悠一Side
2002年4月4日
日本帝国軍 厚木基地
出発準備完了をした俺と鈴乃は待機所にて、軍用輸送機に物々しく戦術機が搭載されるのをなんとなく見ていた。
厳重な警戒のなか輸送機に運ばれている。
厚木基地に待機していた佐竹は鈴乃に声を掛ける
「大倉大尉、こっちです!豊臣少尉も」
「厚木基地の待機ご苦労様だ」
「おう、久々だな」
鈴乃は乾いた笑顔で佐竹に話しかけた
「機体の整備と補給、搬入作業はちゃんとやったか?」
「いやいや、待機してる間ずっと暇…」
佐竹の失言で鈴乃は一瞬目がきっとなる
「ん?」
「いえ、ちゃんと仕事やりました!滅茶苦茶やりまくりました!」
「……佐竹、新たに配属された中隊メンバー3人が来る。挨拶は済ませとけよ」
佐古、浪岡、木元の3人が佐竹の前に現れる。
「佐古大和少尉、浪岡常吉少尉、木元桃香少尉の3名、只今赴任しました!」
佐古は顔を強ばり鈴乃に敬礼する
「佐古、次席指揮官――駒木の言うこと絶対に聞くんだぞ。浪岡、木元も佐古のサポートに回ってくれ」
「了解しました。大倉中隊長」
「お任せ下さい!」
搭乗時間になる少し前になったその時、伊隅大尉と晴子が俺達の見送りに来るのが見えた。
「豊臣、以前言った言葉覚えてるか?”衛士界隈から嫌われてるそうだが我々には無関係だ。好印象持つよう努力すればいい”」
……俺と鈴乃がユーコンに行く前、何となく覚えてる。
確かに俺は衛士界隈から嫌われてる一人だ。でも鈴乃、早乙女、駒木……そして恭子。
彼女達と出会わなかったら俺は既に衛士を辞めてるだろう。
伊隅大尉は続けて言い放つ
「好かれるように努力はしたか?」
「まあ、俺なりに努力はしたよ。問題は…」
「篁家の因縁だな」
!
「な、何故知ってるんだ?」
「……恭子様から連絡があって、それで知った。海外サイトのウィキペディアで見たが篁家の先祖、篁左衛門と貴様の先祖―――豊臣秀吉が揉め事になった経緯がある」
「……」
「左衛門は秀吉に千利休の切腹の件で咎めたが秀吉は激怒。千利休を擁護したのもそうだが朝鮮出兵を批判されたと言う理由で許さず即処刑された。秀吉の三男、秀頼が篁家と交渉したが失敗。当時の篁家当主、篁佐枝助は既に徳川家康と共謀し豊臣宗家を滅ぼそうと目論んだ。大坂の陣で豊臣宗家は滅亡した……筈だった。当時の崇宰家当主、崇宰貴榮門は徳川家のやり方に不満を抱き、秘密裏に秀頼を逃がした。豊臣宗家滅亡を防いだ崇宰家は徳川家を見限り、秀頼と交友を持った」
成る程な。篁家は未だに千利休の処刑の件を411年引き摺ってるのか。
どんだけ恨まれてるんだよ。豊臣秀吉は……。
「千利休の養子である千少庵は秀頼を許し、豊臣宗家と和解を得て茶会を開いて和やかに飲んだらしい」
……よく分からんが、要するに千少庵は秀吉が千利休を切腹させたことを水に流したのか?秀頼は相当苦労したんだろうな………。
「……だが、篁家とは和解出来なかった。佐枝助の息子、唯ノ助が佐枝助から和解をするなと押しつけられた。それが原因で豊臣宗家と篁家は末代になってからも敵対し続けている」
「……平成の世になっても豊臣宗家と篁家は敵対関係か。みみっちい家柄だな……唯依…篁中尉は俺のことどう思おうが構わない。でもな和解すべきだ」
俺はそう言い放ったが、伊隅大尉は首を振る
「…無駄だ。今更和解なんて出来る訳がない。篁家が長年望んでることはただ一つ、豊臣宗家をこの世から消滅させる事だ」
「家康が成し遂げたかった事を実現するまで止められないってか」
譜代武家だからか。一族揃ってプライドの塊かよ。
百姓のせがれから関白太政大臣に――。古今東西を見渡しても、豊臣秀吉ほどの出世を遂げた人物は、他にほとんど例がない。それだけに自身の生まれへのコンプレックスは大きく、狂気としか呼べない行動に繋がったのだ。
篁家側にすれば、秀吉がしてきた悪行三昧は許されない。これは事実だ。
「俺がいなくなれば篁家だけでなく世界は平和になるってのか!?冗談じゃないぜ。―――篁中尉は俺を恨んでるのか?口には出さないだけで」
俺は真っ直ぐな目で伊隅大尉に言い返した。
それに対し伊隅大尉は言葉を投げかける
「篁中尉は豊臣少尉の事は恨んではいない。が、411年続いてる豊臣宗家と篁家の怨念を取り払いそれを抱える”怨嗟”が今後も続くことを危惧と彼女は思ってるだろう」
「母親が和睦を申し出るのを反対し続けてると」
「現状維持を続けている。もし篁中尉が母親と説得し改心させてまで和睦を申し出たら貴様はどうする?」
どうすると言われてもな……。俺は適当に答える
「俺としては受け入れる。が篁家は何故411年経ってまで豊臣秀吉の事を許されないのか知りたい」
これについてはハッキリ聞きたい。でなきゃ、納得いかない!
「当事者は既にいない。今の篁家は関係ないはずだが……まあこの事については恭子様が長い年月掛けてまで和解を模索し篁家と豊臣宗家の怨恨の連鎖を今こそ断ち切ろうと説得するだろう」
……そうだよな。篁家は徳川家康と共謀し大坂の陣で豊臣宗家の暴挙への報復したんだ。
最終的に豊臣宗家の被った悲劇を汲み取るのは恭子しかいない。
今からアイルランドに行くってのに出発間近で胸糞悪い話聞いてしまったが、気にしてたら任務に支障が出るので俺は考えるのをやめた
「いちいち気にしたら任務に集中できない。俺は俺なりの生き方で貫かせて貰う」
「そうか。私からのお願いだ。必ず生き残れ」
伊隅大尉は晴子と共に去ろうとしたが…
「麻里少尉、お前は先に帰って良いぞ」
「大地大尉?」
伊隅大尉は”言わせるな”と晴子に合図を送る
「……了解です。先に帰りますね」
晴子はニコニコと笑いその場から去って行った。
「豊臣、ユウヤ・ブリッジスは知ってるな?」
「ん?ああ、不知火弍型の開発衛士だった人だろ。アイツがどうかしたのか?」
俺はそう問いかけると伊隅大尉は苦い表情を浮かびつつ答えた
「……彼は、いや貴様にとってはどうでもいい話だったな」
「何が言いたいんだ?」
「彼は当時の篁家当主とミラ・ブリッジスの間にできた子供で、篁唯依の異母兄である超サラブレッドだ」
おおっ…こりゃど偉いモン聞いたぜ。篁中尉の……腹違いの兄ってのか。
「だが、息子が政治の道具にされる事を恐れたミラは祐唯に事実を告げることなく、いなくなったらしい」
うーん、こりゃあ複雑な事情がありそうだ。伊隅大尉が何でこの事を知ってるのかさて置き一応詳細を聞くか
「つまりユウヤはアレか?訳ありの衛士だったのか」
「そうだ。所謂”高貴なる血”の獲得者で、今迄政争に巻き込まれていなかったのは軍需産業が政治の実態を握るアメリカでその軍需産業に対するブリッジス家の力あってこそだ」
「……」
「―――これは情報屋の伍代から聞いた話だ。しかし驚いたな…開発衛士の妹は開発主任だったとはな」
俺はもう言い返す言葉はなかった。
ユウヤはユウヤなりに自分の人生を送ってる。俺がどうのこうの言うのはお門違いだ。
その後、恭子が俺達の見送りに来た
「恭子……」
恭子は俺に詰め寄り優しい笑みを浮かべる
「私は悠一の事を信じてる…」
「それってどう言うい…」
「貴方を愛してるのよ」
俺は恭子の顔をじっと見る
「如月中尉はどうしたんだ?」
「彼女は退役を撤回し訓練学校の教官として励んでる。ただ前線に出ることはないと思うわ」
「そうか……」
次の瞬間、恭子は目を瞑り俺の唇を重ね抱き締めた
俺は目を瞑り恭子を抱き締め返す
この場にいる皆は目を瞑り見ないふりをした
唇から離し、和やかな笑みを浮かべる恭子は鈴乃にこう言った。
「大倉大尉、豊臣少尉の事頼んだわよ」
「ハッ、承服しました」
「ふふ、私も後に合流するからそれまで待っててね」
「おう、了解したぜ。崇宰大尉」
俺は敬礼し恭子に言い放った
「…行ってくるぜ」
恭子は面白そうな顔で俺達を眺めていた。
俺達ムーア中隊は輸送機に搭乗し、恭子に見送られて出発した。
高度が上がり、離れていく滑走路を見ながら思う。
鈴乃も何やら思うことがあるのか、窓の外を名残惜しそうに見ている。
ふと俺の方に向き、陰りのある顔で言った。
「私達の任務はあくまでもテログループの完全瓦解―――――覚悟した方が良いわ」
何なんだ。そのミステリアスな言い方。
ん?デジャブか?以前似たようなこと言われたような気がする
無論、俺の答えは既に決まってる
「ああ、この先、何処へでもついて行くさ…俺の傍から離れないでくれ鈴乃」
「ええ、勿論よ。絶対に離れたりはしないわ」
鈴乃は俺の隣に寄り添い俺の手を握った
俺達は航空戦術機輸送機でアイルランドへと向かって行った。
17時間後、アイルランドのケースメント飛行場に到着し目の前には俺達の前に立って敬礼する兵士達がいた。
この軍服……東ドイツの国家人民軍。地上軍だな。
「佐渡島同胞団の皆さんですね?お待ちしておりました。中へ」
兵士に案内され飛行場の前に待機してるロングボディーのマイクロバスの中に乗り説明の一つなく何処かへ向かった。アイルランド警察の白バイまで揃ってまで厳重態勢だ。
「何処に行くつもりだ?」
「……分からねえ。でも悪い予感はなさそうだ」
鈴乃は疑心暗鬼を生じたが、俺は冷静でいた。
数時間後、俺達ムーア中隊のメンバーは兵士について行く形である建物に辿り着いた
その建物の上に掲げてる旗は東欧州社会主義同盟の紋章だ。
「(ここって…東欧州の連中がいる本部じゃねえか。ここに連れてきた意味は何なんだ?)」
おいおい、こりゃあ急展開だな……まさか俺達が東欧州社会主義同盟の本部に訪れるとは思わなかった。
「どうぞ中へ」
兵士の一言で建物の中に入る。
そして会議室の扉の前に着き、兵士は扉をノックする。
「佐渡島同胞団ムーア中隊のメンバー全員連れてきました」
「通せ」
中にいる女性の声で兵士は「失礼します」と一言を添え俺達を会議室の中に入れた。
その女性は……?
「ようこそ、東欧州社会主義同盟へ。私はSEDシュトラハヴィッツ派のグレーテル・イェッケルン議員だ」
「佐渡島同胞団ムーア中隊の大倉鈴乃大尉です。お初にお目にかかれて光栄です。イェッケルン議員」
「ベルンハルト”大尉”はもうすぐ来られる。―――対面する前に身体検査を受けて貰う」
イェッケルン議員の一言でその場にいる兵士達は中隊メンバー全員を身体検査した。
「(信用するに値しないってか……そりゃそうだよな)」
「金属類や携帯電話はトレーに置け」
俺達は金属類や携帯電話をトレーに置き、兵士に預け、手を消毒する
「……」
「……」
俺と鈴乃は大人しく従い口籠もる。
中隊メンバーも同じだ。
その間に兵士達はテーブルを拭きつつ消毒し始めた
イェッケルン議員はベルンハルト”大尉”が来るまで腕時計で時間確認しつつ待機した。
「……(もうすぐ来られる筈だ)」
10分後、消毒し終えたところでベルンハルト”大尉”が到着。会議室の中に入る
「”大尉”佐渡島同胞団のムーア中隊の方々です」
凜とした表情で椅子に座り、俺達を椅子に座らせる
「座っていいぞ」
兵士達は即座に会議室から出て行った後、イェッケルン議員の一言で意見交換会が始まった。
「それではただいまから、テログループ対策に関しまして、佐渡島同胞団ムーア中隊の大倉鈴乃大尉と、ベルンハルト”大尉”の意見交換会を始めます。それではまず”大尉”、お願いします」
「いや、先に言って貰え」
「(少しカマ掛けてみるか)あ、そうですか。まずね、色々と言いたいこともあります」
鈴乃はカマをかけて真顔でこう問いかける
「ベルンハルト”大尉”貴女はかつての同胞であったテオドール・エーベルバッハの事をまだ想ってるのですか?」
それに対しベルンハルト”大尉”はこう答えた。
「(試されてるのか?)それはどう言う意味だ?」
「……テオドール云々って言い出したからですよ」
「………そういう発言はご遠慮願えないか?」
「どういう発言かって聞いてるんですが?」
鈴乃は険しい表情を浮かべ更に問い詰める。
「かつての同胞だとしても、評価を下げるようなそういう発言は止めろって言ってるんだ」
ベルンハルト大尉は怒りを表し、テオドールを擁護する発言した。
かつての同胞だとしても、奴がやったことはテロ行為だ。絶対に許されるべきじゃない
「彼を批判するってことがいけないのか?貴女ならもう分かってるはずです。―――彼は、テオドール・エーベルバッハはこの世から消えるべき存在だ」
「貴様……!」
「私を粛正したいならお好きにどうぞ。でも貴女の評価が下がるだけですよ?」
「勘違いしないで貰おうか」
「貴女は”総書記”ですよね?」
「”総書記”が何だ?」
「一国の代表の一人として、何故彼を擁護するんですか?」
「私は擁護するつもりはない。確かに彼は間違いを犯してしまった」
「間違いなら間違いを正す権利はありますが」
「テオドール・エーベルバッハの名誉を傷付けるのが許さないと言っている」
「は?何も出来ないんだったら、最初から言うな!」
「東ドイツの借地でそういう発言止めろ」
「どういう発言なのか、答えられないのですか?」
何だ?この展開は……話が平行線になってるぞ。大丈夫なのかよ。
他の中隊メンバーは黙ったままだ。話に介入できない。
「貴様、ベアトリクスに言え」
「ブレーメ総帥に?」
「そうだ。彼女に言え。貴様の主張はベアトリクスに言えと言ってるんだ」
「彼女に私の主張をぶつけろとでも?」
「……自分で世の中変えられる力を持ってるんじゃないかと思って、勘違いしてるんじゃないのか貴様?」
「!」
「テオドール・エーベルバッハは私が育てた狡猾で警戒心が強い衛士だ。彼に勝てると思ってるのか?止められると思ってるのか?もしそうだとしたらただの…ミヒャルケ少佐と同類のポンコツ衛士だ。違うなら反論してみろ」
ベルンハルト”大尉”は鈴乃に向け現実的な発言を言い放った。
一国の指導者の一人にボロクソに言われたぞ。どう言い返すんだ?鈴乃。
「テログループの連中はこの世でもっとも醜悪な人種だと思ってるんでね。引き下がれる訳ないでしょう」
鈴乃は真剣な表情で反論する。
「世間はテオドール・エーベルバッハを死刑台に送って欲しいと願ってる人が多い。要塞級殺しの英雄がテロリストに成り下がった彼を」
「だったら彼を倒してみろ。世の中を変えるのは、そんな簡単ではない」
「それをやろうとしている作戦に参加してるのですよ。私達は!」
「…貴様の主張を支持されるかどうかだ。テオドールは私の同志として再び…」
「話を逸らすな!」
「貴様みたいな差別主義者は東ドイツにはいらない。来るな」
「誰が差別主義者だ」
「貴様だ」
「何故差別主義者なんだ?教えてくれるか?」
「テオドールのことを一方的に、誹謗中傷にして喋るなって言ってるんだ」
「東ドイツの政府はみんな差別主義者か?」
「……」
「東ドイツ国民はみんな差別主義者かどうか、答えろ!」
「貴様だよ差別主義者は」
「何故話を逸らす?」
「もう止めろ。貴様は理解している筈だろ?自分で」
これは意見交換会ではなく討論だな…ヒートアップしている。
最早、誰にも止められない。イェッケルン議員もだ。
「それは貴様だろ!自分に言ってるの滅茶苦茶じゃないか!」
「もうとにかく、東ドイツでは貴様みたいな衛士の協力はいらないから、ちゃんと主張……」
「私がいつそういう主張をやったんだって聞いてるんだ!」
「普通にやれ」
「普通にやってるんだ!ちゃんと作戦立ててBETA戦闘をしながら彼の行方を追っている!日本帝国軍総動員してまで血眼で探してるんだ!!」
「それは貴様含めて一部の部隊だろ?テオドールの悪口言うな。血眼で探してる?ゴミはゴミ箱…テオドールを処刑台に送れ?そういうくだらん事は止めろと言っている」
「それは一体何が悪い?」
「国連の対応がおかしいんだったら、ここがおかしい、ここをこうしろ、ここがおかしいんじゃないか、そういう事だ」
ベルンハルト”大尉”が睨み付けつつこう吐き捨てたその時、鈴乃は怒髪天を衝く。
「テオドール・エーベルバッハを処刑台に送って欲しいっていうのは一つの意見だろ!」
「(大倉大尉……やはり試されてるんだな?)やめろと。テオドールを傷付けるのは」
「我々の主張を否定するのはやめろ!」
「…政治家に転身し選挙出てからやれ」
「貴様等社会主義国家みたいに権力欲ばっかりじゃないんだ、人間は。世界を少しでも良くしたいと。BETAがこの地球上から消滅し人類の勝利を願う、或いはね、日本帝国に対して暴言を吐く、冒涜行為を働くような人間がいたら、怒って当たり前と違うか?」
「貴様、勘違いするな!いい加減にしろ!イェッケルン議員、もう終わりにするぞ」
「に、逃げる気か!?」
「施設管理権はブレーメ総帥にあるから。帰れ」
ベルンハルト”大尉”は一方的に打ち切りイェッケルン議員と共に去ろうとした次の瞬間。
「救国の女神はここまで落ちてしまったなんて…失望しましたよ」
鈴乃の発言を聞いたベルンハルト”大尉”は踵を返し鈴乃に近づく
「もう一度、言ってみろ……」
大丈夫かよこれ……?ヤバい事になったんじゃないか。
「聞こえなかったのならもう一度言います――救国の女神はここまで落ちてしまったなんて…失望しましたと言ったのですよ」
その発言を聞いたベルンハルト”大尉”は咎めるように口に出す
「私が、落ちただと?」
そして懐から拳銃を取り出し鈴乃に銃口を向ける
「……粛正されたいのか?」
おいおい、本当にヤバいって!鈴乃……彼女の怒りを買うな。
ここからどう切り抜けるんだ?
「私を粛正しても、意味はないと思いますが」
「……」
こりゃあヤバいな。割り込めねえ…と思ったその時
「少し宜しいでしょうか?ベルンハルト”大尉”」
「む、何だ貴様は」
「私はムーア中隊の浪岡常吉と申します。階級は少尉です」
「浪岡……?部外者が口出すな」
「お言葉ですが、テオドール・エーベルバッハは人類の敵です。世間から敵意を向けられています。彼を擁護するのは勝手ですが、此方はテログループの討伐目的で貴女の協力を得たいだけです。個人的な感情で発言するのはご遠慮願えませんか?」
話を割り込んでまで批評家のような心で鋭く言いやがって…殺されるぞ!
