そのウマ娘、星を仰ぎ見る   作:フラペチーノ

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 シャボン玉飛んだ。

 屋根まで飛んだ。

 屋根まで飛んで。

 こわれて消えた。


27.失墜

 足が重い。

 泥沼の中を鉛が付いた靴で走っている。そんな感じ。

 ぐいっと一生懸命足を持ち上げても、前に全く進んだ気がしない。

 いや、前には進んでいる。

 現在進行形で走っている最中だから、進んでない方がおかしいのだが。

 空は真っ赤に染まり、今にも落ちてきそうな月が輝いている。

 ぎりぎりと何かが金切り声を上げているような音が四方八方から聞こえてきて、鼓膜ががりがりと削れて落ちていった。

 今、ボクのいる場所はどこだ。

 蒼球が反射しているのは、前のウマ娘から数えて二番目あたり。

 ウマ娘って言ったけど、目の前には真っ黒に塗り潰されたシルエットしか存在しない。

 影。それが一番正しいか。

 考える暇なんて無い。無駄なことを考えるなと、脳に蓋をされている。

 レースは最終コーナーに差し掛かり、目の前の景色があっという間に流れていった。

 ボクが加速している? それとも、周りが進んでいるだけ? 

 答えは肌を撫でた風で分かった。後者、ボクが減速してる。

 黒い塊が前へ。前へと。

 本能的な危機から、ボクは前に進もうと大地を蹴る。

 だがそれを許さないとばかりに、ボクを掴むものがいた。

 掴んできたのは手か。足か。それとも、もっと別の場所か。

 このままだと後ろに押し込まれて、封されてしまう。

 誰か。

 謝るから。助けて。

 トレーナー。いないの。どこにいるの。

 あれ、ボクなんで走ってるんだっけ。

 いや確か、今はレース中で、有マ記念で。

 違う。有マは終わって、ボクは負けたはず。

 そう、負けた。

 無敗が消えて、砕けて、壊れて。

 散った流星の光の欠片は、二度と集まることは無かった──

 

「──っつ!?」

 

 がしゃんと崩れたような音を幻聴した瞬間、ボクは現実へ戻ってきた。

 はぁはぁと細かく息を吐くと、ぐっと布団を握りしめる。

 ──夢か。そう認識するまでに、それほどの時間はかからなかった。

 夢で良かった。あんな悪夢、二度と見たくもない。

 時計を確認をすると、深夜の三時。真っ暗な部屋の中で、同室のマヤノの寝息が小さく聞こえてくる。

 レースの夢だった。ボクが、めちゃくちゃになるまで焦って負ける夢。

 

「あは、あはは……」

 

 そうだ。夢のはずなんだ。

 ぼふんと枕に頭を叩きつけて、ぎゅっと耳を絞る。

 夢からは逃げても、現実からは逃げられない。

 現実は覚めることは無いから、夢に入るしかない。

 ふざけるなという言葉を飲み込んで、せめてもの抵抗でただ目を瞑る。

 

 ──誰のせいで負けたの? 

 

「ボクのせいだ」

 

 ──誰が自分を想ってくれる人に酷い言葉をかけたの? 

 

「ボクだ」

 

 ──じゃあ、それに向き合うしかないね。

 

「それは……分かってるけどっ!」

 

 夢うつつ。

 一体誰と会話していたのか。それとも、自分が出した声だったのか。

 じんわりと眼から入る情報が遮断されていくのが分かる。

 ただの涙で塞がれているだけだろうけど、今はこれで。

 ボクが背負った業は、逃がしてはくれない。

 

 ──全部、ボクのせいだ。

 


