夏合宿も終わり、トレセン学園に帰ってきてから一週間が経過した。
七月中旬から始まった夏合宿は一か月という長い期間あり、その中でテイオー達を大きく成長させたと思っている。
そうしてトレセン学園に戻ってきた俺達だが、まだ菊花賞に向けた練習は終わらない。
しかし、たまには休息も必要だ。なので、俺はテイオーに一週間の休みを与えたのだが……
「海に行きたい」
「海? 気を付けて行ってきなよ」
俺が自室でパソコンを弄っていると、ソファに寝転がったテイオーがそう言ってきた。
世間は八月の中旬ごろ。まだ暑さ残る時期だが、海水浴シーズンはもう終わってしまうのか。
しかも合宿は山に行ってしまったため、海に行くこと無く終わってしまった。そこは他の海に合宿に行ったウマ娘とは違うので、テイオーに申し訳ないと思っている。
「違うよ! トレーナーも行くんだよ!」
「俺も?」
唐突なテイオーからの海水浴へのお誘いに俺は困惑した返事を返してしまう。
テイオーには友達がいっぱいいるのでそのウマ娘達といくと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
とは言っても、海か……海ねぇ……
「……ほら俺、水着ないし」
「買えばいいじゃん。ボクが選んであげようか?」
水着がないのは本当だ。ろくに私服も無かった俺は、最近ようやくテイオーとマヤとのお出かけの時に一着買ったのみ。水着なんてあるわけが無い。
というか、それよりも……
「その……恥ずかしいし……」
俺がぽそりと消え入りそうな声で呟く。少し顔が赤くなったのを自覚してしまい、首を引っ込めてパソコンで顔を隠す。
俺が水着を着る一番の問題はとにかく恥ずかしいということだ。今でも帽子を被ったり、露出の少ない服を好んでいて大衆の前で水着を着るなんて俺にはハードルが高すぎる。
そういう意図をなんとかテイオーに伝えてみた結果、彼女が納得したように頷く。
「あぁ~。うん、それはダメかも」
「分かってくれたか…… だからテイオーは友達と行ってきて──」
「トレーナーの水着姿を知らない人に見せるのは良くないよね」
「──そうそう。ん?」
今、なんかずれたことを言って無かった?
テイオーが何を思ったのかぶつぶつと顎に手を当てて考えごとを始める。その表情は真剣そのものだ。
そしてソファからがばっと起き上がると、ダッシュで俺の部屋の扉に手をかけた。
「ちょっと待ってねトレーナー! 相談してくるから!」
「あ、テイオー。どこ行くんだ」
恐らく俺の声が届く前にテイオーが外に出て行ってしまう。
嵐が過ぎ去ったようにしんと静かになった部屋に、俺はぽつんと部屋に取り残されてしまった。
一体どこに行ってしまったんだ。というか、俺の話を半分くらい聞いてなかった気が……
そんな心配をよそに、テイオーがいなくなった部屋で俺は一人また仕事に戻るのであった。
テイオーがいなくなってから三十分後。
扉が急にバタンと大きな音を立てて開いたと思ったら、走って来たのか彼女が少し紅潮して戻ってきた。
「トレーナー! なんとかしてきたよ!」
「なんとかって何……?」
「マックイーンに頼んでメジロ家のプライベートビーチ借りてきた!」
「なっ」
まさか俺が恥ずかしいっていうのを見こして、わざわざメジロ家に掛け合うまでしたのか……?