「やはり、試されていたか」
浪岡の言葉を聞いたベルンハルト”大尉”は銃口を下ろした
「理屈では分かっているが、彼を殺したくない気持ちがあるんだ」
鈴乃は浪岡が話を割り込んだせいなのか怒りを静めていった
「……彼と話す機会なら捕まってからでも出来ます」
「テオドールを野放しにしたのは私の責任だ。が一度話をしたい――何故こうなったのか?を」
「それは……貴女の責任ではありません。彼を狂わせたのは、リィズ・ホーエンシュタインの死…彼女の死を受け入れなかったんだと思います」
「過去を引き摺ってるのか―――革命が終わった後でアネットから話は聞いた。テオドールはリィズの死をツァプ氏の強制で無理矢理受け入れるしかなかった。だが彼はツァプ氏を恨まなかった。彼女は彼がテログループを設立し、テロ行為をしている事も知っていたんだ」
東ドイツ反体制派のリーダーだったズーズィって女はテオドールを擁護してるってのか?
反体制派から半グレ組織に鞍替えしたと少しだけ知ってるが、ここまでとはな……。
「ズーズィ・ツァプ氏は彼を従ってる訳ではないだろう……南アフリカでの暴動を起こした首謀者は彼女だと思われる。大倉大尉、我々東欧州社会主義同盟は出来る限り協力させて貰う。それが私の答えだ」
ベルンハルト”大尉”はそう確信した次の瞬間、彼女の携帯電話が鳴り響く
「すまない電話だ」
電話相手を確認するが、非通知設定だった。
「(非通知?誰なんだ)」
明らかに怪しいと思いつつ、電話に出た
「何だ?」
誰なのか?ハッキリしたいからか携帯電話を耳に当てる
「もしもし?」
《初めまして。と言って置くわね》
!
その声、聞き覚えがあるぞ。
《ブレーメ総帥には世話になったわ。甲21号作戦の介入で佐渡島は消滅を免れた。彼女にとっては佐渡島はただの植民地支配ではなく島民の帰る場所を確保したかったんでしょうね》
アイツだ。間違いない……その声の主は、国連軍副司令の香月夕呼―――今更何の用だ!?
「テレビのニュースや新聞で見ましたが、縮小するそうですね」
《ええ、横浜基地は設備の大半が壊滅。所属していた戦術機部隊もほぼ全滅。さらには計画直轄の精鋭部隊A-01部隊も壊滅的打撃を被ったわ》
「復興はまだ先になると?」
《テログループの完全瓦解を目指してるようね?アンタ達が所有してる戦術機をXM3を搭載させる時が来たわ》
「ん?例のOSをか」
《天羽組という極道組織にこっぴどく叱られたわ……詫び料として3億支払わなきゃ行けない立場となったから肩身が狭くなってきたわ》
桜花作戦後A-01部隊は解体、同部隊に所属していたメンバーは帝国軍所属へ。
横浜基地保有の戦術機甲部隊も配備規模を縮小し、最低限の防衛戦力しか配備されていない。
事実上、2002年4月時点で国連太平洋方面第11軍横浜基地は基地とは名ばかりのBETA研究所へと姿を変えていた。
「……詫び料なら我々が支援金として送金出来ますが」
《結構よ。これは私個人の問題―――自分で何とかするわ》
香月女史は溜め息しつつこう言ったが、ベルンハルト”大尉”は彼女はそんな大金支払えないと見抜いていた
「具体的にどうやって用意を?」
《………》
ほら、言わんこっちゃねえ。無理だろ……。
「一人で抱えるつもりですか?香月副司令」
《――そんな考えるまでもない。さっさと払えば済む事よ》
「何考えてるのか全く読めないな……貴様は自分の生活を犠牲にするのか?」
ベルンハルト”大尉”は香月女史を糾弾した。
《………全く、他人に干渉してまで私を支援金送りたいのかしら?》
「そもそも、幾ら国連軍の副司令の肩書き持ってても返済能力はないだろう?」
《あー、分かった分かった。支援金送って頂戴》
香月女史は面倒くさいだからか適当に返答した
それに対し、ベルンハルト”大尉”は彼女を疑う
「佐渡島を実験道具扱いにしようとした貴様が言える立場か?断る事は許さん」
《近日中に整備兵を派遣する手配はしておくわね》
「ああ、助かる。では」
《ええ、”大尉”もお元気で》
香月女史はそう言い残し通話終了した。
ホント、何考えてるか分かんねえな………。
次の瞬間、シュトラハヴィッツ派の議員が会議室に入り、慌ててイェッケルン議員に報告する
「イェッケルン君、ベルンハルト総書記が送り込んだ第9中隊だが……」
議員の言葉を聞いたイェッケルン議員は少し戸惑う
「第9中隊がどうしたんだ?」
「東ドイツ本国に送った途端、消息不明になった」
イェッケルン議員はその発言を聞いた時、眉間にくっきりと皺を寄せて疑心暗鬼を抱く
「何?それは本当か」
「本当だ。西ドイツのフッケバインが確認した情報だ。指揮官は君も知ってると思うがキルケ・シュタインホフ――彼女がその部隊を率いている。他の部隊も第9中隊の隊員の遺体を見かけたそうだ」
事前に送り込んだ特殊部隊が全滅かよ。まぁ、テオドールは予想していたのだろう。
そう易々と倒せる相手じゃない。
鈴乃はこの状況を理解し危機感を持ち、ベルンハルト”大尉”に向けこう言い放つ
「……あなたが言っていることは理解できる。けれど、私達の戦いは、単なる権力争いに終わらせたくない。人々の為に戦うんだろう?」
「人々の為?それは理想に過ぎない。私達の力があれば、もっと確実に結果を出せる。お前は何もわかっていない」
「わからないのはあなたよ。あなたが何を望んでいるか、私はもう気づいている。力を持ちたいだけだ。でも、それだけじゃ誰も救えない」
ベルンハルト”大尉”は既に理解している。
テオドール・エーベルバッハは、この世から葬りたくないが話だけでも聞きたい。と。
「―――――力があれば、救う方法だって見つかる筈だ」
「………」
鈴乃は何も言い返せず、ベルンハルト”大尉”の目を見る。
これは嘘吐いてない目だ。彼女が嘘吐く訳がない。
俺は何も言い返せなかった。
だが鈴乃の言ってる事は正しいと思う。俺は……!
このままじゃ、ただの言い争いだ。
テオドールは、俺たち全員を試してるのかもしれない。
この作戦、どうなるんだ……?
ベルンハルト“大尉”――アイリスディーナの瞳が、静かに俺たちを捉える。
拳銃を下ろした彼女は、深く息を吐き、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
イェッケルン議員も、緊張した面持ちで傍らに控えている。
「……貴様たちの主張は、理解した」
彼女の声は、怒りの余韻を残しつつも、どこか落ち着きを取り戻していた。
「テオドール・エーベルバッハを完全に瓦解させる。それが佐渡島同胞団の目的だな」
鈴乃はまだ息を荒げていたが、浪岡の介入のおかげで何とか場は収まった。
俺は黙って状況を見守るしかなかった。
アイリスディーナは、ゆっくりと頷いた。
「協力はする。東欧州社会主義同盟として、出来る限りの支援を約束しよう」
彼女はイェッケルン議員に視線を向け、短く指示を出す。
「イェッケルン議員、ムーア中隊にケースメント飛行場の近くにある宿泊所と戦術機の格納庫を提供しろ。すぐに手配を」
「は、了解しました」
イェッケルン議員は素早く敬礼し、部屋の端末で連絡を取り始めた。
「宿泊所は旧国家人民軍の施設を改修したものだ。十分な部屋と設備がある。格納庫も、戦術機の整備に必要なツールは揃っている。XM3の搭載作業も、こちらでサポートする」
アイリスディーナが、淡々と続ける。
「貴様たちの機体は、すでに輸送機から降ろされ、格納庫へ移動中だ。整備兵も派遣する。香月副司令からの約束通りな」
鈴乃は少し警戒を解いた様子で、頭を下げた。
「……感謝します。ベルンハルト“大尉”」
「総書記と呼べ。ここでは“大尉”ではない」
彼女は苦笑交じりに訂正した。
「だが、協力は相互だ。テオドールの情報は、私たちも共有する。……ただし、彼を殺すだけが目的ではないことを、忘れるな」
俺はようやく口を開いた。
「……了解しました。俺たちは、テログループを止める。それが目的です」
アイリスディーナの瞳が、俺を一瞬鋭く見つめた。
「そうか。なら、休め。明日から本格的な作戦会議だ」
会議室の扉が開き、兵士たちが俺たちを案内し始めた。
ケースメント飛行場の近く――宿泊所と格納庫。
ようやく、足場ができた。
だが、この協力の本当の意味は、まだ分からない。
アイリスディーナの心の中には、テオドールへの複雑な想いが残っている。
それが、俺たちの作戦にどう影響するのか……。
外に出ると、アイルランドの冷たい風が頰を撫でた。
鈴乃が、俺の隣で小さく呟く。
「……これで、ようやく動き出せるわね」
「ああ。でも、油断するなよ」
俺は格納庫の方角を見ながら、心の中で誓った。
テオドール・エーベルバッハ。
お前を、必ず止める。
そして、恭子との約束を――守ってみせる。
ニコラSide
新万寿台議事堂 議長執務室
私の名前はニコラ・ミヒャルケ。
東欧州社会主義同盟ヴェアヴォルフ大隊の大隊指揮官だ。
重慶ハイヴの一件でブレーメ総帥はベルンハルト総書記の怒りを買い、国連から経済制裁を受ける寸前に至り不信感を募る人間が増えてしまった。
私が総帥を支えなければ……とにかく心配だ。
「ブレーメ総帥……少し心配だな」
少し心配になり不安を抱えつつ扉のドアを叩く
「ブレーメ総帥、少し宜しいでしょうか?」
「ニコラ?……いいわよ。入りなさい」
ブレーメ総帥の了承を得て、議長執務室の中へと入る。
ブレーメ総帥の顔を見ると、谷底に沈んで行きそうな空虚な思いを募る表情だ。
「第二次大戦後に放置しているナチスドイツ時代に製造された超弩級戦艦”ティルピッツ”を蘇らせる……と今日のビデオ会議で言ったが、ハッキリ言うわ……これは、不可能を可能に出来るか出来ないかの計画よ」
「不可能を可能に……?」
「ええ、そうよ。でも問題は次々と増えていくわ―――南アフリカで暴動起きている。疎開した一部の東ドイツ国民がテログループを加担していたわ…いや、確実にしている」
………エーベルバッハが仕向けた暴動の件に悩んでるのか。
革命の時、早く始末すべきだった。ベルンハルト総書記は彼を擁護し野放しにした結果がこれだ
「彼の行方は分かってると思いますが」
「何?」
「テオドール・エーベルバッハは用心深く何処に彷徨ってるか分かりません」
そして次のステップをどう踏むべきかの会話が続く
「……エーベルバッハの行方を追うためには、我々のリソースをどこに集中させるべきか、慎重に考えなければなりません。彼の暗躍は、既に東ドイツの内部にも広がりを見せている。もし彼が南アフリカにいるならば、今すぐにでも手を打つべきです」
「うむ、エーベルバッハが仕掛けた暴動は手に負えない状況だ。だが、急ぎすぎれば他の問題に波及する危険もある。ティルピッツの再建が成功すれば、我々にとっても大きな軍事的優位が確保できるが、それと同時にエーベルバッハの動きが一層活発になる可能性もある」
「ティルピッツの再建は確かに戦略的に重要ですが、今は目の前の暴動とエーベルバッハの動きに注力するべきです。南アフリカでのテロリストの拠点が判明すれば、そこでの介入が先決だと思います」
私はこう言ったが、ブレーメ総帥は冷静を装う。
「確かに。だが、君が言うように、ティルピッツを蘇らせることには大きなリスクがある。再建計画が漏れた場合、それが我々にとって致命的な問題となり得る。その点についても慎重に進めるべきだ」
「私は、計画を少し遅らせることも視野に入れています。エーベルバッハの動向が完全に分かるまでは、戦艦の再建よりも彼の摘発に集中した方が無難でしょう」
「……それでも、テオドール・エーベルバッハを放置する事はできない。彼は我々の最大の敵だ。だが、確実な証拠がない限り、彼を一網打尽にすることは難しい。貴様が指揮するヴェアヴォルフ大隊に指示を出し、さらに調査を深めてもらう必要がある」
「了解しました。それでは、まずは南アフリカに向かう前に、情報収集を強化します。エーベルバッハの潜伏先を特定するためには、南アフリカの地元住民の連携が不可欠です」
不本意だが、こうするしかない。このままだと次の作戦が支障が来す為、戦力はなるべく温存したい。
ブーフ中隊を南アフリカに派遣させるか……暴動止めるのはロザリンデが適任だからやってくれる筈だ
「それでいい。貴様の判断を信じている。だが、忘れてはならない。ティルピッツの再建計画も並行して進めなければならない。これが成功すれば、我々の立場がさらに強化されるだろう」
「分かりました。計画を進める中で、可能な限り情報を精査し、エーベルバッハの動向を追い続けます。再建の方も、着実に進行させましょう」
私はブレーメ総帥と共に、エーベルバッハの摘発とティルピッツの再建という二つの重要な課題に取り組む準備をしていった。
ロザリンデSide
2002年4月5日
南アフリカ共和国 首都ブルームフォンテーン
私はニコラの命令で南アフリカの現地調査という口実で赴き、首都の一つであるブルームフォンテーンでの暴動を鎮圧任務を遂行した。
現地の状況を詳細に調査しながら、暴動を鎮める役割を担当しこの任務の中で、私の人間性や過去、そして南アフリカにおけるエーベルバッハの陰謀の影響が浮き彫りになっていく
ブルームフォンテーンに到着すると、首都の中心部では暴動が激化していた。街の各所では、市民たちが抗議行動を繰り広げ、警察との衝突が続いている。
「ベアトリクスを弾劾せよ!」
「シュタージなんか要らない!」
「ムベキ大統領はエイズ否認主義から脱却しろー!」
《解散しなさい!でなければ発砲するぞ》
私は迅速に部隊を編成し、暴徒たちを制圧するための計画を練りながら、状況を冷静に分析する。
「(暴動の背後にあるのはただの政治的不満ではない。もっと深い、暗い力が働いている気がする。この暴動を鎮めるだけでは足りないかもしれない)」
暴動の指導者や組織のネットワークを特定するために、現地住民と接触を試みる。
南アフリカの反乱グループと結びつきがあるとされる者たちを取り巻く人物を調べる中で、エーベルバッハの影がちらつくのを感じる。
街の裏路地に潜む情報屋と接触した際、驚くべき情報を掴む。それは、エーベルバッハが実は暴動の背後で資金提供しているだけでなく、反乱軍のリーダーと連携を取っていることを示唆するものであった。
「彼の名前はヴァルデマー・クラーク。元国家人民軍兵士で、今はエーベルバッハの手下として動いている。反乱軍に資金を流し、街の混乱を助長しているんだ」
「それは確かか?」
「ああ、目撃者と証人はいる」
その情報をニコラに報告し、次の行動を協議する。
「大尉、やはりあの暴動はエーベルバッハが仕組んだ工作です」
《私の予想が当たったな。部隊を編成したら暴動を鎮圧しろ》
「了解しました。大尉」
フランス軍が運用しているミラージュ2000に編成した制圧部隊は、暴動の鎮圧に向けて動き出す。強硬手段を取るが、民間人の犠牲を最小限に抑えるため、巧妙に部隊を指揮する。
「いいか!我々の任務はあくまでも鎮圧する事だ!」
《了解!》
正直抵抗あるが…馴染めない。
ソ連製の戦術機に馴染んでいるからか動きがぎこちない……。
警察と連携しつつ、ロザリンデは暴動を段階的に制圧していく。
「ヤバい!逃げろぉ!」
「きゃあああああああ」
「な…何逃げている!?戻れ!!!」
その過程で、私の部隊は反乱軍の武器庫を発見し、エーベルバッハが流した武器がその場に隠されていることを確認する
「これは……」
これにより、暴動の背後にある組織的な陰謀の一端が見えてくる。
暴動を鎮圧した後、ロザリンデは反乱軍のリーダーであるヴァルデマー・クラークと接触することに成功する。彼女は慎重に、しかし強い決意で彼に詰め寄る。
「暴動の背後にいるのは誰だ? お前たちが無駄な命を賭ける理由が、そんなものに値するとは思えない」
ヴァルデマーは冷静に笑うが、その目にはエーベルバッハの影をちらつかせる。
「君たちが想像する以上に、事は大きい。エーベルバッハは、既に戦争の火種を撒いている。君たちがどう足掻いても、彼は止まらない。」
私はその言葉を深く受け止め、エーベルバッハの影響力が南アフリカに及んでいることを実感する。
ブルームフォンテーンでの一連の作戦を終えた後、再度ニコラと連絡を取る。私は暴動の真の原因とその背後にある陰謀を報告する中で、エーベルバッハを捕えるための次の一手を提案する。
「暴動を鎮圧しましたが、背後で動いている黒幕がいます。エーベルバッハの手下がここにも潜んでいました。彼を捕えるためには、もっと強硬な手段が必要です。」
ニコラはその報告を受け、彼女の提案に賛成する。
《――――わかった。次のステップとして、ヴァルデマー・クラークを利用して、エーベルバッハをおびき寄せる計画を立てよう。貴様が動くタイミングは、もうすぐだ》
その決定を受け入れ、エーベルバッハを追い詰めるための準備を整える。
私がヴァルデマーから得た情報を頼りに、隠れ家らしき豪邸に辿り着いた。しかし、予想外の展開が待っていた。
「ここか……」
豪邸は一見して高級な隠れ家に見え、立地も隠密性が高く、周囲には警備が厳重に施されているようだった。だが、いざ中に入ってみると、そこには誰の気配もなく、完全に無人の状態だった。
「………」
私はすぐに部隊を展開し、豪邸の周囲を調査する。中に入ると、家具や装飾品は高級で整然としていたが、どこか冷徹な印象を与える。家の中に人々の生活感は一切なく、奇妙なまでに物が整頓されていた。
すぐに室内を調べて書斎の机や隠し棚、壁の裏など、あらゆる隠れ場所を探したが、手がかりとなるものは見当たらなかった。唯一、書類や通信記録が散乱している部屋を発見する。だが、これもエーベルバッハが南アフリカにいない証拠となるだけで、どこにいるのかを示す明確な情報は残されていなかった。
「(エーベルバッハはここにいなかった。だが、無駄に来たわけではない。この家には何かが隠されているはずだ。きっと彼が出ていく前に何か手がかりを残している)」
豪邸の中で目立たない一室に目を付ける。その部屋は外見上、あまり使用されていないようで、少し埃が積もっていた。部屋の中を細かく調べていくと、壁に隠し扉があることに気付く。慎重に扉を開けると、そこには地下への階段が続いていた。
「……!」
地下には薄暗い照明しかなく、冷気を感じる中で、私は進んでいく。
地下室の中は、驚くべきことに、エーベルバッハの個人的な資料が保管されている秘密の部屋だった。そこには、大量の地図や計画書、そして古い書類が所狭しと並べられていた。
「これだ……彼の計画がすべてここに隠されていたのか」
その中からいくつかの資料を手に取り、エーベルバッハが進めているであろう次の大きな計画についての手がかりを見つける。書類には、南アフリカだけでなく、東欧や他の地域での動きについても触れられており、エーベルバッハのネットワークの広がりが伺える内容だった。
