そのウマ娘、星を仰ぎ見る   作:フラペチーノ

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18.脈動─東京優駿

 トウカイテイオーが皐月賞で勝利した。

 文字に表してしまうとたったそれだけのことだが、世間は大きく動いており、具体的に言うとテイオーへの取材依頼が凄い勢いで舞い込んだ。

 それに伴い俺の仕事も増え、一つ一つお断りのメールを出すのが大変になってきた。

 何も適当に返信しているわけでは無いのだが、大体が怪しいメディアからの取材依頼なのだ。名前も聞いたことも無い雑誌や会社からくる依頼に、俺は「これは収まらないな……?」とどこか察してしまった。

 ここまで来ると、自分一人で対応するのにも限界がある。

 なので、俺は早めに対策を打つことにした。

 

「確認ッ! 取材の件に関しては私たちも協力しよう!」

 

「こちらでも確認しました。一度対策を打ちましょう。こういうのはよくあるんですよね……」

 

「ありがとうございます、理事長にたづなさん。私だけだと限界があったので……」

 

 ペコリと俺が頭を下げた相手は、低身長でまだ幼く見えるのにも関わらず、威厳を兼ね備えた少女。その正体はトレセン学園のトップである秋川やよい理事長と、緑色のスーツと帽子で着飾り、「ふぅ……」と溜息をついている女性。理事長秘書を務めている、駿川たづなさんがそこにいた。

 最初はたづなさんに今回の件に関して連絡したのだが、「丁度いいので直接話しましょう」と返信がきて、今理事長室で話し合いをしている最中というわけだ。

 

「今回の件に関してはマニュアル……というかお決まりがありますね。いえ、この為に準備していたが正解でしょうか」

 

「準備……ですか?」

 

「はい。スターゲイザーさんも見たことあるんじゃないですか?」

 

 そう言ってたづなさんが一つの雑誌を取り出して、手渡してくる。

 その雑誌には「月間トゥインクル」と銘打っており、俺でも知っているような有名な名前だった。

 月間トゥインクル──今のご時世、多くのウマ娘特集雑誌が軒を連ねている中、一番大手と言ってもいい雑誌の一つだ。毎回色々なウマ娘に焦点が当てられており、特集でインタビュー記事などが出ていたりする。

 

「実はこの記事、こちら側(トレセン学園)が全面協力して成り立っているんです」

 

「うむ! 信頼している記事を一つでも出すことによって、ファンの需要を満たすというわけだ!」

 

 なるほど…… そういう繋がりがあったのか。

 確かにトレセン学園側がバックアップすれば、出版社側もファンが満足する記事を書けてWin-Winだろう。

 トゥインクルシリーズで活躍するウマ娘はまだ未成年。

 トレセン学園側が承認している雑誌で、ウマ娘を怪しいインタビューから保護する意味合いもありそうだ。

 

「トウカイテイオーさんがよろしければ、こちらでインタビューして頂く……というのが今回の件についての対処方法の一つですね」

 

「無論ッ! そちら側が受けたくないのであれば、そのときはまた保護する! ウマ娘第一にサポートするのが私たち、トレセン学園の仕事だからな!」

 

「ありがとうございます。今回の件は一度テイオーに相談してみます」

 

 ありがたい提案を学園側から受け取ることが出来て、ほっと一息つく。これで収まればいいが……

 俺が今後について考えていると、たづなさんが「ところで」と一言添えて話しかけて来た。

 

「スターゲイザーさん。最近困っていたりしていませんか?」

 

「いえ…… 特には無いですけど」

 

「そうですか。それは良かったです」

 

 たづなさんがにっこりと微笑みながら、静かに息を吐き出した。

 最近はテイオー関連の仕事で忙しい日々が続いているが、それ以上にテイオーが活躍してて嬉しいし、満足感を得られている。なにより──

 

「楽しいですよ。トレセン学園で働くの」

 

