カフェが俺に抱きついて、大体三十分が経過した。
ぐすっ……ぐすっ……と嗚咽が少しずつ収まり、すぅと部屋の空気が落ち着いていく。
俺はその間ずっとカフェの頭を撫でながら、彼女をぎゅっと抱きしめていた。
体温が同じになるくらい近い距離で抱きついていた俺とカフェは、匂いも混ざってしまいそうだ。
そして、彼女の涙が収まった頃には時計は深夜を指しており日付が変わってしまっていた。
「……カフェ、大丈夫か?」
「……はい。恥ずかしいところ見せちゃいました……」
カフェが俺を上目遣いで見てくる。その顔は、恥ずかしさからかほんのり赤く染まっていた。
涙を流し続けていたせいか彼女の目尻は腫れ上がっており、琥珀色の目が残った涙で輝いている。
久しぶりに抱きしめたカフェの体は、思った以上に細かった。
俺はそんなカフェを抱きしめるのをやめて、一旦離れる。
カフェが名残惜しそうな顔で俺を見てくるが、このままだとお互いに動けないので仕方ない。
「もうこんな時間か…… 寮の門限は過ぎちゃってるな」
いや、寮が違うとはいえ部屋の中にいるからこれは大丈夫なのか……?
テイオーが、部屋でお泊まり会とかやったりするよなんて言ってた記憶はあるが…… 何か手続きとかいるのだろうか。
そんなことを考えていると、カフェが俺の心配していることが分かったのか、すっととある物を取り出した。
「寮長さんには、今日は別の部屋に泊まると言ってあるので大丈夫です……」
カフェが服のポケットから取り出したのは、外泊届のサインだった。どうやら他の部屋に泊まるときにも手続きはいるらしい。
「なので……今日は一緒に寝ましょう、姉さん」
「え」
確かにこの部屋にはベッドは一つしか無いし、寝るとしたら一緒に寝るしか無い。
最近肌寒くなってきたし、俺が床か椅子で寝るわけにもいかないだろう。というか彼女がそれを許さない気がする。
俺が返事に困っていると、カフェがくいっと袖を掴んできた。
「駄目……ですか?」
あぁ、前もこんなことがあった気がする。
そして、こんな状況になったら俺が言える言葉はただ一つだ。
「……ほら、おいで」
俺は先にベッドに寝転がると端に詰めてスペースを確保し、ぽんぽんとベッドを叩いた。
するとカフェが嬉しそうに俺の隣に潜り込んできて、もぞもぞと体制を整える。
二人で寝るには少し窮屈なシングルベッドで、俺とカフェは眠りについた。
「おやすみ、カフェ」
「おやすみなさい……姉さん」
~~~~~~~~
夢を見た。
俺が白い猫になっていて、黒い猫が目の前にいる状態で。
夢の中なので特に自分が猫になっているとか不思議に思わず、目の前の黒猫をじっと視界に納める。
すると、黒猫が俺の側に近寄ってきてすりすりと体を合わせてきた。
そして、俺の目の前でころんと寝転んですぅすぅと寝息を立て始める。
俺はそれを見て優しく微笑んでいると、遠くに何かがいるのに気付いた。
じっと目を凝らして見てみると、一匹の白い犬がこっちを悲しそうな目で見ている。
悲しみ……というより嫉妬に近い視線を感じていると、その白い犬が大きく口を開いた。
「トレーナー!」
「……んあっ」
夢から覚めると、隣には穏やかな寝息を立てながら寝ている俺の妹であるマンハッタンカフェがいた。
その寝顔は幸せそうで、しっかりと熟睡できているように見える。
それを見て微笑ましい気持ちになりながら、時計を確認してみると午前の九時。
目覚ましをかけていないとはいえ、いつもよりぐっすりと寝てしまったと思っているとこんこんとドアのノック音が聞こえてきた。
「トレーナー! 開けるよー!? 大丈夫ー!?」
朝から元気な声が部屋の外から聞こえる。
なんだテイオーかと思いながら、ベッドの上で体を起こしたまま返事をする。
「あー、開けていいぞ」
「……! トレーナー、おはよ……う?」
ドアを開けて入ってきたのは、見慣れたポニーテールを揺らしているウマ娘。
俺の担当ウマ娘──トウカイテイオーが、朝から元気に俺の部屋に入って来た。
そして──
「え…… 誰? そのウマ娘……?」
「……あ」
隣ですやすやと寝ていたカフェを見て、テイオーが唖然とした顔をする。
そういえば、テイオーにカフェの説明してなかった。
となると……この場面は俺が知らないウマ娘と一緒にベッドで寝ているということになるのか……?