その中でも特に目を引いたのは、エーベルバッハが新たに計画している軍事的な展開に関する書類だった。戦力を集結させ、特殊部隊を組織し、特定の地域を支配しようという目論見が記されている。
「これはただの暴動を超えた戦争の準備だ。エーベルバッハは、戦争を引き起こすための軍事力を結集している」
その後、私は再びヴァルデマーの所在を確認するため、彼の家族や関係者への尋問を行うが、得られた情報は限られていた。どうやらヴァルデマー自身もエーベルバッハと密接に連携していたようで、彼が密かに指示を出していたことが判明する。しかし、ヴァルデマーがどこに行ったのかは依然として不明だった。
――――――この豪邸がエーベルバッハの一時的な拠点であり、彼が離れた後に使用される予定の隠れ家だった可能性を考える。エーベルバッハは計画を進めるために忙しく、急いで他の場所へ移動したのかもしれない。ロザリンデは、次のステップとして、エーベルバッハの他の拠点を捜索する必要があると感じる。
「この豪邸に来て無駄ではなかった。彼の計画の一部を掴むことができた。でも、エーベルバッハはまだここにいなかった。次は、彼の動きを追い詰めるためにさらなる調査を続けなくては」
エーベルバッハの次の目的地を特定するため、さらに調査を続けることを決める。その情報をもとに、ニコラと連携して次の作戦を立てる必要がある。彼女は、彼の動向を掴むために、南アフリカの他の都市や周辺地域に焦点を当てると同時に、エーベルバッハが関わっている国際的なネットワークをも洗い出す必要があると感じていた。
この豪邸で得た情報を元に、次の手を打つ準備を整え、再びエーベルバッハを追い詰める作戦に乗り出すことを決意する。
豪邸での調査を終え、私は次の手を打つ準備を整えていた。
得られた資料を部下に託し、ニコラへの報告をまとめながら、静かに建物を出る。
夕暮れの空が赤く染まり、遠くで暴動の残り火がくすぶる音が聞こえる。
これで、エーベルバッハの尻尾を掴んだ。
次の一手は――。
その時だった。
路地の影から、数人の男たちが現れた。
現地民らしい、荒れた服装の男たち。
目つきが、獣のように濁っている。
「白人の女衛士か……いい獲物だ」
「暴動の邪魔をしやがって……お仕置きだ」
彼らはゆっくりと近づいてくる。
私を囲むように。
帰り際に、こんな下衆な連中に襲われるとは。
彼らの目的は明らかだった。
私の尊厳を蹂躙する気だ。
だが――。
私はロザリンデ・ブーフ大尉。
シュタージの精鋭衛士の一人。
ブレーメ総帥が革命に勝利し、シュタージを存続させたこの世界で、鍛え抜かれた私を、こんな志のない下郎どもが相手にできるはずがない。
「ふん……くだらない」
男たちが飛びかかってきた瞬間、私の体は既に動いていた。
一人がナイフを振り上げて襲いかかる。
私は軽く身を沈め、その腕を掴んで捻り上げる。
骨の砕ける音が響き、男は悲鳴を上げて地面に崩れ落ちた。
「ぐあっ!」
次の一人が拳を振り下ろす。
私はそれをかわし、肘を喉元に叩き込む。
息が詰まり、男は膝をついた。
残りの連中が慌てて群がってくる。
だが、遅い。
私は冷静に、正確に、一人ひとりを制裁していく。
蹴りで膝を砕き、手刀で首筋を打つ。
あっさりと、全員が地面に転がった。
悲鳴と呻き声が、路地に響く。
私は冷たい視線で彼らを見下ろした。
「貴様たちのようなゴミに、私の尊厳を汚されると思ったか?」
男たちは這いずりながら逃げていく。
私は服の埃を払い、静かに歩き出した。
こんな些細な妨害など、問題ではない。
エーベルバッハを追い詰める。
それだけだ。
私の戦いは、まだ終わらない。
私は早急に携帯電話を取りだし、ニコラに連絡した
「こっちの状況が急変した。エーベルバッハが、BETA支配下の東ドイツのシュタージ本部にいる」
通話越しの声が冷静だが、明らかに驚いている様子だ
《なんでそんな場所に?BETAが支配しているところだぞ。まさか、奴がBETAと結託してるのか?》
息を荒げながらも冷静に話す。
そりゃ驚くよな……無理もない
「その可能性が高い。あの場所、ただの廃墟じゃない。シュタージの長官室に座っていた。間違いなく何か計画がある」
ニコラは暫く黙った後、深く息を吐く
《分かった、奴が何かを企んでるのは確かだ。だが、BETAの支配下にいるとなると、どんな手を使ってでも行動する必要がある。――――今すぐ動けるか?》
私は眉間にシワを寄せる。
「勿論だ――ただ、シュタージ本部に潜入するのは簡単じゃない。奴が計画していることが分からなければ、次の一手も打てない。だが、ここで止まるわけにはいかない」
《………貴様が何を掴むか、全てが次の戦いに繋がる。エーベルバッハがそこにいるなら、必ず何か手がかりが残ってるはずだ。だが、気をつけろ、ロザリンデ。BETAの影響力が強い場所だ。簡単にはいかない》
私は暫く沈黙し、決意を固めたように宣言する
「分かってる――私は必ず、彼奴を追い詰めてやる」
ニコラは静かに、だが強い意志で話した
《分かった。貴様が戻ってきた時には、奴を倒す準備を整えておく。自分の命が最優先だ、だから無理はするな。動きは慎重に行け》
「大丈夫、行ける。後は任せておけ」
通話が切れる音が響き、私は一瞬だけ深呼吸をした。
地下室の冷たい空気が、肌を刺す。
エーベルバッハ……お前はどこまで堕ちる気だ。
BETAの巣窟に、自ら身を置いて。
私は資料を丁寧に回収し、部下に指示を出す。
次は、ベルリン。
旧シュタージ本部。
奴の巣窟へ。
ヴェアヴォルフの名にかけて、必ずお前を止めてみせる。
私は階段を上り、豪邸を後にした。
夜の南アフリカの空の下、次の戦いへと心を決める。
鈴乃Side
アイルランド・ケースメント飛行場近郊 宿泊所(元ユースホステル『ウンダーリンデン』)
ケースメント飛行場の近くにある宿泊所――元々はユースホステル『ウンダーリンデン』として営業していた場所だ。
東欧州社会主義同盟が接収し、軍関係者のための施設に改装されたらしい。
建物は古びたレンガ造りで、かつての旅人の笑い声が響いていたであろうロビーは、今は無骨な軍用ベッドと簡易テーブルが並ぶだけ。
壁にはまだ、昔の観光ポスターの跡が薄く残っている。
「ここが私たちの宿舎か……」
私は荷物を下ろし、部屋を見回した。
二段ベッドが三つ、窓は鉄格子付き。
清潔ではあるが、殺風景。
それでも、戦場に比べれば天国だ。
悠一は隣のベッドに腰を下ろし、疲れたようにため息をついた。
「ようやく落ち着けるな……でも、さっきの会議の続きが頭から離れねえよ」
「……ベルンハルト総書記のこと?」
「ああ。あの人はまだテオドールを……」
私は黙って頷いた。
あの会議室での激論は、まだ胸に残っている。
ベルンハルト総書記――アイリスディーナ・ベルンハルト。
彼女の瞳に浮かんだ、複雑な感情。 怒り、悲しみ、そして……諦めのようなもの。
私は窓辺に立ち、外の闇を見つめた。
飛行場の灯りが、遠くにぼんやりと浮かんでいる。
「私たちはテログループを完全に瓦解させる。それが目的よ」
「分かってる。でも、彼奴は……」
「総書記も、結局は人間だわ。過去の同志を、簡単に切り捨てられるわけじゃない」
私は静かに息を吐いた。
あの拳銃を向けられた瞬間、正直、死ぬかと思った。
でも、浪岡少尉が割り込んでくれたおかげで、何とか収まった。
……試されていた。
私たちの覚悟を。
「明日から本格的な作戦会議ね。ベルンハルト総書記は、協力してくれるって言ったけど……」
「ああ、信用していいのか?」
「信用するしかないわ。少なくとも、今は」
私はベッドに腰を下ろし、軍服のボタンを外した。
疲労が一気に押し寄せてくる。
「悠一」
「ん?」
「私……あの会議で、少し熱くなりすぎたかもしれない」
「……お前らしくて良かったよ」
悠一は苦笑いしながら、私の隣に座った。
「鈴乃、お前はいつも正しいこと言ってる。ただ……相手も、簡単には折れない」
「分かってる。だからこそ、私たちは負けられない」
私は悠一の肩に、そっと頭を預けた。
この宿舎は、かつてのユースホステル。
旅人たちが夢を語り合った場所。
今は、私たちが戦いの合間に休息を取る場所。
「明日から、また戦いよ」
「ああ。でも、今夜だけは……少し休もうぜ」
私は目を閉じた。
外では、アイルランドの風が静かに吹いている。
『ウンダーリンデン』――菩提樹の下で。
かつての名前が、どこか優しく響く。
この戦いが終わったら、いつか本当に菩提樹の下で、ゆっくり休みたい。
そんな、ささやかな願いを胸に。
私は、静かに眠りについた。
夜が更け、宿舎は静寂に包まれていた。
他のメンバーはそれぞれの部屋で眠りにつき、廊下には誰もいない。
私はベッドに腰掛け、軍服の上着を脱ぎ、薄手のシャツ一枚の姿でいた。
窓から差し込む月明かりが、部屋を淡く照らす。
悠一は隣のベッドに座ったまま、私をちらりと見て、視線を逸らした。
「……まだ寝ないのか?」
彼の声は、少し掠れている。
「あなたも、寝ないんでしょう?」
私は立ち上がり、ゆっくりと彼に近づいた。
距離が縮まるたび、胸が高鳴る。
今日の会議、ベルンハルト総書記との激論、そしてこれからの戦い――すべてが頭をよぎる。
でも、今この瞬間だけは。 私は彼の前に立ち、そっと手を伸ばした。
「悠一」
「……鈴乃」
彼の瞳が、私をまっすぐに見つめる。
その視線に、抑えていた想いが溢れ出す。
私は彼の頰に手を触れ、ゆっくりと唇を重ねた。
最初は優しく、確かめるように。
やがて、熱を帯びて深くなる。
彼の腕が、私の背中に回される。
強く、でも優しく抱きしめられる。
「鈴乃……いいのか?」
「……ええ。今夜だけは、戦いのことなんて忘れたい」
私は彼の首に腕を回し、再び唇を重ねた。
シャツのボタンが外れていく音。
肌と肌が触れ合う感触。
互いの息遣いが、部屋に響く。
彼の手が、私の背中を優しく撫でる。
私は目を閉じ、彼に身を委ねた。
これが、愛。
戦場で失われやすい、脆くて尊いもの。
でも、今夜は――。
私たちは互いを求め、交わり、愛を育んだ。
月明かりの下で、静かに、熱く。
この瞬間だけは、誰も私たちを邪魔できない。
明日から、また戦いが始まる。
だからこそ、今夜は。
悠一の温もりに包まれながら、私は心の中で誓った。
絶対に、生きて帰る。
あなたと、共に。
まどかSide
廊下の隅、薄暗い階段の影。
私たち三人は、息を潜めて、ぴったりと壁に張り付いていた。
駒木咲代子中尉、木元桃花中尉、そして私――早乙女まどか少尉。
どうしてここにいるのかって?
……まあ、偶然、だ。
偶然、大倉大尉と豊臣少尉の部屋の前を通りかかったら、ドアが少し開いていた。
偶然、隙間から中が見えてしまった。
偶然、止まる足が動かなくなってしまった。
偶然、木元中尉が「ちょっと覗いてみようよ~」と悪戯っぽく囁いた。
偶然、駒木中尉が「だめよ……」と言いながらも、結局一緒に覗いてしまった。
……偶然って、本当に便利な言葉ですね。
部屋の中では、二人が月明かりに照らされて、静かに、でも熱く絡み合っていた。
大倉大尉の白い肌が、豊臣少尉の腕の中で揺れる。
二人の吐息が、静かな部屋に溶けていく。
木元中尉が、小さく息を漏らした。
「いやあ、二人ともお熱いねえ~」
耳元で囁くその声は、からかうような、でもどこか羨ましげだ。
私は頰が熱くなるのを感じながら、視線を逸らせなかった。
駒木中尉は、唇を噛んで、じっと中を見つめている。
その瞳は、複雑な色を宿していた。
「大倉大尉……」
小さな呟きが、漏れた。
羨望? 憧れ? それとも、ただの驚き? 私には、少しだけわかる気がした。
だって、私も――。
私はそっと駒木中尉の袖を引いた。
「少し、羨ましいです。――駒木中尉、私と交わりませんか?」
冗談めかして言ったつもりだった。
でも、どこか本気だったのかもしれない。
駒木中尉は、一瞬固まってから、ぱっと顔を赤くして私を睨んだ。
「そんな趣味ないわよ?」
「え~、残念」
私は小さく笑った。
木元中尉がくすくすと肩を震わせている。
「まどかちゃん、積極的~。駒木中尉、照れてる照れてる」
「うるさいわね!」
駒木中尉の声が、少し上ずっている。
私たちは三人、影の中で小さく笑い合った。
部屋の中では、二人がまだ熱を帯びて絡み合っている。
私たちは、もう少しだけ、この偶然の覗き見を続けた。
戦場の合間の、ささやかな秘密。
誰も知らない、私たちだけの。
この夜の記憶は、きっと忘れない。
……少し、胸が熱くなった。
咲代子Side
廊下での覗き見を終え、私たちはそれぞれの部屋に戻った。
……はずだった。
木元中尉は「もう寝る~」と自分の部屋に消えていったが、私はなぜか早乙女少尉を自分の部屋に誘ってしまった。
「駒木中尉、せっかくだから少しお話しませんか?」
彼女の誘いに、断る理由が見つからなかった。
いや、正直、断りたかったわけじゃない。
部屋に入ると、私はベッドに腰を下ろし、早乙女少尉は窓辺に立って外を眺めていた。
「大倉大尉と豊臣少尉……本当に、お似合いですよね」
彼女の声は、いつもの明るさの中に、少しだけ寂しさが混じっていた。
「……そうね」
私は短く答えた。
何を話せばいいのか、分からない。
先ほどの光景が頭から離れない。
大倉大尉の白い肌、豊臣少尉の腕の中で揺れる姿。
羨ましい。
正直、そう思った。
早乙女少尉が、ゆっくりと振り返った。
「駒木中尉は……誰か、好きな人いるんですか?」
「いないわよ、そんなの」
即答した。
嘘じゃない。
でも、早乙女少尉はにこりと笑って、私に近づいてきた。
「私、いますよ」
「……え?」
次の瞬間、彼女は私に抱きついてきた。
突然のことに、私は固まった。
「ちょ、ちょっと、まどか!?」
「駒木中尉、綺麗だなって……ずっと、思ってました」
彼女の腕が、私の背中に回される。
温かい。
柔らかい。
私は反射的に押し返そうとした。
「だ、ダメよ、そんなの……私、そういうの興味ないって言ったでしょ!」
「え~、でも、ちょっとだけ……いいじゃないですか」
早乙女少尉は頰を膨らませ、駄々をこねるように私の胸に顔を埋めた。
子供みたいな仕草。
でも、その瞳は真剣だった。
「駒木中尉、拒否しないでください……私、駒木中尉のこと、本当に好きなんです」
「早乙女……いや、まどか」
私はため息をついた。 拒否しなきゃいけない。
頭では分かっている。
でも、彼女の温もりが、心地よくて。
戦場で失いやすい、脆いもの。
今夜だけは。
「……本当に、しょうがない子ね」
私は渋々、彼女の背中に手を回した。
彼女は嬉しそうに顔を上げ、私の唇に自分の唇を重ねた。
最初は優しく、確かめるように。
やがて、熱を帯びて深くなる。
私は最初、抵抗していた。
でも、彼女の甘えるような仕草に、根負けしてしまった。
これは、寵愛だ。
戦場の合間の、儚い時間。
私たちは、互いの体を重ね、静かに交わった。
月明かりの下で、熱く、優しく。
この夜は、誰にも邪魔されない。
明日から、また戦いが始まる。
だから、今夜だけは。
私は彼女を抱きしめ、目を閉じた。
少しだけ、心が温かくなった。
早乙女少尉との夜を終え、私はまだ少しぼんやりとした頭で廊下を歩いていた。
昨夜のことは……まあ、いい。
戦場の合間の、特別な出来事だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
部屋に戻ろうとドアノブに手をかけたその時――。
「駒木中尉、少し宜しいでしょうか?」
後ろから、緊張した声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは佐古大和少尉。彼は元々京極組の舎弟の一人。
新しく配属されたばかりの、若くて真面目そうな男だ。
顔が赤く、目を泳がせている。
「何だ?」
私は腕を組んで、軽く睨みつけた。
佐古はごくりと唾を飲み込み、震える声で言った。
「あの、俺……」
「どうしたの?」
私は少し苛立ちを込めて促した。
佐古は意を決したように、顔を上げ――。
「俺の童貞を卒業させてください!」
……は? 一瞬、頭が真っ白になった。
「な!? 貴様……私は風俗嬢ではない!」
反射的に、私は拳を握りしめていた。
次の瞬間、鉄拳が佐古の頰に炸裂する。
ぼごぉっ!!
佐古は派手に吹っ飛び、廊下の壁に激突した。
「ぼごぉ……」
床に崩れ落ち、頰を押さえてうめく佐古。
私は冷たい視線で彼を見下ろした。
「本土にいる五十嵐さんに報告するわよ?」
「そ、それだけは勘弁して下さいぃいいいいいいいい!!」
佐古は慌てて土下座した。
その時、隣の部屋からひょっこり顔を出したのは、早乙女まどか少尉。
彼女はくすくす笑いながら、からかうように言った。
「佐古少尉、駒木中尉は№1のキャバ嬢ではないですよ……」
私はさらに眉を吊り上げた。
「久我君に連絡するか」
「へ? 久我の兄貴は関係ないですよね!?」
佐古の顔が青ざめる。
私はふっと息を吐き、冷たく笑った。
「ふふ、痛いの嫌いよね? 次やったら本当に報告するから」
「は、はいっ! 申し訳ありませんでしたぁ!」
佐古は必死に頭を下げ、這うようにして逃げていった。
私はため息をつき、部屋に戻ろうとした。
まどかはにこにこしながら、私に近づいてくる。
「駒木中尉、かっこよかったです~」
「……余計なこと言うんじゃないわよ」
私は頰を少し赤らめながら、ドアを閉めた。
まったく……男って、馬鹿ばっかりね。
でも、少しだけ。
昨夜の温もりが、胸に残っていた。
戦場は厳しい。
だからこそ、こんな馬鹿げた出来事も、悪くないのかもしれない。
私はベッドに倒れ込み、天井を見つめた。
明日から、また戦いが始まる。
しっかりしなきゃ。
駒木咲代子として。
佐竹Side
俺の名前は佐竹博文。
「グウウ…アイリスディーナ・ベルンハルト総書記会いたかったなぁ」
ケースメント飛行場で戦術機の整備をして中隊メンバーの帰りを待ってる普通の整備主任だ。
この飛行場にいるのは俺だけじゃない。現地にいるアイルランド空軍の整備兵達も手伝いしている。
「佐竹主任、機体の馬力はどうしますか?」
「ん、ああ、そのままにしてくれ。XM3が搭載してる戦術機だから下手に触ったらダメだよ」
「分かりました」
白銀武という少年が開発したOSだ。彼の努力を無駄にしてはいけない
以前は国連軍の香月副司令が特定の機体しか搭載されてなかったが、佐渡島を管理している天羽組やムーア中隊の中隊指揮官の大倉大尉のおかげだ。
遂に…遂に人類の勝利に近づいてきた!
