どうか愛が伝わりますように。
とある地方の競馬場。
何でも今日はデビュー前のウマ娘達の選抜レースが行われるらしい。
と言っても大半は物見遊山の観客と有望な才能を持ったウマ娘をスカウトするために来たトレーナー達。
そんなビックイベントの中、欠伸をしながら気怠そうに会場に入る一人の男。顔立ちはそこそこ、服装は黒のジャケットにダメージ加工が入ったジーンズを履いており、如何にも今どきの若者といった印象だった。
男の名を黒野 回周。
彼もトレーナーであるのだが、ちょっとした訳ありな事情を持つ。
「(おい、来たぞ……)」 「(またウマ娘が……)」
「(死神が来たよ……)」 「(よくもあんな面して来れたな……)」
会場に入ると、黒野の方を見てコソコソと話す声がちらほら聞こえる。
主に彼を知っているトレーナー達からの声。
知ってか知らずか黒野は特に気にもせず、周りに人がいない観客席に座る。
「(さぁーて、活きのいい奴はいるかねぇ……)」
レースの前の準備運動をするウマ娘達を見る黒野。
デビュー前の新人、言わばまだ磨かれてないダイヤモンドを見つけに来たのだから、普段めんどくさがり屋の彼も真剣に一人一人を品定めしていた。
「(1番は……良くハムストリングが鍛えられているが、走り方が雑だ……
五番はフォームはいいが、スタミナがおろそかだな……
八番の肉体の仕上がりは下の中か……)」
少々……と言うか彼はいささか評価基準が少し高い。
多少の妥協こそはするが、その妥協するラインまでに達していない。
今行われた選抜レースで一着を取ったウマ娘ですら、評価基準では下の上と辛烈な評価を付けている。他のトレーナーならスカウトに行くかもしれないが、将来性を考えるのであればそこまでの実力ははっきりいってないだろう。
「(あの程度で、喜んでいるようじゃまだ甘いな……)」
黒野のトレーナー歴はそれなりに長い。
過去に大きな舞台に導いた実績もあるし、トレーナーとして名も良い意味でも悪い意味でも知れ渡っている。先程他のトレーナーが呟いていた死神というワードもその一つ。
まあ、本人はさして気にしてないから問題はないだろう。
「はぁ……帰るかぁ……」
品定めの結果は最悪と言える。
実力はあっても将来性が見えないウマ娘が多く、正直育てる気にもなれない。
少々理想が高いのかもしれないが、育てるのであれば育てがいのあるウマ娘がいい。
興味が薄れた黒野は席を立ち上がり、会場を後にしようと出入口に向かおうとした時だった。
「ん?何だ?」
本日行われる模擬レースは先程のレースで終わったはずなのだが、どうにも広場が騒がしい。
「おいおい!ナリタブライアンの野良レースやるってよ!しかもGI級のウマ娘と」
「野良レースねぇ…」
野良レース。
時折ウマ娘同士の間で行われる非公式の走り合い。特にデビュー前の新人が自身のアピールのためにすることも多いと聞くが、そんな場面に遭遇するとは思ってもみなかった。
それにしても黒野が気になったのは野良レースではなく、レースを行うウマ娘の方にある。
「ナリタブライアン…」
あの有名なビワハヤヒデの妹。
黒野も名前こそ聞いたことがあるが、姿を見るのは初めてだった。遠目から見つめているだけであったが、その時……黒野に電流が走る。
「(これは……凄いな……)」
彼女の周りから溢れ出る闘気。
ただそこに立っているだけなのに圧倒的なまでの風格で佇む姿。
デビュー前の新人とは思えない貫禄である。
間違いない。あれは正しく……
「怪物……」
新しい玩具を見つけた子供のように、屈託のない笑顔を浮かべる黒野。
正しく彼の求めていたダイヤモンドの原石。
千載一遇のビッグチャンスを逃したくはない。
「まっ、運に賭けますかね……」
そういうと黒野はジャケットの胸ポケットに手を入れ、中をまさぐる。取り出したのは何の変哲もない賽子。数字がない代わりに五つの面に負、一つの面のみに正と書かれているところ以外は。
そして賽子を降る。
くるくると宙を舞い、地面へと数度転がり停止した。
