「ハハハ……アーッハッハッハッ!!!」
薄いカーテンが閉じられた結果、光が靡くように差し込み怪しい光を放っている理科準備室の中で。
マッドサイエンティストのようにテンション高めに笑うのは──科学者、アグネスタキオン。
アスリートでもあり探求者でもある彼女こそ、この場所に俺を呼んだ張本人で今回の元凶なのだが──
「イダッ! イダダダダ!!! カフェっ! そろそろゆるしてくれっ! アタマがわ゛れ゛る゛っ゛!!!」
「もう割れたらいいんじゃないんですか……?」
「別にキミの大切な姉を貶すつもりで言った訳じゃないんだよ!! 信じてくれたまえ!!! ギブッ! ギブ!!!」
──俺の妹のマンハッタンカフェから、アイアンクローを喰らっていた。
ことの経緯としては、タキオンが俺に向かって訊ねた「君、本当に中身は『ウマ娘』なのかい?」という言葉をカフェが違う方向で解釈。
彼女からしたら「お前はウマ娘じゃないのでは?」と俺のアイデンティティを否定したように聞こえたのだろう。
勿論タキオンにその気がないのは分かっているし、俺はそこまで気にしなかったが。
カフェからすれば、姉を小バ鹿にしているように聞こえてしまったのだろう。
さて……理由は分かったことだし、タキオンを救出してあげなくては。
「カフェ、俺は気にしてないから離してあげな」
「ですが……」
「大丈夫。別にタキオンも、そういうつもりで言った訳じゃないだろ?」
「勿論だとも! 言い方が少し悪かったことは謝るねぇ!!!」
「……分かりました。命拾いしましたね、タキオンさん」
俺の言葉を聞いたら、素直にタキオンの顔からぱっと手を離してくれるカフェ。
そしてお仕置きから解放された彼女は不満そうにぷりぷりと頬を膨らませながら、椅子に座りなおしていた。
手加減はしっかりしていたのか、特に痛みが残っていそうな表情では無い。まぁ、オーバーリアクションをしていたところもあるのだろう。
カフェに関しては、普段の恨みも籠っていそうだったが。
「さて……話の切り口が下手だったが……。今回の本題、キミたちの話に移るとしよう」
そう言って足と話を組みなおしたタキオンは、にぃと口角を吊り上げて怪しげに笑う。
きぃと一人用の椅子が傾く音が聞こえる中、彼女は自信の両手を絡ませて話を切り出した。
「始めようか。ウマ娘の可能性の一つ──領域の探求を」
~~~~~~~~
俺たちがこうしてわざわざ集まったのには、勿論理由がある。
それは俺たちの「領域」と思われるものに関して、ウマ娘をよく知るタキオンと一緒に考えるためだ。
菊花賞の時に魅せたあの現象は、原因不明条件不明のアンノウンになってしまっている。
あれが無かったら菊花賞で勝てなかったと断言できるほどの力だったが、全く制御できていない今の状態は避けたい。
タキオンもこの現象については興味があるみたいで、割と積極的に参加してくれた。
勿論ある程度、とある要求をしてきたが──
「さて……まずは『普通の領域』について考察していこう。とは言っても……これ関しては私よりも彼女の方が説明した方が良さそうだ」
そう言ってタキオンが視線を向けた方向にいたのは、一人の葦毛のウマ娘。
ちんまりとした体格でありながらも、G1を3勝して時代を作ったまごうことなき最強の一人。
白い稲妻の異名を持ちながら、テイオーの師匠役を担当しているウマ娘──タマモクロスさんが部屋に余った椅子に腰をかけて話を聞いていた。
「ん、まぁ……ええけど。領域に関してはヒト並み以上の知識はないで? うちのトレーナーに聞いた方がいいちゃうか?」
「いやいや! 私はタマモクロス君自身が感じた領域について聞きたいのさ! 事実は多角的に見てこそ、正確性を増すからねぇ! まぁまずはゾーンについて話していってくれたまえ!」