とはいえ、しっかり説明すればテイオーだって分かってくれるはずだろう。
そう思って、俺はテイオーに話しかけようとしたのだが。
「……おはようございます」
その瞬間にカフェの目が覚めたみたいで、むくりと体を持ち上げる。
そしてテイオーを一瞥すると、そのまま俺を抱き抱えて二度寝しようとしたのかベッドに倒れようとする。
「あ、ちょっと、トレーナー! 説明してよ!」
「ちょっ、カフェ。離してって」
「……」
そんな騒がしい朝が、トウカイテイオーとマンハッタンカフェの初邂逅だった。
~~~~~~~~
「で! 誰その子! なんで一緒に寝てたの!?」
その後。俺がカフェをなんとかベッドから引きずり出し、ソファに座らせる。
俺はカフェの隣に座って、目の前で仁王立ちするテイオーの視線を受けていた。
俺がどこから説明しようかと悩んでいると、カフェが先に口を開いた。
「トウカイテイオーさん……ですよね?」
「ボクのこと知ってるの?」
「えぇ…… よくニュースでやってましたから……」
なるほど。確かにテイオーは最近三冠ウマ娘になったということもあり、話題性としては引っ張りだこだろう。
カフェがテイオーのことを知っていたとしても、何もおかしなことはない。
それで気を少し良くしたのか、ちょっと威圧していたテイオーも一旦仁王立ちをやめる。
テイオーが胸を張っていると同時に、カフェが胸の前で手を合わせ自己紹介し始めた。
「はじめまして…… スターゲイザーの妹、マンハッタンカフェと言います…… よろしくお願いしますね……」
「あー! そっか君が……」
テイオーがどこか納得したような口ぶりで頷く。
そう、テイオーにはカフェのことを既に相談していたのだ。その時に「とっておきの仲直り」を教えて貰ったのだ。
そのおかげでカフェと仲直り出来たのだから、テイオーには感謝してもしきれない。
「良かったぁ。ボクのアドバイス上手くいったんだね」
「助かったよ、テイオー。ありがとう」
そう、テイオーから受け取ったアドバイスというのは「しっかり言葉にする」と言うもの。
当たり前のようだが、確かに言われないと気をつけることが出来ない。
……俺が今までカフェに言葉を伝えてこなかったのも悪かった。それもテイオーに見抜かれていたのだ。
あと最後に抱きしめるといいよ、とも言われた。いる? とも思ったのだが、多分効果はあったので必要だったのだろう。
俺がテイオーに対して感謝を伝えていると、カフェがむっとした顔で俺を見てきた。
「じゃあ、知ってると思うけど…… ボクはトウカイテイオー! よろしくね、トレーナーの妹さん!」
何故か「妹」の部分を強調された気がしたが、まぁ気のせいだろう。
そしてテイオーはむふーっと胸を張ると、誇らしげにカフェに対して話し始めた。
「まぁ最近転校してきたらしいし、分からないことがあったらボクに聞いてくれていいぞよ~」
「では一つ……質問いいですか? テイオーさん」
「ん? なになに?」
カフェが質問あるらしく、テイオーの方を見るとすぅと息を吸い込んで──爆弾を投げ込んだ。
「姉さんが……私のトレーナーさんでいいですよね……?」
「え」
「ん?」
そして、するりとカフェの尻尾を俺の尻尾に絡ませてきゅっと結び付けてくる。
器用だなぁなんて思っていると、テイオーの顔が驚いたような顔をして口を開いた。
「な、何言ってるのさ! トレーナーはボクの専属だよ! 妹さんでもあげないからね!」
「いえ…… テイオーさんと一緒にでいいので…… ダメ、でしょうか」
「むむむ……でも…… って、あー! なんで尻尾ハグなんてしてるのさ! ボクだってしたこと無いのに!」
テイオーが俺とカフェの尻尾の部分に対して指を指しながら絶叫する。
そこには先ほどより器用に絡められた俺とカフェの尻尾があって、指摘された瞬間更にきゅっと強く締まった。
これ尻尾ハグっていうのか…… 自然にされたけど、もしかしてこれって何か特別な行為だったりするのか……?
