「いけっ……テイオー」
ぽつりと呟いた声が屋内にある観客席内で響き渡る。
場所は京都レース場のとある関係者席──トレセン学園のお偉いさん方が座る場所に彼女達はいた。
頭の上に三日月の流星を携えた彼女こそがトレセン学園生徒会長シンボリルドルフだ。
更にそこに同じ生徒会のメンバーであるエアグルーヴとナリタブライアンも座っていた。
彼女達はトレセン学園のある府中からはるばるこの京都レース場にまで訪れたのだ。
勿論目的は視察──というのもあるが、応援も彼女達の目的の一つだった。
なによりよく生徒会室を訪れては、元気を届けてくれるトウカイテイオーの三冠が掛かっているレースでもある。
生徒会メンバーが応援するのも納得の事だろう。
「ふむ……テイオーの奴、領域に入ったのか。これは喰いがいがある」
「ブライアン! 貴様は言い方に気を付けろ!」
ナリタブライアンが自分では無意識の内に言ったことに、エアグルーヴから注意を受ける。
ナリタブライアンは常に飢えているというのもあり、強者を見つけるとすぐに飛びついてしまうところがあるのだ。
それを理解していない生徒会メンバーでは無かったが、言い方を注意するくらいはエアグルーヴの役目でもあるだろう。
「はは。ブライアン、やっとテイオーのことを認めたかい?」
「ふん…… やっと喰いごたえがあるところまで成長した。それだけだ」
「全く…… 君は素直じゃないな」
顔を少しぷいっと向けながらナリタブライアンがそう発言する。
シンボリルドルフがその発言に苦笑しつつターフを見下ろすと、トウカイテイオーが三本の指を天高く掲げているのが見えた。
三冠を取ったというポーズであることを認識したシンボリルドルフは、思わず笑みがこぼれる。
「さて……菊花賞ウマ娘二人の誕生か。これは忙しくなるぞエアグルーヴ、ブライアン」
「えぇ、会長。私達もいっそう気合をいれなければ」
そう新たに彼女達が気合いを入れていると、ナリタブライアンがシンボリルドルフにぽそりと一言呟いた。
「ルドルフ…… お前はそれでいいのか」
「どういうことだい? ブライアン」
これに関しては本当にブライアンの言っている意味をシンボリルドルフは理解できなかった。
呆れたように言葉を放ったナリタブライアンに彼女が首を傾げていると、エアグルーヴの耳が警戒心からかぴくりと動く。
それ以上言葉を紡ぐなとエアグルーヴがナリタブライアンに視線を送るが、それでも彼女は止まらなかった。
「トウカイテイオーは無敗の三冠を取ったぞ。前までの貴様だったら微笑んでいなかった。もっと獰猛な笑みを浮かべていたはずだ」
「ブライアン! 貴様!」
「今のお前には闘志が無い。まるで空虚なレースを走っているみたいだ」
「はは……手痛い忠告だな。ブライアン」
シンボリルドルフがそっと顔を下に伏せながらナリタブライアンから目線を逸らす。
目線を逸らした先には、トウカイテイオーとメジロマックイーンを称える歓声が上がっていた。
そのキラキラとした光景に目をシンボリルドルフが細めていると、ナリタブライアンがかつかつと力強い足音を出しながら、彼女に近づいて来た。
すると、ナリタブライアンがシンボリルドルフの胸倉をぐいっと掴むと目線を無理やりこっちに向けた。
「こっちを見ろ! シンボリルドルフ! 貴様の目は死んでいるのか!」
「なっ、ブライアン。何をしている!」
エアグルーヴが驚いて取っ組み合った彼女達に近づこうとするが、シンボリルドルフが手だけでエアグルーヴに対して待てと合図を送る。
そしてそのままの体勢でナリタブライアンに向き合った。
「誰が……死んでるってブライアン?」
きっと目を光らせて彼女はナリタブライアンの事を睨むが、はっと口から溜息を漏らされる。
そしてナリタブライアンが胸元を掴む力を強めると、彼女に対して強い言葉を投げかけた。
「今の貴様は死んでいる! 腐ったような目をして、帰るかも分からないトレーナーを待っている! それでいいのか!?」
