彼と始めて出会って、数か月の時間が経った。
結局、アタシはその後にトレーナーさんと契約……しかも専属契約まで結ぶことになって今に至る。
何回か、そこはかとなく、アタシをスカウトした理由を聞いてみたけど、上手く答えをぼかされてしまう。
なんとも釣れないトレーナーさんで。
誰もいない控室でボケっとしていると、こんこんとドアのノック音が聞こえた。
耳を傾けると、「入っても大丈夫ですか?」と声が聞こえる。トレーナーさんだ。
「どうぞどうぞ~」
「失礼します。調子は……」
「まぁまぁ、って所かな。うん、勝つよ、今日は」
今日──一月の中旬のまだまだ寒さが残る頃。
アタシ達は、京都レース場の舞台に立っていた。
若駒ステークス、右回り、2000m。OP戦なので重賞レースとかでは無いけど……緊張する。
理由は単純明快。このレースには、あのテイオーが出る。
しかも、テイオーのトレーナーさんに対して宣戦布告までしてしまった。
これは、みっともない走りなんか出来ない。
「さて、作戦はこの前伝えた通りで変更はありません。覚えてますか?」
「勿論。テイオーの後ろに……どれだけテイオーが逃げても、先行よりでマーク。スパートは最後の直線に入ったら。ある程度距離を離されなければ、アタシの末脚なら間に合う、だよね?」
トレーナーさんが「正解です」と手を叩いてくれたので、「うっし」と軽くガッツポーズを取る。
トレーナーさんはアタシの末脚を凄い評価してくれた。
彼曰く「この時期のウマ娘の上がり3ハロンにしては速い」との事。
実際タイムを見せてくれた時、思わず自分でも感心してしまった。
トレーナーさんはよく数字とか具体的な例を出してくれるから、成長の実感がしやすい。
自分の武器を理解してると、ネイチャさん的にも安心できるのだ。
軽く足首を回して、準備体操をしておく。
その場で跳ねて見たり、うろうろしてみたり。自分でも、落ち着きが無いと思う。
「さて、ネイチャさん。そろそろ時間ですよ。行きましょうか」
そんな事していたら、パドックへの入場時間になっていたみたいで、トレーナーさんから声をかけられる。
さて……いっちょやったりますか!
~~~~~~~~
控室からパドックに移動する為に、地下バ道を歩く。
コツコツと、蹄鉄と地面の触れる音がやたら響いた。
他に出走するウマ娘も移動していて、見るからに絶不調な子。調子な良さそうな子が見られる。
そこに現れる、見るからにきらきらしてるウマ娘が一人。
ぴょこぴょこ跳ねて、特徴的なポニーテールをゆらゆら揺らす。
────トウカイテイオーだ。
『さぁ、そろそろ始まります! 若駒ステークス、芝2000m! OP戦のこのレース、今日はどのような展開が見られるのでしょうか!』
アタシがいる場所にも、実況が聞こえる。
デビュー戦や未勝利戦で聞いたことのある、パドック入場の合図だ。
ゲートインする前にウマ娘は、パドックでお披露目回みたいなことを行う。
アタシはよくこれをする意味が分かんないけど、トレーナーさん側からすると結構ありがたいみたい。なんでも、その日のウマ娘を見る事が大事なんだとか。
『一番人気を紹介しましょう! ここまで無敗、トウカイテイオー! ファンからの人気もとても高い、注目のウマ娘です!』
先にパドックに入場したテイオーが上着を脱ぎ捨てたのか、わぁと観客の声がこっちまで聞こえた。
え、あの後にアタシが行くの……?