 何も夢を見なかった。

 ただ時間も遅いから寝ようと思って寝て、起きただけ。

 虚無に近い感覚を浴びながら、体をなんとかベッドから起こす。

 気持ち悪いほどの健康体で、全く疲れも残ってない。

 昨日あれだけ動きがあったというのに、ここまで身体には全く響かないのもなんだか気持ち悪い。

 はぁと息を吐くと、自分に対して嫌悪感が湧いてきてしまう。

 このまま横になって無の時間を過ごした気分にもなるが、俺にはやるべきことはある。

 布団を捲りベッドから出ると、ぐいっと体を伸ばす。

 カーテンを開くと、綺麗な朝日が部屋に入り込んでくる。

 今日はどうやら天気もいいらしく、絶好のお出かけ日和らしい。見ただけで分かってしまう。

 今年のレースの締めくくりである有マ記念が開催されて、二十四時間も経過していない。

 せめて、トレーナーらしくあれ。

 昨日は自分が自分じゃなかった気がする。

 だったら、せめて自分を「役」にはめて今日を過ごそう。

 そうしないと、今にも泣きだしてしまいそうだから。

 かちり。

 うん、大丈夫。トウカイテイオーのトレーナー──スターゲイザーに戻れた気がする。

 

「まぁ、流石に反省会しないとマズいよな……」

 

 世間は年末に差し掛かり、お休みムードが流れ始めていた。

 俺たちトレセン学園のトレーナーも休みはしっかりあるし、有休だって存在している。

 だから今日を休みにしようと思えば、実は今からでも出来る。

 だが有マ記念のあの結果を見て、休む気にはとてもなれない。

 

「次はテイオーを絶対勝たせなきゃな……」

 

 その為にも、今は出来る事をやらなければ。

 俺はさっさとスーツ姿に着替えると、いつも通りに椅子に座ってパソコンを立ち上げる。

 朝ごはんは……いっか。お昼の時に一緒に食べよう。

 眠気覚ましにコーヒーだけ入れると、電源がついたパソコンを操作してとある映像を立ち上げる。

 画面にウマ娘がゲートに収まった姿が映り、誰もが固唾を呑んでその瞬間を見守っていたワンシーン。

 俺はコーヒーを口に含むと、再生ボタンをマウスでかちりとクリックした。

 

「にがっ」

 

