D4DJ〜Uniquee Mix!!〜   作:熊0803

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お久しぶりもお久しぶりです。

学業の方がほぼ落ち着いたので、なんとか書けました。

楽しんでいただけると嬉しいです。


Sixteenth Unique

 

 

 

 

 歩くたび、湿った靴下が靴底に引っ付く感触が心地悪い。

 

 それでも歩幅を合わせれば、あまり傘の幅がないせいで明石の肩と自分のが触れ合いそうになった。

 

「そっちの肩濡れてない?」

「大丈夫。ていうか、彩音が肩出てるじゃん」

「まあ、既にダメージ受けてるからノーカンみたいな」

「いやいや……ほら、もう少しこっち」

「うおっ」

 

 ちょ、近っ。

 

「これくらいなら、平気でしょ」

「そう、だね」

 

 やばい、緊張で声が固くなってる。

 それを気づかれないよう、ただ正面ばかりを見ることで歩き続けた。

 

 

 

 明石の家は言った通り本当にすぐで、十分もしないうちに到着してしまった。

 

 玄関先までお邪魔して、扉を開けるのを後ろから見守る。

 

「ただいまー。って、誰もいないか。ちょっと待ってて。確かここに入れて……あ、あれ?」

「どうしたの?」

 

 明石がこっちに引きつった顔を振り返らせる。

 なんだかちょっと嫌な予感が。

 

「……予備の傘がない。誰か持ってっちゃったみたい」

「あー……ドンマイ?」

「もー、こういう時ばっかり……ごめんね」

「や、仕方ないよ」

 

 ないもんはしょうがないね。

 だがどうしたものか。正直他にあてがない。

 最悪、公園まで戻ってしのぐという手もあるが……

 

 

 

 考えていたが、突然強い風が吹いてじっとりした冷たい空気に撫でられた。

 

「っくしゅ!?」

「わっ! だ、大丈夫?」

「へ、平気」

 

 すごいのが出た。緊張で麻痺しかけてた寒気が戻ってきたみたいだ。

 鼻を啜って、ふとそこで思いつく。

 

「これだと、街の方に出てコンビニでも探すのが良さげかな」

「でも、やっぱりそれじゃ……」

「心配してくれてありがと。今度こそこれで──」

「まっ、待って!」

 

 踵を返し、背を向ける寸前で腕を掴まれる。

 

 さっきより強い声に驚くと、明石自身も無意識だったのか目を見開いていた。

 

「……明石? どうしたの?」

「あ……えっと……」

 

 僕の声で気を取り戻したように、明石が慌てた様子で口ごもった。

 

 それから数秒が経つ。

 

 

 

 視線を彷徨わせた果てに、少しだけ俯く明石。

 

 次の瞬間、雨にかき消されてしまいそうな声量で、ぽそりと呟いた。

 

「……わー」

「へ?」

「シャワーだけ……浴びていったら?」

「な──」

「ほら。服も洗濯機使っていいから、さ。乾かしてる間に、誰か帰ってくると思うし。そしたら今度こそ、傘……貸せるから」

 

 固まっている間に、辿々しく最後まで言い切られてしまった。

 

 

 

 正気を取り戻すにつれ、徐々にその意味を理解して──カッ! と頭が奥から熱くなる。

 

 

 

 いや。いやいやいやいや。流石にこれは迷う余地なくアウトでしょ。

 相合傘でここまで来たのだってわりとギリギリだったのに、そんなのもたないって。ましてや誰もいない家にとか普通に死ぬ! 

 

「や、これ以上は駄目だよ」

「な、なんで?」

「なんでってそりゃ……」

 

 常識とか節度とか、僕の気持ちにとか、色々とあるけども。

 口にすれば全部がそれらしくなる気がするし、同時に不適格な気もして、うまく一つにまとまらない。

 

 考えて、ようやく出たのは平凡な言葉。

 

「そこまで明石に迷惑かけられないよ」

「全然迷惑なんかじゃない。友達なんだから」

「いや、友達だからというか……」

 

 ぶっちゃけ、それやったら女友達に対して引いとくべきライン超えない? 明石以外に仲のいい子がいないから、これが普通のことなのか僕にはわからないけども。

 

 万が一下手をして、結果的に()()明石と友達でいられなくなる可能性は避けたい。

 

 

 

 なのに、袖をつまむ指のせいでそこから動けなかった。

 

