そのウマ娘、星を仰ぎ見る   作:フラペチーノ

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20.白い稲妻

 テイオーの捻挫がすっかり治り、七月も始まって徐々に暑くなってきた頃。

 俺はテイオーにとある話を持ちかけていた。

 

「よし、今から夏合宿の説明について始めるぞ」

 

「夏合宿!」

 

 最近買ったソファに寝っ転がっていたテイオーが珍しいものでも見つけたかのように、ガバッと勢いよく顔をあげる。

 今は練習も終わり、ミーティングを開始しようと思っていた時で、テイオーもシャワーを浴びて少し眠そうな顔をしていたのだが……

 

「そっか、今年は行くんだ! 楽しみだなぁ」

 

 すっかり目が覚めたのか、キラキラした顔で俺の方を見てくる。

 実はというと去年は夏合宿に参加してなかったのだ。これにはしっかり理由があって、まだテイオーの基礎能力を鍛えたかったのが一つ。もう一つは夏合宿にいったウマ娘がいない間にトレーニング施設を借りられるからだ。

 トレセン学園はただでさえウマ娘の生徒の数が多いが、トレーニング器具は有限。夏合宿シーズンはある意味狙い目だったのだ。

 まぁ今回の夏合宿はトレセン学園主体の合宿に参加するわけでは無いが。

 

「夏……海…… トレーナーの水着……?」

 

 テイオーが妄想にふけったような顔をして独り言をぼそぼそ言い始めたが、声が小さくて何を言っているのか聞き取れない。

 だが恐らくテイオーが想像している夏合宿と、俺が計画を立てている夏合宿は大分違うはずだ。

 それを説明するためにこの時間を取ったのだが、先に紹介しなければいけないウマ娘がいる。

 

「でな、テイオー。一緒に行くウマ娘が二人いてな」

 

 そう説明しようとした矢先、テイオーが宙を見ながらぶつぶつと呟いている。あれ、大丈夫か? 

 

「はっ、ごめん! なんか暴走してた。一緒にいくウマ娘がいるんでしょ? 続けて?」

 

「あ、うん…… まず一人目がアーティシトロン。覚えているか?」

 

「えっと…… デビュー戦のとき一緒だった子……だっけ?」

 

「あってるぞ。よく覚えてたな」

 

「ボク、記憶力いいからね!」

 

 ふふーんとテイオーが手に当て、胸をはり自慢気なポーズをする。

 本当によく覚えていたなと感心していると、テイオーが俺の方を見て質問してきた。

 

「で、もう一人って? ボクの知ってるウマ娘?」

 

「間違いなく知っているとは思うが…… 予想外だと思うぞ」

 

「予想外?」

 

 そんなことを言っていると、噂をすればなんとやら。俺の部屋のドアをこんこんとノックする音が聞こえて来た。どうやらそのウマ娘が来たみたいだ。

 

「入っていいぞ」

 

「邪魔するでー」

 

 がちゃりとドアを開けながら入って来たのは、白い葦毛のウマ娘。俺より低い身長に対して、目に宿る闘志。赤青耳飾りが特徴的な彼女は言わずと知れた有名人。

 

「タマモ……クロス……さん?」

 

 いつもフレンドリーなテイオーがさんづけするほどのレジェンド。

 白い稲妻こと、タマモクロスが俺の部屋に入ってきた。

 

「いや、そこは邪魔するなら帰ってーやろがい!」

 

「へ?」

 

「え?」

 

 いきなり誰に向かって突っ込んだのか。いきなりタマモクロスさんが大声をあげ、ビシッと鋭いツッコミをかました。

 俺達が困惑してぽかんとしていると、彼女が「あぁ~」とやらかしたような顔をしてパンと両手を合わせた。

 

「すまん! ちょっといつものノリでやらかしてしもうたわ! 今のことは忘れたってや」

 

 悪いと謝ってきたタマモクロスさんが俺の部屋でうろうろと目を配り始めたので、俺が

「ソファに座っていいぞ」と手をやる。

 すると彼女が「悪いな」と言いながらソファに座ってくれたので、今俺の目の前にはテイオーとタマモクロスさんが座っている状況だ。

 クラシック二冠ウマ娘にG1三勝のレジェンドウマ娘が並んでいるこの状況は、俺も混乱してしまうほどの豪華さだった。

 

「えっと、もしかして二人目のウマ娘って」

 

「あぁ。タマモクロスさんだ」

 

「ウチのことやな。よろしゅう頼むわ。と言っても、ウチも何も分からんけどな」

 

 何も分からない……? 

 確かにまだテイオーにもタマモクロスさんも夏合宿に関しては話していないが、それよりもっと分からないことがある。

 俺が根本的に理解できなかったこと。誰からも教えてくれなかったこと。

 そう──

 

「なんでタマモクロスさんは俺達に着いてくるんだ……?」

 

「んあぁそれな。それはな──」

 

 タマモクロスさんが一度話すのをやめて、息を飲む。

 彼女がふぅと息を一度吐くと、パンと自らの膝を叩いて口を開いた。

 

「──ウチにも分からへん!!!」

 

 手を腰に当てながら、わははとタマモクロスさんが笑う。

 その瞬間、ずこっとテイオーがソファから転がり落ちそうになっていった。かくいう俺も膝から力が抜けてしまう。

 

「まぁ分からへんのはトレーナーの考えなんやけどな。ウチはトレーナーの言うことに従っただけや」

 

「トレーナー? タマモクロスさんのトレーナーって……」

 

「谷口さんか…… あの方何考えてるか分からない所あるもんな……」

 

