やはり俺がめぐり先輩と同棲するのは間違っている 作:タン塩レモンティー
浴衣姿の二人は窓辺に置かれたソファーに並んで腰かけて、遠く広がる海をうっとりと眺めていた。
「本当に綺麗だね」
「めぐりさんの方が綺麗だよ」
「ふふっ、お世辞?」
「お世辞じゃないよ。本気で言ってる」
「俺はめぐりさんさえ居てくれたら、それだけで充分」
八幡さんに頭をそっと撫でられた。その時、電話が鳴った。
「おっ、出来たのかな?」
八幡さんが出て、一言二言、返事をして受話器を置いた。
「さあ、めぐりさんが酔うところ見てみたいな」
「もう! 私、お酒飲めないよ」
「失礼いたします。お夕食をお持ちいたしました」
仲居さんが夕食を運びに来てくれた。次々とテーブルに配膳されていく。お刺身や天ぷら、煮物、お肉や野菜の入った一人鍋などの懐石料理が置かれる。どれも美味しそうだ。ガイドブックやネットでの情報だと、地元の魚介類や野菜などをふんだんに使っているみたい。
「おっ、美味そう。めぐりさん、すごいご馳走だよ」
八幡さんも顔が綻んでいるみたい。良かった。
「お飲み物は、いかがいたしましょうか?」
仲居さんが尋ねる。
「そうだな。ビールを二本と、あとワイン。めぐりさん、何にする?」
「じゃあ、ウーロン茶がいいな」
「じゃあ、ウーロン茶もお願いします」
「かしこまりました。すぐ、お持ち致します」
そう言うと仲居さんは出て行った。
「本当、美味しそう。魚と牛肉が美味しい所なのね」
「みたいだな」
「失礼致します」
仲居さんは、すぐに戻って来てビールとワインとウーロン茶を置いていく。
「追加のご注文がございましたら、そちらの電話でお願い致します。受話器を上げると通じますので。それでは、ごゆっくり」
仲居さんは正座をしてから部屋の扉を閉めた。
「さあ、めぐりさん、コップに注ぐよ」
「八幡さんはビール? はい。お酌」
二人で乾杯した。グラスの音が響き渡る。
「あぁ、美味い」
「うん。そうだね」
「さぁ、食べよう」
お魚もお肉も、野菜の炊き合わせから、山菜の天ぷら、小さなお鍋まで。美味しいお料理と珍しいお料理で気持ちも盛り上がる。
目の前には様々な料理が置かれている。なので、どれから食べようか迷う。
「お、この刺身美味しいな!」
八幡さんのそんな声が聞こえてきた。彼の方を見ると、マグロや鯛のお刺身を美味しそうに食べている。……私も刺身から食べようかな。
私はわさび醤油をつけたマグロの刺身を一切れ食べる。
「……本当、マグロの刺身美味しい! 鯛のお刺身も美味しい」
彼の一言で、お魚の旨みが口の中に広がった気がする。
「ホント、このワインともよく合うよ~」
私は上機嫌な声色でそう言うと、ワインを一口呑む。不思議なことに温かい気分になっていた。そして八幡さんにたしなめられた。なんで?
でも、辛うじてもちそうだ。彼はがっつり食べながらビールを二本飲んだからか、かなりご機嫌になっていたようだ。
「八幡さん、食べたねぇ」
「そうだな。お腹もいっぱいになったし」
「うん。たまには自分で作らない料理もいいね」
私が座って足を延ばしていると……、彼は和室の真ん中にあったテーブルをどけてから、押し入れにある布団を持ち出して、二組、並べて敷いた。
「手伝おうか?」
「大丈夫だよ」
私を掌で制止すると、椅子に向かって目配せしたので、それに甘えさせてもらうことにした。
「畳の上に布団を敷いて寝るなんて久しぶりだな」
八幡さんは嬉しそうに布団に潜り込んだ。
「あぁ、気持ちいい」
そのまま声が聞こえなくなった。
八幡さん、寝ちゃったの? いつもの寝顔と変わらない。可愛いって言ったら、何て返すのかな?
