ちょっと時間がかかりましたが、二話です。
楽しんでいただけると嬉しいです。
夏の、とある日の朝だった。
誰もいない教室。
朝礼の40分も前なのだから、特におかしなことでもない。
「…………」
僕はつい先日席替えしたばかりの、窓際で後ろから三番目の席でぼうっとしていた。
机の上に置いたスマホからはイヤホンのコードが伸び、音楽が小さな寂しさを紛らわす。
その音に心を委ねながら、じわじわとセミの鳴き声が響く窓の外を眺めていた。
「……暇」
別に、普段から顔を見たらすぐに声をかけにいく程の友達はいない。
クラスメイトと普通に仲は良い。でもそれだけ。
なのに、家でそうしている時と学校の教室で一人きりの時というのはちょっと違う。
妙な孤独感と疎外感。
自分一人だけが取り残されて、時間が止まってしまったような不安が胸に渦巻く。
まあ、目が覚めたからと早く登校してしまった僕が悪いのだけど。
「うわー、やっぱり誰もいないよな……」
不意に、戸の開く音がした。
両耳を塞いでいても不思議と大きく響くもので、すぐに気がつく。
(って、いるじゃん。あれ、そういえば確かこの前の席替えで……)
先に来ている教師か、僕のように早く登校してきた誰かだろう。
後者だったらちょっと親近感が湧くな。
なんてことを頭の隅で考えながらも、早く退屈な学校生活が始まらないかと外を眺める。
やがて、泡のように軽いその思考が消えようかという時、椅子を引く音がした。
今度は、もっと近くで。
「……?」
隣を見る。
すると、そこには見覚えのあるクラスメイトの女子が座っていた。
名前は確か──明石さん、だっけ。
こちらを伺っていたのか、ばっちり目があった彼女は曖昧に笑う。
「お、おはよー」
「……おう、おはよ」
挨拶された。
失礼かなとイヤホンを片方外し、ぎこちのない会釈を一つ。
すると、明石さんはほっと安堵したようだった。
無視されるかと危惧していたのだろう。そこまで無愛想だろうか?
「水瀬くんも早く来ちゃった感じ?」
む、会話を続けてくるとは。
てっきり挨拶で終了かと思っていたのだが、話しかけられたなら続けた方がいいか。
「そんなとこ。昨日映画見てる間に寝落ちして、それだから少し早く目が覚めたっぽい」
「あー、あるあるそういう時。いつもより早く寝ると、なんでか早く起きちゃうんだよね」
「んで、家にいても何したらいいのか分かんなくて、こうしてる訳だ」
「分かる〜。数十分くらいだと持て余して、どうせならってなっちゃうよね」
まさにその通りだ。
朝のニュース番組なんて、家族の誰かが付けたら見るだけで、ずっと見続けはしない。
加えて、どうせなら誰もいない教室ってのを見てみたくなったのだ。
「最初は教室を独占したみたいな気持ちになるけど、思ったよりすぐ飽きるのな」
「ふふっ」
「ん、面白かったか?」
「ううん」
面白くなかったのか。ちょっとショック。
「でも、思ってたより話しやすいなって」
「……やっぱ無愛想って思われてる?」
「あははー……」
すーっと目を逸らされた。だいたい理解した。
むう。家族にも表情筋がやや死に気味と言われるが、そこまでか。
自分では普通のつもりなんだが。
なんて考えていた、その時だ。
突然スマホが振動した。机が震え、肘の位置が少しだけずれる。
その拍子に、トークアプリの通知を僕に知らせるため画面がオンになった。
「あれ……」
「ん、誰だろ」
手に取って開いてみる。
表示されたのは、兄貴から送られてきた一枚の写真だった。
段ボール箱に入った子猫の画像と、一緒に一言、〝拾った〟と。
ついでに箱を持っている女の人も写ってる。
……これを僕に送ってどうするんだ、兄よ。
「父さん達に、相談して、と」
「…………」
「? どうかしたか?」
「今聴いてるその曲ってさ、好きなの?」
「まあ、普通に」
この前動画アプリ漁ってたら、たまたまハマっってダウンロードしたやつだ。
どうしてそんなことを、と聞こうとした時にはすでに明石さんは自分のスマホを弄っていた。
首を傾げていると、彼女はちらちらとこちらを横目で伺ってから、遠慮がちにスマホの画面を見せてくる。
「じゃあ、これは?」
