そのウマ娘、星を仰ぎ見る   作:フラペチーノ

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この話は人によってはショッキングな内容を含んでおります。
決して楽しい話とは言い難いので、注意してお読みください。



33.「──」

「母さんが……こちらに、今度来ると……。トレーナーに、姉さんに会わせろと……言って、来て……」

 

「……は?」

 

 それは、俺がテイオーの実家から帰って来たときにカフェから言われた一言だった。

 冬の夕方の肌寒い寒さとは全く違った、悪寒が俺の体を伝う。

 俺と妹の間に緊張が走る中、事情を全く知らないテイオーは首を傾げながら訊ねてきた。

 

「トレーナーとカフェのママ? ボクも挨拶したい……けど、なんかダメそうだね。ごめん」

 

「いや、悪い。テイオーは気にしなくていいぞ」

 

 あまりにも難しい顔をしてしまっていたのか、テイオーが何かを察して謝罪をしてきた。

 空気を読むことに長けている彼女にとって、この空気はあまりよろしくないだろう。

 あくまでこれは、俺たちの家族の問題だ。全く関係ない、テイオーを巻き込むわけにはいかない。

 

「すまん。これからちょっとカフェと話し合うから、テイオーは先に部屋に帰ってて──」

 

「……ねぇ、ボクが力になれることはないの?」

 

 そう思い彼女を遠ざけようとしたのだが、テイオーはそれでも引き下がらなかった。

 他人の気持ちが分かる優しい彼女がダメと言ったのにも関わらず来るのは、間違いなく理由がある時なのは知っている。

 そしてそのテイオーの言葉は、いつもの活発な彼女のテンションから発せられるものではなかった。

 

「だって、トレーナー。凄い悲しい顔してるんだもん……。そんな表情、見たこと無くて……」

 

 一体、どっちが辛いのか。

 テイオーがそう口に出した時、彼女は心配な表情を浮かべるとともに泣きそうな顔を浮かべていた。

 テイオーが俺の気持ちを強く汲み取ってしまったのか、関係ないはずの彼女が俺のことを一番心配してくれている。

 俺の為にこんなに本気で力になりたいと言ってる彼女を、このまま除け者にしてしまってよいのか。

 どちらの判断を取っても「正解」で「間違い」に見えるこの盤面。

 俺は頭を悩ませて、ゆっくりと選択の答えを振り絞った。

 

「……分かった。あんまり楽しい話じゃないが、一緒に聞いてくれるか?」

 

「……分かってる。ボクが聞きたいと思ったから、最後まで逃げないよ」

 

「ありがとう、テイオー。カフェもそれで大丈夫か?」

 

「はい……テイオーさんなら……信頼、出来ますから……」

 

