そのウマ娘、星を仰ぎ見る   作:フラペチーノ

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34.虹の架け橋

 時は、二月の中旬。俺たちの家族の問題が終わって、ほんの少しだけ経った頃。

 実質的な女子校であるトレセン学園において、どこからともなく甘い香りが漂い始める季節でもある。

 理由は明確で、バレンタインデーというチョコレートなどを受け渡しする季節の恒例行事があるからだ。

 甘いものを食べられて友達とやり取りが出来たりするため、ウマ娘の間でも大人気のイベントになっている。

 その為かトレセン学園内でも、バレンタインデーというイベントを積極的に推奨していたりするのだ。

 当日に向けてチョコを自作したり買ってきたりと、イベントが大好きな学生にとって良い息抜きになるだろう。

 そして来たる、二月十四日。

 

「……で、これ全部そうなの?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

「流石に、これ全て一気に食べたら体に悪そうですね……」

 

 チームデネボラの部屋に届いたのは、綺麗に包装された甘いプレゼントの箱。

 それだけ聞くとなんだか嬉しい話に聞こえるが、残念ながら現実はそんな甘くはなかった。

 俺たちの目の前に置かれているのは、段ボールの箱、箱、箱。

 そう。このバレンタインボックスは、手で持てるサイズの可愛らしいモノではない。

 この中に入っている全てが、バレンタインに用意されたプレゼントだ。

 

「トレーナー、業者からチョコ仕入れた?」

 

「……そんなわけないだろ」

 

 ざっと数えて、中くらいの段ボールが五箱くらいだろうか。何も知らない人が見たら、引っ越しでもするのかと訊ねられるくらい。

 試しに一番近くにあった段ボールを開けてみると、そこには丁寧に梱包された箱がまた顔を見せる。

 それぞれ形もサイズも違うのにパズルのように詰め込まれた中身を見ると、これで一体何キロカロリーあるんだとトレーナー目線として頭を捻ってしまう。

 

「宛名は丁寧に分けられてますね……。姉さんのと、テイオーさんのと……」

 

「もしかして今日、ボクがチョコあんまり貰わなかったのってさ」

 

「ここに全部入ってるからだろうな……」

 

 バレンタインデーは確かにチョコなどを渡す行事ではある。

 ただここまで来ると、お店などを開けてしまいそうだ。

 嬉しい悲鳴が上がりそうな中、俺は現実と向き合うために目の前の段ボールを手に取り自分の足元に置いた。

 

「取り敢えず仕分けするか……。常温と冷蔵、日持ちしそうなものと、しなさそうなもので分けてくれ」

 

「はーい」

 

「分かりました……」

 

 これが届いたのは、バレンタイン当日の夕方頃。

 学園の授業も終わり普段ならこれからトレーニングするという時間帯になった頃、フジキセキさんを含めた複数人のウマ娘がこれを俺の部屋まで運んできてくれた。

 話を聞くと、トレセン学園生徒以外からもファンからの贈り物も含まれているらしい。それならと、俺たちの元へ駆けつける前にこうして纏めて持ってくれたそうだ。

 こういうバレンタインデーはプレゼントを渡せるいい機会で、有名なウマ娘はバレンタインにプレゼントを貰うのは恒例行事とのこと。

 

 ──特に君たちは、カッコいい寄りだからね。全盛期のルドルフくらいはあるんじゃないかな。

 

 というのは、俺を初対面ですらポニーちゃんと呼んできたイケメン寮長談。

 やはり、三冠を取ったというのが一番大きいのだろう。

 クラシック戦線を制覇してURA賞まで受賞したテイオーのネームバリューは、今が最高潮。

 メディア露出は大きく増え、特番などが組まれ、ぱかプチは販売され、俺の元に届くテイオー関連の承認書が増え……。

 なんなら最近「どきゅーと」なるものを販売したいと打診された。企画書を見る限り、1mサイズの特大ぬいぐるみらしいが……。因みにテイオーが面白がってOKを出していたので、発売されたら俺の部屋にでかいテイオーが届くことが確定している。

