「――十分注意して着いてきて下さい。騙されると死にますよ」
「は――?」
試験官の恐ろしい注意文句に、スバルは思わず間の抜けた反応を出してしまう。
地下道の出口だったそこは少し疲れ顔の受験生で埋まっており、その視線の先に広がる湿原には野生の凶暴生物の気配が辺り一面に漂っている。
ヌメーレ湿原、詐欺師たちのねぐら。あの忠告を聞くのも、もう何度目だろうか。
「どうしたスバル」
隣に立つ端正な顔の民族衣装の少年が聞いてくる。
彼がスバルより遙かに冷静で、観察力に長け、実力もあることを、実体験から知っている。
「……まぁ、無理もない。ここからは気を引き締めて走らなければ、ここの獣たちに喰われて死ぬだけだからな」
彼、クラピカの言うことも、もう耳タコと言って良いと思う。
「なんだ? 私の顔に何か付いていたか?」
いや、でも、だとするならば、しかし――、
「気を抜くなよ。少し嫌な予感がするからな」
少しどころではなく、ひしひしと嫌な予感を既に感じている。
自分の手を見て、腹を見て、そこに傷どころか何の後もないことを確認。左右には、もう何度殺されたのだろう男の姿も見つけて。
「もう、わっけわかんねぇ……」
それだけ呟くと頭のてっぺんから血が抜けていった気がして、ふらりと足下から後ろへと勢いよく倒れ込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おい、しっかりしろ! まだ始まったばかりだぞ!」
クラピカが力の抜けたスバルの体をしっかり受け止めてくれたため、間一髪頭部を地面に強打する未来は免れた。
だが、一方で混乱する頭は未だ回転を続け、状況の把握に追いついていない。
今度こそ、スバルは死んだはずだった。
妙な因縁をつけてきたヒソカの攻撃に翻弄され、良いようにやられて、切り刻まれて。
傷跡を確認しようとお腹を触る手が、何も触れていないのに、かすかに震えだし、それはやがて大きな悪寒となってスバルの全身を締め付ける。
この光景は実に覚えがあった。初めて予知夢を見たと確信した、あの瞬間の状況だ。
予知夢を見て行動したという、予知夢?
馬鹿馬鹿しい。そんな複雑な事があり得るわけがない。だが、そうすると傷が塞がっている理由や、殺されたはずの人間が存在している理由がわからない。
やはり、回復魔法の類いで何者か――この場合、もっとも高い可能性としてハンター試験の実行委員会が、スバルや他の受験者を助けたというのだろうか。
とすると、今度はクラピカや、ゴン達がいるのが解せない。
まっすぐ前を見て息を呑むゴンと、その隣で欠伸をかみ殺すキルア。二人はスバル達よりもずっと先を走っていた。クラピカやレオリオはスバルと同じようにヒソカにやられたため、ここに戻っていると無理矢理考えてみても、ゴン達までいるのは……。
いや、だとすればもっともおかしいのはヒソカがこの場にいることだ。ヒソカ自身は、自害でもしない限りここにいることに説明が付かない。
「とすれば、回復魔法というのは……、ありえねぇ」
だが、それならばこの現象は一体どう説明がつくのだろうか。
いや、スバルの頭には一つの考えが浮かんでいた。回復魔法でない可能性。
いつもスバルの気を失う前の記憶は自分の死で終わっている。そして、気がつけば同じ場所で目覚めて。
「つまりこれは、アレかもしれないな。信じがたいけど……」
自分の中で結論づけようとした時、サトツが口を開く。
「あの、それでは行きますよ」
一旦停止からの再始動の合図。
瞬間、すかさずスバルは手を上げる。
「俺! リタイアします!」
それは咄嗟の言葉ではあったけれど、スバルの中で決めていたことだった。
走り出せば、嫌でもヒソカに捕まって殺されてしまう。ならば、ここでリタイアして委員会の救助を待った方が賢明だと考えたのだ。
もとよりスバルにはハンター試験に挑む強い動機などない。
たまたま機会が与えられて、たまたまここまで進めただけ。死んでしまうくらいならば、リタイアして命を取る方が何倍も賢い。
クラピカもレオリオも、少し驚いた顔をしたものの、なにかを察したのかなにも言わなかった。
「……それでは、この先に進みたい方だけ付いてきて下さい」
サトツは素っ気なくそれだけ言うと、さっさと走り去ってしまった。
集団の背中を見送って、一息つく。