 カフェも一緒に頷いてくれたので、俺は二人を連れて話をするために寮にあるトレーナー室に移動し始める。

 誰もいない静かな渡り廊下に、刻々と三人の足音だけが響く。

 実際に時間がドロドロと流れてくような感覚に足元が止まりそうになるなか、俺はトレセン学園に来てから貰った自室の扉を開けた。

 本当は誰かに聞いてほしかったのかもしれない。助けを求めたかったのかもしれない。

 だがこの話は俺が目を背けていただけで、後回しにしていた怠惰の中で。

 どうしようも抑えきれなくなった、俺の過去の話なのだから。

 

~~~~~~~~

 俺が「この世界」で最初にかけられた言葉は「気持ち悪い」だった。

 生まれた時から物心があった俺に、幼少期という概念は存在しなかった。

 転生者だからか分からないが、自分は記憶力がいい。

 いや、いいと言う次元ではない。俺は生まれてから今までの時間、全てのことを覚えている。

 比喩でもなんでもなく──全てだ。

 

「俺、昔は引きこもりだったんだよ。丁度テイオーと出会ったころくらいからか……? 多分あのままいたら、ずっと家にいたんだろうな」

 

 だから、父さんから受けた言葉も。おばあちゃんから受けた言葉も。カフェから受けた言葉も。

 そして、母親から受けた言葉も。一から十まで。

 もし仮に文字に書き起こせと言われたら、一字一句間違いなく再現できるだろう。

 

「何も目標が無くて、本当にただ生きてるだけだった。時間だけ過ごすだけの毎日だったよ」

 

 この世界は残念な事に、小説でも漫画でもアニメでもゲームの世界ではない。

 他人から言われた言葉には、表情も、流れる空気も、声量も籠っていて。

 俺は、その全部を覚えている。覚えてしまっている。

 

「あんまり生きるってことに対して、無関心だったんだろうな。自分がここにあらずっていうか。いや、今はそんなことないから。テイオー落ち着いて」

 

 母親から出ていた感情は主に──否定。

 自分から生まれたことを認めたくないのだろう。

 否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否、否否否否否否否否否否否否否否否否否嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌。

 俺がたまたま転生者で、カフェがその後直ぐに産まれたから逃げられたが。

 そんな感情をずっと浴びせられたら、普通なら子供でも精神が壊れてしまう。

 

「だけど、テイオーに会えてトレーナーになって。ようやく自分が生まれた気がしたんだ」

 

 何も無かった自分から、ようやく生まれた意味を見つけられた気がして。

 中学生のころから、俺の世界は真っ白から色づき始めた。

 人間かウマ娘かなんなのか分からない自分を定義づけられるところまで行ったのは、トレセン学園に来れたからだろう。

 

「それからは、テイオーも知ってるだろ? 一緒に走って三冠を取って、次を目指そうとしている」

 

 テイオーと出会って。

 カフェと再会して。

 マックイーン、ネイチャ、マヤ、ルドルフと知り合えて。

 立派に「自分が何者」かなんて、考えることが出来ている。

 昔だったら、そもそも自分が無かったのに。

 

「この話は、終わり。そんな楽しい話でも無いから軽く流したけど、昔の俺はこんなだった──」

 

「こんななんかじゃない!」

 

 テイオーが大きな声で叫ぶように、声を出す。

 誰に向けたわけでもない行き場のない感情を、無理やり吐き出すように彼女は言葉を叩きつけていた。

 

「ボクはトレーナーじゃないから、その時の気持ちは分かんないけど……! それでも! トレーナーが辛かったのは、ボクも分かっちゃうから……! だから、昔だからって、そんな自分を否定しないで……。うぅ……」

 

「……なんで、テイオーが泣くんだよ」

 

 ぐしゃぐしゃになりながら、自分がもう何を言いたいのかも分からなそうにテイオーが嗚咽を漏らす。

 テイオーが泣いてしまうのは想定外だったため、俺もあたふたしながらテイオーをぎゅっと抱き寄せる。

 そして赤子を慰めるようにポンポンと優しく背中を叩くと、彼女はぐすりと涙を堪えながら俺を強く抱きしめてきた。

 そんなテイオーを抱きかかえた状態で、俺はカフェの方に視線を向けると今一番聞きたかったことを質問した。

 

「ところで……なんで今頃になって母さんが俺に会いに来るってなったんだ……?」

 

 俺が言うのもあれだが、母親は俺に対して全くと言っていいほど興味がない。というより、視界に入れないようにしている。

 逆にカフェに対してはめちゃくちゃに甘い。

 仮に俺がトレセン学園にいたとしても、カフェにしか会いに来なそうなものだが……

 そこまで考えて、一つの可能性が頭の中に思い浮かぶ。

 

「まさか……」

 

 先日、トレーナーの俺がテイオーの親にご挨拶する為に伺ったのだ。

 ならばその逆があっても、何もおかしくはない。

 つまり、母親がカフェに対して「トレーナーに会いたい」と言ってきたのだろう。

 

「すみません……。私も、姉さんの名前は出すつもりは無かったのですが……」

 

 カフェが本当に申し訳なさそうに、顔を俯かせながらそう発言する。

 だがこれに関しては、カフェも悪くないし母親も悪くない。まだ常識的な範囲内だ。

 自分の子供を大事にしていたら、それを預かって面倒を見てくれるトレーナーに挨拶しにいきたいと思うのは当然のことだ。

 テイオーのご両親のように、完全に自分の子供を信頼して面倒を任せてしまうという方が珍しいだろう。

 だからそこに、目に見えて不安要素があったなら。

 

「母さんがトレーナーにご挨拶したいと言ってきたのですが……その……私が誤魔化そうとして……」

 

「……それは仕方ない。どうせ、いつかはバレてたんだ」

 

「別に負い目が無いなら言えるわよね……と、母さんに……。負い目があるべきなのはどちらだと……!」

 

「カフェが怒ることないって。俺は大丈夫だから」

 

 いつもの落ち着いた様子と違って、明らかに言葉に怒りを込めてそう発言するカフェ。

 カフェが怒る時はだいたい目尻を下げて呆れたような表情を向けることが多いのだが、今はきっと睨み付けるように目が吊りあがってしまっていた。

 そんな彼女を横目に、俺は妙に冷えた頭を回しつつ今までの情報を飲み込んで足りないところを洗い出そうとする。

 

「取り敢えず、来るものは仕方ない。流石に隠れるのも逃げるも悪手だろう」

 

「来る日分かってたら、その日だけっていうのは……」

 

「そうしたらまた来るよ。カフェが卒業するまで、逃げ続けるってわけにはいかないだろ?」

 

「それは……そうですが……」

 

 どっちにしろ、俺もカフェもまだ未成年。親権があちらにある以上、あまり抵抗は意味をなさない。

 それなら、母親と向き合う時間は早い方がいい。

 不安要素は素早く取り除いておき、その後につなげたいのが俺の考えだ。

 

「で、いつ来るんだ?」

 

「……明日です。今日連絡が来て、明日直ぐに来ると……」

 

「……マジか」

 

 現在、正午。

 いくら早めに対処したいと言っても、もう少し時間が欲しかった。

 そう愚痴をついてしまうほど、余裕がない状況で俺たちは明日を迎えることになる。

 

~~~~~~~~

 時間はどんな時も、同じように過ぎていく。

 それは俺が幼かった時でも、今でも。

 楽しみな予定を待ち望んでいる時も、嫌な事から逃げたい時も。

 限られた時間の中で自分がどこまで成せるのかなんて、必然も偶然も絡んで誰にだってわからない。

 結局その後、トレーナー室に集まって対策会議を開いていたチームデネボラは全員眠りが浅くなってしまっていた。

 寝るときはそれぞれの部屋で寝るように言ったのだが、テイオーとカフェが俺のベッドに潜り込んで離れず。

 流石に二人までならまだしも三人は狭かったため、ずっともぞもぞ動くはめになってしまっていた。

 結局みんなで一緒の部屋で起床し、身だしなみを整えてトレセン学園の方へと向かう。

 

「話し合う部屋は確保できたんだっけ?」

 

「理事長に事情を説明したら、快く貸してくれたよ。どうなるか分からないから、離れの方にな」

 

「それがいいと思います……。私もどうなるか、予想できません……」

 

 三人で並びながら寮の敷地を出て、トレセン学園の入口の門へ。

 休日の朝とはいえ、トレーニングをするために移動しているウマ娘たちが活気を賑わせている中「それ」はいた。

 視界に入った瞬間、俺の尻尾が一気に逆立つ。無意識に一歩その場から後ろに下がってしまうくらいには、俺はそこから離れてしまいたかった。

 それはカフェも同様だったのか、俺の手をぎゅっと握ってぷるぷると震えている。

 

「あら……そこにいたのね」

 

 真っ黒な青鹿毛の髪は、俺とは正反対でカフェと全く同じ。

 ただ琥珀色の瞳だけは、俺もカフェも同じで。どうしても血のつながりを感じてしまう。

 

「久しぶりね、スターゲイザー」

 

「久しぶりですね……母さん」

 

 時間の針が示すのは、あくまで時間だけで。

 その針から伸びた糸はどこで絡まるか分からない。

 

「姉さん……」

 

「トレーナー……」

 

 きゅっと俺の袖を握りながら支えてくれる二人を頼りに、俺はゆっくりと息を吐き出す。

 まだ心構えが出来ていないタイミングで、こんな正面門で会うとは運がない。

 だが、巻き返しは効く。

 取り敢えず、母親を最初に予定していた別室へと誘導する。

 こんなトレセン学園生徒が周りにいるところで、話なんて出来ないだろう。

 だがそう思っていたのは俺だけだったのか、相手は待つなんて悠長なことはしてこなかった。

 

「単刀直入に言うわ。アンタ、トレーナーやめさない」

 

「……は?」

 

「カフェも。こんな姉に付き合うのはやめて、別のトレーナーを見つけなさい」

 

「……っつ!」

 

 単刀直入。前提も説明も理屈も、そこには何もない。

 ただ。ただ、告げられるのは彼女が考えている結論だけ。

 もはや会話が成立しなさそうな雰囲気に、俺がたじろいでしまっているとその間に一人のウマ娘が割って入る。

 

「……あの!」

 

「……誰かしら」

 

「ボクはトウカイテイオー。スターゲイザーの……トレーナーの、最初の担当ウマ娘だよ」

 