「別に平気だよ。だって、何か友達がしないようなこととか……するわけじゃないでしょ?」

「や、それはそうだけど」

「じゃあいいじゃん。私は彩音のこと、信じてるし」

 

 その台詞はけっこうずるくないですかね。

 変に遠慮しすぎたら逆に下心があるみたいになるじゃん。

 

 どうしよう。退路を塞がれた感がすごい。

 

「けどなあ……」

「……どうしても、駄目か?」

「っ」

 

 上目遣いに、もう一度袖を引かれた。

 

 明石は知っているんだろうか。近頃の僕が、君のこういう表情に弱くなっていることを。

 だとしたら策士だし……効果抜群。

 さっきと同じだ。僕が悩むほどにどちらも状況が悪くなる。

 

 ……覚悟を決めるしかない、か。

 

「……重ね重ねになるけど。お世話になってもいい?」

「! う、うん!」

 

 ほっとしたような顔をされてしまった。ああ、これほんと弱いなぁ。

 

 ゆっくりと引かれた指が離れていく。

 

「ほら、そんなところにいつまでもいたら駄目だよ」

「う、うん」

 

 緊張から、ごくりと喉が鳴る。

 

 玄関を前に竦みそうになる足を叱咤し、先に入った明石の方へ踏み出す。

 

 

 

 あっけない程にあっさりと、僕は家の中にいた。

 

 いきなり寒さが遠ざかったように感じる。ポタリ、と服から床石に落ちた水滴の音がやけに大きかった。

 

「大丈夫?」

「あ。えっと、お、お邪魔しました?」

「ぷっ。それだと帰る感じになってるじゃん」

「だ、だよね」

「えっと、洗面所はこっち。ついてきて」

 

 靴を脱いで手招く明石の後についていく。

 

「ここだよ。って、あっ!」

 

 一階の奥にある風呂場まで通され、ドアを開きかけたところでいきなり大声が上がった。

 

「ど、どうかした?」

「ちょ、ちょっと待ってて!」

「う、うん?」

 

 何やら慌てた様子で、素早く中へ入っていってしまった。

 

 どうしたんだろう。何かまずいものでも……って。

 

「あー……そっか」

 

 洗面所ってことは、脱衣所でもあるわけで。そりゃ見せられないものもあるかもしれないよね。

 

 大人しく待ってると、ガチャ、と三度開かれたドアの向こうから顔が出される。

 

「大丈夫。入って」

「わかった」

 

 洗面所に入る。中は特に変なところはない、いたって普通の様子。

 強いて目についたものといえば、カゴや洗濯機などが一回り大きいことだろう。三人姉弟って言ってたからかな。

 

「服は洗濯機に入れちゃって。バスタオルはそっち。ドライヤーはあそこにかけてあるから。左の棚にシャンプーとかあって、見ればわかると思う」

「了解」

「あっ、シャワーは出してからしばらく冷たいから気をつけて。あとは……えっと、これくらい、かな」

「わかった。ありが……」

「あっ、後で代わりの服持ってくから!」

「あ、ちょ」

 

 ……急いで出ていってしまった。

 

 あっちもそれなりにテンパってるのかもしれない。

 とりあえず、いつ服を持ってきてくれるかわからないし。早いところ浴室に入ろう。

 

 

 

 ううむ。バイト先で着替える時もだけど、人の家で裸って恥ずかしい。

 てか、これはこれでめっちゃ寒っ。

 

「っくしゅ! やばっ」

 

 むず痒い気持ちもそこそこに、浴室へ飛び込んだ。

 

 幸いシャワーのコックはうちと似通ってて、操作に苦することはなかった。

 忠告通り温まるのにちょっとかかる。十分な温度になるのを持ち、頭から浴びるとすっかり冷え切った体が驚く。

 

「っはー……生き返る」

 

 一時はどうなることかと思ったけど。……いや、こうなるとも思ってなかったけどね。

 ほんと、明石には頭が上がらない。

 

 だから、恩を仇で返すようなことはしないよう、気をつけないと。

 

「……絶対、気をつけよう」

 

 熱いシャワーで包み隠すように、自分へと言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ジジ、とコーヒーメーカーが音を立てる。

 

 

 

 毎朝のように聞く音。メイキングやパフォーマンスのセトリの編集で夜が遅くなる度、お世話になっている。

 買ってからもう2年だろうか。家族みんなで愛用していて、インスタントの味が舌に馴染んでる。

 

 でも困ったことに、近頃物足りなくなってきてしまった。

 理由は学校帰りにあの店で飲む、あるコーヒーのせい。 

 初めて淹れてもらった日からすっかり気に入っちゃって、最近では行くたびに頼んでいる。

 

 

 

 そして私の手元には今、二つのカップがある。

 一つは自分ので、もう一つは来客用。

 

 もう直ぐ風呂から上がってくる彩音のために、いつも彼がそうしてくれる、ようなもの……を…………。

 

「うわぁあああっ」

 

 耐えきれず、小さく叫んだ。

 

 やっちゃったっ、やっちゃったよっ! 男友達をうちに上げて、しかもお風呂に入らせるなんて! 