 カフェが淹れてくれたコーヒーは、そんな強い苦みはないんだけどなぁ……。

 俺は椅子に深く腰掛けると、画面を見ながら昨日を思い出し始めた。

 

~~~~~~~~

 少し空に雲がかかってはいるが、曇天とまでは言えない微妙な天気。それが今日という日を表すのに、ぴったりな言葉だと思った。

 ちょっぴりお出かけを躊躇ってしまうような日でも、この日だけは別。

 場所は中山レース場。

 十二月の末。今日はウマ娘たちのレースの中でも集大成とも言えるレース。有マ記念が開催される日だ。

 俺の担当にして無敗のクラシック三冠ウマ娘もこのレースに出走するためにここにいる。

 勝負服を着てパドックに出るまでの待機室に、本日の主役はいた。

 

「テイオー、調子はどうだ?」

 

「ばっちり! 今ならフルスロットルで走れそうだよ!」

 

 俺が訊ねた質問に対して、いつも以上に元気な声で返事をするウマ娘が一人。

 青と白を主として青空をイメージした勝負服を着た彼女こそが、トウカイテイオー。

 現役ウマ娘で最強と名高く、その名に恥じずにこのレースでは一番人気を勝ち取っていた。

 

「そろそろパドック入場だが……その前に、最後の作戦を確認しておこうか」

 

「えーっと、今日は素直に先行策。でいいんだっけ?」

 

「中山レース場は基本先行有利だからな。しかも、今回は枠にも恵まれた」

 

 今回のトウカイテイオーは五枠九番。これはゲートが真ん中の位置で、有マにおいて有利な枠と言われている。

 また、有マ記念は先行がかなり有利だ。その理由はテイオーにも話したが──

 

「コーナーを六回も回る時にロスが少なくて、息も入れやすい。だっけ?」

 

「正解。特に今回警戒しているウマ娘の中で、テイオーと脚質が被るとしたらマックイーンくらいだ。あとの有力バは主に差しウマだな……」

 

「けどボクが差しでやりあったら……」

 

「多分、抜かれる。ただでさえシニア級のウマ娘の末脚だ。なら、それを持ち込ませない」

 

「勝負は第四コーナーからの直線……。先行で内のポジションから、先に出る!」

 

「完璧。他のウマ娘の土俵に上がる必要は無い。最初からこっちはこっちで好きにさせてもらった方がいいからな」

 

 足をぐっと伸ばしながら百点の解答をしてくれたテイオーに、ぱちぱちと拍手を送りたくなる。

 今日のレースは、今までやってきたレースとは一味も二味も違う。

 クラシック級だけじゃない。シニア級のウマ娘──それもG1クラスのウマ娘たちが混ざり合っている。

 これはテイオーにとっては初めての経験だ。正直実際に走ってみないと、どこまで実力が通用するかどうか未知数なところはある。

 だからといって負けるつもりは毛頭ないし、俺はテイオーが勝てると思っている。

 後は、どこまでレースが思った通りに向かうかどうか……だが。

 

「ん? そろそろパドック入場かな? 地下バ道いこっか!」

 

「もうそんな時間か。準備しておいた方がいいな」

 

 部屋の中にある時計を見てみると思ったより時間が経っており、パドック入場までもう数分というところだった。

 俺が目線を向けると、テイオーがばねのようにぴょんとその場から立ち上がる。

 そして、二人で控室から出て地下バ道の方へと向かう。

 冬ということもあり、日が差さないこの空間はいつも以上に冷えており白い息が上へと昇った。

 

「テイオーなら絶対勝てる。シニア級相手でも緊張せずに行こう」

 

「勿論! ボクを誰だと思ってるのさ」

 

「最強のウマ娘、だろ? いってらっしゃい、テイオー」

 

「いってきます! トレーナー!」

 

 たたんと蹄鉄が床を叩く音が響き、光が差し込んでいる出口の方へとテイオーが駆け足で去っていく。

 その後ろ姿は、いつものレースで見るトウカイテイオーの背中だ。

 レース前のルーティンも済ませて安心した俺は、その場できびすを返すとゆっくりと歩き始める。

 

「結構寒いな……。風が吹いてないだけましか」

 

 地下バ道から外へ出て自分の席へと向かっていると、まだレースが始まってもいないというのにかなりの熱気で包まれていた。