 ポニーテールを揺らしながら、テイオーが俺を庇うように一歩前に踏み出す。

 物怖じせずG1レースの時のような威圧を轟と放つ様子は、いつもの彼女から考えられないほど静かに激昂しているようだった。

 

「トレーナーは絶対にやめさせない。流石に、ボクのことは知ってるでしょ。無敗の三冠を達成したボクが、これから走っていくにはトレーナーが必要だから、やめてもらったら困るんだけど」

 

 基本自らの知名度や人気をひけらかさないテイオーが、自分の価値をアピールしてまで母親に言い寄る。

 流石にテイオーを知らないヒトは滅多にいないだろう。

 G1レースどころかクラシック三冠を制覇した彼女の言葉には、実績という名の信頼が存在している。

 もはや威嚇に近しい、普段のテイオーだったら絶対に口にしない言葉。

 だがそれは、相手が普通の人間にしか通用しない。

 

「そう……で?」

 

「なっ……!」

 

「無敗の三冠を取れたのは、凄いことだと私でも分かっています。ですが、それにうちのスターゲイザーがどれだけ貢献したのでしょうか? 走っているのは、アナタなのですから……むしろ、ウチの娘がご迷惑をおかけしたでしょう」

 

 絶句。

 もはや話を通じるといった次元に存在しないことを悟ったのか、テイオーが口を閉じてしまう。

 母親はバ鹿ではない。むしろ、常識人と言っていいだろう。

 だからこそ、狂人足りえる。

 

「未成年でトゥインクルシリーズで働いて、アナタのせいでどれだけの人に迷惑かけたと思っているの? カフェ、アナタは素質があるのだからこんなところで躓くのをやめなさい」

 

 何も見ていない。何も聞いていない。何も知らない。

 故に、全て自分が正しいと世界が完結してしまっている。

 テイオーどころか俺やカフェの言葉なんて、通用しないだろう。

 

「スターゲイザー……アナタは、この家の恥よ。ここにいることが、間違いだわ」

 

 そもそも、彼女と話し合うという土俵に入ってすらいないのだから。

 

「あのさぁ……!!!」

 

 そんな相手に痺れを切らしたのか、テイオーがかなり攻撃的な目で地面を蹴る。

 だがそんな彼女に対して、俺は正面から肩に手をかけて止めさせた。

 

「待て、テイオー」

 

「なんでさ! こんなの……トレーナーを貶してるだけじゃん!!!」

 

「慣れてるから……。こういう状態の時は、何言っても無駄だ」

 

 だから──別の手を使う。

 俺だってテイオーやカフェと離れたくなんかないし、チームデネボラを崩壊させる気も無い。

 トレーナーは、俺が初めて歩んだ道だ。

 ここまで歩んできた道を、こんなところで消したりなんかしたくない。

 そのためだったら、なんでも使わせてもらう。

 俺とテイオーとカフェが、色々な方に頼み込んで出来たプラン。

 感情的になっている相手に対し、理屈で攻めるのは悪手だ。

 なら、どうするか。

 

「話の途中で失礼するっ! その話我々も無関係ではないため、参加させてもらおう!」

 

「お話の最中失礼いたします。初めまして。私、トレセン学園で理事長秘書を務めております、駿川たづなと申します」

 

「私はこのトレセン学園理事長、秋川やよいだ! このトレセン学園の責任者とも言えるだろう!」

 

 答えは──全てにおいて立場の上の人を、黙らせる。

 秋川理事長は、俺にとっての雇い主だ。

 彼女が全て就労関係の権限を持っているので、母さんは理事長相手に「スターゲイザー」をトレセン学園からやめさせることを頼まないといけない。

 だがそれを是としないことは、昨日事情を説明したら納得してくれた。

 更に「我々が全面的に説得に協力する」とたづなさんからお墨付きまでいただいている。

 これほど安心することは無いのだが、そこにさらにダメ押しの追加だ。

 

「すまない……ここでは双方落ち着いて話し合いも出来ないだろう。私……シンボリルドルフが別室に案内させていただきます」

 

「うむ! 頼んだぞ、ルドルフ会長!」

 

 そう。このトレセン学園における、生徒のトップにも協力してもらえることになった。

 ネームバリューの強さにおいては圧倒的に最強と言って差し支えないルドルフが出てきたら、いかに感情的になっている母さんも一度は黙るだろう。

 その証拠に声を上げるのをやめて驚いた様子をした母さんは、渋々と言った様子だったが一度口をつぐむ。

 

「分かりました……移動しましょう……」

 

「助かります。こちらへ、どうぞ」

 

 ルドルフが、俺の母親を連れてトレセン学園の方へと移動していく。

 まさか、こんなところで手札を切る事になるとは思って無かったが、取り敢えずの危機は去っただろう。

 視界から徐々に小さくなっていく母親の後姿を見ながら、俺も彼女についていこうとしたのだが。

 

「……あれっ」

 

 視界が急にがくりと下へと落ちてしまう。

 自分でも何が起こったのか分からず状況を確認してみると、どうやら俺がその場に座り込んでしまったらしい。

 足に力が入らず、膝がぷるぷると震えてしまっている。

 まるで、生まれたての小鹿みたいだ。

 そんな他人事のように今の自分の様子を分析していると、俺の方に素早く駆け寄って来る二人のウマ娘がいた。

 

「ちょっと、大丈夫!? スターさん!」

 

「スターちゃん、手を貸すよ? マヤたち、タイミング間に合った?」

 

「ばっちりだ……。本当に助かった……」

 

 そこにいたのは、俺の友人であるナイスネイチャとマヤノトップガン。

 先ほど正門前で荒れていたのを見て、二人で理事長とたづなさん、ルドルフを呼んできてくれたのだろう。

 状況はテイオーを通して簡単に伝えており、もし何かあったらとふんわりお願いしていたのだが……こんな早く頼ることになるとは思って無かった。

 そしてそれに追加して、もう一人のウマ娘が俺のそばに近づいてきた。

 

「無理はしないでくださいまし。メジロ家も全面協力させていただきますので……話し合いの時間は稼いできますわ。それまで休んでくださいませ」

 

「マックイーン……いいのか、俺の為にそんなこと」

 

「スターさん、だからですわ。貴方、色んな人から愛されているのですよ? 私が、メジロの名を名乗るくらいに」

 

 マックイーンはまさかのメジロ家の名前を用いて、母親の説得に協力してくれると名乗り出てくれた。

 どれだけ俺がこのレースの世界において重要な立場にいるか、全ての情報を絞り出してでも動いてくれるらしい。

 