俺がそんなことを考えていると、テイオーがうーっと俺とカフェの方を睨んできた。
睨む……というよりかは目に嫉妬の炎が宿ってる感じだ。
「ふ、ふーんだ 別にいいもんね! ボクとトレーナーは目には見えないかた~い絆で結ばれてるもんね!」
「むっ……」
いつからマウント合戦が始まったのか。
テイオーが俺との絆を何故かカフェに自慢している。
そんなことしなくても、俺とテイオーとの間の絆は一番分かってるつもりだけどな。
「ほら、カフェもテイオーも一旦落ち着けって」
「むぅ」
「はい……」
テイオーとカフェが頬を膨らませながら、一旦喋るのをやめる
お互いに睨みあって、まるで威嚇し合っているみたいだ。
なんでこんなことに……
俺はそんな状況を見てこほんと一回咳払いし、一旦話題を戻す事にした。
「……で、カフェは俺に担当して欲しいってことだけど。本当にそれでいいのか?」
「はい…… やはり姉さんが一番信用出来るので……」
「でも、トレーナー。ボクの専属じゃなかった? 他のウマ娘担当出来るの?」
「規約上は問題ないはずだぞ。 専属って言っても、勝手に宣言してるみたいなもんだからな」
別に書類上に専属トレーナーとして提出するわけではなく、こちらが宣言してる形に近い。つまり暗黙の了解というわけだ。
なので扱いとしては、普通のトレーナーと全く変わらない。
そして、トレーナーはチームとして複数のウマ娘を担当に見ることが出来る。
というか、専属トレーナーよりはチームトレーナーの方が多いまであるのだ。
「だから、カフェとテイオーさえよければ俺が担当しても構わない。けど……」
しかし、気になる事が二つある。
まず一つ目としては──
「カフェ、選抜レースで色んなトレーナーからスカウト受けて無かったか?」
「あぁ…… あれは全て断ってきました…… 私のトレーナーさんは姉さんだけですので……」
……覚悟というか判断が早いというか。
まぁそれならば一つ目の問題は解決ということになるのか……
となると、二つ目の問題。
というか、こっちが本命まであるし俺としても不安なことでもあるのだが。
「……テイオー、どうする? 俺としてはカフェを担当するのは構わないけど……」
「んーー……」
テイオーが腕を組みながら首を傾けて悩み始める仕草を取った。
ウマ娘でチームを組む場合、何かと問題があったりする。
ウマ娘が積極的にチーム勧誘する所もあるが、今まで俺とテイオーは専属の関係だった。
テイオーが「嫌だ」と言うならば、また俺も考えなければいけない。
カフェには本当に申し訳ないのだが、俺はテイオーのことも大事なのだ。
「……いいよ」
「本当にいいのか?」
「うん。だってトレーナーの妹さんでしょ? 事情ある程度知ってるし、それならって」
……良かった。
俺はほっと息を吐くと、安心してソファに深く腰を降ろす。
俺もテイオーとカフェには仲良くして欲しかったし、喧嘩されたりするのは避けたかったしな……
俺は不安が全て解消されて安心してると、テイオーがむっと口を尖らして俺に対して忠告してきた。
「ただし! ボクと妹さん。両方大事にすること! どっちしか見ないなんて嫌だからね!」
「勿論。両方担当するからには大事にするよ」
これは当たり前のように聞こえるが、テイオーとカフェにとってはとても大事なことだろう。
チームを組む……つまり複数人担当するということは、今まで以上に俺の負担が増えるという事だ。
だが、それを言い訳にして片方しか見ないなんてことは許されない。
テイオーを見るだけでもかなり頑張っていたのだが、これは今まで以上に気合を入れないといけないな……
俺が覚悟を新たにしていると、それを見抜いたのかカフェがそっと俺の膝に手を置いてくる。
「ですが無理はしないでくださいね……姉さん」
「そうだよ! トレーナーが倒れたら意味ないんだからね!」
「あぁ。気を付けるよ」
しっかり二人のお願いを受けて、俺は気を付けないとなと心にしっかりと留めておく。