彼女がここにいる理由を述べるには、少し時間を遡る必要がある。
この話し合いをセッティングする前、タキオンが領域を制御出来るウマ娘から話を聞きたいと俺に要求してきた。
領域を使いこなせるウマ娘なんて、この広いトレセン学園の中で一握りしかいない。更にそこから俺が話せる人物を絞り込むと、タマモクロスさんとルドルフしか当てはまらなかった。
その二人の中でありがたく了承してくれたタマモクロスさんに、今回この場に来てもらっているというわけである。
「取り敢えずうちが知っていることから話してこか。これは前にスターにも説明したと思うねんけど……まぁ復習の意味も兼ねてな」
そう言って彼女は前のことを思い返すように、口をゆっくりと開いて語り始めた。
それは昨年の夏合宿の俺に対して説明してくれた、領域の基礎について。
「まず領域ちゅうのは、一般的にゾーンって言われてる奴や。別名だと、超集中状態って呼ばれたりもしてるな」
「これはテイオーにも話したな。ゾーンに入ると、感覚が研ぎ澄まされて普段より力が発揮できるって言われてる」
それに加えてよく言われているのは、その世代の時代を作るウマ娘は領域を発動できるということ。
基準が曖昧だが、そもそも領域自体が分からないものなので仕方がないことがある。
全く根拠も理由も無く曖昧なものでしかないのだ、これは。
「なんか大分非科学的に聞こえますが……タキオンさん的には、これはいいんですか?」
「私が嫌いなオカルトじみているって言いたいのかい? ゾーンに関しては、むしろ科学的ともいえるねぇ」
確かにカフェの言う通り、領域なんてものはだいぶオカルトに片足を突っ込んでいるように見えた。
だが科学者である、タキオンは意外にも食い気味にこれを否定してくる。
そしてその理由はこちらから聞かずとも、楽しそうに彼女は理由を語ってくれた。
「ゾーンは脳内で痛みを快楽に変える、エンドルフィンと呼ばれる物質が出ている状態のことさ。これはウマ娘も人でも変わらない、根拠も証明もされているものだからねぇ」
「へー、割と科学的なんだね。領域って」
テイオーがうんうんと頷いて素直に感心していると、タキオンがにやぁと怪しい笑みを浮かべ始める。
まるでその言葉を待ってましたと言わんばかりに、がばぁと両手を広げて白衣の振袖をぱたぱたと振り始めた。
「その通り! ゾーンというのは、蓋を開けてみればとても現実的なものなのさ! だから、キミたちの現象に説明がつかない!」
「あっ、そっか……」
「テイオーの体に乗り移るとか、明らかにゾーンじゃ説明できないもんな……」
俺の意識がテイオーに乗り移るなど、これが科学的に説明出来るなんて全く思わない。
それこそ、ファンタジーやSFに片足を突っ込んでしまっている。
「だからこそ……と言おうか、我々には身近なミステリーがいるじゃないか」
「……カフェのオトモダチとかか?」
ぱっと思い付いたのは、俺にも見えない妹の友人。
確かに見えないが、確かにそこにいる。見えないけど、そこにいる怪異のようなもの。
「私のオトモダチは、ミステリーですが……。今でも、そこにいますよ……?」
「カフェのそれも確かにミステリーだが……それじゃあない。というか、カフェのオトモダチに関してはもうなんか信じてしまっているよ。最近研究資料が燃やされた」
「私のコーヒーに薬を仕込んだからです……。因果応報です……」
「最近カイチョーがボヤ騒ぎがあったって言ってたけど、これだったの!?」
「安心したまえ。鎮火はしっかりしたし、ここは最悪爆発してもいいように防火対策はばっちりさ」
「いや、そこは安心できへんやろ。なんで爆発する前提で実験してんねん」
ワイワイとみんなで騒いでいる中、俺はタキオンの問いかけに対して考え込んでいた。