「俺が不甲斐ないばかりに……みんな、すまな──」

 

「それ以上は言わせませんわ。その言葉の続きは、全て終わった後にこう伝えてくださいまし」

 

 ──ありがとう、と。

 

「勿論とびっきりの笑顔でね! マヤ待ってるよ!」

 

「ネイチャさんでいいなら、いくらでも協力しますから。背負いこんじゃダメですよ?」

 

「そういうわけですわ。理事長さんも、たづさんも、ルドルフさんも……アナタに謝ってほしくて協力してるわけじゃないですから」

 

 ──だから、絶対に勝ちましょう。

 

 その言葉たちは、間違いなく俺の心をしっかりと支えてくれるほど。

 温かくて、頼もしかった。

 

~~~~~~~~

 母親たちが別室に移動した後。

 俺とテイオー、カフェは話し合いが行われている近くの空き部屋で待機していた。

 そわそわと落ち着かない様子のテイオーに、じっと目を瞑って黙っているカフェ。

 そして、そんな彼女たちに挟まれながらソファに座っている俺。

 今現在、理事長たちが俺の親の相手をしているはずだ。取り敢えずそれが終わるまで、俺たちに出来る事はない。

 

「……」

 

 冷たい静寂がこの場を支配する中、時計の針だけがカチカチと進む。

 十分、二十分、三十分。

 一生と一瞬を同時に体感したような時間を過ごしていると、ガラリと部屋の中に違う音が響く。

 ぴくりと耳を動かして視界を移動させると、そこにはこの学園の生徒会長──シンボリルドルフが立っていた。

 

「すまない、失礼するよ」

 

 そう言って入ってきたルドルフは、俺たちの対面になるようにテーブルを挟んでソファに腰を下ろす。

 彼女の顔にはいつものように毅然とした様子が崩れ、若干疲れている表情を浮かべていた。

 今の彼女の感情を予想するのであれば、「見たくない物を見てしまった」だろうか。

 

「生徒会長として、ここまで無力さを感じることがあろうとはね……。私はこのトレセン学園にいて、多くの知見を広げてきたつもりだったが……」

 

「悪い……俺の母親が……」

 

「私から協力すると言ったんだ。最後まで付き合うさ。それに、スターの話がたくさん出来たんだ。そこだけは役得だったな」

 

 ふふふと少し微笑んでいるルドルフの様子に、俺は少しだけほっとした。

 隣に座っているテイオーもいつものカイチョーだ、なんて落ち着いた表情を見せている。

 しかし、その表情はルドルフが自分の顔を手で覆った瞬間に変化した。

 

「……正直に言うと、私も怒りを抑えるのに必死だった」

 

「ルドルフ……」

 

「自分の友人をここまで悪く言われるのはここまで辛く、激情に駆られるのだな。本当に『いい』体験をさせてもらった」

 

 ゆっくりと怒りを吐き出すように、顔を俯かせながらルドルフが深呼吸をする。

 そして顔を上げて俺の目を見ると、すっと目を細めながら俺に対して話しかけてきた。

 

「さて……ここからが本題なのだが。先ほど聞いたスターの母君の言葉、伝えたほうがいいだろうか。スター、君には聞く権利がある。権利だから、もちろん聞かなくていい。むしろ、聞かないで欲しい……かもしれないな、私としては」

 

 出来れば本当に言いたくはないのだろう。その態度に粛々と表れているのを見て、俺はすまないと頭を下げる。

 ルドルフに聞きたくもない言葉を聞かせてしまったこと。

 だが、それ以上に俺はそのセリフを聞かなければいけない「義務」がある気がする。

 

「聞かせてくれないか……? 母さんは、俺のことをなんて言ってたんだ?」

 

「そうか……。分かった、言おう」

 

 ルドルフは覚悟を決めたかのように、目を瞑ってゆっくりと口を開く。

 その言葉を言った瞬間、ルドルフの手は強く握られて赤くなってしまっていた。

 そしてそのセリフを聞いた瞬間、俺の中の何かが崩れ去った気がした。

 

「あの人は、こう言っていたよ」

 

 ──スターゲイザーなんて、いなくても同じでしょう? 私の中でも同じだったのですから。

 

「……私たちと話し始める、一番最初にね」

 

 ~~~~~~~~

 十分三十一秒。

 ルドルフが空気を読んでくれて、部屋から退出してくれてから経った時間だ。

「……」

 

「姉さん……」

 

「トレーナー……」

 

 母親と俺の関係性は分かっていた、つもりだった。

 というより、どこまでも他人事に近いと思っていたのだろう。

 俺は転生者だ。

 詳細には覚えていないが「前世」がそこにはあった。

 名前も、家族も、死因も、知らないことは多いが、俺には「スターゲイザー」になる前があった。

 だからだろうか。

 どんなに「今」の親に何を言われても、無視をされても。

 そこまで気にすることもないと。母親は子供なんだと。

 

 ──自分に言い訳してきていた。

 

 心を殺すことは出来なかったから。自分にそれっぽい理屈を押し付けて飲み込んで、自分の親を親として認識しないようにしていた。

 だから。だけど。

 どうしようもなく、俺は「スターゲイザー」で。

 父親とおばあちゃんがいた。妹のカフェがいた。

 そうして無意識に大事にしてきた「今の自分」がそこにはいたから。

 テイオーと出会う前の自分も、思った以上に近くにいて。

 

「うぅ……。っつ……」

 

 テイオーと出会った後に、自分を自覚してしまった時に生まれたこの感情は。

 きっと「自尊心」と言って。

 俺は思ってた以上に、今も過去の俺のことが好きなんだと自覚してしまった今。

 唯一血の繋がった「自分の母親」から直接言われた言葉は。

 

 ──トレーナーやめなさい。

 

 ちょっと。

 

 ──アナタは、この家の恥よ。ここにいることが、間違いだわ。

 

 苦しいくらいに。

 

 ────スターゲイザーなんて、いなくても同じでしょう? 私の中でも同じだったのですから。

 

 俺の中に、深く埋め込まれて刻まれて注ぎ込まれて削られて割られて。

 

「うっ……あぁぁぁぁ……。あぁぁ……」

 

 崩れ落ちるくらいには、辛かった。

 

「姉さん……!」

 

 自分の理性とは関係なく、留まることを知らずに自分の目から涙が漏れ出す。

 泣くだなんて、本当にいつ以来だろうか。

 自分が自分のために、泣けることなんて出来たのか。

 俺が今まで気にしてなかった肉親から言われた言葉で、ここまで傷つくなんて思ってすらなかった。

 

「トレーナー……!」

 

 思考も、口も、よく回らない。

 いつものように何かを目的として体を動かすことが出来ない。

 この状態の俺は、はたして自分の記憶に残るくらいには正常な思考が出来ているのだろうか。

 

「ひぐっ……。うぅっ、あぁぁぁぁ……」

 

 いつ間違ったのだろうか。

 どこで掛け違えたのだろうか。

 誰が悪かったのだろうか。

 何がきっかけだったのだろうか。

 何故こうなったのだろうか。

 自分はどのようにすればよかったのだろうか。

 

 ──ウマ娘として誕生したことが、この世界にとって間違いだったのか? 

