30.再開
そこは真っ白な場所だった。
視界内から入る情報が「白」しかなく、全く風景に動きがない水平線まで真っ白な空間。 音も風も無い。例えるなら波の無い静かな海だろうか。
そんな場所に俺はいた。
「……」
前回この夢を見たのは、確か菊花賞の前だっただろうか。
感覚としては、彼女の領域に入り込んだあの時の感覚とも似ているが。
毎回見るたびに様子が変化するこの夢は、まだ分からないことが多すぎる。
夢の中で意識がはっきりする、いわゆる明晰夢というのだろうか。
「わんっ!」
昔は体の認識すら出来なかったが、今は自分を自分と認識できてその場に立っている。
まるで現実のように五感があり、耳も尻尾などを自由に動かすことだって可能だ。
「にゃあ……」
そんな状態の空間に、明らかに俺以外が出した音が聞こえてくる。
まるでイヌとネコが鳴いたような、この場合に似つかわしくない動物の声。
気になって音がした場所を見るために視線を下げると、そこには。
「テイオー……? カフェ……?」
一匹の茶色の人懐っこそうなイヌと一匹の凛とした黒ネコが、すりすりと足元に擦り寄ってきていた。
それを見て、俺はこの場にいるはずのない二人の名前を無意識に呟いてしまう。
なんだこの夢はと一人で困惑していると、俺の肩に急にずしっとした重さが伝わって来た。
「にゃあ。んにゃ……」
気づいたときには黒ネコが肩に乗っかってきて、俺の頬に顔を擦りつけてきている。
俺にまるでマーキングで匂いをつけてくるような仕草に困っていると、ドンと急にお腹に衝撃が走った。
「わんわんっ!!!」
「ぐえっ」
中型犬のサイズはあるであろうワンコに突撃され、俺はその場に背中から倒れてしまう。
痛みは全く感じなかったが、急な出来事に体幹は簡単に崩れてしまった。
そんな俺に対して目の前のイヌは、舌を出してぺろぺろと興奮しながら顔を舐めてくる。
俺から振り落とされたはずの黒ネコは音もなくすたっと着地し、お腹の上で丸まってしまって動かない。
「あっ、ちょっ……やめっ……」
舌でぺろぺろ。お腹でふみふみ。
自分がイヌネコにもみくちゃにされ、ペットみたいにもふもふされる側になってしまう。
だ、誰か……助けてくれ──
「んあっ……」
意識が現実に戻って来る。
寝起きでゆっくりと瞼を開けると白い部屋もイヌもネコもどこにも見当たらず、点々と光るモニターが視界に映る。
何も変わらない、いつもの自分──スターゲイザーの部屋だ。
違うとしたら、俺の肩と膝にかかる重み。
「正夢だったな……。というか、今この状況が夢に影響されたというか……」
今現在俺の肩に抱き着くように寝ているのは、俺の妹であるマンハッタンカフェ。
そして膝の上に頭を乗っけてすやすやと寝ているのは、俺の担当ウマ娘であるトウカイテイオー。
大きめのソファで他にも座れる場所があるにも関わらず、隙間が無いようにぎゅうぎゅう詰めになっているこの状態。
「まぁ、暖かいからいいか……」
時計を見ると、年を越した後の深夜の時間帯。
新年の最初くらいは、みんなで集まって寝てもいいだろう。
俺はそう思うとそっと瞼をもう一度閉じて、すぅと寝息を立てるのであった。
~~~~~~~~
一月一日。新しい年を迎えて、心身ともに一新したように感じられる日。
去年は部屋の中一人で新年を迎えたというのに、今年は大分賑やかになっていた。
「あけましておめでとー!」
「あけましておめでとうございます……」
「あけましておめでとう」
同時に新年の挨拶をしたのは、俺を含めて三人のウマ娘。
一人はポニーテールを綺麗に結び、白い流星を携えたウマ娘──トウカイテイオー。
一人は漆黒の青鹿毛をロングに纏め、白いアホ毛をぴょこりと生やしたウマ娘──マンハッタンカフェ。
そして最後に、真っ白な白毛を邪魔にならないようにショートカットにした俺──スターゲイザー。
こうして結成されたばかりのチーム「デネボラ」は、新年の朝にも関わらず一緒にトレーナー室で過ごしていた。
「いやー……みんなで寝落ちしちゃったねぇ……。なんかトレーナーに吸い寄せられてからの記憶ないや」