彼女のセリフの言い方は、絶対に俺たちが目にしたことのあることを指しているのは間違いない。
俺が出会った中で、一番非現実的なもの……なんだ──
「……まさか」
「おっ、気づいたのかい?」
それは、明らかに常識に喧嘩を売っているようなもの。
というか俺が「この世界のヒト」じゃなかったから短時間で気づいたが、これを「この世界のヒト」であるタキオンが思い付くのはどれだけ頭を悩ませたのだろう。
俺はほぼ正解の確証を持ちながら、重い口をゆっくりと開いた。
「この世界で一番非現実的なこと──ウマ娘か」
「Exactly。正解だよ」
この世界に来て、一番最初におかしいと思ったこと。それは確かに、あの領域に繋がる答えだった。
~~~~~~~~
「ウマ娘が非現実的……? トレーナー、どういうこと?」
俺の答えを聞いたテイオーは、不思議そうに首を傾げながら分からないといった顔をしている。
突然ウマ娘に対してウマ娘は非現実的だなんて言われても、理解なんてできない。
だからそれを説明できるよう、俺は慎重に言葉を選びながら発言した。
「そうだな……テイオーはウマ娘の始まりについて何か知っているか?」
「えっ。えーっと……三女神様の話とかは聞いたことあるけど……」
テイオーが言っている「三女神様」というのは、ウマ娘の全ての祖と言われている存在だ。
トレセン学園にも大きな像が立っていたりとその認知度はかなり高く、一般常識ともされている。
ダーレーアラビアン、ゴドルフィンバルブ、バイアリーターク。
名前が語り継がれるほど、三女神のモデルというのは有名だ。
そう、有名過ぎる。
「それは間違っていないとは思う。今この世界のウマ娘全ては、三女神の血を継いでいる。これは別に理論としては破綻はしていない」
「だが、ここで問題になってくるのがあるのさ。じゃあ、この三女神は誰から産まれた?」
少し考えてみれば当たり前のこと。
三女神だってウマ娘だ。ならば母親にあたるウマ娘が存在していて当然のこと。
しかしながら、三女神関連でそれ以前の記録は一切残されていない。
まるで無から生まれたかのように、突然彼女らの伝説が出てきている。
「確かに……考えたことも無かったですね……」
「たまたま文献に残ってないとちゃうのか?」
「タマモクロスくんの言う通り、その可能性も0では無いだろう。現にウマ娘の古来の壁画などは古代文明に存在している」
三女神の伝説が残っているのは伝承だけでなく、しっかりと文献があり文字として残っている。
太古からウマ娘が存在している証拠にもなるのだが、それだともう一つの疑問が出てくるのだ。
「ちょーっとここから生物的な話になるけど、まぁテイオー君やカフェは賢そうだからついてこれるだろう。まずは簡単な問題から……人間は何から進化した生き物だい?」
「えーっと、猿だよね」
「正解。これは理科の範囲で習う進化の歴史だねぇ。猿から猿人へ、そして原人、旧人、新人と進化を重ねていって、今の人間であるホモ・サピエンスがいる」
今タキオンが説明しているのは、学校で習う範囲の簡単な知識だ。確か中学生の理科くらいで習うはずだった記憶がある。
更にもっとさかのぼると、哺乳類の起源から遡らないといけないがそれは割愛しよう。
「さてさて……次の問題だ。それでは、ウマ娘は何から進化した生き物だい?」
「……そんなん、うちは習った記憶ないで」
「タマモクロスさんの言う通り。実はこれ、学校であんまり教えてないんだ」
「そうなの? ウマ娘の成り立ちが人間と一緒って思ってたけど、確かにそうとは言ってなかったような……」
「それもそうだ。だって、未だに解明されていない未解決の謎なんだから」
ウマ娘の祖先は不明だ。ルーツすらも分かっていない。