食事も美味しかった。一人で窓辺のソファーに座る。
外はもうすっかり暗くなっている。人工的な照明があまりない海岸沿いは吸い込まれそうなグラデーションが空まで続いていて、昼間とはまた違った雄大さを見せてくれる。
来て良かった。こんなに、のんびりした気分は久しぶりかもしれない。
「めぐりさん、こっちへおいで」
「起きてたの?」
「少しだけ眠ったよ」
私は彼の傍まで行って、隣の布団の掛け布団をめくり、そこに座った。
「そこじゃないよ。こっち」
八幡さんは掛け布団をあげると、浴衣姿で八幡さんの言われるままに、お布団に入った。
「なんか、時代劇の悪代官の気分だな」
「何それ?」
「よくあるだろう? 美しい人妻とか、お嬢様とかが、帯を解いて、あーれーぇーって……」
「そういう願望があるの? もう!」
彼に背中を向けた。ちょっと信じられない。
「いや、あれは男の夢だな」
「だから、いやらしいの」
「現実には有り得ないから夢なんだろ」
「分かりません。好きでもない男性に無理矢理なんて嫌だなぁ」
「めぐりさん、冗談だから。元はと言えばめぐりさんの浴衣姿が色っぽいからだよ」
そんな言い訳したって駄目だからね。
「めぐりさん、こっち向いて」
「もう、八幡さんなんか嫌い」
「俺は好きだけど? 愛してるよ」
冗談だってことくらい分かってるけど……。八幡さんの方を向くのは、癪だから上を向いた。彼の大きな骨太のあったかい手が私の頬に触れる。
「俺が愛してるのはめぐりさんだけだ」
「どんなに綺麗な人が八幡さんの前に現れても? ずっと若くて可愛くて性格も良くて……」
「めぐりさんの方が綺麗だ」
そっと手を伸ばして八幡さんの頬に触れた。その手に八幡さんのあったかい手が重ねられて、手を掴まれて、指が絡まって、八幡さんが私の手にキスした。
「高校時代、君の周りには美人だったり、可愛らしい女性がいっぱいいたじゃない。きっとその後だって……」
「そりゃ昔の話だろ」
八幡さんを握る手のひらに力が入る。
「はるさんから聞いたけれど、雪ノ下さんと由比ヶ浜さんとは今でも会っているんでしょ」
「ああ。けど、あいつら人妻だぞ。それに、俺が一番めぐりさんのことは知ってるだろう」
「ごめんね。八幡さん……」
「分かれば、別にいい……」
そして八幡さんの唇は私の手を離れて、私の唇に降りてきた。
八幡さんのキスで体中が甘く痺れ出して、私が私でなくなる。浴衣越しに身体のあちこちに彼の唇と舌のくすぐったい感触が……。
頭の中が真っ白になって私は意識を手放した。
目覚めた時、八幡さんの腕の中。心配そうな八幡さんの顔。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃなくしたの、八幡さんでしょう?」
「浴衣のめぐりさんが堪らなくて、色っぽさに負けたよ」
「色気なんてないよ、私。いつも年下に見られるし」
「そんなことない。肌のキメが細かくて滑らかな白い肌は、いつまでも触っていたい」
「……馬鹿。恥ずかしいこと言わないで」
火照ってしまっているこの身体を冷ましたいと思ったが、いっそ熱くなれって思い、提案する。
確か、親から教えて貰った、アトランタかシドニーの時のオリンピックテーマソングを思い出しながら。
「ねぇ、八幡さん、お風呂入りたい」
「大丈夫か? 今、入って」
「八幡さんが居るから大丈夫」
「じゃあ、露天風呂に入るか?」
「うん」
愛し合った後なので、二人とも何も身に着けていない。そのまま八幡さんはタオルだけ持って、私はバスタオルを巻いた姿で露天風呂に入った。もちろん入る前にバスタオルは外して。
