季節は春になり、どこからか暖かい風が流れ込んでくる今の時期。
トレセン学園のウマ娘に「四月といえば?」と聞くと、十中八九「皐月賞!」と返ってくるだろう。
クラシック級最初のG1レース。世間は走るウマ娘に夢を託し「クラシック三冠ウマ娘」が生まれるのを、今か今かと待ち望んでいるのだ。
そんな「夢」に挑戦し──更に無敗の三冠になろうとしているウマ娘が、またここに一人。
「蹄鉄よし…… 勝負服よし…… ボクの準備もよし!」
「調子よさそうだな」
「もちろん! ボクにとって最初のG1レース、ワクワクしっぱなしだよ!」
中山レース場の選手控室で、「無敗の三冠」の夢に挑むウマ娘がストレッチをしながら俺の話を聞いている。
白と青を基調にし、赤いマントを携えた勝負服と共に揺れるポニーテール。
いつも以上に元気な俺の担当ウマ娘──トウカイテイオーがそこにいた。
今日は皐月賞当日。
今までのOP戦とは違った緊張感が、肌を刺激する。それは控室に移動するまでにも感じられたのだが、彼女が気にしている様子はなかった。
他のウマ娘とすれ違うたびに、ピリピリとしたプレッシャーを浴びせられ、俺のほうが少し疲れたんだが……
そんなテイオーが、股を大きく開いて胸をペタンと床につけながら俺に質問してきた。
「……ところでトレーナー、今日の作戦ホントにこれでいいの?」
「ん? あぁ、作戦は昨日に伝えた通りでいいぞ」
「ふーん。まぁトレーナーが言うなら大丈夫だと思うけどさ」
彼女がどこか納得したような返事をして頷く。その後、「よっ」と呟きながらストレッチをやめて立ち上がった。
それもそうか。俺がテイオーに指示したことは、正直自分でも作戦とは言いにくい。
だが、勿論意味無く指示したわけじゃない。テイオーなら、これで十分だと。信頼を寄せた上での作戦だ。
「じゃあ、そろそろ行くか」
「うん! ボクのレース、しっかり見ててよね!」
部屋の時計の針に目を向けると、パドックへの入場時間に近づいている。
俺達はドアを開けて控室を後にし、地下バ道に出た。春先だが少しひんやりとした風が吹き通り、キュッと身が引き締まる。そこにコツンと、蹄鉄が床を叩く金属音が反響した。
「いってらっしゃい、テイオー」
「いってきます! トレーナー!」
テイオーの元気な声が全体に響き渡り、ピースサインを俺に向けてくる。
いつものルーティンである「挨拶」をして、俺はテイオーを見送った。
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中山レース場の収容人数は十五万人を超えると言われており、日本有数の大きさを誇る。
その為、多くの観客が訪れても基本は席に座れないなんてことは無いが、今日は違う。
G1レース、皐月賞が開催されるということで、辺りは人とウマ娘だらけ。いったいどこからこれほどの人が集まったんだ、と思ってしまうほどの人口密度だ。
となると、「音」の面でもかなりの大きさを誇っている。がやがやとOP戦とは比べものにならないくらいの騒音が、四方八方から聞こえなかなかに耳が痛い。
地下バ道を通って外に出た俺は、予約していた関係者席に移動していた。
ここまで混んでいると、普通に座る場所を探すだけでも一苦労だな……
俺はトレーナーだから会場のいい位置からレースを見れるが、普通に見に来た時の苦労は想像したくない。
思えば、G1レースが開催されるタイミングでレース場に来たのは初めてか。肌からひしひしとその大きさを感じ取れる。
人の間を縫いながら、なんとか予約した席に付き腰を下ろした。
ただでさえ人混みに慣れていないのに、トレセン学園以上の規模に酔ってしまいそうだ。
「あら、やっといらっしゃいましたか」
凛とした声が隣の席から聞こえる。
