政長伝   作:羽柴播磨

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太閤死去

内府陣営と反内府陣営による権力争いが密かに行われようとしていた頃、太閤 豊臣秀藤にその時がやって来た。

昨年頃から医者に言われていた太閤の余命、名医でも治すことのできない程進行していた。今夜が山場と言われた秀藤は大阪の大名屋敷全てに急使を走らせた。

急使を走らせてから30分程たっただろうか。続々と大阪城へ大名らが登城してきた。

そこには、太閤殿下お気に入りの

岐阜国北部高山 福嶋則正

熊本国北部熊本 加藤清望

豊下一門の

福岡国東部福津 小早川秀冬

岡山国岡山   沖田秀家

など様々な大名が深夜にも関わらず太閤の元へ駆けつけた。

しかし、太閤に面会できるのはその中でも僅かであり

五奉行筆頭 石田三秀

五大老筆頭 松平家吉

五大老   前田利秀

四老中筆頭 穴山政長

の四名のみである。

その四名に見届けられながら太閤 秀藤は

「わしは死なんぞ.....。やらねばならんことが.....」

と所々聞き取れないような小さな声で

「頼藤が.....。心配じゃ.....」

とかすかな声で言った。すると、内府が

「太閤殿下!!幼君様は我らにお任せくだされ」

と言うと秀藤は少し内府のことを睨むとそのまま目を閉じた。

秀藤が死ぬと利秀と家吉は号泣するが三秀と政長は泣くことなく部屋を退出した。

二人は途中で別れ、少しすると三秀に駆け寄ってくる三人がいた。

やって来たのは藤堂秀虎、加藤清望、福嶋則正だった。

「太閤殿下はどうなったんだ!!」

と則正が叫ぶが三秀はしずかに首を振ると則正は崩れ落ちて泣き出した。三秀は涙を流していないことに気づいた秀虎は

「貴様!!何故泣かんのだ」

と怒るが三秀は

「私にはやらねばならんことがある」

とそっけなく言った。それを聞いた清望が

「あの大納言殿でさえ泣いておるのだぞ!!」

と叫ぶ。が、三秀は聞こえなかったかのように歩き始めた。

夜の廊下には内府と利秀の泣き声が響いていた。

三秀は三人を無視するかのように廊下を歩き出す。則正は号泣し、秀虎と清望は三秀を睨む。

一方、政長のところには嶋津義公、黒田藤政の二人が訪れた。

「民部殿、太閤殿下が亡くなられたそうだな」

義公にそう聞かれた政長は

「そうだ」

と一言だけ言った。そして、義公と藤政は今後を案じた。

「内府はどうするつもりだ」

藤政の言ったことに政長は

「内府は必ず我らを従えようとする。幼君様の後見人の権力を使ってな」

と言った。義公は

「ならどうする」

と二人に聞くと

「亡き者にするか?」

藤政は提案した。藤政の単純な提案に義公は

「お主の父ならばそのようなことは考えん」

と藤政の父 黒田孝政(如林)との頭の違いを言い、

「某もまだまだのようで」

と藤政は己の未熟を改めて感じた。

「内府を殺すことも大老の座から落とすことも我らにはできん」

政長は自分達の持つ権力では内府を落とすことはできないと分かっていた。

「そう、我らが協力せねばな」

義公が付け足し、三人は計画を練ることとした。

「しかし、誰を誘うのです?」

藤政が二人に質問すると

「老中は某がやろう。他の奉行は.....治部少輔がやるだろう」

と政長は不安そうに言う。

「それほどあの小僧が心配か」

義公は政長の心配を見抜いていた。

「あいつは他大名は豊臣に加担するものだと思っている。内府には味方せんとな」

と言った。

「確かに。あやつならばあり得よう」

政長が言ったことは戦国の世を生き抜いた義公には理解できた。

藤政は少し疑問を抱えながらも次へと進めた。

「九州の大名はできるだけ味方に引き入れたいですな」

「背後の憂いをなくす為か」

と言う。

政長は

「確かにな。お主らがいるからと油断はできん。鍋嶋がな」

と鍋嶋が油断できぬことを二人へ伝える。

「うむ。それに四国も心配だ。長宗我部が分からんからな」

と義公は九州だけでなく、四国にも内府へ付くかもしれぬ大名がいることを伝えた。政長は

「長宗我部は内府へ付くかもな。あの時も内府とは協力していたからな」

と小牧・長久手での戦いを思いだし警戒せねばならないことを考えた。

「某は毛利が心配です」

と藤政は言った。そこに

「吉川か.....。あやつは確かに信用できん」

と義公が詳しく言った。吉川とは毛利照就の代に照就の息子である元冬が養子としてはいり、支配した家である。

