎士団や近衛出身で地方部隊での経験は無かった筈です。キャベンディッシュ卿は真正面から戦うのは得意でしたが調略や裏工作の類いは苦手でした。第一次遠征軍の敗因はそこに有ります」
キャベンディッシュは南部貴族出身の貴族であり騎士としてエリートコースである中央部隊や兵部省での仕事を主としていた。
カニンガムは名将と称えられる人物であるが後方業務に関しての手柄は聴いたことはない。戦場でしか生きられなかった不器用な男は戦術家としては強かったが戦略で前提がひっくり返された戦場ではその采配にも限界があったと言えよう。
「納得しました。自分のような男がドノヴァン卿の下に就くのも道理です」
バーソロミュー・リンドバーグは北部戦線の英雄である。
当時は騎士団小隊長として出陣し、決死隊として二度戦線を押し上げ、敵魔術騎士を四名を撃ち取った
「リンドバーグ卿。我が軍はあくまで後方支援部隊だ。開戦でも優先的に予備に置かれるだろう。敗戦をあがなう戦いは出来ないかもしれない」
「自分はカニンガム卿に頼まれました。生きて我らの敗北を伝えよ、と。自分は無能ですが、騎士としての勤めを放棄するつもりはありません」
戦争は人生を変える出来事である。良くも悪くも人間は極限の状態に置かれてからそれを自覚する。
かつてのリンドバーグは強い男だった。騎士としての誇りと名誉を第一に考える男だった。身体から傲慢さが滲み出るような男だった。
「万一戦いとなれば真っ先に死んでくれ」
「自分に惜しむ名誉は有りません。この際、騎士としての人生を全うするのみです」
アーバイン副総団長はカニンガムを惜しんだが、私はこの男を惜しんだ。敗北を知って地に落ちた人間だからこそ、自身の名誉より騎士としての職務を全うするために死に逃げなかった男にこそ価値があると思えた。