出た目は………
渇いている。
満たされない。
何をしても渇きだけが増していく。
あの夢を見た。
あの人の背を追う夢を。
満たされていたあの時の甘美な思い出を。
……だがそれらは泡沫に消える。
熱気に包まれる、トレーニングコース。
その中心に一人のウマ娘がいた。
名をナリタブライアン。
デビュー前の新人も新人。なのだが……デビュー前だというのに、まるで幾千の猛者のような風格を漂わせる程の闘気を纏っている。
他のウマ娘もその風格の余り、萎縮している者が多い。
それもそのはずだ。
ナリタブライアンのウワサの真実を目の当たりにしてしまったのだから。
「はァ……はァ……うっ……」
大きく息を切らしたウマ娘。
その表情は精気が抜けたかのように青白く、とてつもない恐怖を感じたような顔だった。
「…………」
そんな彼女と対照的に息一つ切らしておらず、静かに佇むナリタブライアン。
あのウマ娘があのような状態になっている原因は、言わずもがなブライアンにある。
と言っても互いの了承で行われたレースであるため、ブライアンに非は一切ない。寧ろ、己の実力を過信したあのウマ娘の自業自得でしかないのだから。
圧倒的なまでの才能。
GI級とも言われた実力を完膚なきまでに叩き潰された。
しかも年下のデビュー前のウマ娘に、一方的な蹂躙をされ、既にあのウマ娘の精神状態は普通ではなく、あの痴態を晒すほどにブライアンに恐怖していた。
「(またか……)」
幾度見た光景であろうか……。
どれだけ全力を尽くしても、色んな相手にレースを挑んでも……同じ光景しか見られない。
先程の盛り上がった会場の熱気は、ブライアンの圧倒的な走りによって不気味なまでに静まり返る。
そんな空気のままは彼女はコースから立ち去る。
「(……またこの結果か)」
絶望を等しく与える走り。
全力を尽くし、己の限界を超えて走りたいだけ。
ただそれだけなのに……。
(絶望)
ブライアンとのレースを終えたウマ娘達が浮かべる表情は変わらない。
「くそっ!」
自身がまた一つの灯を消してしまったことに腹が立った。
何度目か分からない。
暗闇に飲み込まれて様を見るのは……。
渇いている。
満たされていたいのに満たされないもどかしいこの気持ち。
逃げ場をなくしたこれをどう抑えられるのか。
あぁ……今日も変わらない。
本当の自分に嘘をつく日常に変わりはない。
また繰り返すだけだろう。
ブライアンはロッカールームに向かおうとした時だった。
「勿体ないね……実に勿体ない」
ブライアンの耳に響く一つの声。後ろを振り返り、声を発したであろう人物の目を見る。
黒いジャケットに、ダメージ加工が施されたジーンズを履いた若い男性。
「お前は?」
「黒野 回周
通りすがりのトレーナーだ」
スカウト目的だろう。
対応するのは面倒だ。
そう思ったブライアンは黒野を無視してロッカールームへと入ろうとする。
「渇いている」
ビクッと動きを止めるブライアン。
「お前の走りはたしかに凄い、だが満足が行く結果を出せずにいる」
図星であった。
的確に打ち込まれた言葉に思わず、歯ぎしりするブライアン。
イラつきからなのか、心情を当てられ悔しいのかは分からない。
「黙れ、さっさと消えろ」
キツめな口調で黒野に言うブライアン。
だが黒野はそんなのをお構いナシにとある提案をしてきたのだ。
「俺がお前の渇きをうるおせると言ったらどうする?」
寝耳に水とはまさにこの事を指すのだろう。
この男はなんと言った。
渇きに渇いている心を潤せるというのか?
嘘をついているようにも思えない。力強い眼差しで向かい合う二人。
「いいだろう……お前の言った事が虚言かどうかを確かめてやる」
「交渉成立ってことで……よろしく」
黒野は右手をブライアンの前に差し出す。
彼女もまた黒野へと右手を差し出し、握手を交わす。
これは最高のトレーナーと最強のウマ娘となる二人の物語の序章。
はてさてこの先どうなります事やら。
トレーナーとしては未熟なので、まだまだ知識不足ですがよろしくお願いいたします。