喜ぶ顔を浮かべたその時、飛行場の遠くからエンジン音が響き渡り、整備員たちは一斉に顔を上げた。グラウンドを走る車両の音も聞こえ、間もなく飛行機が離陸準備に入る。しかし、佐竹の目はまだどこか遠くを見つめていた。
「総書記、会いたかったな…」
心の中で呟きながら、彼の目の前には戦術機の整備が続いている。しかし、その頭の中ではアイリスディーナ・ベルンハルト、東欧州社会主義同盟のトップの一人であり、この戦争を終結へと導いた立役者に対する憧れと尊敬の念が絶え間なく湧き上がっていた。
「……でも、今はここでやるべきことがある」
俺は整備作業を続けながら、心の中で自分を奮い立たせる。自分の役目は、アイリスディーナのような偉大な人物を支えるため、戦術機を完璧に整備し、戦場に送り出すことだ。人類の未来を背負った機体たちを、正確に、無駄なく支えるために。
「あと少しだ。これが終われば、戦局も…」
その言葉が口をついて出ると、また一つの不安が胸をよぎった。敵の動き、戦局、そして仲間たちの安否。すべてが不確かで、時には無力感さえ覚えるが、それでも、俺の手は動き続ける。
「大丈夫だ、絶対に…」
その瞬間、無線機が鳴り響いた。整備室の一角に設置されたスピーカーから、司令部からの通信が流れ込む。
《こちら司令部、佐竹主任、応答願います》
俺は瞬時に無線機に手を伸ばし、ボタンを押して応答する。
「こちら佐竹、どうしました?」
「戦術機の発進準備が整いました。緊急対応の指示が来ています。直ちに戦闘配備に移行せよ。」
司令部の声は冷徹で、急を告げるものだった。
「了解、すぐに準備します。」
冷静に答えると、無線を切り、整備チームに指示を出した。
「みんな、急いで準備だ!戦闘配備に移行するぞ!」
整備兵たちはそれぞれの作業を素早くこなし、指示に従い始める。俺も国家人民軍所属のバラライカのハッチを開け、機内の状況を確認する。
「カタパルトの調整、急いで!」
「エンジン、異常なし。最後の確認を!」
一瞬の遅れも許されない。無駄のない動きで整備を続け、戦術機が完璧な状態で出撃できるよう尽力する。その間も心の中では、アイリスディーナ・ベルンハルトの顔が浮かぶ。
「これが、俺のやるべきことだ。」
その時、再び司令部からの連絡が入る。
《佐竹主任、敵機が接近中との情報あり。予想以上の規模の攻撃が来る模様。全機、直ちに出撃準備を完了せよ!》
「了解」と短く答え、最後の整備作業を終わらせた。
戦術機のエンジンが轟音を上げ、機体が再び動き出す。飛行場に張り詰めた空気が広がり、戦場への出撃が刻一刻と迫っていた。俺はその手をしっかりと握りしめ、戦術機を送り出す準備を整えた。
「行ってこい…人類の未来を託して。」
装甲車の轟音が飛行場の遠くから聞こえ始めた。地面が震えるように響き渡るその音に、整備員たちが一斉に顔を上げ、注意深く動きを見守る。砂煙を上げながら、ムーア中隊のメンバーが乗る装甲車が、飛行場の入り口に到着した。
車両の背後には、時折白煙を上げるような荒れた道が続いている。それでも車は確実に進んできた。ムーア中隊のメンバーたちが次々に降りると、その迫力に一瞬、空気がピンと張り詰める。中隊長の大倉大尉は、装甲車から降りるとすぐに周囲を見渡し、部下たちに指示を出し始める。
「佐竹主任、戦術機の準備はどうだ?」と、大倉大尉が声をかける。
「ほぼ完了しています。あとは最後の確認だけです」
俺が冷静に答える。
その後ろからは、ムーア中隊の衛士達が手早く武器や装備を調整しながら、一致団結して動く。その姿勢からは、戦場に向けた覚悟が感じられた。
「戦術機の整備は完了したようだな。佐竹よく頑張ったな」
「ありがとうございます!」
大倉大尉は整備し終えた専用機である94サブレッグを見つめる。
俺は兵食の給与について聞こうとしたその時、ベルンハルト総書記と側近であるイェッケルン議員、その護衛達が飛行場の視察に来ていた。
総書記は94フルアーマー、94サブレッグ、94ブルG、不知火、早乙女少尉専用撃震を見てこう言った。
「火力重視の機体と…こっちは水陸両用か。その隣の機体は試作機のようだが」
何故か俺の方に視線を向ける
「え?俺!?」
「貴様以外に誰がいるんだ?」
「えっと……」
考えろ…考えるんだ!
俺は適当に答えた
「ええ、そうなんですよ!この機体はですね。すっごく火力が高いんですよ!」
「ほう…」
緊張するな……失言しちゃったらヤバい雰囲気になる。
ベルンハルト総書記の鋭い視線を浴び、心臓が激しく鼓動する。俺の頭は一瞬、真っ白になり、何か言わなければならないというプレッシャーが強くなる。
「え、えっと、あの…」
俺は言葉を詰まらせる。総書記の冷徹な目が、まるで全てを見透かすかのように感じる。
一瞬、心の中で「落ち着け…ここで失敗したら後悔する」と自分を励ます。緊張を感じながらも、口を開く。
「こ、これらの機体は…戦場での運用において非常に高い機動性と火力を誇ります。特に、94サブレッグは、近接戦闘での優位性を持っており、機動力と火力のバランスが取れています」
俺は必死に言葉を並べながら、どこか自信なさげに続ける。
「試作機については…まだテスト段階ですが、将来的には敵の重装備に対抗するための強力な武器となるはずです」
その言葉に、ベルンハルト総書記が少しだけ頷く。彼女の目線は依然として鋭いが、何か満足そうな表情を浮かべる。
「ふむ…戦術的な分析は悪くない。だが、戦場で何が起こるかは分からん。無駄な自信が裏目に出ることもある」と冷静に言う総書記。
その言葉に、一瞬の躊躇いを感じたものの、すぐに反応する。
「もちろん、総書記。戦場では何が起こるか分かりません。しかし、この機体の性能を信じ、最良の状況を作り出すことが我々の使命です」
と力強く言い返す。
その答えに、ベルンハルト総書記は一瞬無言で俺を見つめ、そして淡々とした口調で言う。
「…良い。覚えておけ、戦争は決して予測通りにはいかない。その覚悟を持て」
俺はその言葉に深く頷き、強く自分を奮い立たせる。
「はい、総書記」
その返事に、やっと少しだけ安心したように感じる。だが、心の中では、今後の戦局に対する不安と、総書記の言葉の重さがずっしりと響いていた。
その後、総書記とその側近が視察を続ける中、俺は再び整備チームに目を向ける。自分の心には、新たな決意が芽生えていた。どんなに厳しい戦局が待ち受けていても、今はこの場所で最善を尽くさなければならない。
「俺がやるべきことは、ここで完璧に戦術機を整備し、出撃準備を整えることだ。何があっても、戦場に送り出さなきゃならない」
俺は心の中で自分に言い聞かせながら、再び手を動かし始める。
一部始終を見た大倉大尉は俺の顔を見てニヤリとほくそ笑む
「一度放った言葉は取り消せないぞ。私達の機体を完全な状態に整備できるのは佐竹――貴様だけだ」
「そ、そんな事ないですよ。紅林君だって頑張ってますよ」
「そうだったな」
大倉大尉は優しい笑みを浮かべる
…今、振り返れば衛士から整備兵に転職したばかりの頃、怒られてばかりだったな……坂崎大尉は俺のこと褒めてくれたけど、大倉大尉は俺の前だけ一度も笑みを浮かんでなかったな。
整備班長になった後、怒られることは少なくなった。
「貴様は私の同志だ。誇って良いぞ」
と大倉大尉は優しい笑みを浮かべたまま、俺を評価した
「ありがとうございます!大尉。俺、頑張って仕事を励みます!」
俺はこう言った次の瞬間、大倉大尉は抱き締める
「よく言った!」
「は、え?えええ!?(どう言う状況?)」
俺は心の中でこう呟いた
「(え…ええ!?こんなことされるなんて…)」
「ふふ…驚いたか?でも、仲間としてお前がここまで成長してくれたことが嬉しいんだよ」
笑いながら抱き締めた後、軽く手を放す
戦術機の準備が整い、出撃の時が迫る。
緊張感が高まる中で、俺は戦術機の整備を完了し、戦闘準備を整える中で、大倉大尉との会話を楽しんだ。
そして、無線で整備兵たちに指示を出した。
「全機、出撃準備は整ったか?最後の確認だ!」
《確認完了しました、佐竹主任。機体に異常なし!》
機体を点検し、順調に準備が進んでいる―――何事もなければ良いが。
《エンジンチェック終了、バッチリです!》
「よし、全員頑張ってくれ。俺たちの手が戦場に送るんだ。間違いなく」
大倉大尉は優しい笑みを浮かべたままこう言った。
「佐竹、君の整備があってこそだ。戦場に送り出すのは我々だが、機体が無事に動くのは貴様のおかげだ」
「ありがとうございます、大尉。全力でやりました。出撃する皆さんのために、最高の状態で送り出します」
「お前はもう立派な整備班長だ。その努力が無駄になることはない。戦場で何が起こるか分からんが、お前達の仕事がなければ戦局は動かん」
「…はい、大尉。絶対に無事に送り出します」
《佐竹主任、戦術機の発進準備が整いました。直ちに出撃してください》
司令部の無線通信だ。
無論俺は即対応する
「了解、すぐに出撃します!」
大倉大尉は笑みを崩さず俺の肩を叩きながらこう言った。
「お前の仕事に、何の不安もない。全員の命を託しているんだ。行ってこい」
「了解、出撃準備完了です。行ってきます!」
「佐竹、お前が整備した機体を出撃させるのは私達だが、それが動くのはお前のおかげだ。ありがとう。」
大倉大尉……。少し照れるよこれは
「そんなことありません、大尉。みんなでやったことです」
大倉大尉は軽く笑う。
「いや、お前の成長を見ていると、誇りに思うよ」
俺は兵食の給与について聞いてみた
「大尉、兵食の給与の件ですが…」
「ん?ああ、鬼頭に頼んである」
え?鬼頭さんに頼んだ!?大倉大尉は恐らく理解してるが彼が出そうとしている兵食は大半が奇食だ。
腹痛起こらないように祈るしかない……。
大倉大尉は少し笑いながら俺の顔を見て言った。
「ふふ、そうだな。鬼頭の料理はいつも一風変わっているが、慣れれば美味いんだ。」
「(慣れるって…何を言ってるんだ、大尉…。腹痛起こさないことを祈るしかない…)」
大倉大尉は余裕の表情で言い続ける。
「まあ、心配するな。何だかんだで鬼頭の兵食はお前らにも受けがいいからな。お前もきっと大丈夫だ」
内心でそう思ってるが…うーん。
「受けがいい…のか…。うーん、まあ、仕方ない。腹が痛くなるのは覚悟するか…」
大倉大尉はその様子を見て、ニヤリと笑った)
「さあ、食事の時間までまだ少しあるから、整備の最後の確認をしておけ。準備が整えば、鬼頭の料理を堪能できるぞ」
「…ありがとうございます、大尉。」
ああ…先が思いやられるな。
キルケSide
国連大西洋方面第1軍ドーバー基地群
「キルケ、少し時間をもらえるか?」
その声は、ヨアヒム・バルク大佐のものだった。私がすぐに立ち止まり、振り返ると、彼はいつもの冷徹な表情を浮かべていた。しかし、どこかその眼差しには、いつもと違う重さがあった。
「もちろん、何かご用でしょうか、大佐」
そう、今や彼は大佐に昇格したばかりだ。それに伴い、私の心の中では自然と緊張が走る。少佐として共に戦ったあの頃から、彼は確実に進化してきた。そして、私にもその責任を引き受ける瞬間が来たのだ。
「実は…君に伝えなければならないことがある」
バルク大佐は静かに、しかしその言葉に重みを込めて続けた。
「君に、部隊の指揮官を任せることに決めた」
その一言に、私の胸の奥が一瞬で静まった。全てが止まったかのように感じた。部隊指揮官、それは私にとって一度も想像したことがない役職だ。確かに、衛士としての経験を積んできたが、それと部隊指揮官としての仕事は全く別物だ。しかし、ここで断ることはできない。
「…大佐、私はまだその資格にふさわしいかどうか分かりません」
正直、少しの不安と共に言葉を続けるが、バルク大佐は一瞬だけ、静かな笑みを浮かべた。
「君のことはよく知っている、キルケ。君は自分がどうすべきか、常に考えて動いてきた。それが何よりも大事だ。君ならこの役目を果たせる」
「ありがとうございます…大佐」
その言葉に、私は再び覚悟を決めた。大佐から与えられた新たな責任、そしてそれに伴う信頼。これまで以上に、その重みを感じると同時に、私は自分の中で固く決意を固めた。
「では、私はこれから部隊を指導し、戦局を切り開いていきます。必ずや、期待に応えてみせます。」
バルク大佐は少し黙っていたが、やがて頷き、満足そうな表情を浮かべた。
「頼んだぞ、キルケ。君がリーダーとして動くことで、部隊は新たな力を得るだろう。」
私は深く息をつき、その言葉を胸に刻み込んだ。部隊の指揮官として、これからは自分の判断で部隊を導かねばならない。責任の重さに背筋が伸びるが、それでも私は進むべき道を決めた。
「わかりました、大佐。私が部隊を守り、導きます。」
その瞬間、私の心の中で新たな使命感が芽生え、部隊の未来を支えるための一歩を踏み出す覚悟が固まった。バルク大佐からの信頼を裏切らぬよう、戦場での戦いが始まる。
私は静かに敬礼し、部屋を後にした。
これから、私の戦いが、本当の意味で始まる。
キルケ・シュタインホフとして。
部隊の指揮官として。
ヨアヒムSide
キルケに部隊指揮官を任せる決断を下したその瞬間、私は少しの間、自分の決断をじっくりと噛みしめた。
彼女はまだ若い。だが、その冷徹な判断力と冷静さには、長年の経験に裏打ちされたものがある。
戦場で何度も共に死線をくぐり抜け、互いの背中を預け合った日々。
キルケ・シュタインホフ――彼の瞳に宿る光は、決して揺らがない。
私は彼女に託すことで、部隊の未来を任せる覚悟を決めた。
「キルケ、君ならきっとやれる」
彼の背中を見送りながら、私は静かにそう呟いた。
廊下の向こうに消えていくその姿は、どこか頼もしく、しかし少し寂しげでもあった。
部隊は新たな時代を迎える。
キルケの指導の下で、さらに強くなるだろう。
私の役目は終わり、次は彼の手の中に未来が託されている。
私はゆっくりと息を吐き、窓の外に広がる灰色の空を見上げた。
BETAの脅威はまだ続く。
だが、キルケがいる限り、部隊は折れない。
私はそう信じている。
これからも、見守り続ける。
ヨアヒム・バルクとして。
かつての指揮官として。
そして、同志として。
キルケSide
2002年4月6日
国連大西洋方面第1軍ドーバー基地群
灰色の空が広がり、冷たい風が基地内を吹き抜ける。基地の中はいつも以上に忙しなく動いていた。昨日の訓練の疲れが残るが、それに浸る暇もない。国際部隊の指揮官として、いつ何が起こっても対応できるよう準備を怠ることは許されない。
「少佐、報告があります」
耳に届いた声に、即座に反応する。声の主は私の部下で、彼が手に持っている資料を見れば、すぐに事態の深刻さがわかる。
「何か問題が起きたのか?」
私は彼の顔を見つめ、その目に一瞬の迷いが浮かんでいるのを見逃さなかった。
「輸送ルートに遅れが生じています。海上輸送に関する問題です。現場からの報告では、海域での不安定な状況が原因だと考えられます」
一瞬、思考が停まる。もしこの問題が解決しなければ、部隊の補給が滞り、作戦に支障をきたす。そんなことになれば、私の指揮が問われることになる。
「詳細をすぐに調べろ。問題が解決しなければ、対策を講じる」
命令を下すと、部下は一礼してその場を去った。私の指示で進められることには限界があり、最終的に何をするべきかは現場で判断しなければならない。それが指揮官という立場だ。
基地内を歩きながら、問題を一つ一つ潰していく。どんなに小さな問題でも放置すれば、後々大きな波紋を広げることになるからだ。次々と舞い込む報告に目を通し、冷静に対応する。それが今の私の仕事だ。
「ああ、キルケ少佐」
その声に、私は振り向く。見ると、ヨアヒム・バルク大佐がそこに立っていた。大佐の表情はやや疲れているが、その目には明確な決意が感じられる。
「大佐、何か問題でも?」
私が尋ねると、バルク大佐は少し黙った後、低い声で答える。
「準備は進んでいる。しかし、これから何が起こるか分からない。君には、冷静に判断し、行動してほしい。君が指揮を執っている今、正しい決断がなされることを期待している」
その言葉に、私は一瞬沈黙する。バルク大佐の期待は重い。だが、私はその重みを背負いこなさなければならない立場にある。
「私も全てを把握しているわけではありません。ただ、どんな状況でも対応する覚悟はできています」
私が答えると、バルク大佐は静かに頷き、少し離れた場所で待機を始めた。
その時、突然、基地内に警報が鳴り響いた。耳障りな音が鳴り渡り、すぐに私は反応する。心の中で、何か不安のようなものが一瞬よぎったが、すぐに冷静になった。
「全員、配置につけ!すぐに状況を把握し、行動を開始する!」
すぐに指示を出す。すべての部隊が速やかに動き出すが、私の頭の中では数秒前に聞いた報告の内容が反芻される。輸送ルートの問題、そして何よりも、今起こっている事態がどれほど深刻か。私は自分を信じ、部隊を信じるしかない。
「少佐、指示通りに進行中です」
部下が再度報告に来る。私はそれを受け取りながらも、心の中では無数の可能性を計算していた。何もかもが一瞬の判断で決まる。後悔する時間はない。
基地の防衛、輸送ルートの確保、そして不測の事態への備え… 全てを整理し、私は冷静に指揮を執り続ける。部隊の命運を握るこの瞬間を、私は背負わなければならない。
ロザリンデSide
2002年4月7日 南アフリカ共和国 ブルームフォンテーン近郊 → 南沙諸島(東欧州社会主義同盟支配下)
南アフリカの熱い風が、背中を押すように吹いていた。
豪邸の地下室で掴んだ手がかり――エーベルバッハの次の計画の断片。
これを、総帥に届ける。
私は部下に資料の回収と後始末を命じ、すぐに離陸準備に入った。
専用輸送機のエンジンが唸りを上げる。
「大尉、南沙諸島へ直行します」
「了解。急げ」
機内は静かだった。
窓の外に広がるアフリカ大陸が、徐々に遠ざかっていく。
エーベルバッハ……お前はまた、一歩先を行っている。
だが、私は追う。
ヴェアヴォルフの名にかけて。
数時間のフライトの後、機は南沙諸島の上空へ。
人工島の灯りが、海面に輝いている。
第3平壌市――新万寿台議事堂。
ここが、私の帰る場所。
新平壌国際空港に着陸し、すぐに議事堂へ向かう。
ニコラが待っていた。
「よく戻ったな、ロザリンデ」
「ただいま。―――――大尉。……報告があります」
私は資料をテーブルに広げた。
エーベルバッハの計画書、地図、通信記録。
「奴は、南アフリカを火種に使っただけだ。本命は別にある」
ニコラの表情が、険しくなる。
「総帥に、すぐに伝える」
私は頷いた。
総帥の執務室へ。
扉を開けると、ブレーメ総帥はデスクで何かを睨んでいた。
「総帥、ただいま戻りました」
彼女はゆっくりと顔を上げ、私を見た。
「ロザリンデ……よくやったわ」
その声は、疲れを隠せていない。
私は一礼し、資料を差し出した。
「エーベルバッハの次の動きです。奴は、まだ止まらない」
総帥は資料に目を落とし、静かに息を吐いた。
「……ありがとう。貴女がいなければ、私たちはもっと遅れていた」
私は黙って、総帥の横に立った。
南沙諸島の夜は、静かだ。
だが、この静けさは、長くは続かない。
エーベルバッハの影が、迫っている。
私は、再び剣を握りしめた。
ロザリンデ・ブーフとして。
ヴェアヴォルフとして。
総帥を守り、同盟を守るために。
ここが、私の戦場だ。
南沙諸島に、戻ってきた。
これからも、戦いは続く。
玄弥Side
2002年4月 東欧州社会主義同盟支配下 南沙諸島(朝鮮民主主義人民共和国臨時政府)
第3平壌市・新万寿台議事堂 最上階・総帥執務室
長いフライトの果てに、ようやく南沙諸島に到着した。
セスナを強奪し、アイルランドからここまで飛んできた。
疲労は極限に達しているが、そんなものは関係あらへん。
目的はただ一つ。
ベアトリクス・ブレーメに、直接会うこと。
議事堂の最上階。 重厚な扉の前に立つと、護衛の兵士たちが銃を構えた。
「止まれ。ここから先は総帥執務室だ」
俺は静かに手を上げ、抵抗の意思がないことを示した。
「戸狩玄弥や。総帥に会いに来た」
兵士たちは一瞬顔を見合わせ、無線で確認を取る。