「あ、知ってる。関連動画で見た。それもいいよな」
「こっちは?」
「聴いた聴いた。サビのメロディーで足踏みしちゃったよ」
僕は気に入ったやつをテキトーに聴くタイプの人間だ。
このユニットのはどれも良い感じで、何曲か既に聴いていた。
「ていうかこれ、もしかしてアルバムごと買ってるのか?」
「うん。どれも凄い良くて、さ」
へえ、とか、ほぉ、とか感心して、僕はアルバムを眺める。
その間、小さな薄い板の向こう側に隠れた明石さんの顔がどんなだったのか、僕は知らなかった。
彼女が、少しだけ親しげに笑っていたことを。
「明石さんってさ、音楽聴くの好きなんだな」
「うん。水瀬くんもでしょ?」
「それなりにね。何かおおすすめのとかある? よかったら僕も教えるけど」
「じゃあこの──」
「とうちゃーく! 一番!」
「じゃないみたいよ」
揃って椅子から尻が浮き上がった。
二人きりだといつしか疑わなくなっていた教室に、新たなクラスメイトがやってくる。
ふと、窓の外からまばらな喧騒と足音が聞こえてくることに気がつく。
いつの間にか、皆がやってくるような時刻になっていたのだ。
「あれー? 明石さんと水瀬くんだ」
「二人とも早いわね」
「なになに? もしかして……」
「ち、違うよ! たまたま早く来て、教室で会っただけだって!」
ニヤリと意地の悪い笑顔で弄るクラスメイトに、慌てて明石さんは弁明する。
男である僕はなんとも言えなくなって、すると徐々に元の孤独感が戻ってくる。
まあ、こんなものか。
そう思いながらイヤホンを耳に戻そうとした、その時。
「また後で話そうね、水瀬くん」
内緒話をするように、耳元で囁かれた言葉。
暖かい吐息がくすぐったくて、僕は驚き振り返る。
すると、片目を瞑った明石さんが人差し指を唇に当て、微笑んでいた。
中学2年の夏。隣の席の女の子と話すようになった。
●◯●
「ふぅ……」
しっとりとした髪をタオルで拭きながら、ベッドに腰掛ける。
風呂上がりの体はまだ熱っていて、ジャージのチャックは全開。
エアコンをつけてようやく一息ついた。
「あぁ〜、涼しい〜」
風呂上がりのこの瞬間が一番いいんだよね〜。
……さて。
普段は体が冷めるのを待ってから、良さげな曲を探したり編曲したりするんだけど。
私は枕元に置きっぱなしにしていたスマホを手に取って、トークアプリを開いた。
そして、友達欄の一番上……最新のところにある名前を見る。
表示されている名前は、「水瀬彩音」。
特にもじったりあだ名風にしていない、彼らしい普通の名前。
「ふふっ」
その名前を見るだけで、どうしてか笑みがこぼれる。
水瀬。中学で一番仲の良かった男の子。
色々あって疎遠になっちゃったけど、つい数日前に偶然再会して、連絡先を交換した。
その経緯はまあ、今思い出すと恥ずかしかったけど。
「でも、嬉しかったなぁ」
また話したいって言ってくれた。
あんな縁の切れ方をしてしまったからこそ、その言葉がとても心に響いた。
進学を機に疎遠に。全然珍しいことじゃないし、仕方がないと私も思う。
でも、彼だけはそうなってほしくなかった。
「大切なものは失って初めて気付く。なんて、漫画の中だけの話かと思ってたのになぁ」
あれは仕方がないと割り切るには、納得できない出来事で。
どちらが悪いかと言われたら、きっと私も水瀬も悪かったし、悪くなかった。
互いに未成熟だった、心のすれ違いが原因だ。
けれど今、ここには新しい繋がりがある。だったらそれを有効に活用しないと。
しないと、いけないのだけど。
「なーんて思いながら、もう何日も経ってるんだよね〜……」
空いた片手を額にあてがい、ため息を吐いて自分の臆病さを呪う。
本当は社交辞令だったんじゃ? とか、もう心変わりしてしまったんじゃ? とか。
そんなことばかりがぐるぐる頭の中を巡って、もう三日目だ。
時間が経てば経つほど、興味を失われる可能性だって高くなるのに。
「でも、恥ずかしいし……」
怖い、と言い換えてもいい。
私ってこんなに臆病だったかな。もう少し決断力があると自負してたんだけど。
もしかして相手が水瀬だから、こんなに頭を悩ませて……?