視線を横に向けると、綺麗な葦毛のロングの髪にキリッとした目つき。高貴な雰囲気を醸し出している彼女は、まごうこと無きメジロ家の令嬢。トウカイテイオーの友達でもある、メジロマックイーンが椅子に腰を下ろしていた。
……両手にりんご飴を持ちながら。
「マックイーン……大丈夫なのか?」
「カロリーのことでしたら大丈夫ですわ! トレーナーさんから許可をいただきましたし!」
俺はどちらかというと、威厳とかそっちが心配だな……
真剣な表情でりんご飴を齧るマックイーンを横目に、パドックのほうに目を向ける。
そこでは係員の人がせわしなく動きながら、ステージの準備をしていた。
勝負服でのパドック入場を生で見るのは初めてだから、かなり楽しみだ。
「……ところで、私がここに呼ばれた理由をそろそろ聞かせて下さいませんか?」
リンゴ飴を白い歯でがりがりと齧りながら、マックイーンが俺に問いかけてきた。
「質問に答える代わりに、関係者席でテイオーのレースを見ていい……と言われましたが、肝心の質問の内容を貴方から聞いていませんわ。何を企んでいますの?」
「いや企むとかそういうのは無くてな…… 単純に気になったことがあってな」
今回、マックイーンをこの席に呼んだのは俺だ。本来であれば、特に関わりのないマックイーンはここには来れない。だが、俺の権限を活かして彼女をここに座って貰うことに成功したのだ。
この話を持ち掛けたときに、彼女は少々疑うような顔を見せたが、関係者席ほどいい位置で生のレースも見れないと思ってくれたのか、なんとか許可を貰えた。
「俺が気になったのは……マックイーン。なんで皐月賞に出走しなかった?」
「……あぁ、そのことですの?」
彼女が、少し気が抜けたような返事をする。
メジロマックイーンは、既にG1レースであるホープフルステークスで勝利しているウマ娘である。
実力を見れば、間違いなくクラシック級の中でトップクラス。皐月賞への出走権利はホープフルの勝利で十分のはず。
その理由が分からず、今回交換条件の質問として持ちかけた、という訳だ。
「そうですわね…… メジロ家が天皇賞の連覇を狙っている。という話は聞いたことありまして?」
「あぁ…… マックイーンがそれを目標にしているとまでは聞いたことはあるな」
「なら話は早いですわね」
彼女が持っていた飴を全て口の中に納め、こくりとのど元を動かす。そして、りんご飴のせいで赤くなった舌で口元を拭うと、ゆっくりと口を開いて答え始めた。
「……私の目標は天皇賞秋と天皇賞春の制覇で、クラシック三冠では無いですから。特に天皇賞春は距離3200mと国内G1レースで一番長いですわ。ステイヤーの私ですら長いと感じる距離」
「……つまり、皐月賞をスルーしたのはシニアまで見据えているからか?」
マックイーンが苦笑しながら、「察しがよくて助かりますわ」と呟く。
なるほど…… 皐月賞は距離2000m。ステイヤーとしての力を今鍛えてると考えるならば、ここでクラシックG1に挑戦するのは悪手かもしれない。
「正解ですわ、スターさん。自分のステイヤーの力を養うために、今は無理してG1レースに出るべきでは無いと。そういう判断をトレーナーさんといたしましたわ。それに、皐月賞に勝ってしまったら三冠を期待されてしまうでしょう?」
「……大した自信だな?」
「あら、テイオー相手でも勝ちますわよ?」
「うちのテイオーは強いぞ」
「ふふ、知ってますわ」
もしメジロマックイーンが皐月賞に出ていたとしたら、俺が最も警戒したのは彼女だった。
生粋のステイヤーと言いながら、その正体は無尽蔵のスタミナの貯蔵庫。持ち前のスタミナを活かしスパートを早める戦法を取れば、中距離も早いタイムで走り切れるだろう。実際に2000mのホープフルステークスを勝っているのが、何よりの証だ。