 中山レース場は皐月賞でも訪れたが、それ以上の盛り上がりなのが一目見ただけで分かる。

 人と声の密度が高い空間の合間をなんとか縫って予約していた関係者席へ到着すると、手をひらひらと振っている一人のウマ娘の姿が目に入った。

 

「こっちです……姉さん」

 

 俺のことを姉さんと呼んできたのは、黒髪の長髪を携えたウマ娘。

 彼女が俺の担当ウマ娘であり血の繋がった唯一の妹──マンハッタンカフェだ。

 俺が軽く手を上げて隣に座ると、彼女は嬉しそうに真っ黒な尻尾を揺らした。

 こうやって一緒に大舞台であるG1を現地で見るのは初めてなので、カフェもテンションが高いのだろう。

 しかも関係者席は他の席と違って見渡しも良く、普通では取れない完全な特等席だ。

 

「こうやってレースを見にくるのは初めてですが……多いですね……」

 

「中に入れる人は決まってるけど、今日はレース場の外にまで人がいるからな……。ここまで人がいるのは珍しいぞ」

 

「いえ、『あっち』の方たちが……。うようよといるので……」

 

「あっ、そっち……?」

 

 カフェが急にあっちとか言い出したのは別におかしくなったわけではなく、これが彼女にとって平常運転だ。

 俺には全く見えないが、彼女がいると言うのならばそこにいるのだろう。

 幽霊も有マ記念を見に来るのか……それとも何か未練がある、とかだろうか。

 

「悪意がある子では無いですよ……。どちらかというと、お祭り気分で集まった方たちと言った所でしょうか……」

 

「有マってウマ娘のレースの祭典だからかな……」

 

「あぁ……だからウマ娘の方たちが多いんですかね……。賑やかでいいと思いますよ……」

 

 そんな色々なヒトが集まっているこの場所に、あるアナウンスが響き渡ってきた。

 それはこの祭りを始める一つの合図。

 

『たいへんお待たせいたしました!!! 本日のメインレース、有マ記念! 年末のレースの総括! 名立たるウマ娘が十六名揃って、私たちの夢を乗せて中山レース場を走ります!』

 

 その瞬間、今までバラバラだった熱の方向が一瞬で定まった気がした。

 勿論それが向けられるのは、今からウマ娘たちが入場してくるパドック。

 魔法のように放たれたその言葉は会場に一拍の「静」を届けた後、ボルテージを上げた「動」を届けてきた。

 カフェがびくりと耳を震わせて驚いているが、現地に何回も訪れていた俺にとってはそこまででも無かった。

 それでも、やっぱり今日は異常な気もするけど。

 関係者席から良く見える目の前のモニターに表示されたのは、パドックの入り口。

 ここから、今日出走するウマ娘たちが入場してくるのだ。

 

『まずは一番人気を紹介しましょう! このレースの主役といっても過言ではありません! 現在無敗のクラシック三冠ウマ娘!!!』

 

 最初に出てくるのはやはり彼女。

 俺にとっては見慣れた勝負服を纏い、赤いマントを翻した姿はまるで帝王。

 

『一番人気、トウカイテイオーです!!!』

 

 テイオーがパドックに出た瞬間、空気が一気に膨張する。

 耳を澄ましてみると、彼女に対して応援するような声が聞こえてきた。

 俺だったら慌ててしまいそうな環境でも、競走ウマ娘トウカイテイオーはいつも通りだ。

 堂々と入場してある程度のファンサービスをしていると、アナウンスは次のウマ娘の紹介へ移っていった。

 

『それでは次のウマ娘の紹介です! 二番人気! 日本総大将とも名高い、ダービーウマ娘! スペシャルウィークです!』

 

 日本総大将。

 そう言われて入って来たのは、俺とも少し関わりのあるウマ娘スペシャルウィークだったのだが──

 

「凄い仕上がりだな……」

 

「気迫がびりびりと伝わってきます……」

 

 いつも学園では見せる彼女とは全く違う雰囲気を醸し出しており、思わず後ずさりしてしまいそうだ。

 それもそのはず。

 彼女──スペシャルウィークは「日本ダービー」「天皇賞・春」「天皇賞・秋」「ジャパンカップ」を制した、化け物だ。更に他のG1レースでも掲示板入りに加えてG2でも一着という成績を収めている。

 付いた通り名が──日本総大将。