ちょっとへっぴり腰になってしまいそうだったけど、自分に鞭を打ってなんとか入場する。
『五番人気、ナイスネイチャです! パドックでの状態は良さそうなので、期待が高まります!』
ステージの上でばさっと上着を脱ぎ捨てて、なんとかパフォーマンス。
よし、落ち着けアタシ。落ち着けぇ。
観客に手を振って、なんとか冷静さを取り戻そうとする。
パドックでのパフォーマンスが終わったら、いよいよゲートインだ。
アタシは七枠七番。右回りのコースだから、どちらかと言うと外側スタート。
警戒すべきテイオーはなんと八枠八番の真横。これは、嬉しい誤算だった。
ターフを踏みしめて、ゲートの近くに移動する。
空を見ると、綺麗な青空。絶好のレース日和ですわ。
「やっほー! ネイチャ! 今日はいい天気だね!」
「……テイオー」
そんなアタシに声をかけてきた、きらきらウマ娘事、トウカイテイオー。
調子はどうみても絶好調。近くで見ると、本当に圧倒されちゃいそうですよ……全く。
でも、アタシ……今からこのテイオーに勝たなきゃいけないんだ。
「ねぇ、ネイチャ。ところでさ」
「何? テイオー」
「ボクのトレーナーに宣戦布告したってホント?」
「うん……まぁ、したよ」
「ふーん」
テイオーがアタシをじっと見てくる。まるで値踏みするような、鋭い目。
「まぁいいけどさ……」
彼女の纏う空気が変わる。ピリッと、電流を──雷を見たような気がした。
「そう簡単に勝てると思わないでよね」
冷たく、重いその言葉に、アタシの体が震えてしう。
ヤバい、逆鱗に触れた?
が、次の瞬間そのオーラはふっと消えて、いつものテイオーに戻る。
ほんの一瞬の出来事だったから、幻覚かと思ったほどだった。
気づいたら、アタシ以外のウマ娘が着々とゲートインを済ませていた。
「あっ、やばっ」
少し焦って、アタシもゲートインする。
ちょっと狭いこの空間、なんとかならんもんですかねぇ……
『ゲートイン完了。出走準備が整いました』
集中力を高めて、トレーナーさんに言われた指示を思い出す。
大丈夫……アタシはいける。練習の成果を出せば、勝てるはず。
──いや、勝つよ。
『京都レース場、芝2000m、若駒ステークス。今スタートしました! 各ウマ娘揃って綺麗な出だしを決めました!』
ガコンと音と共に、目の前のゲートが開かれた。
アタシはスタートダッシュを決めながら、隣のテイオーを確認する。
彼女は予想した通り、逃げの作戦を取って前に進んでいる。
うっし、作戦上手くいきそう。
が、テイオーの前に二人のウマ娘が立ちはだかる。
『おっとこれは大胆な行動! 二番のシンクルスルーがまさかの大逃げだ!』
ありゃま、これはちょっと聞いてない。
テイオーをマークしに来た感じなのかな……?
それを受けて、テイオーがなかなか前に行けずに苦しそうだ。
でもこれも、嬉しい誤算。
三番目の位置についてくれるなら、ネイチャさんはその後ろ、四番目について様子を伺いましょうかね。
ここまでは指示通り。後は、テイオーをマークしつつ直線まで足を溜める!
が、全く予想していない事が起こった。
『ここで、一番人気トウカイテイオー! 後ろに下がっていく! 失策、はたまた作戦か!?』
テイオーが逃げるのをやめて、するすると外側から後ろに下がっていく。
下がるのは良かった。が、下がる位置がおかしかった。
テイオーがアタシの視界から消える。
けど、場所は直ぐ分かった。
「っつ!」
なんでっ! テイオーは逃げのはず!
マークしようと思ったら、マークし返された!?
分かんない。分かんないけど。
後ろからの圧が凄くて、迂闊に動けない……!
誤算どころの騒ぎじゃない動きに、アタシの頭が混乱する。
と、とにかく、今は掛からないように走れ! アタシ!
なんとか前を向いて、今の位置を把握する。
前は、逃げが二人。アタシは多分三番目。結構差が離されちゃってるけど、レース序盤だしこれは大丈夫のはず。
『シンクルスルーがレースが先頭でレースを引っ張っている! これはこのまま逃げきってしまうのでしょうか!』
第二コーナーを通過して、直線に入る。
うぅ……やっぱり後ろのテイオーの動きが気になる。今だけ視野が360度になって欲しい。
意識が後ろに行きすぎないように気を付けつつ走っていると、逃げの子が徐々に垂れて来た。
ハイペースで飛ばしすぎたっぽい? うん、これは大丈夫。全然予想通りなんだけど……
『おっとここで、ナイスネイチャが先頭にたった! 流石に大逃げは厳しかったか!?』
直線を通過して、第三コーナーに入りかかるころには逃げ二人はすっかり失速して、アタシが先頭に立ってしまった。
こ、これペース配分守れてるよね? あぁ、もう!