「あともう一つ…… これはあんまり他の人には伝えていないのですが」
彼女が唐突に立ち上がり、柵に手をかけた。その紫色の目は、どこか遠くを見ているようで──
「……この世界には3200mより長いレースがあるようですわね」
「海外のレースでは4000mとかもあるらしいな。それがいったい……?」
「私が海外レースで勝利したら、メジロの名を世界に広めることが出来る。メジロの名を世界に羽ばたかせられる。……これが私の最終目標ですわ」
彼女がくるりと回り、俺と向き合う形を取るとこちらの目をじっと見つめてくる。
紫色に輝く目は純粋で──迷いが全く無かった。
正直、驚いた。天皇賞連覇だけで無く、更にその先のことまで見ているのか。
まるで長距離を走るかのように、盛大で長いスケジュールを立てているのが分かる。マックイーンがステイヤーというもあるのだろうか。
これを支えている彼女のトレーナーも、かなりの理解があって寄り添っていると考えられる。
……テイオーは菊花賞にはマックイーンが出ると言っていた。
今回の話を聞く限り、3000mの長距離に分類されるG1を出ない理由はないだろう。
──このままで彼女に勝てるのか?
何かを。何か、それまでに掴めればいいが……
「いや……」
不安になっていっても仕方ない。
今俺が出来ることを精一杯やって、テイオーを支えるだけだ。
うちのテイオーは「最強」になる。絶対勝てるさ。
『さぁ! たいへんお待たせ致しました! 本日のメインレース皐月賞! 芝コース2000m、18人で争われます!』
会場内に設置されたスピーカーから、実況の声が聞こえる。この会場に負けないくらいの、熱意の入った声だ。
マックイーンとの話を中断し、関係者席の正面にある画面に映るパドックに目を向けた。
『まず一番人気を紹介しましょう! 8枠18番トウカイテイオー!!!』
テイオーがパドックの入り口から、落ち着いた調子で入場してくる。ゆっくりと歩いて中央につくと、ばさりと上着を投げ捨てるパフォーマンスをし、観客に勝負服姿を披露した。
その瞬間、会場全体からわっと歓声が上がり空気が震える。一番人気ということもあり、テイオーを応援しに来た人も会場には多いのだろう。トレーナーとしてはありがたい限りだ。
『ここまで無敗の四戦四勝! この皐月賞に勝利すれば、無敗の三冠伝説への切符を得る事が出来ます!』
「テイオーの調子は良さそうですわね……」
「今日の為に色々と調整してきたからな。疲労とかも残らないように」
「えぇ。ですが……」
隣の席からぽそりと声が聞こえる。
何かと思って見ると、どこか呆れたように彼女が目を細めて肩を落としていた。
「G1なのに全く緊張感が見えないの、逆に凄いと思いますわ……」
そんな彼女の言葉通り、テイオーはステージの上でくるりと一回転してビシッとポーズを決めると、観客席の──俺のいるほうに手をぶんぶん振ってきた。
……まぁいつものテイオーだな。
そのまま決められた時間までアピールすると、次のウマ娘の為に一旦ステージから降りる。
その足取りは軽そうだった。
『次のウマ娘を紹介しましょう。次は5枠11番─』
俺は一旦パドックを見るのをやめ、コースのほうに目を向ける。
芝が青々と輝いており、馬場状態は良といったところだろうか。天気は晴れて空も青く、気温も地下バ道とは違って暖かい。まさに絶好のレース日和だろう。
テイオーが能力を発揮するのに、十分すぎる環境だ。
「ところで、少し質問なのですが…… 今回、スターさんが一番注目しているウマ娘とかいらっしゃいますか?」
「俺が? そうだな……」
テイオーと答えようとした矢先マックイーンに「勿論テイオー以外で、ですわよ」と付け加えられてしまい、少し考える。