 

 ウマ娘としても中途半端で、人間としても中途半端。

 最初は人間だと思っていた。

 だけどテイオーと出会って、俺は彼女と一緒に走れるウマ娘のトレーナーだと思った。

 だが、この体はウマソウルなんてものはなく。

 俺は、俺が何者か分からずじまい。宙ぶらりん。

 異質、異端、異彩、異色、異常──正体不明、UNKNOWN。

 自分が彼女たちのトレーナーになれて、せっかくウマ娘になれたと思っていたが。

 

「そもそも、俺なんかっ──」

 

 最初から、何かを掛け違いをしていたとするのであれば。

 俺が、こんなに悩むことは無駄だったのではないのか? 

 だから。

 

「産まれてくるのがっ、間違いだったんだ……」

 

 だってそうだろう? 

 人間だと思ったら、人間では無かった。

 ウマ娘だと思ったら、ウマ娘では無かった。

 そんなの、母さんだって「気持ち悪い」なんていいたくなる。

 納得だ。だって、ウマ娘を産んだわけじゃないんだから。

 こんなことになるなら。産まれた瞬間に誰かを傷つけていたのだったら、俺はこの世界に──

 

「姉さん!!!」

 

「ひぐっ……カフェ……」

 

 思考の迷路に陥ってしまっていると、いつの間にかカフェが正面に立って叫んで呼び掛けてくる。

 視界がぼやけてしまっている中、彼女は俺の頬をばちりと両手で強めに挟むと琥珀色の瞳を合わせてきた。

 

「今の姉さんは正常な判断が出来ていません……。私たちは姉妹ですが……姉さんの考えが全部分かるわけじゃないです……」

 

 本当に悔しそうに、唇をかみしめながらそう言うカフェ。

 だがその瞳は、俺のことをずっと見つめていた。

 

「ですが……。だから、家族の私がいいます……! 姉さん……私の姉になってくれて、本当にありがとうございます……! 大好きです……!!!」

 

 ぎゅっと俺を優しく強く、抱擁してくる俺の妹。

 温もりが直に伝わって来るのを、しっかりと自分の体に伝わって来る。

 そこまでしてくれてやっと、俺の涙は少しずつ収まってきた。

 

「こんな姉で良かったのか……?」

 

「別に姉さんがウマ娘じゃなくても……なんなら姉じゃなくても、私は必ず同じ言葉を言ってます。だから、もう二度とそんなこと言わないでください……」

 

 あぁ、どうかしていた。

 確かに凄い傷ついてしまったが、自分の過去まで否定してしまったら──今の自分すらも否定しているようなものだ。

 このテイオーとの出会いも、カフェとの出会いも。みんなとの出会いも。

 絶対に間違いだなんて、思わない。

 

「トレーナー。ボクはさっきトレーナーの家庭環境聞いたばっかだから、当事者なんかじゃないけどさ。でもこれだけは言わせて欲しいな」

 

 ────ボクの運命のヒトは、キミだって。キミにしか、出来なかった。

 

「ボクのトレーナーになってくれてありがとう! 大好きだよ!!!」

 

 太陽な笑みを浮かべて、俺を照らしてくれるテイオー。

 そうか。別に俺がウマ娘じゃなくても、人間じゃなくても。

 どっちつかずの中途半端だったとしても。

 誰も、そんなところから見ているわけじゃなくて。

 

 ──みんな、俺を「スターゲイザー」として、見てくれているんだな。

 

 だから、別に俺が何者だなんてそんな「下らない」ことについて、気にする意味なんて無い。

 俺は。

 俺が。

 

 ──望んで。スターゲイザーとして、ここで生きているんだから。

 

 散々泣いた目尻を手で擦ると、そこにはもう既に涙はつかなかった。

 自分の居場所は、今ならきっと自分で守れる。

 次の瞬間。視界に薄っすらと、どこか見たことがあるような女性の姿をした薄い靄が見えた気がした。

 何故かどこか懐かしい気持ちをそれに対して覚えていると、その靄はバイバイと言わんばかりに手を振り、いつの間にか手元にあった見えない何かを俺に差し出してくる。

 そして、それが終わるとすぅと最初からいなかったもののように消えていってしまった。

 

「……トレーナー、大丈夫?」

 

 俺はテイオーの言葉を受けてぱちりと目を開くと、ふぅとゆっくりと息を吐くといつもの様子で口を開いた。

 

「……大丈夫だ。さて……これからどうするか、考えようか」

 

