1.スターゲイザー
そこは真っ白な場所だった。
視界内から入る情報が「白」しかなく、全く風景の変化がない水平線まで真っ白な空間。
そんな場所に俺はいた。
いや、いるかどうかも怪しい。
今現在の俺の五感は「視覚」以外の全ての感覚が無く、動くことはおろか目線を動かして自分の姿を確認する事すら出来ない。
自分が立っているのか座っているのか、いやそもそも体があるのか。それすらも分からない状況の中に俺はいた。
そんな空間に、突如として「白」以外の情報が入る。
視界の丁度中央に、少女が映る。茶色のロング髪、髪は地面に付くくらいに長い。頭からは明らかに人間ではない大きな耳が二つ生えており、またお尻の方からは尻尾が伸び、彼女が人間ではないことを示していた。
『貴方の名は……』
脳内に直接声が響くような、不思議な感覚に襲われる。
声は聞こえていないはずなのに、その少女が何を言っているのかが分かる。
『貴方の名は……スターゲイザー』
『星を見つめる者よ……その目に星を映しなさい……』
ピピピと、無機質な電子音が部屋に響く。
俺はゆっくり上半身をベッドから起こし、目覚まし時計を止めた。
「久しぶりに見たな……あの夢」
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目覚まし時計を見ると午前十時。
しかも今日は平日なので、社会人でも学生でも遅刻確定だろう。
だが俺はそれのどちらにも該当しないので、ベッドからゆっくり出るとカーテンも開けずに部屋から出る。
自室は二階にある為、若干のけだるさを覚えながら階段を降り、一階のリビングに向かう。すると、一緒に住んでいる母方の祖母が既に起きており、ソファに座ってテレビを見ていた。
祖母の頭にも大きな耳がついている。
「おはよう、スター」
「ん、おはよう」
朝の挨拶を軽く済ませるとキッチンの棚から食パンを1枚取り出し、そのまま口に咥える。今日の朝ごはんだ。
「ねぇ、スターもウマ娘なんだからもっと食べないとダメよ? しかも育ち盛りじゃない」
「俺は動かんから消費が少ないの、しかも……」
「勝手に食べすぎると母親から何言われるか分からないしな」
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「スターゲイザー」ウマ娘、十三歳。職業、引きこもり。
これが現在の俺のプロフィールであり、誇れる要素は何もない。
母親が青鹿毛のウマ娘──真っ黒な髪を持っているのにも関わらず、俺の髪は真っ白。いわゆる、白毛という奴だ。
この世界で白毛は珍しいようで、俺が生まれて最初に母親から言われた言葉は。
「気持ち悪い」
だった。
母親はそんな俺を見て、自分の子だと思わなかったのか。呪われている子だと思ったのか。
結果、俺を不気味がった母親は育児を全て祖母に投げた。
まさか本当にそんな理由で、育児放棄するヒトがいるもんなんだな…… 世界は広いなと、どこか他人事のように感じてしまった。
こうして俺は母方の祖母に面倒を見て貰い、大きな怪我や病気も無く、ここまで育つ事が出来た。本当に祖母……、おばぁちゃんには感謝してもしきれない。
この育児放棄は今も続いており、特に一つ年下の妹が生まれたあたりから激しくなった。
妹は俺と違って、しっかり母親の遺伝子を受け継いだのか青鹿毛のウマ娘であり、そのおかげもあり母親の愛情を一身に受けている。
父親の方は……何を考えているのかいまいち分からない。あんまり会話する機会も無く、ここまで育ってしまった。
こんな環境にあるから引きこもりになってしまったのか? 精神が耐えられなかったのか? と思われてしまいそうだが、実際はそうでもない。
理由は単純。
俺には「前世」の記憶があり、転生者らしいのだ。
その為なのか、自我が生まれた頃からあり、明らかに浮いた行動をしまくっていたので、多分白毛じゃなかったとしても畏怖されていた可能性はある。
小学生の頃は実際の年齢と精神年齢が合致しないこともあってか浮きに浮きまくり、勉強に関しても前世の知識で適当にやっても余裕な事に気づいてしまった結果。
晴れて十三歳、中学一年生で引きこもりになってしまった。
ここで、少し俺の前世について触れておこう。
とは言っても、あんまり自分自身についての記憶は無い。
男性で二十歳ごろに死んで、気が付いたらこっちの世界にウマ娘として転生していた。
死因もいまいち覚えていないし、なんなら前の自分の名前や親の名前なども思い出せない。
だが、一般常識やその時代に流行った事、学業的な知識などは覚えているのだから変な感覚だ。
しかもこっちの世界は前世とほぼ同じ世界で、特に常識が変わったり時代が違ったりなどはしなかった。
しかし、唯一違った点がある。
それが先ほどから登場している「ウマ娘」の存在だ。
「ウマ娘」。
それは人間と同じような体をしていながら、頭から大きな特徴的な耳を生やし、尻尾が生えている不思議な生物。