今回の作戦の関係上、テイオーには特にこれと言って伝えて無かったが……
皐月賞は圧倒的にデータが少ない中でのレース。これだけの情報だけで判断するのは危険というか、ほとんど勘になってしまうところが大きい。
それでも自分の目と得た情報、更に今行われているパドック入場を見て警戒するとしたら──
「……レグルスナムカかなぁ」
「理由をお伺いしても?」
「トレーナーとしての勘としか……」
まぁトレーナーになって、一年とちょっとしか経って無いけどな。
俺が注目したレグルスナムカは、聞いただけだと15番人気というどこかパッとしないウマ娘だ。だが、人気がそのまま実力に直結するわけではない。クラシック最初のG1レースだと尚更。
パドックを見てみると、鹿毛のセミロングヘアに和服をモチーフにした勝負服を着たウマ娘が立っているのが見えた。集中しているのか、周りの様子を特に気にもせず、ぴりっとした雰囲気を醸し出しているのが分かる。
『さぁ、本バ場入場です! 誰が勝ってもおかしくない、クラシックレース最初のG1レースが幕を開けます!』
パドックでのお披露目が終わり、ウマ娘達が本バ場入場のために移動し始めた。
18人のウマ娘達が順番にゲートインしていく。テイオーは今回は8枠……右回りのため一番外枠だ。
『各ウマ娘ゲートイン完了。出走の準備が整いました』
「いよいよ……ですわね。テイオーの走り、見させていただきますわ」
「あぁ、期待してくれていいぞ」
『中山レース場、芝、2000m、G1レース皐月賞──』
ゆうに10万人を超える観客がウマ娘達を見守る中で、静寂が訪れる。
その一瞬、テイオーと目があったような気がした。
ターフと観客席。遠く離れていても、彼女の覚悟が伝わってくる。
なら俺は想いを託して、テイオーを信じるだけだ。
『──今スタートしました!』
ガコンと聞きなれた音と共にゲートが開かれ、一斉に勝負服のウマ娘達がスタートした。
観客席が音を思い出したかのように、歓声が一気に湧き上がる。
『ヒノキヤネカグラ、トウカイテイオー共に好スタートを見せています!』
「いいスタートですわね。今までのテイオーを考えると、逃げで先頭争い……でしょうか?」
「いや、今回は違うっぽいな」
スタート直後のウマ娘達が、各々脚質に合わせたポジション取りを始めるのが見える。
若駒ステークスで逃げを見せたシンクルスルーを筆頭に、四人の逃げウマ娘が先争いを始めた。が、その中にテイオーはいない。
『先頭争いする逃げウマ娘達から約二バ身差離れて、トウカイテイオーを中心とした五人のウマ娘達の集団が、五番手争いをしています!』
「あら……今回は前寄りの先行策ということですか」
テイオーは実況の通り、逃げウマ娘達から離れて先行で位置取り争いをしている。
第一コーナーを通過し、第二コーナーに向かうまでに、既にほとんどのウマ娘達がポジション取りを完了しており、大きな流れもないままレースが続く。
逃げ、先行、差し、追い込みの集団が二バ身差程度離れて纏まっている状態だ。
「なるほど……テイオーは先行にしたか」
「なるほどって…… スターさんが指示したことですわよね?」
「今回のテイオーに言った作戦は『楽しく好きに走れ』だ。ポジションも全部テイオーに任せたよ」
「へぇ…… へ? 今なんておっしゃいました?」
信じられ無いと訴えるような声が聞こえたので、マックイーンを見てみるとぽかんと小さな口を開けて固まっていた。
そう、今回指示した作戦とも言えないというのはこれが全てだ。
何も考え無しに指示したわけじゃない。
今までテイオーのレースは、俺の作戦通りに走ってくれていた。
つまり、一度たりとも「本来のテイオーの走り」を見せていない。
テイオーは本来の脚質は先行…… 今まで逃げだった