 

「こうやってファンの人が応援してくれたのが、形になってると嬉しいなぁ……。ボクも頑張ろって思えるもん」

 

「手紙とかも入ってるな。応援してますとか、次もレース見に行きますとか。こうやって手元に届くと嬉しいもんだな」

 

 包装をなるべく丁寧に剝がしながら、中に入っているモノを確認していくチーム三人。

 贈り物と一緒に手紙も入っていることも多く、テイオーに対してだったりチームに対してだったり……中には俺個人に向けたものまである。

 俺がメディア露出したのは年末のインタビューだけなのだが……それだけで、ファンになってくれる人がいるものなのだろうか。

 

「姉さん自覚無いんですか……?」

 

「まぁ、トレーナーって自分のことあんまり調べないよね……。白い妖精のようなトレーナーって、色んな所で話題になってるよ?」

 

「……だから、なんか俺宛のプレゼントが多いのか」

 

「というか、多すぎない? チョコの量だったらボクより多いんだけど」

 

「手紙もハートのシールが貼ってあるやつ多いし」

 

「あっ……。それは……私たちが先に受け取って精査しますので……」

 

「残念ながらトレーナーはボクたちでいっぱいなので、益々のご活躍をお祈り申し上げますって返しておこう」

 

 そんな会話をしながらせっせと仕分けを行い、分別を終える俺たち三人。

 整理したところトレセン学園生からはチョコが多かったが、外部のファンからは日持ちする食べ物だったり、消耗品であるスポーツドリンクの元やタオルなどが多い。

 更にチョコとは言ってもクッキー系統の焼き菓子が多数で、こちらも直ぐに消費しなくていいものばかりだ。

 大量に届くことを分かってて、気遣いしてくれたのだろう。本当にありがたい限りである。

 

「さて……仕分けも終わったことだし……。ボクからも、ハッピーバレンタインだよ! トレーナー!」

 

 作業が終わって一息ついた時、テイオーがカバンから取り出したのは蒼と白のリボンで包まれた可愛らしい贈り物だった。

 明らかに去年よりもかなり気合の入って装飾されたそれを、俺はありがたく彼女から受け取る。

 去年は仕事中でも食べやすいようにと、少しお高めのクッキーだった。今年は一体、何を選んでくれたのだろうか。

 

「開けていいか?」

 

「どうぞ!」

 

 なるべく包まれた紙を破らないようにと丁寧に梱包を剥がし、箱の蓋を開けると中には一口サイズの丸いお菓子が入っていた。

 赤色や青色、白に黒に紫など……。それぞれ異なる色をしているこのお菓子は、普段はなかなか見ないタイプのスイーツだった。

 

「これは……マカロンか?」

 

「正解! 勿論、手作りだよ!」

 

 テイオーがえっへんと胸を張りながら、自慢気な表情をしてくる。

 そんなテイオー手作りのマカロンはとても綺麗に形どられており、まるでプロが作ったような見た目をしていた。

 俺はそこまでスイーツに明るくはないが、マカロンは少なくとも手軽に作れるものではないだろう。

 

「ありがとうな、テイオー。大事に食べるよ」

 

「えへへ……」

 

 耳を揺らしてアピールしてくる頭に手を乗せて撫でて上げると、テイオーは嬉しそうな声を漏らしてくる。

 お礼を伝えながらテイオーをモフっていると、隣から上目遣いで俺に近寄って来る黒い影が視界に入った。

 

「あの……姉さん、私からもバレンタインのプレゼントです……」

 

 そう言って来たのは、黒の布製の袋を両手に抱えている俺の妹。

 思い返してみれば実家にいた頃から、カフェとバレンタインなどでプレゼント交換したことなんて無かった。

 こうやってお互いに姉妹らしいことが出来ることは、俺が少しでも成長出来たからだろうか。

 そんな一人しかいない妹であるカフェからリボン結びされたラッピング袋を受け取り、中を覗いてみるとそこには透明な袋に一つ一つ包まれたお菓子が入っていた。

 