数秒後、扉がゆっくりと開いた。
中は薄暗く、窓から差し込む南沙の陽光だけが、部屋をぼんやりと照らしている。
デスクの向こうに、彼女がいた。
ベアトリクス・ブレーメ。 黒い軍服に身を包み、長い髪を後ろに束ねた姿。
冷徹で、美しく、そして圧倒的な存在感。
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺をまっすぐに見据えた。
「……戸狩玄弥。よくここまで来たわね」
その声は、静かだが、部屋全体を支配する響きを持っていた。
俺は一歩踏み出し、彼女のデスクの前に立った。
「総帥……ようやく、会えた」
俺の声は、かすかに震えていた。
憎しみか、畏怖か、それとも――。
ベアトリクスはゆっくりと立ち上がり、デスクを回って俺の前に近づいた。
距離が、わずか数メートル。 彼女の瞳が、私を射抜く。
「テオドール・エーベルバッハの使いか? それとも……私個人に用があるの?」
俺は息を呑んだ。 この女は、何もかもを見透かしている。
「両方や」
俺は静かに答えた。
ベアトリクスは、わずかに唇を吊り上げた。
悪魔のような、しかしどこか魅惑的な笑み。
「面白いわ。では、話してみなさい。戸狩玄弥」
俺は拳を握りしめ、彼女を見つめ返した。
ここからが、本番や…。
ベアトリクス・ブレーメは、俺の答えを聞いて、ゆっくりとデスクに戻った。
椅子に腰を下ろし、指を組んで俺を観察するように見つめる。
「両方、ね。テオドール・エーベルバッハの使い、そして私個人に用がある」
彼女は静かに繰り返した。
その声は、冷たく、しかしどこか楽しげだ。
「まずは、彼の使いとして、何を伝えに来たの?」
俺は一歩踏み出し、拳を握りしめたまま答えた。
「マスターは……テオドールは、お前を待ってる。直接、話がしたいと言ってる」
ベアトリクスは目を細めた。
「彼が? ふふ、面白いわね。あの男が、私に話したいことなんてあるかしら」
「あるで。お前が知ってるはずや。リィズのこと、カティアのこと……そして、お前のやり方のこと」
部屋の空気が、一瞬、重くなった。
ベアトリクスの瞳に、わずかな揺らぎが走る。
だが、すぐにそれは消え、冷たい笑みが戻った。
「過去の亡霊ね。テオドール・エーベルバッハは、まだそれに囚われているの?」
「囚われてるのは、お前も同じやろ」
俺は敢えて、挑発的に言った。
ベアトリクスは立ち上がり、再び俺に近づいた。
距離が、息がかかるほど近い。
彼女の香り――冷たい、しかし甘い匂いが鼻をくすぐる。
「大胆ね、戸狩玄弥。私の執務室で、そんな口を利くなんて」
「怖いか?」
「怖い? ふふ、面白いわ」
彼女は俺の顎に指をかけ、軽く持ち上げた。
「私個人に用がある、と言ったわね。それは、何?」
俺は彼女の指を払い、真正面から見据えた。
「お前を、止めに来た」
ベアトリクスの目が、わずかに見開かれた。
「止める? 私を?」
「ああ。お前のやり方は、間違ってる。ツァーリボンバ、ティルピッツの再建……お前は人類を滅ぼす気か?」
彼女は一瞬、黙った。
そして、ゆっくりと笑い始めた。 低く、喉の奥から響く笑い。
「人類を滅ぼす? 違うわ、戸狩玄弥。私は人類を救うのよ。BETAを一匹残らず焼き払い、テログループを根絶やしにして」
「お前の方法は、狂気や」
「狂気? ええ、そうかもしれないわ。でも、この世界は狂気でしか変えられない」
彼女は俺の胸に手を置き、ゆっくりと押しつけた。
「あなたは、テオドール・エーベルバッハの狗ね。それとも……私に興味があるの?」
その言葉に、俺の心臓が激しく鳴った。
憎しみか、惹かれるものか――区別がつかない。
「興味? お前みたいな怪物に?」
「怪物……いいわ、それで」
彼女は俺の耳元で囁いた。
「でも、あなたの目は、私を怪物としてしか見てないわけじゃないわよね」
俺は一歩、後退した。
「……用は済んだ。テオドールの言葉は伝えたで。お前が来るか来ないか、それはお前の選択や」
ベアトリクスは、再びデスクに戻り、椅子に座った。
「ええ、わかったわ。彼には、こう伝えておいて。『私は、いつでも待ってる』と」
俺は踵を返し、扉に向かった。
「戸狩玄弥」
背中に、彼女の声が追いかけてくる。
「また、来てもいいわよ。あなたは……面白い」
俺は振り返らず、扉を開けた。
執務室を出て、長い廊下を歩く。
心臓が、まだ激しく鳴っている。
ベアトリクス・ブレーメ。
あの女は、確かに怪物だ。
だが、なぜか――。
俺は拳を握りしめ、エレベーターに向かった。
テオドールに、報告しなければならない。
そして、次の一手。
南沙諸島の夜風が、俺の頰を冷たく撫でた。
この対面は、始まりに過ぎない。
きっと。
執務室の扉を閉め、長い廊下を歩きながら、俺はポケットから小型の暗号化通信機を取り出した。
護衛の兵士たちが俺を監視しているのは分かっている。
だが、この通信機はシュタージの追跡を逃れるよう、テオドールが特別に調整したものだ。
一時的にしか使えない。
今が、その時。 俺は壁に寄りかかり、通信機を耳に当てた。
数回の暗号信号の後、繋がる。
《……戸狩か》
テオドールの声。
低く、静かで、いつものように感情が読みにくい。
「マスター……俺や。総帥に、会ってきた」
短い沈黙。
《……どうだった》
「伝えたで。お前が話したいってこと。リィズのこと、カティアのこと、そしてお前のやり方のこと」
《彼女の反応は?》
「興味ありげやった。……『私は、いつでも待ってる』って言ってたわ」
また、沈黙。
テオドールの息遣いが、わずかに乱れるのが分かった。
《……そうか》
その声に、懐かしさと、憎しみと、哀しみが混じっている。
「マスター……あいつは、まだお前を――」
《もういい。戸狩、よくやった》
通信が、途切れそうになる。
俺は急いで最後に伝えた。
「総帥は、お前が来るのを待ってる。……俺は、どうしたらええ?」
《……お前は、私の傍にいろ。それでいい》
通信が切れた。 俺は通信機をポケットに戻し、ゆっくりと息を吐いた。
ベアトリクス・ブレーメ。
あの女の瞳が、まだ頭に焼きついている。
冷たく、深く、底知れぬ。
テオドールは、何を思うのか。
俺は、何を思うのか。
南沙諸島の夜風が、廊下の窓から吹き込んできた。
これで、動きが始まる。
ペンテコステ作戦の、次の段階が。
俺は静かに、護衛の兵士たちについて歩き始めた。
まだ、ここにいる理由はある。
テオドールの命令を、果たすために。
そして――。
俺自身の、心が決まるまで。
キルケSide
2002年5月1日
ドイツ民主共和国 首都東ベルリン
荒れ果てた大地、荒涼とした風景。かつての東ドイツがBETAの支配を受け、ほとんどの町が廃墟となり、その中で冷たい風が吹き荒れる。破壊された建物が無惨に立ち並び、無人の街角にはあたり一面に残骸が散らばっている。かつての冷戦の影響を感じさせる地域で、今、私たちの部隊は次なる任務のために進んでいる。
《少佐、状況はどうなっていますか?》
副官からの問いかけが耳に入る。私は黙って前方を見据え、無線機に耳を傾ける。部隊は数グループに分かれ、各所を警戒しながら進んでいるが、この地域の複雑な地形や状況では、常に警戒を怠ってはならない。
「BETAの動きはない。だが、注意を怠るな。シュタージが使用していた戦術機の格納庫がこの地域には点在している。いくつかは空爆や革命時の混乱、BETA侵攻で壊れているが、それでも油断はできない」
私は冷静に答えつつ、部隊に向けて無線で指示を出す。
「各班、周囲を徹底的に捜索せよ。格納庫の周囲に隠れ蓑が潜んでいる可能性が高い。特に、テログループの活動の痕跡を見逃すな。」
無線越しに部隊の反応が返ってくる。私の指示に従い、部隊は即座に行動を開始した。周囲の警戒が一層強まり、動きが一層慎重になる。
《少佐、前方に偽装された格納庫を発見しました》
部隊の一員からの報告。
「偽装?それは問題だ」
《中にBETAが潜んでいる可能性もありますか?》
「可能性はある」
私の声が冷徹に響く。
偽装された格納庫、シュタージが利用していたものがいくつも残されている。その多くは、表面上は機能を失っているように見えても、内部には未だに秘密が隠されていることが多い。私たちの目的は、それらをしっかりと確認し、安全を確保することだ。
だが、私が最も警戒しなければならないのは、BETAだけではない。テログループの連中もこの地域に潜伏している可能性がある。かつてのドイツ国内で反政府活動を行っていた者たちが、今はBETAの支配を背景に密かに活動しているかもしれない。そうした連中はBETAの力を借りて、さまざまな目的で動いているだろう。
「注意を怠るな。周囲を徹底的に確認し、隠れている連中を見つけ次第、無力化する」
私は無線で部隊に指示を続ける。進行しながら、私は自らの目を凝らして周囲を見回す。建物の隅々まで、注意深く視線を走らせる。
目の前に現れる格納庫は、表面が荒れ果てており、一見何もないように見える。しかしその内部に何かが潜んでいる感覚が、私の直感で告げている。
《少佐、こちらを調べます。内部に何かあるかもしれません》
部隊の一員が報告を送ってくる。私はそれに対して無言で頷き、前進を指示する。目の前に迫る偽装された格納庫。今、この瞬間にも何かが潜んでいるかもしれない。
突然、部隊内で緊急の報告が入った。
《少佐、偽装格納庫の中に機械音が確認されました!おそらくBETAが隠れている可能性があります!》
その言葉が私を一瞬で緊張させる。やはりBETAが潜んでいたか。だが、それだけではない。テログループの影も感じる。
「全員、戦闘態勢に移行。周囲を警戒しつつ、格納庫を包囲する。BETAに対する警戒を解くな」
無線で指示を出しつつ、私は部隊の動きを見守る。周囲には危険がひしひしと迫ってきている。もしもBETAが潜んでいるなら、あらゆる対応が求められる。
《少佐、格納庫内部に異常なし。BETAの反応もありません》
「だが、何か引っかかるものがあるはずだ」
《もう一度、念入りに調べます》
「急げ」
時間が流れ、ついに格納庫内部に突入する準備が整う。私は自分の指示を再確認し、部隊の動きを監視する。どんな事態にも冷静に対応する覚悟はできているが、それでも一瞬たりとも油断できない。
《少佐、内部に隠れ蓑の物資がありました。これがテログループによるものかもしれません》
部隊からの報告に、私は顔をしかめる。BETAが潜んでいた可能性は低くとも、テログループの影は確かにあった。
「予想通りか…。この物資を回収し、詳細に分析する。テログループの動向を確認し、次の一手を考える」
私は深く息を吐きながら、状況を冷静に整理する。今、私たちが直面しているのはBETAだけでなく、影で動く他の勢力であることを忘れてはならない。どんな結末を迎えるにしても、私が部隊を守り抜かなければならない。
旧シュタージ本部
私達の部隊は、かつての東ドイツのシュタージ本部に到着した。今やその建物は廃墟と化し、周囲はBETAによる侵略の影響を色濃く受けている。だが、私はここに来ることが目的ではなく、この場所で起きた「異変」に関心がある。
足元にしっかりと踏み込むと、砂埃が舞い上がる。かつてここで数多くの秘密が繰り広げられたことを思い出しながら、私は愛機であるF-5Gトーネードから降り立った。機体が静かにアイドリングを続けている中、私は一瞬その場で立ち尽くし、辺りを見渡す。何かが違う…。
空気が重く、静まり返っている。周囲の荒れ果てた風景に、明らかな不自然さを感じた。
《少佐、何か異常がありますか?》
副官の声が無線越しに入ってくるが、私は一瞬その問いに答えられなかった。違和感が胸の奥を締めつける。これまで数多くの場所を歩き、警戒してきたが、今日ほど静寂が異様に感じたことはない。
歩みを進めると、足元に何かが見つかる。踏み込んだ地面には、明確に残された足跡があった。それも一人分ではない。複数の足跡が入り組み、まるで誰かが急いで建物の中に向かって足早に進んだように見える。
「足跡…。誰かがここに入った形跡がある。」
私の声が低く響く。これまでの調査では、シュタージ本部が無人だと報告されていたが、この足跡はその情報と明らかに矛盾している。足音が新しければ新しいほど、その存在が気になる。
周囲に警戒を強化しながら、私は慎重にその足跡を追った。建物の入り口へ向かうその跡を辿り、見えない何かの気配を感じる。
「慎重に行け。周囲を警戒しろ。」
無線で部隊に指示を出すとともに、私は少しずつ足を進める。足元の跡が進んでいく先に何かが待ち構えているような、そんな予感がする。
建物の入口に辿り着くと、私は足元に広がる足跡の先を見つめた。そのまま振り返り、仲間に軽く手信号を送る。誰かがここに入った形跡は確かにある。だが、何も見えない、何も聞こえない。この静けさが不気味さを増す。
中に入ると、かすかな冷気と共に廃墟の匂いが鼻をつく。その内部はかつての秘密組織が使用していたとは思えないほど荒れている。デスクや機器は倒れ、書類は散乱していた。だが、その中にいくつかの異物が見え隠れしている。
「これが…アクスマンが残した物か。」
私は無意識に呟く。途中で倒れた家具の中に、確かに何かが違和感を覚える物がある。だが、先ほどの足跡に引き寄せられるように、私はさらに奥へと進んでいった。
その時、突然背後で何かの音がした。私はすぐに振り返り、銃を手に取る。その音は、ただの風が残骸を揺らす音か、それとも誰かがこちらに近づいているのか。
私は深呼吸をし、冷静さを保つ。何かがこの建物に潜んでいる。足音の主、もしくはそれ以外の存在が。
「全員、警戒を強化しろ。どこかに隠れている可能性が高い。」
私の声が部隊に響く。
手が震えるわけではない。ただ、この予感が私をさらに警戒させる。シュタージが使用していたこの場所で何が起きたのか、それを解き明かさなければならない。足音の主が何者か、そしてその意図が何なのかを。
再び一歩、また一歩。私の足音が響き、沈黙の中でそれが鮮明に感じられる。
何かが、近づいている。
キルケが建物の中を進んでいると、背後からかすかな足音が響いた。異常なほど静かな廃墟の中で、その音は際立って耳に届く。彼女の手がすぐに銃を握り締め、反射的にその方向に振り向く。
「誰だ!」
声が響くと同時に、銃口がその姿を捉える。だが、そこにいたのは予想もしなかった人物だった。
「……リィズ・ホーエンシュタイン?」
私の目の前に立っていたのは、確かにその名を呼びたくなるほどの外見を持つ人物だった。だが、リィズ・ホーエンシュタインではない。彼女は冷静に視線を合わせ、まるで自分が登場するのを待っていたかのようにゆっくりと歩み寄る。その姿を見て、私は心の中で一瞬にしてその正体を悟る。
「リィズドライ…」
私は呟いた。
リィズ・ホーエンシュタインのクローンの一人――リィズドライ。彼女はその身にホーエンシュタインの遺伝子を宿し、外見はまさにオリジナルのリィズに似ていた。しかし、その瞳に宿る冷徹な光、そしてどこか人間味を感じさせないその佇まい。その不気味な感覚を強く感じながらも、冷静を装いながら問いかけた。
「…あなたがここにいるということは、何か目的があるんでしょ?」
私の声に、若干の警戒を含めながら、だが相手に対して冷徹に接する。
リィズドライは私をじっと見つめ、軽く微笑みながら一歩前へ踏み出す。
「目的、ですか…?」
彼女の声は感情を感じさせないものだった。
「私はあなたに会いに来ました、キルケ・シュタインホフ少佐。これから起こること、そしてこれまでのことについて、あなたと少し話をしたかった。」
その言葉には一切の感情が込められていなかった。
キルケは無言でその言葉を受け止め、慎重に距離を取る。
「話を? あなたと話をする理由があると思う?」
リィズドライの冷徹な眼差しに、キルケは明らかに警戒を強めた。しかし、同時に彼女がなぜ今ここに現れたのか、その真意が気になっていた。
リィズドライは一瞬無表情に黙り込むと、ふっと笑みを浮かべた。
「私がなぜここに現れたか、それはあなたが予想している通りよ。アクスマンの秘密、そしてBETAに関わる真実について。あなたにそれを知ってもらうために」
その言葉に、私の心は微かに動いた。
「…真実?」
彼女は疑いの眼差しを向ける。
「―――それがどうして、お前の口から語られるべきだと思う?」
リィズドライは無感情な笑みを浮かべながら続けた。
「あなたが真実を知るべき時が来たのです、シュタインホフ少佐。”彼”が隠し続けていたもの、そしてそれが今どう作用しているのか。私が語ることで、あなたはもっと多くを理解することができるでしょう」
その言葉の奥にある意味を、私はしばらく考えた。リィズドライが語る「真実」とは一体何なのか。それがどんな結果を生むのか、予測できない。だが、彼女の言う通り、今の状況ではただ警戒しているだけでは何も進まない。
「…分かった。話をしろ」
私は少し考えた後、冷静にそう言った。
リィズドライは無言で頷き、静かに口を開く。
「ハインツ・アクスマンが隠していた真実。それは、ただの戦術機の格納庫や兵器の開発の話ではありません。もっと深い、もっと恐ろしい秘密が隠されているのです。…その影響が今も続いている」
その言葉を静かに受け入れ、何が来るのかを見守りながら、リィズドライが続ける話に耳を傾けた。
私は、リィズドライの冷徹な言葉に耳を傾けながら、足元の土を無意識に踏みしめる。その足音が薄暗い旧シュタージ本部の周囲に響き、逆に周囲の静寂を強調するかのようだった。彼女の目線は、常に周囲に警戒心を持ちながらも、リィズドライの言葉を逃すまいと集中している。
リィズドライの話す内容は予想外のもので、彼女の口から出た言葉ひとつひとつが私の中で強く反響する。
「ハインツ・アクスマン…?」
私の声は低く、冷静そのものであったが、心の中ではその情報に対する疑念が渦巻いていた。
彼女の言葉が事実だとすれば、今までの戦闘やBETAの侵攻が単なる偶然ではなかったことを意味する。私は無意識に顎を引き、冷徹な目を周囲に走らせた。無駄に気を緩めることはできない。だが、リィズドライの表情からは、まるでこれが事実であるかのように淡々とした調子で語られている。
「アクスマンの目的は、リィズ・ホーエンシュタインを…?」
私は少し呟くように言い、思わず口元に冷徹な笑みを浮かべる。
「正確にはアクスマンが極秘裏で私のオリジナル…本物のリィズ・ホーエンシュタインの遺伝子を手に入れて、使い捨ての道具として戦場を出そうとしていたの」
その目的が、恐ろしいほどに無謀で、かつ理不尽であることに気づく。だが、リィズドライが続けた言葉により、その先の真実が少しずつ見えてきた。アクスマンがリィズの遺伝子を利用しようとした結果、今の状況を招いたのだと。あの冷徹な政府が手を出してしまったことで、事態は制御不能に陥ったのだろう。
私の目が鋭く細められる。リィズドライの話が本当なら、アクスマンの遺産は今もどこかで生き続けているということだ。彼女の目的がどうであれ、BETAの脅威は現実だ。それに関わっている者たちを追い詰め、壊滅させなければならない。
「お前が言っていることが本当なら…私達は今すぐにでも動かないといけない」
私は低く呟きながら、再びリィズドライの目を見つめる。彼女が話している内容に、わずかながらの信念を感じ取るが、それでも警戒心は解けない。
私はリィズドライを連れて外に出ようとした次の瞬間
「…勝手に出歩いちゃダメじゃないか―――リィズ」
「お兄ちゃん!」
目の前に現れた男は―――私が知ってる人物だった。
それは、第666戦術機中隊にいたテオドール・エーベルバッハだったからだ。
「あなたは!」
私は彼が現れた途端、驚愕した。
「やあ、久しいな……キルケ・シュタインホフ」
「……暫く会ってなかったけど、随分と変わったようね」
「……!」
「場所を移動しよう。立ち話じゃ長居は出来ない」
テオドール・エーベルバッハ──その名前を耳にした瞬間、私はまるで頭を殴られたような衝撃を受けた。目の前に立つ男の姿に、かつての記憶が一気に甦る。あの頃、共に戦い、命をかけてきた仲間。だが、今、彼は何故ここにいるのか?