 この有マ記念を取れば、秋シニア三冠ウマ娘と凄まじい成績を収めることとなる。

 実際のレース場で生で見るのは初めてだが、これは一筋縄ではいかないという確信を持ててしまう。

 一筋? 二筋、三筋使ってもキツイのでは──

 

『さぁ次は三番人気! 末脚のキレの良さならば誰よりもか! グラスワンダー!』

 

 三番人気と呼ばれて、おしとやかにお辞儀して入って来たのは栗毛のウマ娘。

 他のウマ娘が闘争心を纏っているとしたら、彼女はそれに蓋をしている。だが、それがどうしても漏れ出して青い炎を生み出してるようにも見える。

 底が、知れない。

 主な戦績は「朝日杯FS」に「宝塚記念」、そして昨年の「有マ記念」の覇者。つまり、彼女はクラシック級の時点で既に「有マ記念」を制している。

 この時点で、「テイオーの無敗か」「スペシャルウィークの秋シニア三冠か」「有マ記念連覇か」という、情報量の洪水なわけだがまだこれだけでは終わらない。

 

『G1ウマ娘はこれだけでは終わりません! 菊花賞で世界レコードを出し、四番人気! セイウンスカイ!』

 

 手をひらひらと振りながら飄々とつかみどころの無い表情を見せてきたのは、菊の花の耳飾りをつけた葦毛のウマ娘。

 青空のトリックスターと呼ばれる彼女は「皐月賞」「菊花賞」を制した、二冠ウマ娘だ。

 ここ最近成績が振るわなかったからか四番人気に落ち着いているが、彼女は3000m世界レコード持ち。

 何をしてくるのか分からないという点では、出走してくるウマ娘のなかでは断トツだ。

 

『五番人気は彼女! メジロ家の至宝の実力は今日も発揮されるのか!? メジロマックイーンです!』

 

 威風堂々。

 そんな言葉が一番相応しいオーラを身にまとい、高貴の殻の中に熱を込めている彼女は俺が一番この中で良く知っているウマ娘だ。

 テイオーと菊花賞で激闘を繰り広げ同着一着を取った彼女は、ステイヤーとして今名をとどろかせている。

 正直何か一つでも嚙み合わなかったら、菊花賞はマックイーンのものだっただろう。そう確信するほどの実力。

 そして、忘れられないテイオーとマックイーンの約束。

 

 ──決着は有マ記念で! 

 

 ライバル。

 テイオーとマックイーンには、この関係が一番しっくりくるであろう。

 

『さてお次のウマ娘を紹介しましょう! 六番人気、ナイスネイチャ──』

 

 さて。

 これで今警戒すべきウマ娘が、全て出そろった感じがする。

 今出走しているウマ娘全てが、名立たる名バ。

 そして、テイオーが超えていかなければいけない敵。

 

「そうはならないんだけどな──」

 

 普通ならばそう思ってしまうが、俺はトレーナーだ。

 戦うべき相手は、彼女たちのトレーナーも含まれる。

 相手はどこまで俺たちを見抜いている? 相手の脚質は? どこから勝ちを狙いに行く? 

 十六名のウマ娘に、それぞれトレーナーがいる。

 G1ウマ娘というのは、G1を取らせるトレーナーがいるということを忘れてはならない。

 テイオー「が」超える、ではない。テイオー「と」超える、だ。

 全力は尽くした。俺の持てる限りの手札を揃えて、切った。

 だから、もう後は──レースの女神様に祈るしかない。

 

『天気は曇! バ場状態が良の中山レース場! トゥインクルシリーズの祭典、有マ記念! 各ウマ娘、順調にゲートインしていきます!』

 

 パドック入場を終えたウマ娘たちが、ターフに移動して行く。

 特に問題なくゲートインを終えると会場全体が静寂に包まれ、数秒空気が止まった。

 

『今、スタートしました!!!』

 

 ガチャンという音とともに、十六名のウマ娘が一斉にゲートから飛びだす。

 大きな出遅れも無くターフを蹴った彼女たちは、最初は各々が取りたいポジションに走り始めた。

 

『各ウマ娘、出遅れも無く綺麗なスタートです! 先頭に立ったのはセイウンスカイ。次にシンクルスルーが続いております』

 

 中山レース場で開催される有マ記念は、スタートしてから直ぐにコーナーがある。

 場所としては第三コーナー。約90m先に直ぐにカーブがあり、第三から第四、第一、第二、第三、第四からゴールという合計六回もコーナーを回らないといけない。