どこに向けたか分からない文句を心の中で吐き捨てつつ、今の状況をもう一度整理する。
アタシが先頭、多分後ろにまだテイオーがいる。隣にはスタミナ切れで下がって来た、逃げが二人。四人の差はほとんど無い状況。
そろそろ最終コーナー。なんとか、スタミナを残してここまで来れた。これなら最後の直線で末脚を使えるはず!
ここで、彼女が動いた。
「いっくよー!」
真後ろで、強くターフを蹴る音が聞こえる。
テイオーがスパートをかけたんだ。私の後ろにいたテイオーが、するすると抜け出して、アタシの前に立つ。
来たっ……! 今まで想定外の事態ばっかで振り回されたけど、これなら──
『ウマ娘達が第四コーナーを通過して最後の直線に向かいます! 現在、先頭はトウカイテイオー! 次にナイスネイチャ。既に二バ身ほどの差が離れていますが間に合うか!』
──いけるっ!
最後の直線に入った瞬間、思いっきり足に力を込めて加速した。
トレーナーさんが褒めてくれた、アタシの末脚。アタシの武器。
『ナイスネイチャが上がって来る! トウカイテイオー譲らないか! さぁ! レースも終盤、最後の競り合いが続いて──』
全速力で駆け上がり、テイオーを目指す。
後で思えばだけど、この時のアタシは掛かってたと思う。気持ちが先行しちゃって、いつもよりハイペースで末脚を使ってた。
その時は、追い付いて抜かす事だけ考えてて頭回らなかったけど。
風の音が耳を貫く。息するのは辛いし、足は痛い。
多分、今アタシが走れてるのは執念があるから。
テイオーに勝てる! もっと足を回せ! 追い抜け!
今の全力を出した。全てを出し切って走った。
たった「一瞬」、テイオーの隣に並んだ。
本当に「一瞬」だった。
『──つ、続かない!? トウカイテイオーここでまた加速!? ナイスネイチャとの距離を広げていく!』
テイオーが、また加速した。
彼女の体が下に沈んで、跳ねる。この走りを、アタシは知っている。
選抜レースの時に見た、あの走りだ。
「あっ……」
光に、目がやられた気がした。
レース中の高揚感が一気に覚めて、思考がクリアになっていく。
それと同時に、足がガクッと沈んだ。自分でも分かった、スタミナ切れだ。
『トウカイテイオー、速い速い! 後ろをぐんぐん突き放してリードを開いていく! ナイスネイチャはここまでか!』
足が前に進まない。その事実を認識するのに、そんなに時間は要らなかった。
アタシが減速するのもあったけど、テイオーが加速したのもあって、更に差が開いていく。
──やっと伸ばした手は、まだ届かない。
『トウカイテイオーが今一着でゴールイン! 約三バ身差、二着にイルデサタン! その次にナイスネイチャがゴールしました!』
結局、もう一人の子にも抜かされて、アタシは三着という結果に落ち着いてしまった。
~~~~~~~~
疲労が溜まって重くなった足を引きずりながら、なんとか控室に戻る。
いつもよりも暗く見える地下バ道は、恐ろしいくらい音が反響していた。
ドアを開けて部屋に入ると、トレーナーさんが座って待っていた。
「お疲れ様です、ナイスネイチャさん」
「……うん」
挨拶だけ済ませると、お互いに黙ってしまう。
どちらも何かを伝えたい、そんな空気。
沈黙を先に破ったのは、トレーナーさんの方だった。
「……すみません。今回は私の指示ミスです。ネイチャさんを混乱させてしまいました。」
「アタシも、最後焦って……掛かっちゃったぽくて……ごめんなさい」
「お互い様……でしょうか」
「ですねぇ……はい」
今回のレースは想定外の事が起きすぎた。
アタシも、トレーナーさんも。今回はテイオーとスターさんにやられたって事かな……
「次です……」
「へ?」
トレーナーさんがぼそっと何かを呟いた。彼が、アタシの目を見て口を開く。
「今回はやられました。それは揺るがない事実です。なら、次は勝ちましょう。まだリベンジの機会はあります。それに──」
トレーナーさんが少し微笑みながら、アタシを見てくる。
はて、ネイチャさんに何かついてたりしますかね?
