午前七時。スバル達受験生を乗せた飛行船は高い高い塔のてっぺんで受験生を吐き出した。
障害のない高所は、吹き付ける風も厳しく冷たい。日は既に昇っていて、直接刺さる日差しが痛いほどで、空を仰ぎながらスバルは目を細めた。
飛行船は飛び去っていきながらこう告げる。
「制限時間は72時間、クリア条件は生きて下まで降りてくることただそれだけです! それではスタート! 頑張って下さいね!」
そろそろこの試験が告げる『生きて』ほハードルが決して低くないとわかってきた。一次試験のマラソン、二次試験の豚、崖で多くの受験生が実際に死傷しているからだ。この現状にもいい加減慣れてきてしまい、ビビることもなくなっている。そんな自分が怖いスバルがいた。
「側面は窓ひとつないただの壁か。ここから降りるのは自殺行為だな」
下を覗き込むと、森の木々がミニチュアほどの大きさになって見える。よく目をこらしてみると、さわさわと揺れているのがわかった。落ちれば、どんな人間だってひとたまりもあるまい。
壁を伝えないということは、すなわち別のところに下へ降りるための通用口があるはずである。スバルは適当にうろついてみる。
数分歩いていると、正面から見知った二人がのそのそと歩いてきた。クラピカとレオリオだ。
「よぉ、調子はどうだ?」
片手をあげて調子の良いことを言ってくるレオリオ。
歩み寄りながら、スバルは肩をすくめた。
「残念ながらまったくだ。草木一つ見つけられてねぇよ。まったく、このままだと死ぬの覚悟で壁を降りることになっちまう」
「俺達も、下に行くための通用口みたいなものは見つけられてない。時間はたっぷりあるが、あまりここで足踏みしたくないんだが……」
「その通りだ。三次試験はおそらく下への道をみつける事でスタートラインだろうと思われるからな。それより二人とも、気づかないか?」
「どうした? うんこでも行きたいのか?」
「そんなわけないだろう! 品がないな君は! そうではなく、見ろ。明らかに人数が減っているだろ?」
言われてみて、頭数を数えてみる。一、二、三――
「二十二,二十三!? おい、二十三人しかいないぜ!」
「半数近くが既に頂上から脱出したことになるな」
気がつかない間に半分近くに先を越されたことを知ってレオリオが悔しそうに歯がみする。
「この人数の中、消えた全員がこっそりと同じルートを使って降りたとは考えづらい。きっといくつも隠し扉があるんだ」
「隠し扉、ねぇ……」
そんなもの、スバルは転移前忍者屋敷でしかお目にかかっていない。少し怪しいが、信じるしかあるまい。
スバルはこの時、隠し扉を探す事よりも実はハゲ頭の忍者、ハンゾーを探す事により注力していた。
あの飛行船の中で、とうとうスバルはハンゾーもメンチも見つけられなかった。一晩中探したのにである。だから今スバルは寝不足で、半分ぼんやりしてしまっている。
「三人とも! おーい!」
ふと、後ろを振り返るとゴンが大きく手を振っていた。
駆け寄ると、地面を指さして。
「そこで隠し扉を見つけたよ」
「「「なっ!」」」
「でかしたぞゴン!! 早く行こうぜ!!」
レオリオがそうゴンを急かすが、彼の顔は浮かない。
「どうしたんだよ。迷うこたぁねぇだろ?」
「いや、それがね。俺どれにしようか参っちゃってさ……」
不思議なことを言うもんだと顔を見合わせるとゴンはきょとんとした顔で、
「どれにしようかと思ってさ」
ゴンに連れられてやってきたのは、やっぱり殺風景な平面の頂上だった。
「こことここ、あとこっちにも三つ」
ゴンが示した場所を調べてみると、なるほど、確かに通常の足場と違って押してみると下に回転するようだった。
「五つの隠し扉。こんな近くに密集してるのがいかにもうさん臭いぜ」
「おそらくこのうちのいくつかは罠……」
「だろうな。RPGの基本のきだぜ。俺のトラップセンサーもビンビンアンテナバリバリよ」
「スバル何言ってんだ?」
ゴンは構わず続ける。
「しかもこの扉、どうやら一回きりしか開かない仕組みらしいんだ」
どういうことかと聞いてみると、つまりこういうことらしい。
別の場所で偶然誰かが扉を降りるところを見た二人。降りた場所に駆け寄ってそこから降りられないか試したらしいが、下からロックされたようでもうビクともしなかったという。
「つまり、扉は一人に一つずつ。みんなバラバラの道を行かなきゃいけないってこと」
ゴクリと唾を飲み込む。なんだかんだ、これまでスバルはずっと四人と一緒に試験に挑んできた。自分一人では到底突破できないような場面を誰かの手を借りることでなんとか切り抜けてきたのだ。
だが、ここでもし離ればなれになってしまえば試験をクリアできなくなるどころか、下手をすれば命を落としてしまうことだって考えられる。
「確かにこの幅じゃ、一回につき一人がくぐるので精いっぱいだな」
床を押してレオリオが確認。クラピカと二人はもうすでに覚悟を決めているらしい。
「ゴンと俺はこの中の一つをそれぞれ選ぶことに決めた」
「罠にかかっても恨みっこなしってね。三人はどうする?」
スバルは断固拒否したかったが、それ以外に方法はないし、顔を見合わせてみると、クラピカも、レオリオも、当然といった顔をしている。