「娘」と言っているのは、ウマ娘には女性しかいないからだ。ウマ息子は存在しない。
また、ウマ娘は人間より身体能力で大きく優れており、時速60㎞で走るとかいう人間の身体構造からは想像出来ないような力を持っている。
しかし、彼女達はその力の全てを走る事に向けており、レースの中で競い合っている。
レースはこっちの世界で大変人気があり、すっかり国民的……いや、世界的スポーツになるまで発展していた。
そして、こちらの世界には「馬」がいなかった。
つまり「馬」の存在が「ウマ娘」に置き換わった世界に、俺は転生したという事になる。
自分もウマ娘になって。
~~~~~~~~
朝食にパンを一枚食べた俺は、昼にも関わらずカーテンが閉め切られて真っ暗な自分の部屋に戻り、電気をつける。
服もそのままで髪も特に寝癖を直したりもせず、PCの電源をつけた。
いつも通りに、ゲームかネットサーフィンをしようと思ったからだ。
こんな生活をしていたら家族から何か言われそうなもんだが、母親が母親なので特に何も言われない。
父親からは、PCを渡された。これで大人しくしてろという事なのだろうか。
おばぁちゃんは俺が引きこもりになっても、ずっと変わらず接してくれる。少し心配性だが。
妹は……最近会話をしていないな。妹は俺と違ってしっかり学校に行き、普通の生活をしているから会う機会も多くない。あと、妹に近づくと母親の機嫌があからさまに悪くなる。
そんな風に学校にも行かず、家に引きこもってネットで遊んで寝る。
一部の人から叩かれそうな生活をし続けていたある日。
それは、ネットでボイスチャットをしていた時の事だった。
「ボクね! 中央のトレセン学園に入学する事にしたんだ!!!」
そう元気な声で言ったのは現在の会話相手、ハンドルネーム「帝王」さんだ。
昔……と言っても一年くらい前だが、ウマッターというSNSで格闘ゲームの対戦相手を募集したところ、彼女がわざわざDMにまで来てくれた。
その後、対戦しつつテキストチャットで会話していたらゲーム内の趣味などが合い、意気投合。
そこからボイスチャットをしながら、ゲームをするくらいまで仲良くなったというわけだ。
だが、彼女はネットリテラシーが甘いところがあり、さっきの発言だけでも小学生のウマ娘である事がバレてしまっている。
俺は一応、ボイスチャットをする時はボイスチェンジャーを使っており、女性である事はバレていない……はずだ。
というか、小学生がネットでボイスチャットなんてやるんじゃありません。悪い人に騙されたらどうするんだ。
……俺も一応中学生だったわ。学校には行ってないが。
「ほーん、それは頑張れよ」
「むぅ~、ねずみさん冷たいなぁ! 応援してくれたっていいじゃん!」
因みにねずみさんとは俺のハンドルネームであり、「スターゲイザー」の「Star」を逆から読んで「Rats」。
日本語訳すると「ねずみ」なので、帝王さんからはねずみさんって呼ばれている。
一応ハンドルネーム表記は「Rats」なのだが。
「中央トレセン学園って倍率高いんじゃないの? よくそんな所受けようと思ったな……」
「ふっふーん! ボクは三冠を取る夢があるからね! これくらい余裕なのだ!」
三冠────ウマ娘達がレースに興じていることはさっき話したが、レースの中にもグレードみたいなものがあり、その一番上のグレード、G1レースである「皐月賞」「日本ダービー」「菊花賞」の三つを制すると貰える称号だ。
G1レースは、その一つを制するだけでもトップレベルの実力が必要であり、それを三つ制するのだからとんでもない実力が必要なのは想像に容易いだろう。そのせいか三冠ウマ娘というのも歴史上に数えるほどしか存在しない。
「レースねぇ……」
「えっ、ねずみさんウマ娘のレース見たこと無いの!? そんなの勿体ないから見てよ! ウマチューブのリンク送ってあげるからさ!」
そう彼女が言うと、俺の耳にメッセージが届いたという通知音が聞こえてくる。DMを開いてみると、いくつかのレース動画のリンクが送られてきていた。
ピコンピコンと、通知音が耳元で鳴り響く。
……地味にうるさいな。
「……送りすぎだ。 こんなに見られないから」
「だって…… どんなレースが好きか分かんなかったから……」
画面越しにも、しょんぼりした空気が伝わってくる。
うっ…… なんか俺が悪いみたいじゃないか……
「はぁ……いくつか見るよ、ありがとうな」
「ホント!? わーい! 後で感想頂戴ね! あ、時間だから今日は落ちるね、ばいばーーい!」
帝王さんが嵐のように去っていった。DMには数十個のレースの動画へのリンクが貼られている。
俺はウマ娘用のヘッドホンをつけたまま、「どうせ時間は有り余ってるし……」と軽い気持ちで一番最初に送られてきたレース動画のリンクを開くことにした。
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「……」
帝王さんが送って来た動画を見始めたのが午後の三時頃。
で、今何時だ……?