「私も、姉さんが暖かくてつい……」
「なんかすまんな……。初日の出を見るって言ってたのに」
こうして朝からトレーナー室にみんなで集まっている理由は、とても単純である。
前日──大晦日からこの部屋で、チーム全員で年越しを行っていたからだ。
年越しそばを一緒に食べ、年が明けるまでみんなでのんびりと過ごしていた。
本来ならば夜更かしなどはせずに日付が変わる前には寝てしまう俺だが、今日だけは特別ということで深夜まで起きていたのだ。
しかし毎日寝ている時間に起きているのが祟ったのか、俺は途中で寝落ちしてしまい今に至る。
「今は……朝の八時か。どうする? 特に予定も無いけど」
新年明けてからの三が日はトレーニングも休みにしてあり、こうして一人一人がゆっくり出来る時間を確保してある。
そのためこの期間に実家に帰ったりするウマ娘もいるのだが、テイオーは今年も実家に帰っていない。
親御さんに顔を出さなくてもいいのだろうかと思ったりもするのだが、彼女は特に問題ないと言っているためあまり深く聞いていなかったりする。
まぁ「家族の問題」に関しては、俺とカフェは深くは突っ込めないのだが。
そんなことを考えていると、テイオーは思い出したようにぽんと手を叩いた。
「そうだ、初詣行こうよ 去年と同じとこ!」
「いいですね……。私も初詣行きたいです……」
「屋台とかも出てそうだし、ボクそこでご飯食べたいなぁ」
彼女からそう提案されたのは、正月としては一番最初にやっておきたいこと。
去年も同じ時期にテイオーと一緒に、トレセン学園の神社へとお参りにいったものだ。
あの時はクラシック三冠に挑戦する前。願いがかなったお礼参りするのも、丁度いいだろう。
「じゃあ着替えとか終わらせて、30分後に寮の玄関に集合しようか。寒いから、しっかり防寒してくるようにな」
「りょーかい!」
「了解です……」
そう言って一度集まりを解散すると、テイオーとカフェが俺の部屋から出ていって自分の部屋へと戻っていく。
出ていくのを確認した後、俺は私服が入っているクローゼットの棚を開けた。
昔はスーツしか入っていなかったというのに、今は休日に着れそうな私服は季節ごとに揃ってしまっている。
自主的に買ったというわけではなく、テイオーとカフェにおすすめされたのを選択式で選んでいるだけだ。
ただそれでも女性らしい私服があるだなんて、昔の俺が聞いたら信じられないだろう。
「まぁ……これでいっか。少し動きやすい服装だし」
俺はその中から切りっぱなしのワイドジーンズ、チェックシャツの上にネイビーカーディガンを重ねて防寒をする。
本来ならここからネックウォーマーに手袋、耳当てまでつけるのだが……今日に限ってはそれはいらないだろう。
ただ立っているだけの場合、寒がりの俺は冬にしっかりと防寒しないと凍えてしまうのだが。
因みに最近カフェから「ふわふわイモムシ」って言われてしまったのは、ちょっとショックだった。
「忘れ物もないし、あと靴にだけ気を付ければいいな……。走れる靴は……これだな」
肩にかけるタイプの小さめのバッグの中に必需品を突っ込むと、俺は準備万端という格好で寮の入口へと向かった。
まだ二人は来てなかったので、少し携帯を触りながら待つこと数分。
テイオーとカフェが同じくらいに寮の扉から出てくると、駆け足で俺の元に近づいてきた。
「お待たせ~。あれ、トレーナーすっごいおしゃれじゃん!」
「お待たせしました……。姉さん、とても可愛らしい恰好してますね……」
「そうか? なら、テイオーとカフェが選んでくれた服のセンスがいいってことだな」
俺がそう言うと彼女達は嬉しそうな笑みを浮かべて、ぐっと小さくガッツポーズを握っていた。
ウマ娘らしさを少し出しつつ、動きやすくボーイッシュ系のズボンスタイルにするのは自分でも気に入っている。ただ、ここまで褒められると少し恥ずかしい。
そして俺は褒めてくれた二人に声をかけるために、こほんと照れ隠しの咳払いをして口を開いた。