すると、カフェがテイオーに手を差し出して握手を求めた。
「それでは……よろしくお願いしますね。テイオーさん」
「よろしくね! えっとカフェ、先輩?」
「ふふ…… カフェ、でいいですよ……」
「りょーかい! よろしくね、カフェ!」
ぎゅっとお互いがお互いの右手を握って握手をする。
俺はその様子を見て胸を撫でおろしていると、テイオーがカフェに対して質問を投げかけた。
「そういえばさ。カフェは何を目標に走るの? ボクは最強のウマ娘になることだけど……」
「確かに、カフェは何のために走るんだ?」
ウマ娘にとって「何のために走るのか」というのはとても大事だ。
目標があるか無いかによってウマ娘の走りというのは、とても変わってくる。
テイオーだって今までルドルフを超える最強のウマ娘になるというのがあったからこそ、三冠ウマ娘になることが出来た。
俺もそれを分かっていたからこそ一緒に走ることが出来たし、ここでカフェの目標をはっきりしておくのはとても重要だ。
俺がその意味を込めてカフェに訊ねると、彼女が俺の方を見てすぅと息を吸って答えた。
「オトモダチに追い付きたい…… それが、私の目標です……」
「へ? オトモダチ?」
「オトモダチ……? 誰かライバルがいるってことか?」
俺とテイオーが疑問に思っていると、カフェがおどおどして落ち着きを無くし始めた。
「いえ…… 人では無くてですね…… あの……」
「人じゃない? まさか、幽霊とか?」
テイオーがどこか冗談のように、おちゃらけた調子で口を開く。
俺も人じゃないオトモダチとかとなると、動物とか? なんて思っていたがまさかそんなことは無いだろう。
俺がカフェにどうなんだ? と視線を送ってみると、彼女が少し驚いたような顔でテイオーの方を見ていた。
「よく分かりましたね…… まぁ幽霊みたいなものです」
「え」
「……ん?」
俺とテイオーの動きが止まる。
それも当然だろう。カフェの口から飛び出したのは、普通じゃ信じられ無いことなのだから。
幽霊──俺は一度も見たことも感じたこともないが、まさか本当にいるのか……?
それともカフェがちょっとおかしくなったか……?
俺が少し心配して彼女の顔を見るが、カフェの顔は真剣そのもので冗談を言ってるようには見えなかった。
「えっと…… 説明すると少し長くなるんですけど……」
そう言って話始めたカフェの話を要約すると、昔熱を出した時に幽霊が見えるようになったと。
その時から「オトモダチ」と呼ばれる幽霊と常に一緒にいると。
更に「オトモダチ」からトレセン学園に入るために、一緒に走ってトレーニングしてきたと。
そして──「オトモダチ」には一度たりとも追いつけたことが無いということ。
「ほら、今もいますよ…… オトモダチ」
「えっ、どこどこ!? ボクなんも見えないんだけど!?」
「俺も何も……」
やはりいると言われても、見えないものは見えない。
カフェが指を指した方向には俺がいつも使っている椅子とPCが置いてあるだけで、いつもと変わらない光景があるだけだった。
「と、とにかく! カフェにはボクたちには見えない幽霊が見えるってことだよね?」
「やはり見えませんか…… 姉さんならもしかしたらと思ったのですが……」
そういえば俺は、幽霊とか信じて来なかったな。特に霊感とか無いし、当然っちゃ当然なのだが……
しかし──
「カフェがいるって言うならいるんだろうな」
「えっ……?」
「ボクも信じるよ! だって嘘なんてついていなさそうだし!」
そう。今までカフェは冗談でこのことを話しているようには見えなかった。
真剣に自分にあったことを語っているようで──これを嘘だなんて思えるだろうか。
むしろ、オトモダチのおかげでカフェがトレセン学園に入れたなら感謝したいくらいだ。
「で、カフェはそのオトモダチに追いつきたいってことだよな」
「はい…… ですが、いいんですか……?」
