「それ、本当か……?」
俯いたまま、青葉は口を開こうとはしなかった。
ごく稀に、艦娘には整備でも入渠でもなおせないエラーが生じるのだということは知っていた。けれどそのエラーがどんなものなのかまではわからない。
目の前にいるのにその距離はとても遠くに感じて、今の青葉がどれほど苦しんでいるのかなんて想像することすらできなかった。
──沈黙が続く。
身体を震わせて、今にも泣き出しそうな青葉に、俺はなにもしてやれなかった。青葉が口を開いてくれるのをただ待つことしかできないのが歯痒くて、思いきり下唇を噛んだ。
「記憶がね……」
数時間にも感じるほど長い数分が経って、ようやく青葉が口を開いた。
「24時間ごとにリセットされるんです」
苦笑しながらそう言った。人がいつしか老いて死んでいくように、まるでそれは仕方のないことだと諦めるように優しく笑って。
明日に記憶を引き継げない。
それは、俺を絶望させるには十分すぎる言葉だった。
「────ッ」
喉の奥が焼けるように熱い気がして、唾液を飲み込んでみても声は出てこなかった。なんと言えばいいのだろう。きっと、なにを言っても笑わせてやることなんてできない。そんなことはわかっているけれど、握った拳に力は増す一方だった。
「ニ年前……それは突然発症したんです。その日から、青葉の時はずっと止まったままで……」
青葉は続けた。声は掠れていて、それでも優しい笑顔を崩さずに。
「朝目が覚めるたびにまた痛みを覚えて……。空白の二年間で……なにひとつ覚えていることはなくて……」
ああそうか。傷ついているひとほど、悲しいときに笑うんだ。だから気づけない。気づいてやれなかった──。それは、自分の無能さを棚に上げているだけじゃないか。もうその許容量は遥かに超えていて、ずっとあふれ出していたはずなのに。
「だから……。だから青葉は……」
青葉は下唇を強く噛んで、こぼれ落ちないように顎を少しあげた。
両目にはいっぱいの涙が溜まっていて、肩だって小さく震えている。多分、ずっとそうしてきたのだろう。たったひとり暗い部屋で、誰にも言えず……抱え込んできたのだろう。
「一度見たものを二度と忘れないように、写真に残そうとしたんです。インタビューなんて、言って……記憶には無理でも、記録に残したかったから……」
瞬間、こぼれ落ちる。
青葉の頬を伝い落ちた雫は、とめどなくあふれ出して地面を濡らした。
「でも、そのときどんな声で……どんなトーンで言われたか……頭を撫でられたときの感覚も、その温もりも……記録なんかじゃわからない……。なにひとつ、思い出せないんです……」
「司令官!」って、嬉しそうに、無邪気な笑顔で俺を呼んでくれた青葉の可愛げな声も、お気に入りのカメラを構えて色んな写真を撮っていた楽しそうな後ろ姿も……全部、俺なんかじゃ想像できないほどの苦しみの上に成り立っていたんだ。
「ヤですよ……こんなの……」
とても辛かっただろう。でも「助けて」なんて言えなくて。きっと記憶はリセットされても痛みだけはずっと消えなくて。ボロボロになりながら、たったひとりここまで歩いてきたんだ。
俺にはなにひとつ無いけれど、それでも今の俺にできることは──
「記憶が……欲しいよ……」
思いきり、力いっぱい抱きしめた。子供のように泣きじゃくる青葉を、折れてしまうんじゃないかってくらい強く。そうしていないと、今にも消えてしまいそうだったから。
出会ってから見た初めての涙。初めて吐き出した感情。
ずっとひとりだったんだ。無邪気な仮面を被ったまま、その下でずっと泣いていたんだ。
ずっと近くにいたのに……ずっとひとりにしていた。
「どうして俺は……」
抱きしめてやることしかできないのだろう。幼い頃に一度だけえがいた夢のように、魔法が使えたなら……青葉を笑顔にできたはずなのに。
──俺たちはお互い抱き合ったまま、その場で立ち尽くした。このまま時が止まれば、青葉の記憶も連れ去られることはないのに。
嫌なことも、良いことも……その全てが大切な思い出だったなんて、今さら当たり前のことを思い知らされた。