 谷口海トレーナー──トレセン学園だといわずとしれた有名人で、タマモクロスさんだけでなく、「オグリキャップ」「イナリワン」「スーパークリーク」の永世三強のウマ娘を担当している方だ。

 俺の先輩にあたるトレーナーで、時々お世話になっているくらいの知り合いではあるのだが、今回の行動の意図は結局分からないままか……

 

「トレーナーがな、トウカイテイオーの師匠になってこいっていきなりいいだしてな。まぁ、ウチとしては引退した身やし。誰かに教えるのは全然かまへんけどな……」

 

「その理由までは分からない、と」

 

「せやせや。相変わらず何考えているか分からないトレーナーやで全く」

 

 タマモクロスさんがやれやれと手を広げてお手上げといったポーズを取る。

 結局谷口さんの考えは読めないままになってしまったが、この申し出は大変ありがたい。

 タマモクロスさんも教えることに関しては前向きな姿勢みたいだし、これは利用させてもらおう。

 

「タマモクロスさんがボクの師匠?」

 

「そうやで、師匠や。師匠って呼んでくれてええで!」

 

「師匠! よろしくねー師匠!」

 

「ふははは! なんかこれええな!」

 

 テイオーもなんか直ぐに馴染んでいるみたいだし、これは色々なこと教われそうだな。

 仲良さそうにじゃれついている二人を眺めていると、タマモクロスさんが思い出したかのように「あっ」と何かを思い出したかのように呟いた。

 

「これ言い忘れとったわ。ウチはテイオーの師匠やることになったけどな、クリークがマックイーン。オグリがネイチャの元に行ったで」

 

「ネイチャとマックイーンに!?」

 

「それは……またなんで……」

 

 テイオーが驚いた声をあげているが、俺も内心かなり驚いていた。

 ますます謎が深まるが、取り合えず分かってしまったのはネイチャもマックイーンもこの夏間違いなく成長するということだ。

 これは負けていられない。さて、そろそろ俺達の夏合宿の計画について話し始めようか。

 

「タマモクロスさんの紹介も終わったし、夏合宿について話始めるぞ。今回かなり特殊だからよく聞いていてくれ」

 

「はーい!」

 

「特殊? 普通に海行くじゃないんか? 砂浜でガーッ! ってトレーニングするんやろ?」

 

「トレセン学園の用意してくれた奴ならそうだな。だけど今回は別の場所にいく」

 

 そう、これこそがトレセン学園側にわざわざ許可を取りに行った理由。

 かなり特殊な事例になって、桐生院さんがついてくることになったわけ。

 

「今回は山にいきます」

 

「え?」

 

「あ?」

 

 二人がぽかんと口を開けたままかたまり、呆然とする。

 そりゃ、海にいくと思っていたら山にいくと話されたらこういう反応になるだろう。

 だがしっかり山にいく理由はある。無意味にこんな場所に行くわけでは無い。

 

「いくつか理由があるから説明していくぞ。テイオー、菊花賞で勝つために一番の課題はなんだ?」

 

「えっと……距離適性とスタミナ?」

 

「正解」

 

 流石テイオーというべきか、しっかり自分の菊花賞に向けての課題は把握しているみたいだ。

 菊花賞は長距離に分類される3000m。テイオーの得意距離である中距離とは外れてしまう長さだ。

 ここに立ちはだかるのはテイオーの距離適性の壁。これを突破するには、スタミナの強化が必須になってくる。

 

「山のいい点は標高が高い所だ。高地トレーニングって聞いたことあるか?」

 

「確か、空気が薄いところでトレーニングすることだっけ?」

 

「なるほどなぁ。心肺能力の強化か、しっかり考えられとるやんけ」

 

 タマモクロスさんも言っていたが、今回の大きな狙いはテイオーの心肺能力の強化だ。

 そのためには、平地に比べ体内の酸素供給量を減少させる高地に一定期間滞在してトレーニングをすることはテイオーのためにとても役に立つ。

 それこそ海でトレーニングするよりも、だ。

 他にも色々な効果があるが、分かりやすく言えば「心肺が鍛えられて、持久力がつく」ということになる。

 

「今回はトレセン学園の合宿とは関係無い場所に行く。そのための許可はもう得てきた」

 

「なるほどね! ボクのためのトレーニングかぁ…… 流石トレーナー」

 

「ちょ、ちょい待てや」

 

 タマモクロスさんが何故か待ったをかける。はて変な所なんてあっただろうか。

 

「いやまぁ理由も言っていることも分かるんやけど……テイオーはそれでええんか? いきなりトレセン学園とは違う場所にいきますーって言われて納得出来てるんか?」

 

「? ボクのためにトレーナーが考えてくれたんでしょ? だったら大丈夫だよ」

 

「自分、トレーナーのこと凄い信じてんな……」

 

 タマモクロスさんはまた呆れたように腕をだらんとさせたが、俺とテイオーはお互いの信頼で成り立っていると思っている。

 これくらい普通……だよな? 