「テオドール…あなた、何をしているの?」
その問いを口にするものの、心の中では様々な思いが交錯していた。彼が死んだはずだ、あの日、あの時、あの場所で。だが今、目の前にいる彼はその時のまま、あの頃と同じように厳しい表情で私を見つめていた。
テオドールは軽く肩をすくめるような仕草を見せた。
「驚いたか? まぁ、無理もないか。俺も生きているのは奇跡みたいなものだからな。」
その言葉に、私はしばし言葉を失う。あの日の爆発から、まさか彼が生きているとは夢にも思わなかった。だが、何よりも驚いたのは、彼がリィズドライの姿を見ても、全く驚く様子を見せないことだった。あの男が、どうしてここに?
「あなた、リィズドライとどういう関係がある?」
私は無意識に問いかけていた。リィズドライは何も答えず、冷徹な目で私を見つめている。その視線に慣れることはない。
テオドールは微かに唇を引き結び、暫く黙っていたが、やがて息を吐きながら話し始めた。
「リィズドライか。あぁ、彼女とは…まぁ、いろいろあったんだよ。」
彼の言葉に含まれる複雑さを感じ取り、私はますます混乱する。
私の頭の中では、全ての事実が絡み合い、一本の線で繋がっていくのが感じられた。リィズドライが言っていた「真実」とは一体何なのか。アクスマンの隠していた秘密、そしてBETAに関わる謎が、少しずつ解明されていく予感がしていた。
「ここは安全ではない、キルケ。」
テオドールの声が、私を現実に引き戻した。
「リィズドライの話も重要だろうが、今は移動した方がいい。まだ誰かが近くにいるかもしれない。」
その言葉に、私は無意識に周囲を見渡す。廃墟の中に響く足音の主は一体誰なのか。その気配がただならぬものであることは、感じ取っていた。
「分かった。」
私はテオドールに答えながら、リィズドライの方に目を向けた。
「お前と話すべきことがあるなら、後で聞く。」
そう言って、私は一歩踏み出す。
「それじゃ、移動だ。」
テオドールは頷き、足早に廃墟の中を進んでいく。その背中を追いながら、私は冷静に周囲の動きを確認する。
リィズドライは最後に、私を見て一言だけ告げる。
「あなたは、まだ全てを知らない。」
その言葉が、胸に重く残る。私が知らないこと?それは一体、何を意味するのか。真実がすぐそこにあることを感じながらも、私は自分の足元をしっかりと踏みしめ、前に進んだ。
テオドールと共に、そしてリィズドライの冷徹な視線が背後に感じられる中、私達は建物を離れ、次なる一歩を踏み出した。
「それにしてもあの男は何考えてたか分からないわね……」
リィズドライは微かに笑みを浮かべながら、私の言葉を受け止めた。
「ええ、少佐。ですが、急ぎすぎるのは得策ではありません。アクスマンの計画は、単なる戦術機の開発や遺伝子実験にとどまるものではなかったのです」
彼女はゆっくりと歩み寄り、傾いたデスクの上に無造作に転がっていた古びた書類を指で弾いた。埃が舞い上がり、静寂がさらに重く感じられる。
「……何が隠されている?」
私の声は冷静を装っていたが、内心では警戒心を強めていた。この女の言葉をどこまで信用するべきか。
リィズ・ホーエンシュタインのクローン――その存在自体が異端であり、彼女の言葉には必ず何かしらの意図があるはずだ。
リィズドライは私の視線を正面から受け止めると、淡々と語り始めた。
「アクスマンは、BETAのテクノロジーを利用して、人類にとっての”新たな兵器”を生み出そうとしていました。それは、戦術機でも、通常兵器でもありません。もっと……根本的に異なるもの。」
彼女の口調は変わらず淡々としていたが、その瞳には確かな確信が宿っていた。
「“適応体”――それが彼の計画の核心でした」
適応体?
私は眉をひそめ、言葉の意味を考える。リィズドライは私の反応を確認しながら、続けた。
「BETAの技術を逆用し、人間を”適応”させる。BETAの環境下でも生存できるようにし、戦場で優位に立つことを目的とした実験。それが、ハインツ・アクスマンの最後のプロジェクトよ。」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。BETAの技術を使い、人間を適応させる――それは、既に人間ではない何かを生み出すということではないのか?
「まさか……そんなものが実用化されたと?」
リィズドライはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、まだ”完全な成功”には至っていない。だけど……」
彼女は、足元の瓦礫を蹴り、崩れた壁の向こうに視線を向けた。
その先には、かつてのシュタージ本部の地下へと続く階段があった。
「……まだここに、何かが残っているのは確かよ」
私は無言のまま、その暗闇へと続く階段を見つめた。リィズドライが何を示唆しているのかは分からない。しかし、ここで何かが動いていることは確かだった。
《少佐、どうしますか?》
無線越しに副官の声が入る。私は僅かに息を整えた後、短く指示を出した。
「……地下に降りる。全員、警戒を維持しろ」
リィズドライは満足げに微笑み、私の横をすり抜けるようにして先へ進んだ。その背中を見つめながら、私は僅かに唇を噛みしめた。
この先にあるのは、人類にとっての”禁忌”か、それとも――
私たちは、闇の奥へと足を踏み入れた。
シルヴィアSide
新平壌基地
冷たい金属の壁にもたれながら、私は手にしたレポートを無造作に折り畳んだ。BETAの動向、補給線の維持状況、基地の防衛態勢——どれも必要な情報だが、今の私にはどうでもいい。
「……くだらない」
呟いて、紙束を机の上に放り投げる。戦況は刻一刻と変化し、それに合わせて作戦も練り直される。結局、どんな戦略を立てようと、最後には戦場で生き残れるかどうかだけが重要なのだ。
「シルヴィア?」
不意に名前を呼ばれ、私は顔を上げた。扉の向こうから女性がこちらを覗き込んでいる。
ファム・ティ・ラン。
頭に花飾りを付け、ベトナム系の美しい顔立ちで少し日焼けした肌が健康的に輝き、優しげな笑顔が印象的な彼女。
軍服の上からでも分かる、しなやかな肢体。
いつも、こんな場所に似合わないほど柔らかな空気を纏っている。
「ファム……何の用?」
「えっと……」
ファム・ティ・ランは私の視線を受けて一瞬たじろいだが、すぐに意を決したように部屋に足を踏み入れた。
「さっきの会議で決まった配置変更について、確認しておいたほうがいいと思って」
「会議なんて茶番でしょ」
私は投げやりに言い、ファムが持っていた書類を指さす。
「どうせまた前線に回されるだけ。どんなに綺麗な戦略を描いたところで、BETA相手には紙の盾みたいなものよ」
ファムは困ったように眉をひそめた。
「でも……何もしないよりは、きっと……」
「何もしない?」
私は鼻で笑った。
「そうね、“何か”はしているわ。でも、それが本当に意味のあることなの?」
戦場では、戦術機が次々と沈み、仲間の命が失われる。どれだけ計画を練っても、どれだけ訓練を重ねても、最前線にいる限り死は避けられない。そして、革命の終結と共にヴァルターは死んだ——私たちが戦う理由だったものは、もうここにはない。
ファムは私の言葉を聞きながら、静かに私を見つめていた。
「……それでも、私は信じたい」
「何を?」
「この戦いに意味があるってことを」
私は彼女の言葉に何も返せなかった。ただ、私とファムの瞳の中にかつての戦友たちの姿を重ねて、そっと視線を逸らした。
イゾルデ、ヤンカ、フレデリカ、マライ、クルト、ヴィヴィエン、リリー、オイゲン、マイツェン……そして、カーヤ、イレナ―――ヴァルター。
「……まだ信じられるの?」
思わずそう呟いていた。自分でも驚くほど声が震えていた。ファムは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「うん。だって……シルヴィアがまだここにいるから」
「……は?」
思わず顔をしかめる。何を言っているのか、理解できなかった。私がここにいるから? そんなもの、ただの偶然だ。私はただ、死ぬタイミングを逃して生き残っているだけだ。
「シルヴィアはいつも言うよね。『どれだけ計画を練っても無駄だ』って。……でも、それでも私には分かるの。シルヴィアは、いつだって私たちのために戦ってくれてる」
「……くだらない」
私は顔を背けた。けれど、ファムの言葉が胸に引っかかって離れない。
「……でもね、」
ファムは一歩、私に近づいてきた。
「もし本当に意味がないって思うなら……どうしてシルヴィアは今も前線に立ち続けてるの?」
「……それは」
言葉が詰まった。
「……もう、理由なんてないのよ。ただ、そうするしかないから。それだけ」
ファムはその言葉を否定するように首を横に振った。
「違うよ。シルヴィアは、みんなのために戦ってる。ヴァルターさんのためだけじゃない。亡くなったみんなのためだけでもない。シルヴィアが守ってるのは、今生きてる私たちだよ」
その言葉が胸に突き刺さる。私は思わず視線を落とした。
「……信じるのは勝手よ。でも、私は……」
「信じてよ」
ファムの声が震えていた。
「だって……私はシルヴィアがいるから、まだ頑張れてるんだよ。もし、シルヴィアまでいなくなったら……私、どうしていいか分からない」
視界が滲む。涙が零れそうになるのを、私は無理やり睨みつけることで抑えた。
「……馬鹿ね」
「うん、馬鹿かもしれない」
ファムは微笑んだ。
私は溜息をつき、机の上に投げ捨てたレポートを拾い上げる。
「……とにかく、配置変更の話、聞かせて」
「うん!」
ファムが嬉しそうに笑ったのを見て、私は小さく息をついた。まだ、前に進める。
——少なくとも、彼女が信じてくれる限りは。
ファムが去った後、部屋に残った静寂が、重くのしかかる。
私は再び壁にもたれ、目を閉じた。
ファムの言葉が、まだ耳に残っている。
”シルヴィアがいるから、まだ頑張れてる”
……馬鹿な子。
そんな言葉で、私が救われると思ってるのか?
私はゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。
ヴァルターの顔が、頭に浮かぶ。
あの笑顔、あの声。
”シルヴィア、お前は強い。だから、生きてくれ”
……生きてるわよ。
でも、何のために?
私は机の上のレポートを、もう一度手に取った。
配置変更の書類。
また、前線。
また、死地。
でも、ファムが言うように――。
私は、生きている仲間たちのために、戦っているのかもしれない。
イゾルデたちの仇を討つためだけじゃない。
今を生きる、ファムや他の衛士たちのために。
「……ふん」
私は小さく笑った。
くだらない。
でも、少しだけ、心が軽くなった気がした。
私はレポートを開き、配置図を睨んだ。
次は、どのハイヴだ。
マンダレーか、それとも――。
私はペンを取り、赤い線を引いた。
生き残る。 それが、私の戦い方。
ファムのためにも。
この戦争が終わらない限り、私は止まらない。
私はレポートを閉じ、部屋を出た。
廊下を歩きながら、ファムの部屋の前を通る。
中から、彼女の小さな鼻歌が聞こえてきた。
……馬鹿ね。 私は小さく微笑み、訓練場へ向かった。
まだ、戦いは続く。
でも、今は少しだけ――前を向ける。
ありがとう、ファム。
私は、心の中で呟いた。
この基地で、今日も生きている。
それが、私の答えだ。
キルケSide
シュタージ旧本部・地下実験施設
私は湿った地下通路を進んでいた。古びた蛍光灯はほとんどが壊れていて、代わりに彼女の懐中電灯の光が冷たい壁を照らしている。
誰もいないはずの空間。だが、彼女の胸には言いようのない圧迫感があった。まるで、闇の奥底で何かが息を潜めているような……。
やがて彼女は、分厚い鉄扉の前で立ち止まる。
「……ここか」
錆びついた取っ手に手をかけると、わずかに隙間が開いていた。私は深く息を吸い、ゆっくりと押し開く。
その瞬間、鼻をつく異臭が流れ込んできた。
不快な薬品の匂い。腐敗したものではない、だが確実に"何か"を閉じ込めていた痕跡。
そして、彼女の目に飛び込んできたのは――無数のガラスカプセルだった。
部屋の中央から奥まで、規則正しく並べられた透明な容器。その中には、液体に浸かったまま静かに眠る人間の形をしたものがいた。
「……っ!!」
私は息を呑んだ。
それは、まるで標本のようだった。いや、違う。未発達の四肢、成長しきれていない顔、かろうじて人間の形をしているものもあれば、そうでないものもある。
しかし、それらに共通していたのは――リィズ・ホーエンシュタインの顔だった。
「リィズ……?」
彼女が思わず名前を呟いた、その時だった。
「……驚いた?」
背後から、静かな声が響いた。
キルケは反射的に振り返る。そこには、薄暗い通路の奥からゆっくりと現れる少女の姿があった。
――リィズ・ホーエンシュタインのクローンの三番目、リィズドライ。彼女は冷たい眼差しを向けながら、カプセルの一つに歩み寄る。そして、薄いガラスの表面を指でなぞった。
「これは……一体……?」
私は、震える声で問いかける。
「"私たち"よ」
リィズドライの声は、どこか遠いもののように響いた。
「ここにいるのは、私の姉妹たち。でも……彼女たちは生きられなかった」
私は再びカプセルの中を見つめた。"姉妹"――それはつまり、ここに並ぶのはリィズのクローンということか?
「シュタージが……?」
「ええ。アクスマンはね、私だけじゃなくて、ズーズィやシモーネ、カティア、ベアトリクスまで複製しようとした。でも、全部失敗。成功したのは……この私だけ」
リィズドライは小さく笑った。
「そんな……」
それを聞いた私は言葉を失う。この部屋に広がるのは、命になれなかったものたちの亡骸。シュタージの狂気の遺産だった。
だが、リィズドライはそんなものに動じる様子もなく、ただ静かに言った。
「でもね、キルケ。私は"失敗"じゃないの」
その声は、あまりにも確信に満ちていた。
ゆっくりと振り向いたリィズドライの瞳には、ぞっとするほどの自信が宿っている。
「私は、ここにいる」
私は、息を呑み、背後からテオドールが涼しい顔で話しかける
「……アクスマンはこんなモノまで作ろうとしてたのか―――リィズだけじゃなくカティア達のクローンまで」
表情は真顔だが、その目は悲しいと言えるほどだ。
「テオドール、これは……」
「ああ…生前、アクスマンはアメリカやソ連の軍幹部や研究員達と連絡取り合ってたんだろう」
私は何か確信した。
「オルタネイティヴ第三計画…?」
重たい空気が場を支配した。
テオドールは目を細め、わずかに口元を歪める。
「もし、これがその一環だったとしたら……俺たちは、シュタージの残した"亡霊"と向き合うことになる」
冷たいカプセルの表面に、彼の手がゆっくりと触れた。そこに浮かぶのは、どこか歪んだ未完成の顔――アクスマンが"革命の象徴"を再現しようとした、"カティア"だった。
不気味な静寂を破るかのように、部屋の奥で微かな異音が響いた。
カチッ、カチッ……。
私は反射的に腰のホルスターから銃を抜き、素早くライトを向ける。
カプセルの一つが揺れている。
テオドールも異変に気づいたのか、無言で前に出る。リィズドライはその場に留まり、まるで予想していたかのように冷静な視線をカプセルへ向けていた。
「……生きているのか?」
テオドールが小さく呟く。
中にいるのは、カティアの顔をした未成熟なクローン。だが、その表情は歪み、目は焦点を結ばず、まるで"まだ"何者でもない存在のように見えた。
「いいえ、これは……ただの"エラー"よ」
リィズドライの言葉が、氷のように冷たい。
その瞬間――
ガツン!
カプセルの内側から異様な力で拳が叩きつけられる。
「ッ……!」
私が身構えた。
カプセルの中のクローンは、まるで"何か"に突き動かされるように動き続ける。未完成なはずの筋肉が引き攣り、口が開く。しかし、そこから発せられたのは言葉ではなく、不完全な呻き声だった。
「……まさか、意識があるの?」
私が小さく問いかける。しかし、答えはない。
いや――カプセルの中のクローンは、もう一度、ガラスを叩いた。
それも、今度ははっきりとした"敵意"を帯びた動きで。テオドールが眉をひそめる。
「……マズいな」
次の瞬間――カプセルのロックが突然、外れた。
バシュッ!!