 

 いくら昔とちょっとだけ重なって見えてからって、こんなっ、こんなこと!! 

 

 ていうか何、「友達がしないようなことするの?」って! なんで私、あんなこと聞いた!? 

 

「ううっ、彩音に引かれたかな……」

 

 変な子とか、軽いとか思われてないよね。それに最後まで遠慮してたし、嫌な思いさせてたら……。

 ああもうどうしよう。不安ですっごくドキドキする。

 

 この後どうすればいいの? とりあえずコーヒー用意してるけど、勢い任せで何も考えてなかった。

 

 猪突猛進はりんくの専売特許のはずだったんだけどな。

 

「……でも、本当に似てた」

 

 仕方がなさそうな笑い方や離れてく背中がそっくりで、気がついたら引き留めてた。

 なんか、ここで帰らせちゃったら逆戻りする気がして。

 ようやく彩音って呼べるようになったのに、なんて。そんなことあるはずないのに。

 

 というか私だって、家に招待するならもっとちゃんと──

 

 

 ピーッ! ピーッ! 

 

 

「ひゃっ!? な、なに!? って、なんだ。コーヒーができて……」

「明石、シャワーいただい……」

「わぁっ!?」

「た……よ?」

 

 扉の開く音に肩が跳ねた。

 振り向くと、お父さんの部屋着を着た彩音がぽかんとしてる。

 

「あーっと……まずかった?」

「ぜ、全然! それより、サイズ大丈夫だった?」

「なんとかね。それと、洗濯機も回してくれたみたいでありがとう」

「よかった。その、コーヒーできたけどいる?」

「もらえるなら是非」

 

 ソファーで待ってて、と促してコーヒーを注ぐ。

 

 ……変な声聞かれちゃったなぁ。恥ずかしい。

 

 

 

「はい、どうぞ」

「ありがと」

 

 湯気立つカップの片方を手渡し、空いた手を自分のに添えて腰を下ろした。

 

 少し冷まして口をつける。広がるほんのり苦くて暖かな味に、息が漏れた。

 

 そっと横を見ると、柔らかい表情の彩音がいる。

 風呂上がりだからか、ほっこりした雰囲気は普段の落ち着いた感じとかバイト中のキリッとしてる感じと違ってて、なんか新鮮──

 

「「っ!」」

 

 やばっ。いきなりこっちを見たから、思わず逸らしちゃった。

 

「あっ、あー。そういえば、ご家族はどのくらいで帰ってきそう?」

「! そ、そうだな。下の子達がもう少しで帰ってくると思う。いつもは友達と遊んでくるけど、ほら、今日はこんなだし」

「そか。確かにね」

「…………」

「…………」

 

 どうしよう。会話終わっちゃったよ。

 

 何か、別のものに意識を向けることさえできれば──そう考えた時、テレビの下で半開きになったDVDのパッケージが目に入った。

 

「そうだ!」

「ど、どうした?」

「あっ、ごめん。えっと、この前おすすめしてくれた映画、そういえば観たなぁって」

 

 思い切って切り出す。お願い、上手くいって。

 そしたら、彩音の表情が和らいだ。

 

「ああ、そういうことね。楽しんでもらえた?」

「うん、面白かった。主題歌もいい感じにハマったよ。さすが彩音」

「だったら、同じグループで良さげなのがあるよ。もし気に入ってもらえたら紹介しようと思ってたやつ」

「ほんと? なら教えてもらおうかな」

「おっけ」

 

 よ、よし。なんとかいい感じにできた。

 

 これで後は繋いでいけば……いける! 

 

「準備できた。もうちょっとそっち寄ってもいい? 雨で聞き取りづらそうだから」

「へあっ?」

「あっ、URLだけ送るとかの方が良かった?」

「い、いや! 大丈夫!」

「そう? じゃ」

 

 ち、近いっ! 彩音からうちのシャンプーの匂いがするっ! 