「ん? 何がだ?」
カフェが不安そうに俺の方を見てきながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「いえ、その…… 私の目標はテイオーさんと比べたら、曖昧で……」
「目標はヒトそれぞれだからいいんだよ。それだって立派な目標だ」
別にカフェの言っていることは誰かに勝ちたいということに近い。
テイオーだってルドルフに勝ちたいという目標が込められているわけだし、カフェのだってなんらおかしい事はない。
ライバルに勝ちたいから走る。立派な目標じゃないか。
「なら、ローテーションとかトレーニングメニューとかどうするか…… 見えない相手と併走トレーニングとか出来るのか……?」
「またトレーナーが仕事の顔になってる…… まっ、ボクもそのオトモダチと走ってみたいけどね」
「姉さん…… テイオーさん……」
俺がオトモダチという未知の相手にどうするかと悩んでいると、カフェがすーっと俺の側に近寄って来る。
どうしたのかなと思い隣に座っているカフェを見ようとした瞬間、頬に柔らかい感触が落ちる。
「え゛っ゛」
テイオーが変な声を上げたなぁと思った瞬間、俺もその場の状況を理解する。
そう。カフェに頬にキスされた──それを理解するのはちょっと時間が経った後だった。
「ありがとうございます……姉さん、こんな話を信じてくれて」
俺とカフェの顔が正面を向きあい、同じ琥珀色の目にお互いの姿が映る。
そして、カフェがにっこりと今日一番の笑顔を咲かせた。
「大好きですよ、姉さん」
~~~~~~~~~
カフェにほっぺにキスされた後。
何故か固まって動かなくなったテイオーを、とんとんと肩を叩いて再起動させる。
そしてふらふらと動き始めたテイオーが「あっ」と呟くと俺に向かって話し始めた。
「そういえばさっきたづなさんが呼んでたよ。 後で電話して欲しいって」
そういえばそれを伝えるために部屋に来たんだよね〜とテイオーが言うと、んっと彼女が背伸びをして部屋の外に出て行こうとした。
「じゃあ、また夕方ね! ばいばーい!」
そう言い残して、テイオーが部屋から出ていく。
そして残ったカフェを見ると、何やら携帯を取り出してメールをチェックしているみたいだった。
「あの……私は生徒会室に呼ばれたので…… ちょっと行ってきますね」
「分かった。案内しなくて大丈夫か?」
「大丈夫ですよ…… 最悪オトモダチに聞きますので……」
オトモダチってそこまで把握しているのかなんて思っていると、カフェがソファから立ち上がってドアに手をかけた。
「ではまた後で…… また連絡しますね……」
「了解。気をつけてな」
カフェが小さく手を振って部屋から出て行くと、先ほどまで賑やかだった俺の部屋がしんと静まり返る。
そこに一人残った俺は、くいっと背伸びをするとぽそりと言葉を呟いてやる気を入れた。
「よし……頑張るか」
そう言葉通りに思いながら、電話を取るとたづなさんに電話をかけた。
「お疲れ様です、スターゲイザーなんですけども──」
たづなさんと連絡のやり取りをしてから数十分後。
俺はたづなさんにありがとうございましたと挨拶して、通話のボタンを切る。
「そっか…… もうそんな時期か……」
たづなさんから伺ったのはトレセン学園の文化祭ともいえる、「聖蹄祭」の開催の連絡だった。
これは秋に開催されるファン感謝祭で、クラス単位やチーム単位で色々な催し物が行われる。
その催し物に、テイオーは参加するのかという質問が今来たのだ。
参加すると言っても催し物を出す方の側での話で、トレセン学園としては今話題の三冠ウマ娘に出し物をしてもらいたいのだろう。
俺としてもファンに感謝するのは必要だと思っているし、テイオーには是非何かやってもらいたいが…… 何をするのがいいのだろうか。
なので俺が過去の学園祭の出し物を調べるためネットを立ち上げようとしたのだが、ぴろんと携帯の電子音が鳴る。