簡単に取れないはずなのに、よく取って来たな…… 何がそこまで彼女を駆り立てるんだ。
プライベートビーチってことは確かに知り合いしかいないし、まだ恥ずかしさは緩和されるけど。
「でも水着とか……」
「マヤノが選んでくれるって!」
マヤノトップガン。前回俺の服を色々見繕ってくれた子だから、よっぽど変なものは選ばないだろう。
やばい……どんどん外堀が埋められていく感じがする。
しかし、ここで一つの疑問が浮かんできてしまった。
「それなら、なんでテイオーが選んでくれないんだ?」
「うえっ。いやー、あのその、ボクが選ぶとほら……」
すると、何故か歯切れの悪い答えを返してくるテイオー。
頭にハテナマークが浮かんでよく分からないが、とにかく水着はマヤが選んでくれるらしい。
そんな疑問を打ち払うかのように、テイオーが元気な声を出してきた。
「と、とにかく! 一泊二日の海水浴旅行、トレーナーもついてきてね!」
かくして。
俺とテイオーは知り合いと共に、メジロ家のプライベートビーチへ旅行しに行くことになったのであった。
~~~~~~~~
「じゃあ、スターちゃんの水着選んでいこうねー!」
「お、お手柔らかに」
テイオーからの話を聞いてから次の日。
俺はマヤと集合して、水着を買いに出かけた。
訪れたのは前回の都内の服屋ではなく、学園近くのショッピングモールだ。
学園帰りだろうか、トレセン制服姿のウマ娘が多く視界に映る。
そのショッピングモールの一角にある、ウマ娘向けの水着コーナーに俺達は来ていた。
「まずはスターちゃんの希望聞いておこうかな〜。どんなタイプの水着がいいとかある?」
「そうだな……」
正直女性の水着事情なんて全く知らないし、どんなタイプがあるのかよく分からないがこれだけは言える。
「露出が少ないやつで」
「うーん☆ それだと競泳水着とかになっちゃうな」
別にいいのでは? と言いそうになってしまったが、マヤの謎の圧力に阻まれて言葉に詰まってしまう。
今彼女に効果音とかをつけるとするならばゴゴゴとかが正しいだろうか。絶対にそんな水着は着せないという強い意志を感じる。
「もう! テイオーちゃんも期待してるんだから可愛いの選ぶからね!」
「はい…… てか、なんでテイオーは一緒に来なかったんだ?」
前にテイオーに質問してはぐらかされた質問を、マヤにしてみる。
彼女なら何か知ってると思ったからこその質問だったのだが、マヤが「あぁ~」とどこか遠くを見たような目で口を開いた。
「多分暴走しちゃうからじゃないかな……」
「暴走? なんでだ?」
「スターちゃんは知らなくていいと思うな。どうせ当日ある程度分かるよ」
相変わらずマヤの答え方は色々と謎が多い。今回の答えもいまいち要領を得なかったし……
暴走って何が暴走するっていうんだ。
俺がまた疑問に感じていると、彼女が俺にぐいっと近づいてきて一着の水着を俺に見せてきた。
「どうかなこれっ! スターちゃんに似合うと思うな!」
「あの、勘弁してください……」
持ってこられてたのは真っ白なビキニタイプの水着。いくら知り合いしかいない場面だとしてもこれを着るのはなかなかに抵抗がある。
マヤが「えー」と言いながら不満げな顔を浮かべているが、絶対に俺が耐えられない。
これを着るならば前勧められたへそ出しホットパンツを着る方がマシだ。
一番露出が高いやつじゃないか……と心の中で文句を言いつつ店の中をきょろきょろと探してみると、丁度良さそうなのを見つけた。
「ほら、これとかなら……」
俺が手に取ったのはどうやらタンキニと呼ばれるタイプの水着で、トップの部分がタンクトップ型になっているセパレートタイプの水着のことだ。
とにかくお腹周りの露出が少なく、体の大部分が布で覆われている。
しかも下の部分はパンツタイプになっており、下半身付近の露出もばっちり無しだ。
「うーん……似合ってると思うけど…… どうせならもうちょっと欲しいよ~」
「欲しいって何が……」
「可愛いさ、かなっ☆」
マヤがはっきりと言い切る。その言葉に一切の迷いは無かった。
なんで俺に対してそんなに可愛さを求めたがるんだ……水着なんて泳げればいいだろ。
そう思っていた俺に対して彼女が溜息をついて、その後力説してきた。
「もう、スターちゃんは可愛いんだから! 水着はおしゃれと同じなんだよ? みんなの前で可愛くない格好晒すわけには行かないでしょ?」
「確かに……?」