 そう伝えしっかりと目を見て、彼女たちと向き合う。

 秋川理事長が「良好!!」と書かれた扇子をばさりと開いて、満足そうに笑った。

 その後、また最初と同じように頭を下げてお礼をして俺は理事長室を後にする。

 寮に戻るためにトレセン学園の廊下を歩いていると、見慣れたポニーテールがゆらゆらと揺れているのが視界に入った。

 

「あれ、トレーナーだ。珍しいね、ここにいるの」

 

「んまぁ、ちょっと用事があってな」

 

 俺の担当ウマ娘──トウカイテイオーが不思議そうな顔をしながら首を傾げた。

 ここで会ったのは偶然なのだが、丁度いいし今回の件に関して聞いておくか。

 

「答えるのは後でいいんだけどさ。テイオーに対して取材の依頼が来てるんだけど──」

 

「ホント!? やるやる!」

 

 俺の言葉を全て聞く前よりも早く、テイオーが食い気味に返事をしてきた。

 まぁ、正直知ってた。目立ちたがり屋でファンサービス旺盛な彼女らしいと言える。

 ウマ娘によってはメディアを嫌って基本何もしない子もいるそうだが、テイオーはそんなことは無さそうだ。

 

「なら、インタビューそのうちやるかもしれないから覚えておいてくれ。とは言っても、特に準備することは無いけどな」

 

「りょーかい! じゃあボク授業あるからまた放課後ねー!」

 

 ばいばい! と言い残すと彼女は手を振りながら駆け足で去っていった。

 気をつけてな、とだけ返して俺も帰路に着く。元気そうな彼女を見て、気力がチャージされた気がするしまた仕事を頑張るとするか。

 

~~~~~~~~

 あれから一週間後。

 取材の準備が出来たということで、トレセン学園内のとある教室に二人で一緒に向かうことになった。テイオーは勝負服とかでは無く、いつもの制服でラフな恰好だ。

 わざわざトレセン学園でやるあたり、あくまで生徒として大事に接してくれているのが分かる。

 

「ところで……トレーナーは何か答えるの?」

 

「いや俺は一緒にいるだけだよ。テイオーが主役だな」

 

「ふーん」

 

 今回は俺──トレーナーでは無く「トウカイテイオー」のインタビューだ。

 ……というより自分の方から断った。あまり目立ちたくも無いため、取材とかも受けずにただの付き添いという形になる。

 そんな感じの理由を軽く伝えたのだが、テイオーは少し不機嫌そうな顔をして耳を垂らしていた。

 

「……どうした?」

 

「べっつにー」

 

 なんか時々テイオーの気持ちが分からないときがあるんだよな…… 直接聞くのもあれだし、こっちで考えるしかないんだけど…… 今回は分からないな。

 むすっとしたテイオーを隣に携えながら、指定された教室まで辿り着き、ドアをノックした。

 中から「どうぞ」と声が聞こえたので丁寧にドアを開けると、教室の中には机と椅子が二つずつ対面形式で置いてあり、片方に女性が座っている。

 俺たちの姿を確認すると、椅子から立ち上がり名刺を取り出した。

 

「初めまして。私、乙名史悦子と申します。取材へのご協力、感謝します。お話出来ること楽しみにしていました」

 

 ラフなスーツを上に羽織り、長い髪を一つ結びにした女性──乙名氏記者が落ち着いた様子で俺たちに自己紹介してくれた。

 この仕事には慣れているのか、かなりしっかりとした印象を与えてくる。

 

「ところで……そちらのスーツのウマ娘の方は……」

 

「あ、私はですね」

 

「ボクのトレーナー! ふっふーん!」

 

「なんでテイオーが言うんだよ」

 

 何故か胸を張って、堂々とテイオーが俺を紹介してくれた。そして何で自慢げなんだ。

 

「えっと……ウマ娘のトレーナーさんということですか?」

 

「……はい。珍しいですけど、私がテイオーのトレーナーです」

 

 乙名史さんが少し困惑したような顔をしながら、俺に質問してきた。

 スーツを着ているものの、ぱっと見テイオーと同年代に見えるウマ娘がトレーナーとは思わないだろう。不格好なコスプレかと思われても仕方ない。

 ちらりと彼女の方を見ると、ぷるぷると震え出し顔を下に向けている。

 付き添いで来たけど、これは俺がいない方がいいか? 外で待ってるとか──

 

「素晴らしいですっ!!!」

 

「ピエッ!?」

 

 突然の乙名史さんの大声に、俺とテイオーが驚いて同時に耳をピンと立ててしまう。

 いきなりどうしたんだ……? 

 

「取材前にトレーナーのことは一切書かないと条件を出されて何のことかと思いましたが…… ()()()()()()()()()()()()()()

 

「え……あ、はい」

 

 なんか若干どころか盛大に勘違いされている気もするが、そこに言及してもなんか意味ない気がすると直感で悟ったので、置いておくことにする。

 テンションが高くなった乙名史さんと、すんとしてるテイオーが椅子に座って向き合う形を取った。

 乙名史さんが机の上に置いてあった黒い機械──ボイスレコーダーらしきものを起動し、ノートを広げる。準備は整ったようで、テンションはそのままだが見るからに空気感が変わった彼女が、待ってましたとばかりに口を開いた。

 

「それではこれから、トウカイテイオーさんのインタビューを始めたいと思います!」

 