「マフィンです……。私が選んだコーヒー豆で、手作りしました……」

 

 カフェから渡されたのは、可愛らしくカップに入ったカップケーキの一つであるマフィン。

 焼き色がとても綺麗で一工夫加えてあることが伺える、とても美味しそうなケーキだ。

 

「カフェもありがとう。嬉しいぞ」

 

「はい……。それに合うコーヒーも今度、準備しますので……」

 

 カフェに対してもお礼を言うと、彼女も喜んで尻尾を振って俺に頭を向けてくる。

 撫でてくださいと言わんばかりに耳が揺れているのを見ると、俺もその期待に応えないわけにはいかない。

 その結果、俺の両脇は動けないように固められてしまい身動きが取れなくなってしまう。

 きっとここから解放されることになるのは、彼女たちが満足した時なのだろう。

 俺はそんな甘い匂いと暖かさを感じながら、二人の頭を優しく撫でるのであった。

 

~~~~~~~~

 ちょっとだけ長い時間撫ですぎたせいか、自分の腕にぴりりと痺れが走る頃。

 満足したテイオーとカフェの間から抜け出した俺は、二人から貰ったバレンタインのプレゼントを大切に冷蔵庫にしまうと準備していたとあるものを取り出した。

 昨年は何も準備せずにバレンタインを迎えてしまった反省を活かし、今年は二人のためにしっかりと渡すものを用意しておいたのだ。

 昨年はテイオーとお出かけした時にチョコレートのケーキを買ってあげたが……今年はしっかりと自分のチョイス。

 ただ二人が俺の思ってた以上に嬉しいプレゼントを渡してくれたため、釣り合うか不安な気持ちは少しある。

 

「俺からもハッピーバレンタイン。すまんな、二人みたいに手作りじゃなくて……」

 

「何言ってるのさ。トレーナーからのプレゼントだったらなんでも嬉しいよ!」

 

「姉さんからのプレゼント……。凄い、嬉しいです……」

 

 だがそんな不安は、一瞬で拭われることになった。

 まだ冷蔵庫から手提げがついた長方形の箱を取り出しただけなのにも関わらず、二人とも期待してワクワクしながら待っている。

 そんな彼女たちのために、俺は持っていた箱を一度テーブルに置くと上の手提げ部分の方を開いた。

 

「わぁ……これって、バウムクーヘン?」

 

「結構な量がありますね……。一本って数えたほうがいいくらいです……」

 

 今回俺がバレンタインのお返しに用意したのは、チョコレートがコーティングされたバームクーヘン丸々一本。

 この日の為にデパートの地下でうろうろとさ迷いながら、良さそうなものを探したのだ。

 普通に一人前で考えるなら絶対に食べきれない量ではあるが、相手がウマ娘であることと二人いることまで考えると丁度いいくらいじゃないだろうか。

 それにこれくらいのご褒美があっても、頑張ってるテイオーとカフェに対してはバチなんか当たらないだろう。カロリー面でも、な。

 

「流石にそのまま手づかみとかでは無理だから、切り出して食べような。今日はトレーニング休みに──」

 

 そう言って俺がバウムクーヘンを食べるために、包丁やお皿を用意しようとした瞬間。

 机の上に乗っていた携帯の通知音がプルルと部屋に鳴り響く。一回の振動ではなく音楽が鳴っているのを見るに、俺に対しての電話だろう。

 着信欄をチラ見するとたづなさんの文字が見えたので、俺は準備する手を一旦置いて電話のボタンを押した。

 

「お疲れ様です。スターゲイザーです」

 

『お疲れ様です。駿川です。すみません、今お時間大丈夫ですか?』

 

 スピーカーモードで通話に出ると、いつも聞きなれたたづなさんの声が部屋全体に聞こえてくる。

 普段ならばイヤホンなどをはめて通話に出るのだが、今回は急いで取ってしまったためテイオーやカフェにも声が届いてしまった。

 携帯を耳に当てるという行為が出来ないウマ娘特有の行動ではあるのだが……仕事の内容だったら、音が漏れないようにイヤホンを取った方が良さそうだ。

 テイオーとカフェに「ごめん」と無言で伝えると、二人とも「気にしないで」と身振り手振りで返してくれる。

 そんな彼女たちを確認した後、俺はイヤホンを耳に急いで付けてたづなさんに返事をした。

 

「すみません、お待たせしました。今、大丈夫です」

 

『わざわざ、ありがとうございます。早速内容なのですが──』

 

 こうしてたづなさんから話された内容は、とある「計画」についての進展だった。

 前からほんの少しだけ小耳に挟んでいた、テイオーの夢の一つを叶えるための特大プロジェクト。

 

 俺は最後まで聞き終えると、イヤホンと携帯を机にゆっくりと置いた。

 そして俺のことを待ってくれていたテイオーに対して、息をしっかりと吸って話しかけた。

 

「テイオー、朗報だ」

 

「ボク? なんかあったの?」

 

「──凱旋門に向けてのプロジェクトが始動するらしい」

 