言われてみればそうなのか……? プライベートビーチとは言え、見せる人はいるわけだしそこで変な恰好晒すわけにはいかないのか。
そう思うとスーツって凄いな。基本どこ行っても不審に思われないし。
俺が普段着ているスーツの凄さに地味に感動していると、マヤが俺の腕をぎゅっと掴んできた。
「マヤが色んな水着見繕ってあげるから、そこから選ぼ? ほら、あっちに試着室あるから!」
「それなら頼もうかな…… あんまり露出高いのはやめてね」
「アイコピー! スターちゃんに似合う水着マヤが選んであげるよー!」
そう宣言して、試着室に俺が連行される。
あぁ、これは選ぶのに時間かかるな。とか、着せ替え人形にされてしまうなと思いつつ、俺はマヤの持ってきた水着に袖を通すのであった。
「いや、これはちょっとダメじゃない?」
~~~~~~~~
水着を選んでから数日後。テイオーが指定した海水浴旅行の当日になった。
今回はメジロ家の全面協力によって成り立っているらしく、なんとバスでプライベートビーチまでいくらしい。これにはメジロ家に感謝で頭が上がらない。
そんな訳で集合場所に指定された駅に到着した時に、まず最初に俺はメジロマックイーンにお礼をしにいった。
「ありがとうな。マックイーン。テイオーがわがまま言ったみたいで」
「いえ、私も行きたかったので丁度良かったですわ。テイオーが誘ってくれなかったら、私が誘うくらいでしたもの」
「そうなのか…… ならいいけど……」
俺がそう感謝の言葉を述べた後、集合場所の辺りを見渡すと見知ったウマ娘が多くいる。
テイオーにマックイーン、ネイチャ、マヤにどこから呼んだかレグルスナムカにアーティシトロンまでいる。
ここまで大所帯になるからバスを用意したのか……
俺が予想外の人数に驚いていると、マックイーンが「驚くのはまだ早いですわよ」と声をかけてきた。
「ここにクリークさん達も来る予定ですわ。私達に教えて下さった方ですわね」
「本当に大人数での旅行になるのか…… 大丈夫なのか? 色々と」
「ある程度参加費は取らせていただきましたし。とんとんといったところですわね」
確かに一応参加費は払うことになったのだが、それでもかなりメジロ家の負担が大きいように見える。
本当にマックイーンには頭があがらない。
また心の中でマックイーンに感謝の言葉を述べていると、彼女がふと思い出したのかとあることを言い出した。
「そう言えば今回の旅行、全部テイオーが企画して人まで集めたのですわよ?」
「テイオーが? それは随分と張り切っているな……」
「きっとみなさんと……いえ、スターさんと素敵な思い出を作りたかったのだと思いますわよ」
もしマックイーンの言葉が本当ならば、テイオーの心使いは素直に嬉しい。
確かに、夏合宿はどちらかというと練習などが多く遊びと言っても息抜きの休憩が多かった。思い出と言っても夏らしいことは一つもやっていない。
だから、テイオーがこの企画を立案したというならば俺もそれにあやかって楽しむのが礼儀なのかもしれない。
俺が考えごとをしていると、遠くの方からどこかで聞いたことのある声が聞こえた来た。
夏合宿中に散々聞いた馴染みのある声。テイオーの師匠であるタマモクロスさんの声だ。
それと同時に他のウマ娘の声も聞こえてくる。音のなる方に振り向いてみると、タマモクロスさん以外に三人のウマ娘。
一人は葦毛に黄色のティアラを被った言わずと知れた超有名ウマ娘。タマモクロスさんと同時期に争い、ネイチャの師匠となったウマ娘オグリキャップ。
二人目はそのオグリキャップの後ろについてきている、身長は少し小さめで「B」を象った髪飾りを左右につけているウマ娘。一部の界隈ではかなり有名で、俺と同じでウマ娘でありながらウマ娘をサポートする科にいるアーティシトロンの同郷のベルノライト。
そして三人目は母親のような笑顔を浮かべているおっとりとした気性のウマ娘。長い髪を一つ縛りにしたそのウマ娘はマックイーンの師匠となったウマ娘スーパークリーク。
なんとここに、永世三強の二人に同じ世代に活躍したレジェンドウマ娘が一人いることになる。
レースファンからしたらこの光景をみたら卒倒ものだろう。
その気持ちはここにいるウマ娘も同じみたいで、ネイチャが「ひょえ〜」なんて声を漏らしていた。
「いやぁ、メンツが豪華ですわ。ネイチャさんの居場所が無くなっちゃいますよこりゃ」
その気持ちはよく分る。俺もこんなレジェンドたちと一緒にいるなんて理由が無きゃ居られないだろう。
……いやもしかしたらこれはいい機会なのでは?