「いいだろ!! 運も実力のうちってな」
「誰が最初に選ぶ?」
「――」
周りに流されやすいのはスバルの美点であり欠点で、今回は悪い方向に働いてしまった。
じゃんけんで順番を決め、道を選ぶ。スバルは最後に選んだ。
「決まったな。一・二の三で全員行こうぜ。ここでいったんお別れだ」
「地上でまた会おう」
待って――、
止める間もなく掛け声がかかる。一、二の、三。ぴょん、ぴょん、ぴょん。
つられて飛び上がって、着地とともに足元が抜け、下へ。
途方もない浮遊感、時間にしてわずか一秒にも満たない間が、妙に長く思えて、地面が。
「いてっ!」
背中から激突、痛みは軽く、パッと視界が明るんだ。
そこにはゴン、キルア、クラピカ、レオリオがいて、つまり、ずいぶんと早い再開を果たした。
「……くそ~~~~。五つの扉のどこを選んでも同じ部屋に降りるようになってやがったのかよ」
ボヤキが聞こえるが、スバルとしては安堵しかなかった。
周囲をぐるりと見まわして、気が付く。長方形の石造りの壁で囲まれた湿気た部屋。モニタと、ザラザラの台が据え置かれていて、それだけ。
「この部屋、出口がない」
言葉に呼応して、部屋の奥の壁につけてあるモニタがブウンと音を鳴らす。
『多数決の部屋 君たち五人は、ここからゴールまでの道のりを多数決で乗り越えなければならない』
モニタ前の台には丸とバツのボタンがつき、時間が表示された腕時計型タイマーが五つならんでいる。
「ご丁寧にタイマーまで」
「……もしかして、ここに五人で降りてこなければ。我々はずっとここから出られなかったのではないか?」
クラピカが気づいたことは、大変な事実だった。強制参加させられたゲームが、参加人数を満たしていないために延々と足止めをくらい、最悪クリアできない可能性すらあるなど、発売停止もののバグだ。
『その通り』
クラピカのおぞましい想定を肯定したのは壁に見えにくいようにつけられたスピーカーからの声だった。
『このタワーには幾通りものルートが用意されており、それぞれクリア条件が異なるのだ。そこは多数決の道、たった一人のわがままは決して通らない! 互いの協力が絶対必要条件となる難コースである。それでは、諸君らの健闘を祈る!』
一方的にそう告げてアナウンスはぷっつりと動かなくなった。
「……だがま、俺たちは五人揃ってんだ。さっさと先に進んじまおうぜ」
レオリオの勤めて明るい声が、空気を弛緩させる。それぞれがめいめいにタイマーを腕につけると、物々しい音を立てながら壁の一部にドアが現れた。タイマーをはめると先への道が開ける仕組みのようだ。
ドアにはこんなことが書かれていた。
『このドアを 〇→開ける ×→開けない』
「……なんだこりゃ。もうここから多数決かよ。こんなもん、答えは決まってんのにな」
呆れながらボタンを押す。
ドアはすぐに開かれた。だが、
「おいおいおい、どうなってんだ。なんでバツが一人混じってるんだよ」
その結果は〇が四つに対して×が一つあった。さっそく多数決がなされたわけだが、レオリオが気に食わないのは初めから足並みがそろっていないことだ。
バツを押してしまったのは、スバルだった。震える指で手元が狂ってしまったのだ。
「悪い。オレが間違えて押しちまった」
簡潔に謝意を示すが、ギロリと動くレオリオの視線が痛い。
「こういうのは初めが肝心何だ。しっかししてくれよ……ったく」
「本当に悪いと思ってるよ。あんまカッカすんな」
舌打ちで返事。こういう決め事があまり得意ではないらしい。
少し険悪なムードのまま先へ進むと、今度は二つに分かれた道が現れた。
『どっちに行く? 〇→右 ×→左』
こう何度も何度も選択肢が現れては、先へ行くのに時間がかかって仕方がない。それが五人に小さなストレスとなって降りかかっていた。
結果はすぐに出る。〇が三つ、×が二つ。
多数決により右の扉が開いたが、レオリオはまたしても不服そうだ。
「なんでだよ! フツーこういう時は左だろ? つーか、俺はこんな場合左じゃねーと落ち着かねーんだよ」
たった一人のわがままは通らない。通らない意見は、大きなストレスとなる。
今だって、目に見えてレオリオは苛立っていた。
「確かに行動学の見地からも、人は迷ったり、未知の道を選ぶときには、無意識に左を選択するケースが多いらしい」
キルアが俺も聞いたことがあると付け加えた。
「ちょっと待て! それだと計算があわねーぞ。お前ら、一体どっちだよ」
答えは、二人とも右。
「左を選びやすいからこそ右なんだ。試験官が左の法則を知っていたのなら、左の道により過酷な課題を設ける可能性が高いからな」
スバルは特になにも考えずに右を選んだが、クラピカのもっともそうな理屈に、自分もさもそう考えていた風を装うことに決めた。レオリオのヘイトを一人で背負うことはしたくない。
右の道を進んでいくと、行き止まりに突き当たった。
正確には行き止まりというより、まだ道がないとした方が正しい。目の前には道から切り離され周囲を深い闇で覆われた四角い舞台、それを挟んで向かい側に五人のフードの人間がいる。
三次試験の難関が、幕を開けた。
次回は13日水曜に更新したいな