 

「流すよ」

「うん」

 

 

 

 ──あ。これ、いいかも。

 

 

 

 再生されたイントロがすっと耳に馴染む。

 これまで何度も経験したことある、好みにはまる曲を見つけた時の感覚。

 

 静かな曲調に乗せられた歌詞は、まるでこのコーヒーのように暖かい気持ちにさせる。

 

「こんな感じだけど」

「いいな。あの歌にはない、ゆっくりめのテンポが落ち着く」

「だよね。あっちは映画合わせて勢いがあったけど、これはじっくり聞かせてくるっていうか」

「あー、わかる」

 

 数分の傾聴。

 メロディに心を委ねる心地よさを味わううち、強張った肩の力が抜けていった。

 

「あ」

「ん?」

「このサビの前の転調、けっこう好きだ」

「やっぱり。明石ならそう言うと思った」

「彩音はここの最後のフレーズ強調してるとこもでしょ」

「お見通しか」

「ふふん、まあね」

 

 伊達に一年くらい友達付き合いしてない。まだまだ知らないことだらけだけど、こういうのはよく知ってる自信がある。

 

 それから、あれもここもと曲の中で見つけた魅力を語り合う。

 一緒だったり、全然違ったり。

 共感したり、予想外で驚いたり。

 でも結局、最後にいいなって思うようになって、ますますいいものに思える。

 

 自分の中に楽しいが増えていく感覚。彩音といると感じるそれが、私は好きだ。

 それに、この時が特に知れている気がするから。

 

「見てここ。ドラム凄いんだよ」

「へえ、どれどれ? うわっ、本当にすごい! どんな技術してんの!?」

「もはや変態だこれ」

「あはは、ほんとそれ──」

 

 返事のはずみで振り向いて、固まった。

 ち、かい。いつの間にか、目と鼻の先まで近づいてた。

 

「ん、どうかして……あ。ごめん」

「う、ううん。こっちこそ」

 

 前のめりの体を元に戻す。

 熱中しすぎて気づかないなんて。浮かれすぎは良くないぞ、私。

 

 これじゃ元の木阿弥だ。とりあえず、一旦コーヒーを……って、ほとんど残ってないじゃん。

 

「い、淹れ直してくるね」

「おっけー。いってらっしゃい」

 

 二重に気づいてなかった恥ずかしさで、立ち上がるのに勢いがつく。

 

 その矢先だった。

 

 つるっと音がして、視界がブレた。

 

「あわっ!?」

「ちょ、明石!?」

 

 やばっ、濡れた靴下が床に滑ってっ。ていうかこれ、後頭部からこけるっ……! 

 

「あっ、ぶないって!」

 

 ぎゅっと体を縮こまらせた時、強い力で肩を引き寄せられた。

 

 目まぐるしく変わる景色。

 程なくして軽い衝撃と一緒に、柔らかいもので体が受け止められる。

 

 その後、すぐ近くでかしゃんと何かが落ちた。

 

 

 

「「…………」」

 

 

 

 真上から視界いっぱいに飛び込んできたその顔に、目が釘付けられる。

 焦ったように引き攣った表情と、少しだけ乱れた息で、彩音は私のことを見下ろしてた。

 肩を掴んでいる右手は思ってたよりずっと大きくて。そこだけが、じんと強く熱を持っている。

 

 バクバクと、耳元で自分の心臓の音がうるさい。押し付けたコップ越しに胸が上下してるのがわかる。

 

 しんとした部屋が、痛いくらいにその全部を教えてきた。

 

 

 

 静けさを受け入れるがまま、十秒、二十秒と、考えもしなかった見つめ合いが続く。

 変わらずドキドキは収まらなくて、肩越しに伝わってしまうんじゃないかと不安がよぎった。

 

「いろ、ね……?」

「っ」

 

 そんな心持ちからか、何か込めたわけでもなくただこぼれ落ちたように名前を呼ぶ。

 すると、ようやく我に返ったようにハッとした彩音を見たことで、私もぼんやりしてる頭がはっきりした。

 

 

 

 そうして、最初に考えたのは一つ。

 

 

 

 ああ、もう。本当に全然上手くいかない。

 

 

 

 

 一体、どうして──

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ──どうして、こんなことに? 

