私には一つ上のお姉ちゃんがいる。
優しくて、温かくて、そして一緒にいると安心するお姉ちゃん。
だけどお姉ちゃんはちょっと変わっていた──いや、おかしかったのは家族の方だったのかもしれないけど。
私──マンハッタンカフェの髪色は青鹿毛、世間一般的に黒髪と言われる種類のウマ娘なのだが彼女は違った。
ショートカットのヘアに真っ白な髪色で、先っぽだけ黒いけど他は真っ白な尻尾。白毛と言われるそれはウマ娘の中でも珍しい種類のものだった。
私はその髪が好きだったし、別に物珍しくも思って無かったけど私の母さんは違った。
それは私が物心が着いた頃にまず最初に認識したこと。単純だけど、家族では絶対あってはならないこと。
お姉ちゃんが母さんに嫌われているということだ。
幼少期の頃にはネグレクトなんて言葉は知らなかったけど、明らかに母さんが彼女を避けているのが分かった。
けど、私はお姉ちゃんが大好きで。
母さんはそんないい顔はしなかったけど、よくお姉ちゃんに甘えに行っていた。
家の二階のとある部屋を三回ノックすると、お姉ちゃんがいつものすんとした顔で受け入れてくれる。
私は彼女のいる部屋でよく一緒にゲームをしたり、勉強を教えて貰っていたりした。たまに一緒に寝たりなんかも。
お姉ちゃんは凄い頭が良くて、小学校の宿題なんかなんも見ずに解いちゃうし中学生になってもそれは変わらなかった。
一度、なんでそんな頭がいいの? と聞いた時に、お姉ちゃんが何とも言えない表情で答えにくそうにしていたことを覚えている。
そして、その頭の良さを含めても凄い大人っぽかった。
具体的に言うならば、父さんや母さんと同じくらい……聡明で賢いという言葉がとても似合っていた。
そんなお姉ちゃんが中学校に上がる前、私はとある質問をしたことがある。
「お姉ちゃんは……ママと仲直りしないの?」
今考えればとても愚かな質問だったと思う。その頃の私は小学五年生。
お姉ちゃんと母さんとの関係を少し誤解していたのだ。
そんな質問に対して、お姉ちゃんは少し微笑んで答えてくれた。
「母さんは……まだ子供なんだよ」
まるで自分が年上であるかのように言ったその言葉は、私の記憶に強く残ることになる。
その後、ぽんぽんと私の頭を撫でて「カフェは優しいなぁ」って言ってくれた。
なんか誤魔化された気もするけど、その場の会話はそこで終わって別の話題に移った。
そして、次の日。お姉ちゃんが中学生になるころ。
お姉ちゃんは家から出なくなった。
そしてあっという間にお姉ちゃんが家から出ずに不登校になって約二年が経過した。
私も中学生になり、特に何も目指していなかったから近所の共学の中学校に通う事になった。
この時期のウマ娘は、ウマ娘同士のレースをするための教育機関である「トレセン学園」に憧れを持って通う子もいるみたいだが、私はそんな欲は特に無かったので普通にしていたのだ。
走るのは嫌いじゃない。けど、好きかと言われると別にそうでも無い。
学校の授業であるウマ娘同士のリレー対決はいつも私が一着だったけど、だからと言って特に何も感じる事は無かった。
しかも、トレセン学園に通うとなると家から離れないといけない──お姉ちゃんと会えないということになるのが多分耐えられない。
そんなお姉ちゃんとの関係性は……別に特に変化することは無かった。勿論、家族間での関係も。
ちょっと私が大人になって、お姉ちゃんに甘えにくくなったことくらい。
でも寂しくなった日に部屋に訪れれば、いつでもお姉ちゃんがいて出迎えてくれるこんな生活も悪く無いなって感じてた。
そんな生活を続けていたある日、お姉ちゃんの様子がおかしくなった。
お姉ちゃんが勉強をし始めたのだ。しかも、ネットで教材を取り寄せて自ら勉強している。