 俺は少し疑問に感じたが、一旦それは置いておいて説明の続きを話始める。

 

「あとデカいのは、今回行く場所は涼しいということだ」

 

「あー、炎天下の中でトレーニングしたくないもん……ボク……」

 

 テイオーが熱い海辺でトレーニングを想像したのか「うぇー」と呟きながら、げんなりとした顔をする。

 夏の海でのデメリットはとにかく暑いということだ。

 熱中症とかのリスクがある浜辺でトレーニングをするよりも、涼しい場所でトレーニングをした方が長く鍛えることが出来るだろう。

 勿論、涼しい場所でも熱中症対策は必要だが。

 

「理由としてはこんな所かな。他に質問あるか?」

 

「無いかな」

 

「ウチも大丈夫や」

 

 二人からの質問も特に無いようなので、今回の目的の説明は終わる。

 その後、日程や持参物に桐生院さんとハッピーミークも同行することを伝えて、今日のミーティングは終わりとなった。

 

「夏合宿は七月の中旬からだ。頑張っていくぞ」

 

「おー!!! トレーナーに師匠よろしくね!」

 

「任せときや! まぁ大船に乗った気分でいて貰ってええで!」

 

~~~~~~~~

 時間が経つのは早いもので、あっという間に夏合宿当日になった。

 今回はトレセン学園から新幹線で目的地に向かうため、トレセン学園から車で移動後に駅に行く。

 そこまで向かう車はトレセン学園側が出してくれるらしく、ありがたく乗せてもらうことにした。

 そのために集合場所に荷物を持って集合したのだが──

 

「ト、ト、トウカイテイオーさんですよね!」

 

「え。あ、うん…… ボクがトウカイテイオーだけど……」

 

「はわわわわ。握手してもらっていいですか!?」

 

「えっ、うん。はいどうぞ」

 

「ひうっ…… ありがとうございます……」

 

 何故かアーティシトロンとテイオーが握手をしていた。

 アーティシトロンとテイオーは俺が知っている限りでは、こうやって話すのは初めてのはずだが……どうしてこうなった? 

 テイオーも困惑しているみたいで、疑問のマークを浮かべながら握手に応じている。

 

「えっと……アーティシトロンだよな?」

 

「あっ、はい。初めまして! 私がアーティシトロンです! 今回はよろしくお願いします!」

 

 ぺこりと頭を下げたのは栗毛のボリュームのある髪をサイドテールに纏めた髪型。かなり豊満な体つきをした少女こそが、今回の夏合宿に一緒についてくるアーティシトロンというウマ娘だ。

 話に聞いたところ、レースは既に引退しておりトレセン学園のサポート科に転属しているらしい。

 サポート科とは名の通りレースに出るウマ娘のサポートを勉強する所であり、規模としては小さいながらも日本一の教育が受けられる場所だ。

 ウマ娘がウマ娘をサポートする……まるで俺みたいな立場のウマ娘が集まっている。

 もし俺も違う道を辿っていたら、トレセン学園のサポート科にいたのだろうか。

 そんなことを考えていると、桐生院さんとハッピーミーク、タマモクロスさんがやってきたのでお互いに軽く自己紹介を済ませる。

 その後車に乗って駅に向かい、特にトラブルも無く新幹線に乗ることになった。

 これからは、新幹線で目的地まで約二時間揺られる。

 六席予約した席に座り、半分ずつに分かれる。俺とテイオーとアーティシトロン。桐生院さん、ハッピーミーク、タマモクロスさんの席順だ。

 俺が窓側に座りテイオーが真ん中に、アーティシトロンが通路側に座ることになった。

 移動までかなり時間があるので、俺は疑問に感じていたことをアーティシトロンに尋ねた。

 

「ごめん、答えにくかったらいいんだけど…… 今回俺達についてきた理由って何だ?」

 

「あ、それボクも気になってた」

 

「あぁ、それですか。それはですね──」

 

 彼女が俺達の方を向いて目を開けて、ゆっくりと口を開く。

 どうやら答えにくい質問では無いようだ。

 

「──私もいまいち分かって無いんですよね……」

 

 テイオーが膝からずっこけ落ちそうになり体の体制が崩れかけるが、なんとか姿勢をとどめる。

 あれ、この流れ前も見たぞ……

 

「私がサポート科で勉強していた時に理事長さんからお話があったんです。良かったらテイオーさんと一緒に夏合宿行かないかって」

 

「そうなのか……」

 

「でも私は凄く嬉しかったです! なんたってテイオーさんと一緒に合宿行けるなんて! 一人のファンとしてこんな嬉しいことは無いですよ!」

 

 彼女が「えへへ」と胸に手を当てながら本当に嬉しそうな顔でそう発言した。

 谷口さんに次いで秋川理事長もか…… 今回の夏合宿は本当に色々な思惑が絡んで複雑なことになっていそうだ。

 俺が思索にふけっていると、テイオーが楽しそうにアーティシトロンに話しかけている。

 自分のファンである彼女と直接会えて嬉しいのだろう。テイオーはファンをとても大事にしているし、これも一種のファンサービスなのかもしれない。

 本当はあと一つ質問したかったのだが、そちらはやめた。

 気にはなっているが、彼女の事を考えると絶対に口に出せない疑問。

 

 ──なんで彼女はレースから引退したんだ? 

 

 なんて、絶対聞けない。

 

~~~~~~~~~

 新幹線に乗ってから約二時間半。目的地に到着した後、免許を持っている桐生院さんが運転する車に乗って今回宿泊する施設に移動する。

 今回宿泊する施設は山の中にあるコテージで、わざわざトレセン学園側が用意してくれた場所になる。これは秋川理事長に本当に感謝しなければならない。

 コテージに到着した後に、荷物を下ろして部屋割りを決めることになった。

 二人部屋が三つなので、トレセン学園の寮みたいな部屋割りになるのだが……

 

「ボク、トレーナーと一緒の部屋ね!」

 

「わ、私は誰でも…… ただテイオーさんと一緒になるとライフが持たないので……」

 

「じゃあウチと一緒でええか? アーティシトロンゆうたか。よろしゅうな」

 

「レジェンドと同部屋…… よ、よろしくお願いいたします!」

 

「私はミークと一緒ですね!」

 