 

 

 

 えっ、と……あ、そうだ。明石が足を滑らせて、助けようとした。でも自分の体で受け止めようとしたら、途端に恥ずかしくなったんだ。

 

 それで軌道修正したのが……こうなったのか。

 そっか。なるほど。

 うん、うん。

 

 

 

 ……いや、こっちのほうが圧倒的にやばくない? 

 

 

 

 度合いで言えば一発でレッドカード三枚喰らうレベル。

 何してんの僕? ほんと何してんの? ベタなラブコメじゃないんだぞ? 

 

 って違う。そんなことより、明石の様子を確かめないと。

 

「大丈夫? 怪我してない?」

「へ、平気……」

「ならよかった」

 

 駄目だこれ。完全に怖がらせちゃってる反応だ。

 早くこの姿勢をなんとかしないと。

 まずは明石の肩に回した方の手を抜いて──ッ。

 

「っつ」

「ど、どうしたの?」

「や、平気」

 

 誤魔化し笑いをして、刺すような痛みを発した右手を離す。

 流石に人ひとり片手でどうにかするのは無茶だった。別に明石があれとかじゃなくて、普通に筋力不足。

 

 肘置きに置いてた手も引いて腰を下ろす。

 少しして、明石が体を起こした。当然ながら距離はひとり分以上空いてる。

 

「その……ありがと」

「なんともなくて良かったよ」

「うん……」

 

 ………………気まずっ。

 何も起こすまいと誓ったのに。不可抗力とは言え、やらかした。

 これじゃあ音楽を聴いて時間潰すのも続けられない。

 

 

 

 てか、今のでスマホがどっかいった。

 それとなく床を探して……あ、あった。ちょうど明石との中間あたりに落ちてる。

 部屋の空気は重くなる一方。身動き取れなくなる前にさっさと取っちゃおう。

 

「ちょっとごめん」

「彩音、これ落ちて」

 

 あ。

 取ろうとしたら、横から伸びてきた手とがっつり触れてしまった。

 

「ごっ、ごめん!」

「こ、こっちこそ悪い」

「ど、どうぞ」

「あ、はい」

 

 ぽつねんと床に横たわった……僕が咄嗟に放り投げたんだけど……スマホを取る。

 そのまま持ち上げ、ッ、手首が。

 曲げた途端、再び主張したそれに指から力が抜ける。

 

 あわや滑り落ちるかという寸前、突然何かが僕の手ごと包んだ。

 

「っと」

「あ……明石」

「ねえ……もしかして手首痛めた?」

 

 どきっとした。なんでバレた? 

 

「や。ただ寒くて悴んだだけっていうか」

「はいはい。もう今日は彩音の冗談は真に受けないことにしたから」

「そんな、僕のアイデンティティが」

「安心しな、それはない」

 

 解せぬ。

 ハンバーガーみたいにされた僕の手とスマホが、膝の上まで運搬される。

 

「さっきのあれの……せいだよね」

「僕が勝手にしたことだし。気にしないで」

「そういうわけには。あ、湿布があるよ。待ってて」

 

 止める間も無く明石が立ち上がり、ゆっくりとした足取りでソファの対面にあるテレビの方へ行く。

 収納棚を探り、少しして戻ってきた。

 

「はい、右手出して。貼ってあげるから」

「そこまでのもんじゃ」

「いいから。さっさと出す」

「はい」

 

 有無を言わせない口調だった。おとなしく右手を差し出す。

 ぺりりとフィルムの剥がされた湿布がそこに巻かれてた。ちょっと冷たい。

 

「なんか、姉力が前より増してない?」

「そう? りんく達とユニットやりだしたからかな。ていうか姉力って」

「あー、三人ともキャラ濃いもんね」

 

 一度決めたら猪突猛進な愛本さん、こだわりの強い大鳴門さん、お嬢様っぽくてちょっと天然な渡月さん。

 明石は彼女達を上手くまとめてると思う。リーダーってよりは、やっぱりお姉さん的な意味で。

 

「ふふっ、彩音が弟だったら大変そうだなあ。夜更かししそうだもん」

「耳が痛いね。でもお互い様じゃない?」

「それもそうだね。よし、これで終わり」

「ありがとう」

 

 湿布をつけた手が解放され……され……されない。

 何故だか明石が僕の右手を握ったまま、離そうとしてくれないんですけど。

 

「えっと……まだ何かある?」

「あっ、ごめん。さっき弟がーって言ったじゃん。それで、やっぱりうちの子とは違うなって」

「高校生だしね。一応は」

 