もし仮に人間と同じ猿から進化したというならば、この世界にウマ娘は存在しなくなってしまうだろう。
何故なら、ウマ娘と人間はそもそも生物の枠組みからして違う。
目に見えて違うのであれば、ウマ娘の祖先はウマ娘内で存在していると考えるべきだ。
「なんや、かなりややこしゅうなってきたなぁ。簡単に結論だけくれへん?」
タマモクロスさんが尻尾をぴんと立てて、ぱしぱしと軽く尻尾で地面を叩く。
このまま行くと、それこそ大学レベルの授業になってしまい本題から外れてしまう。ちょっと俺的には、楽しかったが。
そんな急かされたタキオンはこほんと軽く咳ばらいをすると、今までの話を纏めてくれ始めた。
「我々ウマ娘には、耳に尻尾。そして強靭な脚力に、人間離れしたパワーなどなど……。説明できないようなものが備わっている」
ウマ娘が当たり前に存在している世界でも分かる、人間にない部位に大きな力の存在。
「さて、それらがどこから来たのか……と答えるのは非常に難しい。ウマ娘の全ての祖を仮に『UMA』とでもしようか。この『UMA』は、我々と同じような性質を持っていたと考えられる」
そしてその『UMA』が人間と違うルートで、人間に近しい姿に進化した。
そう、本当にそっくりすぎるほどに。
「だがそれではいくつかおかしな点が出てくる。『UMA』が「人間のような姿」に進化した説明が出来ないのさ。人間の形にこの『UMA』──ウマ娘の力が収まっているのは明らかにおかしい」
「え、でも。ボクたち普通に収まってるよ……?」
「人間と同じ形をしている我々ウマ娘が時速60kmで走れるのならば、ヒトだって時速60㎞で走れてもおかしくないだろう? だが人間は実際そんな速さでは走れず、ほぼ同じ姿をしているウマ娘だけ速い。これは変だと思わないかい?」
「ほぼ同じ身長、体型、性別でも人間とウマ娘じゃ明らかに差があるもんな。これだけ速く走れる力が物理的に存在してもおかしくないのに。仮にウマ娘の足は人間の数の2倍あると、辻褄が合いそうだけど」
「言われてみれば確かに……。ボクより筋肉むきむきの男性ボディービルダーより、ボクの方が力強いもん。これなんなんだろう」
「それに加えて、おかしな点もある。ウマ娘はウマ娘同士では子が残せない」
「それは当たり前なのでは……? ウマ娘は女性なんですから……」
「そう、そこだ! おかしいだろう! なんでウマ娘は女性しかいないんだい!? なぜ繁殖に別種族である人間の男性が必要なんだ! 全く違う祖先『UMA』から来ているのであれば、その祖先にも性別は無かったというのかい!?」
おかしい。そう、おかしい。
ぽっと無から「そういう生物であるウマ娘」がポップして今まで人間と共存してきたという説の方がまだ説明がつく。
だが無から出てくることなんて普通はありえないはず。だから生物的に辿って行っても、それはそれでおかしな点が出てくる。
「つまり、どの理論でも説明が付かないってことだな。というか俺が分かるレベルなら、とっくにこの世界でウマ娘の真実が全て解明されているはずだろ?」
「だからこそ非常識であって、ファンタジー。これで、ウマ娘が非現実的な理由は分ったかい?」
「なるほどなぁ……。うちも自分のルーツなんて考えたことあらへんからあれだったけど、確かにおかしいもんやんな」
「ボクも分かったよ! けど……じゃあ、ウマ娘が非現実的だったらどうするのさ」
「ん? 何もしないが?」
「ふぇ?」
今俺たちが解明できない親縁に近いことを、あれやこれや言い合ったところで全く意味ないだろう。
ならまずはこのウマ娘に説明できない力があるとして、次に進んだ方がいい。
「ここからは探求パート2さ。ウマ娘をファンタジー的な存在と理解したうえで、『ウマ娘の領域』について考える」
「領域は先ほどタキオンさんが解説しましたよね……?」