「ブライアン……」
実際、シンボリルドルフは常に死んだような目をしていた。
トレーナー。
その言葉を出された瞬間に、彼女の目が揺れ動き悲しい目になる。
そしてその目は観客席に向けられて、彼女の目が明るい光に押しつぶされ──
「トレー……ナー……君?」
「会長!?」
瞬間。
ナリタブライアンが掴んでいた手を思いっきり叩くと、シンボリルドルフの浮いていた体が宙から落下する。
そして、そのまま屋内の関係者席のドアを思いっきり開けると、彼女は外に飛び出していった。
「くそっ……」
「やりすぎだ! 貴様!」
「うるさいぞ…… こうでもしないと奴は立ち直れん……」
「それは…… そうかもしないが……」
ナリタブライアンは出ていったシンボリルドルフを追いかけずに、その場で胡坐をかいて座り込んでしまった。
無敗の三冠バ。現役最強と言われたシンボリルドルフは今はもういないのだと、ナリタブライアンは悲しい目でシンボリルドルフが辿った道を眺めた。
エアグルーヴもそれに関しては思う事があったのか。彼女は強い言葉を言えずに、ナリタブライアンを見ていたのであった。
~~~~~~~~
「はぁ…… はぁ……」
シンボリルドルフが走って向かったのは屋外の観客席のとある場所。
彼女は上でナリタブライアンに胸ぐらを掴まれていた時に、見えたのだ。自分のトレーナーが。
彼女のトレーナーは別に死んだわけではない。
とある日、ぽつんと彼女をトレセン学園に残して消えたのだ。
──いつか帰るから、とだけ手紙を残して。
その日からシンボリルドルフはおかしくなり始めた……いや一つのねじが取れたように動かなくなったのだ。
トレーニングは他のトレーナーが見てくれることになったのだが、最低限こなして最高の結果を残して終わる。まるで機械のように最低限を最高率でこなすだけ。
代わりに生徒会の仕事で生徒会室に籠る事が多くなった。それは、自分の穴を埋めるかのようだった。
そこに現れたのがトウカイテイオーだ。
自慢の明るさでちょこちょこと飛び回る姿はシンボリルドルフに元気を与えた。
そして、トウカイテイオーはシンボリルドルフの闘志にも火をつけた。
トウカイテイオーの「センセンフコク」に対してしっかりと返事をした彼女は、確かにいつも以上にトレーニングをするようになった。
だが、彼女の目はずっと──死んだままだった。
「どこだ…… トレーナー君」
──ちらっとしか見えなかったが、私が見間違えるわけがない。あれは、トレーナー君だった。
一瞬だけ確認したのは、屋外の観客席。彼女はそこで座っている帽子を被っていても
白毛が目立つスターゲイザーと、自分のトレーナーが一緒にいたのを確認した。
だがこの大勢の中、下に降りて人探しなどウマ娘の能力をいかしても無茶に近い。
それはシンボリルドルフ自身も理解はしていたが、体が勝手に動いてしまったのだから仕方のない事だったのだ。
そして結局、シンボリルドルフのトレーナーは観客の大歓声と人混みの中に消えてなくなった。
~~~~~~~~
その夜──具体的に言うと、菊花賞のウィニングライブの時。
シンボリルドルフは後ろからでも目立つスターゲイザーを探してライブの席をうろうろとしていた。
スターゲイザーを探す理由はただ一つ。自分のトレーナーを探すためなのだが、それを最初から話すのも失礼だろうと考えた彼女は、スターゲイザーを見つけるととんとんと肩を叩いて口を開いた。
「やぁ、スター。やっと会えたよ」
「ルドルフ……何か用か?」
「いやね、ちょっと話しておきたくて」
ふふと柔和な笑みをうかべるように彼女に話しかけ、なるべく警戒心を与えないようにする。
そして、目を細めるとこう発言した。
「こちら側へようこそ。スターゲイザー、歓迎するよ」
「こちら側って……」
「まぁ深く考えなくていい。簡単に言うと時代を創ったということさ」