白い蒸気が噴き出し、培養液が床に流れ落ちる。
その中から――未成熟なカティアのクローンが、"奇妙な動き"でこちらに向かってきた。
「っ……くるぞ!!」
テオドールが銃を抜いた瞬間、異形のクローンが襲いかかる。
カティアの顔をした"未完成な存在" が、培養液の残る床を踏みしめながら立ち上がった。
いや、"立ち上がる"という表現は正しくない。
それはまるで、制御不能な人形のように、関節をぎこちなく動かしながらこちらに向かってきた。
「……ッ、冗談だろ」
私は戦慄する。
カプセルから解放された"それ"は、人間とは言い難い動きで、テオドールたちの方へ歩み寄る。首が妙な角度に傾き、目は焦点を結ばない。それでも、確かに"何か"を見ている。
「……まるで、生まれたばかりの獣みたいね」
リィズドライが冷静に呟いた。
「リィズ、これは……」
私が問いかけるが、リィズドライは答えない。ただじっと、その異形を観察していた。
「……失敗作の末路よ」
その言葉が響いた瞬間、クローンが"跳んだ"。
「ッ!!」
テオドールが反射的に銃を構える。
だが、それよりも速く――
ガガガッ!!
クローンは壁に激突し、奇怪な動きでのたうち回った。まるで、"自分の身体を制御できていない"かのように。
「……動けてはいるが、まともに機能してないな」
テオドールが銃口を向けるが、クローンは突然、首を不自然に傾けた。
次の瞬間――
「……た……す……け……」
それは、かすかに言葉の形を成した。
私の心臓が跳ねる。
「……今、喋ったか?」
「……ありえないわ」
リィズドライが微かに目を細める。
「"ただのエラー"だったはずなのに、言葉を……?」
"それ"は、もう一度口を開く。
「た……す……け……て……」
カティアの声に似た、しかしどこか異質な響き。
テオドールの指が、トリガーにかかる。
だが――その瞬間、施設全体の警報が鳴り響いた。
「っ……!?」
赤色灯が点滅し、機械音声が流れる。
「警告。施設封鎖プロトコルを実行します」
「……クソッ、これは罠か!」
テオドールが舌打ちする。
クローンが、床に爪を立てながら這い寄ってくる。その目は、先ほどとは明らかに違った。
理性ではなく、本能に突き動かされた"何か"――
「敵性反応、複数確認」
機械音声が告げる。
扉の向こうから、別の"クローン"たちが動き出した。
「……面倒なことになったな」
テオドールが銃を構え、私とリィズドライも迎撃態勢を取る。
シュタージの遺産――それは、"まだ生きていた"のだ。
ズシン……ズシン……。
扉の向こうから響く不気味な足音。警報の赤い光が点滅し、影を映し出す。
私は息を飲み、拳銃を構える。テオドールも銃口を扉の方向に向け、冷静に狙いを定めた。
「……まさか、他のクローンも生きているの?」
リィズドライの声は静かだったが、その瞳の奥には微かな嫌悪が滲んでいた。
「生きてるかどうかは知らんが――」
テオドールが言いかけたその瞬間、扉が激しく叩かれる音が響いた。
ドン!ドン!ドン!
まるで解放を求めるかのように、凄まじい力で扉が歪む。
「ッ……!」
私が後ずさり、扉の隙間から覗く白い指――それは確かに人間のものだった。だが、異様に細長く、関節が不自然に曲がっている。
「……開くぞ!!」
テオドールが叫ぶと同時に、扉が弾け飛んだ。
「――――!!!」
中から現れたのは、複数のクローンたち。
いや、それはもはや"クローン"と呼ぶにはあまりに異形だった。
カティア、シモーネ、ズーズィ――かつての反体制派の顔を模した者たち。しかし、その目には何の感情も宿っていない。
そのうちの一体――カティアに似た存在が、異様に歪んだ笑みを浮かべた。
「……わたし……わたし……」
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返しながら、一歩、また一歩と近づいてくる。
「……駄目ね、これ」
リィズドライが小さく呟くと同時に――銃声が響いた。
バン!!
テオドールの放った弾丸が、クローンの頭部を撃ち抜く。だが――
そのクローンは、止まらなかった。
「……!? 何だこいつら……!」
私が思わず息を呑む。
クローンはぐらりと揺れながらも倒れず、まるで"壊れた人形"のように再び歩き出した。
「……物理的な破壊では止まらないの?」
リィズドライが冷静に観察する。
テオドールが苛立ったように舌打ちし、素早く狙いを変える。
「なら、心臓を撃つ!」
バン!バン!バン!
続けざまに放たれた弾丸が、クローンの胸を貫いた。
すると――クローンは突如、ピタリと動きを止めた。
そして、まるで糸が切れたように崩れ落ちる。
「……動力源が別にあるってことか」
テオドールが銃口を下げ、周囲を警戒する。
しかし、次の瞬間――
「…………どこ……?」
倒れたクローンの向こう側で、別の"何か"が蠢いた。
私は思わずリィズドライの方を見る。
リィズドライはただ、無言でその"声"を聞いていた。
そして、低く呟く。
「……人間型の、BETA」
その言葉が意味するものに気づいた瞬間、施設の奥から、別の扉が開いた。
そこにいたのは――リィズと同じ顔を持つ、"何か"だった。
そう、この3人はリィズシリーズの失敗作である。
扉の奥から現れた三つの影。
彼女達は、リィズと同じ顔をしていた。
だが、何かが違う。それは単なる"コピー"ではなかった。
髪の色、瞳の輝き、そして立ち振る舞い――リィズとは似て非なる存在。
彼女たちは、静かに口を開いた。
「……はじめまして、リィズ」
最初に名乗ったのは、リィナ。
短く切りそろえた銀髪。青みがかった瞳には冷たい光が宿る。
「リィナ……?」
リィズドライが小さく呟く。
「私はリィナ、彼女はミナ、そしてサナ」
リィナの隣に立つ少女――ミナが、ふわりと微笑んだ。
「ようやく会えたね、"成功作"」
ミナは長い髪を持ち、どこか儚げな雰囲気を漂わせている。しかし、その笑みには何か隠された意図が感じられた。
そして、サナ。彼女は無言だった。
じっとリィズドライを見つめ、まるで観察するかのように瞬きひとつしない。
テオドールが警戒を強める。
「……お前たちは、一体何なんだ?」
リィナが静かに答えた。
「私達は"リィズシリーズ"の失敗作。だけど――私達には、私達なりの使命があるのよ」
私が息を呑む。
「使命……?」
リィナがリィズドライをまっすぐに見つめる。
そして、ゆっくりと告げた。
「"成功作"であるあなたを、私達が殺す。それが私たちの存在理由」
空気が凍りついた。
次の瞬間――ミナが、リィズの喉元にナイフを突き立てるべく跳んだ。
刃が銀色の軌跡を描き、リィズの喉元へと迫る。
キィン――!
寸前でリィズドライは身を引き、ナイフの切っ先が空を裂いた。
「……っ、やる気ね!」
リィズドライはすぐさま反撃に出ようとするが、ミナは滑るような動きで後退し、余裕の笑みを浮かべる。
「さすが"成功作"、動きが違う。でも――」
ドン!!
背後からリィナが拳銃を撃った。
しかし、その銃弾はリィズドライに当たることなく、横から飛び込んできたテオドールの一撃によって弾かれる。
「……なるほどな。お前達は、ただの失敗作じゃない」
テオドールが冷静に銃口を向ける。
「リィズのクローンを殺すために"調整された"クローン、ってところか?」
「ご名答」
リィナは淡々とした声で答えた。
「私達は"成功作"を超えるための実験体……だけど、結果は見ての通り失敗。でも、"リィズを狩る"という役目だけは残された」
「役目ですって?―――ふざけるんじゃないわよ……!」
私が苛立ちを隠せずに叫ぶ。
「アンタ達が何を抱えてるか知らないけど、リィズはそんな下らない理由で殺されるような奴じゃない!」
サナが静かに顔を上げる。
「……あなたには関係ない」
次の瞬間、サナが異様な動きで跳躍し、キルケに襲いかかった。
「くっ――!」
咄嗟に私は防御の態勢を取るが、サナの蹴りは鋭く、まるで人間の動きとは思えないほど洗練されていた。
ガッ――!
私の体が吹き飛ばされる。
「キルケ!!」
リィズドライが叫び、すぐさま援護に入ろうとするが、ミナがそれを遮るように立ちはだかった。
「ダメだよ、リィズ。君は私達と"遊ばなきゃ"」
バチッ――!
ミナの指先が閃き、電撃がほとばしる。
「……電撃武器!?」
リィズドライは素早く後退しながら、状況を整理する。
リィナ――射撃に優れる。
ミナ――電撃を操る。
サナ――格闘戦のスペシャリスト。
どれも厄介だ。
そして――彼女達の狙いは、リィズの命。
「さて、どうする?"成功作"」
リィナが再び銃を構え、ミナとサナも間合いを詰める。
リィズドライは静かに息を吐き、そして――
「私を狩るつもりなら……まず、お前たちを"壊す"!」
次の瞬間、銃声と閃光が交錯し、戦いが本格的に幕を開けた。
バンッ! バンッ! バンッ!
銃声が地下施設に響き渡る。
リィナの弾丸が正確にリィズドライを狙うが――
「ふぅん……こんなもん?」
リィズドライは余裕たっぷりに身体をひねり、銃弾を避ける。
その動きは、まるで踊るような優雅さすら感じさせた。
「なっ……!」
リィナが舌打ちする。
「あれぇ? そんなに焦っちゃってどうしたの、リィナ?"失敗作"だから、"成功作"相手だと本気も出せないの?」
リィズドライは挑発的な笑みを浮かべる。
ミナがすかさず飛び込み、電撃を指先に纏わせる。
「ふふっ、じゃあこれならどう?」
バチバチバチッ!!
青白い電流が弾け、リィズドライを包み込もうとする。
しかし――
「へぇー、ちょっとはやるじゃん?」
バチンッ――!
リィズドライは一歩も引かず、その電撃を素手で受け止める。
「っ!? 嘘……!」
ミナの表情が驚愕に染まる。
「いやぁ、痛いには痛いんだけどさぁ……うん、こんなの"弱すぎ"かな?」
リィズドライは指をパチンと鳴らす。
次の瞬間――ミナの腕が異常なまでの速さでねじり取られ、壁に叩きつけられた。
「ぎゃっ……!!」
崩れ落ちるミナ。
「ふぅん、脆いなぁ。……ほんと、失敗作って感じ?」
嘲るような笑みを浮かべるリィズドライ。
「……お前……!」
リィナが再び銃を構えようとするが、その前に――
「遅いよ?」
ドンッ!!
リィズドライの足が床を蹴り、一瞬でリィナの懐に潜り込む。
「なっ……!」
バキッ!
肘打ちがリィナの腹部にめり込む。
「……ぐぅっ……!!」
リィナが膝をつく。
「おっそーい。そんなスピードで私を"狩る"とか、笑わせないで?」
リィズドライはつまらなそうに髪をかき上げる。
「で、サナはどうするの? 一人でやる気?」
サナは無言のまま、鋭い蹴りを放つ。
が――
「おーおー、やるねぇ。でも――」
ヒュンッ!
リィズドライは片手だけでその蹴りを受け止めた。
「ははっ、力だけはあるみたいじゃん?」
サナの表情は変わらない。だが、次の瞬間――彼女の足にさらなる回転が加わり、強引にリィズドライの防御を崩そうとする。
「おお、いいねぇ。でもさぁ――」
ゴキッ!
リィズドライがサナの足を掴み、捻る。
「っ……!」
サナの身体が宙を舞い、床に叩きつけられた。
「……ったく、もう終わり?」
リィズドライはため息をつく。
「"狩る"とか言ってた割には、全然楽しませてくれないじゃん。ねぇ、リィナ?」
リィナは床に倒れ、歯を食いしばって立ち上がろうとする。
「くっ……まだ、終わりじゃ……」
「終わりじゃない?」
リィズドライは首を傾げる。
「いやいや、もう決まったでしょ? 貴女達は"失敗作"、私は"成功作"。強さの違い、分かったよね?」
リィズドライは銃をリィナに向ける。
「じゃ、最後に一発――"処分"してあげよっか?」
銃口が火を噴く――そして銃声が響き渡る。
バンッ!
リィズドライは一瞬の間に銃口を向けた先、サナの胸に弾丸を叩き込んだ。
「……!」
サナの目は大きく見開かれ、全身が一瞬固まる。
そして――――。
ズンッ!
サナの体が地面に倒れ込む。血が床に広がり、赤く染まる。
「サナ!」
リィナが駆け寄ろうとするが、その動きは速すぎて止められない。
リィズドライは冷静に銃を構え直し、淡々とした口調で言った。
「これが私の選んだ道だ。お前たちがどんなに抵抗しようとも、結局は自分のやりたいことしか選べない」
リィナは震える手で銃を構え直し、リィズを見つめた。
「お前……!」
「どんなに怒っても、もう遅いよ。サナは死んだんだから」
リィズドライの目は冷徹で、まるで機械のような感情を感じさせなかった。
「でも、さっきも言った通り、私はただの"道具"じゃない。サナの命を取ったことには理由がある。あいつは私の"道"を進むにはふさわしくなかった。無駄な存在だったんだ」
その言葉に、リィナの顔が歪む。
「そんなこと言って……! サナはあんたの仲間だったのに!」
「仲間だって? 私は仲間というものに頼ったりしない。自分だけの力で生きる。それが私のやり方だ」
「だから、私が選ぶ道を妨げる者は、容赦なく排除するだけ」
リィズドライは冷徹な瞳でリィナを見つめ、銃口を再び彼女に向ける。
「リィナ、次はお前だ」
リィナはついに銃を構え、覚悟を決めた。その目には怒りと悲しみが混じり合っていたが――
その瞬間、私が一歩前に出る。
「リィズ……これ以上の殺し合いは意味がないわ」
私の言葉が、リィズドライの耳に届く。
一瞬だけ目を細め、冷静に私を見つめる。
「意味がない? それはお前の価値観だろう。私はただ、自分が望んだことをやっているまでだ」
私は必死に答える。
「でも、……サナの死が無駄になってしまう。それが本当にアンタの望みなの?」
リィズドライは銃を少し下ろし、黙って私を見つめた。その目の中には、かすかな揺れがあった。
「……お前は、何を知っている?」
私は静かに答える。
「知っているのは、アンタがどうしてこんなことをしているのか、ってことよ。アンタはただ、誰かに利用されて、そうすることが正しいと思い込んでいるだけなんじゃない?」
リィズドライはしばらく黙っていたが、その後、低く呟いた。
「……利用されている? 私は、"利用する"側だ」
そして、リィズドライはゆっくりと銃を下ろした。
「だが、今はお前の言う通りにしてやる。もう少しだけ、私が望んだ道を進ませてくれ」
その言葉に、リィナもミナも、そしてサナの死を見守っていた者たちも、わずかな安堵を感じるしかなかった。
だが、それはほんの一瞬のことだった。
バンッ! バンッ!