「それはあくまで『普通の領域』で、私たちが今から考えるのは『ウマ娘の領域』さ。そのために、彼女を呼んだと言っても過言ではない」
そう言ってタキオンが視線を向けたのは、俺が呼んだ領域の使い手。タマモクロスさん。
数々のレースを走って来た彼女なら、自分だけの領域だけでなく他のウマ娘の領域も知っているはずだ。
その気持ちを受け取った彼女はニヤリと笑うと、自分の友達を嬉しそうに語る時のように口を開いた。
「ええで、話したる。うちの領域に加えて、ライバルの領域の話もや! 出血大サービスやで?」
~~~~~~~~
「うちの領域は、よく白い稲妻って言われとる」
そう言ってタマモクロスさんが説明し始めたのは、己の領域の「非現実的」な部分について。
白い稲妻と表現した領域は、一度俺たちが感じた夏合宿の時の領域と同じ感想を持ったものだ。彼女の二つ名としても知られている。
「まぁうちは別に雷出そうと思って出してるわけちゃうんけどな。こう、なんか出るんや……ビリビリて」
「随分と抽象的だねぇ」
「そういうもんやしな。んで領域っちゅうのは、レースの時に他の連中にも見える。走ってる時に見えたり、聞こえたり、感じたりするんや。うちの場合だと雷が降って、鳴いてる、痺れたりする」
「他のウマ娘で出せる子はいるのかい?」
「オグリはなんか灰色のオーラが見えたりするし、イナリはなんか提灯のような明るさが見えたりするな。クリークは怖いで。なんか冷たい風が吹いてるような感じや」
「ふむ……」
答えてくれたのは、領域の最中に見られる感覚的なことについて。
確かにこれは先に、ウマ娘をファンタジーなものだと定義しておかないと理解できなさそうだ。
だがそうなってくると、領域の発動条件が気になる。
それはタキオンも同じだったのか、そのままタマモクロスさんに対して質問を続けていた。
「それ、ある程度意識して出せるものなのかい? 例えば日常生活や、模擬レース、練習中とかにでも」
「あ~……これは場合によりけりやなぁ……。正直うちが見たこと無いだけで、もしかしたら普段から出せる奴もおるかもしれん。ただうちは出せても模擬レースが限界やね。今ここでやれって言われても、稲妻は出せへん」
「超集中状態だからねぇ。そもそも日常で出すようなものではないだろうさ」
一問一答形式のようにタマモクロスさんとタキオンの会話が挟まる中、俺は領域の特徴についてまた考える。
情報が纏まってくる中で、俺は頭をくるくると回しながら更に「ウマ娘の領域」について整理していった。
「多分……領域に入るには、ある程度の条件が必要なんだろうな。例えばレースでしか出せない、とかな」
「そうだねぇ。簡単に領域に入れて幻覚幻聴なんて見せられたら、私たちが日常でも気づいているはずさ。それなのに噂の類の状態でしか伝わってないのは、条件がシビアで本人でも分からない。そして、サンプルが少ないということに他ならない」
「しかもタマモクロスさんのG1レースを画面越しに見て分からなかったのに、本人がいたその場だと感じられた。恐らくサンプルが少ないのも、領域を感じられる範囲が狭いからだろう」
「時代を作るウマ娘が発動できるなんて伝わっているのも、トレーナーは判断出来ないからと考えるのが自然だねぇ。ウマ娘しか感じられないから、人間のトレーナーは判断が曖昧になってしまう、と」
「少なくとも俺はタマモクロスさんの領域が見えた。だけど、その場に一緒にいた桐生院さんは見えないって言ってた。となると……」
「それなら見える条件も確定だねぇ。いやはや……割と分かるものじゃないか。領域とやらも」
「なんか姉さんと会話しているタキオンさんが賢く見えます……」
「カフェは失礼だねぇ!」