今までお姉ちゃんの勉強している姿を見たことが無かった私はびっくりした。
なんの勉強をしてるかまでは教えてくれなかったけど、凄い真剣そうな顔で勉強していたことは覚えている。
けれど、何で勉強しているのかは教えてくれた。
「夢が出来たんだ」
夢。
一体それがどんな夢なのか私には見当もつかなかったけど、いつも以上にお姉ちゃんの目がキラキラしていてそれ以上聞くのは野暮だなと思ってしまう。
お姉ちゃんが勉強している姿を見ると、私自身も頑張ろうと思えたので中学校の成績は常にトップだった。
成績上位を取れば母さんに父さん、おばあちゃんが褒めてくれるので凄い嬉しくなったけど、同時にもやもやもした。
けど、そこでお姉ちゃんを見てあげてなんて言葉は言えなかった。
家庭内で長年根付いてきた環境への慣れは恐ろしいもので、今の歪な家庭環境が当たり前だと思ってしまっている自分がいたのは否定しきれない。
だからあの日が来てしまったのだろう。
私とお姉ちゃんが──マンハッタンカフェとスターゲイザーが離れ離れになってしまう日が。
~~~~~~~~
その日はなんか変な日だと直感ながら感じてしまう日だった。
いつも通りの朝に、いつも通りの昼。習慣的にはおかしなことはやっていないはずなのに、心の中がもやもやしてしまう。
だから、今日は何となくだけど駆け足で学校から家に帰った。
私は部活とかやっていないし、帰宅部なのでさっさと家に帰ることが出来たのは幸いだ。
今すぐにでも姉の部屋をノックしようと思ったが──やめた。
分からない。けど、直感で後にしようと思ってしまったのだ。
どうせお姉ちゃんは逃げないし…… 存分に夜に甘えに行くことにした。
そして、その日の夜。
いつもの部屋のドアを三回ノックして、お姉ちゃんの所へ向かう。
今日はパジャマの恰好で枕も持っており、一緒に寝る準備万端だ。
「……入っていいぞ」
「こんばんは……お姉ちゃん」
ドアを開けて中に入ると、女の子の部屋にしては殺風景な部屋に白い髪のウマ娘が一人いた。
私を出迎えてくれた愛しのお姉ちゃんに全力でおねだりをしてみる。
彼女はおねだりの押しに弱い事は今までの経験で分かっていた。
「今日、一緒に寝てもいいですか……?」
最近少し会って無かったので少し無理なおねだりだったかもしれない。
そう口を開いて上目遣いでお姉ちゃんにおねだりしてみると、彼女は少し困ったような表情を浮かべた。
「……俺と会うと母親がうるさいぞ? カフェも中学生なんだから一人で……」
──寝たら? と言われる前に、私は更に目をうるうるとさせておねだりの強さをあげる。
「ダメ……ですか?」
そう言うと、お姉ちゃんはしょうがないなという顔をしてベッドの上に寝転がる。
そして、ベッドの空いているスペースをぽんぽんと手で叩いた。
「ほら、おいで」
そんな魅惑の囁きに抗えるはずがない。
私は嬉しくなって、お姉ちゃんの隣に潜り込む。
ついでに腰の方まで手を回してぎゅーっと抱き着くと、その温もりを全身で享受した。
あぁ……あったかい。落ち着くにおいもする。ここが私の理想郷……
「おやすみ」
「おやすみなさい、お姉ちゃん……」
ゆっくりとその温かさを肌で感じながら目を閉じながら呟いた言葉は、これから起こる事への本音だったのだろう。
「ずっと一緒にいてね……」
お姉ちゃんと一緒に寝た日は例外無く、ぐっすり眠れる。
それが仇となってしまった。
早朝。深い眠りについていた私が目を覚ますと、隣に寝ているはずのお姉ちゃんがいなかった。
その時点では全く焦ることは無かった。
時計を見ると朝の七時。お姉ちゃんは朝食でも食べている頃だろうか。
そんな事を考えながらのそのそとベッドから這い出て、一階のリビングへと向かう。