銃声が二発、静寂を引き裂いた。
リィナとミナの身体が、まるで糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
床に倒れた二人の体は微動だにせず、広がる血の池が無機質なコンクリートを紅く染めていく。
リィズドライが振り向くと、そこには涼しい顔をしたテオドール・エーベルバッハがいた。
彼は迷いなく、冷徹に銃を構えたまま、倒れた二人を見下ろしていた。
「……手間をかける必要はない」
淡々とした声で彼は告げる。
リィズドライは一瞬、テオドールの表情を探るが、その目には何の感情も宿っていなかった。まるで、そこにいたのは"要塞級殺し"の異名を持つ、冷酷非情な処刑人だけだったかのように。
キルケが息を呑み、声を震わせながら言葉を絞り出す。
「テオドール……どうして……」
彼は視線をゆっくりと私に向け、淡々と告げた。
「生かしておいても無駄だ」
その言葉を聞いて絶句した。
リィズドライはしばらく沈黙した後、静かに呟いた。
「……ふふ、やっぱりお兄ちゃんだね」
テオドールは肩をすくめ、銃をホルスターに戻す。
「お前が躊躇するなら、俺が片をつけるまでだ」
リィズドライはゆっくりと死体を見つめる。リィナもミナも、わずか数分前までは自分と同じように息をして、動いていた存在だった。
だが、今は違う。
彼女たちは、ただの"物体"になった。
それが"戦場"のルール。
それが"兵士"の現実。
リィズドライはわずかに目を伏せた後、何事もなかったように前を向いた。
「……次はどうする?」
テオドールはわずかに微笑み、背を向ける。
「行くぞ、リィズ。まだ、片付けるべき"仕事"が残っている」
その言葉に、リィズドライは一度だけ振り返る。
リィナ、ミナ、そしてサナ――。
彼女たちの亡骸を、リィズドライはもう一度、じっと見つめた。
だが、それ以上は何も言わず、彼女もまた歩き出した。
残されたのは、ただ血に塗れた地下室と、冷たく沈黙する死体だけだった。
「テオドール、あなたは……ベルンハルト“大尉”を捨ててまで、何をしようとしているの?」
震えるような声で、私が問いかけた。
「……」
けれどテオドールは、何も答えない。
沈黙の向こうに、言葉にならない想いが見えた気がした。だが、それを掴むことはできなかった。
ピピッ――。
不意にヘッドセットから電子音が鳴り響く。
ピピ、ピピ……。
「……」
テオドールは何かを悟ったようにスイッチを押し、静かに口を開いた。
「……私だ。何かあったのか?」
《マスター、戸狩から連絡が入りました。無事、『本国』に到着したそうです》
聞こえてきたのは部下の報告。
テオドールの表情が、より険しくなる。
「……長かったな。戸狩は今、何をしている?」
《……ベアトリクス暗殺の計画を練っています》
「……彼が彼女を殺すことはあり得ない」
《え……? どういう意味です?》
「彼が所属していた組織は、仁義と任侠を重んじる場所だ。今、もし我々が彼を殺せば……間違いなく報復されるだろう」
《……では、当面は様子見で?》
「ああ。方針は変わらん。……何かあればすぐに知らせろ」
《了解です》
短くそう告げると、テオドールは無表情のまま通信を切った。
……そう、彼は今や世界を敵に回している。
あの『ユーコン事件』を起こし、かつての仲間さえも裏切って。
「……お別れだ、キルケ・シュタインホフ」
「待って!」
私が声を張った。
「なんだ?」
「……考え直して! ベルンハルト“大尉”は、あなたが……あなたが不幸になることなんて、望んでない!」
テオドールは一瞬だけ、目を細めた。
「………戦いを望んでいるのは、俺自身だ」
「―――っ!」
声が詰まる。
テオドールの瞳に宿る光は、まぎれもない覚悟そのものだった。
「キルケ、アイリスディーナやアネット達に伝えてくれ。“俺は生きている。だから……余計な詮索はするな”と」
「……わかった」
その言葉に、私はただ頷くしかなかった。
「行こうか、リィズ」
「うん!」
無邪気な声が夜の静寂に響いた。
テオドールはそのまま、リィズドライと共に闇へと消えていく。
……どれほど険しい、茨の道だったとしても。
決して、戻れない道だとしても。
彼は、もう歩みを止めることはできなかった。
悠一Side
2002年5月2日
アイルランド共和国 ケースメント飛行場
「あ? イギリスに移動だと」
俺の声には、苛立ちと困惑が混ざっていた。
だが、鈴乃は書類から視線を上げることもせず、無感情に言った。
「……ああ。アイリスディーナ・ベルンハルト総書記の意向だ」
その名に、思わず息を呑む。
「アイリスディーナ……!? 何だって、あの女が……」
「詳細は上層部のみ。私達に知らされるのは、行き先と期日だけだ」
鈴乃はあくまで事務的に告げる。俺は拳を握りしめ、感情を押し殺すように深く息を吐いた。
「……それにしても、イギリスだなんて、タイミングが悪すぎるだろ……。ベアトリクスはこれで納得してるのか?」
鈴乃の瞳が一瞬だけ曇った。
「……すでに承認済みだ」
「はが……? どういう風の吹き回しだよ……」
滑走路に吹くアイルランドの冷たい風が、悠一のコートの裾を揺らす。格納庫の奥では、戦闘機材を積み込む作業が静かに進んでいた。
「繰り返す。命令だ。移動準備を開始しろ」
そう言って、鈴乃は踵を返した。その背中には、僅かな迷いすら感じさせない。
俺は、吐き捨てるように呟いた。
「……くそったれ」
納得いかないが、反論する暇はない。
理由はどうあれ、恐らくここでテログループの殲滅を異論唱えた政治家がいたらしい
SEDシュトラハヴィッツ派―――東西ドイツ統一や民主化を推奨し、BETA殲滅を優先させようとしている政治派閥だ。
俺は理由もないまま従う事にした。
「(鈴乃なりの考えがあるかもしれない……どこまでもついていくぜ)」
俺は拳を緩め、格納庫へ向かって歩き出した。
イギリスへ。
新たな戦場へ。
この移動が、何を意味するのか。
まだ、分からない。
だが、鈴乃がいる限り、俺は進む。
それが、俺の選択だ。
恭子Side
漸く、私たちハイドラ大隊もケースメント飛行場に到着した。
長いフライトの末、輸送機が滑走路に着陸する振動が体に伝わる。
窓の外に広がるのは、灰色の空と、遠くにぼんやりと見える格納庫のシルエット。
ムーア中隊の面々が、すでにここで待っているはずだ。
「……ようやく、合流ね」
私は静かに呟き、機内の部下たちに視線を向けた。
山城少尉、能登少尉、甲斐少尉、石見少尉――そして、私の側近たち。
皆、疲れた顔をしながらも、瞳に闘志を宿している。
この移動は、突然の命令だった。
東欧州社会主義同盟の意向――いや、正確にはアイリスディーナ・ベルンハルト総書記の判断だろう。
重慶ハイヴの水爆投下を主導したベアトリクスが、なぜこんな配置変更を承認したのか。 まだ、すべては明らかではない。
だが、私の役目は変わらない。
テログループの壊滅。
そして、悠一を守ること。
機体が完全に停止し、ハッチが開く。
冷たいアイルランドの風が、機内へ吹き込んできた。
私は軍服の襟を正し、先頭に立って降り立った。
滑走路の向こうに、ムーア中隊の面々が整列しているのが見えた。
大倉鈴乃大尉、豊臣悠一少尉、そして他のメンバーたち。
佐竹博文の姿も、格納庫の近くに。
彼らの視線が、一斉にこちらへ向く。
「……恭子様!」
鈴乃が、敬礼しながら近づいてきた。
その瞳には、わずかな安堵と、複雑な感情が混じっている。
「遅くなったわね、大倉大尉」
私は静かに微笑み、彼女に敬礼を返した。
悠一が、少し後ろからこちらを見ている。
その視線に、心が少しだけ温かくなる。
「みんな、無事でよかった」
私は部下たちに声をかけ、ムーア中隊の面々にも視線を配った。
「これから、イギリスへ移動するらしいわね。詳細はまだ不明だけど……」
鈴乃が、静かに頷いた。
「はい。総書記の意向です」
「……アイリスディーナの、ね」
私は小さく息を吐いた。
この移動の裏に、何があるのか。
シュトラハヴィッツ派の動きか、それともベアトリクスの新たな策略か。
いずれにせよ、私たちは進むしかない。
ハイドラ大隊とムーア中隊――ここに、ようやく合流した。
悠一が、そっと近づいてきた。
「……恭子、無事だったか」
その声に、私は小さく微笑んだ。
「ええ。もちろんよ」
私は彼の手を、軽く握った。
誰も見ていない、わずかな瞬間。
「これから、共に戦うわ」
「ああ」
悠一の瞳に、強い光が宿る。
ケースメント飛行場の風が、私たちの髪を揺らす。
新たな戦場へ。
イギリスへ。
私たちは、再び前へ進む。
ハイドラとムーア、共に。
テログループを、必ず終わらせるために。
そして――悠一との約束を、守るために。
2002年8月 イギリス・ロンドン 国連軍施設
そして時は流れ、3ヶ月後――。
俺たちはロンドンの霧深い街にいた。
運命の歯車は、容赦なく回り続けている。
重厚な扉が軋む音を立てて開くと、そこにいたのは西ドイツ軍の重鎮たち――ヨアヒム・バルク大佐と、キルケ・シュタインホフ少佐。 バルク大佐は、鋼のような眼光で俺たちを射抜き、シュタインホフ少佐は無表情の仮面の下で、鋭く状況を分析しているのがわかった。
「ようこそ、諸君。テログループの脅威は、BETA支配下の欧州全土を蝕んでいる。我々西ドイツ軍は、君たちの……『特殊な力』を借りることにした」
バルク大佐の声は、低く部屋全体に響く。 俺は鈴乃と視線を交わし、軽く頷いた。
アイリスディーナの「意図」が、ここで形を成す瞬間だ。
「協力する。条件は一つ――俺たちの戦術機をフルに使わせろ」
シュタインホフ少佐が、薄い笑みを浮かべた。
「了解したわ。あなたたちの機体は、すでにドックで搬送を終えている。出撃命令が出るまで、待機よ。――奴らの根城は、ベルリン……地獄の門が開くぞ」
会議室を出ると、鈴乃がぽつりと呟いた。
「……これで、ベアトリクスに近づける」
俺は拳を握りしめる。 戦術機のコックピットが、俺を呼んでいる気がした。
94フルアーマー、94サブレッグ、94ブルG……撃震、不知火。そして武御雷の装甲が、咆哮を上げて待つ。
テログループ討伐――それは、ただの始まりに過ぎない。
アイリスディーナの影が、俺たちの背中を押す。
出撃命令のサイレンが、いつ鳴るか……。
霧のロンドンに、嵐の予感が漂っていた。
恭子が、俺の隣で静かに微笑んだ。
「悠一……ようやく、ね」
「ああ」
俺は彼女の手を、そっと握り返した。
ベルリンへ。
テオドールの根城へ。
この戦いが、すべてを決する。
俺たちは、霧の街を歩き始めた。
運命の歯車が、加速する音が聞こえる気がした。
鈴乃Side
2002年8月 イギリス・ロンドン 国連軍施設
翌日。 ロンドンの朝は、相変わらず霧に包まれていた。
窓の外に広がる灰色の街並みを見ながら、私はコーヒーカップを手に持ったまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。 昨日の会議――バルク大佐とシュタインホフ少佐の言葉が、まだ頭に残っている。
ベルリン。
テオドール・エーベルバッハの根城。
ようやく、そこへ向かう時が来た。
「……鈴乃」
背後から、悠一の声が響いた。
私はゆっくりと振り返る。
彼は軍服のまま、ベッドの端に腰掛けていた。
昨夜の余韻が、まだ少し残っているような、柔らかな表情。
「ん……おはよう、悠一」
私はカップをテーブルに置き、彼に近づいた。
悠一は私の腰を引き寄せ、そっと抱きしめた。
「今日、出撃命令が出るかもしれない」
「……ええ」
私は彼の胸に顔を埋め、静かに頷いた。
3ヶ月。
アイルランドからイギリスへ移動し、西ドイツ軍との共同作戦を待つ日々。
その間、私たちはただ待っていた。
訓練を重ね、機体の調整を繰り返し――そして、互いの温もりを確かめ合う夜を過ごした。
恭子様も、ハイドラ大隊と共にここにいる。
皆、無事だ。 だが、今日でその平穏は終わる。
「悠一……怖くない?」
私が小さく問いかける。
彼は少しの間、黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……怖いさ。でも、お前がいるから、進める」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
私は彼の首に腕を回し、唇を重ねた。
優しく、深く。 この瞬間だけは、戦いのことなど忘れたい。
だが――サイレンが、鳴り始めた。
遠くから、基地全体に響き渡る警報音。
出撃命令。
私たちは、同時に顔を上げた。
「……来たわね」
「ああ」
悠一は立ち上がり、私の手を握った。
強い、温かい手。
私は彼の瞳を見つめ、静かに微笑んだ。
「行きましょう。テログループを、終わらせるために」
ベルリンへ。
地獄の門へ。
私たちは、共に。
霧のロンドンを後にし、新たな戦場へ向かう。
佐渡島同胞団の長であり、ムーア中隊の中隊長の大倉鈴乃として。
悠一の傍らで。
この戦いが、すべてを決める。
私は、心の中で誓った。
絶対に、生きて帰る。
―――あなたと、共に。
まどかSide
ロンドンの朝は、いつも霧が濃い。
窓から見える街並みは、灰色にぼやけて、まるで夢の中みたい。
私はベッドに腰掛け、軍服のボタンを一つずつ留めながら、昨日のことを思い返していた。
バルク大佐とシュタインホフ少佐の顔。
あの会議室の重い空気。
そして、ベルリンへ――テオドールの根城へ。
「……ふう」
小さく息を吐いて、私は立ち上がった。
鏡に映る自分。
少し疲れた顔だけど、目だけは輝いてる。
だって、ようやく動き出すんだもん。
3ヶ月、アイルランドからここへ来て、待機ばっかりで退屈だったけど……今は違う。
ドアをノックする音がした。
「はーい」
開けると、そこにいたのは駒木咲代子中尉。
彼女は少し照れくさそうに、視線を逸らしながら入ってきた。
「……おはよう、まどか」
「おはよう、駒木中尉~」
私はにこっと笑って、彼女の手をそっと握った。
あの夜の温もりが、まだ残ってる。
駒木中尉は頰を赤らめ、咳払いした。
「……今日、出撃命令が出るかもしれないって」
「うん、知ってる」
私は彼女の隣に座り、肩を寄せた。
「怖い?」
「……少しね。でも、あなたたちがいるから」
駒木中尉は小さく笑った。
私は彼女の頰に、軽くキスした。
「私もだよ。駒木中尉がいるから、頑張れる」
彼女は目を丸くして、それから恥ずかしそうに微笑んだ。
「……馬鹿ね」
「えへへ」
私はくすくす笑った。
外では、霧が少しずつ晴れ始めていた。
サイレンが、いつ鳴るか。
ベルリンへ。
新しい戦場へ。
私は駒木中尉の手を握りしめた。
まだ、誰も知らない。
私たちの、秘密。
でも、この気持ちが、私を強くする。
まどかとして。
戦場で、生き残るために。
霧のロンドンに、朝の光が差し込み始めた。
今日から、また戦いが始まる。
でも、私は怖くない。
みんながいるから。
駒木中尉がいるから。
私は、静かに目を閉じた。
行こう。
新しい朝へ。
朝の訓練が終わった後、私たちはいつものように宿舎の廊下で雑談をしていた。
霧のロンドンは今日も肌寒く、窓から差し込む薄い光がみんなの顔をぼんやりと照らしている。
駒木中尉と私が、少し離れて手を繋いでいるのを――佐古大和少尉と浪岡常吉少尉が、じーっと見つめていた。 佐古が、ため息混じりに呟いた。
「いいなぁ。羨ましいなぁ……」
浪岡が、にこにこと同意する。
「お二人とも、仲いいですね」
その言葉に、駒木中尉がびっくりしたように振り返った。
「佐古少尉に浪岡君!?」
佐古が、即座に抗議した。
「なんで俺だけ階級呼びつけ!?」
私はくすくす笑いながら、からかうように言った。
「親愛度ですよ。親愛度」
佐古の顔が、真っ赤になる。
「ま、まどかちゃんまで……!」
浪岡は穏やかに微笑みながら、肩をすくめた。
「佐古少尉は、まだ親愛度が足りないんですよ」
駒木中尉は、慌てて私の手を離し、咳払いをした。
「……からかうんじゃないわよ」
でも、その頰は少し赤い。
私はまた、そっと彼女の手を握り返した。
佐古が、羨ましそうにため息をつく。
「ほんとに、いいなぁ……」
ロンドンの霧のように、柔らかい朝の空気。
出撃命令がいつ来るか分からない中、こんなささやかな時間が、少しだけ心を温かくしてくれる。
親愛度、ね。
私は駒木中尉の手を、ぎゅっと握りしめた。
これからも、ずっと。
この戦いが終わっても。
恭子Side
2002年8月15日 イギリス・ロンドン 国連軍施設 会議室
京都防衛戦から、ちょうど4年。
1998年のあの地獄のような一ヶ月。
BETAの本土侵攻に、京都は熾烈な防衛戦の末に陥落した。
以降、約一年に渡りBETAの制圧下にあった。
2000年、本州奪還後は、西日本における緊要地域として、日本帝国・国連両軍が駐留する一大軍事拠点となっている。
あの日の記憶が、今日も胸に蘇る。
私は会議室の窓辺に立ち、霧に包まれたロンドンの街並みを眺めていた。
冷たいガラスに指を触れ、遠い京都の空を思い浮かべる。
あの時、私たちはまだ若かった。
学徒兵として、如月佳織率いるファング中隊に所属していた者たち。
篁唯依、山城上総、能登和泉、甲斐志摩子、石見安芸――あの5人。
唯依は今もBETA殲滅任務に優先的に投入され、ここにはいない。
だが、他の4人は、私のハイドラ大隊に編入され、今このロンドンにいる。
「……恭子様」
背後から、静かな声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは山城上総。
彼女の瞳には、京都の記憶がまだ残っている。
「山城少尉……どうしたの?」
「皆、集まっています。今日の記念に、少しだけ……」
私は頷き、会議室のテーブルへ向かった。
そこには、能登和泉、甲斐志摩子、石見安芸が座っていた。
皆、軍服姿だが、表情は少し柔らか。
今日は、特別な日だから。
「恭子様、お久しぶりです」
能登が、静かに頭を下げた。
「ええ、皆元気そうでよかったわ」
私は椅子に腰を下ろし、皆の顔を見回した。
4年前のあの戦い。
学徒兵として、命を賭けて京都を守った日々。
如月佳織の指揮の下、ファング中隊は散り散りになった。
唯依は今も前線でBETAと戦い続けている。
だが、私たちはここにいる。
生き残った者たちとして。
「今日は……京都の、あの日から4年ね」
私が静かに言うと、皆が黙って頷いた。
甲斐が、小さな瓶を取り出した。
日本酒。
どこからか持ち込んだものだろう。
「少しだけ、飲みませんか?」
石見が、静かに微笑んだ。
「いいわね」
私はコップを受け取り、皆に注いだ。
ロンドンの会議室で、日本酒を傾ける。
不思議な光景。
だが、今の私たちには、これが必要だった。
「京都は、今も守られているわね」
山城が、ぽつりと呟いた。
「ええ。奪還されてから、要衝として機能している」
能登が、静かに続けた。
「唯依も、今頃BETAと戦ってるんでしょうね」
皆が、コップを掲げた。
「――あの日の仲間たちに」
「そして、生き残った私たちに」
「京都に」
私たちは、静かに乾杯した。
日本酒の香りが、部屋に広がる。
霧のロンドンで、遠い京都を思いながら。
戦いは、まだ続く。
ベルリンへ。
テオドールへ。
だが、今日だけは。
少しだけ、過去を振り返ることを許そう。
生き残った私たちに。
恭子として。
ハイドラの指揮官として。
そして、鬼姫として。
私は、コップを傾け、静かに目を閉じた。
ありがとう、皆。
そして――唯依。
あなたも、無事で。
唯依Side
日本帝国・京都 京都タワー
京都タワーの展望台は、風が強かった。
BETAの脅威が去ってから2年。
街は少しずつ息を吹き返し始めているが、まだ傷跡は生々しく残っている。
遠くに広がる京都の街並みを見下ろしながら、私は静かに佇んでいた。
今日という日は、特別だ。
京都防衛戦から、ちょうど4年。
あの地獄のような戦いの日々を、忘れることはできない。
「久しぶりだな。篁」
背後から、懐かしい声が響いた。
私はゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは――如月佳織。
かつてのファング中隊の指揮官。
今は、衛士訓練学校の教官として、後進を育てているはずだ。
「お久しぶりです。如月中尉……」
私は静かに敬礼した。
如月中尉は、いつものように少し疲れた笑みを浮かべ、私の隣に並んだ。
「お前も知ってると思うが、私はもう前線には立たず、衛士訓練学校の教官を務めている」
「そう、ですか……」
私は視線を落とした。
如月中尉の姿を見ると、あの日の記憶が鮮やかに蘇る。
学徒兵として、命を賭けて戦った日々。
恭子様や、他の仲間たち。
彼女は、遠くの街並みを見つめながら、静かに続けた。
「恭子様の事が心配か?」
「え?」
私は思わず顔を上げた。
心を見透かされたような気がした。
恭子様は今、ロンドンにいる。
ハイドラ大隊を率いて、テログループ討伐のために。
豊臣少尉や、大倉大尉たちと共に。
「……どうして、それを」
佳織は小さく笑った。
「お前の顔を見ればわかるさ。あの崇宰家の娘は、お前にとっても大事な存在だろう」
私は黙って頷いた。
恭子様は、私の……大切な人。
いや、違う。
ただの主従ではない。
あの戦いで、共に生き抜いた絆。
「大丈夫だ。恭子様は必ず生きて帰ってくる」
如月中尉の言葉が、静かに響く。
私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……はい」
風が、二人の髪を揺らした。
京都タワーの頂上で、遠い過去と、今の戦いを思う。
恭子様――――どうか、無事で。
私は、心の中で祈った。
如月中尉の横顔を見ながら、この街のように、生き抜いて。
私たちは、まだ戦っている。
BETAと、そしてテログループと。
京都の空の下で、今日も。
私は、静かに拳を握りしめた。
恭子様が帰ってくるまで、私もここで戦う。
それが、私の役目だ。
篁唯依として。
どうもお久しぶりです。
長らくお待たせして申し訳ありません。
今更ですがマブラヴ:ディメンションズがサ終しマブラヴガールズガーデンがリリースされましたね。今までのマブラヴシリーズとは全く異なる世界観ですね。
これ、結構ハマりますが生徒強化やガチャがなかなかハードルが高くて、メモリーまでも……スマホ版はAndroidしか対応してないのでやむを得なくブラウザ版でプレイしていますが、課金する時はAndroidだったらGoogle Playで支払うこと出来るんですがブラウザ版はDMMポイントなんですよ。有償のメモリーは諦めています。
さて、物語は急展開迎えましたが、佐渡島同胞団や東欧州社会主義同盟はどうやってテオドールを倒せるのか?を考えてる自分ですが、そう易々と倒せる相手じゃないですよ。
豊臣宗家と篁家の因縁、ユウヤと唯依が腹違いの兄妹について少し描写しましたが、一番印象に残ったのはアイリスディーナと大倉大尉による意見交換会(討論)ですが、アレ実は元ネタがあるんですよ。当時在特会の会長だった桜井誠と橋下徹大阪市長(当時)との公開面談なんですよ。
流石に桜井氏みたいに「うるせぇな、お前」などと返し、つかみ合いになりそうな場面は描写していません。
次回はテオドールが本格的に動きます。なんでこうなったんだか……アイリスディーナとベアトリクスがいなかったら彼は誰も止められない暴走機関車ですね。
この作品を…トータルイクリプスサンダーボルトや他の作品、Pixivで投稿した作品を読んで頂けた全ての方々に感謝しつつ、今回はここで筆を置かせて頂きます
ではまた
追記:マブラヴアニメ第三期は絶望的だ……。