ここの温泉は新しいお湯が途切れることなく流れて来て気持ちいい。温度も少し低目で、いつまででも入って居られそうなくらい。
「めぐりさん、ここへおいで」
彼に促され、横向きに八幡さんの膝の上に座る。でも、お湯から胸が出てしまう。タオルで隠していたら、彼の両腕がウエストに回って肩にキスされた。
「隠さなくても誰にも見えない」
二人で、お湯に浸かりながら蕩けるような感覚になる。八幡さんが呼んだ。
「うん? なに?」
八幡さんの顔を見た。これ以上ないくらい優しい顔の彼。
「俺たち、ずっと一緒に居よう」
「ずっと?」
夜の露天風呂で柔らかい灯りに包まれて二人きり。星が流れる音も聞こえてきそうなほどの静寂。
「爺さんと婆さんになっても、ずっと」
「八幡さんのお爺さんって想像付かないよ」
「めぐりさんのお婆さんの方が想像出来ないけど」
耳元に聞こえるのは、酸いも甘いも積み重ねて来たような深みのある声。目に映ったのは、醸造されたような穏やかな笑み。
「俺は爺さんになってもパワフルで居たいな。ちゃんと抱いてあげられるように」
「ふふっ、お婆ちゃんになっても抱いてくれるの?」
「当たり前だ」
「皺だらけの体でも?」
「俺と一緒に生きた証なんだから、皺だって愛おしいと思うよ。それに俺だって皺だらけだろう。きっと」
そう言って彼は笑っていた。
「八幡さんは、ずっと私だけを愛してくれる? 絶対に浮気はしない?」
「こんないい女がいつも傍に居るのに?」
「八幡さん。もしも私と別れたくなったらいつでも言って。ちゃんと別れてあげるから」
「結婚する前から別れる話か? じゃあ、もしめぐりさんが俺を嫌いになることがあったら、その時はちゃんと言って欲しい」
「うん。今は八幡さんが大好きだよ。でも、これから先の方が長いもの」
「何があっても我慢したりしないで、ちゃんと話し合おう。二人で生きるって、そういうことだと思う」
八幡さんに真面目な顔で見つめられた。彼があまりにも真剣な顔をするから、なんだかすごく恥ずかしくて、熱い視線から逃れたくて、両腕を彼の首に巻きつけて抱きついた。
「八幡さんが好き。ずっと私にそう思わせてね」
「嫌だって言っても離さないよ」
八幡さんの手に肩をそっと掴まれて、抱きついていた腕が少し離れて、また彼に見つめられた。
「出ようか?」
のぼせそうな様子でそう言うと、あっという間に抱き上げられ、露天風呂の縁に座らされた。正確には露天風呂の縁に座っている八幡さんの膝の上に。
「肌、前以上にスベスベだな」
「そう?」
「あぁ、めぐりさんより俺の方が詳しいんだよ」
「どうして?」
「背中は自分では見えないだろ」
「そうだね。私より八幡さんの方が知ってるんだ」
「ああ。もっと色々とね」
「……なんかいやらしい」
「いやらしくなんかないよ。正直にめぐりさんは綺麗だって言ってるんだから」
彼に優しく語りかけられながら見つめられると、思わず目を逸らしてしまう。
「じゃあ、私がどれだけ八幡さんのこと愛してるか分かる?」
「えっ? そうだな……。でも俺がめぐりさんを愛してる気持ちの方が大きいと思うよ」
「そうかもしれない。……私ね、多分、こんなに愛されたことなかったと思う。八幡さんに愛されてるって、すごく感じるもの」
彼は私の肩を抱きながらお風呂を後にする。少し冷えた身体を温めるように。
部屋に戻ってからも彼に抱きしめられて、幸せな気持ちで眠りにつく。彼の精一杯の笑顔がとても頼もしくて眩しかった。
いかがだったでしょうか。