彼女達に普段の練習を聞き出せばこれからのトレーニングで活かせるに違いない。
そう思っていると、いつの間に隣にいたのか。テイオーが俺の肩をポンポンと叩いてきた。
「お仕事の顔になってるよ! 今はお仕事禁止だからね!」
「そうだよ! 今は目一杯楽しむのが大事ってマヤ思うな☆」
「……分かったよ」
二人に注意されてしまったら仕方ない。
それに今回はせっかくテイオーが考えてくれた旅行だ。仕事は忘れて俺も楽しむことにしよう。
俺がそう心に決めていると、旅行に行く全員が集まったみたいでマックイーンが声をかけてきた。
「皆様、集まりましたわねー! それではバスに乗ってくださいまし!」
「だってさ! 行こっ! トレーナー」
テイオーに手を引っ張られてバスに乗り込んで一緒に隣の席に座る。
有無を言わさずにナチュラルな席決めだった。まるで俺の場所はそこでしか無いぞと言わんばかりに。
通路を挟んで反対側にはマヤとネイチャが。俺の正面の席にはレグルスが席を取る。
アーティシトロンはネイチャの前の席を取っていた。
「さぁ、出発だよ! マックイーン、マイク!」
「かしこまりましたわ! さぁ、最初からかっ飛ばしていきますわよ!」
「最初から!?」
「テイオーさんの生歌がこんな近くで!? こんなファンサービスいいんですか!?」
「むっ、なら次は我も歌おう。テイオーに遅れは取らない」
「マヤ、テイオーちゃんと一緒歌う~」
「クリーク、うちを膝に乗せようとするのやめへんか?」
「あらあら~。甘えてもいいんですよ!」
「その気遣いいらんっちゅーねん!」
「ベルノ、お菓子ってもう食べていいのか?」
「あはは……いいんじゃないかな」
こうして騒がしいバスの中、俺達の旅行がスタートした。
~~~~~~~~
中で快適な環境のままバスに揺られつつ数時間。
ようやく、メジロ家の合宿場のあるプライベートビーチに着いた。
「海だー!」
「こらっテイオー。先に荷物ですわよ」
「分かってるって!」
「いやはや、テンション高いですなぁ」
テイオーが夏合宿中に見れなかった海にテンションが上がっている中、俺達はバスから自分の荷物を下ろしていく。
メジロ家の合宿所──別荘はかなり広く、この人数でも文句なく寝泊り出来るほどだった。
改めてメジロ家の財力の大きさに感心していると、もはやこの旅行のガイド役になったマックイーンから全体に向けて声がかかった。
「別荘の一階に更衣室がございますわ! そこで着替えて海に集合という形に致しましょう!」
全体から了解といった意味の返事が上がる。
そうここからテイオーが待ちにまった海水浴なのだが、俺はちょっとテンションが低い。
というか、少し気後れする。本当にこれを着るのか……
ちょっと鬱気味に顔を下に向けると、マヤが俺の顔を覗き込んできてウインクしてきた。
まるで「自信もって!」と言いたげに。仕方ない、俺も腹をくくるか……
荷物を一旦別荘に下ろして、水着を荷物の中から取り出す。
更衣室に真っ先に駆け込んだテイオー達が出ていくのを見計らってこっそり入った俺は、マヤに選んで貰った水着に着替える。
誰もいなくなった更衣室でこっそり着替えた俺は、何の意味も無いのに静かに部屋から出る。
そして、プライベートビーチに向かうと水着に着替えた他のウマ娘がみんな集まっていた。
「あっ、スターちゃん来たみたいだよ!」
「ホント!? トレーナーこっちだ……よ?」
「うぅ……」
最終的にマヤが選んだ俺の水着は、上が青と白を基調としたリボンビキニタイプ。そして下は俺が露出少なめなのが気に入った布を巻きつけているパレオタイプの水着だ。