~~~~~~~~

 バウムクーヘンをみんなで食べたバレンタインから数日経過した。

 俺たちはトレーニングを行う時間帯に、広大な面積を誇るトレセン学園の僻地へと来ていた。

 比較的新しく綺麗な雰囲気をしているこの学園だが、俺たちが訪れた場所はかなり時間が経過した古びた小屋のようなものが目の前にあった。

 普段ならば見向きもされないような場所にこうして俺たちがいる理由は、先日電話越しに説明されたとあるプロジェクトのために他ならない。

 

「本当にここで合ってるの?」

 

「合ってるはず……。こんな場所がまだ残ってたことに驚きだけどな」

 

 今の時代では見かけないような引き戸を開けて俺たちが小屋の中に入ると、そこは外の古さに対して新しくフローリングがされてある体育館のような場所だった。

 そしてそこには一台の謎の機械と共に、ヒトが一人入れるのでないかと思えるほど大きな楕円形の入れ物が斜めになって真ん中にポツンと置いてあり、静かな稼働音を響かせている。

 謎の機械の隣には大きめの机が置いてあり、その上には色々と書類が散らかっており仕事の痕が残っていた。

 

「なんだろうこれ……」

 

「培養ポッド……みたいですけど……」

 

 見たこともないようなモノに興味深々のテイオーがその機械に近づこうとした瞬間、部屋の奥から声が聞こえてくる。

 音の発生源である方を見ると、壇上の上に少女が立っており俺たちの方を見下ろしていた。

 

「よく来てくれたな、スタートレーナー! やよいから話は聞いているぞ!」

 

 自分を大きく見せようとしているのか大きな声と手振りをしているその少女は、まだ一度も直接的に会ったことは無かったが秋川理事長から話だけは聞いていた。

 テイオーより小柄で一見まだ学生だと見違えてしまうが、その肩書は「学園強化部門最高責任者」と俺よりも立場が上の者。

 

「初めましてだな。私の名前は佐岳メイ。トレセン学園凱旋門プロジェクトを担当する責任者でもある」

 

 今自己紹介をしてくれた彼女──佐岳メイさんは、演説するように大きな声で話を続けてくれる。

 凱旋門賞を夢に見ている、俺とテイオーに対して力強く。聞こえるように。

 

「凱旋門賞──世界一は途方もない夢だ。その夢は体力も、費用も、時間も使う。そして、それを用意出来ても凱旋門賞を取れるかはわからないだろう」

 

「……日本のウマ娘が凱旋門に出走した記録はいくつもあるが、その中で一度たりとも勝てたことはない。それは、テイオーも知ってるよな」

 