「それじゃあ神社に向かうか。場所は俺とテイオーが知ってるから、付いてきてくれれば大丈夫」
「分かりました……。ところで、どうやって神社に向かうんですか……?」
カフェにそう聞かれた俺とテイオーは、二人で顔を見合わせると去年のことを思い出して軽く笑った。
今となってはいい勉強になった、ウマ娘の常識への理解が甘かったせいで少し痛い目を見た話。
だけど昔より「ウマ娘」に近づいた俺なら、彼女たちにもついていけるだろう。
「えっ? そりゃさ」
「走って、かな」
~~~~~~~~
「まさか……新年の初走りが、これになるとは思いませんでした……」
「でもさ、なんか神社に向かう道でもご利益有りそうじゃない? ボクはみんなと走れて楽しいけどなぁ」
「俺はこういう機会を設けないと、二人と走ることないしな……。っと、そろそろ神社に着くぞ」
三人でトレセン学園を出た後、ウマ娘専用レーンを使ってジョギングすること三十分程度。
俺たちは今回の目的地である神社へと、足早に到着していた。
ゆっくりと呼吸を整えていると、カフェは意外そうな表情を浮かべながらじっと俺の目を見つめてきている。
何かと思って視線を返してあげると、彼女はぽろっと疑問を口に出してくれた。
「いえ……姉さんが、走るの珍しいと思いまして……」
ウマ娘に対して走るのが意外という感想は、あまりにもおかしな話である。この世界の当たり前の常識について突っ込んでいるのだから。
だがそれは俺の幼少期を知っているカフェだからこそ言える、的を射た発言になっていた。
「昔は走るの、苦手でしたよね……? 克服したんですか……?」
「完全に克服したわけじゃないけどな。でも今は……みんなと一緒なら、走れるくらいにはなったよ」
誰にも明かしたことは無いが俺には前世の記憶があり、いわゆる普通の人からウマ娘になった転生者だ。
そのせいで俺はウマ娘の走る速度に、人間のまま対応しなくてはいけない。
それが怖く俺は「走れなかった」のだが、ここ最近少しずつだが走れるようになっている。
──俺は絶対テイオーの夢を諦めずに支える。だからテイオー、俺と一緒に走ってくれないか?
あの時の約束は決して物理的な「走る」では無かったが、あそこから俺は彼女の側をずっと「走って」きた。
そのせいだろうか。俺は近くにテイオーかカフェがいるなら、ウマ娘として走ることができる。
菊花賞の時に気づいた、俺がウマ娘である理由。
それが今、俺の「走る」ための原動力になっている。
「まぁ、それでもテイオーとカフェとかと比べたら遅いけどな」
俺の走る速度は、恐らくウマ娘の中で最遅。
俺より遅いウマ娘を見たことは無いので、最もウマ娘に向いてないウマ娘だと断言できるだろう。
だが、それでいい。そこから見える景色は、俺の走りでしか見えないから。
「でもボク、トレーナーと一緒にこうして走れるのは楽しいし嬉しいよ! やっぱりウマ娘だったら、走らないと分からないことってあるからさ」
「……そっか。テイオーが嬉しそうで良かったよ」
「トレーナーもボクのこと分かってるかもしれないけど、ボクもトレーナーのこと沢山分かってるんだからね!」
にっししとテイオーが笑うと、柔らかいばねのような体を使ってぎゅっと横から俺に抱き着いてくる。
そして俺の右手をぎゅっと握って手をつなぐと、嬉しそうに俺の体を引っ張ってきた。
「いこっ! もう混んでるし早めに並ばなきゃ!」
「だな。カフェも行くぞ。お参りから先にしような」
「はい……。ですが、私も……」
そうカフェが言ってきた直後、彼女が俺の空いていた左手をぱしっと握ってぐっと近寄ってくる。
そうなると自動的にカフェとテイオーの二人にぎゅっと挟まれてしまい、ぐっと自分の幅が狭まる感じがした。
「追い付きますから……必ず……!」
「ふふん♪ ボクとトレーナーは夢で繋がってるからね。ここまで届くかなぁ~?」
「姉妹の絆を舐めないでください……」
ぱっと見喧嘩しているように見えるが、小刻みに刻まれるリズムの言い返しを聞いていると別にそうではないことは俺にも分かった。
しかしそれと同時に俺のスペースが潰れるように感じたのは、決して気のせいではないと思う。