ふわぁとあくびをしながら階段を降りてリビングに辿り着くが、そこに姉の姿は見当たらない。
どこへいってしまったのだろうか。まぁ、でも彼女は家から出ることは無い。そう安心しながら寝ぼけ眼を擦る。
お姉ちゃんが見つからない状態で三十分が経過した。
こんな状況になったら流石に私でも異変に気付く。
私はそわそわとしながら家の中を探し回った。所詮そこまで広くない一軒家。全室を探し回っても十分と掛からない。
だが、お姉ちゃんはどこにもいなかった。母さん、父さん、おばあちゃんはいつも通りに生活をしている。
まるで、お姉ちゃんがいる穴がぽっかりと空いたような感覚。
私は急いで、たまたま一番最初に会ったおばあちゃんに訊ねる事にした。
「おばあちゃん……お姉ちゃんがどこにいったか知りませんか……?」
「あぁ……スターかい。スターはね、夢を叶えにいったよ」
私は即座にその意味を理解することが出来なかった。
だが、先に体の方が動く。パジャマのまま着替えずに、焦って家から飛び出した。
乱暴に玄関のドアを開けて、外へ。そこには勿論お姉ちゃんの姿は見当たらない。
私はそこから走り出した。
行く先も無く、どこへ向かうのか自分でも分からずに足に力を入れて地面を蹴る。
自分でも何でそんなことをしたのか分からない。
だけど、今は。今すぐにでも走り出さないとお姉ちゃんが離れていってしまう気がして。
コンクリート舗装された地面を、ウマ娘の走力で全力疾走する。
蹄鉄なんてついていない普通の靴は、振動が直に伝わってきて痛い。足の爪が割れそうだ。
そこからどれくらい走っただろうか。
いつの間にか、ぽつりぽつりと雨が空から降ってきた。
それと同時に私の体力も限界になり、ぺたりと地面に手をついて倒れ込む。
ざぁ、ざぁ。
私の長い黒髪を水が滴り落ちた。
びしょびしょになった髪を垂らしながら、私はその瞬間確信する。
──お姉ちゃんはここにはもういない、と。
~~~~~~~~
雨に塗られて家になんとか家に帰った私を出迎えたのは、体温の低下による熱だった。
かなりの高熱を出した私は、両親に心配をかけながらベッドに倒れ込んでしまった。
その時の記憶はあまりないけれど、ずっと高熱を出してうなされていたそうだ。
学校を休んで治療に専念した結果、熱は一日で引いて次の日には平熱まで戻っていた。
熱がひいた私がベッドで目を開けた瞬間、外の世界は変わってしまっていた。
「貴方は……誰ですか?」
ふわふわと目の前に浮かぶ白い靄みたいな物体。一瞬幻覚かと思ったが、何度見てもその光景は変わらない。
手を伸ばしそれに触ろうとすると、すかっと空を切って掴めなかった。
だが、確かにその場に何かがいる。これだけは確信できてしまった。
私が疑問のマークを浮かべていると、その白い靄が形をなしていき──ウマ娘の形に変化した。
ウマ娘の耳と尻尾。だが、表情まで伺えない。ウマ娘の白いシルエットになった彼女は、私に対して自己紹介してきた。
──私は、貴方のオトモダチですよ。
訳が分からない。でも、なんとなくだけどこの子が嘘を言っているようにも敵意があるようにも思えなかった。
だから私は訊ねる。
「貴方は……何者なんですか?」
そう聞くと白い靄は困ったような顔をして──いや私がそう思っただけだが──ぽつり答えた。
──分かりやすく言うならば幽霊……ですかね。
そう答えた幽霊の子は私に衝撃を与えてきた。どうやら私は高熱にうなされて目がおかしくなってしまったらしい。
正直現実味の無い事に頭を抱えていると、彼女が私に対して語り掛けてくる。
──私はずっと貴方を見守っていましたよ。それに……今なら色んなモノが見えるんじゃないですか?