~~~~~~~~

 インタビュー開始から十分程度が経過した。

 だいぶ盛り上がっており、テイオーも特に詰まる様子も無くすらすらと答えられている。

 俺は後ろで立っていながら話を聞いており、何か問題があればサポートする気ではいたのだが……

 

「なるほどなるほど…… ルドルフさんに憧れてレースの世界に入ったというわけですね!」

 

「そうなんだ! カイチョーは凄いウマ娘だってずっと思ってるよ!」

 

 これは本当に大丈夫そうだな。

 そう判断した俺は、この場から離脱しようと思い、静かに息を吐き出す。

 音をたてないようにドアを開けてこっそりと廊下に出ると、何故か明らかに場違いな恰好をしたウマ娘が立っていた。

 トレセン学園内のはずなのだが、どこか見たことのある和服に身を包み腕を組んで仁王立ちしている。

 

「なんだ、貴様も取材を受けに来たのか」

 

 鹿毛のセミロングヘアのウマ娘──皐月賞の日にテイオーに宣戦布告してきた、レグルスナムカが俺の傍に近寄ってきた。

 

「レグルスナムカか。久しぶりだな」

 

「レグルスでいい。我にも取材の依頼が入ってな、気合を入れるために勝負服を着てきたのだ」

 

 だからきっちりと仕上げてきているのか…… ぱっと見化粧までしてるっぽいし、かなり気合入ってるな。

 そう思っていると、レグルスが俺の目をじっと見つめてきた。彼女の綺麗で澄んだ目に俺の顔が映る。

 

「なぁ……何で貴様はトレーナーをやっているんだ」

 

「俺が……? そりゃ、テイオーを」

 

「いやそっちじゃない」

 

 テイオーを支えるため、と答える前に彼女に言葉を遮られる。

 そして、告げられる質問。悪意も、だが善意も無い、ただ純粋な疑問。

 

「何で貴様は、ウマ娘なのにトレーナーをやっているんだ?」

 

「それは……」

 

「……別にそれが悪いことじゃない。過去にも前例があるらしいしな」

 