そんな状態の二人を引き連れ、俺たちはもう既に混みあっている神社へと向かっていった。
まだ午前十時頃だが、学園から近いという事もあり主にトレセン学園生徒であろうウマ娘でもう既に賑わっている。
参拝するための列に並びながら、一緒に会話しながら今までとこれからを振り返っていた。
「ここに来るのも去年ぶりだねぇ。それなのに凄い懐かしく感じるや」
「その間に色々あったからな。そう思うのも無理ないだろ」
この一年間の間で、本当に色々な出来事が目まぐるしく起こっていった。
皐月賞。
日本ダービー。
菊花賞。
この一生に一度しかない大舞台であるクラシックレースを、テイオーと共に走り抜けたのだ。
それは流星が通過するようにあっという間で──心に一生痕を残している。
そして、テイオーが通ったその道は──
「今年は私の番……というわけですね。オトモダチに……今の私がどれだけ追いつけるか……。自分でも、楽しみです……」
──彼女へと、続く。
俺の担当であり妹でもあるウマ娘──マンハッタンカフェは、テイオーの次の新たな世代が作り出すレースへと今年から足を踏み入れる。
彼女の目標は、自分の前を走る「オトモダチ」に追い付くこと。
まるでウマ娘の幽霊のような存在のオトモダチは、カフェにしか見えず俺の目では確認出来たことが無い。
だが彼女のデビュー戦の後、一瞬だけ虚無に見た靄が「オトモダチ」の存在を肯定している。
「私も目標はクラシック三冠にします……。そうでないと、オトモダチにいつまでも追いつけそうにないですし……」
「分かった。俺は、カフェの意志を尊重するよ」
「え……そんな、あっさり決めてしまってもいいんですか……?」
「カフェの行く道が俺の道だ。何より、カフェがそう思った、思えたってことが大事だから」
カフェはオトモダチに追いつくという目標は立てていたものの、どのレースに出るまではしっかりとした目標は言われてなかった。
そのためデビュー戦を勝利した彼女だが、特に次のレースは決まっていない。
俺はそんなカフェの様子と脚質、距離適性を考えながらしっかり成長出来るレースローテを既に数十個考えていたが、彼女が自ら目標を言ってくれるならそれに従う。
目標があるのはウマ娘としてとてもいいことだ。
それにもしカフェが三冠を目指すなら、と考えていたレーススケジュールならもうある。
「なら、皐月賞を目指すために三月にある弥生賞を目標にしよう。カフェの体質を考えると、テイオーみたいにオープン戦をこなすって言うのは避けた方がいいかもな」
カフェは少し体質が弱い。
足の爪が割れやすかったり、体重の管理が難しかったり、少し体調を崩しやすかったり。
俺が見る前まではもっと体の不調が多かったそうだが、最近は回復の傾向にあって安心している。少し昼間が苦手なのは、体質も大きいのだろう。
因みにテイオーはその点で見ても全く問題なく、ずっと健康だった。トレーナーとして担当ウマ娘がここまで元気だと、とても嬉しいしありがたい。
「弥生賞、ですか……」
「中山レース場で開催される、距離2000mの中距離の重賞レースだな。G2レースだけど、カフェの実力なら問題無いと思うんだが……どう思う?」
「……いえ、私もそのレースでいいとは思います、が……」
俺のそんな提案に、言葉の節々で途切れ途切れに回答するカフェ。
彼女の顔を覗いてみると、何かが心の中で引っ掛かっているような様子。
嫌と言いたいわけでは無さそうだったので彼女からの言葉を待っていると、少し意外な角度から答えが返ってきた。
「タキオンさん……弥生賞に出走するって言ってたのを、たまたま聞きまして……」
「マジか……。やっぱり皐月賞の前哨レースっていうのが大きいなぁ……」
アグネスタキオン。
カフェと仲が良い……のは所説あるとして、色々と俺たちに縁があるウマ娘の一人。
昨年のホープフルステークスをレコードタイムで撫できり、次のクラシック三冠はタキオンのものだと足早に噂する人までいるほどだ。