 明石の弟さんって、前に聞いた話じゃ結構歳が離れてたよな。同じくらいに見られてないのは喜ぶべきか。

 照れ隠しをするように答えれば、明石は柔和な笑みを浮かべた。

 

「うん。男の子っていうより、ちゃんと男って感じ。しっかりしてる」

「っ」

 

 何か。心の中で、一瞬強い衝動が生まれた。

 さっき思考停止していた時、曖昧に感じていた謎の感情。

 

 自覚すると目の前の存在に手を伸ばしたくなるような、危なくて、でも無視できないもの。

 それが、口を突いて出る。

 

「彩音?」

「あか──」

「「ただいまー!」」

 

 っ!!? 

 

 びっくりした! 何!? 

 

 ソファの上で尻が跳ねて、弾かれたようにリビングの扉の方を振り返る。

 

「あ、お姉ちゃんの靴がある。あれ? こっちのは……」

「お姉ちゃーん! タオルー!」

「二人の声だ。帰ってきたみたい」

「そう、みたいだね」

「ごめん、ちょっと行ってくる」

「うん、お気になさらず」

 

 さっきと同じ、姉の顔になった明石は急ぎ足でリビングを出ていった。

 

 

 

 取り残された僕は、ぼんやりとその場で固まっている。

 が、ほんの束の間のこと。背もたれに頭を横から押し付けた。

 

「…………あっぶなかった…………」

 

 危うく、何か飛び出るとこだった。

 普段は意識もしない、普通じゃない感覚だった。

 

 どんなことを口にしようとしていたのか。それは今や僕自身でさえわからない。

 けど、もしあのままだったら……取り返しのつかないことを口走ってたに違いないという確信がある。

 

「自制しろよ、僕」

 

 今度は友達でいたいんだろ。

 だったらこの特別は……留めとくべきだ。深く、心の一番下あたりに。

 

 

 

 その後、明石の妹さんや弟さんと初顔合わせなどをした。

 男友達ってことでびっくりされたり、ちょっと勘ぐられたりされたけど、そこは割愛ってことで。

 

 弟さんとスマ○ラとかしてる間に服も乾いたので、明石家からお暇することとなった。

 

「よっと。じゃあ、色々と厄介になりました」

「全然。帰り、気をつけてね」

「雨もだいぶ弱まってるし、大丈夫」

 

 幸いにも少し強め程度に収まりつつあるし、これなら借りた傘で帰れる。

 

 靴だけは洗濯機に放り込めなかったのでグズグズのままだが、気にするほどのことでもない感じだ。

 

「今度、何か改めてお礼をするよ。できることがあったら言って」

「わかった。考えとくね」

「ん。さて、弟さんに再戦を申し込まれる前に退散するとしますか」

 

 めっちゃ盛り上がったからな。やはりゲ○ム&○ォッチは優秀。

 

 どこか名残惜しさを感じつつも踵を返し、玄関扉に手をかけ──不意に、左手が引っ張られる。

 

 後ろを振り向くと、一歩明石が踏み出していた。伸ばされた指の先には、まだ暖かい袖口が。

 

「その……また来てよ。いつか、もっとちゃんとさ」

「……いいの、それ?」

「だって、友達だろ」

「そっか。そしたら……いつかね」

「うん」

 

 満足したように口角を上げ、袖が自由にされる。

 

 そうして元の場所に戻った明石と、最後の言葉を交わした。

 

「またね。彩音」

「また今度な、明石」

 

 そうして僕は、明石家を後にした。

 

 

 

 勢いが減じたとはいえ、まだまだ雨の調子はすこぶる良い。

 

 今度は極力濡らさないよう、歩幅を小振りに歩いていった。

 

 その最中、ふと肩に芯を置いた傘を握る右手が映る。

 

「……またな、か」

 

 いつも繰り返す一言。ありふれた、普通の言葉。

 しかしあれ以来、僕らの間から失われたものでもあって。そして今日はまた繰り返すことができた。

 

 それはつまり、最終的にはなんとか乗り切れたってことになるんだろうか。

 

 あるいは、今日の出来事でまた何かが……

 

 湧いては消える、まるで地面に当たって砕けるこの雨粒みたいな思考。

 

 

 

 

「……とりあえず、輝に筋トレでも教わっとこうかな」

 

 

 

 やがて僕は、そんなことを呟いたのだった。

 

 

 

 





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