「それが今の現実なのは、スタートレーナーの言っている通りだ。──しかし!!!」

 

 そのまま壇上から飛び降りた彼女は、俺たちのいる方へとゆっくりと歩いてきながら話を続けてくる。

 

「夢を成せるのは、夢を見た者だけだ! 私は全力で夢を見る、日本のウマ娘が『凱旋門賞』で勝つ夢を!」

 

 彼女がぐっと力強く手を握ったかと思うと、何かを思い出すような表情を浮かべる佐岳さん。

 それは、後悔と悲観。そして、そこにある、確かな憧れへの熱意。

 

「だからこのプロジェクトを立ち上げた! 凱旋門賞に挑戦するものを支えるための『プロジェクトL'Arc』を!」

 

 こうして俺たちの目の前にまで立った彼女は、俺とテイオーに対して手をすっと差し出してくる。

 

「もし、この途方もない夢に私たちと一緒に挑戦してくれるのであれば──是非、この手を取って欲しい」

 

 少しの間の静寂。

 佐岳さんの声が完全に部屋に響ききった後、俺とテイオーはお互いに視線を交わすとこくりとうなずいた。

 

「勿論! ボクたちは夢を叶えるためにここにいるんだから!」

 

「海外への挑戦だと、俺たちではまだ及ばない所があると思います。テイオーの夢を叶えるため、是非力を貸してください」

 

 そう言って俺は差し出された彼女の手を取ると、ぐっと返事をするように握り返す。

 すると佐岳さんはにこりと嬉しそうに笑みを浮かべると、握手を交わした手を放して拳を作った手を胸元に持って来た。

 

「あぁ、よろしく頼むぞ! スタートレーナーに、トウカイテイオー!」

 

 この瞬間、俺とテイオーによる凱旋門賞への挑戦が一歩始まった。

 ゴールは分かっているが、そこまで辿り着くためにはまだまだ未知数な所がある。

 特に「優勝という前例」が無いという点では、手探り状態になってしまう。

 だから、こうして凱旋門賞に特化した協力をしてくれる佐岳さんには頭が上がらない。

 

「それでは軽く、このプロジェクトの概要について説明しよう。……まずは、この機械からだな」

 

 そう言って佐岳さんが指さしたのは、この場所で一番目立っている謎の入れ物とそれに繋がれた機械。

 カフェが培養ポッドみたいと言っていたが外側だけ見れば本当にその通りで、違う点をあげるとするのであれば中にベッドのシーツのようなものが敷き詰められており横になって寝れそうと思えるくらいか。

 

「これはな……VRウマレーターだ」

 

「VR!?」

 

 VRという単語を聞いた瞬間、テイオーが耳をぴんと立てながら食い気味に反応する。

 かくいう俺も少し面白そうという感情が先だって、耳がぴくりと揺れてしまった。

 VirtualReality。略してVR。コンピューターによって作り出される仮想空間を疑似的に体験する仕組みのことで、それを利用したVRゲームなどが特に有名だ。

 最近遊んでいないとはいえ、俺とテイオーはかなりのゲーム好き。

 ヘッドマウントディスプレイと呼ばれる大きなゴーグルを装着し、三百六十度の視界全てをカバーすることでまるでゲームの中にいるような体験をしてみたいと思ってしまうのは許して欲しい。

 だが俺たちの目の前にあるのは、普通のVR器具には見えないのだが……

 

「それもそうだろう。これはトレセン学園とシンボリ家、サトノ家などが共同開発している全く新しいレース用シミュレーターだ」

 

「へ~。この中に入ると、なんかこのガラスみたいな部分に映像とか出されるの?」

 

「レースの映像を仮想空間に再現して、誰かのレース中の視点を見れたりするってことか……?」

 