「……いつもの」

 

 特に揉めることも無くすんなり決まった部屋決め通りに部屋に入ると、中は寮と同じくらいの大きさの部屋にベッドが二つあった。

 荷物を一旦おいて、コテージのリビングに出ると桐生院さんがいたので今後の予定を話あっておく。

 明日からの練習や休みの頻度。ここ周辺の施設やトレーニング方法など、トレーナー同士の話を細かく丁寧に打ち合せする。

 桐生院さんは流石名家のトレーナーというべきか。俺が提案したトレーニングに対して「ここはこうした方がいいんじゃないんでしょうか?」と俺が見落としていたところを修正してくれる。

 個人的にとてもためになるやり取りをしていると、すっかり日が暮れてしまい今日は走れそうにない感じになってしまった。

 今日は本来走る予定は無く、体をならす目的の方が大きかったので別にいいのだがすっかり夢中になってしまった。

 

「はい、ボクの勝ち~ 師匠弱すぎない?」

 

「なんでや! ウチばっか負けすぎやろ! つかミークの表情が分かりにくすぎるっちゅーねん!」

 

「……ぶい」

 

「あははは……」

 俺達が話し合っている最中、現役ウマ娘達はお互いに仲良くなったのか。トランプを使ったゲームで盛り上がっていた。パッと見た感じ、テイオーが勝ってタマモクロスさんが負け越しているみたいだ。

 みんな仲良くなれたみたいで、ほっと安心する。やっぱりこういう時にムードメーカーであるテイオーは頼りになるな。直ぐに輪を作ってくれる。

 

「さてそろそろお風呂入って寝るか」

 

「え、もうこんな時間!? 時間過ぎるの早いね」

 

 時計を見たテイオーがびっくりしたのか、大きめの声をあげる。

 なので、今日は一度解散し明日からトレーニングすることになった。

 各自まぁまぁ大きいお風呂で入浴し、自室に戻る。

 俺がパジャマに着替えて部屋に戻ると、既にテイオーがベッドの中に入って寝る体制を整えていた。

 

「おやすみ、テイオー」

 

「おやすみー、トレーナー」

 

 今日は特に夜更かしすることも無く、すんなりと就寝に入った。特に寝床が変わったから寝れないということもなく、すんなり入眠出来たのでその点は楽だったと思う。

 

 そして次の日の朝。

 いつも俺は目覚ましを六時ごろにかけているのだが、その日は少し早めの五時半ごろに目が覚めてしまった。

 二度寝しても良かったのだが、完全に意識が覚醒してしまったのでベッドから体を起こすと、同じ部屋にいるはずのテイオーがいない。

 俺と同じで早く起きてしまったのかと思い、他の部屋の人を起こさないようにゆっくりと自室のドアを開けてリビングに出るとそこにもテイオーはいない。

 はて、どこに行ったのかと思いつつ閉め切った部屋のカーテンを開けると、窓の外にいつもの見慣れたポニーテールが揺れているのが見えた。

 そんな体操服姿で外でストレッチをしていたテイオーと目が合うと、彼女が俺の方に気付いたのか手を振ってきた。

 俺もそれに対して返事として手を振り返し、一旦自室に戻り急いで持ってきた体操服に着替えてコテージの外に出る。

 

「おはよう、テイオー」

 

「おっはよう、トレーナー! トレーナーも早く起きちゃった感じ?」

 

「あぁ、ちょっと目が覚めてな」

 

 お互いに挨拶を交わして、一度深呼吸をするとトレセン学園とは違った空気が自分の喉を突き抜けた。すぅと大きく息を吸うと中から新しい空気が循環していく気がする。

 どうしてこう山の中で深呼吸すると、心身が洗われるような感覚がするのは何故なのだろうか。

 んっと背筋を伸ばして、正面を見ると丁度日が上がって来たのか、太陽の光が照らし込んできた。

 このトレセン学園では絶対に見られない光景を見て「あぁ、夏合宿が始まるんだな」と否応なしに理解させられる。

 テイオーもそれを理解したのか目をキリっとさせながら、俺の方を向いてきた。

 

「トレーナー、一緒に少し走らない?」

 

「いいけど…… 俺遅いぞ?」

 

「いいのいいの! ボクが一緒に走りたいんだから!」

 