マヤのセレクトのため、フリルが入っておりリボンも含めてかなり可愛さを強調している水着になっているのだが、俺に似合ってるのか不安だ。
「凄い似合ってるよ! トレーナー!」
「でっしょ〜? マヤのチョイスは間違って無かったみたいだね!」
「なんや、ごっつかわええやん。似合ってるで」
テイオーやタマモクロスさん達が物凄い勢いで褒めてくるので、慣れていない俺は顔が急速に真っ赤になっていくのを自覚してしまった。
この顔の熱さは夏の暑さによるものだけじゃないはずだ。
顔を下げて今すぐに隠れたくなるのを我慢してテイオーの水着を見てみると、ワンピースタイプの少し露出が少なく可愛いフリルが多いタイプの水着だった。
勝負服と同じ白を基調とし、可愛らしく青が配置された水着は彼女によく似合っていた。
「……テイオーも可愛いぞ」
せめてもの仕返しと自分の本音を混ぜてテイオーを褒めてみたのだが、言ってからテイオーは褒められ慣れていると思ってしまった。
しかし、返ってきた反応は予想とは少し違うものだった。
「へ? あ、ありがとう……」
何故かテイオーも少し顔を赤くしながらお礼を言ってくる。目がふにゃりと垂れてにやにやと頬を緩めながら照れ照れと体をくねらせている。尻尾はぶんぶんと揺れており、嬉しさを隠しきれていない。
いつもなら「ふっふーん!」くらい言いそうなものだったからちょっと驚いてしまった。
そして訪れる少しの静寂。ちょっと気まずい雰囲気が流れたタイミングで、テイオーが大きく口を開いた。
「さっ、トレーナー遊ぼ!」
彼女が俺の腕をきゅっと握って、優しく引っ張って来る。
俺はその力に抵抗せずに、みんなが待っているビーチの海の方へ向かうのであった。
~~~~~~~~
「ねぇ、トレーナーってなんか日焼け止め塗ってるの?」
「いや塗って無いが……」
海の方に向かった俺は、浜辺で遊んでいるみんなを眺めつつビーチパラソルの下で座っていたのだが、テイオーがこっちに来てそう訊ねてきた。
日焼け止めなんて持ってきてすらいなかったな。水着で海に入ると思ったから、付けなかったけどやっぱりいるのか?
「ダメだよ! トレーナーの肌綺麗なんだから、塗らないと荒れちゃうよ?」
「肌ヒリヒリするのは流石にやだな…… 日焼け止め貸してもらっていいか?」
俺は日焼け止めを持ってきていなかったのでテイオーに貸してほしいと言った所、テイオーがバッグの中から日焼け止めクリームを取り出した。
すると、テイオーが日焼け止めをじっと見つめて何を思ったのかぽそりと呟いた。
「もしかしてチャンス……?」
「へ? 何が?」
「トレーナー! ボクが塗ってあげるよ!」
顔をガバっとあげてテイオーがそう宣言してきた。
いや、自分で塗れるぞと言いそうになったがよく考えたら前の方は塗れるが背中の方は自分では届きにくい。
そこまで考えると、テイオーの申し出はとてもありがたい。
俺は背中をテイオーの方に向けて座ると、彼女に頼みごとをした。
「じゃあ後ろお願いしてもいいか?」
「りょ、りょーかい! 任せて!」
少し声が途切れながらテイオーが返事をしてくる。
というか女の子はみんな日焼け止めを塗って海に入るのか。なんてそんな考えたことも無かったことに思いをはせていると──
「うひゃあ!」
いきなり背中に冷たい感覚が走り、口から俺の声とは思えないほどの甲高い声が響いてしまう。
恐らく、日焼け止めクリームの感触なのだろうが想像以上に驚いてしまった。
その声は海で泳いでいた組にも聞こえたらしく、「なんやなんや」とこちらの方を見てくる視線が伺える。
俺の顔がまた急速に赤くなっていくのを自覚してしまい、自分の体が小さくなってしまう。