 レースの追体験という言い方が一番しっくりくるだろうか。

 レース映像というのは基本的に「外側」からの視点しかなく、実際のレース中の光景は走っているウマ娘にしか分からない。

 もしそれが仮想空間として再現出来て、実際に走っているかのように追体験できるのであれば情報アドバンテージは大きいように思える。

 走ったことのない凱旋門賞とかでも、これがあるならかなり有利な立ち回りが本番でも出来そうだ。

 

「いや、違うぞ。スタートレーナー。こいつは、走った体験を『現実』にするんだ」

 

「……え?」

 

 そう考えていたのだが、佐岳さんから返ってきた答えは俺たちが予想だにしていなかったもの。

 VRはあくまで「仮想」だ。それを「現実」にするというのは、想像すらつかない。

 

「これを使えば、仮想空間で走った経験を全て現実に持ってこれる。追体験じゃない。実際に走ったということになるんだ。勿論それは現実の肉体にもフィードバックされる」

 

「それって……実際のトレーニングが、仮想空間内で出来るということですか?」

 

「何それ!? フルダイブ型のVRってもう開発されてたの!?」

 

 フルダイブ型VR。

 それは視覚だけでなく五感全てを仮想空間に接続し、意識ごと全て仮想世界に入りこむ夢のような技術。

 創作の中ではよく使われている単語の一つで、近未来的な作品の中ではよく出てきていたのだが……。

 まさか、そんなものがこの世界では実現していたとでも言うのか。

 こんなの世界の歴史を根っこから全て変えてしまうものが、俺たちの目の前に──

 

「いや、それが全然だ!」

 

「へ?」

 

「完成していた……となれば、良かったのだがな。これはL'arcの課題でもあるなぁ……。だが、これが実現されたら海外に挑戦する時に有利になれる。それは分かるね、スタートレーナー?」

 

 そう言って質問を投げかけてくる佐岳さんに応えるために、俺は話していた衝撃から戻ってきてなんとか頭を思考するモードに切り替える。

 フルダイブなんて本当に出来たら何もかも有利になるが、俺がもし一つ挙げるとするのであれば……そうだな。

 

「……芝の慣れ、でしょうか」

 

「ほう?」

 

「日本の芝と海外の芝は、同じ名前でも全くといっていいほど別物です。凱旋門賞で使われている芝は洋芝と言って、日本でそれが使われているレース場は札幌にもあります。しかし、そもそもの土壌の環境が違うので洋芝と一括りにはできません」

 

「……続けて?」

 

「特にロンシャンは気候の影響も大きく、水はけがかなり悪いです。地盤がかなり緩く、芝は纏わりつきやすい……よく言われるのはあちらの芝は日本と比べて『重い』と」

 

「そうなんだ。ボク、洋芝がある~くらいしか知らなかったや」

 

「だから海外のレースで一番大切なのは芝への『慣れ』だ。だけどこれにも限界があって、どうしても日本では再現性が低い。だけど、もし本当にそのVRウマレーターが現実にもフィードバック出来るフルダイブなら……」

 

「その通り! 好きなタイミング、好きな条件であちらの芝を再現出来る!」

 

 ぱちんと指を鳴らして、それが正解だと佐岳さんが教えてくれる。

 実際、日本のウマ娘は世界のウマ娘に劣っていないのは歴史の中で証明されているのだ。

 それではなぜ、日本のウマ娘が凱旋門賞で一度も勝てないのか。

 それは簡単で「ロンシャン」と「日本のレース場」は環境がまるっきり違っているからに他ならない。

 そのためこのVRを利用して環境への慣らしが出来るのであれば、かなり大きかったのだが……それに関しては仕方ない。

 

「分かっている。だから、こちらでも今できる最大限の環境を用意しよう。具体的には、トレセン学園にロンシャンの洋芝を再現した」

 

「えっ」

 

「それくらいするに決まっているだろう」

 

 さも当たり前みたいなことのように言っているが、その労力がどれほど大変なことかを俺は良く知っている。

 だからこそそれが、どれほど本気でテイオーが凱旋門賞に勝って欲しいと期待が込もっているのかの証明になっていた。

 