確認しようと思って携帯を手に取ると、マンハッタンカフェと表記されていたので直ぐに画面を確認した。
するとそこには一緒に来てほしい場所があると書かれていたので、俺は今からいくよと返信をして俺は椅子から立ち上がった。
そして帽子を手に取って頭に被ると、急ぎ足で部屋を出る。
集合場所に指定されていた食堂の方に寮から移動して辿り着くと、カフェが先に椅子に座っていてコーヒーを飲んでいた。
ふわりとコーヒーのいい香りがカフェから漂ってくる。
そんなコーヒーとの組み合わせが様になっている彼女に、俺は後ろから話しかけた。
「カフェ、来たぞ」
「すみません、わざわざ……」
「仕事もキリよかったし大丈夫。で、来てほしい場所って?」
「それなんですけど……」
カフェがカップをこつんとテーブルの上にゆっくりと降ろすと、ほぅとコーヒーの香りを吐き出しながら話始めた。
「実は先ほど生徒会室に行って、生徒会長に会って来たのですが……」
「ルドルフに? 直接呼ぶなんて珍しいな」
「はい…… そこで少し変なことを言われたんです……」
「変なこと?」
はいとカフェが返事してコーヒーを一口を飲むと、こくりと喉を鳴らした。
「とある人の監視をして欲しいと頼まれまして……」
「監視?」
それはまた変なお願い事だな……
監視って問題児とかなのか……? それだったらなんでカフェに頼んだんだろうか。
「それで……ここに行ってほしいと言われまして…… 嫌だったら勿論断っていいと言われましたが……」
カフェがルドルフに渡されたのか、場所が書かれたメモ帳を広げる。
そこに書かれていた場所は、トレセン学園でも端にある空き教室の番号だった。
「あれ……ここ空き教室じゃなかったっけ」
「詳しいですね…… 私は行ったこと無いので、案内してくれませんか?」
「いいぞ。……てかそれだけで俺を呼んだのか?」
ふと思ってしまったことをカフェに尋ねると、彼女が恥ずかしそうにもじもじと腕を捩りながら答えた。
「だって……一人で行くの怖いじゃ無いですか……」
その可愛らしい仕草に。
俺は思わず胸がきゅんとして、彼女の頭を撫でそうになってしまった。
そんな頼られてしまっては、意地でも頑張らないとなと思ってしまう。
とは言っても道案内だ。別に変な事は起こったりしないだろう。
そんなことを思いつつ、俺とカフェは食堂の椅子から立ち上がり目的地に向かうことにした。
がやがやと喧騒が残る食堂を後にし、俺たちはトレセン学園の教室がある方へ移動する。
指定された教室はかなりトレセン学園の中でも端っこにあり、普通の人ならば滅多に来ない場所だ。
二人で向かっていると、そのうちウマ娘の数も少なくなり静かになっていく。
こつん、こつんと二人分の足音が響く中、俺たちは指定された教室に辿り着いた。
「開けますね……」
カフェがこんこんとドアをノックする。しかし、中から返事は返ってくる事はない。
カフェが小首を傾げてもう一度ノックしてみるが、やはり特に反応が返ってくることは無かった。
「留守でしょうか……」
「先に入って待ってるか? 鍵は特にかかってないっぽいし」
俺がドアに手をかけて、ガラリと入り口を開けると──ぼふんと中から煙が出てきた。
「!? げほっ、げほっ」
「姉さん!? 大丈夫ですか!?」
白いもくもくとした煙が教室の奥から発生している。
一瞬火事か何かと警戒度を高めたが、思った以上に早く白い煙が晴れていく。
しかも煙も何か燃えたみたいな匂いは全くせず、どちらかというか水蒸気に近い感じだった。
そして、一人のウマ娘らしきシルエットが煙の発生源の中心に見える。
「あぁ…… また失敗か…… まぁ、いい。これは急ぎではないからね」
白い白衣を着て、怪し気な薬品が入ったビーカーを右手で揺らしているウマ娘。
ショートカットの栗毛を携えて、しかめっつらをしている。
そんな怪し気な雰囲気を纏った彼女が、俺たちの存在に気づいたのかドアの方を向いた。まだ煙の収まらず視界が悪い中、彼女が口を開いた。