 ──夏合宿が始まる。

 

~~~~~~~~

「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 坂路に二人のウマ娘の声がこだまする。

 揺れるポニーテールが俺の上にあげた手を合図に加速する。

 そしてそのウマ娘に抜かされないように駆け抜ける葦毛のウマ娘が一人。

 

「速くなっとるやんけぇ! だからといって抜かされる訳にはいかへんけどなぁ!」

 

 前を走っていた葦毛のウマ娘がそこから更に加速する。

 ぐっと足を沈めての前傾姿勢。彼女も本気での加速のようだ。

 そしてそのつばぜり合いの結果は──

 

「うっし、今回はウチの勝ちやな!」

 

「うぇぇ…… 師匠速いよぉ……」

 

 タマモクロスさんの勝利で終わった。

 今やっているのはいつも練習終わり付近に行う、テイオーとタマモクロスさんによるガチの併走トレーニングだ。

 走る場所や距離は毎日違っていたりするのだが、一つだけ決めている条件がある。

 それは、テイオーがタマモクロスさんの後ろからスタートするということだ。

 つまり、テイオーがハンデを少し背負っている形になる。因みにテイオーは一切タマモクロスさんに勝てていない。流石にハンデを背負って簡単に勝てるほどレジェンドは甘くない。

 

「よし今日の練習はここまで、二人ともしっかりクールダウンしてくれよな」

 

「りょうかい~」

 

「おっけやで」

 

「飲み物持ってきました! 水分補給も忘れないでくださいね!」

 

 俺が二人に声をかけると、後ろから水筒を持ってきたアーティシトロンがとことこと歩いてきた。

 彼女は主にこんな感じで裏方のサポート役に回ってくれることが多く、大変助かっている。

 コテージの掃除や炊事はもちろん、ドリンクの補給や洗濯などなど。マネージャー並に働いてくれて、かなり俺達もお世話になっている。

 彼女のおかげで俺はトレーナー業に、ウマ娘達はトレーニングに集中出来ているといっても過言ではない。

 

 こんな感じで夏合宿での生活に慣れて半月が経過した。

 夏合宿の期間は七月の中旬から約一か月。いつの間にかあっという間に半分の期間が経過してしまったが、テイオーはその間にめきめきと力を付けている。

 今日の練習でもそれはしっかりと現れており、タマモクロスさんをあと一歩のところまで追い込んでいた。

 涼しい場所で長い時間練習して、コテージでゆっくり休んで疲れを取る。これが一日の大体の流れになって来る。

 この場所にはウマ娘用のトレーニング施設があり、ウマ娘の脚力で走っていける距離にあるのはとてもありがたい。桐生院さんと俺、アーティシトロンはそこまで車で行っているのだが、帰りはみんな乗せていけるので一石二鳥といったところだ。

 

「じゃあ、帰るか。忘れ物無いよな」

 

「大丈夫やと思うで…… んにゃちょい待ち、トレーナーから電話や」

 

 帰る準備を進めていると、タマモクロスさんの携帯にトレーナーから電話がかかってきたみたいで、電話を取って対応していた。

 

「おう、トレーナーか。何や急に? おう……おう……マジで?」

 

 彼女が途端にびっくりしたような表情を取り、目を細める。

 声のトーンが一段階下がり、ひそひそ声で話しながら谷口さんと会話をしている。

 

「あーー、トレーナーがそう言うなら……ウチはええけど。了解や。切るで」

 

 タマモクロスさんがぴっと携帯の電源を落として急いで後片付けを始める。そこまで急がなくてもいいのだが、何故か彼女は動揺したかのようにせかせかと動いていた。

 

「すまない待たせたな。あとスター。ちょっと話があるんやけど、帰ってからでええか?」

 

「いいけど…… じゃあコテージに帰ってからで」

 

 彼女が「すまんな」と言いながら車の後部座席に乗り込む。

 取り合えず、本当に急な連絡とかでは無さそうだが、一体何の話なんだろうか。

 そんなことを考えながら宿泊施設に戻り、先に疲れたウマ娘達をお風呂に入れて待つこと数十分。

 お風呂に入ったウマ娘と入れ違いで俺達もシャワーを浴び、アーティシトロンが夕飯を作ってくれるのを待つ時間。

 本来であればミーティングを済ませる時間だったのだが、今日はタマモクロスさんが俺に話があるということで一旦後回しにすることになった。

 一度テイオーに俺達の部屋から退出してもらい、タマモクロスさんに中に入って貰う。

 

「入っていいぞ。話って何だ?」

 

「あーそんなかしこまらなくてええで。簡単な話……ちゅーか提案や」

 

 タマモクロスさんが俺と正面で向き合い、俺の目の中まで見てくるような視線を向けてくる。

 その真面目な目線に俺がビビって腰が引けてしまう。まるでレースに出るときのようなウマ娘の表情。それこそ画面越しにしか見たことの無かった、彼女の本気の闘志。

 

「明日、ウチとテイオー、ミークでレースせぇへんか?」

 

「最後の方にいつもしてるだろ……? あれじゃなくてか?」

 

「いや、芝の距離は2000m。ハンデなしのガチンコ勝負や」

 

「……それが谷口さんからの電話の内容か?」

 

「せや。トレーナーがこれをしてこいってな」

 

 やはり考えが読めないままの谷口さんからの提案だが、これは普通に願ったりかなったりの提案だ。

 俺もいつかテイオーの得意距離でタマモクロスさんと対決したのを見てみたいと思っていた。

 今の俺達の実力がレジェンド相手にどこまで通用するのか。それは俺もテイオーもきっと気になっているはずだ。

 

「なら──明日やろうか。ミーティングの時に話しておくよ」

 

「助かるで。さてウチも……」

 

 その瞬間、彼女の目つきが変わった。

 目つきだけじゃない、雰囲気も。まるで別人かのように。

 

「──本気、出させてもらうで」

 

~~~~~~~~

 次の日。

 練習場に移動した俺達は昨日連絡した通りに、タマモクロスさんと模擬レースをするため準備をしていた。

 テイオー達に準備体操をしっかりしてもらい、今すぐにでも走れるようにしてもらう。

 今回の条件は芝2000m右回り。ほぼ皐月賞と同じ条件の中で走って貰うことになる。

 タマモクロスさんとハッピーミークがストレッチをしている中、俺はテイオーに手招きしてこっちに来てくれと呼んだ。

 すると、それに気づいたのかテイオーが一度屈伸するのをやめてこっちの方に来てくれた。

 

「テイオー、調子はどうだ?」

 

「ばっちりだよ! 特に足が痛いってこと無いし!」

 

 テイオーがその場でぴょんぴょんと跳ねて、元気であることをアピールする。

 調子は良さそうだし、これならいつも以上の力を発揮できるだろう。

 そう判断した俺は、タマモクロスさんに勝つために彼女の力を最大限を発揮出来る作戦を伝えることにした。

 