「凱旋門賞……ですか」

 

「カフェも気になるか?」

 

「私……というよりはオトモダチが、とても」

 

 そうしていると、カフェがじっとVRウマレーターを見つめながらぽそりと独り言を呟いている。

 訊ねてみると、どうやらオトモダチが興味を持っているらしい。

 オトモダチを追い越すのが目標なのであれば、カフェも凱旋門賞を目指したりする未来もあるのだろうか。

 

「さて! 凱旋門賞へ挑戦するためにはまだまだ課題はあるが……。それは後日また資料をお渡ししよう。今日見せたかったのは、このウマレーターが大きいかな。テストもそのうち出来るかもしれん」

 

「そういえば、なんでこんな僻地に場所を構えているんですか……?」

 

「VRウマレーターのテストの場所確保のためでもあるが……まぁこんな夢のような機械、話題になるとちょっと面倒だからな」

 

「なんか飛びつきそうなウマ娘に心当たりがありますね……」

 

 頭に浮かぶのは例の栗毛のウマ娘。先頭を目指す方なのか、薬を弄る方なのかは審議が必要そうだ。

 そうして俺たちが軽く説明を受け終えると、佐岳さんはぱんと手を叩いて最後にとある話をしてきた。

 

「エルコンドルパサーが昨年、凱旋門賞二着だったのは有名だ。だから、私は信じている。凱旋門賞にも、日本のウマ娘の足は届くのだと」

 

「……昨年はL'arc無かったんですか?」

 

「勿論エルコンドルパサーのサポートは私もした。だが、本格的なプロジェクトとして始動するのは今年が始めてだ。ずっとくすぶり続けていた熱が、また叩き起こされてしまってね」

 

「熱?」

 

「そうだ。私が凱旋門を夢見たきっかけ。全ての始まりは──」

 