「って、ないないない! そんなの水瀬も迷惑だろうし!」
初恋の相手への接し方に悩む乙女かっ。
…………あながち間違いでもないか。
「うう、いっそのこと水瀬の方から何か送ってくれればいいのに」
最終的に出てくるのが、そんな八つ当たりのような文句だ。
我ながら恥ずかしくて、両足を抱え込むようにしてベッドにころんと寝転がる。
私の方から連絡するって宣言した以上、それを求めるのは水瀬に失礼だ。
失礼だってわかってるけど……
「……水瀬の嘘つき。ヘタレ」
話したいって言ったくせに、なんて彼の顔を思い浮かべて拗ねるふりをする。
どうやら明石真秀は、私が知ってるより面倒くさい女の子らしい。
「水瀬からの連絡、来いっ」
ぴこんっ。
「嘘っ!?」
ほ、本当に来た!?
跳ねるように起き上がって画面を見ると──放送部の友達だった。
なんでも、昼の放送の担当が体調不良で休むので、代わりにやってくれないかというもの。
「だよねー。そんな都合いいこと起きないよねー……」
はあ、期待してバカみたいだ。
がっくりと肩を落としていると、またも通知音。
「はいはい、次は一体なんの連絡……」
水瀬彩音:夜遅くにごめん、水瀬だけど。明石で合ってる?
き、来たっ! 今度こそ!
「わっ、わっ、水瀬からだっ」
自分でもおかしなくらい、声と肩が弾む。
その拍子に落としかけた携帯を、なんとか手の中に引き戻した。
慎重にトークルームを開く。
「本当に水瀬だ……」
一目瞭然ではあるけれど、それでも何故か感動する。
っと、そうじゃなくて。
結局、水瀬の方がしびれを切らすまで待たせてしまったのだ。
ちょっと申し訳なくなりながら返信を打つ。
「合ってるよ。数日ぶり、と」
一言一句間違えのないことを確認、覚悟を決めての送信。
メッセージにはすぐに既読マークがついた。どうやらルームは開きっぱなしだったらしい。
水瀬彩音:良かった。こんな時間に迷惑かと思ったんだけど、一応こっちからも連絡しとこうと思って
「律儀だなぁ」
なんて完璧なタイミングだろう。
スマホを持つ手から、内心が読み取られてしまったのかなんて妄想をする。
まほ:そうなんだ、ありがとう。私こそごめん、連絡するって言ってたのに
水瀬彩音:あー、まあそういう事もあるって。気にしないで
まほ:言っておくけど、忘れてたわけじゃないからね
そこは勘違いされたくない。
色々と心構えとか覚悟とか、そう、準備をしていたんだ。
自分の臆病さにそんなラベルを貼り付ける。
水瀬からの印象が悪くなったらどうしようと、一抹の不安がよぎった。
水瀬彩音:別にそれでも文句言わないって(笑)
絶対すぐに連絡取らなきゃいけないってわけでもないんだし
「む……」
どういう意味で言ってるんだろう。
いや、きっと私の罪悪感を無くそうとしてくれているんだ。水瀬はそういうやつだ。
でも、「連絡してもしなくてもどっちでもいい」とも捉えてしまう私がいる。
水瀬彩音:でもまあ、返信してくれてよかった。気を遣わせたかなって思ってたからさ
「あ……」
同じこと考えてたんだ。
そう思った途端、胸の中にあるモヤモヤとした何かが消えていった。
それどころか、頬まで緩んでくる。
まほ:言ったでしょ、水瀬とまた話すようになるの嫌なわけないって
水瀬彩音:ん、さんきゅ
まほ:どういたしまして
ふふん、と胸を張るデフォルメされた動物のスタンプを送る。
本当に、これっぽっちも嫌じゃない。
昔の蟠りがあっても、それでもこうして話せることに楽しさと嬉しさだけを感じている。
やっぱり私は、まだ水瀬のことが……
「……ま、まあ、そこまで考えるのはいきすぎだよねっ」
誰にしてるのかわからない言い訳をしているうちに、新しく返信が返ってきた。
その内容に目を通して、また少し頬を緩ませながら返信する。
するとまた返答が来て、その繰り返し。
徐々にそのスピードは速くなってき、けれど私はこの時間がゆっくり流れていように感じる。
そうしてやりとりをするうち、夜は更けていった。
次回は彩音の学校生活。
読んでいただき、ありがとうございます。