ここまでの話をした「ウマ娘の領域」を簡単に要約するとこうだ。
領域は、レース中にしか使えないものである。
領域は、近くにいるウマ娘にしか感じられないものである。
領域は、発動すると不思議な「非現実的」なものが感じられるようになる。
そして──「ウマ娘の領域」は俺たちが菊花賞で感じたものとは、全く別のものになる。
「えっ? ボクたちのも同じ『非現実的』な『領域』じゃないの?」
俺がそう言うと、話を聞いていたテイオーから直ぐに疑問の声が上がってくる。
特にタマモクロスさんとマックイーンの領域をその場で感じ取っていた彼女にとっては、もっともな疑問になるだろう。
だが、それを分かっていて断言できる。
「いや、菊花賞のあれは……。名前が無いと分かりにくいな……」
「オーバードライブとかでいいんじゃないかい? 魂が乗り移るとか言ってるし、ピッタリじゃないか」
「……まぁ、それでいいか」
タキオンから少し助言を受けつつ、俺はそのまま説明を続ける。
さっきまで考察していた「ウマ娘の領域」と「オーバードライブ」の違いについて。
「まず『ウマ娘の領域』はウマ娘がファンタジーなものと仮定した時、ある程度理屈で説明できるんだ」
「……どういうこと?」
最初に俺たちは、ウマ娘がファンタジーなものだと理解してから話を進めていた。
これは、あまりにもウマ娘には未だに解明されておらず「非現実的」なものが多いからにほかならない。
だがもしもその「非現実的」なことが解明されたとき「ウマ娘の領域」は、理屈で考えられる「現実的」なものになりそうなのだ。
「そうだな……。さっき、ウマ娘は人と同じ体格なのに速く走れるって話をしたよな」
「うん。それで、ウマ娘は『非現実的』だ~って言ってたんだもんね」
「そうそう。だけどウマ娘の五感や身体能力が優れているのは、ウマ娘だからと理由が付けられるんだよ」
「うぇえ……?」
そこまで言うと、テイオーは少し疑問に感じたのか頭を捻って考え始めてしまう。
複雑になってしまった理論をかみ砕いて分かりやすく俺が説明しようとすると、それよりも早くタキオンが口を開いた。
「ウマ娘の五感や身体能力は、我々も解明できぬ未知のものが多い。だがもし『ウマ娘にしかない感覚器官』が存在するとしたら……?」
「私たちが『ウマ娘の領域』が感じ取れるのは、人にはない『感覚器官』のせいだと説明できる……?」
「その通り! まぁこれなんだと分かったら苦労はしないんだがねぇ。因みに私はウマ娘にしかない細胞、ウマコンドリアとなんてものが存在していると考えていたりする」
ウマ娘にしか感じられない何か。
それが俺たちのウマ娘の感覚に由来するものであるならば。
領域で見える感じる聞こえる、不思議な感覚も全て説明が出来る。
「つまり領域で不思議なものが見えるのは、ウマ娘の感覚が人間より過敏だからちゅーわけか?」
「いやまぁ、うん。確かにそうなんだけど……」
そんな少し雑なまとめ方をされてしまったが、タマモクロスさんの言っていることは的を射ている。
人間よりも優れているウマ娘は、人には見えないものが見えていても何らおかしくはない。そういうことだ。
「でしたら私のオトモダチも……領域の一部とかなんですか……?」
「それはカフェしか見えてないじゃぁないか。ウマ娘みんなが見えているならまだしも、カフェにしか見えないものは説明がつかないねぇ」
「……まぁ、オトモダチは確かにずっとそこにいますし。私のものではないですから……」
カフェのような霊媒体質のようなものは、かなり例外になる。
もしかしたらウマ娘の感覚が研ぎ澄まされると幽霊が見えるのかもしれないが、ポルターガイスト現象とかには説明がつかなくなる。
触れずにものを動かすなんて、超能力みたいな異常だ。