「今回は先行策でいくぞ。タマモクロスさんは恐らく追い込み。ハッピーミークは分からないから様子見だな。とにかく、今回は人数が少ないから惑わされるな。自分のペースを信じろ」

 

「了解。スパートかけるタイミングは?」

 

「最終直線でステップを解禁してもいい。本気で行こう」

 

「分かった! じゃあ、行ってくるね!」

 

「いってらっしゃい、テイオー」

 

 いつもレース前にやる挨拶をして、俺達の気持ちを切り替える。

 テイオーが拳をぎゅっと握って、こくんと頷いた。彼女も本気で挑むモードになったようだ。

 俺達の準備が終わると、他二人の準備も終わったみたいで桐生院さんが「大丈夫です」と目配せをしてきた。

 アーティシトロンが彼女達をスタートの位置まで誘導し、俺と桐生院さんは外から彼女達を見守る。

 

「それでは……よーい、スタート!」

 

 ゲートが無いため、白線の上に足を揃えた三人がアーティシトロンの合図と共に一斉に地を蹴りだす。

 スタートとして瞬間、芝が剥がれたのが舞いごうっと音が上がる。

 最初はハッピーミークがテイオーの前に……あれは逃げだろうか。そしてテイオーが先行策、タマモクロスさんが予想通りの追い込みでレースが始まった。

 序盤はゆっくりとしたペースでレースが進んでいく。

 各々、自分のペースで進んでいるのだろう。ハッピーミークも逃げだが、大逃げというわけでもなくどちらかというと一番前に行ってしまった感じが強い。

 今回は三人しかいないレースのため、いかに自分のペースを守れるかが大事だ。基準となる子がいないのでペースを測りにくいにはあるが、競り合いが無い分スタミナの消費も無い。

 好きなポジションに位置取れた三人は、中盤──第二コーナーを回った後で少し加速し始めた。恐らくこのままいけば、スタミナが足りると考えたのだろう。ここで夏合宿でスタミナが身についたのが出て来ているみたいでなによりだ。

 

「いいですよー! ミーク!」

 

 桐生院さんがハッピーミークに対してエールを送っている。彼女を見ると、まだまだ余裕そうに走っている。まだデビューしていないウマ娘とは思えない走りで、これからの伸びしろが一人のウマ娘として楽しみになってくる。

 だがそれと同時にテイオーのライバルにもなるということだ。敵に塩を送ったという訳では無いが、彼女もまたこの夏合宿で大幅に成長している。楽しみであると同時に、テイオーのトレーナーとして気を引き締めなくては。

 レースは中盤を過ぎて第三コーナーを回った。今のところ、大きな動きも無くここまで来ている。

 ハッピーミークが先頭。そこから四バ身差でテイオー。更にそこから十バ身差ほど離れてタマモクロスさんだ。

 追い込みはいつ仕掛けるのか見ているこっちも不安になって来るが、ここでタマモクロスさんが動いた。

 

 いや、動いたというよりも雰囲気が変わった。

 バチリと、まるで静電気が体に走ったと幻覚するような感覚に襲われる。

 その瞬間、俺の体が本能的に冷や汗をかいた。

 そして、幻聴だろうか。走っているタマモクロスさんの声が俺の耳に確かに聞こえた気がした。

 

 ──さぁ、ウチとやろうや。

 

 ぐっと沈む体。闘志によって光る蒼い目。圧倒的存在感。

 前傾姿勢になり、ターフを駆け抜けるバチバチと音を鳴らすその姿はまるで──

 

 ──白い稲妻。

 

 そう表現するのが一番、正しい気がした。

 タマモクロスさんが急に加速する。十バ身差もあった間がじりじりと詰められていく。

 その姿を俺はどこかで見たことがあった。

 思い返してみると、映像の中。有馬記念、ジャパンカップ、天皇賞秋。彼女が戦ったG1の中で画面の外から見てきたタマモクロスさんの圧を今肌でひしひしと感じている。

 

「──ッツ!」

 

 その圧に反応したのかテイオーが一瞬加速する姿勢を取ったが、直ぐに元の速度に戻る。

 俺が指示した最終直線までステップを使うなというのを、理性で抑えつけたのだろう。よく我慢したと褒めるべきだ。

 そしてとうとう最終直線に入る。

 今の状況は徐々に追いつかれ始めたハッピーミークとテイオーが二バ身差。そして──テイオーとタマモクロスさんがたったの四バ身差。

 

「はぁぁぁぁ!!!」

 