ハンター試験を断念したことを少しだけ残念に思う自分がいることに、驚く。思い入れなどなかったはずだが、それなりに頑張ったことだからか、不思議な感覚だった。
ぼんやりと景色を眺めながら、委員会がやってくるのを待つ。日は高く昇り、湿原の湿気によってほんの少し空に虹が架かった気がして、少し探していると背後に人の気配が。
「おおっと、ようやく委員会の人のお出ましか? いやぁ、待ちくたびれま――」
「やぁ♡ 元気かい?」
そこに立って笑っていたのは、スバルがいま最も出会いたくない人物だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「君のこと探してたんだ♢ 見つけやすい所にいてくれてよかったよ♡」
ヒソカ。これまで二回もスバルを無残に殺した殺人鬼。
彼が手のひらで弄ぶトランプに、条件反射で身構えてしまう。
「やだなぁ、そんなに警戒するなよ♧」
「警戒するなって、さっきから殺そうとしてることなんざ見え見えなんだよ。なんで俺を狙う、何が目的なんだ」
これまで二度、ヒソカと遭遇してきたスバル。一度目は、有象無象の中の一人として。二度目は、少し違った形で。
そしていま、試験から離脱したスバルの元にヒソカは自ら現れた。一度目とは明らかに違う状況に、スバルは動揺を禁じ得ない。
「しらばっくれるなよ♡ 君、念が使えるだろ?」
二度目に聞いたこととほとんど同じ文言でヒソカはほくそ笑んだ。
念、という言葉にスバルは思考を巡らせる。念と言えば、慣用句でよく使われる言葉だ。雑念、概念、情念、疑念、観念、信念……。心や、思考によく使われる文字。
だが、ヒソカの使うという口ぶりからしてみればおそらくそう言った文字としての念ではないのだろう。念を使う、ということは、何か物を指している言葉なのだろうか。武術を指して使うという表現をすることもある。
だが、スバルには武道を修めていることはないし、ヒソカほどの実力者ならそれを見誤ることもないと思うのだが。
「念? 生憎俺は天下の凡骨なもんで、魔法の一つも使えやしないんだよ」
「君の体から発せられるオーラ……、すさまじい量だ♡ 100万年に一度の才能か、もしくは気の遠くなるほどの鍛錬の末に行き着く境地♡」
スバルを無視してヒソカが語り出す。オーラ? 雰囲気? いや、この場合は――、
「けれど、君の身のこなしは素人のそれだ……♧ とてもじゃないが、強い素質を備えているようにも思えないんだよ♡ ハッキリ言って、ボクは君を測りかねている♢」
「そりゃあ結構で。俺といういい男のイケメン度を測るには、お前じゃ少し異常パロメーターがぶっちぎってたみたいだな」
精一杯の強がり。ヒソカは眉一つ動かさず、意に介した様子もない。
羽虫の存在が象にとって些細なことであるように、ヒソカにとってスバルは取るに足りない羽虫の中の、少し模様が珍しいものという程度なのだろうか。
「そんな時、君がリタイアするというじゃないか……♡ やっぱりボクとしては、せっかくなんだし確認をしておかないと思ってね♢」
そんなついでみたいな感じで殺しに来なくてもいいのに、なんて、スバルは肩を落とす。
「じゃあ、もういいかな♢ 狩ろうか♤」
「こいや!!」
念、オーラ、わからないことだらけだが、ともかく今は戦うのみ。
構えて、その結果は言うまでもないだろう。
瞬く間に喉を切られ、足から下がなくなる。
痛みに顔を歪めるも、一矢報いようとヒソカの足へ手をのばすも、それは軽々と躱されてしまった。
「残念♡ 呆気なかったね♢」
「ぢぐじょう……」
喉から声が唸る。
体の力が抜けていくのを感じながら、スバルはまたしてもヒソカに殺された。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――十分注意して着いてきて下さい。騙されると死にますよ」
もう、何度目だろうか。
こうなってくると、人間かえって冷静になる者なのだと、スバルは妙な関心を得ていた。
これまた見覚えがあるクラピカが、定番の言葉をかけてくる。
「どうした? スバル」
「いや、ここにくるのって何度目?」
「? 妙なことを。今さっき出てきたばかりじゃないか。疲れておかしくなったのか?」
「ははは、かもしれない」
ぎこちない笑みをたたえながら、八方塞がりになった現状に頭を抱えてしまった。
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