 ウマ娘でありながら、トレーナー。

 俺はウマ娘であるが、純粋なウマ娘じゃない。転生者という、不純物が組み込まれている。

 テイオーと一緒に走ってトレーニングする……なんて特殊なことが出来るわけではない。

 だから──

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その質問には答えられない。

 何か答えようと口を開けるが、言葉が詰まって出てこない。重い空気が喉を突き抜ける。

 彼女が「悪い、忘れてくれ」と言ってくれたが、俺の頭の中ではその言葉がどこか引っ掛かって。いや──楔のように離れなくなってしまった。

 

 ~~~~~~~~

 日本ダービーは、中央でも最も由緒正しき格式高いレースである。

「東京優駿」とも呼ばれるこのレースは世界的に見ても巨大なレースであり、その規模は同じG1レース「皐月賞」よりも大きい。

 その証拠に──

 

「もう……ホントに凄い人と声ですわね…… のまれてしまいそうですわ」

 

「そうだな…… さすがダービー」

 

 耳をつんざくような轟音に、見渡す限りのヒト、ヒト、ヒト。東京レース場の収容人数が十五万人でそれが全て埋まっていると言えば、その規模が分かるだろうか。

 レース前なのにも関わらずこの音の大きさなのを考えると、レースが始まったらこれまで体験したことの無い歓声が大音量で聞けるかもしれない。

 そんな東京レース場の関係者席に、白毛と葦毛のウマ娘が二人。

 白毛の方は俺だが、葦毛の方は最早おなじみになったお嬢様ことメジロマックイーン。今回は綿あめを片手に抱え、ちまちまと口に放り込むのにいそしんでいる。

 というか。

 

「何でマックイーンが関係者席にいるんだ……?」

 

「あら、前に約束したじゃありませんの。質問に答える代わりにって」

 

「それは皐月賞の話だろ?」

 

「それ以降もダメ。なんて一言も言っていませんわ」

 

「……」

 

 このお嬢様、なかなかしたたかだな…… 別に見られてもいいけどさ。

 口元についた綿あめをぺろりと舐めとる彼女を見ると、幼さと同時に妖艶さすら感じる。

 菊花賞に向けて相当研究しているのか、ここまで少し無茶な口実を作ってまでテイオーを見ようとしている様子に本気さが伺えた。

 

 それとも、俺が見られているのか? 

 

『さぁ、お待たせいたしました! 本日のメインレース、日本ダービーの開幕です!』

 

 テイオーと作戦を確認し、パドック入場を終え、ようやくダービーのゲートインの合図のアナウンスが場内に響き渡った。

 その瞬間、東京レース場が爆発したかのように揺れる。先ほどまでとは比べ物にならないほどの声量だ。場内だけでなく外からも声援が上がっており、声の層に挟まれている感じがする。

 俺はすぅと息を吸って、ターフの方に目を向けた。

 テイオーの調子は皐月賞のとき以上で、作戦も今回はしっかり練って伝えた。彼女なら、負ける要素は無いはずだ。

 

『本バ場入場です! クラシック級七千人の中から選ばれし二十人のウマ娘が、たった一つしかない優勝の枠を賭けて争います!』

 

 日本ダービーは皐月賞より二人多い二十人立て。その中でテイオーは堂々の一番人気だ。二番人気はレグルスナムカと前走で人気が出たのか、かなり注目されている。

 そのレグルスナムカが、ゲートインしているのが関係者席側からも見えた。五枠なのでどちらかというと外枠にあたるゲートに入った彼女だったが……これは。

 

「凄いオーラですわね、彼女」

 

「マックイーンも分かるのか…… なんだあれ」

 

 マックイーンが手を口に当て、感心したかのような声を漏らした。

 皐月賞のさいにも、その集中力の高さから注目していた彼女だったが、今回はそれが数段上だ。

 目の錯覚にも思ってしまうが、白い霧──オーラのような物を身にまとい、目つきが鋭くなっている。誰がどう見ても、完全に集中しきっている状態だ。