「んん? なんだい、君たちは?」
「いえ……あの…… あなたが例の人ですか……?」
「例の…… あぁ、生徒会が言っていた監視員という奴か」
彼女はビーカーをことんと机に置いて、煙の発生源から悠々と挨拶をし始めた。
「初めましてだねぇ! 私はアグネスタキオン! ウマ娘の可能性の果てを追い求めるしがない研究者さ!」
そう言って深々とおじぎをすると、俺の後ろに隠れていたカフェに向かって話しかけた。
「よろしくねぇ、マンハッタンカフェ君」
「……っつ。なんで私の名前を……」
「そりゃあ、私が君を指名したからさ」
くっくっくっと怪しい笑みを浮かべて、タキオンと名乗ったウマ娘が椅子に座る。
そして実験台になっていた机ではなく、普段使いしているような机と椅子を指さした。
「まぁ、座りたまえ。お茶くらいは用意しよう」
そう案内されたんで、ようやく煙が晴れて見えやすくなった部屋を歩いて椅子に座る。
あたりを見渡すと、まるで理科室のような実験器具が多く置かれており混雑としていた。
見た事ない器具まで置かれており、空き教室にしては随分と物が置かれていた。
お茶を出すと言ったアグネスタキオンは、実験台の上でビーカーでお湯を沸かしていた。
……まさか、それでお茶を出すつもりなのか。
ふと隣を見ると、カフェが隣でビクビクとしながら座っている。
これは俺がついてきて正解だったな。
俺がカフェを安心させるように頭をぽんと撫でると、ほっと彼女が息を吐く。
少しリラックスしたように見えるカフェを隣に、アグネスタキオンが紅茶の香りがする液体が入ったカップを持ってきた。
よかった、ビーカーで出してくるわけじゃなかった……
「はい、紅茶だ。変なものは入ってないから安心したまえ」
「変なものが入ってる時もあるんですか……?」
カフェがジト目でアグネスタキオンを見ると、彼女が手を広げて「どうかな」と呟いた。
ちょっと怖いが、出されたものを飲まないのも失礼かと思い一口カップに口をつける。
……うん、普通の紅茶だ。
「多分、大丈夫だぞ。カフェ」
「いえ……タキオンさんには申し訳ないのですが私、紅茶が苦手でして……」
「そうなのか。すまないな。アグネスタキオン」
「タキオンでいいさ。まぁ、誰にだって好き嫌いはあるからねぇ…… 因みに、私はコーヒーが苦手だ」
そう言いながら、タキオンがぼちゃぼちゃと無造作に角砂糖を紅茶の中に入れた。
一個や二個じゃなくて、大量の砂糖を入れているのを見てカフェが舌を出しそうになりながらうぇーという顔をしている。
あれだけ入れたら紅茶の味が無くなるんじゃないか……? と思ったが、タキオンは美味しそうに紅茶を飲んでいる。
「さて……早めに本題に入るとしようか。私が監視役にカフェ君を指名した理由だが……」
「はぁ」
「君、何か見えざるものが見えるんじゃないか?」
「……っつ!?」
カフェがタキオンに対して驚いたような顔を見せる。
俺も正直驚いた。このことを知っているのは俺とテイオーだけのはずだ。
しかも、これに関してはさっきカフェから話してもらったばっかり。
テイオーが言いふらすとは思えないし、一体どこからその情報を仕入れたんだ……?
「あっははは! いやぁ、その反応を見るに本当だったらしいね! カマをかけたかいがあったよ! 実に興味深いねぇ」
「カマ……」
「実はだね──」
そこからタキオンが話し始めたのは、カフェが俺の部屋に来る前の夜の話だった。
どうやらタキオンはカフェが俺の寮に入る瞬間を目撃していたらしい。そこで不思議なものを見たんだとか。
「……私が言えた口ではありませんが、何で外にいたのですか?」
「いやねぇ、実験をしていたら遅くなってしまってねぇ。寮に入れて貰おうと行ったら見事に閉まっていたわけさ」
タキオンがまるで笑いごとのように、その日の夜の事を話す。
笑って話しているが、普通寮に帰らないって問題じゃないのか……?