「あの人はヒトとして倫理感は終わっていますが……ウマ娘としてはこれ以上ないくらい速いので……」
「カフェってタキオンのことになると意外と辛辣になるよね」
「……テイオーさんは、好きになれますか? 自分が飲もうと思って淹れたコーヒーに謎の薬を混入させてくるヒトを……」
「あっ、うん。ボク、タキオンと話したことないけどなんとなく分かったや」
アグネスタキオンは問題児である。
トレセン学園に入学して三年間もトレーナーを付けずに、謎の実験を繰り返していたのが彼女の評判だ。
そのせいもあって空き教室に隔離されていたのだが、それでも手が付けられず監視役を立てることになった。
そんな役目を受け持っているのが、マンハッタンカフェというわけだ。
そのためタキオンとカフェはお互いのことを良く知っているが、友達かどうか聞かれると怪しい関係にあったりする。
「……で、どうする? 別に弥生賞に出なくても、他のレースに出て皐月賞に進む選択肢はあるぞ。スプリングステークスとか──」
「……いえ。私は、弥生賞に出走したいです」
そう強い覚悟を感じられる一言が、カフェの口から漏れ出した。
彼女の目標は「オトモダチ」に勝つこと。だから弥生賞に出走する意味も、皐月賞へ出走したい意味も。それに繋がると考えていた。
しかし、今のカフェは──
「弥生賞で当たらなくても、皐月賞で当たります……。ならここで……タキオンさんに勝ちたいです……」
──アグネスタキオンを優先している。
彼女はタキオンの速さを知っている。その足を知っている。
それを見て彼女に勝ちたいと言うのは、きっとタキオンをライバルのように思っているのだろう。
なら、トレーナーはそれを手助けしてやるだけだ。
「カフェなら勝てるよ。俺も付いてるしな」
「はい……。私には姉さんに、オトモダチも憑いています……。それが……自信に繋がっているのかもしれませんね……」
カフェはそう言うと、ふにゃりと顔を崩して柔らかく微笑む。
緊張や不安を感じない、とてもリラックスした表情をしており俺も安心する。
彼女に信じられているのが、トレーナーとしても姉としてもしっかり伝わってきた。
「まだ……列進みませんね……」
「賽銭箱まではまだ時間かかりそうだし、テイオーの今年の目標も聞いておくか」
「ボク? そうだなぁ」
カフェの次はテイオー。
クラシック三冠を終えて本格的にシニア級に参戦していく彼女だが、実はというと既に目標レースはトレーナーとして聞いていたりする。
──誰もが夢を託して、最強を駆けるようなウマ娘にボクたちはなる。
有マ記念の後宣言した目標は、夢を駆ける最強の証明。
そのための一環として、俺たちはとあるレースへの出走を既に決めていた。
「トレーナーは知ってると思うけどさ。ボクはカイチョーも取れなかった、春シニア三冠に挑みたい」
大阪杯。天皇賞春。宝塚記念。
三月、四月、六月に行われるこの三つのG1レースは、春シニア三冠と呼ばれるレースだ。
距離はそれぞれ2000、3200、2200。王道路線のこれらの距離は、シニア期も前半で最も盛り上がるレースといっても過言ではないだろう。
だがその分、レベルも高い。
シニア級は有マ記念に出ていた、レベルの高いウマ娘が容赦なく襲い掛かって来る。
それにテイオーの同世代の彼女たちも、間違いなく出走してくるだろう。
「だからこそ勝ちたい。ボクはもう、誰にも負けたくない」
「……俺も同じ気持ちだよ。まずは大阪杯。それに向けて、トレーニング頑張ろう」
「勿論!」
そう宣言すると、テイオーはにこりと笑って俺の目をじっと見つめてくる。
その視線はどこまでも真っすぐで、信じて疑わない俺の好きな彼女の目だ。
担当ウマ娘の想いを再確認しもう一度自分も頑張ろうと意志を固めていると、テイオーが「そういえば」と前置きして夢を語りだしてくれた。
「ボク、トレーナーに伝えてなかったんだけどさ。もう一つ勝ちたいレースがあるんだ」
「どのレースだ? テイオーの適正距離的に短距離とか言われると悩むけど、なんとかするぞ」
「それはね。『────』だよ」