領域に入ったウマ娘は時代を創る──と言われている。そのことを話した彼女だったが、スターゲイザー自身はあまり自覚をしていないようだ。
そう、シンボリルドルフは見抜いていた。
スターゲイザー自身も領域に入り、テイオーと一緒に走っていたことに。
例え今走っていなかったとしても、皇帝と呼ばれていた目は健在だった。
シンボリルドルフ自身気付いたのはたまたまに近かったため、他に見抜いている人なんて少なそうだがと感じていた。
──それこそ私のトレーナー君くらいか……
それを踏まえての言葉だったのだが、スターゲイザーは「はて?」と首を傾げたような仕草を取る。
それを見てもう一度目を見ると、スターゲイザーに対して彼女はお礼とも取れる発言をした。
「あと、おめでとう。嬉しいよ、テイオーが優勝して」
「どうも。良かったらテイオーにも直接言ってやってくれ」
「そうだね。これが終わったら言っておくさ」
「きっと凄い甘えてくるぞ」
「あはは。私は思った以上にテイオーが好きだからな。きっと甘やかしすぎてしまいそうだ」
これに関しては彼女の本音だ。
トウカイテイオーが好きでなんやかんやえこひいきして甘やかしてしまうことは、彼女自身自覚していた。
だがそれが彼女は心地よく、シンボリルドルフとして尊敬されているのが分かった以上。無下にするわけにもいかない。
トウカイテイオーとメジロマックイーンたちがステージ上で踊っているのを見て、彼女は走っていた者から感じ取れる喜びや感謝の気持ちを受け取っていた。
その時にふとシンボリルドルフは思う。
──はて、私がウィニングライブをした時はどうだったかな。
と。
その気持の根幹にもあたる原因──本題をシンボリルドルフはスターゲイザーに尋ねた。
「あぁ、一つ聞いておきたいのだが」
「なんだ?」
「あー、そのトレ……須藤という男を見かけなかったか?」
自分のトレーナーの行方を消え入りそうな声で呟く。
その姿は縮こまり、皇帝とはほど遠い姿で一介の少女に過ぎなかった。
が、そこまでスターゲイザーは気付かず自分の見かけた情報を素直に話す。
「見かけたけど…… 今はもういないと思うぞ。帰るって言っていたからな」
「そうか…… 情報提供感謝する。なら今はこのライブを楽しもうか」
現実は無情である。そうシンボリルドルフは感じた。
彼女自身思った以上にショックを受けていることに驚きつつ、もう半分耳に入っていなかったウィニングライブを聞いていると、トウカイテイオーが「あー」とマイクに声を乗せているのが聞こえてきた。
「みんな今日はありがとうー! ボクが無敗の三冠ウマ娘になれたのはみんなのおかげだよ!」
「私も菊花賞ウマ娘になれたのは皆さまの応援ありきの事ですわ。本当に感謝しています」
「ま! 今日はホントはボクが勝ってたんだけどね~ カメラではとらえきれなかったみたい!」
「違いますわ! 私の勝ちです。 私が一歩先でしたわ!」
「何を!」
ギャーギャーと可愛く言い合う声が会場内に響き渡る。
それを見たシンボリルドルフはまるで太陽を見るかのように目を細めてこう思った。
──眩しいな。
トウカイテイオーもメジロマックイーンもレグルスナムカもナイスネイチャも、そして隣にいるスターゲイザーも。みな「今」を生きている。
それに比べて私はどうだ。
私は「過去」に囚われている。
このままだといけないのは分かっている。だが、これ以上に何もすることが出来ないのだ。
と。
静かに息を吐きつつ、ステージ上を見ると彼女達の言い合いが終わりマイクに向かってとある宣言をした。
「「決着は、有マ記念で!」」
そうトウカイテイオーとメジロマックイーンが言うと、会場内が更に盛り上がって期待の声があがる。
スターゲイザーも気が引き締まった顔で次に向けて進もうとしている顔をしていた。
その場でただ一人後ろを見ていたのは──シンボリルドルフ、ただ一人だったのかもしれない。