照就の息子達は父亡き後は隆照、元照と二代を支えた者達である。

吉川ともう一つの小早川は両川体制といい二家で毛利を支える体制を築き、繁栄した。その吉川が彼らにとっては毛利の不安要素となっていた。

「そうだ。毛利の当主が昨年亡くなり若年の嫡子が継いだ。だが、舵取りは家老の吉川博忠と安国寺恵雪がとっておる。安国寺は我らに加担するが吉川は分からん」

と政長は毛利が不安定であること、家老の安国寺恵雪は味方するであろうことを加えて吉川について話すことにした。

「吉川は内通するだろう。毛利存続の為に」

と政長は吉川は内府へ加担するであろうこと。理由は毛利存続の為だと言った。すると喜弘が

「間違ってはおらんが、内府が密約を守るとは思えん」

と吉川は間違ってはいないが内府を信用しすぎだと感じた。

政長は

「毛利を潰し、吉川を残すだろうな」

と言い、内府がするであろうことを想像した。

「吉川.....。元冬殿ならば我らに味方しただろうか」

藤政は亡き元冬のことを考えていた。藤政は何度か大阪で元冬と会ったことがあるからだ。

「したな。元冬は毛利第一だ。毛利が味方するなら吉川もしただろう」

と義公は元冬なら裏切らなかっただろうと言い、悔やんだ。

「あの頃の毛利は強かった。小早川元景と吉川元冬による両川体制が」

政長は亡くなった小早川元景と吉川元冬がいた頃を思い、あの頃の毛利が今あればと何度も思った。

「元景殿も一昨年亡くなった」

「毛利の英傑は一昨年消えた。毛利の地位もその時に落ちた」

義公は毛利の地位が危ういことを密かに感じていた。

「毛利が五大老にいれるのは太閤殿下がその力を信じたからだ」

「その力も、たった一人により無くなろうとしておる」

と吉川博忠による毛利崩壊を危惧していた。

「元景殿、元冬殿がおれば内府は動けんかった」

「残るは大納言殿か......」

「そう。大納言殿だけだ。そこまで我らは時に追い詰められた」

政長は改めて自分達が時間に追い詰められていることを見に感じた。

「某は期待せぬことだな。遠すぎる」

義公が言うように嶋津は鹿児島である。大阪からは遠すぎた。

「それに、嶋津とて一枚岩ではないのだ」

と嶋津が一枚岩でないことを伝える。

「兄か」

政長は即座に答え、

「そうだ。兄者がなかなか認めん」

「嶋津存亡を賭けるようなものだ。仕方ない」

と政長は仕方ないと片付けた。義公としてはその対応に感謝するが政長のそういうところが今後、何かを招くのではと思ってしまった。

義公は

「すまぬ。某も説得の書状を送っておるのだが」

と申し訳ない顔をするが

「無理強いはせん。まだ時間はある」

と政長は言った。

「それなら藤政殿も一枚岩ではないそうで」

と政長は藤政へ言い始めた。

「そうなのです。父上は大丈夫なのですが家臣が......」

と黒田家の問題を聞くと

「父の権力を使えんのか」

と聞いたが、

「父上は自分でどうにかしろと。お主の今後の為だと.....」

と藤政は首を振った。すると、

「まぁ、如林殿の気持ちは分かる。某も息子を持つ故な」

と如林の悩みに共感した。

「毛利の力、なんとか保たねばな」

と政永は毛利を引き入れることが勝利の道へ近づくと確信し、考えることにした。

 

━毛利領・広島国 広島城━━━━━━━━━━━━━━━

「内府へ味方すべきだな」

博忠は内府の勝利だと感じた。主君 毛利元照を内府へ加担させれば勝利はより近づくことになる。すれば毛利しかり吉川の加増は確実だ。しかし、博忠には毛利を内府へ加担させるには問題がある。

同じ毛利二家老の一人、安国寺恵雪である。

広島国安国寺の大名であり、毛利の最盛期を築いた毛利照就の代に仕官した下級僧だが実力一つでのし上がってきた。

彼が得意とするのは頭脳である。照就が亡くなり先代の隆照が当主となると武の吉川元冬、智の小早川元景・安国寺恵雪と名が挙がる程であった。対して、博忠は元冬の嫡子であるだけで現在の地位にいる。実力と父の名誉、同じ権力を持つ二人だが当主が置く信頼は安国寺が大きい。博忠は父が遺した地位と僅かな人脈で毛利を内府側へ傾かせねばならなかった。

「まずは家中を分けるべきだな。内府へ反発する者はその期に粛清するとしよう」

だが、この選択が博忠を追い詰めるとはまだ知らなかった。


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