 ここでテイオーの足が切り替わる。

 残り300m。テイオーステップの解禁で、今まで押さえつけていた彼女の足が動く。

 俺達の今まで積み上げてきた切り札。これで皐月賞、日本ダービー共に取ってきた。

 残り200m。

 テイオーがハッピーミークを抜かした。

 残り150m。

 ここでタマモクロスさんがテイオーに追いついた。隣に並ぶ彼女達が競り合いを始める。

 残り100m。

 タマモクロスさんが完全にテイオーを追い越した。

 残り0m。

 ──一馬身差。テイオーの負けだ。

 

~~~~~~~~

「はぁっ! はぁっ! 久しぶりすぎてきついっ、ちゅうねん!」

 

「ぜぇ…… ぜぇ……」

 

 テイオーとタマモクロスさんがゴール地点でお互いに荒い息を吐きながら、膝に手を当てて顔を下に向けている。

 遅れてゴールしたハッピーミークはそのまま桐生院さんの元に駆け寄っていった。心なしか少し震えているように見える。

 それはテイオーも同じだった。だから俺は彼女に近づいて声をかける。

 

「テイオー、大丈夫か?」

 

「あっ…… うん、大丈夫だよ」

 

 いつもだったら元気に返事をしてくるのに、今はどこか落ち込んだような返事を返してくる。

 

「負けちゃったかぁ! まぁ、でも次勝とうね! トレーナー!」

 

 そして空回りした元気さを感じられないほど、俺は鈍感では無かった。

 そんなテイオーに俺はなんとも声をかけることが出来なかった。

 

 その日の練習は時間までいくつかメニューをこなして、クールダウンして終わりになったのだが、どこかテイオーは上の空で明らかに練習に集中できていなかった。

 恐らく、今日のレースが尾を引いているのだろう。そう思って明日は休みにすることにして、コテージに帰宅した。

 コテージについて、テイオー達がお風呂に入っている時間。俺は気になったことを桐生院さんに訊ねていた。

 

「すみません、桐生院さん。先ほどのレースなんですけど……」

 

「タマモクロスさん凄かったですね! うちのミークもあそこまで強くなりたいものです!」

 

「あ、いや、俺もそう思うんですけど。そうじゃなくて」

 

「なんでしょう?」

 

「レース中にタマモクロスさんから何か見えませんでした?」

 

 あの謎のオーラとも言える白い稲妻のような光は。俺の錯覚じゃ無ければ確かにそこにあったような気がしたのだが……

 

「凄い圧だな……としか。なんか見えるって何かありました?」

 

「あっ、いえ……」

 

 桐生院さんには見えていない……? 

 自慢じゃないが、俺は自分自身の目は大分いいと思っている。だから目に映ったことは基本信じているようにしているのだが…… 

 ならば、あれは一体なんだったんだ? 

 自分で少し考えごとをしていると、お風呂上りのウマ娘達が上がって来たので交換で俺もお風呂に入る。

 その後何ごとも無く就寝したのだが、同じ部屋のテイオーは心なしか尻尾が垂れており元気がなかった。

 次の日の朝。今日は気分転換のためにオフにするということになり、桐生院さんとハッピーミーク、テイオー、アーティシトロンは山のふもとまでおりてお出かけすることになった。

 本当は俺も着いて行こうとしたのだが、タマモクロスさんに話があると言われコテージに残るはめになった。

 彼女曰く。

 

「あんた、その顔でテイオーと一緒に出かける気か?」

 

 とのこと。

 自分では意識していなかったが、そんなに俺の顔は気分が悪いとかそう見えてしまったのだろうか。

 テイオー達が出かけて家の中にいるのは俺とタマモクロスさんの二人きり。

 車の音が遠のいてしんと静まった空間の中で、彼女が口を開いた。

 

「いや、すまんかった!」

 

「へ?」

 

 唐突にタマモクロスさんがぺこりと頭を下げて謝ってきた。

 あまりにも急なことすぎて驚いてしまい、変な声がのどから出る。特に謝られることはされていないと思うのだが……

 

「ちょっと領域で本気出しすぎてしもうたわ。 ありゃテイオーもビビるわ」

 

「りょう……いき……?」

 

「なんや領域に関して何も知らんのか。しゃあない、ウチが教えたる」

 

 そう言ってタマモクロスさんがソファに腰を下ろしたので、俺も対になっている目の前のソファに座らせてもらう。これでお互いが顔を合わせる状態になった。

 

「ええか? 領域っちゅーのはな──」

 

 そうタマモクロスさんが語り始めたのは枠外のいや感覚の外のお話。

 領域──ゾーン、フローとも言われる超集中状態のこと。

 一度その領域に足を踏み入れると、感覚は研ぎ澄まされて普段とは比べものにならない程の圧倒的なパフォーマンスを発揮できるという。

 時代を創るウマ娘が必ず踏み入れる物と言われており、タマモクロスさんはある程度自分で領域をコントロールできるそうだ。

 俺が感じた圧も音も感覚も、その領域から来たものらしくウマ娘による敏感な感覚がその幻覚を見せたそうだ。

 だから人である桐生院さんには感じられなかったのか……

 一つ謎が解けて自分で納得していると、タマモクロスさんが俺の顔を指さしてきてとあることを指摘した。

 

「顔、酷いで。昨日寝れてないやろ」

 

「……」

 

 バレてしまった。

 昨日自分がよく眠れずに、頭の中で何度も何度もタマモクロスさんとテイオーのレースを再現していたのだ。

 あくまで自分の中の感覚だったのだが、何度やってもテイオーが勝てず、ずっと自分の指導方法の間違いを探していたりした。

 考えすぎて少し頭が痛くなるレベルまであったのだが、それがあっさりと見抜かれてしまった。

 

「ウチは恐らく領域のことを教えるためにここに呼ばれたんやろなって思うで。ちょっとやりすぎた感じはあるけどな」

 

 谷口さんがタマモクロスさんを師匠につけて夏合宿に同行させたのはそれが目的か……

 なら、俺が取る行動は。

 

「おっと、一つ忠告しとくで。無理に領域の入り方を練習するなんて考えへんことやな」

 

「……」

 

「まぁ、分かるで。それでも領域はそういうもんちゃう。入ろうと思って入るもんちゃうからな」

 

 タマモクロスさんに見抜かれて、そう諭されてしまった。

 しかし領域か……もしかしてあの日本ダービーの時レグルスナムカが見せたあの「音」は領域関係のものだったのかもしれないな……

 俺は説明してくれたタマモクロスさんに対して一つ関係無いことを──ふと思い出したことを質問した。

 

「なぁ……タマモクロスさんはどうしてウマ娘に生まれたんだと思う?」

 

「なんや急に。そうやな……やっぱり走るためやろ」

 

「そっか……」

 

「おっと勘違いして貰っちゃ困るで。走るって別にターフの上だけちゃうねん」

 

 彼女がキリっと目を細めて、俺の方を見やる。

 

「今は引退した身やけどな。今も走ってるって言えるで。テイオーの師匠してる時も走ってるって思ったしな」

 

 そうタマモクロスさんが「何言わすねん!」と照れた顔で言い切った。

 少し手を出して突っ込んだポーズを取った彼女は少し滑ったか? みたいにそわそわしたポーズを取っていた。

 

「そっか……」

 

「え、何や急に」

 

 そうだ。タマモクロスさんにも桐生院さんにも他のウマ娘もトレーナーも出来ないこと。

 勿論テイオーにも出来なくて、俺にしかできないこと。

 

 そして、俺がウマ娘である理由がつかめた気がした。

 

「ありがとう、タマモクロスさん。分かった気がする」

 

「そ、そうか。ならよかった」

 

 俺がすっきりした感覚で答えを導き出して、悦に浸っていると昨日寝て無かった分だろうか。一気に眠気が襲ってきた。

 

「すまん…… ちょっと寝るわ……」

 

「おう、寝てきーや。ウチはこっちでゆっくりしてるで」

 

 気遣ってアドバイスまでしてくれたタマモクロスさんに感謝の言葉を述べつつ、俺は寝ぼけ眼のまま自分の部屋のベッドに頭を乗っけたのであった。

 