「……いや、テイオーなら出れるかもしれないが。……本気か?」
「本気。冗談でこんなこと言わないよ。けど、ボク一人じゃ絶対に出来ない。だからさ、トレーナーお願いできる?」
「……当たり前だろ。テイオーが勝ちたいって言ってるんだ。俺はテイオーと一緒にどこまでも走るよ」
「……っつ! ありがと! トレーナー!」
そのレースは、未だ叶えられぬ最高峰の夢。
だけどもし、これが実現出来たら間違いなく。最強になれる。
そのレースの名は──
『凱旋門賞』
~~~~~~~~
お互いの夢を再確認してお賽銭を神社に納めつつお参りした後、俺たちは大勢並んでいたヒトの列から外れて神社の開けた境内に移動していた。
お正月ということもあってか色々な屋台が並んでおり、まるでお祭りみたいだ。
がやがやとした喧騒の中ではぐれないように二人と歩いていると、香ばしいソースの匂いが漂ってきたりして食欲を刺激される。
そんな食欲を刺激する状態でさっきまで走ってたウマ娘が耐えれるわけもなく、隣に立っていたテイオーがそわそわとしながら俺に尋ねてきた。
「ねぇトレーナー、屋台でご飯買ってきていい? ボクお腹ぺこぺこでさ」
「別に構わないぞ。俺たちのぶんも買ってきてくれると助か──はやっ」
その食欲に我慢できなくなっていた彼女は俺の許可が下りた途端、ゲートが開いた時のような速度でスタートを決めていった。
嬉しそうに飛びだしたテイオーを見送ると、その場に俺とカフェが取り残されてしまう。
「……カフェは何食べたい?」
「からあげとか……食べたいです……」
「じゃあ一緒に買いに行くか」
新年のお祭りくらい、少し不健康で割高なものを食べても罰は当たらないだろう。
同じ料理でも外で食べるといつも以上に美味しく感じるのは、何か不思議なものを感じる。
そんなことを考えながら二人で屋台の列に並んでいると、何かを見つけたのかカフェの耳が上に向けるようにぴんと立った。
「どうした? 知り合いとかいた?」
「知り合い……。まぁ、知り合いなんですけど……あれ、分かりますか?」
そう言ってカフェが視線を向けている方向を確認してみると、明らかにその場に似つかわしくない格好をしている人物が屋台で食べ物を買っていた。
私服でも無く、制服でも無く、正月特有の振袖とかでも無く。
その人の格好は、実験中に着る真っ白な白衣だった。
「……あの白衣着てるヒトだよな」
「はい……。彼……いえ、彼女ですかね……。あのヒトがタキオンさんのトレーナーさんです」
「えっ、そうなのか」
まさかの人物の登場により、俺もちょっぴり驚いてしまう。
というのも俺はタキオンのトレーナーには会ったことは無いが、顔の見た目と雰囲気は写真などの情報で知っている。
一度見た物は絶対に忘れない自信がある俺だったが、それでも白衣の後ろ姿とその情報が上手く結びつかなかった。
遠くから見ても分かる、長い髪の毛を軽く一つ縛りにしていて男性にしては小さめの頭身と華奢な体。
俺の記憶が間違っていなければ、タキオンのトレーナーはショートヘアの男性だったはずなのだが……
「いえ……合ってますよ。タキオンさんのトレーナーさんは、男性です」
「じゃあ、あれは……? ごめん、女性にしか見えないんだけど……」
「それも合ってます……。多分、今は女性です……」
「……?」
「そうなりますよね……。私も最初そうなりましたし……」
それから詳しい話をカフェに聞くと、どうやらタキオンのトレーナーは男性の時と女性の時があるらしい。
意味が分からないが文字通りのことらしく、タキオンからの度重なる投薬実験の果てに性別が可変になってしまったとのこと。
まるでオカルトじみているが、タキオン関連ならミステリーではなくケミストリーなんだろう。訳が分からないが。
取り敢えず理解できないことはその場に置いておくと、後から常識的な疑問が出てきてしまった。
「なんでタキオンはいないんだろうな。一緒にお参りに来たわけじゃなさそうだし」
「さぁ……。あの人のことですし、屋台の食べ物だけ食べたいからお使いを頼んだんじゃないでしょうか……」