 みんなからの想いで、スターゲイザーは心がずっと温かったから。

 きっと、もう。俺は、白い部屋に一人じゃない。

 

~~~~~~~~

 トレーナーとして少し情けない姿を見せてしまってから、数十分が経過した。

 制御できない涙を流すということが初経験だったためか、変に目を擦ってしまって目尻が少し痛い。

 琥珀色の瞳はきっと間違いなく充血してるし、いつもの俺と比べたら間違いなく状態は悪いだろう。

 だが、精神的にはいつも以上に楽だった。

 確かに緊張はしているが、隣にテイオーとカフェがいることでそれが少し軽減されている。

 これから途轍もない悪意に立ち向かっていくはずなのに、それに押しつぶされる想像がつかなかった。

 そうして三人で固まって座っていると、部屋の扉が少し強めにがらりと開く音と聞き覚えのある声が一緒になって聞こえてきた。

 

「やってやったわよ……。私たちのスターゲイザーを取るだなんて、このトレセン学園が許さないわ……」

 

「流石先輩~。私も素面で頑張っちゃいましたよ~。そろそろお酒吞んでいいですか~?」

 

「後で私が好きなだけ奢るわ!!! ご苦労様打ち上げよ! 徹夜半日で資料準備……我ながらトレーナーとして優秀なのが震えるわね……」

 

「中央のトレセン学園に合格するヒトは、みんな優秀ですね~」

 

「アンタも大概だけどね……。普段からそのくらいしなさいっての」

 

 そう言って少し目に隈を作りながら入って来たのは、俺がお世話になっている先輩トレーナーである清水光さん。

 そして珍しくアルコールの入っていない素面のふわっとした姿でいる、同期トレーナーの蔵内望さん。

 二人はこのトレセン学園における女性トレーナー仲間として、色々と交流が深いメンツなのだが……。

 

「清水さん……蔵内さん……。どうして、ここに」

 

 だが、ここにいる理由が分からなかった。

 まさかの登場人物に俺が困惑して戸惑ってしまっていると、清水さんが目を擦りながら答えてくれた。

 

「ん……? あぁ、説明まだだった? ごめんね、遅れちゃったわね」

 

「まぁ~、簡潔に言うのであれば~。たづなさんと理事長に頼まれたので~、スターちゃんの魅力を纏めた、みたいな~」

 

「プレゼンよ。スターゲイザー、のね。このトレセン学園において、アナタがどれだけ大切なのかって感じかしら」

 

「知ってますか~? 私たち優秀なので~、数字を使っていくらでも証明出来ちゃうんですよ~?」

 

 どうやら、理事長とたづなさんの包囲網を通して彼女たちに俺たちの状況が伝わっていたらしい。

 そして、そこから俺の母親を説得するために、一晩で専用に資料を作成してプレゼンまでしてくれた。とのことだ。

 確かに、理事長たちに助けを求めるときに俺が「どんな手段を使っても」と言ったのが、まさか先輩トレーナーたちまで巻き込んでしまうとは。

 

「勿論、今日あった事はどこにも漏らさないわ。安心してくれていいわよ」

 

「トレーナーたるもの、口は堅いので~。まぁ、私はお酒には弱いんですけど~」

 

 にこりと全く苦になっていないとアピールするように、俺に笑顔を向けてくれる。

 その顔は、どこかで見覚えがあるような表情だった。

 俺が、テイオーやカフェに向ける時のトレーナーの顔。

 つまり、トレーナーとして担当のために何でもするという覚悟の決まった顔。

 この場合、俺が清水さんと蔵内さんの担当ウマ娘にあたるのだろう。

 少し恥ずかしいような感覚を覚えるが、俺のためにしてくれたという事実に感謝と嬉しさの気持ちでいっぱいになる。

 俺がその気持ちを伝えようとした瞬間、違う声が部屋に入ってきた。

 

「感情的になってる相手に、話が通じないのは通例だけど……。それならば、話を聞かなきゃいけない状況にすればいい。そう思わない?」

 

「アナタは強引なんですよ……。こういうところが、ネイチャさんに悪影響が及びそうです」

 

「あら。でも、今回は色々協力してくれたじゃない。ツンデレって奴かしら?」

 

「……スターゲイザーさんという、優秀な方がトレセン学園が消えてしまうなんてあってはなりません。それに……ネイチャさんのライバルのトレーナーなんですから。協力するのは当たり前でしょう?」

 

「ここで協力って言えるのが、先生として嬉しいわ。姫宮ちゃんに桐生院ちゃんも、ありがとね? 色々と無理言ったわね」

 

「いえいえ! ウマ娘のためにならなんとやら! ウマ娘ちゃんのためなら、あと三日は無理はいけます!」

 

「私も、スターさんにはお世話になりましたから! 桐生院家、全面バックアップです!」

 

 こうして現れたのは、これまた俺がお世話になっているトレーナーの方々。

 永世三強のトレーナーで、テイオーの師匠であるタマモクロスさんも担当している俺の先輩トレーナー、谷口海さん。

 そんな谷口さんのサブトレーナーを勤めているウマ娘オンリーな先輩トレーナー、姫宮明さん。

 桐生院家という名家出身のエリートであり、既にハッピーミークという担当を持っているトレーナー、桐生院葵さん。

 そして……ネイチャのトレーナーは、初めて顔を合わせたような気がするが……。どうやら、谷口さんと繋がりがあったみたいで協力してくれたらしい。

 

「みな、さん……」

 

 まさか俺の為を想って、ここまで動いてくれるとは想像もしてなかった。

 理事長とたづなさんは、上司としての目線で。

 先輩たちは、トレーナーとしての目線で。

 ルドルフは、ウマ娘としての目線で。

 ここまでお膳立てしてくれて、一歩踏み出す覚悟が決まらないって言う方が無理があるだろう。

 

「ありがと──むぐっ」

 

「それは~、全部終わったらね~?」

 

「そうね。それは、また一緒になった時にお願いしたいわね」

 

 俺がお礼を言おうとした瞬間に、蔵内さんの人差し指に軽く口を塞がれてしまう。

 清水さんも腕を組みながら、軽く微笑んでおり俺に余計な気を回さないように気を使っているようだった。

 

「今度ミークとまた一緒に走ってください! 凄い速くなったんですからね!」

 

「私たちトレーナーはサポートしか出来ないけど……。いえ……だから、こういうのでしょうね」

 

 ──いってらっしゃい、スターゲイザー。

 

 まるで、ウマ娘をレースに見送るような谷口さんの声賭けに。

 俺があっけに取られてしまっていると、左右にいた二人がそっと口を開いた。

 

「いつもの、トレーナーみたいだ」

 

「えぇ……姉さんが私たちにレースに向ける前の雰囲気と同じです……」

 

 ここまで言われてやっと自覚した。

 今、俺は人生の分岐点のレースに出走している。

 みんながサポートしてくれて、やっとゲートインまで来た。

 俺に取って初めてのレース──言うなれば、デビュー戦もいいところなのだが……

 

 ──負けるつもりで、走るつもりはない。

 

「行ってきます。必ず、勝ってきますから」

 

 こうして俺は見送られながら、ターフへと足を踏み入れることになる。

 

~~~~~~~~

 たった一つの扉を開けるのに、ここまで体が動かなかったことがあるだろうか。

 目の前にあるのは、特に何も変哲のない引き戸タイプの扉。

 手をかけて横にスライドすれば、鍵もかかっていないこれは直ぐに開いて部屋の中に入れるだろう。

 だが、その中にいる存在が分かっていると手が無意識に震えてしまう。

 

「……ふぅ」

 

 きっとレース出走前、ゲートにいるウマ娘もこんな気持ちなのだろう。

 ばくばくと自分の心臓の音が聞こえてくる中、俺は深く深呼吸をして扉に手をかけた。

 

「……本当にボク付いていかなくて大丈夫?」

 

「これは、俺たち家族の問題だからな。ここまで巻き込むわけにはいかない」

 

「……分かった。ならここで待ってる。頑張って」

 