走ってるウマ娘達は混乱するだろう。
ただでさえ、レースというのは頭を使う。考えれば考えるほど、走りとは違った場面でスタミナが消費されるのだ。
だから、今回あえて俺はテイオーを好きに走らせている。まぁ……テイオーもなんとなく気付いていそうではあったけどな。
『さぁ、第二コーナーを通過してバックストレッチに入ります! 残り約1000m。ビフォーミーが先頭。その二バ身差後ろをシンクルスルーが追走しています!』
残り1000mを経過し、テイオーは外側の五番目の位置くらいにいた。
内側に入り込んでしまうとブロックされ、抜け出しにくくなる場合があるが外側ならその心配もない。その分少し距離も伸びてしまうが、彼女ならほぼ誤差だろう。
「いい位置にいますわね。前も見渡せて自分の場所も分かりやすい、私でもあの位置を真っ先に狙いますわ」
マックイーンのお褒めの言葉通り、今のテイオーのいる場所は絶好のポジションだ。
周りのウマ娘達は、先頭の逃げに引っ張られるということにはなっていなさそうだが、テイオーの予想外の動きで無駄に警戒しているのだろう。
今この場で彼女を警戒していないのは、テイオー自身だけ。
その結果、周囲のウマ娘たちの視線や耳がせわしなく動いている。先行と逃げのウマ娘達のペースはもうガタガタになっているはずだ。
……となると警戒するべきは後方のウマ娘たちになるが。
『第三コーナーを通過して残り600m、勝負所に差し掛かります! 後続からヒノキヤネカグラがバ群に突っ込んで上がって来る! 更にサクラコンゴオーにレグルスナムカもあがってきた!』
「さて……じゃあそろそろかな」
『おっとここでトウカイテイオーも動いた! シンクルスルーを交わして一気に先頭に立つ!」
テイオーの体が少し沈んで、跳ねた。差しが仕掛けて来たタイミングで、テイオーもスパートをかけたのだ。その勢いのまま、彼女が先頭を奪い取った。
逃げの脚質を体感したテイオーにとって、逃げが一番辛いタイミングに差しが仕掛けてきそうなタイミングはよく分っている。
「スターさん。指示していないはずのに、作戦通りみたいな顔をしていますわよ」
「テイオーならここでスパートをかける、ここのポジション取るとかなんとなく分かるからな。それも見こして好きに走らせた」
「……それは凄い信頼関係ですわね」
テイオーの走法も脚質も、一番俺が理解しているつもりだ。
それに合わせて作戦を立ててきたつもりだし、OP戦から布石を打ってきた。
これが噛みあっている今なら……俺達は絶対に負けない。
『第四コーナーをカーブして残り400m! 横一直線にシンクルスルー、トウカイテイオー、サクラヤマトオー、レグルスナムカが並ぶ! さぁ中山の直線は短いぞ! 後ろの子達は間に合うか!?』
「差しのウマ娘達が上がってきましたわね…… これは、テイオーも辛そうですわ」
先行策を取っていたテイオーに差しのウマ娘達が並ぶ。これだけ見ると、足をしっかり溜めれていた差し側が有利にも見えるが……
こっちはまだ
中山レース場、最後の直線の約200mには急勾配の坂が存在する。
高低差2.4mの急坂が、スタミナ切れのウマ娘達に牙をむくのだ。しかもこの坂は、中央国内レース場の中で最高の勾配度を誇っている。
これがスタート直後とゴール直前の二回も襲いかかってきてしまう。皐月賞は2000mといいながら、かなりのスタミナが要求されるのだ。
ならスタミナさえあれば坂を攻略出来るのか、というとそういう訳でもない。
一番大切なのは「坂の登り方」だ。
いかにスタミナを使わず、早く急な坂を登り切れるか。これが中山レース場を攻略する上での鍵になる。
このクラシック期の最初の頃に、そんな器用に走り方を切り替えられるウマ娘がいるとは考えにくい。