「トレーナー今の」
「……忘れろ」
「二回目だね、こういうの」
そう言えばこんなことがかなり前にあった気がする。確かテイオーと初めて一緒にお風呂に入った時だったか。今となっては懐かしい。ではなく。
「恥ずかしいのでやめてください……」
何故か敬語になってしまうまで頭が混乱していたが、とにかく羞恥心のせいで頭がおかしくなりそうだ。
自分からこんな声が出たのかという衝撃もあるし、みんなに聞かれたというのもある。
それに納得してくれたのか、テイオーが気遣ってゆっくり日焼け止めクリームを背中に塗り広げてくれる。
新しくクリームを追加する時は「また触るよー」と忠告してくれたので、さっきみたいな声を出すことは無かった。
背中に塗り終わったら次は前や足なのだが、ここは自分でやった。流石にここまでテイオーにやらせるわけにはいかない。
日焼け止めクリームを塗り終わると、海辺の方からマックイーンの声が聞こえた。
「皆様ー! スイカ割りをやりますわよ!」
「なぁ、タマ。スイカ割りって何だ? そのまま食べるんじゃないのか?」
「うせやろ…… まんまやで、木の棒とかでスイカ割ることや」
「その時には目隠しをしたりしますね~」
「オグリちゃん、そのままスイカに齧りついちゃダメだからね」
オグリキャップさんが謎の天然ボケをかましている所を周りから突っ込まれている。
にしてもスイカ割りか…… そんなのやったこと無かったな。
マックイーンがスイカをビニール袋で包み、砂浜におく。ビニール袋で包んだのは、スイカが周りに飛び散らないようにするためだろう。
「それではスターさんが一番手でいいですわね?」
「え? 俺?」
「マヤはいいよ~」
「アタシは後方支援としゃれこみましょうかねぇ」
いつの間に決まったのか。当たり前のように俺が指名されてしまい、耳がぴくりと動く。
どうしようかときょろきょろとしていると、テイオーが「行ってきなよ」と俺の方に視線を向けてきた。
みんなノリノリなのにここで断るのは悪いと判断した俺は、ビーチフラッグの下から立ち上がり、駆け足でマックイーンがいる方に向かう。
「はい、これが目隠しと棒ですわ」
スイカがある方に近づくと、彼女から木の棒と目隠しを渡された。
俺はその言葉に従って目隠しをつけて、木の棒を持つ。
当たり前なのだが前が真っ暗で見えず、ほかのウマ娘の声だけが聞こえてくる状況だ。
俺はこの後どうすればいいのかと固まっていると、外野からの指示が耳に入る。
「そのまま真っ直ぐだよ! トレーナー!」
「うーん、もうちょっと右ってマヤ思うな」
「もうちょい左ですよっと。あれこれ案外楽しいかも……」
「匂いでいけるぞ。しっかり嗅いでいくんだ」
「それが出来るのはオグリだけやで」
わいわいと色々なウマ娘からの声が聞こえてきて、どれが正解かいまいち分からない。一応、言葉に従って暗闇の中をうろうろとしていると、レグルスから声がかかった。
「うむ、そこだな。そっから真っ直ぐ振り下ろせ」
言葉通りならばどうやらここにスイカがあるらしく、俺はその前で立ち止まって木の棒を上に振り上げた。
しかし、ここで一つの疑問点が思い浮かんでしまった。
それはこのまま思いっきり棒を振り下ろしたらスイカはどうなってしまうのかと言うことである。
言うまでも無く俺はウマ娘だ。ウマ娘はかなりの力があり、恐らくだが力を入れるすぎるとスイカは粉々になって食べれなくなってしまうだろう。
いくら俺がウマ娘の中だと弱いからと言っても、力加減に気をつけなければいけない。
……で、どれくらいの加減で叩けばいいんだ?