 当然コーナーを回る時には、どうしても外に膨らんでロスが出てしまう。

 物理的に距離が少ないのは当然内側。だが、内側にウマ娘が多すぎると抜け出すのに苦労してしまう。

 そうなると、中団先行が一番走る距離的にも有利になるのだ。

 今回テイオーの枠は真ん中のため、ポジションもすんなりと取れる。

 彼女の得意な先行。そして有利なポジションに、テイオーのコーナー技術。

 ここまでの要素を考えても、負ける要素が無さそうにも見えるが──

 

「思った以上に先行バが多い……」

 

「本当ですね……。先行が有利だからでしょうか……」

 

『さぁ、ウマ娘第四コーナーを通過して直線へと入ります! セイウンスカイ先頭は変わらず! 注目のトウカイテイオーとメジロマックイーンは現在五番手当たり! グラスワンダーとスペシャルウィークは、それより後ろに続いています!』

 

 ポジション争いが終わりミドルペースで流れているレースを見てみると、まず逃げウマ娘が二人。そして、先行が八人、差しが五人、追い込みが一人といったところか。

 有マは先行が有利だから、先行バが多いのはある程度予想していた。

 だが、何故ここまで違和感を感じるんだ……? 

 

「なんか……様子がおかしい」

 

「今のところ普通のレースに見えますけど……。ペースもそこまで早くないですよね……?」

 

「ペースはまだ普通くらいだ……。だけどそこじゃない。どこか」

 

 テイオーが前から五番目の中団、マックイーンがその半バ身程度後ろ。

 そうなるとテイオーの前に、先行バが二人いるわけだが……

 違和感を感じ、走っているウマ娘たちを見つめる。

 

『各ウマ娘第一コーナーを突入して、第二コーナーへと向かいます! 大きな動きも無く、各自ポジションを保っている形です!』

 

 第一コーナーに突入したテイオーが、曲がる瞬間に少し外側へと膨らむ。

 綺麗なコーナー回りを見ていると、前を走っていたウマ娘がそれと同時にテイオーに体を寄せてきた。

 まるで進行方向を防ぐような──

 

「なっ……まさか」

 

「……どうしました?」

 

「……やられた。俺のミスだ。あのテイオーの前のいる二人のウマ娘……共通点がある」

 

「普通のウマ娘じゃないんですか……?」

 

「……あれはまだクラシック級のウマ娘だ。しかも、テイオーが出たレースにいた子」

 

 つまり今までテイオーとマックイーンのレースを、間近で見てきたウマ娘ということ。

 強いウマ娘を警戒するのは当たり前だが、恐らく彼女たちは先行で走るテイオーとマックイーンを塞ぎに来た。

 有マ記念が先行有利というのも幸いしたのだろう。

 眼に刻まれた「強いウマ娘」を、本能で警戒してしまっている。

 テイオーの前を塞ぐ。テイオーより先に前に出る。

 それならスパートが同時だった時は、こっちの勝ち。

 他のシニア級のウマ娘なんて知らない──というより警戒なんかしてられない。

 そんな考えだろうか。

 

「彼女たち、前は差しで走っていた。末脚得意な子がそれを捨ててまで、テイオーの前を取りに来ているんだ」

 

「でもそれ、自分のペースが乱れませんか……? 先行と差しって全く違いますし……もし走れたとしても、末脚が残るかどうか……」

 

 カフェが言っていることは尤もだ。

 仮に先行のままで差しと同じスパートが出来たら、レースなんて苦労しない。

 だが、それに賭けるしか無かったとしたら。

 

「そこまでしないと勝てないと判断したから……だと思う。今回の有マ記念、レベルが全体的に高すぎる」

 

 無敗の三冠バ、トウカイテイオー。菊花賞バ、メジロマックイーン。

 他にもスペシャルウィーク、グラスワンダー、セイウンスカイ。

 G1は取ってないとしても、ナイスネイチャにレグルスナムカ。

 豪華だ。豪華すぎる。

 それで弱気になってしまったのか、当日になって怖気付いたのか。

 保守的に動いたウマ娘たちの視界が狭くなって、テイオーとマックイーンしか見れていない。

 

『さぁレースは中盤! 第二コーナーを通過して、また直線に入ります! まだ動かない! まだ動きません!』

 