その言葉を聞いて、私がベッドから立ち上がり自室の窓から外を眺めてみると、これまたとんでも無い光景が目に飛び込んできた。
いつもと変わらないはずの外の光景に、ふよふよと浮いている白い靄みたいなものが見える。
そう、まるで隣にいる幽霊みたいな物体が数個いた。
やはり幻覚みたいなものではないらしく、現実にあることらしい。
私は眉間に手を寄せてはぁと溜息をつく。
「……で、貴方は私に何かするんですか?」
──いや、何もしませんよ? 言ったじゃないですか。私は貴方のオトモダチだって。
どうやら本当に敵意はないらしい。
私はそんな普通の人ならば混乱してしまう状況だったのに何故か凄い達観していて、すぅとその状況を受け入れた。
私は見えてしまったのは仕方ないと思いながら、カーテンをゆっくりと閉めるとリビングに向かって歩き出した。
すると、オトモダチと自称した子がふよふよと私に着いてくる。
……着いてくるんですか。
まるで私に憑りついているみたいな。背後霊みたいな存在になったオトモダチは、私の同居人になってしまったらしい。
そんな同居人と一緒にリビングに降りると、珍しくおばあちゃんもおらず私一人しかいない。
静寂な空気が漂う中、私がその場を見渡しているとふと喉が渇いたことに気付く。
水でも飲むかと思ってリビングの近くにあるキッチンにコップを取りに行こうとすると、父さんが良く飲んでいるインスタントのコーヒーが置いてあった。
私はそれを見て何を思ったか、やかんに水を入れて沸かし、コップにコーヒーの粉を入れてお湯を注ぐ。
素早く作ったブラックコーヒーを背伸びして飲んでみた感想は──とても、苦かった。
~~~~~~~~
そのオトモダチが憑りついてから私の生活がいつもと少し変わった。
変わった点は幽霊が見えるようになって、会話みたいなものが出来るようになったという点。
しっかりとしたコミュニケーションはオトモダチ以外できなかったけど、相手の幽霊が何を伝えたいのかは何となく理解できた。
そんな幽霊さんが見えるようになってから、私の日常は少し賑やかになった。
学校の登校時やいる間、休日のお出かけになってからも少し見えるモノが増えて日常が少し楽める。少しだけどお姉ちゃんがいなくなった隙間を埋められた気がした。
……まぁほんの少し、だけど。
もう一つの変化は、コーヒーが好きになったという点だ。
最初はインスタントで飲んでいたけれど、そのうち豆から焙煎しだすようになって凝るようになってしまった。
相変わらずブラックコーヒーは苦いままだけど、その中にある味わいが癖になってしまう。
そんな一風変わった生活が始まったわけだが、やはりお姉ちゃんがいない生活というのは慣れない。
家族は一切、姉がいなくなったことに触れないしまるで最初から四人家族だったかのような振る舞いだ。
母さんはともかく、父さんまでだんまりを決め込んでしまっている。
とにかく寂しい。お姉ちゃんがいないことでこんなに堪えるとは思っても無かった。
私は思った以上にシスコンだったのかもしれない。
そして、お姉ちゃんがいなくなって早一年が経過してしまった。
その間の私と言ったらとにかく虚無だった。
確かに趣味は増えたのだが、心に大きな穴が空いたかのように鬱状態が続いてしまう。
学校でも家でも。どこにいても寂しくて。ふと気がゆるんだら泣き出してしまいそうな気がした。
お姉ちゃんがどこにいるかの手がかりは全くないと言っていい。もう二度とお姉ちゃんに会えないのかと諦めかけていたある日の事。
私はテレビの画面に映った一瞬にかすかな手がかりを見つける。
『無敵のテイオー伝説ここからスタートだ!』
時期は春頃。ウマ娘のレースの祭典の一つ。G1レース皐月賞が近くなってきたころ、それは突然として映った。
私はあんまりレースに興味はないため、ニュースとして流れた皐月賞の有力バのインタビュー映像をぼけっと見ていただけなのだが、最後に一瞬。ほんの少しだけ。
ウマ娘ではなく、その関係者らしきものが映った。
そして、その中にひっそりと。
真っ白な白毛に先っぽだけが黒い特徴的な尻尾を持ったウマ娘。
見間違えるわけがない。見間違えるはずもない。
そう私のお姉ちゃんである、スターゲイザーがその集団の中にいたのだ。
最初はそれを見たとき驚きと混乱が先走った。
あまりの動揺っぷりに飲んでいたコーヒーをカップごと落としてしまい、オトモダチに心配されたくらいだ。
だが次に湧き出てきた感情は嬉しさだけだった。
お姉ちゃん! と叫びそうになったくらいには嬉しかった。まぁ、自重はしたけれど。
そんな一瞬だけ映ったお姉ちゃんだが、いくつか疑問が湧き出てくる。
まず何故あの席に……? ということだ。
お姉ちゃんの格好はスーツ姿、しかも関係者席にいた。
なんの関係者なのだろうか。トレセン学園? それともあの会場の?