頭の中で散々悩んだ結果、俺はなるべく力を入れずに木の棒を振り下ろした
──ぽすん。
その結果、スイカは割れずに棒が衝突した悲しい音が砂浜に響いた。
「「「か、かわいい……」」」
見ていたほぼ全員が口を揃えてそう言ってきた。
やめてくれ……かなり恥ずかしい……
今日だけで何回顔を赤くしなければいけないんだと思いながら、目隠しと棒をマックイーンに返す。
すると、彼女が自分の顔に目隠しの布を巻き付けて木の棒を構えた。
「仕方ありませんわね! 私がお手本を見せてあげますわ!」
まるで野球選手のバッドの使い方で構えた彼女がスイカから少し離れたところからスタートする。
そして──
「かっとばせー!!!」
指示通りに動いたマックイーンが思いっきり木の棒を叩きつけた結果。
スイカがビニール袋の中で粉々に砕けちったのであった。
「ど、どうしてですの!」
その瞬間、どっと笑い声がビーチを包み込んだ。
そんな中テイオーが笑いながら、マックイーンに対して突っ込んだ。
「マックイーンってお嬢様というよりお笑い芸人みたいだよね」
「テイオー!? どう言うことですの!? ネイチャさんもそうは思いませんわよね?」
「いやぁ……」
「どうして目を逸らすんですの?」
キャッキャと俺の担当ウマ娘と同期達が戯れていて俺もほっこりする。
その後、粉々に砕け散ったスイカはスーパークリークさんがジュースにしてくれて美味しく頂いた。
たまにはこんなレクリエーションもいいなと思うことができた時間だった。
そんなスイカ割りを楽しんでいると、テイオーからとあるお誘いを受ける。
「トレーナー、泳ぎに行かない?」
そう言われてふと気付いた。俺、泳いだこと無いなと。
そうなると泳げるか少し不安だが、俺は目がいいおかげもあり他の人の動きを真似出来る特技がある。
さっきまで他の人が泳いでる姿を多少見ていたので恐らく泳げるだろう。
海に来て全く泳がないというのも水着で来た意味がないように思える。
そう思った俺はテイオーに着いて行って海に足を踏み入れた。
ひんやりとした感覚が足に伝わってきて、少し気持がいい。
ちゃぷちゃぷという音が鳴り響きながら奥の水深が深い方へ進んでいき、いざ泳ごうとすると──
「うわあああああ!!! トレーナーが溺れたあああああ!!!!」
~~~~~~~~
「げほっ、げほっ! すまん、テイオー助かった……」
「だ、大丈夫? ごめん、まさか泳げないとは思って無くて……」
自分も泳げない事実に驚いている。まさか溺れるほど俺が金槌だったとは……
いや正確に言うと泳ぐのが初めてで、陸との勝手の違いに驚いてしまったというか……
多分、もう一回やれば行ける……はず。多分。
一応俺も自分でもいけると思い、もう一度挑戦しようとしたらテイオーとマヤに目の前を塞がれた。
「ダメだよ、トレーナー!」
「そうだよ! マヤ心配だからね!」
こうして謎の過保護っぷりを発揮されてしまい、泳ぐことが出来ない。
だがこのまま海にやられっぱなしというのも悔しいので、なんとか彼女たちを説得したところ、テイオーが手を掴んでのマヤ達の監視付きで泳ぐことを許可された。
俺は子供か……?