 だが、それが効いた。

 テイオーの近くには、ただでさえ警戒しているマックイーンが走っている。

 外にいくにしても内にいくにしても、自分の前を塞ごうとしてくるウマ娘がいるレースなんて集中できない。

 こんなの……最初に言っておけば、テイオーだって気にせずにすんだ。

 マックイーンの後ろに付いていれば、少なくとも他のウマ娘たちの警戒先を変えられた。

 おまけにスタミナの怪物である彼女を、多少なりとも削れる。

 

「……可能性の一つとしてはあった。気がつかなかった俺が悪すぎる……」

 

「……あの、姉さん」

 

「どうかした……?」

 

「全体的にウマ娘、落ちてきていません……?」

 

「えっ……」

 

『第三コーナーを通過し、第四コーナーへ! 400mの看板を通過してレースも終盤! グラスワンダーにスペシャルウィーク上がってきた! メジロマックイーンもそれに合わせて動いてくる!』

 

 落ちる。

 それが指しているのは、スタミナを消耗して抜かされているという状況。

 何故。いつの間に、そこまで体力を削られる事態が──

 

「セイウンスカイ……逃げ。持ってかれた……?」

 

 後から分かったことだが、これはスパート以前の問題。

 青空のトリックスターは、有マ記念の一つの布石を打った。

 逃げウマ娘である彼女は第三コーナーあたりからロングスパートを仕掛けて、レースのペースを引き上げたのだ。

 菊花賞で逃げ切った自分を信じて、消耗戦に持ち込む。

 自分の同期である、スペとグラスワンダーの末脚を使わせない。あるいは使っても届かない場所へと逃げる。

 レースの支配者は自分だと言わんばかりに。

 

「テイオーっ……!」

 

 それはテイオーも例外ではなく、いつも以上に体力を削られているだろう。

 彼女は決してステイヤーではない。

 2500mという距離以上に走らされているだろう彼女は──

 

『中山の最後の直線に入った! トウカイテイオーも上がって来て現在二番手! だが、後ろからウマ娘たちが迫ってきている!』

 

 テイオーがラストスパートを仕掛けるために、前へと駆け上がる。

 いつの間にか前のウマ娘はいなくなった。スタミナが無くなって、後ろに落ちたのか。

 ならセイウンスカイをかわして、前に立ってゴールするだけ。

 前方一バ身程度。まだ、射程圏内。

 奇しくも、菊花賞の時と同じ状況か。

 そっと目を閉じて、彼女に想いを託す。

 テイオーの走りを後押しするように、理屈じゃなくて感覚で。

 ぐっと意識の境界線を踏み込んで、駆けるように。

 俺たちは、一緒にいるってことを。

 

 ──これっ、無理っ。

 

 菊花賞の時にあった、テイオーと一心同体になった時の再現。

 感覚と想いの共有。

 超集中状態──領域、ゾーン。

 普段よりパフォーマンスを発揮できるはずのそれは、今は全く意味をなさなかった。

 俺に流れ込んできたのは疑問。そして、諦めに近い感情。

 何故自分のスタミナが、これだけ削られて辛いのかという疑問。

 

『ここでメジロマックイーンがトウカイテイオーをかわして前に出たっ!!!』

 

 セイウンスカイは抜かせない。

 マックイーンには抜かされた。

 

『メジロマックイーン、先頭に立った──いや凄まじい末脚で外からスペシャルウィークとグラスワンダーが迫って来ている! 勝負はこの三人か!?』

 

 スペとグラスワンダーが凄まじい勢いで、俺たちを置いて行った。

 

「──っつ!」

 

「姉さん……!? 大丈夫ですか……!?」

 

 ばちんと弾かれるような音が幻聴して、俺は元の場所に戻ってきてしまう。

 マックイーンに抜かされた瞬間に、がちりと歯車は外れた。

 いつも楽しそうに走っているのに、辛そうに走るテイオーを見て。

 誰が、彼女をこうした? 誰が、彼女に勝てるレースをさせなかった? 

 

『ゴォォォォォル!!!』

 

 ──全部俺のせいだろ。

 

『一着ハナ差でグラスワンダー! 二着スペシャルウィーク! そこからクビ差で三着メジロマックイーン! この激闘を制したのは、グラスワンダーだ!!!』

 