 手強いどころじゃない、もしかしたら彼女に作戦をめちゃくちゃにされるかもしれない、といった漠然とした不安すら抱いてしまう。

 

『各ウマ娘ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 最後に大外枠である八枠トウカイテイオーがゲートイン完了し、ウマ娘たちがスタートの準備を取る。

 その瞬間。テイオーがゲートの中から俺の方を見てきて、アイコンタクトでこう伝えてきた。

 

 ──大丈夫、勝つよ。

 

「──あぁ」

 

 何度やってもこのレース前の不安は取れそうにないな……悪い癖だ。

 尻尾を一度思いっきり振り、気分を切り替えた。隣にいたマックイーンが、驚いて綿あめを落としそうになっていたがお構いなしに。

 俺の方が不安になってどうするんだ。俺たちなら絶対に勝てる。そこに予想外(レグルスナムカ)があったとしても。

 

『東京レース場、芝、2400m、G1レース日本ダービー……今スタートしました!!!』

 

 ガコンとゲートが開かれた音が、良く晴れた雲一つない青空に響き渡り、ウマ娘たちが一斉にゲートから出走した。

 

『ギンネパワーちょっと出遅れたか!? それ以外は横一直線にスタートしました! トウカイテイオーも好スタートを見せています!』

 

「相変わらずスタートが上手ですわね」

 

「スタートは特に重要だからな。かなり練習したさ。特に今回みたいな大外だとなおさら」

 

 テイオーの本来の脚質は前よりの先行。差しも出来なくは無いが、今回に限っては絶対に先行の方がいいからな…… 好スタート出来て何よりだ。

 

「なるほど…… 先行策ですものね。大外だから余計に、ですわ」

 

 マックイーンの言う通り、本来大外というのは不利だ。

 何せ距離が内側より伸びる。2400mと言いながら、それ以上の距離を走らされることになるのだ。

 だが悪いことばかりではない。上手くスタートを切る事さえできれば、好きな外側の場所にポジションを取ることが出来る。

 内側は確かに距離は短いが、抜け出しにくいという問題がある。これはポジション取りを主に、レースを制するタイプのテイオーには不向きだ。

 

『現在先頭争いがシンクルスルーを中心に、三人のウマ娘によって行われております! そこから二バ身離れて、イルデサタンを中心に先行集団を形成しています! トウカイテイオーは六、七番手か!』

 

 テイオーは大外である特権を活かして、指示した先行のポジションにすんなりと収まる。

 皐月賞と同じ、外側から全体を見渡せるいい位置だ。

 第一コーナーを通過し、第二コーナーに入るまでにそれぞれのウマ娘が、自分の脚質に着くための位置取り争いを終えていた。

 逃げ、先行、差し、追い込みがそれぞれ二バ身程度離れてまとまっている状態になる。皐月賞と違う点をあげるとするならば、逃げが三人程度と少ない点だろう。

 これはあまり逃げも競り合わず、隊列は縦に伸びそうにないな。テイオーが有利に進められそうだ。

 

「まさかとは思いますが、今回も好きに走れなんて言ってませんわよね」

 

「今回は作戦しっかり伝えたぞ…… なにせダービーだからな」

 

 別にダービーが特別なG1だからというわけではない。

 このレースが今までと一番違う状況なのは「2400m」という距離だ。

 これはテイオーが経験したレースの中で最長になる。3000mの菊花賞から見たら短いものの、未経験なことには変わりはない。

 だから、今回は一番得意な脚質とペースで勝負するように指示を出した。

 下手に脚質を変えたりすると、慣れてない環境下になり余計に疲れる。考えるだけでも、脳はスタミナを消費してしまうのだ。

 テイオーは差しでも行けるのだが、大事を取って今回は一番得意な先行にするように指示した。

 

『第二コーナーを通過して直線に入ります! ここまで大きな動きがありません、どのタイミングでウマ娘が仕掛けるのか期待です!』

 