こうしてテイオーの手を掴みながら海に入り、ぱしゃぱしゃと浅瀬でバタ足をすることになったのだが……
「なんかトレーナー、普通に泳げてない?」
「だから言ったろ。さっきはちょっとびっくりしただけだって」
案の定普通に泳げた。
良く思い返してみればトレセン学園内でテイオーで泳いでるところも見ていたし、普通にそれコピーすれば余裕だったのだ。
テイオーとマヤもそれを見ていて安心したのか、普通に泳ぐことを許可してくれる。
その結果、普通に一日で……というか一瞬で金槌を克服することが出来たのであった。
俺が浜辺で泳いだり、テイオー達と戯れているとスーパークリークさんからお声がかかった。
「そろそろバーベキューしましょうか~」
「バーベキュー!」
俺と違って本当の金槌なのか。浜辺でお絵描きをしていたオグリキャップさんが一瞬で反応して声のする方に近づく。
海の浜辺でバーベキューとは。本当に夏らしいイベントを企画したな、テイオーは。
スーパークリークさんの声に反応したウマ娘達がわらわらと準備のために集まってくる。
「じゃあ、ボク火起こしやるね!」
「私は食材を持ってきますわ」
「ネイチャさんは食材の準備しますかねぇ」
「あーマヤも!」
「なら我は……機材というこの準備でもするか」
みんなが協力してそれぞれの仕事に取り掛かる。
俺もテイオーと一緒に火おこしの準備をしていると、あっという間にバーベキューの準備が出来てあとは焼くだけになった。
肉や野菜を焼いて、それをみんなで食べる。
なんともべたなバーベキューだが、浜辺でやっていることとこのメンバーでやっているという事実が特別感を増していた。
和気あいあいとした雰囲気の中、それぞれで楽しそうに話しながら食事をする。
テイオーにマックイーン、ネイチャ、レグルス。
このメンツで菊花賞をかけて争うのだが、今はライバル関係を忘れて友達として楽しんでいいだろう。
俺は火が強火になってしまった影響で、少し焦げた肉を口の中に放り込みながらそんなことを思っていた。
~~~~~~~~
ざざーんと波の音が夜の浜辺に響く。
夜の海は一歩でも踏み入れたら、吸い込まれてしまいそうなほど暗く、黒い。
バーベキューも終わり一通り海で遊んだ俺たちは、いい時間となったのでメジロ家の別荘に戻ることになった。
その後、シャワーを浴びて寝る準備をしたウマ娘達だったが俺はその中でこっそり抜け出して、一人でプライベートビーチに座っていた。
海の音と香りが辺りを漂い、自分の髪を海の風が撫でる。夜の海は一人孤独感を味合わせる感じが強かった。
そこに、俺以外の声が響いた。
「トレーナー、どうしたのこんなところで?」
「いや、ちょっとな……」
本当にここに来た理由は特に無い。海を眺めたいとも夜の海を泳ぎたいとも思ったわけではない。その証拠に今はジャージで外に行く時だけの姿だ。
じゃあ、なんでこんな所にいるのかと聞かれると俺にも分からない。
ふらふらと流れるままにいつの間にか夜の海を眺めていた。今の時間帯には人を引きつける魔力がこの海にはあるのかもしれない。
なので俺が答えに詰まっていると、テイオーが隣に腰を下ろして座ってきた。
「夜の海もいいね。昼間とは違ってなんか静かな感じだよ」
「そうだな。静かだ」
「……」
「……」
一言テイオーと会話してまた訪れる静寂。俺達の声は穏やかな波に吸われていく。
一緒に夜の海をぼんやりと眺めていると、テイオーがその静寂を打ち破るかのように口を開いた。
「トレーナーは海って初めてなんだっけ?」
「あぁ、俺は来るの初めてだな」
「実はボクの家、近くに海があってさ。浜のテイオーなんて呼ばれたりしてたんだよね」
「へぇ……」
それは初耳だ。テイオーの幼少期か…… きっと今と変わらずに元気なウマ娘だったんだろうな。
テイオーの過去に思いをはせていると、彼女が急に立ち上がって俺の方を見下ろしてきた。
「ねぇ! いつかボクの家に来てよ! パパもママも歓迎してくれるからさ!」
「そうだな…… いつか行くよ」
「菊花賞終わったらでもいいよ!」
「じゃあ、勝利報告しなきゃな」
「勿論!」
テイオーが胸を張ってとんと自分の胸辺りを叩く。自信満々で、負ける気はないといったところだろうか。
俺がその気持ちで嬉しくなって自然と笑みが零れていると、いきなり人工的な光が視界の中に入ってきた。
何事だと思って光の方に振り向くと、花火だろうか。火薬の匂いと独特な音がこちらまで漂ってきた。
「お二人とも~ 花火しますわよ~!」
マックイーンが俺達に声をかけてくる。よく見るとみんな集合しているようで、夜の海にまた光が灯った瞬間だった。
「いこっ! トレーナー!」
夜にも関わらずキラキラしたテイオーの笑顔が、俺の瞳に映る。
そして彼女が差し伸べてきた手をそっと取り、俺はテイオーに引っ張られながら花火の光の方に飛び込むのであった。