 テイオーが俺を優しく応援してくれたかと思うと、そっと一歩下がって扉を開けた時に見えない範囲まで下がった。

 それを確認した後、俺はがらりと扉を横に動かして部屋の中に入った。

 

「失礼します」

 

「……失礼します」

 

 部屋の中にいたのは、俺たちの上司である秋川理事長とたづなさん。

 そしてその対面に座っている、無表情の母親。

 まるで三者面談みたいなメンツだが、これから行うのはそんなものではない。

 自分のプライドをかけた、俺の大事なレースの一つだ。

 

「……退出。我々は外で待機しておく、いつでも呼んでくれたまえ」

 

「無理はなさらないでくださいね。私たちは、直ぐ近くにいますから」

 

 俺が部屋に入ったと同時に、すれ違うように退出してくれた二人。

 最初は一緒に話をする計画もあったのだが、俺が母親とはしっかり話したいという要望のもとこのような空間を作り出してくれた。

 本当に感謝してもしきれないほど、俺は職場にも恵まれている。

 そうして俺とカフェは、先ほどまで理事長たちが座っていた側のソファに腰をかけて、母親と向かい合った。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 お互いに、無言の時間が少しの間続く。

 設置された時計の針が進む音が、かちりかちりと無機質に部屋の中に響き渡っていた。

 俺と母親の目がじっと交差したかと思うと、キッと睨むような音が相手から聞こえてくるようだ。

 そんな空間に最初に声を通したのは、俺の妹であり担当ウマ娘──マンハッタンカフェだった。

 

「母さん……私はこのトレセン学園に、姉さんがいることを分かって入学しました……」

 

「……聞いたわ。だから、なに──」

 

「もし姉さんがトレーナーを辞めさせられるのであれば……私は、今すぐにでもトレセン学園を辞めて……姉さんに憑いていきます」

 

「……っつ」

 

 初手から相手に有無を言わせない確固たる意志を持って、母親に言葉にぶつけていくカフェ。

 正直ここまで言われると思っていなかったのか、母さんは何も言えずにただ固まってしまっている。

 カフェを溺愛していた母親からすれば、こんなこと言われてしまってはショックだろう。

 

「私の覚悟は伝えました……。母さんは、それでも姉さんにトレーナーをやめさせますか……?」

 

「……」

 

 カフェは自分の言葉を区切ると、次の発言権を母親とそのまま渡す。

 きっと誰かが話さないとそのまま停滞していたことが分かって、カフェは話す順番をつけてくれてたのだろう。

 しかも、俺を手番を最後に回してくれる気遣いまでしてくれた。

 こうして順番をつけられたこの話し合いは、もう止まることなく最後まで進むしか無い。

 すると母親が俯きながらぶつぶつと呟くように、口を開き始めた。

 

「……駄目よ。カフェはレースに出るの、それだけは譲れないわ」

 

「……それが?」

 

「そうよ! トレーナーなんて誰でもいいじゃない! 別にスターに執着する意味なんてないはずよ!」

 

 椅子から立ち上がる勢いでその場で叫ぶように、抗弁を振り回す。

 その姿は、相手との話し合いも返事も待っていない一方的な発言のようだった。

 だがそれを聞いたカフェがぎゅぅっと不機嫌そうに耳を絞り、ぎゅっと拳を握りしめている。

 このままいくとカフェも応戦してしまいそうなので、俺は彼女の膝をぽん叩くとぽそりと呟いた。

 

 ──最後まで、言わせてあげよう、と。

 

「ただ、別に私はカフェが勝ってるところを見たいだけで! そこに、私の恥は要らないの!」

 

 カフェの勝利は見たい。ただ、そこに俺は関わって欲しくない。

 スターゲイザーという存在を認めたくないという感情から湧き上がる葛藤。

 全く我慢も融通も利かない、自分の我を出したいだけの感情。

 俺は母さんの過去も想いも何も聞いていないから知らないが──

 

「カフェ、いい子だからトレーナーだけは変えなさい? 私のためにも、それだけは……」

 

 ──これは、子供のわがままだ。

 

 いつか、カフェに対して「母親はまだ子供だから」と伝えたことがあった。

 自分を中心に世界を回しているので、自分以外のモノを全て好きに動かせると思っている。

 先ほどまで、先輩たちやルドルフ、理事長たちが説明してくれたのに相当堪えたのもあるのだろう。

 だからここで俺が取るべき行動は──はっきりと、自分の意志を強く示すことだけだ。

 

「……俺は、過去のことで母さんを恨むことはない」

 

 これは、本音だ。

 別に俺は母親を恨んだり、憎んだり、報復したいなんて一切考えていない。

 自分を肯定し受け入れた以上、俺は過去のことはもう追求しないと決めた。

 

「だけど……今日の話を聞いてはっきりと思った」

 

 だから過去のことはもう追求しないが、今の俺を守るために母親と会話しよう。

 俺が産まれてから今に至るまで。

 今日が初めての「母親」と「娘」の会話だ。

 だって、俺はどうしても目の前にいる人の子供なのだから。

 俺たち自身で、決着を付ける。

 

「俺とカフェは、母さんの道具なんかじゃない。自分自身で走っている、ウマ娘の一人だ」

 

 どこまでも俺とカフェを好き勝手に動かして、コントロールしようとしてくる母親。

 だが、俺は自分の意志でトレーナーになろうとした。

 だが、カフェは自分の意志でトレセン学園に来た。

 だが、俺たちは自分たちの意志で走ろうと決意した。

 確かに、この舞台にいていいと思えるように。

 

「俺は──スターゲイザー」

 

 まだ、誰にもお礼を言えていない。

 ここまで応援してくれた人にも、サポートしてくれた人にも、テイオーやカフェのファンの人にも。

 だから、絶対に終われない。

 

「このトレセン学園で、夢を背負って走りたいと思って生きている──トレーナーの一人だ!」

 

 きっと背中を押してくれたのは、俺のずっと隣にいてくれた一人の鹿毛のウマ娘。

 笑って、泣いて、喜んで。

 俺の色々な「初めて」を共有して、約束まで交わして誓ったのだから。

 絶対にこんな場所で「スターゲイザー」を終わらせるわけにはいかない。

 

「……アナタ、ねぇ!?」

 

 と、言っても話は平行線。

 自分の意志と母親の意志が位置するのは、対極に近い。

 だが、自分の意志は確かにここに示した。

 あとはもう時間をかけてでも理事長などを絡めて、対話をし続けるしかない。

 焦る必要はない。俺が最終的に、テイオーとカフェの隣に入れれば勝ちなのだから。

 そう思って俺が次のことを考えていると、急に扉ががらりと勢いよく開いてとある人物が部屋に入ってきた。

 音のした方へと視界を向けると、そこには先ほどまで外にいたテイオーと──

 