ダメだ。まだ手がかりが少なすぎる。何か……何か。私が見落としている事は……
「あっ……」
その時ふと思い出した。
私が一つチェックしていなかった所。灯台下暗しというべきか。
そう、お姉ちゃんの自室を私は一度も調べたことが無かった。
何故か無意識のうちに彼女の部屋に入るのを避けていたのだ。
それに気づいた私はテレビを消すのも忘れて大急ぎで階段を登り、お姉ちゃんの部屋へ。
ドアの前に立つと、前からの習慣でドアを三回ノック。
当然中から返事なんて返ってこないので、自分でゆっくりとドアを開けるとそこにはあの日から時が止まってしまった殺風景な部屋が存在していた。
ごめんなさいとどこに向けたか分からない謝罪をした後、お姉ちゃんの部屋を物色し始める。
ぱっと見た感じ本当に綺麗に片付けられていて、特に物が転がっている様子は無い。
本棚も存在しなく、机の上もライトが置いてあるだけ。
年頃の女性の部屋だったら、もっと色々な物が置くスペースがあっても良さそうなのにそれすらも存在しない。
私はそんなお姉ちゃんの部屋を一通り見渡した後、机の近くに有った引き出しを開ける。
一段目、何も無し。二段目も何も入ってない。
祈る気持ちで最後の三段目を開けてみると、一冊のノートが入っていた。
ほこりも被っていない綺麗なノートを開くとそこにはいくつかの単語と意味が赤ペンなどが使われて綺麗に纏められていた。
恐らくお姉ちゃんの勉強ノートだろうと判断した私はぺらぺらとめくって見たのだが、よく分からない単語が多い。
仕方ないので一枚一枚丁寧に見てみると、ウマ娘の心理状態や運動機能などの単語が多く纏められていることに気付く。
……なんとなく分かったかもしれない。
トレセン学園の関係者。そしてウマ娘に関係ある単語がまとめられたノート。
ここから導き出される答えは……恐らく……
「トレーナーさん……?」
調べればもっと職業はあるかもしれないけど、私の頭の中に浮かんだのはその単語だった。
そして、私はそれを信じてしまった。
こうなると更に確信が欲しい。
だから、普通ならばやらない行動に出てしまった。
私はそのノートを大事に持つと、両親が寝ている部屋に移動する。
そして寝室に置いてある机や棚、引き出しを片っ端から開けてトレセン学園に関係してあるものを探し始めた。
こんなの自分の家族間とはいえ、あんまり褒められた行動なんかではない。
だけどその時の私は少しでも手がかりを探すために必死だった。
だから──
「何やってるんだ」
「……っつ」
後ろから来た父さんの姿にも気付くことが出来なかった。
……まずい。
両親の部屋を漁っていたところを現行犯で見られてしまった。こんなの怒られるに決まっている。
私がちょっと絶望に染まった顔をしていると、父さんが私の左手に持っているノートに目線を向けた。
「それは?」
「これは……お姉ちゃんので…… その……」
「……」
私が答えにくそうにおどおどとしていると、父さんがふっと微笑んでゆっくりと口を開いた。
「スターを探してるのか」
「……はい」
「……分かった」
そう言うと、父さんはいまいる部屋にある棚を一つ開けて何かの紙を取り出した。
そして、私に近づくとその紙を片手で差し出してきた。
私は紙を受け取り、それに目を通すと予想していないことが書かれていた。
「トレセン学園の編入試験……?」
「それならば母さんも上手く説得出来るだろう。あとはカフェ次第だ」
「それって……」
お姉ちゃんがいるところを教えてくれた……?