トウカイテイオーを除いてだが。
『残り200m! ここでウマ娘達がラストスパートをかける! 誰が一着になるのか、まだ分かりません!』
先頭集団がテイオーを含めて四人。恐らくこの集団が首位争いをすることになるだろう。
各ウマ娘達がスパートをかけ、問題の坂に突入していく。
瞬間、テイオーの体が更に深く沈み姿勢が前かがみになった。体重を足全体にかけて、その反動で加速し走り始める。
「走る」というよりも「跳ねる」と言ったほうが正しいかもしれない。彼女だけが使える奥の手。
「テイオー、坂に入ったのに全く速度が落ちていませんわ!?」
「よっし! さすがテイオー!」
マックイーンがその走りを見て驚嘆の声を漏らすと同時に、俺も思わずテンションが上がった声を出してしまう。
奥の手──「テイオーステップ」と呼んでいるそれは、歩幅が小さい「ピッチ走法」で「ストライド走法」なみの距離を稼ぐ走法だ。
坂での走り方において、歩幅を小さくして走る「ピッチ走法」は有効である。
普通のウマ娘がそれに気づいて実践しても、走りやすくはなるが劇的に速度があがる訳ではない。
しかし、「テイオーステップ」は加速する。彼女本来の走り方に戻しただけなのに関わらず。
問題点をあげるとしたら足へのダメージが大きいことと、スタミナ消費が普通の走り方より大きい点だ。
しかし、それは前回の若駒ステークスで把握した。走り方の切り替えも、テイオーステップを使うタイミングも練習した彼女にとって、この坂は苦でもなんでも無い。
その証拠に──
『トウカイテイオー! トウカイテイオー、堂々先頭! 追いかける子は一バ身後ろか!』
「これはなんというか……圧倒的ですわね……」
坂であるのに関わらず減速せずに走ってきたテイオーが、足を溜めていたはずの差しのウマ娘との距離を開いていく。
こうなったらもう誰も、この
走っている彼女の顔は、観客席から見てもまるで星のようにキラキラと輝いていた。
レースが楽しくて仕方がないのが伝わってくる、俺の大好きな表情。
『トウカイテイオー抜かせない! トウカイテイオー強い! トウカイテイオー、今ゴールイーン!』
テイオーが今ゴール版を一着で通過した。二着との差はおそらく一バ身。
圧勝では無いが、それでも彼女の勝利は見ている人々を魅了するものだった。
テイオーがゴールして、今年の皐月賞のレースが終わりを告げると同時に、会場全体が震えるほどの轟音が耳を貫く。ビリビリと震える空気を肌で、自分の耳で帽子越しに体感しつつ、ふぅと息をついた。
「良かった……」
大きく息を吐き出し、彼女が無事に走り切れたことに安堵していると、テイオーが観客席にいる俺のほうを見てきた。少し離れているが、自然と目が合う。
彼女がこくんと首を縦に振って頷くと、右手を上にビシッと掲げた。
人差し指を突き出し、他は握る──「数字の1」を示したその手は、皐月賞が一冠目であることを意味しているのだろう。
そのパフォーマンスは、レース場の熱に燃料を追加し燃え続ける。
全く……テイオーらしいな。
「お見事……ですわね」
隣の席のマックイーンが、素直にテイオーを賞賛してくれた。
あくまで控えめに手を叩き、拍手をしてにこりと笑う。しかしその笑みは、穏やかというより───
「もし今回私が出走していたら、勝てるか分からない走りを見せて貰えましたわ。これは……負けていられませんわね」
───獰猛。
彼女の中のウマ娘としての走る欲求が、レースで勝ちたいという欲求が全面的に現れた表情。
彼女の顔を見て、思わず後ずさりしてしまいそうになるがこれをぐっと我慢して、彼女の目を睨んだ。
「うちのテイオーは───強いぞ」
「ふふ、知ってますわ。だからこそ──」
俺とマックイーンが向かい合っている空間から、音が消える。