「──ネイチャさんも、悔しそうな顔してます」
「……」
無意識にそんな表情をしてたんだ。トレーナーさんに言われるまで、気付かなかった。
目を瞑って、息を吸い込む。
拳をぎゅっと握りしめて、アタシは今の感情を全て吐き出した。
「ああああああ!!! 悔しい!!! すっごい悔しい!!! だから──」
アタシだって、こんな所で終わりたくない。
「──次は勝ちたい。トレーナーさん」
「えぇ、勝ちましょう。私は、ネイチャさんを全力で支えますよ」
~~~~~~~~
インスタントの飲み物は、なんか粉が最後まで溶け切って無い事が多い気がする。
今回もその例外に漏れず、ココアの粉が少しだけ底に溜まっていた。
コップを回し、中に残った液体をなんとか溶かそうとして、最後の一口を流し込む。
時間が経ってぬるくなったココアは、舌に甘みだけを残していった。
「そう言えば、前から思っていたのですが」
夢の話をし終えて、アタシが喋り終えた直後、トレーナーさんが一つ質問をしてきた。
「ネイチャさんがよく言う、きらきらウマ娘、って何ですか?」
「あー……」
きらきらウマ娘。
別に本人が発光して輝いているとかじゃないけど、なんて言うかこう。夢に向かって走ってるウマ娘、みたいな? アタシでもなんか説明するのが難しい。
でもよく他の子見てると、眩しってなるんですよねぇ。
「なんかテイオーみたいな……輝いてる一等星みたいな? アタシはいいとこ三等星ですよ」
アタシは自分の悪い癖で、ちょっと紗に構えたような返事をしてしまう。
そうしたら、トレーナーさんが「ふむ……」と呟いた。
「……ネイチャさんは一等星と三等星の違い分かりますか?」
「え? ……うーん、星の輝きの差かな?」
「その星々の明るさによる違いもありますが、実は地球からどれだけ離れているかも関わってます」
確かにそりゃそうか。
どれだけ輝いていても、離れすぎたら見えなくなる。
えーっと、つまり?
「三等星だって近くで見れば、一等星に負けない輝きを持っているかもしれません。それこそ、ネイチャさんみたいに」
「げっほ! げっほ、へぇっぐ!」
また変な所から爆弾が飛んできて、いつぞやみたいに思いっきりむせてしまう。
こ、このトレーナーさんは……
「その点、私は幸運ですね。ネイチャさんという星を独占出来てるんですから」
「トレーナーさんやい。それ、本気で言ってる?」
「えぇ、本気ですよ」
にっこりと、いい笑顔でそう言われる。
何故か、トレーナーさんはやたらアタシをからかってくる時がある。
乙女の情緒をなんだと思ってるんですかね……?
「ところで、ネイチャさん。私の夢も聞いて貰っていいですか?」
「トレーナーさんの? いいですよー 是非、聞かせて下さいな」
トレーナーさんの夢か。なんだろう。そういえば、聞いた事が無い気がする。
「私の夢は────ネイチャさんの夢が叶う事ですよ」
きらきら光る、綺麗な星々。
上を見上げると、蒼白い星だったり、紫の星だったり。
色んな色に、輝く星がいっぱい。
アタシはそれを眺めて、仰いで。
素敵だなぁ、なんて。
そんな、ありきたりな感想を呟いて。
手を伸ばす。
まだその星に、手は届かないけど。
届かないなら、走ればいい。
走ればいつかきっと、星に辿り着くはずだから。