 ここまで大きな動きも無く、第三コーナー間際の坂に差し掛かる。

 一番警戒しているレグルスナムカは、大きく四つに分かれた集団の内の三番目の内側にいた。虎視眈々と前を狙っている、といったところだろうか。

 

「あまり動きがありませんわね。全体的にスローペースですわ」

 

「緊張しているウマ娘が多いのかもな。テイオーには全く関係無いけど」

 

 一生に一度しか無い、クラシック級のレースの中でもさらに最大の規模とも言える日本ダービー。その中で感じるプレッシャーは、見ている側からでは想像出来ないものだろう。

 ウマ娘たちはメンタル面でも戦わないといけないが、テイオーはその心配が一切ない。

 ……というか、彼女はプレッシャーすらも力に変えている気がする。

 期待や想い。それを自分の走りに変換出来るウマ娘は、強い。

 

『さぁ、600mの標識を通過しました! トウカイテイオー上がってきた! レグルスナムカにサクラコンゴオーの後方集団が動く! 一番先頭のシンクルスルーは逃げ切れるか!?』

 

「……また作戦通りみたいですわね」

 

「ん……? 分かっちゃうか……?」

 

「思いっきり顔に出てましたわよ。スターさん、意外と分かりやすいですわね」

 

 マックイーンが「ふふ」と少し微笑みながら、俺に指摘してくる。そんなに顔に出していたつもりは無かったが、どうやらバレてしまっていたらしい。

 実際、テイオーが仕掛ける位置もタイミングも完璧なのだ。

 残り三ハロン時にテイオーステップを解禁して、最後の坂前でスパートをかける。

 前で助走をして、坂突っ込む形を取ったのは東京レース場の坂が、皐月賞があった中山レース場よりも高低差が低いからだ。さらに、坂を超えてからは長い直線が待っている。

 早いうちに速度をあげておけば、そのままゴールにいけるという目論見だ。

 全て俺とテイオーの予想通りにレースが運んでいる。これを見て嬉しさを隠しきれないのも、多めに見て欲しい。

 

『400mを切って坂をあがってきます! トウカイテイオーが早くも先頭争い! レグルスナムカが真ん中! その後ろイイルセブンにシンクルスルーが粘っている!』

 

 最後の直線に入った瞬間、観客席からの声援がまた大きくなった。

 東京レース場は横に広いため、各ウマ娘は詰まること無く直線を走ることが出来ている。

 テイオーは少し内側におり、いつのまにかゴールまでの距離を縮めていた。最初は大外だったのに本当にテイオーはコース取りが上手いと、自分の担当ウマ娘ながら感心してしまう。

 

 最後の直線を気持ちよく走り、耳を刺激する車の窓を開けたときのような風の音が心地よい。観客席からの歓声も聞こえてくる。あぁ、このままゴール板を駆け抜けられたらどれほどの──

 

「──ッ!?」

 

 今のは何だ……? まるで俺が走ってるみたいな、いや俺は観客席にいるはず。

 その証拠に目の前に広がる光景だって──

 

「芝の上……? ターフ?」

 

 見えた景色は正面に誰もいなくて、地面はレース場の芝の上。そして、ウマ娘が走ってる速度で景色が確実に切り替わる様子だった。

 帽子を被っているはずなのに、直接耳を撫でる風の感覚に、ごぉうと聞こえる風の音。

 そこに肌を切るような速度の圧すらも感じ取れてしまう。

 しかし視界は若干ぼやけており、音にはノイズがかかったように遠く聞こえる。

 だが、これは。いや、この光景を見て、聞いているのは。

 

 ──これで、二冠目貰ったよ! 

 

「テイオー……?」

 

 テイオーの声が聞こえた。いや、直接脳に響いたと言うべきか。

 俺もぽつりと独り言を呟いてみるが、テイオーが反応する様子はない。

 自分を動かそうとしてみるが、まるで夢の中にいるみたいに体が動かせなかった。

 空に浮かんだ雲になったような、ぷかぷかテイオーの中で漂う感じ。

 この感覚……よく見る「白い夢」の中での感覚に似ている。