~~~~~~~~

 会場から大歓声が鳴り止まない中、俺は観客席から離れて地下バ道の方へと向かっていた。

 外からの音が内側には届かないように、その場所は静かで冷たい。

 こつんこつんと音が反響する場所で白い息を吐きながら立っていると、彼女は戻ってきた。

 

「テイオー」

 

「トレー、ナー?」

 

 死んだような、深い蒼の眼だった。

 出走前にあれだけ元気だった、あのテイオーはどこへいってしまったのか。

 俺がテイオーと出会ってから見たことも無いような表情は、現実を受け止められないでいた。

 

「ボク、負けちゃった」

 

「……そうだな」

 

「掲示板にも入れなかった。いつもの走りが出来なかった。ボク……勝つって言ったのに」

 

 淡々と事実を話しているテイオーに、なんて声をかけたらいいのか分からなかった。

 だが、何か話しかけないとダメな気がして。

 咄嗟に紡がれた言葉は──最悪の一言だった。

 

「まだ、終わったわけじゃない。次のレースだってある」

 

「でも無敗は消えた。有マだってやり直せない」

 

「ルドルフだって無敗じゃない。なら、これから──」

 

「今はボクの話をしてるんでしょ!!!」

 

 絶叫。

 がんと全体に広がるように、テイオーの声が響き渡る。

 それは恐らく、過去一で悲しい声だったと思う。

 彼女にがつんと頭を殴られた気がして、俺はその場で立ち尽くしてしまった。

 

「うあっ……とれっなっ、ちがっ。ボクは」

 

「ごめん……テイオー……」

 

 今、ルドルフは関係無いだろ。

 負けてショックになっている担当に、話しかける言葉としては本当に最悪の言葉だった。

 本当に。本当に。

 

「俺が全部悪かった……。次は負けないように頑張るから、許してくれ」

 

「──っつ! あはは、ははっ」

 

 ぐしゃりと崩れたような顔をした彼女は、何かを理解したような目をして虚空を見つめる。

 そしてかくんとその場に両膝をついて地面を見つめたかと思うと、ぽつりとたった一言呟いた。

 

「さいあくっ……」

 

 それが今の状況なのか。それともレースのことなのか。

 

 ──俺のことを言っているのか。

 

 その意味を問いただすには、空気も。テイオーと俺の状況も全く噛み合って無かった。

 

~~~~~~~~

 うつらうつらと船をこぐように、パソコンの画面が揺れている。

 これが眠りから目覚めて、自分が揺れていることに気付くのには数分の時間を要した。

 今までこんな仕事中に眠くなるなんてことは無かったのに、何故か今だけは異様に眠かった。

 有マのレースの映像がループ再生状態になって、延々と同じ実況を繰り返している。

 俺は再生ボタンを押して一度映像を止めると、ゆっくりと目を閉じた。

 あれからテイオーとは一切話していない。

 一緒にいたことにはいたのだが、荷物を持ってトレセン学園に帰って来るまでお互いに終始無言だった。

 最後のライブも見ずに、レース場から直帰。

 ウイニングライブは三着の掲示板入りした子達が対象だったため、彼女は出る必要が無かったのだ。それもテイオーにとって初めての経験だろう。

 このまま何もかも忘れて眠りにつきたい気分だが、それを許さない自分がいる。

 

「はぁ……」

 

 どうにも出来ずに溜息をついてしまっていると、こんこんこんとドアのノックが三回鳴った。

 俺の部屋にこうやって訪ねてくる人なんて一人しかいない。

 

「……入っていいぞ」

 

「失礼します……。大丈夫では無さそうですね……姉さん」

 

 俺の妹であるマンハッタンカフェが、ジャージ姿で部屋の中に入ってきた。

 ゆっくりと俺の方に向かって歩いてくると、そっと座っている俺の頬に触れてくる。

 

「昨日寝ました……?」

 

「寝たよ……。一応」

 

 快眠では無かったけど。

 そう答えると、カフェが俺の手をきゅっと両手で包み込んできた。

 

「姉さん……今時間ありますか?」

 

「時間……はあるけど」

 

「ならちょうど良かったです……」

 

 時刻はいつの間にか午後の一時。

 何も予定が無かった俺に対して彼女が提案したことは、全く予想も出来ないことだった。

 

「一緒に走りましょう……姉さん。本気で」

 




ファンアートを一気に紹介させていただきます。


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一、ニ枚目のイラストを下さった「おーか」さん。
三枚目のイラストを下さった「丹羽にわか」さん。
四枚目以降のイラストを下さった「踏文二三」さん。
本当にありがとうございました。

次に「IF」の宣伝です。

https://syosetu.org/novel/310188/2.html
テイオーがスターちゃんをガンガンアタックして落としに行くお話。

https://syosetu.org/novel/310188/3.html
もしもスターちゃんの妹が「アグネスタキオン」だったらのお話。

https://syosetu.org/novel/310188/4.html
スターちゃんとテイオーがハロウィンを楽しむお話。

https://syosetu.org/novel/310188/5.html
もしもマンハッタンカフェが姉で、スターちゃんが妹だったのお話。

(最初の「シャボン玉飛んだ」は著作権失効してますが、一応楽曲コードが合ったので貼っておきます)
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