そこの場所だけ、現実から切り離されて違う所にいるような感覚。
「──テイオーには私が勝ちます。菊花賞まで、負けないでくださいね?」
~~~~~~~~
マックイーンに別れを告げて、テイオーを迎えに観客席から地下バ道に移動する。
上の席の歓声がどこか遠くに聞こえ、さっきまでの熱がすぅと失われていく。
日の光が入り口からしか差し込まず、少し薄暗いそこで彼女を待っているとカツンと蹄鉄の音が響く。
その音に耳を向けると、2000mを走り切った結果かいた汗できらきらと輝いた今日の主役──トウカイテイオーが立っていた。
「ただいま! トレーナー!」
「おかえり。お疲れ様、テイオー」
「うん! まずは一冠、取って来たよ!」
テイオーが俺にブイサインを向けながら、満面の笑みで顔をほころばせた。
一冠を取るなんて簡単に言っているようにも聞こえるが、G1レースは一つ取るだけでも偉業だ。そのレースの歴史に永遠に名前が刻まれる行為を、俺達はあと最低でも二回もしなければならない。
ダービーと菊花賞。更には他のG1レースも。あの
テイオーが皐月賞を勝ってくれて嬉しい気持ちと同時に、また新たに気が引き締まる感じがする。
「ウイニングライブ、いつだっけ?」
「夜の18時から。G1レースのライブだから、人凄そうだな……」
「りょーかい! ボクがセンターで踊るのを楽しみにしててよね、トレーナー!」
そんな他愛も無いいつも通りの会話をしながら控室に戻ろうと歩いていると、後ろのほうから声がした。
叫び声とも取れるような声が地下バ道にこだまする。
「おい! トウカイテイオー!」
「ん? ボク?」
俺達が声のしたほうに顔を向けると、鹿毛のセミロングヘアに和服をモチーフにした勝負服を着たウマ娘──レグルスナムカが立っていた。
何のようだ……?
すると、彼女は駆け足で俺達に近寄り腕を組んで仁王立ちしてきた。
身長はテイオーより低いため、俺達が見下してる形になってしまっているが。
「えっと……ボクたちに何か用?」
「そうだ。我は貴様に宣戦布告しにきた」
「センセンフコク?」
テイオーが不思議そうに首をかしげる。
それもそうだろう。レースで一緒に走ったとはいえ、今まで話したこともないウマ娘から突然こんなことを言われたのだ。俺も少し混乱している。
「我は今回五着とあんまり結果が振るわなかった…… だが日本ダービー、ダービーだ! そこで貴様に勝つ! 首洗って待っておれ!」
「へぇ…… だってさ、トレーナー?」
「あぁ、聞いてるぞ。だけど、悪いが──」
先ほどマックイーンにも同じような答えを返したが、それは一切変わらない。
だから、その宣戦布告を受け取ろう。
「──勝つのは俺たちだ」
「ボクたちは最強だもんね! そう簡単に勝ちを譲らないよ?」
最強のウマ娘になる。それが、俺とテイオーの夢であり信念だ。
そこは絶対に揺るがない。
そうレグルスナムカに返事をすると、彼女は俺達に背を向けて走り出した。恐らく、控室に戻ったのだろう。その背中は、彼女の体格より大きく見えた。
「……彼女、強いな」
「うん…… ボクもあの子強いと思う」
俺が彼女を警戒した理由は、その意思の強さにこそあるのかもしれない。
日本ダービー、いっそう気合を入れなければ。
「トレーナー、これからもよろしくね?」
「こっちのセリフだよ。よろしくな、テイオー」
シンボリルドルフに宣戦布告し追いかけているテイオーも、今や他のウマ娘にライバル視され追いかけられる存在になっている。
その事実は俺たちがまた一歩成長できたと、実感するには十分だった。
テイオーが俺の右手をぎゅっと握る。「えへへ」と笑みを浮かべたテイオーを見て、特に何も言う気にはなれず、俺たちは手を繋いだ状態で控室に戻ることにした。