PCで時間を確認すると午後七時。あれから結局送られてきた全てのレースを見てしまい、いつの間にか四時間が経過してしまった。
「面白いな…… レース」
ターフという戦場で、ウマ娘一人一人が己の信念を賭けて競い合っている姿に、俺はすっかり見入ってしまった。
実はというと、俺は走ることが嫌いだ。これは前世が「人」である事が大きい。
一度、ウマ娘である事を活かして全力で走った時に、「ウマ娘」としての走る快感が強すぎたあまり、「人」の方の俺が精神的にブレーキをかけてしまって、そこから一回も全力で走っていない。
あと走ってもいい事無いしな…… そういうのは妹に任せるわ。
そんな理由もあり、レースを見る事自体を避けていたのだが、送られてきたレースを見ている内に、すっかりのめり込んでしまった。
これも、俺がウマ娘であるからなのだろうか。
しかし自分で走りたいとは思う事は無く、もっとこうなんと言えばいいのだろうか。観客としては感動した? みたいな感じだった。自分でもいまいち分からない。
俺はその後、帝王さんが送って来た動画以外にも色々なレース動画を漁ってしまい、その他にもネットでウマ娘のレースについてネットサーフィンしてしまった。
これだけウマ娘について調べたのは小学生の頃、前の世界との相違と自分の事を調べようとして、ウマ娘に関する本を漁った時以来だろうか。
あの時は結局どの本も「ウマ娘の成り立ちについては、よく分っていない」で締められていたので、飽きて途中で中断したのだが。
ネットで色々な事を調べていると、俺は帝王さんが入学すると言っていた「中央トレセン学園」のホームページにたどり着いた。
そこにはトレセン学園の施設説明や歴史、関係者の話など、学校のホームページにありがちな事が書いてあったのだが、その中で一つのコラムが目に入った。
「ウマ娘のトレーナー募集中……?」
気になってクリックしてみると、募集要項や給与や勤務時間などなど…… とまぁ色々書いてあったがその中にあったとある一文が俺を引きつけた。
「募集年齢……制限無し!?」
募集要項の下の方には、「期待!!! 若い君の力を求めている!」と一言添えられていた。
トレーナーっていくつからでもなれるのか……
「トレーナー…… でもトレーナーの仕事って何やるんだ……?」
俺はPCで別タブで開き、「トレーナー 仕事」で検索をかける。
すると出るわ出るわ。
色々なブログやまとめサイトなどが出てくるが、その中の一つを適当に開く。
するとそこには自分の担当ウマ娘だろうか、そのウマ娘とブログの管理者であるトレーナーの毎日が日記形式で纏められていた。
最終更新日は……五年前。つまりこのウマ娘はもう既に引退しているのだろう。
そしてそのウマ娘とトレーナー契約を結んでからの約三年間の日々が、一日ずつ、毎日綴ったものが日付毎に分かれていた。
俺はそこからその日付が一番古い方をクリックして、そのブログを読み始めた。──読み始めてしまった。
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……眠い。
あの後、三年間分のトレーナーの日記を読み終わる頃には、外はもう既に朝日が昇っており、俺は夜更かし気味になっていた。
だけど満足感は凄かった。
一人のウマ娘の競技人生がトレーナー目線で書かれており、最後のページでは担当ウマ娘とそのトレーナーのツーショット写真が載っていて、感動ドキュメンタリーを見たような感覚に陥った。
俺は、自分しかいない部屋でぼそっと呟く。
「トレーナーになりたいな……」
あぁ、ようやく分かった。
レース動画を見ても、いまいち分からなかった感情にようやく納得がいく。
どうやら俺は自ら走りたいのではなく、走るウマ娘を支える事に興味を持ってしまったみたいだ。
そして──こちらの世界に来て初めての「夢」が出来た。
「ウマ娘のトレーナーになる」という夢が。
そんな新しく出来た決意を胸に抱え、そのままの勢いで……ベットに倒れこんだ。
『始まるのね……』
『あの子がウマ娘に関わることで始まる新しい物語…… これからは近くで見守れそうですね』
『期待していますよ。スターゲイザー』
次回は早めに投稿します。
感想コメントなどお待ちしております。
2021/12/12 妹の年齢を変更しました。話に支障はありません。
2022/3/16 表現を変更しました。読みやすくなっていると思います。