 俺がテイオーになった……? いや、自分の意思とは関係無く走っているのが感じ取れるから、どちらかというとテイオーと感覚共有した……というべきか? 

 全く状況が分からない、分からないけど。

 

 テイオーが上手く走れているなら、それでいい。

 

『200mを切ってトウカイテイオー先頭! 二番手レグルスナムカが懸命に後を追っております!』

 

 実況の声すら少し遠くから聞こえる。

 2と書かれた標識を通過したので、恐らく200mを切ったのだろう。前には誰もいない。

 この視線で本当にテイオーが走っているのだとしたら。

 

 ──これで、勝ちっ! 

 

「テイオーの勝ちだ」

 

 そう思った瞬間だった。

 後ろでギシリ、と何かが歪んだ音が聞こえる。それは、絶対にレースでは出ない音だった。

 仮に蹄鉄が取れて、おもいっきり曲がったとしてもこんな音は出ないだろう。

 一番近い音をあげるとしたら……空間が軋んで悲鳴をあげる音。

 

「なんだ、今の」

 

 その音はテイオーにも聞こえたのか、体の動きがほんの一瞬鈍る。

 何が起こったのか理解出来ないが、ウマ娘の本能が「やばい」と告げたのか、テイオーはそこからさらに加速した。

 

「っあああ!!!」

 

 彼女が意味も無く叫ぶ。先頭に立っていることと後続とのリードまで考えれば、このまま行けば一着でゴール出来るはずだ。

 それなのに。

 

『トウカイテイオー速い速い! 三バ身、四バ身リード!』

 

 まるで後ろから迫る未知の何かに怯えるかのように、彼女はさらにターフを踏み込み、蹴りだした。

 ぐぅと沈んだ体が跳ねて、いつも以上の力でテイオーステップを続けている。

 この状態を表すなら「恐怖から逃げる」が一番正しいだろうか。

 俺の方に、どこから現れてるのか分からない不安すらも伝わってくる。

 

『トウカイテイオー、圧勝です! 無敗のまま二冠を達成しました! この子に適うウマ娘はいるのでしょうか! 二着にレグルスナムカが続きます──』

 

 その勢いのままテイオーが、一着でゴール板を駆け抜けた。

 その瞬間、何とも言えない高揚感が沸き上がってきた。これは、ゴールをした時のテイオーの達成感か……?

 ゆっくりと速度を緩めながら、最後の加速のせいで震える足に鞭を打ちなんとか芝の上に立つ。

 そのまま上を見上げると、綺麗な青空が広がっていた。

 雲一つない空に太陽が出てテイオーを照らし、汗をキラキラと輝かせる。

 これで目標まであと一歩になった。あとは無敗のまま菊花賞を──

 

「スターさん! スターさん! ちょっと、大丈夫ですの!?」

 

「んえっ…… はっ!?」

 

「気付きました……? 気を失っていたみたいで……心配しましたわ」

 

 自分の意思で首を横に捻って隣を見ると、そわそわと落ち着かない様子で俺を見ていたマックイーンがいた。

 どうやら自分の体に戻ってこれた……のか? なかなか変な体験をしてしまった……というか何だったんだ。

 未だに混乱する頭で正面のターフを見ると、テイオーが二本指を天に掲げている。

 皐月賞、日本ダービーで二冠目という意味だろう。観客席からは大歓声が沸き上がり、テイオーの勝利を祝福していた。

 

「テイオー、勝てて良かったですわね。 これは私もうかうかしてられませんわ」

 

「無敗での三冠、取らせてもらうぞ」

 

「望むところですわ。 ところで……」

 

 マックイーンと俺が闘志をぶつけあっていると、いきなり彼女のしゅんとテンションが下がる。

 

「本当に大丈夫ですの? 何か悪かったり痛かったり、うちの主治医なら直ぐ呼べますわ」

 

「いや、大丈夫だぞ。特に体に不調は無いし……だから電話持つのやめて?」

 

 わざわざ心配してくれてマックイーンは優しいな。

 電話を構えて今にも連絡しそうなマックイーンをなんとか止めて、俺は席から立ち上がった。変な体勢で気が飛んでいたのか、ふらりと少し立ち眩みがする。

 さて……今回の主役を迎えに行きますか。

 