「ありえそうだな……」
その予想が的中しているのかどうか分からないが、タキオンのトレーナーは屋台からいくつかの商品を購入するとそそくさとその場を去っていってしまった。
新年の挨拶などは出来なかったが、またいつかトレセン学園で会うだろう。その機会に、また姿が変化してなかったらいいけど。
そんな衝撃的な話を受けながら俺たちは人数分のからあげを購入すると、ビニール袋に入れてもらい元いた場所へと移動する。
暫く待っているとぴょこぴょことポニーテールを揺らしながら、テイオーが楽しそうに屋台から戻ってきた。
「トレーナー! 買ってきたよ!」
「お帰り。ここは座れる場所無さそうだし、去年行った公園にでもいこうか」
「りょーかい!」
ちらりと彼女を見ると、美味しそうな匂いを漂わせた袋を両手に重そうに抱えている。
結構な量がありそうだが、ウマ娘しかいないし食べきれないってことは無いだろう。
昔だったら俺も量が多いって言っていたが、今ではウマ並に食べるようになったので基準がそっちに寄ってしまっている。
まぁ、前までの俺は食べなさ過ぎたとも言えるが……
薄っすらと過ぎ去った変化を思い出しながら歩いていると、道先に見知ったウマ娘たちがわいわいと団を作って話し合っていた。
「おや……」
「あれ、この三人が一緒に集まってるの珍しいな」
「マックイーンにネイチャにマヤノじゃん! あけおめー! ボクも混ぜてよ!」
ぶんぶんと手は触れない代わりに尻尾を振ったテイオーが声をかけたのは、俺たちによく関わりがある三人のウマ娘。
オレンジ色のふわっと広がったロングヘアを小さな二つ縛りと一緒に携え、小柄ながらも元気いっぱいなウマ娘──マヤノトップガン。
赤くもふっとした髪をふわふわのツインテールにし、たははと少し気だるそうに。だがどこか楽しそうに会話しているウマ娘──ナイスネイチャ。
葦毛の綺麗なストレートヘアを上品になびかせ、格式のあるお嬢様の雰囲気を纏いながら……お汁粉をがぶ飲みしているウマ娘──メジロマックイーン。
三人ともテイオーと同世代でデビューし、世代で活躍しているウマ娘だ。
特にネイチャとマックイーンは菊花賞と有マ記念でぶつかり、お互いに競り合ったのは記憶に新しい。
「テイオーちゃんにスターちゃんだ! あけおめー!」
「おや、新年から奇遇ですなぁ……今年も宜しくお願いしますよっと」
「あけましておめでとうございますわ。今年も、色々とよろしくお願いいたします」
三人がそれぞれ頭を下げつつ挨拶をしてくれたので、俺とカフェもそれにならって「明けましておめでとう」と挨拶を返す。
彼女たちとは適正距離が似通っているということもあり、これからのシニア級でもテイオーと一緒にレースすることになるだろう。
そして一瞬でも気を抜いたら、あっという間に追い抜かれるほどに彼女たちは強いことを俺たちは知っている。
彼女たちとは今年も、共に競い合い高め合うライバルでありたいものだ。
「ところで、何を話してたの? もしかして、ボクの話だったりしちゃう?」
「……えぇ、間違ってませんわよ」
「えっ」
少しからかうように絶対に違うと思っていたであろう質問をテイオーがすると、まさかのその通りだと返されて彼女の動きが一瞬固まる。
俺もその答えは予想外だったので気になって彼女たちの様子を観察してみると、ネイチャとマヤノから溜息をつかれながら話しかけられた。
「そりゃあ、ねぇ……」
「テイオーちゃんに、スターちゃん。自分たちの立場、考えたことある?」
「立場……?」
立場。
それはテイオーや俺を、客観的に見た事実ということだろうか。
事実だけ上げるとするなら、クラシック無敗三冠を取得しその勢いでシニア級に突入する──
「あっ、そういうことか……」
「分かった? テイオーちゃんたちはもうみんなの『目標』なんだよ?」
「そうそう。だから、テイオー対策会議を、ここいらでね? ネイチャさんも今年は、負けたくないわけですよ」
「まぁ、そういうことですわ。今年は圧倒的なバ身差をつけて勝たせていただきますわね」