でも、なんでと疑問に思っていると父さんがその場で私が出した書類を片付け始めた。
その隣で私はぽけっと放心してしまった。
けれど、本当にお姉ちゃんがトレセン学園にいるならばやることは決まった。
でもその前に言わなければいけないことがある。
「ありがとうございます……父さん」
私がぺこりと頭を下げてお礼を言うと、いつもはなかなか笑わない父親がにっこりと笑った。
そして特に返事も返さないまま、その場から立ち去る。
私は父親から貰った紙とお姉ちゃんのノートをぎゅっと抱きしめて、決意を新たにするのだった。
~~~~~~~~
お姉ちゃんに会うためにトレセン学園に編入する。
その目標を達成するためにまずは母親の説得なのだが……これは全く苦労しなかった。
むしろ私がトレセン学園に行きたいなんて伝えたら感極まった顔をされた。
嬉しそうな顔で「カフェも走りたいと思ってくれたのね」なんて言ってくれたけど、私はそんなことよりお姉ちゃんに会いたい気持ちの方が強かったから、そこは黙って置いた。
母さんの説得が終わったら次は編入試験対策である。
編入試験はすぐあるわけじゃなくて、季節の変わり目毎にある。
私が今回受けるのは菊花賞の時期のちょっと前。秋ごろの編入試験だ。
試験内容は筆記試験に面接……そして一番重要な実技試験。
筆記試験と面接に関してはある程度大丈夫だと思うけど、実技試験に関しては練習しなくてはいけない。
なんせ普通の学校から、トレセン学園に行かなければならないのだ。
並大抵の走りじゃ受かることは出来ないだろう。
とは言っても、私の練習方法としてはただ単純に走るくらいしか思いつかない。
どうしたものかと悩んでいると、隣にいたオトモダチが私にとある提案をしてきた。
──私が練習相手になってあげましょう。
私はそもそもオトモダチは走れるのかなんて思ったりしたけど……その心配は杞憂だった。
近所にあるウマ娘用の簡易トラックの上を直線で走って競走してみたけど……全く追い付け無かった。
速い。とにかく速い。絶対に追い付け無いと感じてしまうほどの速さが、そのオトモダチには会った。
ただ幽霊だから浮いてるだとか、ずるしてるんじゃないかとか思う人もいるだろうが、違う。
彼女は走っている。間違いなく。私はそう感じた。
彼女に追い付こうと私は必死に追いかけた──今考えれば、これが練習だったのかもしれない。
更にオトモダチは観察眼も持っているようで、私の走りについてアドバイスなんてものもしてくれた。
──カフェは長距離向けの走りですね。スタミナを鍛えるといいですよ。
そんなことを言われたので、私は長く走る練習なんかもした。
オトモダチは幽霊だからか分からないけど、何故か夜になると元気になるのでよく夜に走ったりした。
あまり深夜には走らないようにしてるけど、それでも我慢できずにこっそりと家を抜け出して走ってしまったこともある。私の悪い癖に一つ変なものが追加されてしまった。
何より夜に走ると気持ちがいいのだ。星空に涼しい風が吹いて、走っていて爽やかな気分になる。
星空を見上げると、何となくお姉ちゃんを思い出してしんみりしてしまう時もあったけど、それもなんとなく心地良かった。
練習というより一つ趣味が増える走りをしていた結果、私の走りは大分速くなった。
学校の同級生のウマ娘同士で走っても大差で一着取れることは当たり前で、完走してもあんまり息切れしなくなった。
……それでもオトモダチは最後まで抜かすことが出来なかったけど。
オトモダチは私の目標になることも自然なことと言えるだろう。いつかその背を追い越したい。そう思った。
それをオトモダチに伝えると、嬉しそうに返事をしてきた。