 ──シンボリルドルフの、凱旋門賞だよ。

 

~~~~~~~~

「カイチョー! バレンタインのチョコ食べてくれたー!?」

 

「あぁ。美味しく頂いたよ。ありがとうな、テイオー。これはお礼だ」

 

「わーい! ありがとー!」

 

 あれから、場所は変わって生徒会室。

 ルドルフが俺とテイオーを呼んでいたので一緒に訪れてみたところ、ルドルフがバレンタインデーのチョコのお返しをしてくれた。

 本当は当日に渡したかったらしいのだが、忙しくてその日のうちに準備する事が出来なかったらしい。

 俺もルドルフにいつものお礼も込めてチョコを渡してはいたのだが、テイオーと一緒にお返しまでもらってしまった。

 

「でねー、凱旋門賞のプロジェクトが今年始まるんだって。ボクたちそれに参加することになってさ~」

 

 お返しを貰ってからは、テイオーがずっとルドルフに対して話題を提供して話を続けていた。

 ルドルフとしてはもはやいつもの光景なのか。微笑みながらテイオーに対して相槌を打っていたのだがとある単語にだけぴくりと反応した。

 

「凱旋門賞……?」

 

「うん! カイチョーも走ったレース! ボクも生で見たかったけど、流石にフランスは行けなかったんだよね~! あの時のレースかっこよかったなぁ……」

 

 あの当時は本当に何をしていなくても、シンボリルドルフの凱旋門賞の話題が聞こえていたような気がする。

 彼女の走りは、世界に届きかけていた。

 あの頃から、日本が凱旋門賞というレースに憧れを持つようになっていたようにも思える。

 

「恥ずかしいことに、勝てはしなかったのだがな」

 

「何言ってるのさ! 二着だよ! 二着! あの凱旋門賞で! 凄いなんてものじゃないよ!」

 

「む……そこまで褒められると、私も嬉しくなってしまうな。ありがとう、テイオー」

 

 そう。当時最強と言われていたルドルフでさえ、凱旋門賞には勝てなかった。

 とは言ってもあの世界最高峰のレースで、二着だ。

 その偉業は、称えられる功績以外何物でもない。

 俺がそう思いながら出されたお茶を飲んでいると、ルドルフがテイオーに対して質問をしていた。

 

「……次のテイオーのレースは春シニア路線、だったか?」

 

「そうそう! 春シニア三冠取って、カイチョー超えちゃうもんね!」

 

 テイオーは楽しそうに、だが確かな覚悟を持って彼女に対して返事をする。

 俺たちの目標の一つに目の前にいる「シンボリルドルフ」を越す最強になるというのがある以上、彼女は現役でなくとも前を走っている高い壁だ。

 それを越すと宣戦布告をしている以上、俺たちも更に頑張らなくてはいけない。

 

「さて……テイオー、そろそろおいとましようか。お茶とかありがとうな、ルドルフ」

 

「はーい! また明日ね、カイチョー!」

 

 そんな話をしていたら、ここを訪れてからかなりの時間が経過していた。

 これ以上いるのも迷惑かもしれないので、キリのいいところで俺とテイオーは二人で生徒会室を後にするために扉へと向かう。

 テイオーがぱっと外へ出て廊下へ出た瞬間、背後から「スター」と俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

 そうして俺が振り向くと、ルドルフがくいくいと手招きしているのが見える。

 

「先行っててくれ、テイオー」

 

「……分かった」

 

 俺はテイオーに対して目線を渡して先に退出を促すと、出ようとしていた生徒会室の扉を内側から閉める。

 そして呼び止めたルドルフと向き合うと、彼女は苦虫を嚙み潰したような表情でゆっくりと口を開いた。

 

「凱旋門賞は、無理だ。テイオーには、諦めて欲しい」

 

 そうして出てきた言葉は「否定」の一言。

 これから挑戦しようとしている彼女には決して聞かせられない言葉……なのだが。

 普段からテイオーを真摯に応援しているルドルフが、こんなことを言うはずがない。

 確かに実際に発言はしているのだが──当の本人である彼女の顔は青ざめていた。

 

「春シニアでもいいじゃないか。秋シニアだってある。海外のウマ娘と競いたいなら、ジャパンカップなんてどうだ。あそこにはレベルの高いウマ娘が揃うから、テイオーだってきっと満足できて──」

 

 その言葉に浮かんでいたのは、恐怖。そして、悲哀。

 その姿はまるで俺には全く見えていない「ナニカ」に怯えて、テイオーを凱旋門賞から引き離そうとしている様子だった。

 生徒会長でもない。皇帝でもない。

 そこにいたのは、本当に小さなシンボリルドルフで。

 

「……」

 

 俺はなんて声をかけたらいいか、咄嗟には分からなかった。

 彼女はテイオーを否定したくて、このような話をしているわけじゃないだろう。

 テイオーを、応援はしたい。だがそこには言えない「ナニカ」があって、挑んで欲しくない。

 そんな葛藤の中にあるルドルフに対し、俺は自分の意志を交えて言葉を返す。

 

「……やめないぞ。俺の夢は、テイオーの夢だからな。ルドルフに止められても、凱旋門賞に挑むのはやめない」

 

「そう……か」

 

「だから、せめて見守っててくれ。テイオーだって、ルドルフに見て欲しい気持ちは確かにあるだろうからさ」

 

 まだ言えない「ナニカ」がそこにあるのなら、俺は深くは追求しない。

 だがもし機会があるのなら、いつか話して欲しいと思いつつ俺は生徒会室を後にする。

 そうして最後に見えたシンボリルドルフの顔は、夕日に遮られて不確かだったが。

 それはまるで──抜け殻のように見えた。




昨年の夏コミの作品を外伝として出させて頂きました。

一章 https://syosetu.org/novel/268791/54.html
二章 https://syosetu.org/novel/268791/55.html
三章 https://syosetu.org/novel/268791/56.html
四章 https://syosetu.org/novel/268791/57.html
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