いや、そこまで含めて「問題児」なのか。
「そこでねぇ…… 面白いものを見つけてしまったのだよ。 なんと! そこには鍵を持ってないのに寮のドアを開けるカフェ君の姿が!」
「カフェ……?」
「いえ……その……」
「そこで、カフェ君がうわ言のように誰かと喋っている様子を見てねぇ…… まるで見えないものと話しているようだった」
……なるほど。そこでカフェが幽霊──オトモダチと話しているんじゃないかとカマをかけたわけか。
確かにそれは納得がいかないわけではないが……
そこでなんでカフェを監視役に選んだんだ……?
「私の研究テーマはウマ娘の可能性だ。そこでだね、カフェ君のような全く異なる視点から世界を、ウマ娘を見る人物に声をかけて見たのだが…… どうやら大当たりのようだ」
くっくっくっと怪しい笑みを浮かべてタキオンが語る。
こうして聞くと、タキオンはなかなかアグレッシブな……研究者もとい問題児の様だ。
確かに、生徒会が監視を付けたくなるのも分かってしまうくらいに。
「さて、カフェ君。私の監視をするなら君しかいないが…… どうだい?」
タキオンが腕と足を組みながら、カフェに訊ねる。
そして、カフェがゆっくりと口を開いてその問いに答えた。
「嫌です……」
「え──っ!!!」
まぁ当然っちゃ当然か。
だって一切こっち側にメリットがない。それは断るに決まっているだろう。俺でも断る。
「そ、そうだ! この教室の空きスペースを使ってもいい! なんでも置けたりするぞ!」
「別にそれは自分の部屋に置けばいいんじゃないか……?」
必死に留めてこようとするタキオンに俺がツッコミを入れていると、カフェの耳がぴくりと反応した。
「いまなんでもって……」
「ん? あぁ! 別におっきな物でも構わない! ベッドとかも置けるぞ!」
そうタキオンがスペースの広さをアピールすると、カフェが少し首を傾けて悩み始めた。
……ん? 何かそんな悩むポイントあったか?
そう俺が疑問に感じていたら、カフェが──折れた。
「分かりました…… この教室の半分、貸してくれたらやりましょう……」
「カフェ……?」
俺がなんでカフェがそんなことをするのか分からないので、隣に座っている彼女を眺める。
すると、カフェが俺に対してこっそりと耳打ちしてきた。
「その……趣味のコーヒーグッズが部屋に置けなくて…… ちょっと置き場に困っていたんです……」
「そっか……」
「あと……」
そう言いかけてカフェが俺の耳から口を離す。
そしてニコニコと笑っているタキオンを正面に見ると、ふっと破顔させて口を開いた。
「私のオトモダチが……姉さんたちにも見えたら嬉しいじゃないですか…… タキオンさんは研究者。もしかしたら、そういうことも可能かもしれません……」
「ふぅん? 任せたまえよ。 未知の研究、こんなに心が躍る事はない!」
そうカフェとタキオンが向き合って、視線を交わす。
どうやら彼女たちの間で契約は成立したらしい。
ならば、俺はあとは見守るだけだ。カフェのオトモダチ、俺も見てみたいしな。
「それとスターゲイザー君」
「ん? 俺?」
そう思っていると、カフェから興味を向けたのかタキオンが俺に向かって話しかけてきた。
「私はね、君もとても興味深い」
「……別に俺、特に変なことはないぞ」
特筆するならこの白い髪くらいだが…… まぁこれは個性だしなぁ。
「違うさ。君みたいな全く走らないウマ娘は実に珍しいんだよ。ウマ娘はみんな走りに囚われている。それなのに君は…… 不思議じゃないかい?」
「……」
それに関しては俺には前世がある「転生者」というのがあるからだが……
いや。俺がウマ娘に転生したら走りたいと思うのが普通だったのか……? ウマ娘の本能に俺は何故引っ張られない……?
「その通り、君は珍しいウマ娘なのさ。だから、君も実験対象だよ私のね」
そう語り終えるとタキオンはばっと椅子から立ち上がり、ばさりと白衣を広げて宣言した。
「さぁ──実験を始めようか!」
これがスターゲイザーとマンハッタンカフェとアグネスタキオンの、初邂逅であった。