~~~~~~~~

 俺が気づきを得てから数週間が経過し、とうとう夏合宿最終日になってしまう。

 最終日もやることは変わらずに、いつも通りの練習をして今日の練習は終わりになった。

 タマモクロスさんが領域を出したあの頃の事件から俺もテイオーも調子がいいみたいで、練習が前よりも捗り更にお互いに成長できたと感じている。

 桐生院さんと意見交換も出来たし、今回の夏合宿はとてもためになるものだった。

 練習を終えて帰宅し、明日帰ることになるので荷物をまとめておく。

 最終日もみんな元気そうに和気あいあいとコテージで過ごしていた。この一か月でみんな仲良くなれたようで良かった。この繋がりは、きっとこれ以降も続いていくのだろう。

 そんな最後の夜を楽しんでいると、すっかり夜になってしまい寝る時間になってしまった。

 各々、自分の部屋に戻って寝る準備を始めるように指示をした。

 俺も部屋に戻って寝る準備をしていると、テイオーに話かけられた。

 

「ねぇ……トレーナー、一緒に寝ていい?」

 

「あぁ、いいけど…… どうした急に」

 

「別にいいでしょ! ほら、最後の日だしさ」

 

 あんまり理由になっていなさそうなことを言われたが、別に俺としては構わない。

 ちょっとベッドが狭いくらいだが、それは誤差だろう。

 

「ほら、おいで」

 

「えへへ。やったぁ」

 

 テイオーが俺の脇にすっぽりと収まる。身長は俺の方が高いのでテイオーが隣に来ると、尻尾が俺の足辺りに当たる。いや、当てているのか。

 

「ねぇ、トレーナー。夏合宿どうだった?」

 

「どうだったか、か…… 領域が一番驚いたかな……」

 

「りょーいき?」

 

 そっかテイオーには領域について説明してなかったのか。

 俺は領域のことに関して、テイオーに軽くタマモクロスさんから体験したことを交えて説明した。

 あの時の俺が見たことを話していると、テイオーからもダービーの時よりも濃い恐怖感を感じたと言われる。やはりレグルスナムカの奴は領域、もしくは領域の入りかけだったのだろう。

 俺がまた一つ確信を得ていると、テイオーが上目づかいで質問をしてきた。

 

「もし、ボクが領域出せなくて…… ううん、出せてもさ。菊花賞に負けちゃったらどう思う?」

 

「テイオー……」

 

 テイオーにしては珍しく弱気な発言。今まで誰も聞いていなかったような言葉に、俺も少し驚いてしまったが考えてみれば彼女はまだ中学生。

 世間から夢を託されて走っているが、彼女も一人の少女なのだ。こう不安も言いたくなるのは分かる。

 しかし、それと同時にこうやって不安を俺にぶつけてくれる存在になっていることに嬉しさも感じた。

 俺は慎重に言葉を選んで、彼女の質問に答えた。

 

「テイオーは負けない。俺はそう思ってる」

 

「……なんで、さ」

 

「俺と一緒に走ってるから、かな。二人で走れば速さもきっと二倍になる」

 

「にっしし、なにそれ。でも、ボクたちらしいや」

 

 そして、テイオーが俺の胸に埋めてぽそりと呟いた。

 

「絶対勝とうね、トレーナー」

 

「ああ。勝とう」

 

 そっと俺がテイオーの頭を撫でると、彼女が耳を垂らしてもっと撫でて欲しいとアピールしてきた。

 俺はその仕草に従って、優しくゆっくり彼女の頭を撫でる。気持ちよかったのか、尻尾がたらんと垂れて俺と足に当たり少しくすぐったい。

 

 この光景どこかで見覚えがあると思ったら、過去。同じことがあった気がする。

 不安げに呟く静かな声に対して俺が頭を撫でる。そんなことが──

 

 ────お姉ちゃん。

 

 一瞬頭によぎった声を振り払うと、テイオーがすぅすぅと穏やかな寝息を立てて眠りについていた。

 その姿に俺がふっと優し気のある笑みを浮かべると、テイオーをもう一度撫でて俺も目を瞑った。

 おやすみ、テイオー。菊花賞、絶対勝とうな。

 

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