さてそんな説明もつかないような異常な『非現実的』に、片足を突っ込んでいるものがある。
「で、肝心の『オーバードライブ』だけど……」
「これはボクにも分かったよ。これは、ウマ娘の感覚がいいからとかじゃ説明できない。だから──」
「──領域ではない。そもそも、俺とテイオーしか感じ取れてないしな。俺が魂が抜けたみたいに、自分の体を動かせなくなるのも全く説明がつかない」
誰にも説明できない異質なアブノーマルは、領域の枠組みに収まらない。
さてここまでの考察で「オーバードライブ」は領域じゃないことが証明されてしまった。
それではこれは一体何なのか、という話になるのだが。
「分からないねぇ。アンノウン、正体不明、謎の現象……なんでも言えるが……」
「……それ、いいんですか? これの目的は『オーバードライブ』についての分析でしたよね……?」
彼女の言う通り、俺たちが集まったのは本来「オーバードライブ」を解明するため。
このまま終わってしまっては、確かに何の意味もないが。
「分からないということが、分かった! それだけでも意味があったと、そうは思わないかい?」
その程度で思考を止めるわけにはいかない。
少なくともこの現象は「ウマ娘の領域」の枠組みから外れたことが分かっただけでも、収穫とはいえよう。
それに発動する条件は、少なくとも領域と似通っている。
「そっか。レースじゃないとあれは発動しないんだもんね。トレーナーと一緒にいないとダメそう」
「あとは勝とうとしている時だけ……とか。有マの時に途中で切れたのは、俺とテイオーの気持ちが負けに向いてたからかもしれん」
「ボク、あの時ちょっと諦めてたし……。うん、でも。もうしない」
「気持ちを共有して一緒に走ってる感覚に近いし、少なくとも気持ちが届く範囲に──」
「ちょっと、待ちや。一緒に走ってるって言ったか?」
俺とテイオーが菊花賞や有マ記念のことを思い出しながら語っていると、何かを思い出したかのようにタマモクロスさんが口を挟んでくる。
その姿を見たタキオンが興味深そうに視線を向けると、彼女は少し躊躇う様に口元を動かし始めた。
「あー……。これは本当に聞いただけやから、正しいか知らんけどな……。オグリがな、領域ではない。それでも、領域に近いことが出来たって言ってたんや」
「ほうほう!」
「最後の有マ記念で、負けたくないと思った時『限界を超えた走り』が出来たらしいねん」
「……オグリキャップの最後の有マ記念だな。1着を取った、伝説のレース」
「んで、その時みんなと一緒に走ってる気持ちになったってな。魂が応援してくれるみんなに押された気分になれた、そういう話や。感覚派のオグリの言い分だから、真偽性は定かではないんやけど……うちは正しいと思っている。あの時、レース場で見たオグリは間違いなく『領域』ではなかった」
「素晴らしい話じゃないか! 恐らく、現象的には同じだろう! テイオー君との違いは、スター君が乗っかるかファンのヒトが乗っかるか。それだけに違いない!」
タマモクロスさんの話を聞いたタキオンが、興奮した様子で饒舌にぺらぺらと言葉を語る。
その気持ちもわかる。
俺とテイオーだけの話かと思ったら、あの伝説のスターウマ娘──オグリキャップも体現したと言っているのだ。
もしそうであるならば、この「オーバードライブ」の理屈も分かるかもしれない。
俺とテイオー以外のウマ娘でも、再現性があるかもしれない。
そう考えているとタキオンは「はてさて」と言って、足をゆっくりと組み始めた。
「結論を纏めようか。まず『オーバードライブ』は『領域』とは別物だ。つまり、テイオー君はまだ『領域』を使えていない状態にある」
「じゃあまだ、ボク強くなれるってこと?」
「なれるな。もしかしたら『領域』と『オーバードライブ』の併用も可能かもしれない」