~~~~~~~~

「うぇ~、疲れたよぉ」

 

「お疲れ様。お帰り、テイオー」

 

「ただいま~」

 

 地下バ道の入り口から、日の光を背にテイオーが帰ってきた。

 その姿は先ほどまでターフで走っていた凛々しい姿とは違い、だらんと疲労と満足感でとろけきった年相応な顔をしていた。

 こういうのを見ると、トウカイテイオーはまだ中学生の少女なのだと少し安心する。

 

「ところで……テイオー。レース中に変な感覚しなかったか?」

 

 そう、どうしても聞いておきたいこと。先ほど襲われた謎の状態は彼女も感じていたのかどうか。

 明らかに勘違いではない出来事だったが、こんなことは聞いた試しが無い。だからなるべく情報が欲しいのだが……

 

「変なこと? あーうん…… あれがそうなのかな……?」

 

「あれ?」

 

 俺が質問すると、テイオーが歯切れが悪そうにポツポツと答え始めた。

 

「あのさ、最後の直線で200m切ったくらいかな? そこでなんか後ろで音が聞こえたというか、それで怖くなってさ。むー、なんか上手く伝えられない」

 

「あぁ、あれか」

 

「へ? トレーナーにも聞こえたの? じゃあボクの気のせいじゃなかった?」

 

「……あっ。いや、なんでも無い」

 

「その反応何さ! ちょっとー!」

 

 俺が少し失言をしてしまい、焦ってテイオーに背を向けてしまった。

 彼女が後ろで「ねぇねぇ」とぴょこぴょことしているが、取り敢えず一度無視させて貰い、頭の中で情報を整理しようと目を瞑る。

 

 まず、感覚共有の件。これは俺だけが感じたことと考えていいだろう。証拠にテイオーは何も言ってこない。あんな特殊な状況、あれば真っ先に言ってきそうなものだ。

 次に謎の音の件。こっちはテイオーも直接感じ取っていたらしい。怖かったらしいから、あのとき感じていた恐怖は間違いない。

 いやそれでも分からない…… 「だからなんだ」と俺の理性が訴えかけてくる。

 これは他の人に聞いた方がよさそうだな…… 俺だけの知識じゃ限界があるっぽい。

 

「うん…… 取り敢えずこれは保留で……」

 

「何が保留なのさ」

 

「ちょっとな」

 

 この件に関してはテイオーにはまだ伝えない方がいいな。 テイオーは菊花賞に集中して欲しいし、レース中に変なことが起きるなんて伝えて混乱させても意味がない。

 取り合えず悩みを一度考えないようにし、俺はテイオーに背を向けるのをやめて目を開けた。

 目をきょろきょろとしている彼女の頭にぽんと手を置いて、もう一度お疲れ様と伝える。

 それでテイオーは満足したのか「えへへ」と表情を崩して笑った。

 

「さて……ウィニングライブあるぞ 準備しなきゃな」

 

「りょーかい! ボクのパフォーマンスを特等席で見ててね! トレーナー!」

 

 ──ダービーの熱は収まりそうにないまま、ウィニングライブが幕を開ける。

 

~~~~~~~~

『走れ今を! まだ終われない! 辿り着きたい、場所があるから! その先へと、進め──♪』

 

 ウィニングライブ──それはレースに参加したウマ娘たちが、応援してくれたファンに対する感謝の気持ちを伝えるためのライブパフォーマンスのことだ。

 簡単に言うと、ステージで踊りながら歌を歌う。たったそれだけのことだが、この盛り上がりはレース本番に負けず劣らずだ。

 大画面のモニターに映し出されるテイオーがセンターに立ち、「winning the soul」を熱唱している。モニターだけでなく、大きなスピーカーから流し出される大音量の音楽や、ステージ場の光の派手さは、これを楽しみにしているファンもいるというのも納得のクオリティを誇っていた。

 色とりどりのサイリウムを眺めながら、俺も勝負服とは違う衣装を着て踊るテイオーを見る。

 

『涙さえも、強く胸に抱きしめ──♪ そこから始まるストーリー……♪』

 

 プロ顔負けのテイオーのダンスは、会場を一体に包み込み支配する。

 今この世界の主役は間違いなくトウカイテイオーだ。

 

 

 だから、見たくなかった。だが、見てしまった。

 俺の中にあった確かな熱が急速に冷える感じは。

 負の感情が押し寄せてくるこの感じは。

 

『果てしなく続く、winning the soul─♪』

 

 テイオーの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 




こんにちはちみー(挨拶)
そろそろ物語も大分盛り上がってきました。これからも頑張って執筆します。

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