──トレセン学園に入ったらレースで抜かせるといいですね。
確かに、私とオトモダチは「レース」はしたことは無い。
私がもしG1レース走るようになっても、彼女の背中を追いかけるんだろうなってそんなことを薄っすら思った。
そしてとうとう、試験本番の日が来た。
私は母親同伴でトレセン学園へ行き、学校で別れた後に緑の服を着た人に案内されて会場の方へ向かった。
何故かオトモダチが、変な視線を緑の人に向けていたけど何だったのだろうか。
最初は筆記試験。これは別に難しく無かったので頑張って解いて終わり。
普通に手ごたえもあって、恐らく大丈夫だろうという感触だった。
次に実技試験という事で3ハロン──600m直線を走るテストを行った。
そこでも何故かオトモダチがウキウキしながら、私の隣に並んで走り始めた時は少しびっくりした。
それでもなんとか走りきってゴールした時、先生らしき人が驚いたような顔をしていたけれど、タイムが良かったのだろうか。
それでもオトモダチは抜かせなかったけど。普通に悔しい。
最後の面接……は正直あんまり覚えていない。
なんかしっかりと受け答えしてた記憶はあったけど、終始お姉ちゃんの事で頭いっぱいでフワフワしていた。
トレセン学園になぜ通うのですか? って質問に対して「お姉ちゃんに会うためです」と無意識に答えてしまっていたらどうしようか。
面接が終わった後は、母さんと合流して家に帰る。その日は程よい疲労感でぐっすりと眠れた。
試験が終わってから一週後。
今回の合否判定は郵便で届くらしく、私はドキドキとしながら郵便物を待ちわびた。
母さんがトレセン学園と書かれた郵便物を持ってきたとき、私は食い気味でそれを奪い取ってしまった。
封を開けて中を見てみると、結果は合格ということでなんとトレセン学園に編入することが出来た。
通知を見た瞬間、心の中でガッツポーズを取ってしまうほど嬉しくて変な声が漏れ出てしまったかもしれない。
母さんも父さんもおばあちゃんも祝福してくれて、私は笑顔になった。オトモダチもおめでとうなんて言ってくれた。
合格したらやることは決まっている。トレセン学園に行く準備だ。
私はお姉ちゃんにようやく会えるという喜びを噛みしめながら、浮かれた気分でトレセン学園に編入する期間を過ごした。
合格の通知が来てから数週間後。
今日は私の準備も整ってトレセン学園に移動する日だ。
~~~~~~~~
「忘れ物は……無いですね」
私は部屋の中を見渡してぽつりと独り言を呟く。
すっかり殺風景な部屋になってしまった自室を見渡しながら、私はきゅっと手荷物のチャックを閉める。
重い荷物は先に引っ越し業者がトレセン学園に持って行ってくれたので、今日の持ち物は最低限だ。
お家を出る際に母さんとおばあちゃんに挨拶をする。母さんは「レース、見に行くからね」と。おばあちゃんからは「頑張ってきてね」と応援されてレースも頑張ろうと思えた。
荷物を持って父さんの車に乗せて貰い、駅の近くまで送ってもらう。
降りる際に父さんから「任せた」と言われてしまったので、私は「任せて」と返事してしまった。
恐らくこれはお姉ちゃんの事だろう。私としてもお姉ちゃんに会えるのならば、願ったり叶ったりだ。
お別れの挨拶をしたところで電車に乗り込んで、トレセン学園に向かうこと約二時間。
私はトレセン学園の近くの駅に着くと、そのまま真っすぐ案内された寮の方へ。
寮に辿り着くと、そこで褐色の元気そうなウマ娘に話しかけられた。
話を聞くとそこの寮長のヒシアマゾンという方らしく、彼女に案内されて自室に案内してもらった。
寮は二人一部屋らしく、共同生活を送ることになるらしい。今同室の方は不在らしいので、後で挨拶しなければ。