嫌だと、記憶が欲しいと、青葉はそう言った。
魔法みたいに時は止められないけれど、なら魔法のように、今という時を切り取って──それが永遠になるように。
× × ×
「なあ青葉」
あと十数分もしたら夕陽は完全に沈んで、夜がくるだろう。
隣に座り、海を眺めている青葉に声をかけた。
「なんですか?」
目元は真っ赤に腫れていて、いつもは綺麗に整っている可愛らしい顔が、少しだけクシャリとしている。
俺はそんな青葉に自分のビデオカメラを手渡した。
「な、なんですか急に……」
「それ、ビデオ撮ってるから。ほら、俺にレンズ向けて」
言ってその場に立ち上がると、青葉も同じように立ち上がってパンツについた砂を片手で払った。
なにがなにやらわかっていないといった様子で、それでも渋々俺の方にカメラを向ける。
「俺さ……」
すぅっと深く息を吸って──
「ずっと前から青葉のことが好きだった」
そう伝えた。
「なんですか……それ……」
冷めた表情で、構えていたカメラをその場に置いて、そのまま青葉は踵を返し、「そういうのならいらないです」と言って、ゆっくりと鎮守府の方へ歩き出す。
停止ボタンの押されていないビデオカメラは、俺の足元を写したままその記録を残し続ける。
「同情とかそういうのじゃないんだ。本当に、出会った日から今日までずっと……これから先も……青葉だけを愛してる」
ああ、ほんと……愛の言葉ってむず痒くて嫌になる。
ほら、顔が熱い。多分人生で一番恥ずかしい。でもそれも全部ひっくるめて伝えるべきものだと思ったから、だからきっと──俺は目の前の君から目を離せないんだろう。
「あ、青葉は……明日になればなにも覚えていないんですよ……?」
「知ってるよ。だからこうして、会話まで残しているんじゃないか」
「でも……っ、気持ちは残らないんです……!」
振り返ってそう叫んだ青葉の表情は歪んでいた。
「じゃあまた伝える。何度でも、死ぬまで一生」
「なん、で……」
ひどく崩れたその泣き顔を、もう見たくないからと言ったら笑ってくれるかな? そんなわけないよな。
どんなに恥ずかしい思いをしても、この世にある言葉全てを使っても、きっと言葉だけじゃどうしたって伝えきれない。
だからもう──飾らない一言だけで十分だろう?
「君が好きだから」
「……しれぇ……かん……」
『ども、恐縮です、青葉ですぅ!』
『…………』
『え、あれ? 司令官? おーい……』
一目惚れだった。
誰かを好きになるのに理由なんて要らないって、今までそんな言葉を信じたことはなかった。
多かれ少なかれ好きになる理由はあるだろう。笑顔が可愛いだとか、明るい性格が好きだとか……。
でもそんな価値観が、一瞬でひっくり返ったんだ。どこを好きになったのか考えてみてもわからなくて、でも好き以外の理由なんてどこにも無くて。
「……ただ離したくないって、そう思ったんだ」
──大声で泣きじゃくる青葉をぎゅっと、強く抱きしめた。
風に乗って流れてくる潮の香りと、青葉の髪の柔らかな匂いが混ざり合う。
子犬のように震えながら俺の胸元を両手で掴んで、泣き明かす青葉の温もりを感じながら目を閉じた。
「青葉……きっと、たくさん迷惑をかけると思います……」
「構わないよ」
「ぜったい、疲れちゃいますよ……」
「でも『好き』の方が勝つだろう」
「きっと……」
「青葉──」
青葉の両肩に手を置いて、真っ直ぐにその
「好きだよ。これから先もずっと」
「……ずるいですよ、司令官は……」
「まだなにか言いたいことあるか?」
微笑んで優しく問いかけると、青葉は数秒俺の顔を見上げた後ごしごしと強く目元を擦った。
赤くなった目を細めて、俺の右肩に両手を置いて精一杯背伸びをして顔を近づけてきた青葉に驚いて目を閉じると、耳元にくすぐったい吐息と、掠れて消えてしまいそうなくらい小さな、でも確かに嬉しそうな声が聞こえた。
青葉「というSSを考えたのですが、どうでしょうか?」
提督「……………………」
衣笠「それ 却下デース☆」
読んでくださった方がいたらお礼申し上げます。
いつも明るい青葉大好き。