「父さん……?」

 

 少し無愛想に不機嫌そうな表情をしている、俺とカフェがよく見知った顔。

 しっかりと血の繋がった、もう一人の肉親である俺たちの父親。

 母さんだけがトレセン学園にきたと思っていたが、どうやら父さんも一緒に来ていたみたいだ。

 

「あ、あなた……?」

 

 と思っていたのだが、どうやら母親にとっても父親の登場は想定外だったみたいで明らかに焦った顔をしている。

 俺とカフェがお互いに驚いた表情を浮かべていると、一緒に入ってきたテイオーが近寄ってきて耳元で囁いてくれた。

 

「……なんか、トレーナーのお父さん、急いで来たって言ってたよ。挨拶したけど、ボクのことは知ってるみたいだった」

 

「そっか……。これは多分、母さんが何も言わずに独断で来たな……」

 

 部屋の中に入ってきた父さんは、直ぐに母さんの元に移動すると睨みつけるように彼女に視線を向けて話し始めた。

 

「何をしてるんだ」

 

「いや、これは違うの。あの子が、ね?」

 

「何をしているのかと聞いている」

 

「……」

 

 それは俺が聞いた事のない重低音で、大人の男性がしっかりと怒りを覚えて話しているような声だった。

 母親はそれを見て何か言いたそうにしているが、何も言えずにだんまりを決め込んでいる。

 

「……軽く理事長さんとテイオーさんから話を聞かせて貰った。スターがどれだけ頑張ってきたのか。どれだけ大切な存在か、お前でも分かっただろ」

 

「それ、でも」

 

「それでも、なんだ。まだ、自分の恥だなんて恥ずかしいこと言うのか」

 

「いや、恥ずかしいのは」

 

「恥ずかしいのはこっちの方だ。スターもカフェも、俺たちの誇り以外なんでもないだろ。トレセン学園にいても、どこにいてもそれは変わらないんじゃないのか」

 

 少し、驚いた。

 父さんが、不器用で口下手な人なのは俺も理解していた。

 だけどここまで俺たちのことを思っていてくれたなんて、正直……凄い嬉しい。

 

「お前が昔走れなかったからって、それをカフェに押し付けるのは違うだろ。走らないからって、スターを自分のダメな箇所と重ねるのは失礼なんじゃないのか」

 

 父さんが俺たちの知らないことを交えながら、母さんを説教している。

 カフェに目配せして何か知っているかを尋ねてみるが、知らないと彼女に首を横に振られた。

 どうやら、彼女には俺たちにここまで固執する理由があるみたいだ。

 何も聞いていないから、そこ擦り合わせをすることはできていないが。

 

「本当に、すまなかった。スター、カフェ……そして、テイオーさん。とても、嫌な思いをさせてしまった」

 

「……別に、父さんは悪くないだろ?」

 

「いや、俺が悪い。してあげられなかった事の方が多い俺が言うのもあれだが……彼女には俺から言っておく。スターとカフェは、このままトレセン学園で頑張って欲しい」

 

 すると父親は頭を深く俺たちに下げて、しっかりと誠意を伝えるように謝ってきた。

 何も言う事はない本当に真っすぐな、純粋な謝罪。

 そこまで言われてしまっては、俺も受け取らない理由はない。

 

「俺は、ここでトレーナーとしていられるなら……大丈夫だから」

 

「そうか……すまない。カフェも悪かった」

 

「いえ……私も、姉さんと一緒にいられたらいいので……」

 

 俺たちがそう返事をすると父さんは頭を上げて、震えていた母さんの手を掴むとぐっと強めに引っ張った。

 そして二人で部屋から出るために扉に近づくと、そっと呟くように。ただ、俺たちにしっかりと聞こえるように言ってきた。

 

「スター、三冠トレーナーおめでとう。ずっと、応援してるからな」

 

 それは、彼の精一杯の応援だということを俺は知っているから。

 自分も返す言葉は決まっている。

 

「────」

 

 その言葉に、父さんは口元を緩めながら嬉しそうな表情を浮かべたのを。

 俺は決して忘れない。

 

~~~~~~~~

 激闘の一日が過ぎた。

 気づくと窓から差し込む光は、オレンジ色になって夕暮れが近いことを示している。

 そしてそんな光が差し込む場所には、何故かたくさんの人が集まっていた。

 

「トレーナー、怖かったよー!!!」

 

「姉さん……今はぎゅっと抱き着いてもいいですか……?」

 

 俺にべたべたとくっついて離れそうにない、担当ウマ娘であるテイオーとカフェ。

 

「全く……いいんですの? こんな、人がいるところで」

 

「テイオーちゃんだし、いつものことでしょ」

 

「まぁまぁ、ネイチャさんはいいと思いますよ? こういう時じゃなくても、べたべたしてるとは思いますケド」

 

 協力してくれた友人でありライバルである、マックイーンにマヤノ、ネイチャ。

 

「安心! スターを守れたことに我々も安堵出来た!」

 

「スターゲイザーさんは、トレセン学園のトレーナーですからね。これからも支えていきますよ」

 

「生徒会長として、友人として力になれたこと、誇りに思うよ。高材疾足……スターのようなヒトをトレセン学園として失う訳にはいかないからね」

 

 俺の上司である秋川理事長に、たづなさん。そして、生徒会としてお世話になっているルドルフ。

 

「なんとかなって良かったわ。私たちの頑張りも無駄にならなかったわね」

 

「ですね~。この後のお酒は美味しく頂けそうです~」

 

「ミークも喜んでましたよ! また一緒に合宿したいと言ってました!」

 

「私が最後まで出張らなくて良かったわ。切り札を切らなくても良かったのだし、これはいいことね」

 

「……こわいんですけど。まだ何を持ってるんですか、貴方」

 

「何かしらね? ね~、ネイチャちゃん?」

 

「へ!? 急にアタシ!?」

 

「ネイチャさんにちょっかいをかけるのはやめてください、先生」

 

 そして、トレーナーとしていつも面倒を見てもらっている、先輩方や同期のトレーナーたち。

 ここまで来るのに色々な人が協力してくれて、支えてくれたから俺が今無事にトレセン学園に留まることが出来た。

 だから。

 俺が出せる、精一杯の笑顔と感謝を込めて。

 この言葉を、この出来事の終わりに。

 

 ──ありがとう、みんな。

 

 スターゲイザーからの、お礼を。

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