私は届いた荷物を開き、自分のスペースを整理する。
ヒシアマゾンさんに色々と寮のルールを教えて貰うついでに、私の荷物整理まで手伝って貰ってしまった。とても優しい寮長さんらしくて、安心することが出来た。
その日は帰ってきた同室の子に挨拶して、早めに就寝することにする。
慣れない環境であんまりぐっすりとは眠ることが出来なかったので、寝れるまでオトモダチと会話していた。
……同室の子に変な子だと思われたかもしれない。
トレセン学園に来た次の日。
クラスの子に転入生と紹介されて、自己紹介したら直ぐに情報収集だ。
次々にクラスの子に話しかけられるので、その中でさりげなく質問する。
──白いウマ娘のトレーナーを知りませんか? と。
最初の時はどうせ直ぐには見つからないだろうと思っていたのだが、クラスの子が口を揃えて「あぁ、あのトレーナーね」と言ってくれた。
聞くところによると、最近クラシック三冠バになったトウカイテイオーのトレーナーらしくトレセン学園内では目立つこともあって有名人らしい。
私ですらトウカイテイオーが無敗の三冠バが誕生したと大ニュースになっていたのを見ていたが、まさかそのトレーナーだったとは。
これならば案外早く見つかりそうとニヤニヤしていると、あっという間にその日が過ぎていった。
一応放課後に少しトレセン学園を探索してみたのだが、かなり広く迷子になりかけた。
そんな状況でお姉ちゃんを探すことも出来ずに今日の捜索はここまでかと諦めかけていたときに、転機が訪れた。
私が溜息をつきながら部屋に帰って来ると、オトモダチがひっそりと佇んでいた。
そういえばトレセン学園散策中一緒にいなかったなと思っていると、彼女が衝撃的なことを言ってきた。
──スターゲイザーの部屋を見つけましたよ。
その時は私も唖然としていただろう。
いつの間にお姉ちゃんの居場所を見つけたのか。というかどうやって見つけたのか。
だが、そんなことは今はどうでもいい。
居場所を見つけた。なら、今するべきことは。
「お姉ちゃんに会いに行ける……」
その日の夜。
私は寮の自室をこっそりと抜け出して、隣の寮へ。
本来であれば深夜に抜け出すなんて寮長さんにも怒られてしまいそうだが、今晩だけは許してもらおう。
私がいる美浦寮からお姉ちゃんがいるらしい栗東寮へ。
地味に鍵がかかっていたのだが、オトモダチがさっくりと開けてくれた。この力はもう二度と使わないようにオトモダチに言っておこう。今はありがたいが。
こっそりと侵入し、階段を音を立てないように駆け上がりお姉ちゃんがいるらしい部屋へ。
あぁ、ついにここまで来た。
さて、なんて言って会おうか。
お姉ちゃんと叫んで抱き着くのもいいだろうか。
いや、ここは姉さんと言って成長した証を見せるべきか。
それとも、無言でキスでもすべき?
私が内心どきどきしながらドアをいつも通り三回ノックして、中から返事がするのを待つ。
すると、かちゃりと音がしてゆっくりとドアが開いた。
中からドアを開けて出てきたのは白い髪に先が黒い以外は白い尻尾。何度も見てきて、そして恋焦がれた私のお姉ちゃんであるスターゲイザーが立っていた。
だが、その表情はどこかおびえていて。嬉しみよりも恐怖が混じっているようで。
私の登場に心が締め付けられているようで。
私──マンハッタンカフェのテンションが急降下する。
そうですか…… お姉ちゃんは……私との再会は嬉しくないんですね……
それを自覚した瞬間、私の心が悲鳴を上げた。
そして絞り出した言葉が。
「久しぶりですね……姉さん……」
これが私とお姉ちゃん。マンハッタンカフェとスターゲイザーの最大のすれ違いの始まりとなる。