これは考察の仮定に過ぎないが、もしそんなことが可能で制御できるのであれば……更に、最強のウマ娘に近づける。
条件も仮定として整理出来た、今ならば何かをきっかけさえ掴めば。
「そして『オーバードライブ』は、ウマ娘の身体が原因ではなく、もっと別の何かに関連しているということだ」
「別の何か……ってなんですか……?」
「さぁね。そうだねぇ、例えば──」
──魂。
「そう言っても、過言ではないんじゃないのかい?」
そんな「非現実」な考察は、俺とテイオーの気持ちを納得させるには十分な言葉だった。
~~~~~~~~
その後。
俺たちはタマモクロスさんにお礼を言いつつ、タキオンの実験室を後にしていた。
今回で明らかになった「ウマ娘の領域」をベースに、俺たちの「オーバードライブ」について考えなければいけない。
少なくともタマモクロスさんのように、任意で発動できるようにしなければ……
「トレーナー、どうする? 今から練習する?」
「今すぐやりたい……って言いたいけど、今日はお休みだからダメ。休みの日は、しっかり体を休めるって決めてるだろ?」
「はーい……。なんかうずうずするなぁ……」
さっきまでの話を聞いて、今すぐにでも体を動かしたそうなテイオーがその場でトントンとステップを踏み始める。
そんな元気いっぱいなテイオーをなだめながら、俺は「オーバードライブ」については明日から検証することを伝えて解散させる。
そして俺自身はウマ娘のレースのデータベースにアクセスする為に、図書館へと向かっていた。
ネットでレースの記録を見てもいいのだが、領域は画面越しでは分からないことが発覚した今。文字ベースで残っていることが何かないか、無性に気になってしまったのだ。
テイオーたちには休みを伝えているのに、自分では動いているのはなんだか悪い気もする。
「あの……」
とはいえ、別に動かしているのは体ではなく頭だし許して欲しい。
仕事も……まぁやろうと思えば無限にあるのだが、少しくらい休憩してもいいだろう。
「あれ……気づいてない……? 嘘でしょ……?」
テイオーの春シニア路線も、カフェのクラシック路線も考えることが多い。
ここで領域について整理して何か掴めれば──
「あの……!」
俺が考え事をしながら廊下を歩いていると、視界の前に急にひょっこりと一人のウマ娘が現れた。
さらさらの栗毛のストレートヘアに、スラっとした美しい体型をした彼女は。
G1有名ウマ娘が多数いるトレセン学園だが、その中でも別格の中の別格。
ウマ娘に関わる人物なら誰でも知っている、単独大逃げで全てを魅了した彼女の名は──
「すみません、スぺちゃ……同室のスペシャルウィークさんから話は伺っていて……。凄く気になっていて……見かけたのでつい、話しかけてしまいました。サイレンススズカです。宜しくお願いします」
ぺこりと頭を下げたのは「全戦全勝」の異次元の逃亡者──サイレンススズカ。
そういえばスペと寮の同室なのを、彼女から聞いた記憶がある。それならば話が伝わっているのも理解出来るのだが……
「急に、なんで話しかけてくれたんですか……?」
俺が一番気になったことを訊ねてみると、彼女は少しバツが悪そうにもごもごと口ごもりながら話始めた。
「その……えーっと……。これ、間違ってたら、無視して貰って構わないんですけど……」
その次に紡がれた言葉を聞いた瞬間、俺の中で止まっていた時間が確かに動いた。
──競馬って単語知ってますか?
そう突然言われたこの世界には存在しないはずの「前世の単語」に。
俺は、口を開くことすら出来なかった。
・領域は100の力を120にする超集中状態
・領域関連は、ウマ娘にか感じ取れない
・オーバードライブは領域とは違う
・オーバードライブはなんか魂が関係している