バチバチと視線が交わった音が、この場に聞こえた気がした。
負けたくない。目の前の相手には絶対勝ちたい。
たったそれだけで、彼女たちの闘争心が肌で感じられるほど前に出てくる。嫌でも実感させられる、トゥインクルシリーズを走る競争バという事実。
一触即発の空気が流れている中、マックイーンがすぅと息を吸ってぽつりと遠慮がちに呟いた。
「それはそうとして……そ、その。なんか甘い匂いがするんですけど、何か持ってますの?」
「へ? あぁ、ボクの買った今川焼かな。美味しそうだなーって買ったんだけど」
先ほどまで流れていた空気感とは違った質問に、テイオーはがさっと袋を持ち上げながら先ほど屋台で買ったであろう料理をマックイーンに見せつける。
すると次の瞬間、きゅるるーと可愛らしくお腹が鳴った音がその場に響き渡った。
「マックイーン……」
「マックイーンちゃん……」
「し、仕方ないんですの! 最近までダイエットしていて、今日がスイーツ解禁ですの!」
マックイーンが恥ずかしそうににわちゃわちゃと身振り手振りをしながら言い訳をしているウマ娘には、名優と呼ばれているカリスマはなくどこにでもいる中等部の女の子だった。
こんなに格好いいライバルたちも、元を辿れば年頃の少女。
これくらいの緩さも、距離感も、トモダチとして仲がいい証拠で、なんだか嬉しい。
「みんなこの後の予定は大丈夫だったりするか? この後、屋台で買った食べ物をシェアして食べないかと思ったんだけど。俺がある程度奢るよ」
「やったー! マヤ付いてくー!」
「じゃあ、ネイチャさんも遠慮せずにお邪魔しちゃいましょうかね。商店街のおっちゃんたちがいるみたいだし、なんか貰ってきますよっと」
「大判焼き……リンゴ飴……甘酒……お団子……」
「あっはっは、何言ってるのマックイーン。大判焼きじゃなくて今川焼でしょ?」
「は? メジロ家では大判焼きですわ。戦争ですの?」
「ネイチャさん、おやき派なんですけど……」
「ベイクドモチョチョ」
「何だ今の」
トモダチ以上、仲間でライバル。
その言葉が俺たちの関係性を表すのに丁度いいのかもしれない。
そう実感しながら、今年の初日はゆるやかに一歩進んでいったのであった。
~~~~~~~~
「さてさて……知っての通り、私はウマ娘の持つ可能性について日々研究している」
トレセン学園の端にある、誰も使っていない理科準備室。
そこに俺たちチームデネボラに加えて、謎の液体が入ったフラスコを揺らしているウマ娘がいた。
「そのせいで、ウマ娘については誰よりも詳しいと言ってもいい。あぁ、最先端の学者程ではないがね。だがその分生データは取ってるつもりでねぇ」
栗毛のショートカットを少しぼさっとまとめ、制服の上に真っ白な白衣を羽織っている。
明らかにこのトレセン学園で浮いた彼女こそ──アグネスタキオン。
この学園で、ウマ娘について研究しているウマ娘という変わった人物だ。
それでいて──
「最近はG1レースにも出走したし、そのままクラシック三冠レースに挑める。現役の自分の足でトゥインクルシリーズのデータを取れるウマ娘なんて、私くらいしかいないだろう」
──速い。
クラシック三冠レースに自分が挑むことに対して、何も疑問に思っていない。
何なら勝利の結果すらも疑っていない。
だから、そんな彼女が疑問に思うということは確実に何かがあるのだろう。
「だから、分かる。ウマ娘の性質を」
ころころと笑いながら。テンション高めに。
「走らない? 領域でテイオー君の体の中に入る? 実に興味深い! だが……それは例外を通り越して異質だ」
彼女は尋ねてくる。
──君、本当に中身は『ウマ娘』なのかい?
今年も夏コミに出ます。
サークルの場所は日曜日 東地区 “e” ブロック 01bです。誕席です。
そのうち、ハーメルンにもサンプルを投稿させていただきます。
更に、去年の夏コミで出した本も公開させて頂いてます。よろしければ、こちらも。
https://syosetu.org/?mode=write_novel_submit_view&nid=346472